ゆうかりんか   作:かしこみ巫女

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第七話 向日葵と彼岸花

「…………」

「その右手、本当に大丈夫なの?」

 

 アリス・マーガトロイドが顔を顰めながら問いかけてくる。幽香は特に動じずに返事をする。疼痛はあるが、何ら問題はない。

 

「すぐに再生するわ。小娘の一撃なんて、大したことはない」

「……私にはそうは見えないけれど。やせ我慢せず、適切な治療を行うことをおすすめするわ。肉体能力が桁違いとはいえ、痛みはあるはずよ」

「私がいらないと言っているの。別に信じてもらう必要もない。大事なのは自分がどう考えているかよ」

 

 幽香は包帯を巻いた右手に視線を落す。包帯は外見が美しくないので巻いているに過ぎない。再生が追いつかずに、炭化している有様だからだ。

 燐香の放った黒炎は、幽香の強固な結界を貫き、咄嗟に前へと出した右手は炭へと化した。

 あの一撃を放った後、燐香は力尽きて落下した。植物で落下の衝撃を庇ってしまったが、まだ意識が残っていたとしたら少々厄介だった。左手だけで、あの状態の燐香を相手にするのは少しだけ疲れるだろう。負けるなど欠片も思っていないが。

 

「……ふん」

 

 見る限り、回復までには一週間は必要だろうか。今回はいつにも増して感情の発露が露骨だった。黒い彼岸花があそこまで具現化したのは初めてのこと。それが一体何を意味しているのか。

 幽香は愉しげに口元を歪める。嬉しいのか腹立たしいのか、それは分からない。だが満足はしている。これは必要なことなのだから。

 

 

「……ところで。私に、風見燐香を預けたいというのは本気なの?」

「ええ。貴方が納得できるだけの報酬は出すわ。それに、預けるといっても週に3日だけ。スペルカードルールとやらと、力の制御を叩き込んで欲しい。それだけよ」

「簡単に言うわね。そもそも、私の返答の前に燐香に話すなんて順序がおかしいわ。事後承諾なんて、道理が通らない」

 

 不機嫌そうな表情のアリス。彼女の言っていることは正論なので、特に反論する気はない。

 

 

「嫌なら別に構わない。別に慌ててはいないしね。燐香はさぞかしがっかりするでしょうけど、その顔も見物だろうし。くくっ、むしろそっちの方が面白いかもね。希望から絶望に落とされたアイツの顔はどんなかしらね」

 

 あの娘は顔を限界まで歪めた後、自分に敵意を向けてくるに違いない。言葉では抵抗する気がないと言って置きながらだ。

 幽香が何度も心を圧し折ったと思っても、次の日には元に戻っている。自分を陥れるための馬鹿馬鹿しい策やら技術に考えを巡らせているのだ。

 幽香は、それを眺め、実際に体験するのを楽しいと感じている。

 だから、今回殺せなどと諦めたときは正直つまらないと思った。そして許せないと思った。お前はまだまだ私を楽しませる義務があると。発破をかけてやったらいつも通りに戻ったので、何ら問題はない。

 

 アリスがしばらく無言でこちらを眺めた後、大きな溜息を吐いた。

 

「……燐香の境遇には流石に同情するわ」

「お好きにどうぞ? 私には真似できないことだからね。ああ、弱者への哀れみを向けることぐらいはできるかもしれないわ」

 

 アリスへの提案もただの気紛れに過ぎないのだ。つまり、止めるのも私の勝手である。他人の意思など知ったことではない。

 そもそも、見聞を広めさせたいなどと考えているわけではない。能力のコントロールの鍛錬については些か面倒だと判断したからだ。憎悪と敵意を抱いている相手に、そのような加減ができるわけもない。

 力こそ最も重視すべきと考えているが、それを補う技術を不用とは考えていない。なくても構わないが、あってもいい、ぐらいのものだ。

 

「さっきのように、“性質”が変わらないという保証はあるの? 悪いけれど、命を危険に晒すのはご免よ。別に貴方たちは友人でもなんでもない。彼女の境遇に同情はするけど、深入りするつもりは全くない」

「それはよく知っているわ魔法使い。貴方は常に冷静であろうと心がけている。そんな貴方だから任せようかと思ったの」

「…………」

「貴方が心配していることについては大丈夫よ。前兆は、髪の色で分かる。黒が半分以上広がり始めたら、すぐに叩き潰すか、魔術で昏倒させれば良い。半殺しでも構わないわ」

「仮にも娘でしょう。昏倒やら半殺しやらよく言えるものね」

「それが一番てっとり早いからよ。あの状況のアレを説得したいのならばご自由に。……まぁ、そんな暇はないでしょうけど」

「…………」

 

 アリスが考え込んでいる。損得を計算しているのだろう。提供する報酬とリスクを天秤にかけている。もう少し情報を提供してやろうと幽香は判断する。アリス・マーガトロイドは優秀だ。他を探すよりは、このまま引き受けて貰ったほうが楽ができる。

 

 

「ちなみに、暇がないというのは、変化したあの子は直ちに移動を開始するからよ。燐香の標的は私以外にありえない。貴方が狙われる心配は欠片もない。燐香は、必ず私を殺しに来る。――絶対にね」

 

 燐香の特徴である真紅の髪色。これに黒がかかってきたら、発作の前兆だ。侵食が全体に及ぶと、憎悪、敵意、殺意が爆発的に膨張し、ある特定の個人へ全て向けられる。勿論この風見幽香にである。

 発作が起こり変化まで到達したら、真っ先に自分の下へ向かってくる。そしてその時放つことができる最大級の攻撃をぶつけてくるのだ。今までに何度も繰り返されている光景。燐香はほとんど覚えていない。無謀にも反抗して叩き潰されたと記憶を改竄しているようだ。それが何故かは知らないしどうでも良い。

 

 

「…………」

「さっきも言ったけれど、嫌なら別にいいの。これはただの気紛れだし。私がやることは何も変わらない。あの子の日常も変わらない」

「……誰も断るなんて言っていない。ただし、何点か質問に答えて。私はできるかぎり納得したいの」

「答えられるものについては正直に答えてあげるわ、魔法使いさん」

 

 幽香は冷めてしまった紅茶に口を付ける。アリス・マーガトロイドは暫く考えた後、口を開く。

 

 

「あの子は一体なんなの?」

「彼岸花から生まれた妖怪」

「何故貴方に似ているの?」

「私の妖力の影響を受けたからだと推測している。正解かは分からない」

「あの時の力は何? あれは妖力でも霊力でも魔力でもない。もっと、禍々しいものに思える。あれは一体――」

「私は知らない。興味がない」

 

 あの力と、彼岸花の性質を併せ持ったのが風見燐香。普段は妖力を放ち、変化するとアレを行使してくる。幽香が長い年月をかけてやっていたのは、妖力の器を徹底的に鍛える事だ。そして、憎悪の全てを風見幽香に向けさせること。

 

「あの子に常に、周囲を威圧させていたのは何故? 貴方が敢えてそう教え込んだと、私は聞いている」

「害虫よけに丁度よかったから。妖精も寄ってこなくなってしまったけど。他に理由はないわ」

 

 畳み掛けるようなアリスの問いかけ。幽香はすらすらと答えていく。最後に一拍ほど間を開けて、アリスが言葉を発する。

 

 

「……貴方はどうして、あの子の面倒を見ているの? 恐らく、アレはまともな力じゃない。それの敵愾心を自ら買うような真似までして。危険を及ぼすのは分かっているでしょう。なぜとっとと処分――」

 

 幽香の刺すような視線を受けて、アリスは口を閉ざす。

 幽香はカップの取っ手に罅が入っている事に気がつく。長年使っているので壊れてしまったようだ。溜息を吐きながらそれを粉砕する。

 

 

「答える必要がない。他人であるお前にそこまで口出しされる謂れはない。いや、誰にも言わせないわ」

「……そう」

 

 幽香が殺気を放つと、アリス・マーガトロイドが『不躾な質問をしてごめんなさい』と謝罪してくる。

 そして、アリスは顎に指を当てて考える。魔法を扱う種族だけあって極めて慎重だ。

 

 

「…………」

「私の家には、たまに客人がくる。つまり、あの子はいずれ他人と関わることになる。それを、貴方は認めることができるの?」

「さぁてね。私にはよく分からない」

「なによそれは。自分のことでしょう」

「だって、貴方があの子の初めてだったから。この湧き上がって来る感情が何かよく分からないのよ」

「あのね。誤解を招くような表現はやめてくれないかしら」

 

 責めるような視線を向けてくるが、軽く受け流す。

 

 

「ふふ。そういう下賎な想像をすることこそ止めて欲しいわね」

 

 アリス・マーガトロイドがどういう結論を出すか。別にどっちでもよい。

 燐香の面倒を見ているのも、自分がこんな会話をしていることも全てが気紛れ。ただそれだけ。なんのことはない。

 

 

「質問を変えるわ」

「ご自由にどうぞ。でもそろそろ飽きてきたわ。退屈は嫌いなのよ。緩やかに魂が腐っていく気がしてね」

「これで最後よ」

「あっそう。それならどうぞ遠慮なく」

 

 幽香はわざとらしくおどけてみせる。

 

 

「さっきの会話を覚えている? あの子は、奇妙なことを言っていた気がするのだけど。まさか、予知能力でも持っているの?」

「ただの子供の戯言でしょう」

「本当にそうかしら。その割には具体的すぎると思うの」

「まぁ貴方がそう受け取るのは自由よ。でも私にはどうでもよい。なんだろうが構わないというのが、私の本音よ」

 

 燐香は、たまに奇妙なことを言い出す癖がある。たとえば、スペルカードルール。燐香は制定されるということを10年前から予測していた。だからそれに備えて、一緒にスペルとやらを考えようと相談されたこともある。物理的に一蹴したが。

 それでもしつこくへばりついてきたので、諦めるまで踏みつけてやったら一応諦めた。それからは勝手に考えていたようだ。

 完成品をわざとらしく見せてきたときは、無視してやった。構って欲しいというのが見え見えだったのが気に食わなかった。

 

 

 そして今回の紅霧異変。異変発生直前は妙にそわそわして、見ていて鬱陶しかったものだ。あまりに邪魔臭いので冷たく当ってしまった。

 ついでに初めて成功させてみせた脱走。幽香が徹底して張っていた警戒線を、見事に突破してみせた。そこまでは大したものだ。だが、喜びの気配があからさまだったのは致命的だった。後を追尾していったら、アリス・マーガトロイドと遭遇したらしく、その家に宿泊。そこを押しかけて強引に回収したというのが先日の顛末である。

 

 押しかけた時の、アリス・マーガトロイドの驚愕した顔は実に見物だったのだが、魔法使いを名乗るだけはあるらしく、それからは常に冷静である。この冷静さを幽香は買ったのだ。それに、燐香が外で初めて会話した人物でもある。縁とやらがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。本当にどうでもよいことだ。

 提供する報酬は魔術に使用できる植物の定期供給。人里や魔法の森では手に入らない希少種でも、幽香ならば簡単に栽培できる。アリス・マーガトロイドにとっては垂涎の報酬だろう。

 

 

「……分かったわ。報酬が支払われている限り、また、私に危険を及ぼすことがない限り、風見燐香の教育を行いましょう。ただし、細かい教育内容は私に任せてもらうわ。もちろん、貴方が示した方針は遵守するけど」

「そう、それはありがとう」

「……本当にどうでもよさそうね。家に押しかけてきたときは、悪鬼のような形相だったくせに。本当に殺されるかと思ったわ」

「ふん、それは貴方の主観でしょう。私は常に優雅であることを心がけている。貶めるようなことは言わないでくれるかしら」

「……あっそう。貴方がそう言うならそうなのでしょうね」

 

 心から呆れた口調のアリス。その視線を感じながら、幽香は完全に冷めた紅茶を飲み干した。

 

「…………」

 

 ――幽香は燐香について考える。10年以上面倒を見てきて、愛らしいなどと思ったことは一度もない。殺してやりたいと思ったことは何度でもある。

 

 あの押し殺した敵意が腹立たしい。小手先の技術に頼ろうとする性根が憎たらしい。

 何かを期待するその視線が邪魔臭い。お母様と呼ぶときの白々しさが鬱陶しい。

 心を折ってやった筈なのに鍛錬に必死に食い下がるのが苛々する。なんど痛めつけても立ち上がるしつこさには心底呆れ果てる。

 夜中抜け出して勝手に修行しはじめる奔放さが頭に来る。アリスに対して見せやがった心からの笑みを今すぐぶち壊してやりたい。

 自分の右手を破壊したあの黒き力が疎ましい。徐々に差を縮めてくるあの潜在能力が癇に障る。

 幼き化物を鍛え上げている自分の行動が実に度し難い。落下する燐香を助ける為に能力を行使してしまった自分の愚かさに呆れ果てる。本当に全くもって理解不能である。

 

 

 幽香は全ての思考を終えると、心から笑みを浮かべる。嘲笑でも冷笑でもない。とても満ち足りた表情だ。長き妖怪としての生の中で、これほどまでに退屈をしない期間があっただろうか。

 

 昔も、今も、これからも。この日々は永遠に続いていく、続けさせる。幽香はそう決めているのだ。


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