私の手を取ってくれるその真っ黒な手は、とても小さく、細く、今にも壊れてしまいそうなほど儚いものだった。
私はその小さな手を壊してしまわないように優しく、しかし決して放してしまわないようにしっかりと握った。
私は彼女と一緒に、もとの世界に帰る。
私たちは帰り、世界は孵る。空白という殻を破ってできたものは、しかし今まで通りの、ありふれた日常の詰まった世界。
私はその空白の世界を振り返る。そこにはいくつものインキュベーターさんが笑顔で、本当に楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。手のかわりに大きな耳毛を左右に振っている。
私はその光景に涙が溢れてしまう。彼らにはなんとお礼を言えば、謝罪をすればいいのかわからない。しかし視界が潤んで姿すらよく見えない。
「あ、ありがとう、ござい、ます……。これで私達はみんなと一緒に、生きる事ができます」
私は嗚咽しか出ない喉で必死に言葉を紡ぐ。呂律のまわらない言葉は、インキュベーターさんにちゃんと届いただろうか。
『君達に出会えて、この物語に出会えて、僕達は本当に幸せだったよ』
インキュベーターさんの優しい声が聞こえた。
『ありがとう』
私は最後にインキュベーターさんの幸せそうな笑顔を目に焼き付けた。そうして私は、滂沱の涙を流し、みっともなく声を張り上げて、泣き崩れた。
気が付けば私達は元通りになった、ゼロ世代の学生が寮とするメゾン・ド・ゼロの一階フロアにいた。
何事もなかったように、そこに当たり前にあるように、そのマンションは傷一つなくあった。
誰一人欠けることなく、私達は目覚めた。
目覚めてわかった事は“今回”は、記憶の全てがそのままに残されている事だった。マンションの住人達はまだ確認してはいないけれど、私達は誰一人記憶を消去される事はなかった。
あの凄惨な戦いだけではない。この世界の前の、改変前の地獄のような記憶も、私達の心の中には残った。
それはきっと、必要な事だからだと思う。私達が、違う世界でも、学び経験した、生きた証なのだから。
それを大切にして欲しい、と。君達ならそんな記憶も、傷もきっと乗り越えられると、まるで信頼しきったように言われているようだった。
そして、みんなが起き上がる中、私はおずおず、と申し訳なさそうにみんなの前に出る。
みんなには本当に迷惑をかけてしまった。私は謝らないといけない、償わなければならない。みんながいくら許してくれても、やっぱりこれだけは言わないといけない。それがけじめなんだと思う。私だけが悪いわけじゃあないんだとみんなそう言ってくれたけれど、それでもやっぱり原因も、事の始まりも私であることは、どうしても変えられないのだから。
「み、みんな……」
私が意を決して口を開く。
しかし、私は言葉を紡ぐ事ができなかった。
「「「「「まどかぁっ!」」」」」
みんながびっくりするくらいに、顔を輝かせて、喜びと嬉しさと、夢と希望に輝かせた笑顔で私を抱きしめてくれたのだから。
そんなびっくりするくらいに、優しくて、暖かくて、安心するそれは、私の居場所だった。
私の帰るところだった。
私は涙が溢れる。私は本当に、どうしても謝りたかった、罪を償いたかった。それなのに、どうしてか口から出たそれは。
「ありがとう……!」
感謝だった。深い、深い感謝だった。
こんな私の隣にいてくれて、一緒にいてくれて、居場所になってくれて、ありがとう。本当に嬉しくて、私、私……。
「私……生きてて、よかったです」
私は涙が次々と溢れて、止まらなかった。顔を涙でグシャグシャに濡らしながら、私の心が、感情が、一度に吐き出される。今まで我慢して、耐えてきたもの全部。塞き止められたダムが決壊するように、一度に溢れかえり、吐き出されてしまったのだ。
「私、死んでなくて本当によがったでず。わだじ、みんなともっと一緒に、いぎていたいでず」
呂律がまわらないどころじゃあなかった。しゃくりあげ、泣き顔でいっぱいになって、ひどく幼い子供のようになっていて、言葉もよくわからないものになっていた。
みっともないなんてものじゃあなかったと思う。神様の威厳どころか、魔法少女の風格も微塵も感じさせないそれは、もう色々酷くて、台無しだったと思う。
「何言ってんだよ、まどか。そんなの当たり前だろ?」
先輩は、先輩らしくとびきり優しい笑顔を私に向けて頭を撫でてくれる。
「本当に、お前は心配させて……! この野郎……、別に、泣いてなんていないからな……! でも会いたかったぞ……まどか!」
杏子ちゃんは泣き崩れながら本当に嬉しそうに私を抱きしめてくれた。その強い抱擁が、とても嬉しかった。
「まったくあんたは、しょうがないんだから! 私が言えた事じゃあないけどさ、もっと私に相談するとかしなさいよ……! 親友の名がすたるぜ、まったく……もう……! でも、ちゃんと帰ってきてくれたから、特別に……本当に特別に……許してあげる……! 帰ってきてくれて、ありがとう、まどか!」
さやかちゃんも同じくボロボロに泣いて、泣きはらして私を抱きしめてくれた。きっと言いたい事も、怒っていることもあるのだと思う。それでも、ただ私に出会えた事を本当に嬉しそうに、幸せそうに、抱きしめてくれたさやかちゃん。さやかちゃんの友達で、私は幸せだった。
「まどかぁ! やっとまどかに会えた……! まどかぁ! もう離さないんだから……! どこにも行かせないんだから! これからは、しっかりと私の隣で、私と一緒に生きてもらうんだから! 覚悟しなさい……!」
ほむらちゃんもやっぱり大泣きしていて、私を抱きしめてくれる。その強すぎる抱擁は、本当に呼吸が止まってしまうかもしれない、と命の危険を感じるほどだったけれど、しかしそんなほむらちゃんの必死さが身体の全身に伝わってきて、私はなんだか嬉しくてしょうがなかった。
「鹿目さん」
そして、マミさんが手を広げて私に向けて、優しい笑顔と暖かい言葉を投げかけてくれる。
「マミさん……」
でも、私は手放しで喜んで、彼女に抱きつき、甘える事がどうしても、できなかった。後ろめたかった。今回の事だけじゃあない。ずっと前から心のどこかで、妬んで、憎んできたのだと私は思い知らされた。もう、私のそんな黒い感情を肩代わりしてくれる存在はいないのだから。私はどうしてもこの罪悪感で押しつぶされそうになった。
「鹿目さん、大丈夫よ。もう全部わかってる。でも、それでも私はあなたのことが好きでしょうがないの。大好きでしょうがないの。一緒に隣でいられて本当に嬉しいの。だから、お願い、言わせて」
マミさんはその優しい瞳で、私を真っ直ぐに見てくれた。その瞳は潤んでいて、頬には止めどなく涙がこぼれて伝っていた。
「おかえりなさい。待っていたわよ。帰ってきてくれて、この世界を守ってくれて本当にありがとう」
「マミさんっ……!」
私の心にはもう、後ろめたさなんて微塵も残っていなかった。ただ幸せで、嬉しくて、満たされていてしょうがなかった。
私はマミさんに精一杯抱きついて、みっともなく甘えて、泣き縋った。
そんな見ていられない私を、しかしマミさんは優しく抱きしめてくれた。受け入れてくれた。愛してくれた。
こんなにも暖かな陽だまりのような世界に私は帰ってこれたのだ。
いつの間にか罪悪感に苛まれることはなく、私は感謝と幸せと、愛おしさで満たされていた。
みんな本当にありがとう。
私はこの世界が、この運命が、この物語が、何よりもみんなが―――
「―――大好きです……!」