ゆうかりんか   作:かしこみ巫女

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第四十六話 不揃いの大人たち

 ――博麗神社境内。いきなり現れた白い霧に、宴会に参加していた面々は一斉に騒ぎ始める。だが、紫が宴会の余興であると告げると、動揺は戦いを楽しむ歓声へと変わっていった。基本的にノリが良い連中なので扱いやすいのだ。

 伊吹萃香と五人の人妖との戦いは、紫がスキマから取り出した数枚の大鏡により観戦できるようにしてある。

 紫は、レミリア、幽々子と共に戦いの行方を眺める事にした。とりあえず、彼女達の文句は聞いてやらなければならない。

 

「おい紫。こんな余興が行なわれるなんて、私は聞いてないぞ。全てお前の仕業だろう、ちゃんと説明しろ!」

「だってサプライズだもの。先に教えたら台無しじゃない」

「ふざけるな! 私の可愛い咲夜に万一があったらどうしてくれる! ――って、危ない! あのチビ鬼、全然加減してないじゃないか! おいぶっ殺すぞ!」

 

 顔を真っ赤にしたレミリアの表情が目まぐるしく変わる。だが、理性は保っているようだ。いきなり槍をぶん投げられる事態にならなかったことにほっとする。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。貴方自慢の従者なんでしょう? ほら、ちゃんと応援してあげなさいな。鬼をやっつけたら、それはもう皆に自慢できますわ」

「後で覚えておけよこのスキマ婆! おい、何をしているメイド妖精隊、ちゃんと声援を送れ! 咲夜に友情パワーを送れ!」

 

 友情パワーってなんだろうと紫は思ったが、聞くのはやめておいた。絡むと面倒くさそうだから。

 

『メイド長頑張れー』

『メイド長ふぁいとー』

「ええい、声が小さい!! そんなことで咲夜に力を送れるか!」

 

 料理準備などのために引き連れていた紅魔館メイド妖精隊が、全く統率の取れていない声援を送り出す。これが現場に聞こえていたらさぞかし脱力することだろう。いずれにせよ、レミリアはこれでよし。意外と楽しんでいるのかもしれない。

 

「本当にノリが良くて助かるわねぇ。さぁ、幽々子もちゃんと応ひぇんひょ――」

「あら、何かしら紫。全然聞こえないわね。ちゃんと、分かるように話してくれるかしら」

「ひ、ひたひっ!」

「勝手な真似をした罰は喜んで受けます、ですって? 中々良い覚悟ねぇ。宜しい、今日は本気で行くわよ」

 

 ニコリと笑うと、幽々子は紫の頬を爪で摘み上げ、これでもかと捻ってくる。本当に痛い。なんか妖力みたいなのが加わってるし。

 

「死ぬ程痛いじゃない! 何するのよ!」

「何って。悪戯者にお仕置きしてるだけよ」

「ちゃんと前もって謝っておいたじゃないの。迷惑かけるかもって! それなのにひどいわ!」

「私は許すなんて一言も言ってないわよ。大体、妖夢に鬼をあてがうなんて何を考えているの。貴方、馬鹿じゃないの」

 

 まずい。これはマジで怒ってる。言葉に猛毒が混じっているときの幽々子は凄く怖いのである。なんだか危険な蝶が周囲を舞いだしてるし。幽々子がキレたところは見たことはないが、蝶の数が怒り度合いを示しているのだけは分かっている。

 

「お、落ち着いて幽々子。話せば分かるわ。ね? だから蝶を展開するのは止めて」

「聞こえないわね。亡霊になると耳が遠くなるみたいで」

 

 本当に都合の良い耳だが、今は弁解が先である。

 

「それにあの子達だって皆で協力すれば、多分勝てるわよ。だって私の霊夢がいるんですもの。あ、勿論妖夢たちと協力すればってことよ?」

「……それで、貴方はどのくらいの勝率と考えているの」

「そうねぇ。贔屓目に見て二割くらいかしら。だって相手はあの萃香だものねぇ」

「やっぱり許さないわ。一回死んで反省してきなさい」

 

 幽々子が再び力を篭め始める。この親友は、意外と根に持つ方だ。しかも死んでるから、怒りもかなりの時間持続する。収まるどころか、むしろ倍増する。だから、ここでしっかり謝っておかないと、忘れた頃にひどい仕返しをされる。ほら、また蝶の数が増えてるし。

 

「本当に大丈夫だから落ち着いて。不測の事態に備えて、藍と橙もあそこに配置してあるから。できる女の紫ちゃんは、あらゆることに考えを巡らせちゃうから。心配無用よ」

 

 外の世界でいうカメラマン役を藍と橙は担当している。萃香が限度を超えて何かをやらかしたら、即座に阻止しろと命じてある。最悪の場合は、紫が出張るつもりでいる。

 

「…………」

「それに、勝っても負けても良い経験になるのは間違いないわ。だって鬼と戦える機会なんて中々ないもの。そうでしょう? 妖夢にも貴重な経験をさせてあげようと思っただけなのよ。そう、全部良かれと思って!」

「……本当にしょうがないわねぇ、貴方は」

 

 幽々子が溜息を吐いた後、苦笑した。ようやく許してくれる気になったらしい。

 

「だって、萃香ったら絶対にやるって言って聞かないんだもの。場所を用意しないなら、勝手に暴れてやるとか脅してくるし。もう、なんで私だけがこんな目に」

「元はと言えば、馬鹿なことを企画した貴方のせいでしょ。全部身から出た錆じゃない」

 

 鋭い指摘にぐぅの音もでない。面白そうだから企画しただけで、ここまで大事になる予定ではなかった。皆で子供達の成長を見届けたいなぁという気持ちだけだったのだ。

 

「……そ、それはそうかもしれないけど」

「まぁいいわ。私も妖夢を応援しなくちゃいけないし。貴方は、他にやることがあるんでしょうから」

「え?」

「貴方へのお仕置きは、これから来る妖怪さんにお願いしましょう。皆、少し下がった方が良いわよ」

 

 幽々子が周囲の妖怪や妖精たちに声をかけ、少し離れるように指示を出している。幽々子は、この後何が起こるか既に予測済みのようだ。

 

「……はぁ。気が乗らないけど、やるしかないかしらねぇ。ここに恐ろしい速度で向かって来てるし。はいはい、皆ちょっと離れててね。今からヤバイの呼ぶわよ。巻き添え食わないようにしなさい!」

 

 警告を与えた後、大きく深呼吸して、えいっとスキマを展開する。

 

「――げっ」

 

 轟音と共に眩い光が迸る。挨拶代わりとばかりに、極大妖力光線が開いたスキマからぶっ飛んできた。直撃寸前で素早く側転して回避。服が汚れたけど気にしていられる状況ではない。素早い動きもやればできるのだ。普段はやらないだけで。

 

「お、恐ろしいわねぇ。大人なんだから、少しは加減をしなさいな」

 

 妖力光線は夜空に向かって轟音をあげながら飛んでいった。直撃したら洒落にならない威力である。

 体勢を立て直したら、目の前には幽香が仁王の姿勢で立っていた。目が凄く黒い。だって白目がないし。顔面には血管が浮き出て、もう阿修羅って感じだった。私は超激怒していますと顔が言っている。鬼よりも鬼っぽい。

 

「……また、お前の仕業か」

 

 両手を前に垂らし、ゆらりゆらりと幽鬼みたいに一歩ずつ近づいてくる。幽香暴走モードの戦闘スタイルはこれ。優雅とかそういうのを怒りで忘れると、こうなるのだ。戦法はシンプルで、近づいて全力の物理攻撃。それだけ。

 

「――怖っ」

 

 この幽香を見るのは久々だ。何年ぶりだろう。間違っても正面から受け止めては駄目だ。絡め取られて、悲惨な接近戦を強制されてしまう。一度まともにやって懲りている。

 しかし、どのタイミングで飛び掛ってくるかさっぱり読めない。口からはなんか白い吐息というか、闘気みたいなのが出てるし。怒気と気迫が具現化しているとでも言うのか。病み上がりのはずなのに、全然弱ってなさそうだった。

 

「ゆ、幽香、落ち着いて話しましょう。ね? これはちょっとした手違いで」

「あの子に手を出したら、どうなるか。私が言ったことを覚えている? 頭が悪いからこういうことをするのよね? どういう構造をしているのか、その頭の中を直接見てやるわ」

「ちょ、ちょっと待って。こんなところで本気で暴れたら、神社が――」

「問答無用。脳漿をぶちまけろ」

 

 淡々と告げると、幽香の身体が動いた。踏み蹴った石床が粉々に砕けている。普段からは想像出来ない速度で肉薄してくると、両手の振り下ろし。スキマで受け止めると、身体を捻って上段回し蹴りを放って来る。なんかギュインと嫌な音がした。こんなもの頭蓋に受けたら、マジで夏のスイカ割り状態になってしまう。スキマから大量の触手を出して緩衝材とし、そのまま拘束を狙う。――しかし。

 

「鬱陶しい!! 消えうせろッ!」

 

 幽香が一喝すると、触手が一瞬で霧散した。追撃とばかりにスキマ目掛けて妖力光線を放つ幽香。凄まじい破壊力を秘めた“それ”が内部で炸裂し、紫が暇つぶしに育てていた防御用触手は全滅。あまりのできごとに、思わず唖然としてしまった。

 こんなことはありえない。気合で掻き消したとでも言うのか。でも実際に消えているし。なにそれずるい、というか本当にやばい。

 

「……嘘でしょ。なんて出鱈目なのよ」

「次はお前よ」

「今日のメインイベントは私たちの戦いじゃないの。少しは空気を読みなさいよ」

 

 負ける気はないけど、ここで本気でやりあったら神社が確実に壊れてしまう。そうなると結界に影響がでてしまう。それは避けなければならない。幻想郷は紫にとって掛け替えのない大事な世界なのだから。

 近くにいた妖怪は悲鳴をあげながら腰を抜かして逃げていく。逃げたいのはこっちだと、紫は心の中で愚痴を零す。一体誰のせいか。……大体自分のせいだった。

 

「お祈りは済ませたかしら。神社だから丁度良かったわね」

「い、嫌よ。私は無宗教だもの。私には祈る相手なんていないのよ」

「そう。どうやら済ませたみたいね」

「ちょっとは私の話を聞きなさいよ。会話のキャッチボールをしましょう? ね?」

「どちらかが塵になるまでのデスマッチでいいのよね」

「だから、私の話を聞きなさい!」

 

 スキマでこの幽鬼をどこかへ連れていきたいところだが、なんだか上手く行かない気がする。スキマを掴んで破壊ぐらいやりかねないほどの怒気だ。実際にやられたことがあるので、洒落にならない。

 かなり昔に本気でやりあった時、スキマが出現する場所を先読みしてこの幽鬼は握りつぶしやがったのだ。それ以来、紫は幽香に一目置くようになっている。幽々子の死に誘う能力も理解出来ないが、幽香のでたらめさも同じようなもの。警戒に値する。

 それはそれとして。本当にどうしようか。ここは執着の対象を変えなければまずい。……そうだ、丁度良い対象があるじゃないか。

 わざとらしく大声をあげ、紫は素早く大鏡を指さした。

 

「そうだ! 幽香、貴方大事なことを忘れているわよ!」

「……あ?」

「私達が戦ってる間にも、鬼との戦いは進んでるのよ? ねぇ、見なくて良いの? 私は見たほうがいいと思うんだけど。そうでしょ? 母親の貴方が、娘の戦いを見なくてどうするの!」

「…………」

「貴方の為に、特等席と美味しいお酒も用意したのよ。ほらほら、一緒に観戦しましょうよ。貴方が見ていれば、燐香ちゃんも百人力よ! ね?」

 

 幽香の動きが止まる。少しだけ理性が戻ったようだ。目が普通に戻り、やばいことになっていた表情も元に戻る。

 呑気に状況を眺めていた幽々子が、幽香に話しかける。

 

「まぁまぁ。気持ちは分かるけど、落ち着いて幽香。あの鏡で中の状況を見れるみたいなのよ。紫へのお仕置きは後にして、一緒に見ましょう。本当に危なくなったら、私たちが助けに行かなくちゃいけないでしょう」

「…………ふん」

 

 ナイスフォローと紫がこっそり親指をあげるが、幽々子はぷいと首を横に向けてしまった。可愛いけれど、歳を考えた方が良い。お互いもう若くないのだから。

 

「今のは全部余興だから、気にしないように。特に天狗、記事にしたらとんでもないことになるわよ。胴体とさよならしたいなら遠慮はいらないけどねぇ」

「そんなご無体な! 記者を脅迫するなんて賢者にあるまじきことですよ! 言論弾圧反対です!」

 

 先ほどからこっそり撮影しまくっていた射命丸文に釘を刺す。あんな情けないザマを記事にされては沽券に関わる。

 

「ゴシップ専門の出歯亀記者がうるさいわね。大人しくすっこんでなさいな。さーて、私も霊夢の晴れ姿を観戦しなくちゃ!」

 

 幽々子達の下へと駆け寄り、そそくさと座る。一発殴られるくらいは覚悟してたけど、無傷で済んだので万々歳だ。紫はほくそ笑みたくなったが、必死に堪える。これでようやく愛しの霊夢の晴れ姿に集中できるというものだ。

 

 まずは萃香が生じさせた分身との一対一の勝負のようだ。これに勝てないようでは話にならぬという、鬼の試験のようなものか。

 

「流石は霊夢。私が見込んだだけのことはあるわ。後で良い子良い子してあげましょう」

 

 博麗霊夢は圧倒的優勢だ。攻撃を全て回避し、接近しては強烈な針の連射を食らわしている。流石の萃香といえども、あの分身では霊夢には勝てない。そんなに甘い教育を施したつもりはない。思わず鼻が高くなる。

 

「そこよ妖夢! 相手に休む暇を与えちゃだめよ! 速度を活かして手数で翻弄しなさい!」

 

 なんだかんだで熱くなっている幽々子。その姿は母親そのものである。ほっこりと眺めていたら、ジト目で睨まれたので視線を逸らす。霊夢とまではいかないが、幽々子は勘が良いのだ。

 魂魄妖夢は霊夢ほどではないが優勢だ。チビ鬼の攻撃を刀で受け流し、二刀を上手く駆ってさばいている。精神的にやや脆い点があるが、開き直ると強いタイプ。相手が鬼ということで、全力でいくしかないと腹を括ったのだろう。相性的にも悪くない。

 

「あーもう! あのナイフは鬼に効きがイマイチだな! おいパチェ! 超合金ナイフを今すぐ練成しろ! そして渡しにいけ! ハリーハリーハリー!」

「いきなり無茶を言わないで、レミィ。そんな素材ここにはないし、あの隔離空間に行くには場所を特定しないと無理よ。三時間くれればなんとかしてみせるけど」

「それじゃあ遅すぎる! ああ、引き篭もりはやっぱり使えないね! くそっ、私が行けば一撃でぶっ殺してやるのに!」

 

 レミリアが地団太を踏みながら酒をラッパ飲み。罵倒されたパチュリー・ノーレッジはノートと羽ペンを取り出して何かを記し始めている。

 

「レミィに『引き篭もりはやっぱり使えない』と言われた、と。ふふ、10年後に覚えておきなさい。私は絶対に忘れないから」

「またそんなノートを作っているのか! この前燃やしてやったのに! いい加減そういう根暗な行動をやめろ、この引き篭もり陰険魔女が!」

「根暗、引き篭もり、陰険魔女と言われた上に逆ギレされた、と。今日は書く事が一杯ね」

「だから書くのを止めろおッ!」

 

 本当に愉快なやりとりだった。それはともかくとして、レミリアの言葉通り十六夜咲夜はやや劣勢だ。時を止めて、ナイフで攻撃を仕掛けているのだが、鬼の身体には効果が薄い。弾幕勝負なら、圧倒しているのだろうが、これは純粋な力比べだ。肉体、もしくは精神にダメージを食らわせなければならない。段々と息も荒くなってきているようだ。少し厳しいかもしれない。

 

(……そして、特別ゲストは、と。本当に面倒くさがりだからねぇ)

 

 少し離れた場所に設けられた席を見る。誰も居ないござの上に、お酒と料理が並んでいる。彼女がそこにいるかどうかは分からない。能力を使えば分かるが、それは無粋というもの。

 だが、多分来ていると思う。そのためにスキマを使って空間を繋げたのだから。きっといるはずだ。紫は静かに微笑むと、視線を鏡に戻す。

 

 霧雨魔理沙は完全に押されている。そもそも、彼女は魔法が使えるだけの普通の人間なのだ。鬼の相手をするには荷が勝ちすぎる。だが、そんな相手でも怯まずに向かっていく姿は美しいし好ましい。――しかし、戦っている場所が悪すぎた。

 魔理沙の長所でもあり命綱たる機動力が、周囲を覆う白霧により完全に殺されてしまっている。自然と鬼との距離は近くなり、得意の高火力魔法もいまいち冴えがない。鬼の攻撃を一度でも喰らえばノックアウトされてしまうのが分かっているのだろう。回避に専念するばかりで、体力、魔力の消耗も激しそうだ。

 

「少し厳しかったかしらね。かわいそうなことをしたわ。ねぇ、そう思わないって、誰も聞いてないし」

 

 幽々子、レミリア、幽香、三人とも全く人の話を聞いていない。かじりつくように鏡に見入っている。

 

「……あの馬鹿、また小細工を。本当に学習能力のない。……どうしてそこで攻撃を叩き込まないッ。小鬼の一匹や二匹軽く捻り潰せ!」

 

 幽香が一人でブチ切れている。本人は小声のつもりらしいが丸聞こえである。無理難題にしか思えないが、幽香としては本気なのだろう。自分を超えさせる為に徹底的な訓練を施しているのだから。不器用で馬鹿なやつだと紫は溜息を吐く。

 

(消滅するのが運命なら、たとえ短くても幸せに過ごせば良いものを。いつまで苦しむつもりなのかしら)

 

 紫は長い生の中で、何度も別れを体験してきた。いずれは霊夢も死ぬだろう。だから、今この時間を大切にする。記憶は永遠だ。紫は絶対に忘れることはない。だから毎日楽しく生きていく事が出来る。

 それに引き換え、苦痛と悲嘆に耐えながら過ごしているのが幽香だ。憎まれ続けてでも、共に過ごす時間を増やしたいのか。本人は絶対にそんなことを認めないだろうし、口にも出さないだろうが。

 

 

 ……燐香と幽香に残された時間はあとどれくらいだろうか。観察した限り、現状を維持し続けるのは相当難しいように思える。一度入った皹は元には戻らないのだ。それに今年は“60年目”。幽香も気付いているはずだ。だから、焦っている。

 幽香が頼ってきたら、選択肢は一応提供することができる。燐香の消滅だけは回避できるだろう。幸福な暮らしとは程遠いだろうが。

 手段は簡単だ。燐香をどこぞの空間に隔離し、地獄の様な苦痛を機械的に与え続けてやれば良い。正しい選択とはとても思えないが、存在を残すことはできる。幽香ももう苦しむ事はない。憎悪の対象を変更してやるからだ。全てを実行するのはこの八雲紫である。憎まれ役は慣れているから別に構わない。会いたくなったら、外から眺めるぐらいは可能だ。

 

(まぁ、天地がひっくり返ってもないでしょうけど。むしろこんなこと話したら即座に殺し合いになりそうだし。……現状では、幽々子の案に乗るのが最善でしょうねぇ。納得できるかは別として)

 

 その幽香だが、気迫があまりに凄まじいので誰も近寄ろうとはしない。紫も近づくのは当然やめておく。ウサ晴らしにといきなり殴られかねない。あまり激怒させると、気合であの場所までの道を作りそうなのが恐ろしい。

 

 今気づいたが、幽香は首筋を隠すようにセーターを着用している。どうやら、傷はまだ癒えておらず、さらに傷ついたことを隠したいようだ。間違いなく、娘の燐香のためだろう。憎まれなければならないが、罪悪感は植えつけたくないのか。いじましい親心である。お願いしてくれば色々と手伝ってやるのだが、本人にその気がないのだから仕方がない。あの二人については、もう少しだけ様子を見ることにしよう。良い方向に向かう可能性もゼロではない。

 

 幽香の見ている鏡には、へっぴり腰で震えている燐香の姿が映し出されている。幽香と瓜二つなので、その姿には違和感しかない。しかし、彼女の奥底には恐るべき黒い感情が渦巻いている。それが暴れだしたら、すぐに止めに入る必要がある。

 だから、紫は本当はこの催しを中止したかったのだ。だが、萃香は止めろといって聞く性格ではない。素直に事情を話したら、むしろ春雪異変での変貌を、再現させようとする可能性がある。鬼とはそういう種族なのだ。

 

「……?」

 

 しばらく幽香が見ている鏡を覗いていたのだが、どうにも戦況に変化がみられない。チビ萃香の身体は、奇怪な植物のツタでぐるぐる巻きにされている。苦しそうな気配がないところから、絞め殺すだけの力はないようだ。その正面には、毒液を噴射しつづけている巨大な食虫植物。そして、燐香自身は赤と青の呪霧をひたすら撒き散らしている。長期戦で、じわじわと削っていく戦法のようだ。

 しかし、あれでは決着はつかないだろう。分身とはいえ、鬼は鬼。毒によるダメージなど、鬼の再生力の前には全くの無力なのだ。

 と、当の燐香はチラチラと霊夢たちの姿を気にしている。なるほど、自分は引き分け狙いで、決着をつけた霊夢たちの援護を待とうという作戦か。堅実で悪くはないのだが、果たしてそれを萃香が許すだろうか。

 

「…………ッ!!」

 

 幽香が無言で杯を握りつぶした。握りつぶした手が、怒りで震えている。姑息な人任せの作戦だということに気がついてしまったようだ。もしくは、愛娘に手を出そうとする鬼への怒りが限度を超えたのか。多分その両方だろう。面倒くさい奴なのだ。娘の性質同様に。

 幽香は歯軋りしながら、静かに怒気を露わにしている。本当に難儀なことだ。紫は絶対に近づかないようにしようと心に決める。遠くにいた虫の妖怪は、泡を吹いて気絶してしまった。かわいそうに。

 

「教育ママは本当に恐ろしいわねぇ。まぁ、なんにせよ、私の霊夢が一番ってことなんだけど。ふふ、当然の結果よねぇ。他の皆には悪いけど、美味しいところは霊夢が全部頂きね。鬼を倒すのは私の霊夢ちゃんに決まりっ!」

 

 紫はここまでの戦闘経過について、概ね満足した。ちょっとしたトラブルはあったわけだが、何も問題はない。このままいけば全てが上手くおさまることだろう。少し安心した紫は、酒を取ろうと手を伸ばす。杯に酒を注ごうとした瞬間、横から凄まじい圧力を感じた。ふと横を見ると、瓶が視界に飛び込んでくる。

 

「……さ、酒瓶!? 一体何事なのよ!」

 

 轟と唸りをあげてぶっ飛んできた。慌てて手でかばったので直撃だけは避けたが、瓶は割れて全身見事に酒濡れである。

 誰の仕業かと思ったら、幽香が怒りのあまり投げつけてきたらしい。紫の顔目掛けて正確に。多分無意識なのが余計に腹立たしい。こちらへの殺気を全く感じなかったから、本当にたまたま当ってしまっただけだ。

 当の幽香は謝りもせず、新しい一升瓶を掴みそのまま豪快に飲み始めている。どこの酔っ払いだ。

 

「……あの向日葵女。いつかけちょんけちょんにしてやるわ。覚えておきなさいよ」

 

 スキマから手拭を取り出し、顔を拭き、気を取り直して酒を飲む。さて、どういう結果になるか。できれば、霊夢の一人勝ちが良いなぁと思いながら、紫は幽々子にちょっかいを出すために近づく事にした。

 ――鬼と子供達の戦いは、まだまだ始まったばかりである。

 




ふぞろいの林檎とは全く関係ない話!

初号機暴走モードみたいなイメージ。
暴走時の戦闘スタイルは親譲りだったのでした。

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