ゆうかりんか   作:かしこみ巫女

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ちょっと長いです。
ちょっとシリアスです。
ちょっとバトルです。
ちょっとはじけてます。


第六話 黒い彼岸花

 のどかな鳥のさえずりが聞こえてくる。どうやらもう朝のようだ。なにやら良い匂いがする。もしかしてアリスが私のために朝食を作ってくれているのでは。気分がルンルンしてきたのでテンションが思わず上がる。

 柔らかい布団に包まったまま大きく伸びをして、意気揚々と目を開ける。

 

「あれれー?」

「おはよう」

 

 

 見覚えのある悪魔が私を見つめている。私の魂を喰らってやろうと、ジッと覗き込んでいる。見詰め合ったまま数秒経過。

 

「…………」

「挨拶の仕方を忘れたの? 目覚めの一撃が必要かしら」

「おはようございます。目覚める世界を間違えました。すぐに帰るので気にしないでください」

「何も間違っていない。それにしても、随分と気持ち良さそうに寝ていたわね。そんなに楽しかった?」

 

 風見幽香の声がする。こんなことはありえないし認められない。一体どうなっているんだ。

 記憶が確かならば、確か私はアリスの家に一泊させてもらっていたはず。今の状況は有り得ない。ということは、これは夢の中ということだ。そうと分かれば安らかな眠りにつけるというものだ。

 

 

「なんだ夢かー。よかったー! それじゃあお休みなさい」

 

 棒読みで良かったーと呟き、固く目を瞑る。絶対に目を開けてはならない。見たら石化するか、塩の柱になってしまう。

 何故だか分からないが手が滅茶苦茶震える。悪魔の凶悪な視線を感じる。なんたる威圧感だ! 

 それから逃れるように布団を顔まで覆おうとしたところ、一気に剥ぎ取られてしまった。

 

 

「3秒以内に起きろ。3、2、1――」

「すぐに起きます!」

 

 死の宣告を掛けられたので、パッと目を開けてベッドから飛び起きる。

 我が家には地獄の3秒ルールが存在する。私がたまに勇気を持って反論した場合、優しい幽香は3秒の猶予を与えてくれる。その時間内に行動を改めなければ報いを受けるという仕組み。勿論反論は受け入れられない。3秒ルールって恐ろしいなぁ。

 憂鬱な気分に浸りながら周囲を見渡す。見覚えのある室内だ。奇妙なことに、太陽の畑にある風見家に間違いなかった。そしてここは殺風景な私の部屋である。

 

 

「朝食は作ってある。食べたらすぐにいつもの場所に来なさい。今日は遅れを取り戻すために徹底的にやるから」

「……はい」

「何か不満があるの?」

「全くありません!」

 

 尋ねておきながら質問を一切受け付けない険しい表情。YES以外発言を許さないと目が言っている。壊れた首振り人形のごとく縦にぶんぶんと振っていると、幽香は鼻を鳴らして部屋から出て行った。

 強烈な圧力が消えたので、ようやく一息つける。まだ寝起きで頭が回らない。とりあえず、身につけた覚えのない寝巻きを脱ぎ、いつもの服を手に取る。一体何があったのかはさっぱり分からない。

 

 壁にかけてある鏡を覗けば、風見幽香を一回り幼くした人物がいる。そして髪は赤色、目の下にはくま。この2Pカラーは間違いなく私だ。ちなみにこの部屋の壁は私の心の友(壁)さんである。どんなときでも、どっしりと構えて私の愚痴を受け止めてくれる優しい友(壁)なのである。たまに殴ったりしたこともあったなぁと感慨に浸る。私達はズッ友(壁)なのだ。

 

 それにしても、あのアリスとの優しい世界の思い出こそが夢だったのか。やはり現実は厳しい。

 何度か瞬きして、夢であるようにと祈ってみたが、それが聞き届けられることはなかった。自由への飛翔はあえなく失敗したようだ。

 

 

「はぁ」

 

 大いに落胆しつつ、とぼとぼと自分の部屋から出る。居間には私のために用意されたらしい朝食がある。パンに野菜サラダにスープ。淹れ立ての紅茶つき。味は美味しい。幽香は料理が上手だ。意地悪で塩と砂糖を間違えたりとかそういうことをされたりはしない。愛情がなくても、美味しい料理は作れるらしい。一つ勉強になった。

 まだ私が初心だった頃、優しいところもあるなぁと思ったものだがすぐに思い知る。料理は幽香の趣味の一つなのだ。だから私への思いやりなどかけらもない。一人分も二人分も一緒ということだろう。

 

 

「本当に憂鬱だ」

 

 というか、早く掻き込んで幽香のもとへ向かわなければ本当に殺されてしまう。慌てて椅子に座り、両手をつかって強引に掻き込んでいく。胸焼けがするが構っている場合ではない。紅茶をぐいっと一気に飲み干し、吐き気を堪えながら食器を片付ける。

 今日は徹底的にやるとか言っていた。いつも徹底的のような気がするが、それを更に上回るという宣告。おそらく、昨日の一件で本気で怒らせてしまったらしい。このまま向かわずに逃走する選択肢もあるが、悲劇的な結末に終わるだろう。

 覚悟を決めて外へと向かう。私の結末を暗示するかのように、空には紅い霧が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

「意外と早かったわね。グズのくせに」

「はい」

 

 生きていてすみませんと言いたくなる。えへへ、私はグズなんです。

 こういった口でのジャブは日常茶飯事。機嫌が悪くなると、濁点が取れてクズに進化する。クズですいません、とふて腐れて言い返した時は強烈な右ストレートを頂いた。強化系には冗談が通じない。

 

 

「……さっさと準備しなさい。今日はいつもの妖力放出を繰り返してやりなさい。休息なしでぶっ倒れるまでね。限界まで追い込んだほうが効果があがる。何も気にせず、死ぬつもりでやれ」

「えっ」

「あ?」

「いえ、なんでもありません」

 

 お前は鬼か。せめて標的が幽香ならば多少は心が救われそうだが、いつも通り空にぶっぱなさなければならない。うっかりバランスを崩して打ち込んでやろうかと思ったりする。やらないけど。

 何故かいつも以上に湧き上がってくるイラつきを堪えながら、妖力を集中させていく。身体の中に澱んだ何かが溜まっていくのを感じる。

 

 

「妖力を溜めながら聞け。お前が昨日世話になっていた魔法使い。アリスとかいったかしら」

「……はい」

 

 夢の中のことにまで口を出してくる幽香。私に逃げ場はないらしい。

 

「何か、余計なことを吹き込まれたりしていないでしょうね」

「はい、全く吹き込まれていません」

 

 だって夢の世界の話だもの。ああ、夢の世界へ帰りたい。それにしても、なんで幽香が私の夢を知っているんだろう。もしかして、あれは夢ではなかったのか。リアリティもあった気がする。

 なんだかよく分からなくなってきた。思考に黒い靄がかかり、混乱してくる。

 

 

「そう。ならいいわ」

 

 興味を失ったかのように、視線を前へと向ける幽香。この質問が、何が目的だったのかは分からない。

 ……ふと一つの疑問がわきあがる。昨夜、私はアリスの家にいた。今朝、私は風見家へ戻っていた。ということは、この悪魔は私の居場所をつきとめ、強引につれて帰ったということだ。

 

 

「お母様」

「何。余計な会話をしている余裕がお前にあるの?」

「アリスさんと会ったのですか?」

「ええ。会ったわね」

「……そうですか。やっぱりあれは、夢じゃなかったんだ」

「お前が家出したのは現実よ。その罰は後でちゃんと与えるから心配いらないわ」

「うっ」

「お前からの手紙、身体が震えるほど嬉しかったわ。ああ、隅に小さく書いてあった真心の篭ったメッセージもちゃんと受け取ったから」

「ううっ」

 

 本当にこわい。くたばりやがれ、までしっかり見てしまったらしい。こうなったら諦めて覚悟を決めるしかない。あーめん。

 それにしても、アリスは大丈夫だろうか。無事だといいのだが。

 幽香の性格からすると、会ってそのまま素直に帰るような妖怪ではない。性格は外道で根性がぐねぐねとひんまがっている。理由はなくても他人の苦しむ顔がみたいなどと、笑顔で言ってのける悪魔だ。

 嫌な予感がする。心がざわめく。悪寒が全身を駆け巡る。

 

 ――この女は、アリスに何もしなかったのだろうか。

 

 

「……アリスさんに、会って何かしましたか?」

「何かとは?」

「危害を与えたかということです。アリスさんは私に親切にしてくれました。本当に感謝しているんです」

「あっそう。どうでもいい話ね」

「…………」

「ふふ。そんなに知りたいの? お前は、知らない方がいいと思うけど」

「……何故です?」

「だって、もう始末は終えてるからね。あいつは余計なことを喋りすぎるから、口を封じてやった――」

 

 幽香がそう言ってのけた瞬間、何かがブチッと切れる音がした。私の堪忍袋が切れる音だ。今までにないほど、黒い怒りが湧きあがってくる。

 

 許せないし許さない。この外道の存在がもう我慢ならない。この腐れた悪魔はここで殺そう。そうだ、この世界はやっぱり間違っていたのだ。私というイレギュラーの存在もそうだが、何よりもこの悪魔がいることが大きなエラーである。ただちに消去しなくてはいけない。綺麗にアンインストールしなくちゃ。

 

 

「お母様」

「何?」

「一つ、お願いがあるんです」

「お前の願いなんて聞くわけないでしょう。身の程を知りなさい」

「いいから死ねよ、この糞外道がッ。――呪縛ッ!!」

 

 幽香から距離を取り、印を結んで呪縛を発動。風見幽香を妖力光の鎖で拘束する。3秒で解かれるだろうが、それだけで十分だ。

 

 

「――ッ!?」

 

 そのまま上空に飛び上がり、まずは自分に妖結界を3重発動。そして、指を鳴らして紅い蕾を10個ほど具現化。今の私の奥の手だ。

 

 

「呪われし悪魔め、この幻想世界から抹消してやるッ!!」

「面白いことを言うじゃない。お前だって妖怪のくせに、よくも人間のようなことを言えるわね」

「うるさいッ! 私はお前みたいに外道じゃない」

「へぇ。今までで一番の気迫を感じるわ。どうやら、本気みたいね。生意気でムカつくわ」

 

 先ほどまで充填していた妖力を各蕾へと注入していく。予想に反して、幽香はまだ呪縛を解いていない。

 それどころか、先ほど僅かに見せていた動揺は消えうせ、面白そうな表情でこちらを眺めている。指先で、クイッと挑発までしてきやがった。

 

 

「いつも通り全力で来なさい。私だけを憎んで恨め。お前はそれを繰り返していればいいの」

「黙れ黙れ黙れッ! 私の10年分の憎悪、思い知れッ!! いつもいつも私に酷い事ばかりしやがって! その余裕ぶった顔に私の苦痛を刻み込んでやるッ!」

 

 憎しみだけが膨張していく。胸の中が黒いもので覆われていく。これで準備は完了した。

 

「本当に口だけは達者ね。私の言葉に表面上は従っておきながら、こんな小手先の技ばかり身につける。だからいつまで立っても糞餓鬼のまま。ああ、私の顔をしているくせに嘆かわしい」

「うるさい!」

「あら、耳に痛かったかしら? なら削ぎ落としてしまいなさい」

 

 もう会話をしていたくない。今すぐ消去だ。体内に蓄えられた妖力を解放する。

 

「破アアアアアアアッ!!」

 

 全ての蕾が開花する。威力を限界まで凝縮した妖力弾を連続で地上目掛けて放つ。幽香は回避行動をとろうとしない。いける。機銃掃射の如く地上に弾幕が降り注ぐ。蕾だけに頼らず、私も妖力光線を放つ。自分の教えた技で殺されるというのはどんな気分だろうか。こちらは実に気分爽快である。

 

 

「外道め、死ね死ね死ねッ! 私がこんなに苦しむのは、全部、全部、おまえのせいだ! あははははははッ! “私達”の恨みを思い知れ!!」

 

 まだまだ攻撃は止まらない。あの悪魔はこんなもんで死ぬ奴じゃない。対幽香用に用意した妖術を発動。妖力弾に炎属性を乗せてプレゼントだ。

 地面が抉れ、砂埃が舞い上がりどうなっているかは目視では分からない。蕾の何個かが暴走して破裂する。限界が近づいている。

 

 

「あああああああああああッ!! これでとどめッ!!」

 

 全力全開、文句なしの収束型妖力光線をひねり出す。螺旋を纏った黒色光線が大地に突き刺さる。

 

 

「ハアッ、ハアッ」

 

 

 戦闘態勢は維持したまま。何かが動く気配はない。

 

「や、やった?」

 

 大きく肩で息をする。このまま意識を失ってしまいそうだ。だが、勝った。私は勝った。そして、幽香を消してやった。大事な大事な登場人物の一人を消し去ってしまった。実に呆気ない。今までの苦悩の日々が嘘のように呆気ない。

 なんだか胸にぽっかりと空虚なものが空いた気がする。ざまぁみろという感情がさっぱり沸いてこない。おかしな話だ。

 しかし勝ちは勝ち。対象が消え去った以上、私の勝ちである。

 

「は、ははっ。なんだ、いつも偉そうにしてたくせに呆気ない。偉そうにしてても、所詮はこんな――」

 

 嘲りを浮かべようとしたとき、砂埃の中からパチパチと手を叩く音が聞こえてくる。そして愉快そうな笑い声。

 

 

「――成長のなさを心配していたのに、やれば少しはできるんじゃないの。今までの私の労力が無駄にならずに済んで安心したわ」

「……う、嘘、でしょ」

「で、貴方の精一杯はこれで終わりかしら? なら、次は私の番よね?」

 

 悪魔はまだ生きている。なんで、どうして生きていられる。今殺さなければ、この後、確実に殺される。だって、あいつは悪魔だから。意味もなく私を苦しめ、それを見て笑う悪魔だ。

 

 

 ――悪魔に死を。“私達”を苦しめ見下す者どもに制裁を。

 

 

 粘ついたどす黒い感情が心の中を埋め尽くす。いや、臓腑、脳まで侵食していく。私の体から、馴染み深い花々が咲き始める。彼岸花。私の花。血のように見事な紅色のそれが、私の感情に反応して艶かしい黒へと変色していく。

 妖力は枯渇しているのに、それに変わる力が満ちてくる。標的はこの下にいる。

 

 殺さなければならない。この世界はおかしいから。だって、世界はもっと明るいはずだ。こんなに暗いはずはない。私が苦しむのはおかしいのだ。全てはあいつのせい。いや、イレギュラーの私のせいか? 頭が混乱してまともな思考ができない。

 

 ――そうだ。エラーは修正しなければ。“風見幽香”が削除できないのであれば、入れ替えればよい。風見幽香を殺し、私がそれに成り代わればよい。だから私の姿はあれと瓜二つなのだ。納得がいった。歪みを正せば世界はまた元に戻る。簡単な話だった。殺意が満ちてくる。私の周囲を黒い彼岸花が覆い尽くす。黒き炎が全身に纏わりつく。手をかざすと、そこに黒炎が集中していく。限界まで凝縮されていく。

 

 幽香の目が大きく見開かれる。何を驚いているのか分からない。もうどうでもよいことだ。

 

 

「――さようなら、お母様。この一撃で、世界はきっと変わる。私は生まれ変わる。そして、私が、新たな風見幽香に」

 

 

 

 全てを焼き尽くす、忌まわしき黒い煉獄が地上目掛けて放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 額に冷たい感触が当る。どうやら、私は布団で寝かされているらしい。ひどく悪い夢を見た。本当に恐ろしい夢だった。

 ぼやける視界が徐々にはっきりとしてくる。私を心配そうに見下ろしているのは、アリス・マーガトロイド。生きていたみたい。

 ああ、さっきのが夢でよかった。やっぱり世界はこんなにも優しいんだなと認識する。

 と、不吉な思考が頭に浮かぶ。もしかしたらここは死後の世界なのでは。目の前にいるアリスは亡霊。否定できる材料を私は持っていない。

 

 

「ここは、地獄?」

「違うわ」

「じゃあ、天国ですか」

「どうしてそう思うの」

「死んだ筈のアリスさんがいるから。多分、私も死んでいるはずです。ちなみに、私は地獄にいくほど悪いことをした覚えはありません」

「自分で言いきれるのも中々凄いわね。それと、私を勝手に殺さないで頂戴。貴方には残念かもしれないけれど、ここは現世よ」

 

 苦笑するアリス。私の髪を撫でてから「赤に戻っている」と小声で呟いた。

 

 

「それで、気分はどうかしら?」

「あまり、良くはないです」

「それはそうでしょうね。あんな無理をすれば当たり前よ」

「無理?」

「妖力を枯渇させた上に、あれだけの一撃を撃てばね。衰弱して当然。死んでもおかしくなかった」

 

 ……一撃? 妖力枯渇? おかしい。あれは夢だったはず。バッと布団をめくり、上半身を起こす。その拍子に額のタオルがずれて床に落ちる。

 

 

「――わ、私の部屋!?」

「ええ。ここは貴方の部屋よ。私は用事がてら幽香に呼びだされたついでに、貴方の看病を行っていたというわけ。ここまでは理解できたかしら」

「……嘘、でしょう」

「こんな嘘をついて私に何の利益があるのかしら。貴方の看病をする報酬は貰っているから、それは気にしないで良いわよ」

 

 まじでやばい。なんだか凄いことをしでかしてしまっていた気がする。やったか!? まではなんとなく覚えている。それからはいまいち記憶が定かではない。なんだか凄い一撃をぶっぱなした気もするけど、記憶に黒い靄がかかっている。どうなっているのだ。

 

 しかし、やってないということは、幽香は超ピンピンしているということだ。まじやべぇ。多分百回ぐらいぶっ殺されてしまう。こうしてはいられない。今すぐにここを脱出して、地底か冥界に亡命しなければ。本当に殺されてしまう。助けて。

 

 

「ちょ、ちょっと。まだ無理したら駄目……って。いきなりそんな荷物を抱えて、一体どこに行く気なの」

「ま、まずは地底に。なんとか地霊殿まで行ってペットとして暮らします。それで亡命届けを書きたいのですが、どこにいけばもらえますかね。印鑑って必要です?」

「意味の分からないことをいってないで、大人しくしていなさい!」

 

 あわわと動転する私を、人形も駆使して強引にベッドへと押さえつけてくる。今の力では逃げられそうにない。万事休す。

 そこに、今一番来て欲しくない妖怪NO.1が登場する。

 

 

「戻ったわ。様子を見ていてくれて助かった。この報酬は後で渡す」

「それはありがとう。丁度今目覚めたところよ。タイミングが良かったわね」

「ふん、どうでもいいことよ」

「それは、薬草? ……なるほど、それを採りに」

「一々うるさいわね。余計なことを言いすぎるのは、魔法使いの性分なの?」

「ごめんなさい。ああ、謝罪代わりに今調合してあげてもいいけど。滋養強壮用でしょ?」

「報酬は支払わないわよ」

「ただのサービスよ」

 

 小声で会話をしている幽香とアリス。植物の束をアリスに放り投げると、鼻を不機嫌そうにならしてこちらへと近づいてくる。

 この世の終わりである。せめて痛くないようにしてほしいところだ。

 私はベッドの上に正座し、両手を背後に回して首を差し出した。

 

 

「お前は何をしているの? 気でも触れた?」

「私は身の程も弁えず、お母様に対し許されないことをしてしまいました。いかようにもお裁きください」

 

 心はまた折れてしまったし、守るべきプライドもない。目前の悪代官様に逆らう根性もなくなった。あれが夢ではなかったということは、なにをしても風見幽香には勝てないということ。この辛い日々はこれから延々と続くということ。なんだか疲れてしまった。少しだけ怖いが、ここで潰してもらったほうがお互いのためだろう。夢の時間は終わったのだ。

 

「もう殺して下さい。やるだけやってスッキリしたし、そろそろ疲れました」

 

 次はもっと優しい世界に生まれよう。

 

「情けないわね。あの時の威勢はなんだったのか。折角見直したのにまた見損なったわ。恥をしりなさい、負け犬が」

「…………」

「まぁいいか。では罰を与えましょう。ちなみに、簡単に楽にしてやるほど私は甘くない」

「ちょ、ちょっと貴方」

「邪魔よ」

 

 一歩ずつ死神が近づいてくる。小野塚小町の代わりがすぐにでも勤まるだろう。怖い。恐ろしすぎる。私は三途の河を渡れるだろうか。

 悪魔の手が更に近づいてくるのが分かる。包帯がぐるぐるに巻かれた右手。包帯? ああ、きっと料理をするさいに切ってしまったのだろう。この女はきっと野菜を切るのに牛刀を使っているのだ。そんな馬鹿なことを考えて気を紛らわせていないと失神してしまう。本当に泣きそうなほど怖い!

 

 頬に手が当てられた後、そのまま指で摘まれる。

 

 

「――え?」

「一分よ」

 

 時間が宣告された後、幽香の指がぐいっと捻られる。痛い。痛いというか、本当に痛い。

 

 

「い、痛い痛い痛ひッ」

「黙れ。次叫んだら更にプラス一分」

「ひ、ひぃぃ」

 

 サービスでもう一分頂いた後、私の顔はようやく解放された。頬は赤くはれているどころか、きっと黒ずんでいるだろう。肉が裂けなかっただけでもマシではある。

 

 

「処罰はこれで終了。目ざわりだから今日は大人しく寝ていなさい」

「は、はい」

 

 色々と言いたいことはあるが、一応命拾いはしたらしい。状況は何も変わっていないので、とくに嬉しくもない。疲れているのは本当だ。まだまだこの停滞した地獄は続くのだなと溜息を吐こうとしたとき。

 

「……ああ」

「?」

 

 

 珍しく、幽香が何かを言いかける。僅かに逡巡した表情を浮かべた後、言葉を吐き出す。

 

「……週に三日、アリスのもとに行くことを許可してあげる。そこでスペルカードルールと、能力のコントロールの仕方を学びなさい」

「……は?」

 

 突拍子な言葉に、思わず唖然とする。今、幽香は何と言った? アリスに視線を向けると、間違いないと頷いている。そして、報酬はもらえるから気にするなと告げてくる。なにこの展開。これも夢なのだろうか。腫れているであろう頬をつねってみる。凄く痛かった。

 

 

「同じことを二度は言わないわ。そして、お前のこれだけど」

 

 懐から、ぐしゃぐしゃになった紙を取り出す幽香。あれは、私の置手紙か。

 

 

「自分探しの旅だろうがなんだろうが好きにしろ。だけど、お前の家はここ。お前が死ぬまで永久にね。私から逃げられるなどと二度と考えるな」

「……え」

「同じ事は二度言わない。今日の鍛錬はなし。アリスが調合してくれる薬を飲んで、体力回復につとめなさい」

 

 幽香がそう言って部屋から出て行こうとする。私は思わず近づいて、服を強くつかんでしまう。

 これは、もしかして。地獄のツン期が過ぎ去って、デレ期が到来したのでは? 幽香の顔を下から覗き込むと、悪鬼羅刹がいた。

 

 

「――げ」

「鬱陶しい。用もないのに近づくな。用があっても近づくな。目障りなのよ」

 

 頬を抓りあげられた後、胸元を掴まれてベッドへと放り投げられた。やはり悪魔は悪魔であった。ちょっとだけ甘いところを見せてくるところが悪魔である。油断したらきっと頭から齧られるであろう。

 悪口を考えているのがバレたのか、幽香がこちらに鋭い視線をむけてくる。思わず視線を逸らし、窓を向く。

 

 

「あれれ?」

「……急に固まってどうかしたの?」

 

 心配そうに眉を顰めたアリスが声をかけてくる。

 

 

「空を覆っていた紅霧は? なんでこんなに爽快な天気なんです?」

「もう異変は終わったからよ。博麗の巫女が解決したらしいわ」

「ば、馬鹿な。だって、まだ発生してから二日しか」

「何を言っているの。貴方は三日間寝込んでいたのよ」

「…………こ、紅霧異変が、終わってしまった。せ、折角、博麗霊夢や霧雨魔理沙を見れると思ったのにッ! ああ、なんてこと!」

 

 今まで苦痛に耐えてきたのは、ここが東方世界だと分かっていたから。いずれ、弾幕ごっことかやりたいなぁとか、有名な人達と話したいなぁとか思っていたわけで。それだけが希望だったのに。

 そもそも会話できたのがアリスで二人目っておかしいじゃない。話した時間圧倒的第一位がズッ友(壁)っておかしいじゃない。所詮な壁は壁、お前なんて友達じゃないし! ただの壁だし!

 そ、それなのに、時すでに遅し。寝ている間に全て終わっていましたとさ。ちゃんちゃん。畜生っ!

 

 

「…………? 博麗の巫女がどうかしたの? 霧雨魔理沙って誰?」

 

 落胆する私を、怪訝そうに眺めてくるアリス。ついでに呆れたような幽香。

 

 

「いや、待てよ。まだフランが登場する話があったような。でも、もしあの能力がうっかり私に炸裂したら死んじゃうし。どうしよう!」

「ねぇ。さっきから、貴方は何を言っているの?」

 

 テンションがあがっている私の思考は止まらない。落胆を希望に替える為に思考をめぐらせる。

 

 

「大人しく春雪異変まで待つのが最善? いやどうなんだろう。でも折角僅かな自由を手に入れたんだから――」

「……燐香。春雪異変って、何のこと?」

「何って、西行寺幽々子が西行妖の封印を解くために起こす異変です。確か、幻想郷の春度を萃めて。ん? 萃めるのは萃夢想だっけ。あ、伊吹萃香はヤバい。あれは絶対に修羅道――」

「くだらない御託はそこまでよ。お前は大人しく寝ていろ」

 

 幽香が早足で近づいてくると、人差し指を強烈に突きつけてくる。視線が合うと、急激に睡魔が襲い掛かってくる。ああ、どうやら寝なければいけないらしい。これは幽香の催眠術だ。いまだ抵抗できないのが腹立たしい。

 

 

 

 ――どうか、これが夢ではありませんようにと願いながら、私は眠りにつく。もしかすると、私がこの世界に存在していることこそが夢のような気がしてならない。ならば、それを繋ぎとめてくれているのは果たして誰なのだろうか。そんなことを考えながら、私の意識は闇に呑まれていった。


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