「──やはり行ってしまうんですね」
地平線から陽の光が見えてきたところで旅支度を終える。
見送りにきた
「ああ、流石に今のままじゃお前を独占できないからな。出直しだ」
無言で彼が両手で顔を覆い、その場にしゃがみこんだ。おい大丈夫か。
衝撃の伴侶検証事件は互いに墓場まで持っていくことになりそうだった。……念のため明言しておくが、あれからは何も手は出さず、ただお喋りしていただけだ。なにかが吹っ切れたのか、彼も若干の気軽さが出てきていた。
「……いちいちこちらの精神に刺してくるのやめませんか……」
「勝手に刺さってるだけだろ。軟弱者め」
「──先生」
ん? と声をあげたところで空が立ち上がる。背丈も随分と伸びたよなぁ、と私は見上げることになる。着物で着痩せしてるけどこいつ、意外にガタイが良いんだよな。おそらく人類の男性として理想的な体つきになるようアルタナが作用してると思われるんだが。
ぎゅ、と彼がこっちの右手を握ってくる。なんぞ?
「またいつでも来ていただいて構いませんからね……」
「新妻か!」
「そこは流石に旦那を志望したいのですが……しかし貴方を想う時、どうすればいいのでしょう。吉原流に則って小指に髪の毛でも結びますか」
「松陽に気遣え。生徒に要らん誤解を受けるだろうが……じゃあアレだ、本当の本当に追い詰められた時は助けを呼べ」
「助け?」
「『先生、助けてー』って言うんだよ。然らば、お前のイマジナリー師匠がアドバイスを授けてくれるでしょう」
「ふふ、そうですか。ではそうしましょう。……最後に、少しいいですか?」
「ん?」
瞬間、ぐっ、と引き寄せられた。
彼の片腕がこちらの腰に回り、抱擁される形になる。着物の下の肉体と体温を感じてビビッている間もなく、顔が寄せられ、唇が重なった。
柔らかく、熱い。
すぐに離される。
「……成程」
赤い眼が愉快そうに細まった。
悪戯が成功した童のような顔だった。
「貴方でも……そんな顔になるんですね」
「……なるわ。阿呆」
穏やかな笑み。切なさを閉じ込めた赤い眼差し。
……見ていると旅立てなくなりそうだったので、手をすり抜け、やんわりと腕を押して離れさせ、踵を返す。
「じゃあ、また会おう」
◆
──あっさり旅立ってしまった後姿を、いつまでもいつまでも見届けている中、徐々に地平の向こうから朝の陽射しが差し込んできた。
本当に、あと少しだけでも居てくれたら良かったのに。
拭えない名残惜しさに息を吐く。けれど、そんな心中に反して、どこか満たされていた。
指先で口に触れる。まだ熱が残っている。人間同士が「愛」とやらを伝達する際の作法だとは聞いていたが、果たして、私が伝えたかったのは何だったのか。
「よく分かりませんね……」
愛は、よく分からない。ただ、私はあの方の
死に焦がれる執心は、よく分かる。
早く楽になりたい。永遠の眠りと安らぎの闇に身を浸したい。
それはもう、私という個体の本能に焼き付いた欲求だった。不老不死の因子が、細胞が、血肉が、私を生かしながら、終焉を求めている。
この矛盾の苦しみから来るのは、灰色の虚無だ。
吞まれれば最後、私という自我は消えてなくなる。殺され続けていた時、いつからかそう感じた。だから多くの
──だが、あの方が現れた。
「……あの。鬼を還す場所、って、どこですか」
拾われた翌日。
片手を握られながら、山道を歩いていた。
私を村から連れ出す時、この方は言っていた。「鬼には還すべき場所がある」と。ならば私と同じ鬼であるこの方は、どうして外にいるのだろうと──
「そんなものはない」
「えっ」
「嘘。デタラメ。出まかせ。作り話。あいつら全員だまくらかして、お前を連れ出すために言った」
「ど……どう、して?」
「お前と一緒にいたいから」
そこで、不意に抱きかかえられた。
知らない温もりに包まれる。この人の手が、私の頭に触れた。
痛くなくて、もぞもぞ、する。
「ぁ……」
「うーん、可愛いなお前。あー可愛い。なぁに大丈夫さ、法はまだ整備されていないハズ、通報されることも訴えられることもないんだからッ……!!」
「な、な、何の話ですか」
くるくると私を両腕で抱えたまま踊られる。
掛けられたこともない言葉に、されたこともない事ばかりで、どうしたらいいか分からない。
「──お前はいずれ、私の元を離れる時が来るだろう」
「え……?」
「独り立ち、ってやつだな。誰しもそういう時期がくる。それまでは傍にいてやる。私のことは師匠……いや、『先生』と呼べ。お前は私の弟子な」
「せん、せい?」
「うん。よくできました」
──何年も共に過ごす内、くすぶる感情に私は困惑した。どう発露すればいいのかも分からないし、どう言語化すればいいのかも知らなかった。そも言葉という形を与えられるものなのかさえ。
だったら、と一人の
あの方を殺してみれば何か解るんじゃないのかと。
同じ種族。同じ不死。同じ変異体。
彼女に死へ到達できない苦しみを味わわせた時、自分がどう反応するのか──それを確かめれば、このくすぶる感情にも何らかの決着がつくのでは、と。
即却下した。
なぜ殺され続ける輪廻から解放してくれた方に、そんな惨いものを与えようなどと思えるのか。
「……あれ? 先生?」
そんなある日の朝。起きると、寝床に先生の姿がなかった。
狩りに行っているのか、と思うも、しかし掛け布がそのまま。その向こうは崖になっていて──崖?
「…………せ、先生ッ!?!?」
慌てて下を覗き込むと、底の方で先生が倒れていた。おびただしい量の血液が広がっている。
わき目も振らずに崖を無理に駆け下りた。足を滑らせて少し骨折したが気にする必要はない。すぐ治る。そして倒れている人物に近寄った。
……胸の中に、冷たいものが差し込まれる感覚がする。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。死んでいたら。このまま動かなかったら──
またひとり?
「……さむい……」
「!! 先生! お、起きてください! 崖から落ちたんですよ!」
違う、この人寝てるだけだ! 自分が一回死んだことにも気付かずに!!
乱暴に身を揺すると、寝ぼけ眼で先生がゆっくりと起き上がった。
そして周囲の血液量に、うわっ、と声をあげる。
「……え、何これ? ていうか此処どこ?」
「いや……もう……あの……」
──ダメだこの人、ちゃんと私が面倒を見ないと……!!
そんな強い決意が私の中に生まれた。
翌日から、先に起きて師匠を起こすのが私の日課となった。
やがて私はくすぶっていた感情の正体が、「好意」に類するものだと、長い時間をかけて気が付いた。
唯一の同胞という仲間意識。知らぬ知識を与えてくれる師。怯えず、恐れず、ただ受け入れてくれるよすが。
なるほど、好意的に思うのも道理だと納得した。
そこで一旦は片がついたのだが──
「──調子どう?」
その時の。
衝撃を。
何と言い表せばよいのか、分からない。
長い年月を過ごす内に、薄らいでいた百年の記憶が鮮明に蘇る。
死への執着、終焉に焦がれる本能と同等か、それ以上の激情が私を突き動かした。
気付けばその身を捕まえ、泣いていた。自分でもわけが分からず、奪い取った肉体の主導権を、隠れるように松陽に放り投げていた。
──先生……
先生だ。
夢幻か現か、記憶が遠くなるにつれて実在を怪しんだ同胞が、すぐそこにいる。
重苦しかった呼吸が、軽くなった。
居ても立っても居られないような、行き場のない感情を押さえつける。
時によって摩耗し疲弊していたハズの精神が、あの御方の前では新生の息吹をあげる。
それで分かった。
これが、“
「じゃっ、もう行くわ」
「えッ!?」
師は忙しない。
再会の余韻も程々に、情報だけ伝えてとっとと去ろうとする姿を咄嗟に引き留めた。
──私は何をやっているんだ。
困惑とは裏腹に、口は必死に引き留める言い訳を紡いでいた。我ながら意味が分からない。だがそう、これは決して寂しいとかではなく、アレだ、話し足りていないのだ。──と自分を誤魔化した。
だが夜明けまで、と時間を制限して、師が留まってくれた時、酷く心の底から安堵した。
──ああ。私は……
その安堵を以って、私は私の
遠いあの日。彼女と約束したのは、「共に死ぬこと」だった。
だけどそれではもう足りない。
──居たい。共に居たい。この永劫を越える旅路で、隣にこの方が居てくれたら。
……だが。
苦しみに限らず、幸せも永遠に続けば、人は願う。終わりが来ることを。
それは松陽が、今まさに体験していることだった。穏やかで殺戮とは縁遠い日々。これがいつまでも続いた先に、何があるのかと。終わりはいつになったら訪れるのかと、無意識下で思っている。
私もいつか、この方を傍に置いておきながら、そう願うのだろうか。
それを思うと、ようやく悟った魂の在処を口にするのも憚られて──
「……なぜ、時を遡ってまで私を救いに来てくれたんです。いえ、動機や理屈は聞きましたし納得もできますが……──決め手はなんだったんですか?」
そんな問いを、投げていた。
未来から来たという人。たった一人のための千年の旅路。
あまりにも、馬鹿らしい。不明の極致だ。いくら自分を生み出す因果の元に私が関わっていたとはいえ、そんな借り一つを返すためだけに、千年もかけるなど。
だから──どうやって。
どうして、貴方は私と同じ時間を過ごして、そんなに平気な顔でいられるのか。
苦しみを愉しめるから? それにだって限界はあるだろう。どうして、どうやって、死に焦がれずに生きていられるのか。
「……たぶん、やるべき事だと思ったから」
やるべき事?
「変異体だって気付いた時にさ。やっぱ思うじゃん、同族のことを。だったら、やっぱり、なんとかしてやりたいなぁ、って」
……。…………それだけ?
そんな
──人格を新たに生み出すこともなく、死に憧れることもないままで?
「……。酷いですね。苦しみから逃れたいと願う私に、そこに留まれと楔を穿つような真似ですよ」
「だろうな。謝らない。その代わり、苦しみを愉しむ方法を教えてやったつもりだ。少しは……役に立ったか?」
立つワケがない。というかどこで教えていたのか、そんな
これは完全に精神性の問題だ。適性の話だ。この方は不死に向いている。一つの情念だけで、幾星霜もの時を歩むことができる。
だが──それなら。
彼女と共に居たいと想う私も、いつかそのようになれるだろうか?
「苦しみはどこまでいっても苦しみです。吹っ切れて娯楽と捉えられるような柔軟な感性は身に付けられませんでした。──ですが、代わりに」
貴方に出会った。
「
だから──どうかその
「……ああ、そうか」
陽が昇る。
師の姿を見送ってから、ふと、理解した。
「人は……虚を知っている。それ故に────」
人を受け入れる。人の中に生き続ける。
だから
「
それは一沫の悟り。
きっと永らく、自分が探し求めていた「解」だった。
◆
“こんにちは。会いたかったですよ、羅刹さん”
──挨拶代わりに言ったその言葉は本心だった。
いずれ師を生み出す源泉の人格。そんな彼女は、自分になにをもたらすのだろうかと期待した。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね──」
呪詛を聞く。
怨嗟を聞く。
殺意と憎悪を研ぎ澄ませた、敬服すら覚える死神の声を聴く。
心臓を抜いて、我が内から吉田松陽の人格は消失した。
そして今、向き合うべき罪罰の象徴たる彼女と、剣を交わしていた。
羅刹と呼ばれる
私の業が生み出した存在。私が殺してきた者ら全ての代弁者。これはきっとそういう存在だ。
そしてそんな存在から生まれた
「──ハ、ァ……ッ!!」
久々に息が切れる、という体験をする。
アルタナを取り込み続ける限り、肉体状態は最高を維持される。傷は癒え、覚える疲労すら消え、戦おうと思えば何十、何百年と戦い続けられるだろう。
だがそれは肉体の話であって、精神面はそうはいかない。
──削られる。刃を交わすたび、自分の内の何かが削られる。
まるで、己自身と戦っているようだった。憎み、嫌い、恨み、蓄積した殺意を叩きつけられる。されど、そこに一切の怯えも恐怖もないのが、そう──
こんな感情を抱くのも、師によって生きる喜びを叩き込まれたせいだろうか。
本当──酷いお人だ。
「ッ──……」
互いに首を斬りあい、倒れ込む。
即座に立て直さねば、一方的な殺害が起きるだけだが──人の気配を感じた。死体を装うと、彼女もそれに倣ったようだ。
……ああ。そうか。来たのは松陽の弟子たちか。
そういえば、本来は彼の処刑のために外へ出たんでしたっけ。
しかしところで、彼女にとって彼らはどんな存在なのでしょう?
……試してみますか。
「ッ……!!」
無防備に私に近づいた彼らを殺すつもりで刃を振るう。
だが、それは直前で阻まれた。彼女だ。
……はて。先ほどまでは復讐に突き抜けていたというのに、妙な言動だ。普通は庇わない。ということはつまり、
(……既に師の基盤となる
彼らの必要性を知っている。そうとしか考えられない。
ふ、と思わず少し笑みが零れた。
それなら──私も師の言いつけ通り、課題をこなすとしましょうか。
一つ、朧の奈落への回収。
今さら戻ったところで彼の地位は無いも同然でしょうが、そこはまぁ飼い殺しということで。松陽の弟子たちにとっての戦う理由、取り戻すべき人質にはなるでしょう。
そして次に、
「がァァァッ!!!!」
天から貫かれた槍に、痛みに、彼女が悶絶する。
穂先を異星のアルタナの結晶石で鋳造した特攻武器。これは松陽が奈落に掴まった際、彼らに「羅刹」の正体……すなわち変異体であることを伝えた結果だ。
前々から、奈落の中で「羅刹」は最も排除すべき優先殺害対象だった。
その正体に関する知識をもたらし、こうして彼女を殺すための武器が無事に造られたようだ。
『いやいや、正気ですか』
『いやいや、マジでこうでもしないと手に負えないから。お前と羅刹ちゃんの戦闘シーン、三日三晩ぐらい続いちゃうから』
これは羅刹を最大警戒した師からの助言だった。自分に容赦がないのは私と同じではないですか。
……まぁ。それなら彼女と同じ変異体である私が天導衆に関与した際、利用価値も上がるでしょうから、長い目でみればメリット……ですかね? 彼らも化物を制御する手綱は欲しいでしょうし。
「なァに、殺しはしません。君たちにはもう少し、掌で踊っていてもらわねば」
私のではなく。
我が師の掌の上で、という注釈は付きますがね?
◆
(……あの苦しみようで、なぜ逃げおおせられるのでしょうねぇ……)
ふと。
過去を振り返っていた。ここまでの進捗、というやつを。
江戸城でのことは、彼女との再会を期待してのものだった。
だがあの時の私は師の記憶が薄まり、ほとんど忘却状態だった。師の思考で物を喋る彼女の揺さぶりに、思わぬ動揺を見せてしまった。情けない。
「虚様」
朧の声に首を向ける。
ここは上空、飛行戦艦の上だった。夜は深まり、眼下には広大な海と、一つの孤島が浮かんでいる。
──
踏み入る者は古今東西の極悪人、出ていく者は死人だけ。
地獄と称される、島の形をした監獄だ。
あそこが今宵の戦場。
「
朧の片腕には、一羽の烏が留まっていた。
……今まで何の疑問も抱いていなかったが、
「君、動物の言葉分かるんですか」
「は……? はい、まぁ。というか、烏の方にそのような訓練を施しているので」
「それは凄い」
言うと、朧がなにやら困ったような顔をした。
ああ、すみません。
「どうぞ、行ってください。戦況によっては私も降りることになるでしょう。……見廻組には、くれぐれも気を付けて」
「佐々木異三郎のことは承知の上です。──では」
と、部下を引き連れて朧は姿を消した。
ふむ、と一人になってから肩をすくめる。
「そちらではなく……紛れ込んでいる
嫌ですねぇ、と心中、上辺だけの弱音を吐いてみる。
……大して何も感じない。殺し殺されるは慣れたこと。相手が何者であろうと関係がない。
だが──
「私が貴方の仇であり、貴方が私たちの罰であるのなら……応えぬわけにはいきませんね」
かくして最も長い夜が始まる。
此処にあるのは悟りを得た八咫烏。どのような決着が待っているのかは──