少女Aの憂鬱   作:王子の犬

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★8 告白騒動

 私は焦る心を抑えつつ心配事は手早く済ませようと考え、更識さんの件について聞きたいこともあったので夕食前に姉崎に連絡することにした。ポケットから携帯端末を取り出し姉崎の項目を呼び出した。

 

「ハロー? ……何だ君か」

 

 呼び出し音が数回鳴るのを経て、姉崎にしては不自然なくらい明るい応対だったけれど、すぐに私と気付いてあからさまなため息をついて元の口調に戻った。既に食堂が開いている時間なので、早い人はもうメニューの列に並んでいるはずだから、先に断りを入れておくことにした。

 

「夕食時にすみません。お話がありまして電話しました」

「いや、こちらもまだ部屋だ。ルームメイトを待っていたんだが、体験入部の準備が忙しくてなかなか解放されなくてね。それで話とは何だね」

 

 大衆の面前でする話でもなかったから姉崎が部屋にいると聞いて安心した。私はいつもより緊張しながらもゆっくりと口を開いた。

 

「更識簪について」

「彼女ともう会ったか。あの子に篠ノ之箒と君について聞かれたから部屋を教えておいた。何かまずかった?」

 

 受話器の向こうから歯切れのよい声が聞こえた。

 

「すごくまずいですよ。何であの子が写真を持ってるんですか。よりにもよって織斑と篠ノ之さんのツーショットの」

「欲しいって言ったからあげたんだ」

 

 目くじらを立てることではない、と不思議がった。

 

「危うく篠ノ之さんに私が流したってばれるところだったんですよ」

 

 携帯端末にかじりつきながら(ケイ)に聞かれないよう小声で(すご)んだ。

 

「悪かったな。でも大丈夫だったろ? 篠ノ之さんと織斑君は私の目と鼻の先で稽古に励んでいたから、先に君を訪ねると思っていたよ」

 

 更識さんが提示した取引材料がよほどお気に召したのか、姉崎がいつになく上機嫌であることに気がついた。長々と話す気はなかったので、私の立場を危機にさらした原因について聴取を試みる。

 

「で、何と取引したんですか」

「取引とは心外だね。正当な契約に対する対価を払っただけだよ」

 

 姉崎は悪びれるどころか開き直った。

 

「生徒会長の弱みを握ってどうするんですか」

「うちは委員会待遇だから予算執行の上位者は学園運営部なんだ。生徒会の権限は部活動と同好会にのみ行使可能だ。つまりわれわれは生徒会長と対立してもデメリットこそあれ、うまみはないよ。それに今回妹君から入手したネタを使うつもりはない。()()()()

「別に情報の使い方までいちゃもんつける気はありません。深く突っ込むとズブズブの関係になりそうで怖いですから」

 

 姉崎のことだから情報を高値で転売する気でいるのだろう。切り札を使わずに美味しい上澄みだけを頂戴するつもりなのだ。

 

「ところでそれだけを言いたかったわけではないのだろう?」

「そうでした。ここからが本題です。更識簪のIS(専用機)についてどれだけの情報を持っていますか?」

「わたしも本人から概要ぐらいなら聞いている」

 

 姉崎は前置きしてから話し始めた。

 日本におけるIS産業のシェアは倉持技研が七割を占めている。打鉄(うちがね)が事実上の国内標準機であり、甲冑武者(かっちゅうむしゃ)を意識した和風のデザインが好評であり、性能が安定しており癖がなく扱いやすいという定評を得ていた。信頼性が高く、もっぱら特徴がないのが特徴と言われており、これは開発元である倉持技研が打鉄を初心者向けの練習機と位置づけていたことが大きく影響している。

 陸上自衛隊が打鉄を採用するにあたって既存の装備や海空自衛隊と連携する必要性に迫られ、従来の打鉄ではこれらの要望を叶えることができないとして、イメージ・インターフェイスを採用した第二.五世代IS、すなわち「打鉄改」を発表。第一次改修において主な用途として災害派遣を強く意識した結果、素直な使用感を維持したままセンサー類や通信関係の拡充を図りながらもオプションとして精密作業用拡張機械腕が使用可能になったことで、瓦礫の撤去などの救助活動や有資格者が乗れば医療行為も可能になった。軍事用途よりもむしろ、ISが本来持っていたパワードスーツとしての側面が強化されていた。

 第二次改修案では戦闘能力の底上げを図るべく多様な装備を用意すると発表していた。

 

「わたしも第二.五世代に興味があって倉持技研の公式サイトをのぞいてみたら、()()()()()()()を作っていることだけは理解できた」

 

 倉持技研は現在、打鉄改の第二次改修を行っており社運をかけてこの超大型案件に人員の大半を投入していた。割を食ったのは開発が停滞気味だった第三世代研究開発チームで、イメージ・インターフェイスの改修に所属する技術者の半数を取られてしまった。しかし打鉄改で磨き上げたインターフェイスを第三世代機にも採用する予定だったから、社の決定は妥当と言えた。この第三世代研究開発チームこそ更識さんの専用機を開発している技術者集団だった。

 織斑がIS学園の受験会場に迷い込む前日、運が悪いことに第三世代研究開発チームの責任者が自損事故を起こして入院してしまった。倉持技研は織斑一夏のデータを他社に取られるよりはと思ったのか、格納庫の片隅で埃をかぶっていた専用機(欠陥機)白式(びゃくしき)」を四月末に納品すべく第二世代の保守運用部門から人員を抽出し、他社の案件に参加していた人員を半稼働で呼び戻し、協力会社から使えそうな人員を徴発していた。労働基準法違反を回避するために一日三交替制で開発に当たっていたところ、決算月を半ば過ぎた頃に現場と上層部の要求とのミスマッチが発生して、納期が一〇営業日繰り上がるとの通達が現場に下った。打鉄改の案件から人員を引き抜きたくなかったため、責任者間の引き継ぎが不十分なまま残されていた第三世代研究開発チームの人員をすべて応援として投入した。そして総力戦(デスマーチ)の甲斐あって四月中旬の納品日、すなわちクラス代表決定戦当日に間に合ったのである。

 

「やまやがちらっと明かした話だと、白式の営業担当が必ず間に合わせると太鼓判を押したらしい。オルコット君と織斑君の戦いは納品日当日だったようだね」

 

 織斑先生は倉持技研の内情を知る由もなく、営業担当が提示した納品日に合わせてクラス代表決定戦の日程を設定したに過ぎなかった。

 第三世代研究開発チームの人員が他案件に引き抜かれた理由だが、どうやら第三世代ISの売りとして都市制圧戦を可能にするべく、二年前に装備の制御系モジュールの開発を下請けに出したら一年が経過した時点でスケジュールの破綻が発覚して大炎上したのが原因らしい。火消しに回っていた人員が打鉄改と白式に取られて停滞。下請け協力会社がさらに下請けに発注を行い、孫受け協力会社から集めたプログラマーの待遇が非常に悪かったらしく逃亡が相次いだために装備がまともに動かない。予算を食いつぶし続けるので年明けに契約を白紙撤回して別の協力会社が一から作り直しているけれど、大炎上を始めた時点で今の会社にしておけばと後悔後先に立たずだという有様だった。

 

「呪われている」

 

 第三世代研究開発チームについて他に言葉が思い浮かばなかった。

 打鉄改のスケジュールが順調だと聞いただけに余計に更識さんがかわいそうになった。それどころか第三世代の開発を取りやめて打鉄改を使えばよいのでは、という考えが浮かぶ。

 

「だろう? かわいそうな子なんだよ」

 

 ちなみに打鉄改の第二次改修は私が三年生になる頃には目処がつくと姉崎は言った。

 

「妙に擁護しますね」

「目に掛けてやるのが人生の先達として当たり前の行為だ。さて、いらぬ心配をさせてしまったお詫びに不可能なお願い以外なら何でも聞くよ」

 

 小さな声で、同好の士が、などと聞こえた。更識さんが篠ノ之さんに抱いている好意は憧れだと思っていたけれど根拠がないことに気付き、彼女が姉崎のように同性に対してむにゃむにゃな感情を抱いているとまで妄想した私は、下衆な考えを打ち消そうと頭を左右に振った。更識さんからもらった宿題を済ませることに集中した。

 

「姉崎先輩。ISをスクラッチビルドできるような天才に心当たりはありませんか。整備科以外の生徒でお願いします」

「その条件は妹君の要求か?」

「そうです」

 

 はっきり言ったら動揺したのか言いにくそうに答えを提示した。

 

「二年一組岩崎乙子(おとこ)。航空部部長」

「うわ……先日の部活紹介の人ですか」

 

 悪魔に魂を売れ、と叫んでいた人だ。好きこのんで近寄りたいとは思わなかった。

 

「思想と人格と強引な手腕さえ気にしなければ超がつく最適な人材だな。腕こそ若干劣るが人間ができた奴もいるのだが、そいつも航空部だから無関係ではいられない」

 

 先ほどから姉崎の声が震えていたので、よほど苦手なのだろうと考えながら話を聞いた。

 

「岩崎と関わるとろくなことがないんだよ。一応生徒会長もスクラッチビルド経験者だから妹君に考えを変えるように頼めないか」

「それだと生徒会が絡むことになりますよ。布仏先輩ってどこの科でしたっけ」

「整備科だ。つまり妹君が提示した条件をクリアできない」

 

 岩崎苦手なんだよ、というつぶやきが聞こえてきた。

 

「呪いを解くには普通じゃだめだと思うんですよ」

「君は……まさか妹君を岩崎(悪魔)に押しつけようと考えていないか。ハイリスクハイリターンだぞ」

 

 姉崎の声が上ずっていた。大きな代償を払えとか迫ってきてもおかしくない雰囲気だった。

 

「デメリットを教えて頂けますか」

 

 メリットは部活紹介の時に本人が叫んでいたから今さら聞く必要はなかった。

 

「そうだな。生徒会に目を付けられる。現生徒会長に恨まれる。航空部とロケット研、滑空部、海研との対立に巻き込まれる。更識と岩崎の背後にうごめくドロドロの人間関係に巻き込まれる。主に金銭がらみで人間関係の厄介事を垣間見ることができる」

 

 これは酷い。IS学園の暗部に触れた気分になった。

 

「それに妹君が変態になったらどうするんだ」

 

 姉崎は自分のことを棚上げして言い放った。先輩に対して酷い物言いだとは自覚しているけれど、私から見れば姉崎も十分に変態の扉に手を掛けていると思った。しかしあえて口にはしなかった。

 

「自己責任です」

「君はときどき酷いことを言うな」

「性分ですから」

「仕方ない。交渉は霧島たちに押しつけ……いや頼もう」

 

 姉崎は平然と二年の先輩たちに厄介事を押しつけるつもりだった。

 

「ひどっ」

「班長権限を使うのは当然だ。それに霧島は一組だし、雷同は一年の時のクラスメイト。井村は三組だが合同実技訓練で一緒のグループだった。わざわざ上級生が出しゃばることはない」

 

 言い分は理に適っている。私はまとまりかけていた話を反故(ほご)にするほど愚かではなかった。

 

「では渡りをつけてもらうようお願いします」

「結果が分かったら連絡するよ」

「恩に着ます。また写真を仕入れたら送ります」

「頼む」

 

 

 翌朝、一限目が終わって休憩時間となり、私は席を立って相変わらず頬づえをついて外を眺めていた篠ノ之さんの横に立った。目の前で両手を合わせて懇願するような姿勢で、茶化すことなく努めて真剣な声を発した。

 

「篠ノ之さんにお願いがあります」

「何だ。今日は妙にしおらしいな」

「私はいつだって真面目な一生徒ですよ」

「貴様が言うとうさんくさいんだ。しかし、求められたからには(こた)えねばならないからな。言ってみろ」

「この前カツアゲから助けた子がお礼をしたいと言ってきまして、夕食をご一緒しませんかと誘いました」

「お礼は要らないと言ったのだが」

「夕食を一緒にとるだけなので構いませんよね?」

 

 写真のことがあるので、直接更識さんと話をされると非常に不利な立場に追い込まれる懸念があった。保身のために更識さんの頼みを断れなかった。

 篠ノ之さんは仏頂面のまま私の顔をじっと見つめていたが、不意に破顔した。

 

「構わない。一夏ちょっと来てくれ」

 

 笑顔のまま、席を立ったばかりの織斑を捕まえて呼び寄せる。

 

「一夏、今日の夕食はこいつとこいつの知人も一緒だ。構わないか」

「俺はいいけど。……箒、自分から友だちを誘うようになったんだな」

 

 織斑が優しい顔つきで篠ノ之さんを見つめたものだから、柔らかい視線に耐えきれなくなった彼女は顔を赤らめてあさっての方向へ目をそらした。照れる篠ノ之さんを見て織斑はとてもうれしそうに何度もうなずいていた。

 孤立しがちな篠ノ之さんが自分から動いたことに感激したらしく、そういえば以前谷本たち三人組が昼食に誘ったときに無下(むげ)に返したことがあって、その時と比べてずいぶん打ち解けたように見えたのだろう。

 

「用が済んだなら早くあっちに行け」

 

 そっぽを向いたまま手で振り払うようなしぐさを続ける姿に、頬がゆるみっぱなしになったところで予鈴が鳴った。

 二限目が終了しその休憩時間。授業が終わってすぐに廊下に出たら、二組の自動ドアから現れたしのぎんと鉢合わせた。

 

「うーすっ」

「何だ。しのぎんか」

 

 しのぎんは両手をスカートのポケットに突っ込みながら目と鼻の先まで歩み寄ってきた。

 

「更識の件はどうなった」

「ばっちり。夕食のセッティングもしたし、ISの件は姉崎先輩の伝手(つて)を頼って交渉中」

「仕事が早いな」

 

 しのぎんは感心した面持ちになった。彼女の中で私の評価がどのようになっているかは知らないけれど、こちらは身の破滅がかかっているので必死になるというものだ。

 ポケットから手を出したしのぎんは、揉み手をしながら何事か頼むつもりで下心を隠そうともせず狐のように目を細めた。

 

「ところでお願いがある」

 

 私が露骨に嫌な顔をすると、なれなれしく肩に手を回してきた。

 

「簡単なお願いだって。私はクラスが違うので織斑君と接点を持つのが難しいんだ。でもえーちゃんは織斑君とクラスメイトだ。そして私の友だちでもある。つまり友だちに知人を紹介しないという義理人情にかける人間だとは思っていないんだ」

 

 下手に出る姿が実にうさんくさい。

 

「要するに?」

「私も一緒に夕食をとってもいいかな」

「最初からそう言えばいいのに。いいよ。でもこれ以上人を増やしたくないから、しのぎんだけ特別だよ」

「やった」

 

 しのぎんは小さくガッツポーズをとると現金な笑顔を浮かべて二組の教室に戻っていった。そのまま四組に行こうと思っていたけれど、腕時計に目を落としたら中途半端な時間だったので一組の教室へ引き返した。

 三限目が終わった。背伸びをしてから教室を出て四組の教室に向かった。

 夕食の件についてメールですませても構わなかったけれど、一度四組の様子を見たかったので直接訪問することにした。

 四組の教室に到着し、扉の前に立っていた生徒に声を掛けて更識さんの居場所をたずねた。生徒が指さした方角、つまり一番後ろの窓側の席に眼鏡を掛けた目立つ水色の髪をした少女がいた。

 空中投影ディスプレイを凝視しながらその手はひたすらキーボードをたたいており、近寄りがたい雰囲気を漂わせていたためか、周囲にクラスメイトの影はなかった。

 私は教えてくれた生徒に礼を言って教室の中に入り、更識さんの前に立つと、キーボードの左上に「本物の力」と刻印が押されているのが目に入った。

 

「更識さん」

 

 私の声に気付いたのか手を止めて、はにかむように目を輝かせ上目遣いで見上げてきた。

 

「例の件の片方はOKだよ。しのぎんが一緒になっちゃったけど詳細は昼休みにメールするね」

 

 具体的な内容を言って騒ぎになるといけなかったので、肝心な内容はぼかしていたけれど、更識さんには言わんとしていることが伝わったらしく、

 

「……ありがとう」

 

 と小さく感謝の言葉を漏らした。

 憧れの人への思いを秘めた少女の輝きが、私の薄汚れた魂を洗い出すようでとてもまぶしかった。

 ふと私は四組の生徒全員から見つめられていることに気がついて、とっさに悪目立ちしているのでは、と思って一組の教室に慌ただしく引き返していた。

 四限目が終わり昼食を終えた私は教室に戻っていた。更識さんにメールを送ってから(ケイ)とセシリア嬢に子犬ちゃんと駄弁っていたところに谷本、鏡、岸原の三人が現れた。

 鏡が一枚のチラシを差し出してきたので胡乱(うろん)な視線を向けつつ、指でつまんで眺めると「茶道部入部希望者へのお知らせ」という派手な書体の文字が踊っていた。手描きのかわいらしいイラストと共に集合時間と会場への地図が載っていた。

 鏡は私の名を呼び、

 

「お願い。茶道部の体験入部に一緒に行ってくれないかな」

 

 と両手を合わせて拝んできた。私は嫌な顔をするわけにもいかず遠慮気味に返事をした。

 

「座禅会はちょっと……」

 

 以前鷹月がしてみせた不吉な予想を思い描き、織斑先生の着物姿には興味があったものの、そのためだけに死地に赴く覚悟を持ち合わせていなかったので、明らかにうろたえる失態を演じていた。

 どうせなら鷹月を誘えばよいのでは、と鏡に提案してみたのだけれど、既に誘ってみたが断る代わりに私を推挙したのだという。私はすました顔で織斑や布仏さんと談笑する鷹月を恨みがましくにらみつけた。おのれ鷹月、スルースキルを発動させるのは一向に構わないけれど、私を巻き添えにするのは止して欲しかった。

 

「ねっ、お茶菓子が振る舞われるってここに書いてあるから」

 

 鏡はお茶菓子で私を釣るつもりらしい。嫌々チラシをよく見ると、確かに「体験入部希望者にはもれなくお茶菓子とお抹茶が振る舞われるよ」という花柄の吹き出しが小さく描かれていた。

 そこに、つい先ほどまで布仏さんを「のほほんさん」と人懐っこく呼んでいた織斑が顔を出した。この男は谷本や鏡とよく話をしており、雑談を交わす程度の仲になっていた。いつもは篠ノ之さんと二人きりでいることが多いのだけれど、彼女は山田先生に呼ばれて職員室に出張っておりこの場に不在だった。

 

「何を話してるんだ?」

 

 さわやかな声で自然に振る舞っている。とっさに谷本と岸原が左右に分かれて織斑のスペースをあけた。

 織斑に無言でチラシを押しつけると、

 

「ああ、茶道部か。ち……織斑先生が顧問をやってる部か」

「織斑君は先生が茶道部顧問だって知ってた?」

「俺もこの前初めて知ったよ」

 

 織斑がチラシを返してきたので指でつまんで机に置いた。

 

「織斑君も行かない? 体験入部、今日の放課後なんだけど」

 

 織斑は少し考え込むと、急に何かを思い出したのか手を打った。

 

「その時間先約があるんだった」

 

 えー、と不満な声を出す鏡たち。織斑は一歩下がって三人を拝みながら「ごめん」と謝っている。

 

「そうでした。わたくしと篠ノ之さんで一夏さんに稽古をつけることになってますの」

 

 沈黙を保っていたセシリア嬢が口を挟んできた。二人は一瞬視線を交わした後、織斑がやや遅れて首を縦に振った。すると鏡たちはセシリア嬢と織斑の双方を見比べ、大きくため息をついた。

 

「じゃあ仕方ないか」

 

 織斑は難が去ったことにほっとしたのか愛想笑いを浮かべた。そして、いいことを思いついたと言わんばかりに明るい顔つきで突然私の名前を呼んだ。

 

「一緒に行ってやればいいじゃないか」

 

 その提案に私は呆然(ぼうぜん)として口を開けていた。

 助けを求めてセシリア嬢へ顔を向けると、彼女はすました顔でこう告げた。

 

「織斑先生の手ほどきを受けるなんてうらやましいですわ。よい経験になりますから行ってらっしゃいな」

 

 子犬ちゃんと(ケイ)に助けを求めると、二人は顔を伏せあさっての方向を向いていて目を合わせることすら避けていた。

 恐る恐る鏡たちに顔を戻せば、三人は極上の笑顔で私の返事を待っていた。退路を断たれた私は小さな声で、

 

「行きます」

 

 と告げた。

 

 

 いつもなら夕食までどのように過ごそうか思索にふけるのだけれど、今日は茶道部の体験入部に付き合わねばならなかった。

 鷹月の不吉な予想が頭の片隅に残っていて、鼻息荒く士気を高めている鏡と谷本と岸原、その他数名の後を歩きながら、徐々に青いリボンを身につけた生徒の数が増えていくのを目の当たりにした。

 指定の空き教室に着くと、そこには隅々まで畳が敷かれていて、教壇があったと思われた場所には長いすと二脚のパイプ椅子が置かれ、それぞれ黄色のリボンを身につけた二年生がノート型端末を開きながら座っていた。長机に受付という貼り紙がテープで止めてあり、二年生が体験入部に臨む生徒に履き物の置き場所を指示した後、固有の生徒番号の申告を求めてきた。

 二列になって係に生徒番号を伝え、引き替えに数字が書かれた紙を手渡された。今度は先輩と思われる着物姿の生徒が立っていて、受付からもらった紙と同じ番号の場所に座るように誘導された。廊下に面と向かって一〇人ずつ横並びになり、それが縦五列におよんだ。受付が締め切られ点呼すると体験入部に参加したのは私を含めて合計四五名に達していた。つまり一年生の約四割の生徒が空き教室に群がっていたのだった。

 

「すごいねー」

 

 岸原が眼鏡の位置を直しながら、周囲を見回していた。鏡と谷本は緊張しているらしく落ち着きなく他の生徒の顔を見つめるばかりだった。他の生徒はそれぞれ友人と一緒に来ており、横に座った子と駄弁っている。

 参加者を締め切ってからかれこれ五分以上は経っていたけれど一向に織斑先生は姿を見せなかった。二年生を見やれば淡々とキーボードをたたく姿があった。

 しばらくやることもなく足を投げ出して日なたぼっこに甘んじていたけれど、突然自動ドアが開いたその先には、白い包みを抱えた和服姿の女性が姿を現し、みんなその一挙一動に目を奪われていた。

 白い生地に胸から左肩にかけて赤い花柄があしらわれていた。女性にしては長身で背丈は一七〇以上か。長い赤毛をアップにして赤い花をあしらったシュシュで止めている。片眼鏡(モノクル)をかけた細面の麗人だ。

 

「……あ、姉崎先輩」

 

 回収班班長の姉崎だった。隣の岸原はうっとりしたまなざしを向けて微動だにしない。

 見てくれだけは嫉妬したくなるほど粋な美人だから周囲の反応は理解の範疇(はんちゅう)だけれど、私は姉崎が茶道部にいる理由がわからなくて首をかしげていた。

 

「いぶかしむのはよしてくれ。わたしはれっきとした茶道部部員なのだから」

 

 姉崎は私にそう告げて、長いすの脇に包みを置いて受付の生徒と言葉を交わしていた。

 軽くほほえむだけでどぎまぎとする生徒が続出している。普段通り柔らかい身のこなしだけれど、いつにも増して状況を楽しんでいるように思えた。姉崎の登場に悪い予感がしてならず敵前逃亡を試みるべく挙手をした。

 

「先輩。所用がありまして……」

「大丈夫。すぐに織斑先生が来ますよ」

 

 と半ば私を無視してみんなに言った。ハスキーでよく通る声だった。

 姉崎は私を一瞥(いちべつ)すると、楽しんでいきなさい、と優しく言葉を投げかけたので、みんなの視線が集中してしまい逃げ出せなくなってしまった。肩をすくめる私に向かって岸原、谷本、鏡が興味津々な様子で姉崎について情報を引き出そうと声をかけてくる。

 

「めちゃくちゃきれいな人なんだけど」

 

 外見については同意だけれど、中身は私など足下にもおよばない程真っ黒な邪念の持ち主だと確信している。それをどう伝えようか考えをまとめていたら、満を持して織斑先生が登場した。

 黒い布地に雪模様、足下だけ白いさざ波が引かれ、帯はヨーロッパ風の文様。髪型は普段と変わらないが、黒い着物に映える白い首筋を目にして私の心は激しく揺れた。嵐のような衝撃が心地よい余韻を残しながら突き抜けていった。

 一度は姉崎が静めた空気は、やや間を置いてからあふれんばかりに沸き返った。

 空き教室が黄色い声で埋め尽くされて、突然われに返った私は、姉崎が白い包みを紐解(ひもと)いて警策(けいさく)を出すのを目にして、鷹月のしたり顔を思い浮かべて逃げ損なった絶望感に打ちひしがれていた。

 茶道とは、湯を沸かし、茶を()て、茶を振る舞う行為で茶室という空間に存在するすべての構成要素に、茶事を進行するその時間自体を楽しむ総合芸術である。

 そして茶の湯は禅の精神が生きていると言われている。

 織斑先生は茶道部の概要を説明し、体験入部という名の座禅会を始めるから全員に正座するよう言い渡した。

 

「軽く三〇分だ。ちょっとした精神修養だと思ってくれ」

 

 大したことはないぞ、と笑顔で告げて、姉崎から警策を受け取っていた。

 

 

「痛いよう」

 

 二本の棒の上に体が乗っかっている。

 

「足が痛いよう」

 

 私は(ケイ)に肩を貸してもらいながら泣きべそをかいていた。

 実家では主に椅子を使った生活だった。パソコン机とスチールラックに天板を置いただけの無駄に頑丈な私の学習机には、これまた無駄に頑丈なだけが取り()の四本足の椅子を使っていた。それでも一応年に数回正座することがあって、一番長いのは母方の祖母の法事で読経が約三〇分におよぶのだけれど、要領よく正座椅子を使って乗り切っていた。

 夕方になっていた。会食をセッティングした手前遅れるわけにも行かず、両脚のしびれと痛みに苦しみ悶えながら寮までの道を急いでいた。

 織斑と寮の廊下ですれ違ったけれど、私のみじめな様を見て口の端を引きつらせたので、真っ赤な目で恨みを込めてにらんでやった。

 私はぼろぼろ涙を流しながら、生々しく耳に残った空き教室での織斑先生と茶道部三年生の会話を思い出していた。

 

「意外と残ったな。部長はどう見る」

「今年の一年生は少なくとも我慢強い。姉崎はどう? 久々に顔を出したんだから意見を言ってよ」

「茶室に入室できる人数は決まっています。もっと選別しましょう」

「よし。では五分の休憩を取る。その後再度選抜を行う」

 

 座禅会を五名以下になるまでがんばった甲斐あって、お抹茶とお茶菓子が振る舞われたのだけれど、甘いはずのお菓子がしょっぱかった。

 一応は入部の権利を得たけれど、もしその気持ちがあるなら仮入部期間中に意思表示するよう言われていた。

 茶道部の選抜が早期に行われるのは織斑先生目当ての生徒が入部希望で殺到するためであり、座禅会を開催して浮ついた気持ちを折るのが目的だと姉崎は言った。まれに姉崎を目当てに入部を申し出る生徒がいるのだけれど、彼女自身は茶道部よりも回収班にと誘っては逃げられてしまうらしい。

 自室の前にたどり着いたときしのぎんと更識さんが制服姿のまま並んでいた。

 私が鼻水をすすっていたら、

 

「うわー。あれに行ったの」

 

 二人は幾分回復したもののぎこちなく歩く様を見て頬を引きつらせた。他の組の子もいたから風の噂で座禅会の惨状を知ったと見た。私は腕で涙をぬぐってからやせ我慢して笑った。

 

「へへっ。入部権を手に入れた。入る気ないけど」

「えーちゃんがんばりすぎだって」

 

 (ケイ)が私の手を取りながら、呆れ混じりに言ってから扉を開けた。

 意地を張って最後まで残って見たけれど、明日格好の弄りネタにされる光景が目に浮かぶ。やせ我慢した意味がなかった。(ケイ)が心配になって見に来なかったら私は立つことすらままならなかっただろう。

 何とかベッドまでたどり着き仰向けになって足を投げ出すと、しのぎんがベッドの縁に腰掛けてしびれが抜けかけていた足を突いてきた。

 

「やあ……いやぁっ」

 

 指が肌に触れる度に、初めは微かだった刺激が増幅されながら全身を駆け巡っていく。強すぎる刺激に唇を噛み、涙目のままあえぐ吐息を漏らし、しのぎんと途中から加わった(ケイ)の指先から逃れようと体を縮めた。

 

「おっ。意外とエロい声が出るんだな」

 

 抵抗できないまま羞恥で余計に顔を真っ赤にした私を見て、しのぎんがからかってきた。

 

「えーちゃん女の子みたい」

「うるさい」

 

 身悶えしつつも(ケイ)の失礼な感想に抗議する。ここにいる全員、男どもがあからさまに興奮するような体つきをしていないではないか。(ケイ)は腹筋が割れているし胸はないに等しい。しのぎんは私と体型がほとんど変わらない。遅れて顔を出した更識さんはちっぱいだ。

 更識さんはしのぎんの隣に行儀良く腰を下ろし、しのぎんは悪代官のような顔つきで彼女をそそのかし、感覚が戻りつつある足を突くように勧めていた。

 

「覚えてろよ……」

 

 怨念を込めた呪詛(じゅそ)を吐いてみたが、愉快犯たちはにやけ面で私の反応を楽しむだけ楽しんでまったく動じていなかった。更識さんがおろおろとした様子で、身をよじる私と調子にのる二人の間を交互に視線を行き来させるだけだった。

 私はうつぶせになってみたけれど、今度は足の裏を集中的に責められながら、うめき声をあげつつ時計を一瞥すると織斑と篠ノ之さんが戻ってくるまで三〇分もあった。刻限になれば足が回復しているはずだけれど、ずっと責め続けられては息も絶え絶えだった。しばらくして解放された私は崩れた髪に(くし)を入れながら、携帯端末を操作する更識さんを見た。どうやら時間を気にしているらしい。

 

「大丈夫だよ。あの二人は逃げたりしないよ」

 

 力づけるように声をかけても落ち着くわけがなかった。私とて思春期のまっただ中にいるわけだから、初恋の一つや二つぐらい経験している。憧れの先輩と口をきくだけでも胸が高鳴ったものだから、彼女の心中は推して知るべしだろう。

 更識さんから視線を外し、遊ぶのに飽きて真面目に教科書を開いている残り二人を見た。更識さんと違って、おしとやかさ、可憐(かれん)さというものが致命的に欠けている。ボーイッシュといえば聞こえは良いが男にちやほやされる要素は限りなく少ないように思えた。(ケイ)に限っては演技力があるから着飾ってしまえば淑女らしく振る舞う予感があった。

 

「時間だ」

 

 私は部屋の壁掛け時計を見上げて言った。

 後は食堂に行くだけだった。更識さんの方が緊張しているのだけれど、彼女の気持ちが伝染したのか胸が高鳴った。ふと思い返せば、いつもセシリア嬢たちと食事をとっていたので、織斑や篠ノ之さんと同席するのは初めてだった。

 食堂にやってきたけれど、確保を目論(もくろ)んでいた中央付近のテーブル席が他のグループに陣取られていたので、仕方なくしのぎんと余っていた四角いテーブルをくっつけ、八人掛け席を作って織斑たちを待った。

 食堂の入り口で織斑と篠ノ之さんを見かけたけれど、二人は定食コーナーに並んでいて長蛇の列にはまって身動きがとれなくなってしまった。もう少し待つ必要があった。トレーを置いて腰掛けた私は、当たり前のようにテーブルについたセシリア嬢を見て、正直な思いを口にしていた。

 

「何でセシリアさんたちがここにいるの?」

 

 セシリア嬢は優雅なしぐさで髪をかき上げると、強い意志を感じさせる青磁の瞳を向けてにっこりとしてから形の良い唇を開いた。

 

「あなたと一緒に食事をとろうと思って」

 

 私は口の端を少しだけ引いて笑みを作り、面はゆさに耐えきれずに赤面していた。反則だと思った。直接的な言い方をされてどのように返事をするべきか分からなくなり、口を開けたり閉じたりしながら、向かいの席に座ったしのぎんに助けを求めた。

 

「私は構わないぜ。人数が多い方が楽しいし」

 

 彼女はあっさりと言った。続いて更識さんを見ると、

 

「構いません……」

 

 と特に異論がない様子だった。

 セシリア嬢がいつにもましておしとやかにかつ自信満々に振る舞い、その隣で子犬ちゃんが上目遣いにじっと私を見つめてくるので、ため息をついてセシリア嬢たちの同席を認めた。

 

「いいよ。あの二人を入れたらちょうど八人だし」

「理解が早くて助かりますわ」

 

 それぞれの席は上座下座を気にすることなく適当に決めていた。私が一番左の席について、隣に子犬ちゃん、セシリア嬢、更識さんを配置した。向かいの席は(ケイ)、しのぎん、そして空席が二つ。一点だけ注意した。子犬ちゃんと更識さんを隣同士にするとお互い口数が少ないことから、あいさつだけして口ごもってしまいそうだったので、あえてセシリア嬢と更識さんを隣り合わせた。

 

「悪い。待たせた」

 

 ようやく長蛇の列から解放された織斑が席につきながら一言わびた。当初より人数が多くなってしまったが、織斑は一向に気にした様子はなく、むしろ大所帯になったことを喜んでいるように見えた。続いて篠ノ之さんが現れて、準備を整えた私たちを見て、最初話を通した時よりも人数が増えていたため二の足を踏んでいるように思えた。

 

「箒」

 

 織斑は笑顔のまま篠ノ之さんの姿を見つけると手を振って彼女の名を呼び、隣の席を引いてみせた。篠ノ之さんが戸惑うような表情を見せ、意を決して唇を一文字に結びテーブルの席を埋めた。

 

「待たせたようだな。すまなかった」

 

 更識さんの真正面に篠ノ之さんが座る形になって、目を合わせた二人は互いに目礼をしていた。

 

「篠ノ之さん。ごめんね。気がついたら大所帯になっちゃった」

 

 私が愛想笑いを浮かべながら篠ノ之さんに詫びを入れると、眉を潜めこそすれ仏頂面を崩して困った顔をしてみせた。隣の織斑はそれはもう上機嫌だったからか、食堂の視線を一身に集めていたことに本人が気付いた様子はなかった。

 

「みんな集まったことだし、ご飯さめちゃうから食べよっか」

 

 全員でいただきます、と手を合わせから食事に箸を付けた。

 私は茶道部の座禅会の疲れからおなかがすいていた。全員が小腹を満たしたところで、私は口火を切った。

 

「初めて顔を合わせた子もいるから自己紹介してもらうけど、構わないよね?」

 

 全員の顔を見回した。更識さんと篠ノ之さんは緊張した面持ちだったが、小さくうなずいたので同意したものと見なした。

 

「じゃあ、私から時計回りで」

 

 自己紹介しようと言い出したのは私だから最初に済ませてしまうことにした。そうは言ってもこの場にいる全員が私の名を知っているので名前と組と一言を添えた。

 次が(ケイ)で、相変わらず訳の分からない長ったらしい名前を言った。アイルランドから来た留学生だと一言添えていた。

 三番手がしのぎんだった。

 

「次は私な。二組の小柄(こづか)(しのぎ)。クラス代表になったから対抗戦で織斑君と当たるわ。そのときはお手柔らかに頼むよ」

 

 体育会系のノリで明るい口調だった。クラス代表と聞き織斑の目が輝いて、

 

「ああ、手加減しないぜ」

 

 と格好つけた。そして二人とも初心者なのでお互いにベストを尽くそうと笑いあった。

 

「織斑一夏だ。一組のクラス代表に選ばれたから対抗戦で会うかもな」

 

 織斑の次に篠ノ之さん。

 

「一組の篠ノ之箒だ。よろしく」

「よろしくなー」

 

 しのぎんが言った。屈託ない笑顔を向けられて篠ノ之さんは満更でもなさそうに頬をかいた。

 今度は更識さんの番だった。

 

「その節はありがとう……四組の……更識簪です……私もクラス代表だから……」

 

 更識さんの言葉にセシリア嬢が反応した。

 

「まあ。あなたが日本の」

「……代表候補生……」

 

 更識さんはそう言ってはにかんだ。

 セシリア嬢はにこやかに微笑んで言葉を続ける。

 

「噂はかねがね耳にしていました。もっと武骨な方だと勝手に思っていましたけれど、こんなかわいらしい女の子だとは意外な誤算でしたわ」

 

 更識さんは面と向かって「かわいい」と言われて驚いたのか下を向いて赤面していた。

 私は更識さんの評価としてありえない単語を耳にして、思わず彼女とセシリア嬢を見比べてしまった。セシリア嬢の口ぶりから言ってISでの戦い方のことを指していると思うのだけれど、武骨とまで言わせてしまう戦い方とはどんなものか興味がわいた。

 

「機会があれば一度お手合わせを願いますわ」

 

 セシリア嬢が同性の私が聞いても欲情してしまいそうな艶めいた声を出していた。

 篠ノ之さんはもちろん、しのぎんや(ケイ)、子犬ちゃんが胸の辺りをおさえてセシリア嬢を直視できないでいた。織斑だけは気付かなかったのか、篠ノ之さんの様子を不思議に思って瞬きするだけだった。

 

「わたくしの番ですわね。一組のセシリア・オルコット。英国の代表候補生ですわ。今回は目の前にいる一夏さんにクラス代表をお譲りしましたの」

 

 普段と変わらぬ口調で自信たっぷりに言った。

 続いて子犬ちゃんが消え入りそうな声で自己紹介していた。更識さんは一度子犬ちゃんから視線を外し、自分の胸を下からすくい上げるようなしぐさをしてから、顎をひき真下を向いて手のひらが半分以上見えていることを確かめ、何事もなかったように膝の上に両手を置いていた。

 私も初対面の時に同じことをやったので、今目にしたことをあえて言葉にするのは控え、残った食事を口に押し込んだ。

 

「なあセシリア。更識さんってすごいのか?」

 

 早速織斑が興味を示したのか、セシリア嬢に聞いた。私も少し興味があったのでスープをすすりながら聞き耳を立てる。

 

「噂にすぎませんけれどよろしくて?」

「それで頼む」

「立てば可憐、歩けば大艦巨砲。総火力重視のあなどれないやつ、という噂が飛び交っていましたわ」

 

 織斑がたどたどしく篠ノ之さんに話しかけようとする更識さんを見つめ、しばらくしてからもう一度セシリア嬢を見た。

 

「ガセじゃないのか?」

「伝聞ですから、噂に尾ひれはひれがついて原形を留めていないだけかもしれませんわ。一度()ってみれば明らかになること」

 

 もちろん勝つのはわたくしです、と付け足した。

 そのまま織斑は隣を見やるとお見合いのようなぎこちない様子に、やれやれ、とつぶやいてから二人に声をかけた。

 

「そういえばさ。箒は更識さんと知り合いみたいだけど、どこで知り合ったんだよ」

 

 篠ノ之さんは頬をかいて照れ隠ししながら、

 

「先日彼女が上級生に絡まれていてな」

 

 と恥ずかしそうに言ったので、織斑は驚いたように目を丸くした。

 

「本当かよ。IS学園でもそういうことってあるんだな」

「あの時は助かりました……」

 

 更識さんは頭を下げた。

 実際には原因不明の姉妹喧嘩だったけれど端から見たらカツアゲにしか見えなかった。生徒会長の名誉のためにも詳細は伏せておこう。

 更識さんは胸の前で両手の人差し指を合わせながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「実は……中学の時、私も剣道部でした……」

 

 剣道部と聞いて篠ノ之さんの目が輝いた。

 しのぎんが小さな声で、がんばれ、と応援している。

 

「去年の……全国大会で見かけて……私は応援しただけだったけど……」

 

 すると突然篠ノ之さんの表情が曇った。更識さんはうつむいていて、篠ノ之さんが一瞬だけ泣きそうな目をしたことに気付かないままゆっくりと言葉を続けていた。

 篠ノ之さんは相づちを打ちながら聞いていたけれど、私は彼女が見せた瞳の意味を理解していた。優勝したにもかかわらず、悔いを残したのだろうか。さすがに彼女が何を悔やんでいるのかまでは分からなかった。周囲の様子を注意深く観察したけれど、みんな更識さんを注視していて篠ノ之さんの異変に気付いた者はいなかった。

 

「それで……仲良くなりたくて……」

 

 更識さんが一度言葉を切ってから口を開いたけれど言葉になっていなかった。顔を上げて、周りを見てから言いにくそうに口を動かしている。

 

「だ?」

 

 微かに聞こえた。更識さんが泣きそうな表情に転じ、再び大きく息を吸ってから両目をつむって思いの丈を吐き出した。

 

「だ、大好きですっ」

 

 ほんの少し前までざわついていた食堂が沈黙に満たされた。全員が固まったように更識さんを凝視しているのがわかった。

 

「大好きなんですっ」

 

 更識さんは一度勢いづいた気持ちを止められず、もう一度力強くはっきりと言い放った。

 

「大好きか……へ?」

 

 織斑が間の抜けた声を出した。篠ノ之さんとの出会いの話をしていたのであり、愛の告白をするような流れではなかったので、状況に思考が追いついていないようだ。

 

「うわっ大胆……」

 

 しのぎんが目を輝かせながら興味津々な様子で身を乗り出していた。私も必死に頭を働かせながら状況を把握しようと努めた。見ようによっては更識さんが織斑に告白したと考えることができた。告白と言うのは通常異性に向けて行われる儀式だから、対象が織斑だとするのは間違っていないはずだった。

 誰かが口火を切った。食堂が騒然となった。周囲に耳を傾けると、あの子すごい、とか、先を越された、など四方八方から悲鳴じみた声が漏れ聞こえてきた。中にはわれわれを指さして、告白きた、と喜色ばむ者もいた。

 セシリア嬢に至っては突然立ち上がり、

 

「なんですの!」

 

 と親の敵を前にしたかのように憎々しげに声を荒げた。

 

「俺……告白された……?」

 

 織斑は思考力が回復してきたのか状況を把握しつつあった。初対面とはいえ女の子に面と向かって告白されて、さすがの織斑も照れくさそうに頬をかいていた。更識さんは女の私から見て、セシリア嬢が言うように可憐な少女なので、織斑の反応は妥当だったけれど、当然篠ノ之さんは面白くなく仏頂面で彼の頬をつねって、

 

「痛い。痛いって。落ち着いてくれ」

「落ち着いていられるか。貴様が鼻の下を伸ばして浮ついていたからだ」

 

 と嫉妬に燃えながらあからさまな八つ当たりをしていた。

 しかし、ようやく目を開けた更識さんは何度も深呼吸してから、覚悟を決めて篠ノ之さんを見つめ、

 

「……箒さんが……」

 

 と羞恥心から目が潤み赤面しながらうつむき、だから友だちになってくれませんか、と尻すぼみした小さな声でつぶやいたけれど、その声は大多数の耳に届くことはなかった。

 

「ええええ!」

 

 理由は聞き耳を立てていたと思われる周囲のテーブルから悲鳴のような驚きの声が上がったからだ。

 しのぎんと(ケイ)、そして織斑の三人は互いの顔を見つめ合い、上ずりながらも声を出して笑い合った。しばらくしてから更識さんの言葉を理解して同時に声を放っていた。

 

「そっちか!」

 

 セシリア嬢は一度沸点を超えた心がようやく落ち着いてきたのか、すとんと腰を落とし両手の指先を口に当て、放心したかのように目を見開いて更識さんを見つめ、驚いている事実を知覚したのか肩を小刻みに震わせながら耳まで真っ赤になっていた。隣で子犬ちゃんが誤解を解こうと制服の裾を引っ張っていたけれど、反応がなかった。どうやらセシリア嬢も友だちのくだりを聞いていなかったと分かり、私はため息をついた。

 更識さんは告白をして勇気がわいたのか、眼鏡を外して指の背で涙をぬぐい、

 

「求めました。だから……応えてくれますよね?」

 

 彼女にしては明瞭な発音で自信たっぷりに言って、真正面から篠ノ之さんの目を見つめて朗らかに笑った。

 篠ノ之さんは椅子に深く座り背筋を伸ばしたまま目を見開いていた。端から見れば、唇をまっすぐ引き結んで堂々と告白を受け止めたかのように見ることもできたけれど、よく観察すると目の焦点が合っていない。

 織斑は彼女と長く付き合っていただけあって素早く異変に気付いた。肩を揺すってみても反応がなかった。首が振り子のように左右に揺れ、手を離すと元に戻った。

 

「箒。おい、箒。なあってば、頼むから返事をしてくれ」

 

 織斑が激しく肩を揺すり続けたが、篠ノ之さんは返事をせず(しかばね)のように呆然としていた。

 

 

 

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