〈物語〉シリーズ プレシーズン 【裁物語】   作:ルヴァンシュ

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 裂物語、後半戦開始。

■ 以下、注意事項 ■

・約貮萬貮仟字。
・〈物語〉シリーズ、アニメ未放送分ノネタバレヲ含ミマス。
・他、何カ有レバ書キマス。

■ 黒齣 ■


第參話 ひよりブレード 其ノ肆

[014]

 

 織崎ちゃんが日和ちゃんを拉致し、暫くたった後ようやく動けるようになった僕たちは、 織崎ちゃんが残していったテントや薪などを、このまま残しておくと近所迷惑になるので――まあ周りには家なんて殆どないが――僕たちで持ち帰ることにした。後始末くらい自分でやってほしいものである。

 迷惑千万だが、しかし収穫がないでもなかった。栗のことではない。日和ちゃんとは別の、もう一つその場にあった怪異のことだ。

 

 木刀。

 見た目は完全にただの木刀――しかし地面に突き刺さっている時点で、ただの木刀ではないことは一目瞭然だが。

 恐らくこれも、織崎ちゃんがいうところの完成形変体刀の一つだろうと判断した僕達は、今後これが何らかの悪影響を及ぼすかもしれない可能線を考慮し、これを『心渡』で破壊しようとした――のだが、何故か出来なかった。

 理由はまるで分からない。いつぞやの『鎧』よろしく、まるで刃が立たなかったのだ。扇ちゃんにアップグレードしてもらった筈なのだが……あれは一回きりの効果だったのだろうか?

 

 それで。

 賢明なる読者諸兄ならお分かりになると思うが、そう、また忍は拗ねた。

 ガラスのハートをお持ちなのだ、この幼女は。

 

 刃が立たなかった所為で、誇りが傷付いたのもあるのだろうが、しかし、それだけで影に沈む程拗ねることなどあるまい。ありそうだが、しかし忍はそこまで幼女退行してはいない。

 栗鼠。

 見事にしてやられたということも、決して無関係ではあるまい。見抜けなかった上に、殆ど抵抗する間もなく怪異にやられたのだ。元怪異の王であった彼女にとって、それは耐え難いことだったのだろう。

 因みに、当の栗鼠はもう消滅していた。一匹残らず。毒の伝達という"役割"を終えたから消えたのだろう。

 

 そんな訳で、この木刀を始末することは出来なかった。かと言ってこれもこのまま放置する訳にもいかず、僕か八九寺、どちらかが持って帰ることになったのだ。

 当然ながら言うまでもなく、双方とも嫌がった。こんな得体の知れないものを自分から持って帰りたいなど、幾ら自己犠牲精神が割と強い僕たちでも、流石に思わない。

 しかしこれはどう足掻いても避けて通ることはできない。僕たちは仕方なく、公正にして不公平な戦いをし、見事僕は八九寺に打ち勝ったのである。

 

 え? どんな勝負だったのか? いや、それは勘弁してほしい。これを描写すると、少々どころではなくマジで警告タグが増えてしまう。大の高校卒業生が小学五年生のロリと暴力沙汰になった――この一文だけで全てを察してほしい。

 ……察してほしくないけど。

 

 木刀は、敗北した八九寺が持って帰ることになった。預けておきながら、それをどうするつもりなのか聞いてみたところ、取り敢えず賽銭箱の辺りに飾っておくつもりらしい。

 まあ、それが妥当、というか妥協点だろう。織崎ちゃんの手元にあると危険であろうことは分かるが、これがどういうものなのか分からないのだ。下手に扱うわけにいかない。

 だから壊しておきたかったのだが……もうこれは、全ての刀にこういった処理が為されていると考えるのが自然だろう。後何本あるのか分からないが、少なくとも、これを含めて三振りあるのは確定している。

 

 この木刀。

 織崎ちゃんが持っている、黒い刀。

 そして――日和ちゃん。

 

 刀。

 日和ちゃんが刀とは、どういうことなのだろうか? 織崎ちゃんは彼女のことを何度も"人形"と表現したが、それはつまり、怪異としての姿を表しているのではないのか? それとも、今の――神崎日和としての姿を指して、人形と表現したのか?

 まあ、後者だろう。人型の刀とか、なんだそりゃ、って話だし。

 微刀『釵』。

 何がどう"微"で、"釵"なのか皆目分からないけれど、刀であることは確かな筈なのだから。

 

 閑話休題。

 

 そうは言ってもどうしようもないことはどうしようもなく、僕たちはなす術もなく、すごすごと帰宅するしかなかった。

 帰宅と言っても、先に帰ったのは八九寺だ。僕は八九寺を北白蛇神社へと送り届けた。木刀を預けたのは八九寺だが、その道中は僕が帯刀していた。もしも僕が持って何らかの影響があった場合、約束を全力で反故にしてぼくが持って帰る為――つまり、試し持ちである。

 

 道中でのことは、記述しない。というか、記述できない。

 というのも、実に辛気臭いことになっていたからだ――八九寺も僕も、いつものような楽しいお喋りを交わす程の心の余裕がなかったのだ。

 日和ちゃんの居ない道中。

 振り回されることのない帰り道。

 たった数時間遊んだだけなのに、なんだ、この喪失感は。

 好意的に、というか結局今起こったことは、あの子の家族が日和ちゃんを迎えに来た、ただそれだけなのだ。方法は些か乱暴であるにせよ、それは僕たちの最終目標だった筈だ――日和ちゃんを家族の元に送り届ける。

 それは、僕の家に居候させるよりも、交番に連れていくよりも、最も望ましい展開の筈なのだ――なのに、なんだ、この気持ちは。

 これで良かった筈なのに――。

 

「では阿良々木さん、私は帰りますね」

 

 北白蛇神社の階段に到着すると、八九寺はそう言った。

 神社の階段は、以前来た時よりもずっと朽ち果てているかのように見えた。あちこちに罅が増え、落ち葉がそこら中に散らばっている。

 

「うわ……これは酷いな」

「ここ最近ずっとこんな調子ですよ。やれやれ、底辺は大変ですよ」

「底辺なんてそんな――」

「阿良々木さんの気持ちが分かってしまうじゃないですか……」

「憐れんだ気持ちを返せ!」

 

 僕は木刀を八九寺に手渡した――特にこれといって影響はなかった、ように感じた。八九寺はそれを受け取った。

 

「ったく、ふざけんな! 何だよこれ! やっぱり僕が神を斬り伏せるしかねえようだな」

「阿良々木さん、そんな乱暴な……」

「乱暴な気持ちにもなるぜ! 僕の親友の家を荒らすとか、マジ信じられねえ! 畜生、この場にロンギヌスの槍があれば今すぐ一掃してやるのに!」

「阿良々木さん、暴力はいけませんよ。我々は話術サイドなのですから、どっしりと構えていなければなりません」

「むう」

 

 悟りきったような表情で言う八九寺。なんだよ、勝手に大人になりやがって――いやまあ、八九寺の方が大人と言えば大人なのだけれど。

 

「阿良々木さん」

「ん?」

「どうするおつもりですか?」

「…………」

 

 それは――日和ちゃんのことを言っているのだろうか。

 …………。

 

「……よく分かんねえよ。どうした方が良いのか、僕にはまだ分からない」

「そうですか」

 

 あいつにとって、幸せなように僕は行動したい。もしも僕が余計なことをして日和ちゃんを不幸にしてしまうのなら、一層向かわない方がいい。

 の、だろうが……。

 

「残り時間一杯考えることにする。まあ考えたところで、今の気持ちとあんまり変わらないだろうけれど……」

「ですか」

 

 八九寺は木刀に目を落として言った。

 

「では、私もそうさせて頂きましょうか」

「え?」

「私も考えさせて頂きます」

 

 八九寺は言う。

 

「もしも学習塾跡に行かれるというのであれば、ほんの少しだけ、この場所に立ち寄って下さい。場合によっては、私もお供させて頂きますから」

「い、いや、駄目だろう!」

「何故ですか?」

 

 思わず反射的に答えてしまったので、答えを用意していなかった。考える僕。

 

「いや何故って……あの織崎ちゃんが、穏便にことを済ませてくれるとはとても思えないぜ。多分のこのことやって来た僕たちを一網打尽にするつもりだと思う。そしたら八九寺、お前に危険が……」

「おやおやお忘れですか? 阿良々木さん。今朝、貴方を助けたのはどこの神様でしょうかね? ん?」

「……いやまあそうだけど、でもあれは殆ど偶然みたいなとこがあったじゃねえか。次もまた操れるトラップかどうか分からねえぞ」

「私はそう簡単に倒されませんよ。倒される時は必ず阿良々木さんを道連れにする女ですからね、私は」

「やめろ。僕を巻き込むな」

 

 今の状態でまた地獄に落ちたら、それこそ目も当てられない。逃亡罪も加わっている八九寺に至っては、次もまた復活出来るかどうか分からないのだ。

 

「八九寺、僕はお前を道連れには出来ない」

「私は貴方を道連れに出来ますよ」

 

 八九寺は即答した。

 

「それは逆に言えば、貴方となら道連れになってもいいということです――っていうか、言わせないでくださいよ。今まで私と阿良々木さんでどれだけの冒険を重ねてきたとお思いですか? これくらい汲み取って下さい」

「…………」

 

 そんなに冒険を重ねてきた訳ではない、けれど。

 それは今指摘するべきことではないだろう――そして八九寺も、そういうことを言いたい訳ではないのだ。

 八九寺は僕に背を向け、階段に足を掛けた。

 

「それでは、私は帰りますね。いいですか、必ずここを通って下さいよ。場合によっては睡魔に負けた私が居ない可能性もありますけれど、その場合はスルーして下さって構いませんので」

「睡魔に負ける程度の覚悟なのか、それ」

 

 変な所で図太い少女だった。というか、器が大きいと言うべきなのかもしれない。

 この神様は。

 

 

 

[015]

 

 八九寺とそんな会話を交わした僕は、特に怪現象に遭遇することもなく、普通に帰宅した。

 態々こんな注釈をつけなければならない程に怪異現象に巻き込まれているという事実には、多少思うところがないではないが――いや、違う。

 巻き込まれているのではなくて、だから、首を突っ込んでいるのだ。

 最初から今までずっと――。

 

「お。おかえり、兄ちゃん」

「あ。おかえり、お兄ちゃん」

 

 そんなことを考えながらリビングに向かった僕を出迎えたのは、そんな声だった。生意気さが滲み出るような声――つまり、僕の妹達である。

 阿良々木火憐――でっかい方の妹で、旧ファイヤーシスターズの実戦担当。

 阿良々木月火――ちっちゃい方の妹で、旧ファイヤーシスターズの参謀担当。

 

「ん……ただいま」

「いやあ、今朝は悪かったな兄ちゃん! このあたしとしたことが、兄ちゃんのことを誤解しちまったぜ! 正義の塊であるファイヤーブラザーであるところの兄ちゃんが、覗きなんて悪行を働くわけねーもんな!」

「ん? ……あ、ああ。それか」

 

 僕が入ってくるなり相変わらず成長しないハイテンションっぷりを見せつける火憐だった――いや、自分の非を認めるようになっただけ、成長したと言えるのか?

 ただ、ここで成長っぷりを見せられても、反応に困る。正直、今朝のいざこざについては完全に忘却していたのだから。

 色々あり過ぎて、色々失くしすぎて忘れていたが――そうだ、僕はこいつらが原因でヘソを曲げて、逃げ出すように家から飛び出したのだった。

 ……なんだこのガキっぽい理由。改めて思い出すと下らなさ過ぎて笑えるぞ。いや笑えねえ。

 

「うーん、でもあれはお兄ちゃんも悪いと思うよ? 幾ら私の窓を拭こうという見上げた忠誠心から私の窓に張り付いていたとしても、無断でああいうことをするのは、良くないと思うんだよねー、私はさ」

 

 月火が言う。割と正論なのがムカつく。プラチナむかつく(だっけ?)。

 

「私からの要請があった時だけ動けばいいんだよ、お兄ちゃんはさ。奴隷のように唯々諾々と従え!」

「てめえなんかの奴隷になった覚えはねえよ!」

 

 ったく、こいつは……正論だけで止めておけば、一応僕は何も言い返さないものを、その余計な一言がある所為で、言い返したくなるんじゃねえかよ。

 参謀担当の癖に、その辺りの詰めが甘い――いや、煽って、怒らせれば勝ち、とか思っているのだろうか? だとすれば今の僕は、見事にこいつの策にはまった形になるが。

 

「あれ? お兄ちゃんってそういうキャラ設定じゃなかったの? 私てっきり生まれてからずっと、私を守護する奴隷兵として見てたんだけど」

「お前僕のことをそんな風にしか見てなかったのかよ!?」

 

 なんて奴だ。影縫さんに突き出してやろうか……いやしないけど。そんなことしたら、ついでに僕もぶっ殺されちゃうだろうから、しないけど。

 

「阿良々木カーストの最下位である奴隷階級が、お兄ちゃんと火憐ちゃんなんだよ?」

「…………」

 

 こいつ何気に姉のことまで奴隷と言い切りやがった。火憐を奴隷というか。殺されるぞお前。

 

「へっへー、兄ちゃんと同じ階級か……悪くねーな!」

「…………」

 

 ああ、そうだ。うん、忘れてた。こいつ馬鹿なんだった。

 月火め……ここまで計算尽くか。幾ら火憐が馬鹿だとはいえ、奴隷という言葉を知らないとは流石に思えない。いや知らないかもしれないけれど――普通に面と向かってランク付けされた場合、火憐ちゃんはその場で月火ちゃんをぶん殴っていただろう。これは半分願望が混じっているが。

 しかし、僕の名前を先に出すことによって、それを封じたのだ。去年の夏休み以来、無駄なところで僕に対して従順になりやがった火憐である、僕と同じ階級ということを先に提示しておけば、自分に一切危害が加えられないと踏んだのだろう。くそ、伊達に旧ファイヤーシスターズで参謀やってた訳じゃねえな、こいつ。

 だが、火憐が暴力を振るわないなら是非もない、罪を全部火憐におっ被せて僕はさっさと部屋に退散しようと思っていたが、こうなりゃ僕が手を出すしかない――何故かは知らないが、すっげえ暴力的な気分なのだ、今の僕は。

 

「まあその話は置いておいて、お兄ちゃん」

 

 さあ殴るぞ、顔面にストレートのグーパンチを決めてやるぞ、と拳を構えようとしていたところで、こいつ、話題を変えてきた。

 やるな……! ここで咄嗟に話題を変えることによって、僕の暴力を封殺しようという考えか! うっっぜえ!

 

「一つ相談があるんだけど、良いかな? 良いよね? 良くなかったら爪の皮剥がす」

「地味に痛すぎる!」

 

 爪じゃなくて爪の皮を選択するか――どこまでも頭が回る妹だ。確かにこういう場合、爪を剥がすというのがお決まりのパターンと言えるが、しかし爪を剥がした場合、人間の再生力では一年近くかかる。つまり、目立つのだ。

 しかし爪の皮の場合、それよりも早く回復してしまう。しかも爪の皮という目立たない場所というのが肝だ。その上、爪より幾分かは自然である。恐ろしいことを考える奴だ。怪異より怖い……っつーか、怪異なのだけれど。

 それ以前に兄を脅すってどういうことだよ……いやそれを言うなら奴隷扱いがまずおかしい、奴隷扱いしておいて相談を聞いてもらえると思ってんのかこのガキ。いや、思ってないから脅してるのか……。

 

「……なんだよ」

 

 取り敢えず聞いてやることにした。皮を剥がされたくはないからな――いやマジでこいつはやるよ、有言実行しちゃうよ、うん。

 

「うむうむ、苦しゅうない。面を上げい」

「お前に下げる面なんてねえよ。さっさと言え、僕は忙しいんだ」

「何よ、忙しいなんて大人ぶっちゃって。高校卒業したからって調子に乗らないでよね」

「おいおい、それが人にものを頼む態度か? 寧ろお前が僕に頭を下げろ。おっと、僕より頭の位置が低いから、もう既に下がってるな。悪い悪危ねえっ!」

 

 調子に乗って月火を煽っていた僕。しかし、いい加減僕も学ぶべきだろう。月火を煽ると必ずその代償――即ち、物理的な攻撃を食らうということを。

 ギリギリで避けたものの、この小人、テレビのリモコンをぶん投げてきやがった。狙いは顔面、しかも正確。幾度となくこの攻撃を食らっている僕だからこそ避けることが出来たものの――。

 

「何すんだてめえ!」

「ねえ、何も聞かずに私の言うことを奴隷らしく大人しく聞いて」

「お前今の状況で聞いてもらえる立場にあると本気で思ってんのか」

「火憐ちゃん」

「了解!」

 

 無駄に元気のいい声を出し(妹にいいように使われてんだぞ、プライドはないのか)、僕に手刀を繰り出してきた。余りに咄嗟のこと過ぎて動けなかったのだが、しかし手刀は僕の頭上ギリギリを掠めた。

 身体中から、一気に冷や汗が出た――今起きたこれをアニメ的に表現するなら、僕のアホ毛が切り飛ばされたという状況となる。

 

「悪いな兄ちゃん……次は首を狙う」

「ひぃぃ……」

 

 論より証拠。お分り頂けただろうか、僕がこいつらを恐れている理由を。少し前の章で散々こいつらの危険性を述べたが、実際、どうだろう。こんなもんである。大袈裟と思っていた方も居ただろうが、こんなんである。悲しいことに、事実なのだ。

 

「な、なんだよ。言ってみろよ。き、聞いてやる」

「わーい! お兄ちゃんありがとー! 大好きー!」

 

 ……イツカゼッタイコロシマス。

 まあ一人は殺しても死なないし、一人には殺されるだろうけど……はっ、ああそうですよ、阿良々木家内カーストでは最下位ですよ畜生が。

 

「あのね、何も言わずに答えて。ムーンファイヤーかファイヤーシスター、どっちがいいと思う?」

「どっちも良くねえよ! ファイヤーシスター!? て、てめえそれ――」

「火憐ちゃん」

「ムーンファイヤームーンファイヤームーンファイヤー!! すみません何も言いません!」

 

 妹の脅しに屈する兄の姿が、そこにはあった。

 

「うむ。ご協力ありがとうお兄ちゃん! じゃあ、もう行っていいよ!」

「あっはい」

 

 そして妹に良いように使われた挙句、唯々諾々と従ってしまう奴隷めいた姿が、そこにはあった――というか、僕だった。

 もう情けない限りだけど、ブルっちまったんだ。リモコンだけならまだしも、火憐にまで殺気を向けられると、マジで怖い。今朝の死地がテーマパークか何かのように思える程に。

 なので、この場から去って良いというのなら文句も何もない。満足顔の月火と火憐をその場に残し、自室に戻ったのであった。

 ……月火っつーか、ムーンファイヤーを。

 結局、ファイヤーシスターズは解散しても、今まで通りの活動を続けるつもりのようだった。僕としては、傍迷惑過ぎる話なのだが。

 

 

 

[016]

 

 自室に戻ったからといって、特に何もすることはなく。かといって晩御飯を食べる程の食欲はなく、僕は徴収したキャンピングセットを部屋に置いてから、取り敢えず風呂に向かった。

 尚、幾度となく注釈を入れているが、念の為にもう一度。この風呂は別にアニメ版の無駄にゴージャスな風呂という訳ではなく、どこにでもある一般家庭に備え付けられた一般的な風呂である。

 

 体を洗い、そんな一般的な風呂の湯船に浸かった瞬間、水面から、ぬう、と、金髪の幼女が現れた。

 忍野忍である。

 こちらも注釈しておくが、別にアニメ版のように花びらが舞ったりしていない。特にエフェクトも何もなく、地味に、最初から浸かっていたかのように、普通に水面から顔を出しただけだ。

 

「……どうしたよ、忍」

「かかっ」

 

 忍は笑った。

 

「どうしたもこうしたもあるまい――分かっておるじゃろう、お前様よ」

「ドーナツの礼か?」

「おお、そうじゃそうじゃ。ドーナツをたらふく食べて、儂は満足じゃ。ありがとうよお前様、なんて言うと思うたかこの阿呆が。誰が礼など言うか、死んでも礼など言わんわ」

 

 ボケに乗ってくれた忍。こっちからありがとう。

 でも死んでも礼は言わないってどうかと思うが……死人に口無しってか? まあでも確かに、こいつが僕に礼を言ったことなんて、あの死に掛けの時以外ないような。

 

「ああ、そうだ。あのシーンがいよいよ映像化されたんだな。いやあ、長かった2012年だぜ」

「結局宣伝するのか」

「あくまでも出来るだけ控える、なんだから、嘘は吐いてねえよ」

「勝手じゃのう」

「傷物語〈Ⅰ.鉄血篇〉、大ヒット上映中だぜ」

「暦物語も忘れずにな」

 

 宣伝おしまい。

 おふざけが終わったところで、僕は忍と無言で向き合った。シリアスタイム。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「どうするつもりじゃ」

「…………」

 

 どうするつもりとは、つまり、神崎ちゃんのことだろう。

 

「ハチクジにはああ言っておったが、どうせ、うぬの中ではもう決まっておるのじゃろう?」

「……どうしてそう思う?」

「質問を質問で返すか。しかもそんな自明なことを」

「自明とまで言うか」

「今までのうぬを見てれば分かるわ。どうせ、行くつもりじゃろう? うぬ」

「……全部お見通しって訳か」

「儂を誰じゃと思っておる? うぬの生涯のパートナーじゃぞ、それくらい分からずしてどうする」

「……だよな」

 

 忍は、束ね忘れた所為で湯船にワカメのように浮いている髪を弄りながら、弄ぶように、言う。

 

「しかしどうするつもりじゃ、と儂は聞いておる。うぬ、対策とかはしてあるのか?」

「対策っつっても……織崎ちゃんが言うところのチャンスってやつの内容が分からないのだから、対策のしようがないぜ」

「たわけ。もう大体予想がつくじゃろうが。あやつは儂らを殺そうとしておるのじゃぞ? そんなもん、あの刀娘とうぬを戦わせるに決まっておるじゃろうが」

 

 あっさりという忍。

 まあ……僕自身、恐らくそんな内容なんだろうな、という思いはあったけれど、あまりそれを認めたいとは思わなかった。同じ戦うというのなら、織崎ちゃんと戦った方がまだマシだ。或いは、レイニー・デヴィル100連戦とか――いや、やっぱり後者は嫌だ。10連戦さえもしたくねえ。

 微刀『釵』と戦うなんて――日和ちゃんとなんて、戦いたくない。

 

「しかしそうは言っておれんぞ、お前様。あやつは金髪娘……蜘蛛娘…………シキザキの武器なのじゃから、いずれは戦わねばならん運命じゃ」

「……運命」

 

 織崎ちゃんの呼び名が決まっていないことに心中でツッコみつつ、僕は忍の台詞を復唱した。

 新兵器――最終兵器ならぬ新兵器と、織崎ちゃんは言っていた。

 完成形変体刀が一本、微刀『釵』――。

 

「じゃから、その辺は割り切れよ。迷うな。無駄に情けをかけるな。あやつの幸せのためだとかなんだとか言っておったが、それこそ、うぬが負けてしまえば、あやつは確実に幸せになれんぞ」

「……分かってるよ」

 

 さっきはなんであんなことを考えていたのか、自分でも分からないが――日和ちゃんは織崎ちゃんの所から、そもそも逃げてきたのだ。逃げてきたというのはつまり、一緒に居たくない、ということに他ならない。なら、織崎ちゃんの支配下に置かれている状況が、果たして日和ちゃんにとって幸せなのだろうか?

 なんて、そんなの、分かりきったことの筈なのに――そんなの、ノーに決まっている筈なのに。どうしてさっき、この結論を出せなかったのだろうか?

 

「でも、それはそれで対策のしようがないぜ。僕は日和ちゃんの戦法を何一つ知らない。対策と言っても、精々吸血鬼度をあげることしか……ねえよな……」

 

 言いながら、僕は考える。

 吸血鬼度を上げるのは、そもそもの絶対条件として、それは対策にさえなっていない。

 対策ということはつまり、日和ちゃん――即ち、日和号、微刀『釵』について、把握すること。つまり、知ることが一番の対策となる筈だ。

 あれは、淡海静が作った怪異――伝承や伝説なんて関係なく怪異を作ることの出来る存在が作った怪異。しかし、日和ちゃんを含む完成形変体刀は、間違いなく、何らかの伝承や伝説、物語といった雛形がある筈だ。

 織崎ちゃんの先祖が作ったという、完成形変体刀――過去に作られていたということを織崎ちゃんが知っているということは、知ることの出来る文献が存在するということの証明に他ならない。

 だが、それが何だというのだ。文献があるからと言っても、それがどんな物なのか、僕は知らない。寡聞にして聞いたことがなかったし、そこまで有名なものではないということは明白である。

 先祖代々受け継がれている禁断の書、とかならば、知れる訳がないのだ。別に僕は何でも知ってる訳じゃあ――ん?

 何でも知っている。

 何でも知っている。

 ……ああ、そうだ。

 

「……なあ、忍」

「なんじゃ、何か思いついたのか?」

「ああ。あのさ――」

 

 僕は、対策について――日和号について知る方法を一つ、忍に提案した。それを聞いた忍は不快そうではあったけれど、しかし、初めからそれを予測していたように、賛同してくれた。

 忍は、この案を僕に思い浮かべさせたかったのだろう。自分から言うのは腹立たしいから、僕自身に考えさせたかったのだ――そしてそれは、なんだかんだで、忍が"彼女"のことを、認めているということの証明でもあった。態々宣伝に乗ってくれたのも、"彼女"に思考がいきやすくするためだったのかもしれない――いやそれはないか。

 

 とにかく、風呂から上がった僕は、そのまま真っ直ぐ部屋に戻った。時刻は午後8時。今ならギリギリ寝ているかなと思いつつ、僕は"彼女"に電話を掛けた。

 

 

 

[017]

 

「――もしもし、阿良々木君?」

 

「よう、羽川……起きてたのか」

 

「起きてたっていうか、今起きたとこだね。目覚ましが鳴って、目覚ましを消したら、丁度電話が鳴ったとこ」 

 

「その割には随分シャキっとしてるな」

 

「寝起きのスイッチがはっきりしてるタイプみたいだからね、私。あ、もしかして、寝惚けた私を期待したりしたの?」

 

「否定はしない」

 

「もう、阿良々木君ってば」

 

「しょうがねえだろ。ひたぎから羽川の寝惚けた姿について聞いたことはあるけれど、実際に聞きたいじゃないか」

 

「なんで聞きたいのよそんなの……」

 

「寝惚けて"な"が"にゃ"になってる声を聞きたいと思うのは当然のことじゃないのか?」

 

「どういう寝惚け方なのよそれ……というかそれただのブラック羽川じゃない」

 

「もう一度あの台詞を聞きたい。斜め77度の並びで泣く泣く嘶くナナハン7台難なく並べて長眺め、のブラック羽川版」

 

「言いません!」

 

「冷たいなあ。外国に行っちまって変わっちまったな、羽川」

 

「今までもこれからも私はそんなこと言いません……阿良々木君の思い通りにはなりません」

 

「マジかよ」

 

「大真面目に」

 

「はぁ……」

 

「溜息を吐きたいのは私の方だよ……というか阿良々木君。私に何か用があって、朝早くからモーニングコールをしてくれたんでしょう?」

 

「鋭いな」

 

「阿良々木君の事くらい分かるよ。どうしたの?」

 

「……羽川。詳しい事情は、非常に長くなるので詳しく話せないのが心苦しいけれど、そこを了解してほしい」

 

「了解しました。阿良々木君、急いでるんだったら、そんな注釈なくていいよ。私もあんまり余裕ないし、今の私に出来る範囲なら、なんでも言ってね」

 

「なんでも!?」

 

「切るよ」

 

「すみません、今土下座してます!!」

 

「分かってるよ……で、本当にどうしたの? 私に電話を掛けてくるということは、結構退っ引きならない事情なんだよね? それこそ、命を狙われているから助けてくれ、みたいなかんじの」

 

「お前、実はずっと僕を天から見守ってるんじゃねえのか?」

 

「私を死んだように言わないで。っていうか、え? 阿良々木君もなの?」

 

「当てずっぽうかよ。ん? "も"? "も"ってなんだよ」

 

「んー……となると……うん、あんまり他人事じゃなさそうだね」

 

「ど、どういうことだよ。え? お前もなんか事件に巻き込まれてんの?」

 

「まあ、ね。その話はまた今度。今はお互い余裕ないみたいだし、用件だけを済まそうか」

 

「いやいやいやいや、僕の話とかマジどうでもいいし! え!? 羽川、お前何やってんの!?」

 

「もう、私の話より阿良々木君の話! 口振りから察するに、阿良々木君の方が切羽詰まってるんでしょ? 早く言いなさい!」

 

「は、はい! ……えっと、じゃあさ、羽川」

 

「何?」

 

「"微刀『釵』"って知ってるか? なんか、江戸時代辺りで作られた、完成形変体刀ってやつの一つらしいんだが」

 

「うん、知ってるよ」

 

「知ってんのかよ……」

 

「微刀『釵』――別名、日和号。だよね?」

 

「お、おう」

 

「それがどうかしたの?」

 

「さらっと言うなあ……」

 

「さらっとでもないよ。ちょっと忘れかけてた事だから、思い出すのに時間掛かっちゃったし」

 

「いや、2秒くらいで返答したよな。お前」

 

「私の中では結構時間掛かった方だよ」

 

「まあそうだけどさ……」

 

「それで? 日和号がどうかしたの?」

 

「ああ。その、微刀『釵』ってのは、どういう刀なんだ? どういう刀っていうのかは、つまり、えぇと……」

 

「確か、四季崎記紀という空想上の刀鍛冶が作った(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)十二本の完成形変体刀の内の一本(・・・・・・・・・・・・・・・)だったと思う」

 

「じゅ、十二本?」

 

「うん。十二本」

 

「十二本……じゃあ後九本も隠してんのか」

 

「後九本?」

 

「いや、こっちの話だ。続けてくれ」

 

「うん。阿良々木君の言っていた、微刀『釵』――これは、『人間らしさ』に主眼が置かれた刀で、刀でありながら人の形をしているっていう刀なの」

 

「よしちょっとタンマ」

 

「どうしたの?」

 

「聞きたい事は山ほどあるんだが、ちょっと待て。人の形をした刀? 分からん分からん、さっぱり分からん。それは刀じゃねえだろ、もう」

 

「まあ……この時代にはおよそ相応しくない、ロボットといえる刀だからね」

 

「ロボットなのか刀なのかどっちだよ……その辺について、知らないのか?」

 

「うーん……私が読んだ文献では、日本で作られたから日本刀、っていうことになってたけれど」

 

「なんだそりゃ」

 

「でも私が思うに、多分そのロボットを刀と称したのは、四季崎記紀は"人を傷つける武器・兵器"を"刀"と定義したんじゃないかな、と思うんだよ。ほら、江戸時代って、刀以外に主流な近接武器って、あんまりないでしょ」

 

「ああ、そういう……まあ確かにそう考えたら、江戸時代にロボットなんて概念、なかっただろうしな」

 

「刀を使って人を襲うロボットなんて概念は、今の時代にもないけれどね」

 

「まあ納得した。続けてくれ」

 

「了解。さっきロボットと表現したけれど、その作りは正しくロボットそのもの。歯車の回転によって動く機械の体を持つ人形――江戸時代にこんな発想があったことに驚きだけれど、それはまた今度話しましょう」

 

「ああ、分かった」

 

「後は……うーん、やっぱりこう、阿良々木君の今置かれている状況が分からないと、何を伝えればいいのか分からないな。本当に簡潔でいいから、教えてくれないかな」

 

「簡潔でいいのか? 僕の持ちうる言語力を総動員して、要約するぞ?」

 

「どうぞ」

 

「日和号が現代に現れた」

 

「分かった。じゃあさっきの話と総合するに、阿良々木君は今、日和号に命を狙われていて、日和号がどんな手を使ってくるのか、どんな攻撃手段を持っているのか、ということが知りたいんだね。おっけー」

 

「なんで今のでそこまで思考を進められるんだよ!?」

 

「え? 私、何か変わったことしたかな?」

 

「凄えな、お前……いやまあ細部は違うけど、概ねその通りだよ」

 

「うーん、でもそれだと、電話口で話すには内容が多くなり過ぎるね。阿良々木君、急いでるみたいだけど、何時までが逃げていられる限界?」

 

「えっと……0時まで、かな。ああいや、こっちの時間で」

 

「了解、後4時間だね。じゃあ、その時間になるまで、メールで日和号について、色々送る。それを見て、対策を練って」

 

「そこまでしてくれるのかよ」

 

「どこまでしかしてくれないと思ったの? 私を頼ったからには、徹底的に協力されると覚悟しておいてよね。中途半端で終わらせる気はないから、そのつもりで」

 

「……ああ、覚悟してるさ」

 

「よろしい。それじゃあ、頑張ってね。阿良々木君」

 

「あ、羽川。最後に一つだけ」

 

「何?」

 

「お前は何でも知ってるな」

 

「……何でもは知らないわよ、知ってることだけ」

 

 

 

[018]

 

 そんなやり取りをした後、暫く僕の携帯が鳴り止むことはなかった。というか、暫くどころではなく、ずっとと言ってもおかしくはない程に。

 電話し終えてから、ざっと2時間半程。

 羽川からのメールは続いた――勿論その間隔は一定ではない。最初の1時間はほぼ1分毎にメールが来たのだが、それ以降はまちまちになっていった。何があったのだろうと心配しつつ、僕はそのメールの内容を全て暗記した。

 受験勉強における暗記とは訳が違う。なにせ羽川から送られた羽川のメールであり、それは即ち羽川の言葉であると言っても過言ではない。羽川を神の如く信奉する僕が、羽川の言葉を一言一句たりとも忘れる訳がないのだ。

 

 神崎ちゃん――日和号についてのあれこれを全て頭に叩き込んだ僕は、23時前に家を出た。途中であの大小に遭うかも、と思ったのだが、別にそんなこともなく。斧乃木ちゃん辺りが絡んでくるかなとも思ったが、別にそんなこともなく。

 残念ながら、今の僕に許された移動手段は徒歩しかない。所有していたマウンテンバイクとママチャリは去年両方とも失い、お気に入りのニュービートルは絶賛差し押さえ中なのだ。辛い。

 そんな訳で、気持ち急ぎ足で僕は思い出深い学習塾跡に向かって歩いていた――何度も足繁く通った場所故に道に迷うなんてことはないが、しかし決して近くはない距離である、呑気に歩いていては約束の時間に間に合わない。それに、北白蛇神社にも寄らなければならない。

 急がねば――と、歩き出してから数刻、左側からよく知っている声が聞こえてきた。

 

「こんばんは、阿良々木先輩。こんな夜遅くに何をしているんです?」

「……やあ、扇ちゃん」

 

 僕は思わず足を止めようとした――しかし、

 

「いえいえ、足を止めて頂く必要はありませんよ。お急ぎのようですし、そのままお歩きください。私が動きますから」

 

 と、扇ちゃんは僕の真左に並び、同じ歩調で同じ歩幅で歩き出した。

 僕は言う。

 

「扇ちゃんこそ、こんな夜遅くに何やってるんだい? 夜一人で女の子が出歩くなんて、感心しないな」

「はっはー、私の事を心配して下さるとは、何と心優しい先輩なのでしょう。感激のあまり涙が出そうになりますよ――ですが、それと同じくらい、ご自分の事も心配して頂きたいものです」

「…………」

「まあ、私の事は貴方の事とも言えますが」

 

 扇ちゃんは歩調を完全に僕とシンクロさせて付いてくる。

 

「扇ちゃん、君は何を知っているんだい」

「私は何も知りませんよ。貴方が知っているんです、阿良々木先輩」

「……だろうな」

「ですです。そしてそれはつまり、貴方があの乳牛先輩に助けを求めた事も、勿論把握しているということです」

「乳牛先輩って……」

 

 胸に関する憎しみが深い扇ちゃんだった。

 つーか羽川の胸からは母乳なんて出ねえよ――うーむ、あの双乳房から滴る母乳かあ。なんだか、そそられるものがある。

 

「……飲んでみたいなぐあぁっ!?」

 

 羽川の胸に思いを馳せていると、すぐ真横から僕の鳩尾にストレートな拳がめり込んだ。思わず僕はその場にうずくまった。

 

「あっれれー? どうしたのですか、阿良々木先輩。誰かに鳩尾か何か殴られちゃいましたかあ? いけませんねえ、これは許し難い狼藉ですよ。尊敬すべき阿良々木先輩を殴るだなんて、私には中々しようとは思えない暴挙ですねえ」

 

 うずくまった僕を囲むようにぐるぐると歩き回り続けながら、扇ちゃんはそんなことをほざく。どの口が……。

 

「あー。これはバチが当たったのかもしれませんよ、阿良々木先輩。あの巨乳に一瞬でも心奪われて邪な妄想をしてしまったことを咎めるため、誰かさんはそれが正しくないと伝える為に脇腹パンチをかましたのかもしれませんねえ」

 

 いけしゃあしゃあとこいつは……つーかそうだ、完全に忘れていた。こいつは、暴力を日常的に振るわないものの、振るうこと自体には何の抵抗もない奴だった――何せ、あの忌まわしき教室に閉じ込められた際、扉を開ける為に、僕の腹を殴って胃液を出させ扉を開ける、というか溶かさせようとした奴なのだから。

 怖いなあ。火憐ちゃんより怖い。いや火憐ちゃんの方がやっぱり怖い。

 

「ふふ。ふふふ。さてさて阿良々木先輩。そのご様子だと暫く歩けなさそうですし、ここは一つ私の話を聞いては頂けないでしょうか」

 

 扇ちゃんは僕の前方で止まると、同じくしゃがみ込み、僕の顔を覗き込んだ。その瞳は、光さえ飲み込むような、圧倒的な暗闇のようで――。

 

「阿良々木先輩。この件から手を引いてください」

「断る」

 

 扇ちゃんは、ぐりぐりと僕の目を覗きながら言った。僕はそれを否定した。即答である。

 僕は扇ちゃんを睨み返した。扇ちゃんは、何が面白いのかにやにやとした笑いを納めない――そして、僕と扇ちゃんの対決が、ここにきて幕を開けてしまった。

 

 以下、台詞オンリー。

 

「ふむふむ。どうやら貴方、何も学んでいないようですねえ。学習能力はありますか? それとも、この12ヶ月間に起こった出来事だけでは、貴方を更生させるには不十分でしたか?」

 

「君こそ何も学んでないようだな。学習能力はねえのか。いや、君が見てきたこの半年間だけでは、君を諦めさせるには不十分だったか?」

 

「私は決して諦めませんよ、貴方を更生させることを――あの巨乳は諦めてしまったようですけれど、私は絶対に諦めません。私が生まれてから死ぬまで一時たりとも、諦めることはないでしょう」

 

「そこまでして、僕に日和ちゃんを諦めさせたいか」

 

「日和ちゃん? 誰ですかねそれー」

 

「惚けるなよ、扇ちゃん。知ってるんだろう? 僕が日和ちゃんを知っているんだからな――時間稼ぎしようとしても無駄だぜ」

 

「おやおや、随分な物言いですねえ。木刀を持っていた頃はもう少し冷静だったように思えるのですが」

 

「木刀?」

 

「木刀は木刀です。八九寺ちゃんが持っていったあれですよ。あれを持っている間、少し心が安らいでいるように感じませんでしたか?」

 

「……そうだっけか」

 

「心が安らぐというか、悟りというか――まあ、その辺りはまだ阿良々木先輩も理解していないようなので、私も知りませんが」

 

「何が言いたいんだよ」

 

「だから言っているでしょう? 貴方を更生させたいんですよ。だから、この件から手を引けと言っているんです」

 

「だから言ってるだろ。断るって」

 

「何故ですか。何故そこまで頑なに、敵の罠にみすみす引っかかりに行くのです。理解出来ませんねえ、愚か者の思考回路ってやつは」

 

「君は僕の対極なんだから、理解出来なくて当然だろ。僕だって君の考えを理解出来ねえよ。どうしてそんな簡単に見捨てろなんて言えるのか、訳が分からない」

 

「いやいや、貴方だって心の奥底では分かっているのでしょう? 自分の行為が無駄であるということを――日和ちゃんの為だと仰っておりますが、しかしどうでしょう。果たしてそれは本当に幸せなのでしょうか? 木刀を持ち、一時的に悟りを開いた貴方は、向こう側にいた方があの児女は幸せだと、そう結論付けかけた筈ですが」

 

「いや、あれは僕の本当の考えじゃあ」

 

「悟りというものは、いつだって正しいんですよ。何故ならば、そこには一切混じりけがないからです。雑念が一切ないということは、公平かつ公正であるということ――圧倒的な正しさというものを、貴方は幾度となく見てきた筈ですし、ピンと来るのではありませんか?」

 

「……まあ、分からなくはないよ」

 

「でしたら」

 

「だけれども、扇ちゃん。僕は正しさなんて求めてないんだぜ」

 

「おやおや?」

 

「そう、君の知る通り、僕の知る通り、僕は正しさに憧れている。圧倒的な正義に憧れている。だけど、それと同時に、僕は正しさが苦手でもあるんだぜ」

 

「……それは、羽川先輩のことでしょうか。或いは、あの学級会でしょうか。或いは――」

 

「或いは、その両方――だ」

 

「愚かですねえ。昔のことを随分と引っ張るじゃあないですか。まさか、今更あのこっぱずかしい台詞を仰る訳はありませんよね」

 

「言う訳ねえよ。つーか、もう言えねえよ。今の僕には、友達が居るからな」

 

「ですね」

 

「そして、日和ちゃんは友達だ」

 

「…………」

 

「友達を作ると人間強度が下がる――いや、割とこれは核心を突いてる言葉だと思うんだよ。だってさ、その友達を助けるために、僕は何度も死に掛けてるんだぜ」

 

「ですね。でしたら」

 

「でも、それは正しさの為なんかじゃあない。ヒーローに憧れはしたけれど、でも、正義になろうとは、あの日から一度たりとも思ったことはない。全部、ただの自己満足だ」

 

「……では、貴方は何になるつもりなのですか」

 

「何にもならないさ――僕は僕だ」

 

「はっはー。それはつまり阿良々木先輩、貴方は神原遠江さんが仰るところの、ただの水であるということですよ。あちらの世界で聞きましたでしょう? あの格言。なんでしたっけー?」

 

「『薬になれなきゃ毒になれ。でなきゃあんたはただの水だ』だっけ? ……ちゃんと覚えてないけど」

 

「ですです。それで合ってますよ」

 

「でもそれは、神原に言ったことだろう。あれは僕に対する言葉じゃあない。僕は薬になる気も、毒になる気もないんだから」

 

「……ただの水でいいと」

 

「ただの水どころか、僕なんて泥水みたいなもんだろうよ。友達の為に何度も地面の土を舐めた僕の濁りっぷりを舐めるなよ」

 

「そんなものを自慢している時点で如何なものかと思うのですが」

 

「友達のために必死になることの、何が悪い」

 

「いえいえ、それは決して悪いことではありませんね。寧ろ、正しさよりと言えるかもしれません」

 

「だろ?」

 

「ですねえ。ま、それがお節介焼きという人種の思考回路ですが」

 

「お節介焼き? それは君のことだろう、扇ちゃん」

 

「……はい?」

 

「君の行動こそ、今の僕にとっては余計なお節介以外の何物でもねえよ。どうやら僕と同じ思考回路をちゃんと持っているようで、嬉しいぜ。扇ちゃん」

 

「……お節介と言いますか……私を」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……はいはい。分かりました分かりました。そんなに睨まないでください。怖いですねえ、何か良いことでもありましたか?」

 

「……扇ちゃん」

 

「仕方ありませんねえ。まあ、そこまでムキになるような案件ではありませんし、遅かれ早かれ、でしょう――貴方の意見も覆りそうにありませんからね……良いでしょう、ではどうぞ」

 

 台詞オンリー、終わり。

 

 長い舌戦の後、扇ちゃんは立ち上がり、両手を挙げながら元の立ち位置に戻った。それは負けを意味しているのだろうが……なんだろう、温情をかけられたような気がしてならない。

 

 僕はゆっくりと立ち上がる。

 

「……折れてくれてありがとう、扇ちゃん」

「お礼の言葉なんて私は求めていませんよ。ですがどうしてもお礼というのであれば、回らないお寿司屋さんに連れて行ってくださいな」

「ごめん、それは無理」

 

 まだ寿司屋ネタを引っ張るか……まあ、回る寿司屋にでもいい加減連れて行ってあげたいのはやまやまなのだけれど、生憎今僕の財布の中は、空っぽだ。

 

「でも、いつか連れて行ってやるよ。ある程度落ち着いたら、ちゃんと連れて行くよ」

「そうですか。では、そのいつかを信じて、私から一つだけ、お節介かもしれませんが助言を」

「助言?」

 

 扇ちゃんが助言なんて珍しい――貝木以上に、僕に助言しなさそうな子なのに。

 つーか態々お節介かもしれないとか注釈を加えてくる辺り、実は結構ダメージを与えたんじゃあないか? もしそうだとすれば、すれば……別に何も思わないな。自分で自分を攻撃したようなものだからか?

 

「あの木刀についてです」

「ああ……悟りがどうとかの木刀か。そう言えば、あれ、何故か『心渡』で斬れなかったんだ。あのアップグレードって一回きりのものなのか?」

「いえ。あれはずっと継続されますよ。木刀が斬れなかったのは、別の理由でしょう」

「別の理由……」

「まあそれはまだ推理段階なので、私はまだ触れませんけれど――ですが、もしもその理由が分かり、斬ることが出来るようになったとしても、あの木刀は壊さない方が良いでしょう」

「え?」

 

 木刀を壊さない方がいい――と、言われても。

 しかしあれは、完成形変体刀とやらの一つ――の筈だ。だったらそんな訳の分からないもの、早く壊した方が、よっぽど良いのではないか?

 

「これも推理段階ですが――しかし、あれは取り敢えず、触れずに安置しておくに越したことはないでしょう。北白蛇神社という場所は、ある意味ベストな安置場所です」

「……ふうん」

 

 扇ちゃんがそう言うのなら、そうなのだろう。いや、今までのように何も考えずに頷いている訳ではなく、この子は恩を重ね着させるタイプだから、嘘ではないのだろうと思った。そういう理由からだ。

 

「じゃあ、その助言は有難く頂いておくよ」

「ありがとうございます。ところで、お時間は大丈夫ですか?」

「時間……うわ、やべえ!!」

 

 扇ちゃんに促され、時計を見た――すると時計の長針は、6の数字を指していた。

 23時30分――嘘だろ、こんなの間に合うわけねえじゃねえか!

 つーか、お時間は大丈夫ですか? じゃねえよ! 君が突っ掛かって来たからお時間が心配になってきたんだろうが! 文句の一つも言いたい気分だが、その時間さえ、最早惜しい。

 

「じゃ、じゃあ扇ちゃん! そういう訳で――」

「はいはい。ではでは、ばいばいですよ」

「あ、ああ! じゃあ!」

 

 僕は挨拶もそこそこに、走り出した。今から走っても、果たして間に合うだろうか? 北白蛇神社に寄った後、学習塾跡――キツい!

 これはもう、神社に寄るのをやめようか――そうすれば、ギリギリ学習塾跡に着けるか?

 

「あぁーっと、これは独り言ですがー!」

「!?」

 

 僕は一瞬振り向きかけた、が、そのまま走り続けた。僕らしからぬ行動ではあるが、しかしそれ以上に扇ちゃんらしからぬ行動でもあったろう。彼女らしからぬ大声というのもそうだが、その後に続けられた言葉が――。

 

「困りましたねえ、北白蛇神社の階段前に駐めた私の車にキーを挿したままでしたー! これではどこかの愚か者に乗り回されてしまうかもしれませんねえ! ああ、残念無念です!!」

「…………」

 

 ――というものであった。それを聞いた僕は北白蛇神社に直行することにした。扇ちゃんにとって残念かどうかは知らないが、僕は、愚か者なのだった。

 随分と棒読み加減な台詞ではあったけれど、しかし最後の残念無念は、案外本心だったのかもしれない。そしてそう思ってしまうことによって、しっかりと罪悪感という名のダメージを受けてしまう、僕なのであった。

 

 

 

[019]

 

 そんな感じで、扇ちゃんとの対決に勝利した(?)僕は北白蛇神社に全力疾走し、見事八九寺との合流を果たしたのだった。

 

「遅かったですね!! 待ちくたびれましたよ!!」

 

 と、半ばキレ気味で言われたが、僕はそれを意に介さずに八九寺を攫うかの如き手際で近くに停めてあった黒いフォルクスワーゲン・ザ・ビートルに乗せ(その過程で八九寺に何度も噛まれた。なんでだろう)、僕自身も運転席に乗り、エンジンをかけた。心の中で扇ちゃんに感謝しつつ、アクセルを踏んだ。

 速度が50kmを超えた。法定速度を外れているが、今は緊急時ということでどうか目を瞑ってほしい――いやまあ、そんな言い訳が通じる程、甘い世の中ではないのだけれど。

 そんな捨て身の走りのお陰で、本当にギリギリの時間に、即ち0時0分ぴったりに、最早不可能とさえ思われていたそれを、成し遂げたのであった。

 

 目的地、到着。

 

「……本当に来たんですのね。阿良々木暦、そして、八九寺真宵」

 

 目的地、即ち学習塾跡に到着した僕たちがまず目にしたのは、広大な瓦礫の山だった。いや、それは池とでも呼ぶべき光景だったかもしれない。焼け野原となっていたその場所一帯を埋め尽くすほどの瓦礫の山――異様すぎる。

 そして、そんな光景に思わず目を奪われた僕たちの不意を突くように歓迎の言葉を投げ掛けてきたのは、言うまでもない、僕たちを殺そうとしている"敵"――織崎記であった。いやまあ、歓迎とは言ったものの、全く迎合されてはいないのだけれど。

 

「お前が言ったんだろ、織崎ちゃん。この時間までに、ここに来いって」

「ええ。言いましたわね。言いましたけれど、まさか本当にのこのこやって来るとは、私夢にも思いませんでしたわ。ここで待機していたのも、殆ど駄目元、念の為でしたし――相当な愚か者ですわね、貴方は」

「お前に言われても、全く傷つかないな」

 

 僕は言う。実際、今まで何度愚か者呼ばわりされたのか、もう当の僕でさえ覚えていないし数えていない。覚えきれないほど、数え切れないほど言われたのは確かだろうけれど。

 

「ふん。意気がりますわね――というか、貴方以上に驚きなのが、八九寺真宵、貴女の方なのですけれど。どうして貴女は付いてきましたの? 貴女も愚か者ですの?」

「いいえ、私は阿良々木さんとは違って愚かではありませんよ。阿良々木さんとは違って、阿良々木さんとは違って!」

 

 強調すんじゃねえよ。どれだけ僕とは違うアピールをしたいんだ。僕と一緒は、嫌か?

 

「何せ、〈物語〉シリーズの七大賢者とまで言われている私ですからね。私と愚かは対極にある言葉ですよ」

「七大賢者ぁ? 後六人は誰ですの」

「おやおややれやれ、どうやら、まよいマイマイアニメ版のOPをご存知ないと見えますね」

「……ちっ」

 

 お前一人で七大賢者かよ!

 

 役目として、一応ボケには心の中でツッコんでおく僕。織崎ちゃんめ、煽るだけ煽って放置かよ。会話の基本がなってねえな。

 織崎ちゃんは舌打ちした後(つーか舌打ちって何だよ。ヘイト貯めるなあ)、パンと手を合わせた。

 

「……ご馳走様でした?」

「静、時間ですわ」

 

 こいつ、また八九寺のボケをスルーしやがった。とことんまで好感度を上げるつもりはないらしいな。

 ん? つーか、静? お、淡海静? あいつも居るの?

 

「んっふふっふっふっふ」

「うわっ、出た」

 

 思わず声を上げてしまった――いや、別にこの笑い声が気持ち悪くて声を上げた訳ではなく、あくまでもこいつの事が苦手なので、思わず声が出ただけのことである。

 淡海静――濡羽色のロングヘアーは、前髪も後ろ髪も先端で切り揃えられており、薄桃色の着物を着た女性。言うまでもなく怪異であり、しかも、"怪異を作る"なんていう能力を持っている。そして、日和ちゃんの創造主でもあるのだ。

 ……それだけならまだ良いのだが、何故かは全く分からないが、どうやら僕はこいつに気に入られているらしい。心当たりが全くないのに殆ど初対面と言ってもいいような奴に気に入られるのは結構なストレスであり、せめて理由だけでも教えてくれれば、まだ多少はマシになりそうでならなさそうな気がする。

 

「待たせたね、ご主人。日和号のセッティングは完了だ――今から決闘を始めるのかい?」

「ええ、その通りですわ」

「決闘?」

「ええ、そうですわよ。阿良々木暦」

 

 織崎ちゃんは、さも当然のように言う――まあある程度予想していたとはいえ、本当にそうだとは……もう少しひねりのあるプランはなかったのだろうか。

 

「貴方には、このガラクタの土俵の上で、日和号と戦って頂きますわ」

「こ、この上でか」

「そうですわ。何か問題でも?」

「いや問題っつーか、問題しかねえけど……」

 

 僕は瓦礫――ガラクタの山を改めて見た。

 彼方此方に起伏があり、不規則に段差がある――戦いにくそうだ。こういった起伏に富んだ場所だと、大抵身を隠すようなものがあるものだが、この山にはそれがなく、平地で戦う方がまだマシと言ってもいいフィールドだった。足場も定かではなさそうだし、不安定だ。こんな所で戦えというのか。

 

「……僕はともかく、日和ちゃんはこんな所で戦えるのか? こんなもん、双方にとって不利なだけだろうが」

「いいえ。このガラクタの山こそが、日和号のメインフィールドですわ。"がらくた王女"の異名を持つ"微刀『釵』"にとっては、これ以上ない好条件なフィールド――不利なのは貴方だけでしてよ、阿良々木暦」

「卑怯な……」

「こちらは情けをかけてやっている方なのですわよ? 寧ろ感謝して頂きたいものですわね、阿良々木暦」

「土下座してやろうか」

「土下座は結構ですわ」

 

 こほん、と織崎ちゃんは咳払いする。

 

「で、ここに来たということは、決闘をするということですわよね」

「当たり前ですよ。分かりきったことを言わないで頂けますか、この金髪!」

「金髪を馬鹿にするのをやめて頂けますかしら!? 我が先祖より代々受け継がれる金髪を馬鹿にするのをやめて頂けますかしら!?」

「阿良々木さん! こいつやっと反応してくれました!」

「よし、八九寺。いい子だからちょっと黙ってろ」

「ぐぎぎぎ……」

 

 勝ち誇ったような顔の八九寺を睨む織崎ちゃん。先祖を敬うっていう面から見れば、良い子なんだろうけどなあ。

 

「……じゃあ、受けるってことでいいですわね、阿良々木暦」

「ああ、受けて立とう」

 

 僕は即答した。当たり前である。

 扇ちゃんにあそこまで豪語しておいて、今更腰が引けるなんてこと、あってはならない。そんなことをしたが最後、扇ちゃんに死ぬまで罵られるのだろう――心の底から蔑むような満面の笑みで。

 

「決闘のルールは至極簡単ですわ。一つ、対戦者はバトルフィールドから出た場所に足を着けてはならない。二つ、相手を戦闘続行不可能にした時点で勝利となる。三つ、敗者は勝者に何をされようと文句は言えない。四つ、敗者は勝者に危害を加えてはならない。以上、この4つだけですわ」

「……三番目が随分と物騒だな」

「そりゃあ、こちらに益のあるルールを設定しない訳がないですわ。負けて、ここから無事に帰れると思ってましたの?」

 

 当たり前のように言う織崎ちゃん。

 まあ、あくまでもこの戦いの仕掛け人は織崎ちゃんであり、ルールの設定だって織崎ちゃんの自由にしても文句は言えない。それどころか、この圧倒的優位な立場でたったこれだけのルールに止めておいてくれたのだから、寧ろ親切設計とさえ言えるだろう。

 

「異論はおあり? 認めませんけれども」

「いや、ねえよ」

「そう。では、早速――」

「ちょっと待ってくれ」

「はあ?」

 

 早速決闘を開始させようとする織崎ちゃんに、僕は待ったをかける。

 

「何ですの? 何かありますの?」

「ああ。……ちょっと、時間をくれないか。殆ど何も用意せずに来ちゃったんだよ」

 

 決闘という内容自体は忍の予想の通りであったが、しかし大事なことをまだ行っていない。

 日和ちゃん――日和号と戦う為に必要な、最低条件を、僕はまだ満たしていないのだ。というのも、羽川のメールをギリギリまで読んでいたお陰で、家にいる間はそれをしている暇がなかったのである。

 忍への血液供給。

 僕の吸血鬼化。

 と言っても、完全な吸血鬼化ではなく、吸血鬼度を上昇させるというだけなのだが――少し前までは固く禁じられていたこの行為だが、今回ばかりはやむを得ない。今回ばかりは見逃してもらうしかない。羽川のアドバイスを完璧に生かす為にも――僕は、吸血鬼度を上げなければならないのだ。

 

「……まあいいですわ」

「ああ、どうも――」

「ただし!」

 

 織崎ちゃんは指を鳴らした。すると、背後に控えていた淡海が手を合わせた。何をする気だ? 僕は思わず身構える――いや、昨日の騒動がまだ僕の記憶にトラウマとして克明に残っているのだ。こいつの一挙一動で、何が起こるか分からない。

 そしてやっぱり何かが起きた。淡海が再び手を開くと、手と手の間からことりと丸い岩のようなものが零れ落ちた。落下したそれには傷一つ付いておらず、その場でころころと転がった。

 それだけだった。

 

「……な、何だよあれ」

「ペナルティですわ――この怪異が起動するまで、好きにして下さって結構。用意でも準備でもお好きになさいまし」

「やっぱ怪異か……起動? どうやって分かるんだよ」

「その時になれば分かりますわ。何せ目に見えて分かる怪異ですもの――この怪異が起動した時点で、ボーナスタイムは終了。決闘を始めさせて頂きますわ」

 

 織崎ちゃんは言う。相変わらず一切説明しない奴である。

 僕は淡海を見た。相変わらず気味悪く笑っているが、その目には油断も隙も感じられない。あの怪異、らしい石を、起動するまで守るつもりなのだろうか。

 あれがどんな怪異なのかは分からないが、しかしペナルティであるということは、この先厄介な障害になりうる怪異だということだ。僕も、油断してはならない。

 再び僕は織崎ちゃんを見た。織崎ちゃんは胸元から取り出した懐中時計に目を落とし、挑戦的に言った。

 

「起動するのは、恐らく0時30前後――それまで、一時の生をご堪能なさいな。阿良々木暦」

 




■ 以下、豫告 ■

「〈物語〉シリーズ プレシーズンをお読みの皆様、初めまして。羽川翼です。

「まさか海外に居る私にまでお呼びがかかるとは思いませんでした。驚きつつも、しっかりとお役目を果たしたいと思う次第ですので、暫くお付き合い頂ければ幸いです」


「最近、というか今では、スマートフォンがすっかり世間に浸透していますね。

「昔は携帯電話が占めていた地位も、今やすっかりスマートフォンのもの。いえ、携帯電話どころか、スマートフォンに地位を追い抜かされたというアイテムは数知れず。驚くべき大躍進っぷりです。

「ものの移り変わりの速さにはいつもびっくりさせられてしまいますね。

「ですが、それ故に、今はその地位を不動のものとしているスマートフォンですが、そう遠くない未来、このスマートフォンさえも、時代の波に飲まれてその地位を奪われてしまうかもしれません。

「盛者必衰と言いますか。ポケットに収まるデバイス達は、激しい生存競争を繰り広げ、どんどん新しいものに、高性能なものに変化していきますね。そしてその度、他のアイテム達もその巻き添えを食らってしまうのでしょうね。アナログもデジタルも問わず」


「次回、裂物語 ひよりブレード 其ノ伍」


「ですが、ポケットの中で揺るがない確固たる地位を築き上げているのは、実はスマートフォンではなくてアナログなハンカチだという事実は、恐らく今後も変化することはないでしょうね」
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