〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】 作:ルヴァンシュ
■ 以下、注意事項 ■
・約壹萬捌仟字以上。
・〈物語〉シリーズ、アニメ未放送分ノネタバレヲ含ミマス。
・他、何カアレバ書キマス。
■ 黒齣 ■
[006]
いきなりパチンコ屋を要求されるというデンジャラスな始まりではあったけれど、しかし結局それ以外良い方法が思い浮かばなかったので、僕たちは日和ちゃんを連れ回すことにした。
いや、連れ回すという表現には語弊がある。語弊どころか悪意さえある。あくまでも連れ回されるのは日和ちゃんではなく、僕たちの方なのだ。僕たちは日和ちゃんに付いて行き、日和ちゃんが行きたいと思ったところへ案内する。そういうスタイルなのだ。
「ここに行きたいです!
「ここもいいですね!
「面白そうです!
「ここに行ってもいいですか!」
こんな感じではしゃぐ日和ちゃん。振り回されているのは果たしてどちらなのだろう。日和ちゃんがこんな具合なお陰で、どうやら周りからは犯罪者ではなく、妹の子守をしてあげている親切なお兄さんと見られているらしかった。それはとても有難いことなのだが、しかし子供の体力というのはここまで無尽蔵なものなのか。引っ切り無しに動いている。どこからそんな元気が湧いてくるのだろうか。
無表情キャラなんて、以ての外である。そんな評価はこの子には一番似合わない。ここまで表情豊かに表現してくれる子を、僕は今まで見たことがないかもしれない。というのは言い過ぎにしても、八九寺、忍に匹敵する程の可愛らしさであったのは、最早特筆するまでもあるまい。
さて、そんなこんなで、午前中を丸った丸々、全てこの子の探検に費やした後、流石にお腹が空いたのか、ミスタードーナツに入りたがったので、僕たちは入店した。
「ほう! 面白い形ですね! 輪っかですか! あたいこんな食べ物見たことありませんでしたよ! なんてへんてこな形なのでしょう! いたく心動かされました!」
「そうかい……」
心動かされるどころか、散々体を動かされ、僕たちの体力もまた限界に近付いていた。否、残念なことに、僕たちでは無いのであった。
「ひゃっほー! ドーナツですよ阿良々木さん! 私かれこれ11年は食べておりません! いやあ懐かしいですねこの形! トポロジーを感じます!」
「トポロジーを感じるってなんだ。トポロジーは感じるもんじゃねえよ」
トポロジーとは、オイラーやガウスが開祖として有名な、幾何学分野である。位相幾何学ともいい、やわらかい幾何学とも称される。
「はっ、出ましたよ。数学好きが知識をひけらかしてやがりますよ、全く! これだから理系はウザいんですよ」
「ウ、ウザいって言うな! 文系!」
そうか、僕は一応理系ということになるのか。理科の苦手な理系とは、全く意味が分からないけれど。
「トポロジー? なんですかそれは」
日和ちゃんが聞いてきた。
「ほら、阿良々木さん。チャンスですよ。貴方の知識をこれでもかと嫌味ったらしく見せ付けるチャンスですよ! ほらほら理系なんでしょう? 私のトポロジー活用を否定して下さったのですから、さぞかし素晴らしい解説をなさるのでしょうね? 楽しみですね!」
なんでそんなこと言うんだよ。おまえは理系に何か恨みがあるのか。
「いえ、別に理系に対して恨みがある訳ではありません。恨みがあるのは阿良々木さんにです」
酷い。
日和ちゃんは僕の目をまだまっすぐに見ている。もうやめてほしい。勢い付いてしまったけれど、そもそも僕はそこまで位相幾何学について詳しくないのだ。聞くなら老倉に聞いて欲しい。
「トポロジーっていうのは……まあ簡単に言えば、やわらかい図形について、共通する性質や特性を研究する数学分野だよ」
ふわっとした説明だった。
「うわっ、聞きました? 日和さん。簡単に言えばですって! あの如何にも自分はちゃんと分かってますよ的な態度、鼻につきますねー」
「おい! 日和ちゃんに変なこと吹き込むなよ!」
「しかも簡単にとか言っておきながら、やわらかい図形とか専門用語使ってますよ! 怖いですね……あれが駄目な理系の凡例ですよ、日和さん。ああなってはいけませんよ」
「駄目な理系とか言うなよ! そんな意図は全くない!」
「はい、勉強になります。八九寺お姉ちゃん」
「日和ちゃん!? そっちにつくの!?」
まさかの1対2である。嘘だろ、日和ちゃん……そんな奴の何が良いんだ。人を貶めてニヤニヤ笑ってるような穢れまくった堕天使みたいな少女の何が良いというのだ。
「まあ残念でしたね、阿良々木さん。もう貴方は用済みです。帰ってくれていいですよ」
「くっ……!」
図に乗りやがって……ふっふっふ、だが僕には奥の手があるぞ。1対2だと? 残念だったな、僕にはもう一人、頼れる援軍が居るんだよ!
「出でよ忍! ミスタードーナツに来たぞ! 好きなだけ食いやがれ!」
「あ、セコっ!!」
セコいと言われようがズルいと言われようが、そんなことは知ったことではない! 僕はありとあらゆる手段をありとあらゆる状況で利用する、男の中の男、阿良々木暦だ! 卑怯者の謂れなど、意に介さねえぜ!!
「吸血鬼ぱんち!!」
「ぐあぁっ!!」
ミスタードーナツを餌に召喚した幼女――伝説の吸血鬼のなれの果て、忍野忍。僕の影から飛び出した彼女は、どういう訳か、飛び出した勢いで僕の顎にパンチを喰らわせやがった。仰向けに倒れる僕。
なんでだ……どういうことだ……ぱないの! ではないのか? お前の登場台詞はそれだろ!?
「かかっ、お前様の醜態は、影の中からしっかりと観させてもらっておったからの。そりゃあ、パンチの一つでもやりたくなるわい」
「な、なんだと? お前、あれから寝てたんじゃなかったのかよ」
「たわけが」
忍はグリグリと僕の顔面を蹴ってくる――お忘れかもしれないが、ここはミスタードーナツの店内である。しかもショーケースのお膝元。他のお客さんが居ないのは不幸中の幸いではあったが、しかし店員さんからの視線があまりにも痛い。痛すぎる。
精神攻撃にもやっぱり弱い阿良々木くんであった。
「肉体攻撃にも弱いようじゃしのう。忘れたか? うぬと儂はペアリングで繋がっている――うぬが受けたダメージは、ダイレクトに儂も受けることになるということを」
「あっ…………」
……あの時か。
僕が火憐ちゃんに、ボッコボコのズッタズタのボッロボロにされた時か。あの時、眠りについていた忍もまた、同じ分量のダメージを食らっていたのだ。
つまり、安眠妨害された訳だ――酷い目覚ましもあったものである。しかもその後、顔面スライディングをかましたり、日和ちゃんに付き合って歩き回ったりしていたのだ。そりゃあ眠れる訳あるまい。
「さて、お前様よ。当然この分も、以前約束した分に し っ か り と 付け足されているのであろうな?」
「と、当然じゃないか。ぼ、ぼぼ、僕を誰だと思っているんだい? は、はは、ははは、はははは」
どうやら僕の財布は、暫くひもじい思いをすることになりそうである。そして、もうバイト始めようかな、と僕は思ったのであった。
[007]
「ぱないの! 全くお前様よ、やれば出来るのではないか! 全品一つずつとはいえ、なんじゃ、買えるのではないか! かかっ! 流石に今回は褒めてつかわすぞ!」
「やるじゃないですか阿良々木さん! ちょっとだけ見直しましたよ! いやあ、まさか私の頼んだ分全て購入して下さるとは! 持つべきものは友と言う名のお財布ですね!」
「わあおいしい! ありがとうございます阿良々木お兄ちゃん! あたいのために全て買ってくれるなんて、あたい、いたく感銘を受けました! 打てば響く方とはまさにこの事!」
「もう嫌だ……」
何も言わずとも、賢明なる読者諸君はもうお分かりになられたと思うが、一応僕の口から言っておこう。いや言っておくような事でもないし、わざわざ注釈するのも阿呆らしいことなのだけれども。
忍を召喚したのは、勿論僕の味方をふやすためだったのだが、しかし残念なことに、彼女は僕の味方をしてくれることはなかった。
「忍野お姉ちゃん」
この一言だけで、忍は陥落した。忍野忍という姿になってからこっち、僕たちの中で最年少扱いされることの多かった忍だが、ここに来て、この姿のままで年上扱いされたのである。しかもお姉ちゃんという、八九寺を一瞬で虜にした核爆弾級の最終兵器も添えて。
そりゃあ陥落するというものである。忍はあっさりと僕を見限り、日和ちゃん側についた。つまり、1対3の構図となってしまったのだ。助けを求めたつもりが、逆に自分で自分の首を絞める結果となってしまったのだ。
流石にこうなると、僕に勝ち目は一切ない。例えこの場にあの式神童女が居たとして、都合良く僕の味方になってくれたとこ、で2対3。どう足掻いても僕の負けである。
なんという魔性なのだろう、日和ちゃん。いや、勿論無意識かつ天然でやっているのだろうけれど(計算でやっているのであれば、それほどがっかりすることはない)、末恐ろしい児女である。百戦錬磨の阿良々木暦も、児女には勝てないという訳だ。
しかし、僕にも策はあった。策というか切り札、最終兵器が、ちゃんとあった。
この中でお金を持っているのは、この僕だ。財布を握っているという最後の切り札、ここで使わない訳にはいかなかった。
が、阿良々木暦の策は失敗することに定評がある。今回も失敗した。
「全品買ってくれるなら、うぬについてもよい」
「全て食べてみたいです!」
「勿論私にもちゃあんと買って下さいますよね? 何せお財布を握っていらっしゃるのですからね」
なんて冷酷な奴等なのだろう。僕は財布の中身を、全てミスタードーナツに献上することになった。全品一つずつと忍は表現したが、しかし実際は全品二つずつプラスアルファだ。値段は尋常ではない。
僕のなけなしの金を使っても届かない金額だった。しかし、僕を妹たちに振り回されている哀れな兄とでも勘違いして下さったのか、有難いことに店員さんが僕にお情けをかけてくれた。10個で500円という破格の安さだ。それでも僕は財布の中身を全て失ったのだから、もしもお情けを掛けてくれなければ、果たしてどれ程の金額になっていたのだろう。怖い。怖すぎる。
そんなかんじで、店員さんに心の底からの謝辞を述べつつ(もうこの人に足を向けて寝られない)、大量のドーナツをトレイに入れ、特別にテーブルを幾つか合体させて作って下さった巨大テーブルに置いた。いや本当、感謝感激雨霰である。どこまで人情深い店なのだろうか。泣けてくる。
丁度お客さんが居なかったというのもあるのだろうが、ここまでやってくれる店などそうそうないだろう。ミスタードーナツに敬礼。
「……つーかお前ら、買ったんだからちゃんと全部食べろよ。絶対に残すんじゃねえぞ。こんな狂った要求したのはお前らなんだからな」
ここまでやって頂いて、その癖ドーナツを食べ切らず残すというのは、店員さんに対する侮辱に他ならない。ちゃんと苦労に報いるくらいのことはしやがれこんちくしょう。
「安心せよお前様。ミスタードーナツは別腹じゃ。儂の大食っぷりを舐めるなよ」
「心配ありません! 食べますよ! あたいは全部食べますから!」
「私はちゃーんと食べられる分だけ頼みましたからね」
とのことだった。食べられる分だけ頼んだと言う八九寺に、何かしら感情が込み上げないではないが、それは置いてくとして、一番心配なのは日和ちゃんだった……食えるのか?
忍はまあ怪異だから心配ないとしても、日和ちゃんは普通の児女である。これだけの量が入るとはとても思えないが……思えないなら買うなという話だが。
「むぐむぐ……まあ心配いらんじゃろう、お前様。こやつは大丈夫じゃ」
忍は言う。根拠もなく何言ってんだ。お前と日和ちゃんはそもそも会ってから一時間も経ってねえだろ、お前が日和ちゃんの何を知っているんだ。
つーかものを食べながら喋るな。行儀が悪いぞ。日和ちゃんに悪影響が出たらどうするんだ。
「いちいち細かいのう、お前様は。自分だけドーナツがないからといって、そうカリカリせんでもよかろう」
「…………」
そう、僕は何も食べていない。この我儘三人組の無茶振りの所為で、自分自身の分のドーナツを頼むのは憚られたのだ。
流石に僕の分として、店員さんがドーナツをサービスしてくれるなんてことは無かった。そりゃそうだ。ここまでやってくれただけで御の字なのに、これ以上何を望めよう。
……しかしこいつら、美味そうに食べやがって。満面の笑みなんか浮かべやがって。僕も食いたくなってくるじゃあないか。
「……なあ八九寺、ドーナツ一個くれないか?」
「はあ? 何言ってるんですか貴方は。駄目に決まってるじゃないですか」
「…………」
癪に触る少女だった。逆にどうしてくれないんだ。買ったのはそもそも僕なんだぞ。
「……なあ忍」
「駄目じゃ。儂のものは儂のもの。欲しければ自分で買えよ、お前様」
「…………」
その言葉をそのまま返してやりたいよ。偉そうに踏ん反り返りやがって。それ僕の金で買ったドーナツなんだからな。お前の金で買ったんじゃねえんだからな。忘れんなよ。
「……なあ、日和ちゃん」
「あたいのこれ……えっと、ドーナツ? 欲しいのですか」
「うん、頂戴。一個だけでいいからさ」
「…………」
「…………」
君もか。君もなのか。君もこの性悪二人組と同じなのか。ここまでの苦労があらゆる意味で虚しく思えてきた。
などと考えたが、しかし僕は日和ちゃんを甘く見ていたらしい。僕は忘れていた。この子は天然で魔性めいたことを平然とやってくれる子だと言うことを、僕はすっかりと失念していた。
日和ちゃんはストロベリーカスタードフレンチを掴み、僕の前に持ってきた。
「……え?」
僕は呆気にとられてしまった。堕天使二人組も、唖然としている。
「く、くれるの?」
「欲しいのですよね?」
「っ――――!!」
僕はストロベリーカスタードフレンチを掴もうとしたが、日和ちゃんは手の届かない場所へと後退させた。
「…………」
そういうこと、すんの?
落胆した僕。しかしこの児女、本当に恐ろしかった。
「日和ちゃん……」
「ほら、あーん」
「!!?!?」
あーん。
凄んでいるのではない。男にとって一番されたいシチュエーションの一つ。あーん。
僕がドーナツに触れないようにしたのは、どうやらこれをやりたかったかららしかった。なんとも微笑ましいことではないか。僕は言われるがまま口を開け、差し出されたドーナツを囓った。ストロベリーのついていない方である。
「おいしいですか」
日和ちゃんが笑顔で聞いてきた。
「……おいしいよ、日和ちゃん」
色んな意味で、美味しかった。
……ふざけんなよまじふざけんなよ。もう本当もうふざけんなよ、なんなんだよこいつ。僕を萌え殺すつもりか。萌やし殺すつもりか。
もうこれは萌えなんてレベルじゃない、蕩れである。蕩けそうな程可愛い。
見たか、ツインテールと金髪。これが真に純粋な女の子なんだよ。お前らみたいな穢れた連中には出来まい! ふははははは!!
いやもう天にも昇る心地である。天使はここにいたのだ。なんでもかんでも神を付ける風潮には反対だけれど、しかしこればっかりは言わせて欲しい。日和ちゃんマジ神!!
そのツインテールと金髪は、ドーナツを食べる手を止め、ただただ口をぽかんと開けていた。その光景は全く爽快であった。お前らが僕にドーナツを一つでもくれていれば、そんな思いをすることはなかったろう。天罰が下ったのだ。さあ、お前達も僕に――。
一瞬の後、我に帰った二人の行動は早かった。即座にドーナツをトレイに置くと、日和ちゃんの方をすぐさま向いた。って、は?
「私にもやって下さいっ!!」
「儂にもやらんか!!」
「そっちかよ!!」
やってくれるんじゃなくて、やってもらう方かよ! 何でだ! やっぱお前ら穢れてるよとことんまで!!
しかも日和ちゃんは日和ちゃんで「いいですよ」なんていいながら二人にも同じことをやったのだ。僕だけ特別じゃなかったのか! 誰にでもするのか! くそっ、幸せそうな顔しやがって堕天使! 可愛いじゃねえか天使共め!!
店員さんが冷めた目で僕達を見ている。やめて! そんな目で僕達を見ないで下さい! いや、つーか、ごめんなさい!!
やれやれ、なんて末恐ろしい児女なんだ……一瞬で僕達を浄化しやがったぜ。プラズマクラスターもびっくりな清浄力だ。或いはカビキラーもびっくりな洗浄力だ。
カビキラーっつーか、ロリキラーって感じだが。
こんな児女を一人にしておくことは、尚更危険に思えた。こんなに可愛いのだ、犯罪者の少ないド田舎町とはいえ、この可愛さにあてられてしまえば誰でもロリコンに転職してしまうかもしれない。
あ、僕はロリコンじゃないぞ。ギリギリで踏みとどまってるからな。そこんとこ、宜しく頼むぜ!
その後は、特にこれといって変わったことはなく、普通に雑談しながらドーナツを食べた。僕は結局日和ちゃんがくれた分しか食べられなかったけれど、しかしあれだけでステーキ一皿を平らげたかの如き満腹感があったので苦ではなかった。
まあ、もう一度激震が走ったと言えば走ったことがある。なんだかんだドーナツを全部食べた日和ちゃん(あの体のどこにそんな入るんだよ)が、最後の一つを4等分しやがったのだ。
4等分ということはつまり、僕達全員が食べられるように分けてくれたということだ。日和ちゃんは天使だが、しかしながら残念なことに、僕達はどうしようもない程穢れた生命体であった。日和ちゃんがくれたドーナツを一欠片でも多く食べる為、僕達しかいない店内で醜すぎる争いを始めた。その争いは酸鼻を極めたが、結局、日和ちゃんの鶴の一声で、四人で一欠片ずつになった。いや、そもそも最初から日和ちゃんはそのつもりだったのだが。
色々騒動があったが、僕達は見事ドーナツの山を完食し、店内を片付け、店員さんと店舗に敬礼してから、その場を後にしたのであった。
[008]
ミスタードーナツに入店し、退店するまでに要した時間は約2時間。あれだけのドーナツを処理したのだ、寧ろこれは速いといえるほどのタイムだろう。いや、別にタイムアタックをしていた訳ではないのだけれど。
それにしても、2時間も僕達は店内にいたけれど、その間一人たりともお客さんが入ってきていないという事実に、多少思うところはあった。恐らくそれは、田舎だからあまりドーナツという食べ物自体がメジャーに感じられていないのと、何より、僕達の存在が大きかったのかもしれなかった。
机をくっつけたり、ドタバタと殴り合ったり――店内を独占していた僕達の奇行を見て、入店しようとしたお客さんが踵を返したという事態も十分に考えられる。もしもそれが実際に起きていたのならば、僕達はあの店舗から出禁を食らうかもしれないのであった。
それは兎も角――いや、忍との円滑な関係を築くにあたってあの一軒しかない貴重な店舗は必要不可欠、兎も角なんて言葉で置いておくことは許されない。
とはいえ、それはそれで話が進まないので、仕方あるまい、進めよう。
閑話休題。
退店した僕達は、その後も日和ちゃんに付き合わされた。気分的には付き合わさせて頂いているといった具合だが、この建前が崩壊してしまうと僕の社会的立場も崩壊してしまうので、ここはグッと我慢である。
我慢の出来る男、阿良々木暦である。
「阿良々木お兄ちゃん、踏みますよー」
「ああ、どんと来い!」
「すみません!」
「ぐっ……」
児女に踏まれても我慢する男、阿良々木暦である。いやまあ、児女に踏まれるとかご褒美でしかな――い訳が無いだろう。痛いものは痛いし辛いものは辛い。そんなことを考えるのはロリコン野郎だけだ。僕は紳士だから我慢してるんだ。異論も認めないし反論も許さないし議論のテーブルに着く気もない。
などといきなり言われても、読者の皆様は困惑するしかあるまい。唐突に僕が踏まれているなどという展開が説明なしで罷り通るのは、忍とか斧乃木ちゃんとかひたぎとかあの辺の、僕を踏むのが日課になってるような連中だけである。
今回僕を踏んでいるのは、そんな連中とは最も対極にいると思われる天使、日和ちゃんである。流石に経緯を説明せねばなるまい。
事の発端は数分前に遡る。日和ちゃんに付き合わされた僕達は日和ちゃんに付いて行くまま、特に何をするでもなく歩き回っていた。
何もなかったのだ。
いや、アニメ版のような荒野程ではないにせよ、何度も言うようにここは田舎、店が一軒あればその周囲には何もない、なんていうのはザラである。
日和ちゃんの興味を引くようなものは無かったのだ。好奇心の化身とも言える彼女と言えど、無いものに興味を持つことは流石に出来ない。まあ、簡単に言えば暇だった。
やることなし。
ならばここで探検を終えるのか、と思ったが、日和ちゃんはそうはせずに歩き続けた。一体何が彼女を歩かせるのだろうと思ったが、まあ、児女の考えなんて、捻くれた高校卒業生に分かる筈もない。そして同じく、捻くれたロリ神様や捻くれた金髪ロリもまた、理解していないようだった。
僕達は日和ちゃんの後ろ姿を見ながら歩き続けた。誤解しないでほしい、周囲に何もない現状、それ位しか見るものがなかったのだ。僕はロリコンじゃない。横の二人はどうか知らないが、僕は違う。断じて違う。身の潔白を証明する為なら、多少ウザがられようとも何度だって宣言するさ! 僕はロリコンじゃねえ!!
それに、この危なっかしい児女を放っておくと、何を仕出かすか分かったものではないからだ。全力で阻止したパチンコ屋にでも入られたら、悪影響が日和ちゃんに……!
え? 僕達が一緒に居ることが悪影響って? うるせえ。
僕達は見守っているだけなのだ。影響を与えるようなことを何もしていない。少なくとも僕はやっていない。僕は潔白だ。
とまあそんな感じで日和ちゃんを見つめ続けていた僕達堕悪三人組だけれど、そこは流石日和ちゃん、僕達なんかとは目線が違った。
「……あれは」
前だけを見つめていた僕達に対し、四方八方全てを視界に収めていた日和ちゃん。そんな彼女が見つけたのは、巨大な一本の木であった。樹齢何年かは分からないけれど、立派な木だった。ここら一帯の守り神と言っても通用しそうな程に。
日和ちゃんはこの木に興味を示したのか? と思ったけれど、それもあるが、どうやら違うようで、彼女は木の上方を指差していた。
上?
僕達は日和ちゃんが指差す先を見た――そこにあったのは、今にも落ちてしまいそうな、トゲトゲしいイガだらけの殻斗であった。
イガの殻斗――なんでこんなところにこんなものが? イガというと、栗を思い出すけれど、こんな所に栗のなる木なんてあったっけか?
日和ちゃんは、それを指差しながら言った。
「あれをあたいは食べたいです」
「いや、食べたいって言われても……」
僕は腕を組んで考えた。
栗ねえ。
栗って、生で食えるのかな? いや、何もこの場で食べるなんて日和ちゃんは一言も言っていないのだから、そこは心配しなくていいとして、では、この栗は果たして採っていい栗なのだろうか。
どういうことかと言うとつまり、この栗の木は誰かの所有物なのではないだろうか、という心配である。もしも誰かの所有物ならば、これを勝手に採る僕達は泥棒にあたる。日曜日にやっている某国民的アニメ宜しく、追い掛け回されてしまうだろう。
いや、あれが罷り通っているのは、実行犯が小学生だからだろう。彼の悪知恵は時折小学生なのかと疑う程のものではあるが、しかし世間的に、社会的に見てみれば、少なくとも年齢と外見は小学生だ。
対して僕はバリバリの青年である。どう足掻いても小学生では通用しないし、幾ら背が小さいとはいえ、中学生でも通用しないだろう。高校生とならまだなんとか見られるかもしれないが、しかしだから何なのだろう。高校生の時点で十分通報される対象である。こういった犯罪をお遊び感覚で楽しめてしまうのはギリギリでも中学生までなのだ。
え? じゃあ八九寺に毎度の如く仕掛けているアレはなんだ、って? あれは、ほら、あれだよ、仲が良いもの同士のスキンシップだよ。セクハラじゃあないからな。
話が逸れた。
まあつまりは、これを採ることは僕としては出来るだけ避けたいということである。朝っぱらから冤罪でこっぴどく絞られた奴が、昼になって本当に犯罪を犯すとか、笑えなさすぎる。
それに、日和ちゃんへの悪影響は恐らく僕が考えている以上のものとなるだろう。良い子は真似しないでね、なんて言う位に、子供というのは感受性の高過ぎる生き物だ。生きていく為に必要な知識を庇護されているうちに吸収しようとするその姿勢は、攻撃能力の低い人間だからこその特徴ではあるけれど、しかし悲しいかな、知識がない故に、吸収する知識の取捨選択が出来ないのである。
総合すると、ここで栗を採らないというのが最も得策だと思える。やらないよりやる方がマシ、なんて言うけれど、やって後悔するのでは遅いのだ。
「日和ちゃ――」
僕は日和ちゃんを見た。
時には心を鬼にすることも必要である。僕は親ではないけれど、しかし躾をすることが許されるのは親だけという決まりなどありはしない。周囲の人間みんなで躾けなければならないのである。
――とはいえ。
そうは言うものの、こればっかりは失敗であった。ここで日和ちゃんを見てしまったのがどうしようもなく大失敗であった。ここで僕が真にとるべき行動は、日和ちゃんの腕を掴み、無理矢理引っ張っていくという行動だったのだ。
見た。
日和ちゃんを見てしまった――賢明なる読者諸兄なら、僕がこの子を視認してしまえばどうなるのか予想するのは容易いだろう。障子紙以上にスケスケのペラペラな阿良々木暦のくらい。日和ちゃんを天使天使言っていた阿良々木暦のことくらい。
日和ちゃんもまた、僕を上目遣いで見ていた。眉を少しハの字に曲げ、心配そうな顔つきで、こちらを見ていたのだ。
……んなもん。
そんなんさあ!
「よし、じゃあ僕が肩車してやるよ。採りな」
反則だろ!!
とてもではないが、この顔を見て期待を裏切ってしまうという残酷極まりない行為は、残念ながら僕には到底出来たものではなかったのだ。
この瞬間僕は思い知った。子供を躾けることが出来るのは、やはり親だけなのだと。
周囲の人々も一緒に躾けるべき? 全くお笑いである。出来る訳ないではないか。だって、ついつい甘やかしてしまうのだから。
親の甘やかしと他人の甘やかしとでは訳が違うのである。親ならば、子供をきちんと育てなければならないという、半ば強制された責任感が植え付けられる(まあ例外も無いではないが、そんなことを言い出せば何も言えなくなる。例外の方が多い規則である)が、周囲の人々にとって、他人の子供というのはやはりどこまでいっても赤の他人。責任感も何もありはしないのだ。あっても、親のそれとは比べ物になるまい。
だからこそ、甘やかしてしまうのだ。責任感が少ないということは、罪悪感という名のフィードバックもまた少ないということとイコールといってもいいからなのである。
……まあ色々言ったけど、要は可愛さに負けました。はい。
これは噓偽りなき理由である。心を鬼にするといっても、どうせ僕自身、吸血鬼という名の鬼なのだから、心まで鬼にする必要もあるまい。
つーかそんな顔見せられて甘やかさねえ奴なんて居ねえよ。しかも採ることを許可してあげた時の顔ときたら……僕、生まれてきてよかった。
「…………」
「…………」
忍と八九寺が呆れたように僕を見た。おいおい、お前らそんな顔してるけどな、僕と同じ立場だったらどうだ? ちゃんとこの子を律せれたか? というか、自分を律することが出来たか? お姉ちゃん呼ばわりされただけで蕩けてしまうようなお前らに、それが出来たか? 出来ねえだろ!
と、そんなことを心の中で叫びながら、僕は日和ちゃんの股座に顔を突っ込んだ。
……この行動について、釈明する気は一切ない。何故なら僕は何も間違ったことをしていないからだ。日和ちゃんを肩車するという使命を果たすため、これは必要な行為だ。安心てほしいが、僕は児女の股座にかおを突っ込んだところで、肩車をしたところで、欲情するような男ではない。
僕はそのまま立ち上がろうとした――ここで誤解されないように言っておくが、僕は決して上を向いてスカート――というか袴か、これは――の中身を確認したわけではない。これは天地神明に誓って宣言できる。
「ぐおっ!?」
「ぬっ!?」
にも関わらず日和ちゃんは立ち上がろうとした僕から逃げるようにその場で跳躍し、その際僕の顎に両足でサマーソルトキックをヒットさせた。思わず僕は仰向けにひっくり返り、火花が散る目で辛うじて日和ちゃんが空中で何度も回転し、地面に降り立つのを視認できた。
……な、なんだその身体能力!?
君、そんなキャラだったの……!? つーか、そんな動きにくそうな格好で――なんだその身体能力!?
お前、空中で何度も宙返りって、火憐でも出来るか出来ないかってとこだぞ(どうせ出来るのだろうけれど)!
凄えな。最近の子供って、まさかみんなこれを普通にこなすんじゃねえだろうな? いや、流石にそれはないと自分で言っていて思うけれど、いやはや、本当に末恐ろしい児女である。齢6歳でこれなのだから(外見で判断した年齢だ。忍よりちょっと背が低い)、今の――というか去年度の火憐と同い歳になるころには、どれ程の成長を遂げているのだろうか。
まあ、僕は親でもないし、多分この子と二度と会うことはないと思うのだけれど――家に連れて帰ろうと何だろうと、多分最終的には親戚の家かどこかに預けられることになるだろうから――だとしても、ブルっちまうぜ。
願わくば、火憐より真っ当な方向にその身体能力を生かして欲しい。あんな暴力馬鹿にならないで欲しいな。
――なんて、他人の癖してまるで親のようなことを考えていた僕の真下から、苦しそうな呻き声が聞こえた。
「ぐっ……お、お前様……どけ……っ!」
「あ、悪い。忍」
僕は顎を撫でながら起き上がった。あの子下駄を履いている所為か、火憐にやられたときよりも痛い。両足ってのもあるのだろうが――。
「お前様……あまり軽率な行動はとるなよ。儂も相当な確率でお前様の巻き添えを食らうことになるんじゃからな」
「ああ、悪いな。すみませんでした」
「ぬぅ!? なんで土下座するんじゃ!?」
「これ以上償いのドーナツを要求されるのは敵わないからな」
僕の財布はもう空々なのだ。空々というと某英雄を思い出すけれど、ドーナツを食うことは忍にとっては残念なことに暫く叶わない。空々くうではなく、空だからくえないなのだ。
……言ってみて思ったが、あんまり上手くねえな。
「上手くないことを言ったからお前様よ、当然儂に美味いドーナツを買ってくれるのだろうな? まあ流石に今すぐとは言わんが――土下座した上に滑った言葉遊びをかますなど言語道断じゃぞ」
「くそっ!!」
言葉遊びに厳しい幼女だった。
ああ、また僕の野口さんが消える(樋口さんや野口さんを使うまではいかない。というかいけない)……。
僕は立ち上がり、ニヤついている八九寺をスルーし(絡めば絡んだでまた何か要求されそうだし)、日和ちゃんを見た。日和ちゃんもこちらを見ている。
「あの……日和ちゃん。なんで?」
「すみません。無礼な行為をお許しください」
「うん、まあ良いけどさ」
「肩車ではあの栗まで届かないと思ったのです。背の低い阿良々木お兄ちゃんに乗るというのに加え、あたいは座ることなりますので体全体の身長を加えることが出来ません」
「ああ、成る程……君、今背低いってさらっと言ったな」
「え? そうではないのですか? 八九寺お姉ちゃんが、阿良々木お兄ちゃんは背が低いって何回か言っていたので……」
「八九寺ぃぃぃ!!!」
八九寺はそっぽを向いて口笛を吹いていた。いやこっち向けよ!
早速悪影響出てんじゃねえか! お前色に染め上げるな!
「そうは仰りますが阿良々木さん、私は事実を教えたまでですよ? まさかこの幼気な児女に、嘘を吐くのも大切なことですよ、なんて、汚れた大人の事情をお教えしろということではありませんよね?」
「そんなこと言ってねえよ! そうじゃなくて、言って良いことと悪いことの区別をだな!」
「阿良々木さん、子供はのびのびと育てるべきです! そんな区別なんて、小学生高学年になる頃に教えれば良いのですよ!」
「じゃあお前は区別をつけろ小五!」
「残念ながら悟りを開いている私にはそんな常識的通用しません。なんせ神ですし!」
「神だからってなんでも許されると思うなよ! そんな免罪符は鬼に通じねえよ!」
やれやれ、これだから汚れたガキは。すぐに反抗してきて困る。反抗期って奴かな?
八九寺と忍がまだ何か言いたそうにしているが、スルーする。これ以上議論すると章が長くなりすぎる。そして僕が論破されてしまう。
「まあ背が低いのは兎も角……まあ、日和ちゃんの言う通り、か」
確かにこの木は相当な高さを誇っている。栗が生っているのもかなり上方、肩車だけで届くかどうか……。
「じゃあ、どうする?」
「この距離からあたいが判断するに、地面から栗までの高さは約7尺5寸6分。阿良々木お兄ちゃんの背丈は約4尺3寸4分で、あたいの背丈は3尺2寸1分。あたいとお兄ちゃんの身長を足せば、届く距離です」
「お、おう」
果たしてその目測が正解なのかどうかは分からないが、この自信ありげな口調を聞くと、まるでそれが本当の事のように思えてくる。まさか本当に合ってるわけ……ないよな?
つーか尺貫法かよ。アニメの影響っつっても影響受けすぎだろ。吸収しすぎだよ、スポンジか君は。
二人の身長を合わせて届く、というなら……じゃあ、それはそれでどうするんだ?
「あたいがお兄ちゃんの肩に立てば良いのです」
「ああ、成る程。それなら、っておい」
「? なんでしょう」
きょとんと首を傾げる日和ちゃん。可愛いじゃねえか。
「いやいや、流石にそれは無理だろ。それに危ないよ。君を肩に立たせたまま立ち上がるなんて、そんな曲芸染みたこと、僕には出来ないぜ。それに、日和ちゃんだって、肩に立つことなんて出来るのか?」
「出来ますよ」
即答だった。
「私も出来ますよ」
「儂なら出来る」
お前らには聞いてない。つーかお前ら、見栄はってんじゃねえよ。
「阿良々木お兄ちゃんは、栗の真下に立って頂けるだけで良いです。私が跳んで、お兄ちゃんの肩に乗りますから」
「そ、そんなこと」
出来るのか……?
確かに先程人間離れした、年齢離れした身体能力を見せ付けた日和ちゃんだけれども、そんな無理難題まで出来るのか?
本当に出来るとするならば、それはもう火憐さえも越えているが――まあ、付き合ってあげるとしよう。
僕は栗の真下に立った。子供の言うことを信じてやるのも年上の仕事だし、やってやるぜ。
なんて、偉そぶっていた訳だけれども。
「阿良々木お兄ちゃん、踏みますよー」
「ああ、どんと来い!」
「すみません!」
「ぐっ……」
そして、今に至る訳だ。
正直に白状すると、僕は日和ちゃんを嘗めていた。いや、まさかこの文脈でそんな誤解をする方は居ないと思うけれど、一応言っておくと、舌で舐めた訳ではない。当たり前だが、僕の名誉のため。
日和ちゃんは本当に僕の背丈程も跳躍し、両肩の上に足を乗せ、見事宣言通り着地、というか着肩したのだ。その際下駄の歯が刺さって痛いのなんのって感じだったが、ここはぐっと我慢した。
そんなに跳躍出来るなら、わざわざ僕に乗らずとも、普通にジャンプして栗を取ることが出来たかもしれない。僕を立てるためにやってくれたのだろうか?
まあ、この歳でそんな打算的なことは考えていないだろうけれど。純粋なこの子がそんなこと考える訳ない。そこで唖然としているツインテールと違ってな! つーかやっぱり嘘じゃねえか!
ん? しかし忍は特に驚く素振りを見せていない。こいつも出来るとは思えないが、なけなしのプライドが忍を平静にしているのだろうか?
「採れましたよ、阿良々木お兄ちゃん!」
「そうか!」
頭上からそんな声が聞こえた。
と、ここで今更ながら思い至った。そういえば、栗はイガ付き殻斗に包まれているけれど、痛くはないのだろうか。
「日和ちゃん、痛くないかい?」
「大丈夫です。痛くありません」
そんな返事が返ってきた。
本当か? まさか我慢している訳じゃねえだろうな――僕が痛みを我慢しているからといって、この子まで我慢しなければならないなんて、そんな平等なルールは存在しないのだ。
つーかあって堪るか、そんなルール。
しかし、ここで無理矢理日和ちゃんを止めるのは、それはそれで彼女の自尊心を著しく傷つけてしまう恐れがある。外側の傷より内側の傷の方が深く、そして痛い。程度によるけれど。
子供って意外と自尊心が強いからな。慎重に扱わねば――今更な気もするけれど。
僕は一旦日和ちゃんに降りることを提案したが、日和ちゃんはそのまま僕が動くことを要求した。普通は僕からの提案を押し通すところだが、ここは日和ちゃんのバランス感覚を信じてみようと思う。
僕は慎重に、日和ちゃんの指示に従って移動した。出来るだけ揺れないように、体軸をずらさないように。
栗は、先程採ったのと合わせて3個。僕はこのスリリングな移動を二度繰り返し、そして二度とやりたくないと思ったのであった。
[009]
「ありがとうございます! 阿良々木お兄ちゃん!」
「なに、大した事じゃないさ。児女に踏まれるのが僕の仕事だからな」
見事取得した栗を両手に抱えた日和ちゃんは、満面の笑みでそう言った。そしてそんな顔で見られれば、僕も見栄を張らない訳がないのであった。
栗狩りを終えた僕達は、その樹の下で座り込んでいた。と言うのも、今後どうするかを考えるためである。
「これ、どうやって食べましょうか」
「ん……」
栗は一応生で食べる事が出来る……らしい。しかし、やはりそれでも衛生上、何らかの調理を施した方が良いのは明白だろう。それに、生で食べるより、より美味しくなる。
採ったはいいものの、その後どうするかは全く考えていなかった。このまま持って帰るとしても、まさかずっと日和ちゃんが抱えている訳にもいくまい。ああは言っているが、きっと痛い筈なのだ。
「儂は別に生で食っても良いがの。味は確かに考慮すべき点ではあるが、しかしそこまで大差あるまい」
「いや、流石に大差あるだろうよ」
健啖家っつってももうちょっと拘れよ。美食とまで行かずとも、せめて食えるものにしてから食えよ。
「所詮、ミスタードーナツには及ばんよ」
「血はどうした血は」
「血? ああ、あの鉄臭い液体か。知るかあんなもん」
「おい吸血鬼」
本当、いいのかそれで。
いや、人類としては非常にありがたい限りなのだけれど、幾ら絞りかすとはいえ、嘗て伝説と呼ばれていた吸血鬼がこんな状況というのは、やはり思う所がないではないのだ。
お前を吸血鬼にした吸血鬼が泣くぞ。
どんな奴かは知らないけれど。
「あの、すみませんが阿良々木さん。あまり不用意な言動はやめて下さい。この辺りはオフシーズンで触れられるかもしれない要素なんですから、慎重に発言してくださいよ」
「かもしれないって何だよプロデューサー」
「かもしれないはかもしれないです」
「鴨鴨うるせえよ」
「鴨が鴨川で泳いでいるかもしれません。射撃のカモですね!」
「最期が残酷すぎるわ!」
つーか知らねえよ、僕がハブられた方の話なんて。そりゃあ僕だって把握しておきたいのはやまやまだけれど、情報遮断してるのはこの八九寺Pなんだぜ?
主人公なのに……。
「……ん? いつもの宣伝はどうしたよ」
「ああ、あれは違う方に回しました。本編での宣伝禁止令が発令されたものでしてね」
「やっとか……」
とうとう規制されたか。まあ、規制されて当然とも言える。幾ら二次創作だからと言って、やっていいことと悪いことはちゃんと区別をつけなければ。律しなければ。
「って、違う方?」
「はい。ほら、裏小説の方」
「ああ、あっちね」
あっちは自由度高いらしいからな……作者ネタも解禁されてるとか何とか。
「まあ、あれもプロデュース八九寺ですからね。阿良々木さんは呼びませんよ」
「お前僕に何の恨みがあるんだよ!」
「恨みがあるといえば日和さんですよ! こんなメタの中でもさらに内輪度の強い話で話題を消されるとか、堪ったもんじゃありませんからね!」
「お前の所為だろうが!」
そう言われればその通りである。日和ちゃんは手持ち無沙汰な様子で栗をぼうっと眺めていた。手持ち無沙汰というには、些か多くのものを抱えているけれど。
「さっきから何の話をしているのでしょう」
「君は知らなくても良い話だよ」
メタなんて概念はまだこの子には早過ぎる。
メタ発言は置いておいて、さて、この栗をどうするかである。
「もう一層の事、スーパーでチャッカマンでも買うかな。焼けば何とか食べられるだろ」
「おいおいお前様よ、儂にあれだけの大口を叩いておいて、随分と拘らぬ食べ方じゃのう。調理とも言えんわ」
「お前よりはマシだ」
まあ、別に僕も料理が出来ないというわけではない。ご両親が家に居ないのが殆ど常な阿良々木家では、料理は火憐、月火、僕の三人で交代で作ることになっている。
そのお陰で、中学の時の家庭科は数学に匹敵する程の点数を取れていた訳だが――まあそれは置いておいて。閑話休題。
今この場には、残念なことに何もない。こんな何もない状況で何か洒落たものを作れと言われても、出来る訳がないのだ。三ツ星の料理人でも無理だろう。いや、仮に物資が揃っていても、彼らは一流のものを好むだろうし、どの道無理かもしれない――酷い偏見だな。自分で言ってて思うけれど。
「まあ、火を通せば食べられるだろう。少なくとも生よりは美味しい筈だぜ」
「ちょっと待ってください」
「ん?」
日和ちゃんが立ち上がろうとした僕の服の裾を掴んだ。少し腰を浮かせたが、また下ろす。
「何だよ。君も不満なのか?」
「いえ、そうではなく――火って、そんな簡単に起せるものではありませんよ? 火打石と火打金がないと……」
「…………」
……これは、この子なりのボケなのだろうか。阿呆なことばっかりやっている僕達に合わせてくれているのだろうか。
もしそうだったら悪いので、ツッコんでみよう。
「幾ら何でも火打石は古いよ!」
「えっ……!?」
「えっ……!?」
違うのか!?
どうやらボケとかそういう訳ではなく、本気で言っていたらしい。本気で火打石……なんだろう、喋り方といい服装といい、凄く時代がかった子だなぁ。
つーかどんなアニメだよそれ。なんか見たくなってきたのだけれど……。
「では、どのようにして火をつけるのでしょう!? あたい微塵も想像できません!」
「いや、普通にマッチとかだよ!」
「マッチとは何なのでしょう!? 火打石を略した言葉でしょうか!?」
「違えよ! 火打石のどこに"ま"があるんだよ!」
「…………」
「間じゃねえよ!」
まずいぞ、この子、どんどん僕たちに毒されてきている。ノリが完全に僕たち側になってきている。影響出まくりだ……いや待て、そもそもこの子はボケているのか? 僕が一方的にツッコんでいるだけではないのか? だとすれば今影響を与えているのは、僕なのでは!?
これは非常に由々しき事態だ。僕の唯一にして随一のアイデンティティであるツッコミを封じられれば、僕には何が残るのだろう。ミジンコさえも残らない――いやだからミジンコは僕の構成要素に入っていないんだって。
「えっとだな……マッチって言うのは――」
マッチを説明しようと試みる僕。しかし、あれをいまいちどう説明すれば良いのか分からない。箱と木の棒のセットで、木の棒を箱に擦り付けると火がつく? いや、なんか違うな……。
こういうのは論より証拠、実際に使ってみた方が分かりやすいものなのだが、生憎今僕はマッチを所持していない。というか、果たしてこの世にマッチを常に所持している人なんているのだろうか。
どこかにマッチは――ある訳ないよな。そんな都合よくある訳ない。それこそ火打石ならまだしも、マッチなんて人工的なもの、その辺に転がっている訳――。
「あ、阿良々木お兄ちゃん! 見てください!」
「え?」
日和ちゃんが何かを指差した。また何か別のものに興味を持ったのだろうか。子供の好奇心旺盛さには、全く敵わないぜ。
僕、八九寺、忍は示された方向を向いた。そして、僕はそれを見て、日和ちゃんの興味の軸は決してブレていないということを理解した。
指差す先にあったのは、轟々と燃える炎だった。薪が組まれ、まるでキャンプファイアーの焚き火の様であった。近くには金色のテントが置かれ、木の椅子に誰かが座っている。
様だったというか――焚き火そのものじゃねえか!
「あれ、どうやって火を起こしているのでしょう!? あたい、気になります!」
「それは違うキャラだ」
割と本気で、僕たちに汚染されつつあるのではと疑わせる言動をする日和ちゃんであった。
■ 以下、豫告 ■
「真宵まよ! 次回予告をお読みの皆さん、またまたコンバトラー!
「この世に蔓延る言葉を切る! 言語キラーの八九寺真宵、リターンマッチです!」
「感じ編!
「この"感じ"という言葉、少々使われ過ぎと思うのはこの私だけでしょうか?
「〇〇な感じ、みたいな! 熱い感じの、とか、自然な感じの、とか!
「これはいけません! 頂けません! この感じという言葉の存在で、いったいどれほどの言語が日常会話の中から失われたのか! まさに言語界の敵!
「大抵この〇〇な感じってタイプの言葉、なんと殆どが代替可能なんですよね。
「熱い感じの、だったら"熱血な"、自然な感じの、だったら"自然的"とか!
「はっ!? "的"……こいつも使われ過ぎとは思いませんかね!?」
「次回、裂物語 ひよりブレード 其ノ參!」
「漢字界の敵とも言える感じの漢字ですね……はっ! 私も使ってしまいました!?」