ハッピーエンドではありません。
閲覧時には注意をお願いします。
これで完結ではありません。
苦手な方は、76話投稿までお待ち下さい。
◆ Caution!! ◆
「人符、現世斬!!」
妖夢はスペルを宣言。高速で標的に肉薄し、苛烈な斬撃を繰り出す。燐香から与えられたこの黒の力は凄まじい。力が勝手に漲ってくる。身体能力も強化され、動体視力も上がっている。だから、標的が次にどう動くのかが手に取るように分かる。
「くっ!!」
急停止し、上昇しようとした魔理沙。妖夢はすっと手を伸ばしてその足を掴むと、力任せに大地へ向かって振り下ろした。バランスを崩した魔理沙は、箒から振り落とされていく。妖夢はそれに向かって追撃の霊力弾を放ち、数回被弾させる。そして、急降下して力を失った魔理沙の身体を掴んで乱暴に着地させた。
魔理沙は口惜しそうにこちらを睨んでくる。
「……くそっ。お前、なにかインチキしてるだろ! なんだよ、その黒い瘴気は!」
「燐香から借り受けた力だよ。異変の黒幕側だから、強化されて当然だと言っていたかな。ああ、今回のは通算成績にいれないでいいから。自分の力とは思っていないし」
「うるせー! 負けは負けだ! まさか、三人連続でやられるとはな。だけど、諦める訳には」
「それじゃあ、そろそろいいかな」
「おい、ちょっと待て! 最初に言ったけど、私たちは絶対に燐香のところに」
「アリスさんの計画。多分だけど、失敗するよ」
妖夢は、アリスからの提案を蹴った。その時のアリスは、心から信じられないという顔をしていた。そして、今までにむけられたことのない敵意を向けられた。
酷く傷つけてしまったのが分かる。だが、この計画は失敗するだろうという確信があった。なぜかは分からないが、その景色が見えてしまった。既視感のようなもの。この黒い瘴気のせいかもしれない。
「何を馬鹿なこと――」
「ごめん」
大声で怒鳴る魔理沙を当身で気を失わせる。その身体を抱きかかえると、アリス、パチュリーが倒れている紅魔館の庭園に運び入れる。一番の激戦だったのはアリスとの戦いだ。最後は弾幕勝負ではなく、殺し合い寸前だった。だが、最後には妖夢が勝った。この力のおかげというのもあるが、アリスの動きが鈍かったのが一番の要因。魔力が著しく落ちていた。それはパチュリー、魔理沙もだが。
上空を見上げれば、ルーミアが霊夢と戦っている。霊夢は、下級妖怪と侮っていた相手が、非常に強力な力を隠し持っていたことに面食らっていた。とはいえ、直ぐにいつもの調子に戻ると、冷静にルーミアのスペルに対処していく。流石は博麗の巫女といったところか。
「次の相手は霊夢かな」
妖夢が見る限り、多分霊夢が勝つ。そうしたら、次は自分が足止めしなくてはいけない。燐香が目的を果たすまで、時間を稼ぐのが役割だから。彼岸花が生い茂る中を歩き、紅魔館の中へと入る。霊夢は強敵だ。少しでも霊力を回復しておかなければならない。そうしなければ、彼女の頼みを聞き届けることはできない。
――燐香の最後の頼み。友達のお願い。世界に自分がいたという証を残したい。そして、フランとの約束を果たしたい。そう言って、燐香は妖夢に協力を求めてきた。
「……フランは。激しくやりあってるか。あれじゃあ、当分終わらないな」
黒の力を手にして気が触れかかっているフランと、本気でキレかかっているレミリア。紅魔館の巨大なパーティホールで被害を顧みることなく、全力で激突している。ここまで爆音が轟いてくる。十六夜咲夜は、それをジッと見つめている。主から手出し無用と釘を刺されているらしい。
「…………」
「……どうしてこんな異変に協力をしたの? 主のためではないでしょうに」
咲夜がこちらを振り返ることなく、問いかけてくる。返答次第ではナイフで斬り掛かってくるかもしれない。だが、今の自分は負けない自信がある。借り物の力だから、別に勝ち誇るつもりはない。そこまで情けなくはないつもりだ。
「一番の友達のために」
「いい話とは思うけどね。花だけならともかく、人間に手を出すのはいただけないわ。それに、このまま終わりというわけじゃないのでしょう?」
「うん。地底、天界、そして地獄に燐香は勢力圏を伸ばそうとしている」
「馬鹿なことを。そんなこと許される訳がない。確実に報いを受けることになるわ」
「知ってるよ。だから、私たちがここにいるんだよ。邪魔する奴は、全員斬る」
妖夢は黒い瘴気が纏わりつく楼観剣を握り締める。
「私は、レミリアお嬢様のもとにいなくてはいけない。だから、一つ教えてあげる」
「……何を」
「今すぐ主の間に向かいなさい。彼女の終りが近づいているわよ。友達なら、見届けてあげなさい」
咲夜の言葉を最後まで聞く事無く、妖夢は走り出した。出来る限りの全速力で。
両開きの扉を蹴破り中に入る。すると、顔を両手で押さえている燐香の姿が目に入った。幽香と瓜二つにまで成長した燐香。違うのは髪の色。苦悶の声を上げながら、黒い靄のようなものを迸らせていた。
「――燐香!!」
「ガアアアアアアああああああああああああッッッ!!」
「気を落ち着かせて! 大きく深呼吸して! アリスさんの妖力制御を思い出して!」
「ハアッ、ハアッ、ハアッ! あああああああああああ!!」
もう妖夢の姿は見えていないようだ。声が聞こえているかも分からない。彼女の自我は残されているのだろうか。
濁りきった目が、血のように赤く染まっていく。咳き込むたびに、黒い血が吐き出される。これが、燐香の言う終わりなのだろうか。
異変の直前、燐香は笑いながら言っていた。『時間切れになりそうだったら、介錯してください。辞世の句は考えてありますから』と。
時間切れ、それがこれか。黒に取り込まれる。取り込まれたら、ばら撒いた彼岸花が黒化し、毒素をばら撒くと。未曾有の大惨事が巻き起こる。だから、その前に起爆装置である自分を始末してくれと。確かにそう言っていた。
「本当に、これで終わりなの? だって、まだ――」
何も成し遂げていない。春雪異変が脳裏に浮かぶ。あの異変も結局目的を成就する事なく終わった。それが正解だったようだが、失敗は失敗。幽々子の目的が遂げられることはなかった。
では今回は? 彼岸花で世界を染め上げることには成功した。だが、まだまだ先がある。全部に彼岸花を行き渡らせ、最後にフランドールが紅霧をばら撒いて異変は終わりを告げる。きっと、最後は霊夢にボコボコにやられるだろうと、燐香も言っていた。
妖夢にとって最も望ましいのは、最後まで燐香が異変に参加していること。彼女が楽しい想い出を作ってくれれば良い。そう願っていた。
春雪異変の時と違うのは、燐香にとって、恐らくこれが最後の異変になることだ。
「り、燐香」
ひたすら苦しむ燐香。妖夢は思わず剣に手を掛ける。いっそ今楽にしてやるべきか。そう考えるが、自分に全くその気がないことに気がついた。
自分は燐香を殺せない。殺したくないし、誰にも殺させない。それに、これが最後だという気もさらさらない。きっと何とかなる、そうどこかで思っている自分がいる。だって、消える理由がないじゃないか。
「とにかく、行こう。ここだと直ぐに霊夢に見つかるから、一旦白玉楼に行こう。あそこには幽々子様もいるし。何より、燐香は白玉楼に亡命したんだから、ウチにずっといればいいよ」
燐香の肩を支えて、立ち上がる。身体が大きいので、バランスが悪いがそれは我慢してもらおう。黒い靄が妖夢に侵食しようとしてくる。だが、黒い瘴気が、その靄が入り込むのを防いでいた。免疫でもできているのだろうか。さっぱり分からない。今はどうでもいいことだ。
初めて会ったときのことを思い出す。いきなり亡命届けを差し出してきた悪戯者。あのときのことを思い出すだけで笑えてくる。思えばあれからだ。毎日が騒がしく、賑やかになりだしたのは。
「冥界で、ほとぼりが冷めるまで待てばいい。あそこは、生者はほとんど近づかない。だから、その発作も、きっとおさまるはず」
夜の闇を、低空で、そしてできるだけ早く飛び続ける。目立たぬよう、木々や藪の中を通り続けて。速さだけなら空を突っ走った方が早い。だが、それでは見つかってしまう。この状態の燐香が見つかれば、きっと――。
「みーつけちゃった」
「くっ! ――そこかッ!!」
四方から聞き覚えのある声。妖夢は急停止し、裂帛の気合とともに剣を一閃させた。手ごたえあり。ぼとりと、何かが落ちる音がする。手首だった。
「なんら迷いのない、良い太刀筋ね。流石は幽々子の秘蔵っ子。私に手傷を負わせるなんて、中々できることじゃないのよ?」
最も遭いたくないと願っていた相手だ。最悪の事態だが、嘆いてはいられない。燐香を下ろし、覚悟を決める。
スキマから八雲紫が現れた。斬りおとした筈の手首はいつの間にか再生している。本当に、強さの底が見えない大妖怪。
普段なら敬意をもたなければならない相手。だが、今日だけは例外だ。今は相手をしていられない。なんとかして振り切らなければならない。
「お願いですから、行かせてもらえませんか。冥界なら、まだなんとかなるはずです。どうか、通してください!」
「無理だし無駄よ。もう白の崩壊が始まっている。いつ飲み込まれてもおかしくない。貴方ごとね。だから、今、ここで、終わらせなければ駄目」
「どうしてもですか?」
「ええ、どうしてもよ。逆らうなら、貴方といえども容赦しない。というより、こんな問答をしている時間が惜しいのよねぇ。幽々子が最後まで邪魔してくれたから」
紫が笑みを消す。凄まじい殺気が浴びせられる。普段の自分なら、確実に萎縮してしまっていたであろう。だが、今日は耐えなければならない。
周囲にスキマの裂け目が現れる。これが開かれれば、何がでてくるか分かったものではない。一つたりとも見逃してはいけない。妖夢は目を見開くと、二剣を抜き放ち、周囲に剣閃を走らせる。
「……力を借りているとはいえ、スキマを切り裂くなんて。本当に驚いたわ。子供の成長は早いのね」
ばらばらと、スキマの端に結び付けられていたリボンが散っていく。
「幽々子様と、戦ったんですか?」
「ええ。最後は和解するフリをして騙まし討ちにした。時間がなかったから。もちろん命は無事だから安心してね」
「……どうか、お願いです。ここを、通らせてください」
「うーん。そこまでお願いされちゃうとねぇ。どうしても?」
「どうしてもです!」
「そう。なら、後は若い者同士で決めなさいな。最後の最後に、私が出張るのも野暮よね。勿論、決着は見張っているけれど」
紫は笑うと、スキマの中に消えていく。もう、自分の役目は終わったと言わんばかりだ。見逃してくれたわけでは全くない。なぜなら、空を見上げれば、剣呑な表情で佇む博麗霊夢がいるのだから。
「可哀相だけど、もう無理よ。それを直す術なんてない。早く楽にしてあげなさい」
「ふざけるな。私は絶対に諦めない。このまま冥界に連れて行くんだ。邪魔するなら、知り合いといえども斬る!」
「アンタ、私に勝てると思ってるの?」
「今なら勝てる」
「笑わせるな。この半人前が!!」
霊夢が手を振り下ろすと、腹部に激痛が走る。何事かと見やれば、御札が複数腹部に張り付いていた。しかし、不意打ちとはいえ、ダメージが大きすぎる。
「ば、馬鹿な。た、たった一撃なのに」
「普段は弾幕勝負の範疇。でも、これからは殺し合いになる。そいつは、今すぐに止めなければならない。この世界から消し去らなければならない」
「く、くそッ。させるか!!」
「無駄よ。私とは致命的に相性が悪い。今のアンタは、燐香から力を借り受けているでしょ。私は退魔の専門家。それを前にして勝てる訳がない。普段のアンタの方がマシね」
「黙れっ!!」
瘴気を迸らせながら剣を振りかざす。霊夢は御祓い棒で、それを易々と受け流す。背中に衝撃。陰陽玉から霊力弾が放たれていた。前に崩れたところを、霊夢の蹴りが襲いかかる。防御態勢。間に合わない。自分の力に振り回されている。動きは見えても、身体がついていかない。暴走状態に近い。
「――ぐああああッ!」
「さっき戦ったルーミアの馬鹿も強化されてたけど。私には勝てなかった。だって、私は博麗の巫女だから。幻想郷に害を為す奴を始末するのが仕事なのよ」
一歩、また一歩と近づいてくる。このままでは駄目だ。普通の戦い方では絶対に勝てない。
「…………」
ならば。肉を切らせて骨を断つ。剣を納め、居合いの構えを取る。一撃、喰らってやる。その代わり、その倍返しを受けてもらう。だが霊夢は、警戒しながらも馬鹿にしたような声を掛けてくる。
「アンタねぇ。私がその距離まで近づくと思ってるの? 範囲に入ったらヤバイことは分かるけど、このまま嬲り殺しにすることもできるのよ」
「……それがどうした」
「別に、ただ忠告しただけ。ちなみに、私がなにもしなかったら、アンタ、どうするつもりなの?」
「なんのことだ」
「燐香の時間切れ。もう、すぐでしょうに。良く見てみたら?」
はっと燐香の方を振り向く。燐香は相変わらず苦しんでいる。いや先程より悪化している。と、前方に踏み込んでくる気配。霊夢だ。
「あっさりと騙される。アンタ、本当に甘いわね」
「――お前はッ!!」
これは真剣勝負。騙された方が悪い。分かっていても腹が立つ。霊夢にも、それに乗せられた自分にもだ。
霊夢の渾身の一撃が、妖夢の身体に炸裂した。妖夢は燐香を巻き込んで、大木の幹に打ち付けられる。足をやられてしまった。これでは、速度が出せない。いや、それよりも、霊夢を倒せない。
「知らない仲じゃない。だから、選ばせてやる。アンタがやるか、私がやるか。どうするの?」
霊夢が感情の篭らない声で、最後の問いかけを投げかけてきた。妖夢は憎悪を篭めて、霊夢を睨みつける。
「――え?」
妖夢は言葉を失ってしまった。月明かりに照らされた霊夢の目は、僅かに赤くなっていた。酷いしかめっ面。何かを堪えるように、あの霊夢が声を殺して泣いている。いや、泣いていることにすら、本人は気付いていないのかもしれない。
「……私がやっていいの? そうなら、下がってなさい。もう、本当に時間がない。絶対にここで止めなければならないの」
いつの間にか、燐香の身体は黒い靄で覆われ始めている。もうすぐ、顔も靄で埋まってしまう。確信はないが、その時が、時間切れなのだろう。そういう気がする。
妖夢は、楼観剣を支えに立ち上がる。震える膝を必死に堪えて。本気の霊夢は強かった。相性の悪さを言い訳にする気はない。たとえ、この力がなかったとしても、今の自分は勝てないだろう。だから、もう冥界に行くことはできない。例え奇跡が重なって霊夢を倒したとしても、八雲紫が必ず現れる。残された時間は、もうない。
「最後は、私が。そう、頼まれたから」
妖夢は震える手で、楼観剣を抜き放った。彼女の最後の頼み、それは自分が聞き届けなければならない。幻想郷中に被害をもたらす、それは黒の本能。だが、白の燐香は、それを止めてくれと願ったのだ。だから、自分がやる。
「……燐香」
「…………あ、アりがとう、よう夢。カイしゃく、おねがイ」
しゃがれた声で、謝意を伝えてくる燐香。手がこちらに伸びてくる。それを強く握り、頷く。力が勝手に抜けて行った。手が霧散した。いや、肉体が崩れ始めている。何故か、砂の城が崩壊しているように見えた。
霊夢が見ていられないとばかりに視線を逸らす。燐香の目はもう焦点があっていなかった。あの悪戯っぽい笑みは、二度とこの顔に浮かぶことはない。
妖夢は剣を振り上げる。剣筋が定まらない。闇に包まれた世界がひどく滲む。月明かりのせいだろう、よく見えない。
「妖夢ッ!! やりなさいッ!!」
霊夢の悲鳴のような声。それが、合図だった。最後の最後で、背中を押させてしまった。だから、妖夢は燐香と霊夢に謝ることにした。
「――本当に、ごめん」
するりと剣は燐香の首筋を断ち切った。ごろりと首が落ちる。靄が行き先を失ったかのように収縮を繰り返し、やがてどこへともなく霧散していった。胴体を失った燐香は虚ろな瞳で妖夢を見ている。そして、消えて行った。このときの目を、妖夢は生涯忘れることはないだろうなと思った。
「…………ッ」
妖夢は剣を放り投げ、その場に跪いた。一番の友達を、この手で殺してしまった。だから、もう帰ってこない。
本当に疲れた。夜が明けるまで泣き続けることにした。だって異変はもう終わったのだから。誰も文句は言わないだろう。
霊夢が背中あわせに、座り込む。特に何かを話すこともない。なぜか、彼女の身体も震えているようだった。
◇
妖夢は冥界の片隅にある無銘の石碑に、花を供えると、両手を合わせて拝む。彼女には魂がないという。だから、祈ったところで何にもならない。ただの自己満足に過ぎないのだろう。だが、それでも良いのだ。これはただの切っ掛け。賑やかだった日々を思い出すための。
――あれから既に半年が経った。でも、妖夢にとっては昨日のように思えるのだ。
「妖夢、またここにいたのね。丁度良かった」
「幽々子様。何がですか?」
「ふふ。ここをね、真っ赤な彼岸花で埋め尽くそうと思うの。もう手配したから、そのうちとても賑やかになるわ。お世話は、貴方に任せてもいいかしら」
「はい。私にお任せ下さい」
妖夢は立ち上がり、幽々子に振り返り頭を下げる。幽々子は穏やかに笑っていた。
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
「……たまには息抜きも必要よ。鋭すぎる剣は、とても折れやすいの」
「大丈夫です。無理はしません。慌てる必要はないですから」
あの異変の後から、妖夢は必死に剣の修行に打ち込み始めた。最初は全てを忘れる為にだった。何も考えないようにする為に。剣を振って振って振り続けた。でも、もがけばもがくほど。足掻けば足掻くほど、苦しくなった。だから、もっともっと剣を振り続けた。
後悔は山ほどある。あの時、自分がもっと強ければと。もっと高みにたどりつけていれば、何か変化していたのではないか。
それとも、もっとひどくなっていたのか。それは分からない。だが、弱かった結果、途中で妖夢の足は止まってしまった。弱かったせいだ。だから、霊夢に最後の一言を吐かせてしまった。傷を背負わせてしまった。
自分の右手を見る。燐香の首を落としたときのあの感触は、今も忘れられない。するりと刃が抜ける、それなのに重い感触。今もこの手に染み付いている。
皮肉なことに、あれから妖夢の太刀筋は飛躍的に鋭くなった。黒の瘴気は掻き消えてしまったけれど、身体能力、動体視力は今もあのときのまま。燐香の置き土産かもしれない。でも、まだまだ足りない。足りないのだ。
「…………」
妖夢は軽く笑って、自分の半霊に視線を向ける。――半霊は、灰色に変色していた。燐香がいたら、煤がついてますよなどと、冗談を言うのだろう。なんとなく、彼女がまだ側にいてくれるような気がする。ただの気のせいなのだろうけど。
幽々子が言うには、燐香の靄の影響を受けすぎたせいだろうとのこと。鳥が餌でピンクや赤になるようなものだと、幽々子は言っていた。つまり、気にするなということだ。
「霊夢と魔理沙、それに咲夜が心配してたわよ。あの霊夢がずっと仏頂面だったのは面白かったけど」
「そうですか」
「……全く。ずっと避けてるみたいだけど。まだ、会わないの?」
「避けてるわけではありません。会っても特に話したいことはないですから」
いったい何を話すというのだ。いまだにアリス、幽香に顔を見せることができないというのに。いつか、彼女達がここに来ることを考えるとひどく恐ろしい。恐ろしくて仕方がない。でも、いっそ弾劾してくれたらとも思う。全部お前が悪いのだと。お前のせいで燐香が死んだのだと。
……きっと、これが弱さなのだ。やはり修行が足りない。誰かに背中を押してもらうのは、あのときだけで十分だ。
「ああ、本当に頑固ねぇ。妖忌譲りかしら」
「霊夢に勝てると判断するまでは、会えません」
「主の命令でも?」
「……申し訳ありません」
「本当に頑固ね。でも、妖夢らしいわね」
それは意地でもある。本気の霊夢をいつか上回ってみせる。そして、全てを断ち切る技を身につけてみせる。例えば、あのときの燐香の黒だけを切り離す技。黒が暴走したのが原因ならば、白が制御できる程度に間引いてやれば良かった。実体のないものを斬って消滅させる。それが今の目標だ。
そして最後には、後悔、悔悟、記憶などを斬り捨てられるまでに昇りつめたい。そうすれば、この結末を導いたであろう運命すら切り裂けるのではないか。……これではまるで精神論だ。妖夢は思わず自嘲した。
「ああ、そうそう。魔理沙からのお土産よ」
「お土産?」
「その石碑に供えてあげてくれって。妖夢から渡してほしいって。気に入ったら使ってもいいとか言ってたわ」
幽々子がはいと何かを手渡してきた。……これは、河童製の携帯カイロ。燐香がたまに使用していた便利道具だ。だが、外見が以前とはかなり変わっている。確か、銀色で、もっと平べったい形をしていたはずだ。
良く分からない原理で暖かくなったり冷たくなったりする道具。それが、なんだか魔理沙の八卦炉みたいに大きな改造を施されている。少し大きくなってるし、変な模様が刻まれてるし。
試しにスイッチを入れると、気温が変わるのではなく、真ん中の模様がグルグルと回り、微風を送り出してきた。外見は立派になったが、効果のほどは驚くほど下がってしまったようだ。風を送り出す程度の能力か。
「直ってないですね、これ。壊したの間違いでは」
「壊れてたから、勝手に修理したとか言ってたわ。ちょっと性能が変わっちゃったとか言い訳してたけど」
「アイツは、本当に勝手なことをして。大人しく河童に頼めばいいものを」
「まぁいいじゃない。きっと、自分の手でなんとか直してあげたかったのよ。人間って、そういうものでしょう?」
「……そうかもしれませんね」
微笑む幽々子。妖夢はそうかもしれないと、素直に頷いておいた。魔理沙もきっと、色々含むところが残っているのだろう。
妖夢はその携帯カイロを、無銘の石碑に供えてあげた。こんな改造を施されてしまったが、燐香は別に怒りはしまい。大げさに叫んだり、大げさな反応をとる燐香の姿が容易に想像できてしまった。
「……外は、また騒がしくなってるわよ。神社が湖ごと転移してきたんですって。紫がボヤいてたわ」
「そうですか」
「あのねぇ、妖夢。世の中のことに興味をもたないと、白髪が増えるわよ?」
幽々子が得意気に妖夢の額をつつく。
「それ、燐香が良く言っていました」
「あら。私、そんなに若く見える?」
「そんなことは一言も言っていません」
「ふふ、知ってるわ。でも、久々に貴方の笑顔が見れたから、私は嬉しいわ」
妖夢は溜息を吐いた。と、何かがこちらに向かって飛んできた。誰かの攻撃だろうかと、片手を振るってそれを掴み取る。今の自分が、こんな飛び道具でやられるなど絶対にありえない。
「あら。プレゼントかしら」
「紫の、バラ?」
厚めの封筒に、紫のバラが貼り付けられていた。周囲に目を凝らすと、遠く上空を、紫色のスカートをはいた天狗が全速力で飛び去っていくのが見えた。あれは、姫海棠はたてか。
「何がはいっているのかしら」
「さぁ。新聞の押し売りかもしれませんね。こんな新聞なので購読してみてくださいとか」
妖夢はさしたる期待もせずに、封筒を綺麗に破って開けてみた。中には額に入れられた一枚の写真が入っていた。
「……これは」
「あらあら。あの、花火を遊んだ日じゃないかしら。だって、皆顔真っ黒だし。楽しそうだもの」
「…………」
あの幽香の家に泊まりこんだ日。花火で死ぬ程盛り上がった日。皆全身煤だらけで、笑顔で微笑んでいる。燐香、ルーミア、フラン、妖夢。四人が両脚を投げ出して、座り込んでいるのを撮影した写真だった。
「素敵な写真ね」
「はい。大事な、本当に大事な思い出です」
「宝物が増えたみたいで、良かったわね。羨ましいわ」
「……そうですね」
大事な思い出。そして、自分の罪。いったい、いつになったらそれを全て斬る事ができるだろうか。気が遠くなるほどの時間を掛ければ、何時の日にか。
「妖夢」
「はい」
「思い出は抱えるものなの。楽しいものも辛いものもある。でも、絶対に斬り捨ててはいけないの。それは、とても寂しいことよ」
「……それではいつまでも悲しいだけですよ」
「それが、生きるということよ。貴方は、この世界で生きている。それに、悲しかったことだけではないはず。そうでしょう?」
妖夢はまた写真を見る。ぽたりと雫が落ちた。とめどなく落ちてくる。ああ、やっぱりまだまだ自分は半人前だ。この湧き上がるやるせない気持ちをどうすることもできないのだから。
久しぶりに、ルーミアとフランに会いに行ってみるとしようか。この写真を持って。彼女達も喜ぶような気がする。
――だって、私たち四人は、ずっと友達なのだから。
妖夢エンド終了。
ルーミアエンドロック解除。
なんとなく後書きをADV風にしてみました。
特に意味はないです。
23時に次を投稿します。