自分が何の為に生まれたのか、などと時折考えることがある。朝起きたとき、食事を終えたとき、厳しすぎる鍛錬を終えたとき。そして寝る前だ。そして、最終的に辿りつくのは。
……この状況、あまりにも厳しくない? ということだ。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ」
「…………もうバテたの? 情けない」
「ごめんなさい」
「これで何度目の謝罪かしら。本当に悪いと思っているなら結果で誠意を見せてもらわないと。違うかしら?」
「…………」
「沈黙は金、とでも言いたいのかしら。黙っていればそのうち終わるとか、そんな都合の良い考えじゃないわよね?」
「改善していきます」
「口だけならなんとでも言えるわね」
地面に両手をつき、ゲロを吐くのを必死に堪える。照りつける太陽が痛い。妖力全放出訓練3連続。あと一回やったら本当にゲロどころか白目剥いてぶったおれると思う。そうなっても容赦してくれるような相手ではない。だって人間じゃないから。
目の前で私を見下ろしているのは、有名同人STG『東方Project』に登場する、風見幽香という少女だ。そして、私の一応『親』に当る人物らしい。
気紛れにとある花へ強力な妖力を照射したところ、ポンと私が飛び出てきたということらしい。ぶっちゃけ意味が分からない。私はガチャポンか。たぶんコモンカード。私は激レアになりたい。
そもそも、『私』はいったいなんなのかが分からない。だってこの風見幽香という妖怪は、東方Projectのキャラなのだ。ゲームのキャラがどうして実在しているのかとか、なんで私はこの世界がゲームであることを知っているのだろうとか、私は一体何者なんだろうとか、疑問は腐るほど湧いてくる。
でも残念ながら、その疑問に答えてくれる人はいない。質問には一切お答えできません。某先生も言っていた。世界はそんなに甘くないのだ。だから嫌でもしがみついていくしかない。
「私の顔に何かついているのかしら。それとも、何か含むところでもあるの?」
「いいえ、全くありません」
「ふふ。言葉は素直なのに、発している殺気が凄まじいわよ。その威圧感だけなら、大妖怪にも引けをとらないでしょうね。本当、不愉快な子」
幽香は上機嫌に笑うと、私の胸元を掴みあげて近くを流れる小川へと放り投げた。当然受身も取れず、砂利底にしこたま顔を打ち付けてしまう。痛いし鼻血が出る。それでも我慢してすぐに立ち上がる。のんびりしていたら追撃がくる。冗談ではなく、本当に妖力波をぶつけてくるので洒落にならないのだ。
「汚れを落としてから戻ってきなさい。私の家を少しでも汚したら殺すわよ」
「はい、分かりました」
ここで学んだ処世術。反論しない。抵抗しない。余計なことを喋らない。この三つを守れば、取りあえず生きていく事はできるのだった。悲しすぎる妖怪人生だが、今は我慢するしかない。いつか覚えていろよと、弱者の思考に身を任せて。
◆
悪魔のような妖怪が立ち去った後、しばらくその場で様子を見る。ふーっと息を吐いた瞬間に、背後から襲撃されたことがある。油断してはならない。悪魔か鬼に、綺麗な皮を貼り付けたのが風見幽香なのだから。
……一分経った。もう大丈夫だろう。地面に座り込み、空を見上げる。本当に疲れた。こんなことを一体どれくらいやってきたのだったか。
意識が芽生えてからというもの、格闘術、妖術の基礎、応用を徹底的に死ぬ寸前まで毎日毎日叩き込まれている。多分、10年間ぐらい。つまり、今の『私』の年齢も10歳ということになる。
生まれてすぐのことは良く覚えていない。きっと碌でもない日々だったに決まっている。あの幽香が、赤子の育児などするはずがないのだ。気紛れに餌を撒いていたら、勝手に育ってしまったぐらいが真相に違いない。
「…………」
ほろりと涙がでそうになる。生まれたときから修羅の道。背中に悪一文字でも背負ってしまいそう。包帯全身に纏ったイケメンが助けに来てくれないかと祈ってみたが効果はなかった。
ちなみに、悪魔から貰った名前は燐香。風見燐香。苗字は言うに及ばずだが、名前もどことなく不吉である。なんだか線香の臭いが漂うではないか。
不吉な理由は考えるまでもない。私はよりにもよって彼岸花から誕生してしまったのだ。生まれながらに十字架を背負っている気がするのは、多分気のせいではない。だって親が悪魔なんだから。そして地獄花とも称される彼岸花の妖怪。――満貫だ。
そして幽香が、私のことを気に入らない理由の、最有力候補と予測しているのが、容姿である。簡単にいうと、幽香を縮めて髪を赤くしたのが私だ。いわゆる2Pカラー。プチッと蟻のように殺されないだけでもマシなのかもしれない。でも、お前が作り出したのだろうと、こちらも文句を言いたいところだ。似ていて良いことなんて一つもないし。でも言わない。言ったら本当に殺されてしまう。
涙が滝のように零れそうになったので、目元を拭う。精神がまだ成長しきっていないせいか、感情の変化が激しい。思考は冷静なつもりなのに。
小さく溜息を吐く。
もっと心優しい人のもとで誕生したかった。だって東方世界ってもっとキャッキャウフフしているものじゃないのだろうか。どうして修羅の世界並に修行しなければならないのか、理解不能だ。そのためのスペルカードルールなのに。私も命の危険がない弾幕ごっこがしたい。
「…………ふぅ。心頭滅却心頭滅却」
心を落ち着かせながら、妖力で保護されている札を懐から取り出す。幽香に隠れてこっそり作成したスペルカードである。
いつか来る……来て欲しい弾幕勝負に向けて、準備だけは万端なのだ。得意気にカードを取り出して、スペル宣言したい。こっそり練習しているのだが、やっぱり声を大にしてやりたいではないか。
「まだまだ我慢しないと駄目。バレたら、殺される」
万端なのは良いのだが、この幻想郷であろう場所が、どういう状況なのかがさっぱり分からない。既にスペルカードルールが定着しているのか、もう異変の数々が起きているのか、全くの不明だ。ぶっちゃけて言うと、話したことがある相手というのは、幽香しかいない。なんということでしょう。
幽香自慢の花畑には妖精もそこそこいるのだが、私が近づくと一斉にいなくなってしまう。見覚えのある虫の妖怪がやってきたこともあったので、挨拶しようとしたら一目散に逃げていってしまった。多分リグル・ナイトバグだと思うのだが、はっきりとは確認できなかった。悲しすぎる。
たまに空間に裂け目ができて、こちらを覗いている妖怪と目が遭うこともある。会釈をしたら、怪訝な顔をしてすぐに裂け目は消えてしまった。はっきりとは見えなかったが多分八雲紫だと思う。なにしろ、私はイレギュラーなのだから、監視対象になっていてもおかしくはない。
声ぐらいかけてくれればいいのにと本当に残念に思う。今の私はとにかく話し相手が欲しいのだ。壁に向かって話しだす前に、なんとかしなくてはならない。むしろ狂人のフリをしたら解放してくれるだろうか。……多分ここぞとばかりに始末される。
「自分の力でなんとかするしかない。頼れるのは自分だけ」
意を決して立ち上がり、グッと拳を握る。このままではいけない。このままではいずれ修羅の道に進むしかなくなってしまう。そう、引かぬ媚びぬ省みぬの人のように、愛などいらぬと叫ぶような妖怪になってしまう。
私が目指すのは、もっと穏やかで笑顔溢れる妖怪道。血生臭い世界なんて、心からごめんなのである。
◆
「…………」
「…………」
沈黙が痛い。これが10年間延々と続いてきた沈黙の食事風景だ。素敵すぎる。葬式の後のようである。
別に食事などとらなくても妖怪は生きていけるのだが、幽香は育てた野菜や暇つぶしに捕獲した獣などを使って食事を作る。一つの趣味なのだろう。聞いたことはない。余計な事を聞くと怒られる。
最初の最初は意思疎通を試みたこともある。笑顔でフレンドリーに。大抵は無視されるか、うるさいと一蹴される。ひどいときは、首ねっこを掴まれて外へと放り出される。まさに悪魔である。心が折れたので、挑戦することはなくなった。
ある日、幽香が外出したのでこれ幸いと脱走しようとしたら、即効で掴まり酷い目に合いました。なんで分かったのだろうか。せめて待遇を改善しろとガツンと言おうと思ったが、グッと堪えた。目が反抗的だと額に頭突きを頂いた。いつか殺してやると思ったけど無理なので諦めた。
しかし、なんだかんだと言って来たが、ちゃんと生活させてもらっている弱みがある。鍛錬してくれるし、食事もくれるし、寝る場所も提供してもらっている。多分ただの気紛れなのだろうが。そのうちプチっと潰されてしまいそうなのが怖い。
妖怪の本分を露わにして、やられる前にやってみるかとちょっとだけ野心を抱いたこともある。しかし、何度シミュレーションしても勝つことはなかった。出来る限り自分に有利な状況を想定しても、あの悪魔はその上を行く。よって、手を出さないのが賢明である。やるなら命を懸けなければならない。
とにかく、次の異変……があるのかは知らないが、その時が勝負である。密かに習得した技術を駆使してこの地獄から逃げ出し、自由を取り戻すのだ。そう、自由がなければ生きている意味などないのだから! 自由万歳!
「随分と楽しそうな顔をしているじゃない。何か良い事でもあったのかしら」
「いいえ、全くありません」
「ふふふ。なんだか、覚悟を決めたような表情をしているけれど。もしかして、私の寝込みを襲おうとか考えていたの?」
「いいえ」
「また逃げようと考えていたのね」
「いいえ!」
「お前の考えてる事ぐらい、手に取るように分かるのよ。あまり舐めないようにね」
違う違うとぶんぶんと首を横に振る。考えていることが完全に読まれている。本当に悪魔かお前は! と声を上げそうになる。震える手で香草を摘もうとするが、上手くいかない。ビビッてしまっている。恐ろしい威圧感。
「あらあら、口元が汚れているわよ。――動くな」
視線が強引に合わされる。幽香の目が怪しく光る。体の震えが止まる。幽香がハンカチを取り出し、私の口元を乱暴に拭う。しばらくすると気が済んだらしく、ようやく硬直が解かれる。原理は分からないが、なんらかの妖術を使ったのだろう。実に恐ろしい。
「ありがとうございます」
「いいのよ。だって、私達は親子でしょう」
「…………」
はい、と返すか、愛想笑いを浮かべるか僅かに逡巡してしまった。はい、と返せば、図に乗るな糞餓鬼と殴られそうであり、愛想笑いを浮かべれば、ご機嫌取りなんていつ教えたのかしらと、横っ面を引っ叩かれそうである。その結果、無言という最悪の選択をしてしまったわけである。
「…………」
「…………」
カチャカチャと、食器にナイフが当る音だけが室内に響く。――沈黙が痛かった。