アラサー女子による巫女生活   作:柚子餅

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心が挫けてしまいそうな私。

 

「冷たいっていうより、痛ぁ! いたいっ!?」

 

 ばしばしと顔を打つ雫。お札五十枚余りという多大な犠牲を払ってレティを退治してからしばらく、目的地である妖怪の山の麓に到着する前に雨が降ってきてしまった。

 これがまた洒落にならない。動物の毛で編まれたポンチョは思いのほか水弾きがいいので雨合羽代わりになってくれているのだけれど、飛んでる私の顔を護ってくれるものがなんにもない。おまけに、妖怪の山方面からけっこう強い風が吹いてきている。雨の雫が進行方向から顔に向かって叩き付ける様に降ってくるのだ。

 神社を出る前からなんとなしに天気が悪くなりそうだとは思っていたけど、風まで強くなるなんて。妖怪退治に出ることにあんまり気乗りしてなかったのに、何で今日出発しちゃったんだろう。

 道中で妖怪に絡まれるわ、雨は降り出すわ、こんなことなら自分の勘を信じて神社でのんびりお茶啜ってるべきだったんだわ! 今度から少しでも嫌な予感がしたら神社に引きこもってやる。

 

「うう、この大雨の中で妖怪退治なんて、とてもじゃないけどやってられないわ。風邪引いちゃう。……でも、だからといってここから引き返すのもなぁ」

 

 雨音ばかりの灰色の空を漂いながら、ぼそぼそと独り言を呟く。ここまで二時間かかっているわけで、ここから帰ったら神社にたどり着くまでもう二時間この雨の中を飛ばなければならない。それは嫌過ぎる。

 何かないかきょろきょろと辺りを見渡していると、進行方向上の少ししたところに建物を見つけた。湖の岬となっているところに立っているでっかい洋館である。こんなにも大きな湖となると地図にも載っていた霧の湖のことだろう。神社にあった地図には書いてなかったけれど、その畔に洋館があることは人伝に聞いていた。

 

「もう駄目。あそこにお願いして、雨宿りさせてもらえないかしら。そういえば、空は飛べるようにはなったけど霊力の使い方を調べるのに地下の図書館とやらを使ってみたらとも言ってたし」

 

 あれが、以前に人里で会った咲夜がメイドとして働いているという『紅魔館』であろう。何かこじらせちゃったような名前なんだけど、実際のそれも名前負けしていなかった。

 まず全体的に赤い。とにかく赤い。湖や森、山に囲まれてしまって周りに人工の建築物がほとんどないっていうのに、街中でも浮きそうなその建物は完全に別世界である。控えめに言って景観ぶちこわしだ。いつ建てたのか知らないけど、この辺りの景色を絵ハガキなんかにしてた人がいたら訴えられてもおかしくない。

 建物自体がけっこう大きくて、その割には窓が少ない。その数少ない窓も厚手のカーテンがかかっているようで洋館の中はさっぱり見えない。

 周囲はそこそこ高い塀で覆われていて、正面には細工が施された門が設えてある。塀の中は庭園になっているようだ。春になれば色々な花々が咲き誇るのだろうけど、生憎冬になろうとしているから植えられている花はなく、ほとんどの花壇は土を休めているようだった。

 

「こら」

 

 そうして顎に雨水を滴らせて洋館を観察しながら飛んでいる私に向かって、声がかけられた。声の主を探して、自然と目の前を見ることになる。館の門のあたりにいたらしい少女が飛んできて、上空を通過しようとした私の前に立ち塞がったからだ。

 水が垂れてきたので前髪を手でかきあげて、手についた水滴をぷらぷら払いながら少女を観察してみる。またまた十代半ばほどの少女で、長く癖のないストレートの赤髪を両耳の辺りで三つ編みにして下ろしている。スリットが入ったロングスカートはチャイナドレスっぽいのだけど、それ以外はあくまで中華っぽい意匠なだけの洋服だ。頭の上には『龍』の文字が入った帽子が乗っかっていて、衣服は緑色で統一しているみたいである。

 一応左手に深緑色の傘を差しているのだけど、この横殴りの雨にはあまり役には立っていない様子だ。

 

「まったく。毎度のことだけど、正門があるんだからちゃんとそこを通りなさいよ。招待されてない客はそこで門番が追い返すんだから」

「ああ、悪いわね。これから招待される予定だったのよ」

 

 それにしてもこんな雨の中に人がいたのか、一応ぱっと確認したつもりだったのだけど気づかなかった。一刻も早く雨宿りをしたいとは思っているけれど、流石に家の人がいるんだったら挨拶ぐらいしていたのに。

 特に、咲夜が仕事先だって言っていたこともある。伝手として名前を出させてもらおうとは思っているけど、この前荷物運んでもらってお世話になったから不必要な迷惑をかけたくない。

 

「で? こんな雨の中、当館にいったい何のご用件なのかしら?」

「咲夜に取り次ぎを頼みたいのだけど。ほら、こんな雨の中だから雨宿りさせて欲しくて」

「取次ぎ? 雨宿りに限らず、いつも好き勝手にしていくくせに。ってどこへ行くのよ?」

 

 とりあえず門をくぐれとか言っていたので、門番の少女と問答しながらも落下して地面へと降り立った。そうして門の前に立ち尽くす。

 袖に入ったお札が濡れないよう、ポンチョの中に腕を畳んで……っとと、ついに肩口あたりが染みて湿ってきた。もう猶予はないのかもしれない。

 

「門番なんでしょう? 客以外は門を通せないと言うのなら、お客様と認められるまでここで待つことにするわ。うう、それにしても、寒ぅ! 雨が降った所為で余計に冷えてきたわね……、出来ることなら私が風邪を引く前にお願いしたいわ」

 

 無事だった上着が濡れていく感触に身震いしていると、遅れて門番の少女が私の隣に着地した。

 私のことを不審気にじろじろと見た後に肩を落とし、あんまり役に立っていない傘を畳むと門に手をかける。

 

「なんだか調子が狂うなぁ。不法侵入じゃないなら門番が勝手に追い返すわけにもいかないし。とりあえずついておいで。勝手に館に入られるのは見過ごせないけど、雨の中に待たせておくのも目覚めが悪いもの」

 

 少女は門を開けて、私に手招きすると館の入り口の方へ歩いていってしまう。慌てて私もついていくのだけど、門から館の入り口までの通路も赤い。そして歩いて気づいたけど、スカートの裾は濡れて足に張り付いているし、靴下はびっちょり、靴の中がぐちゅぐちゅしてて気持ち悪い。もう最悪。

 踏みしめると水が染み出てくるこの感じは好きじゃないので、五センチぐらい浮かんでからすーっと宙をゆっくり滑って移動する。あー、初めて心から空を飛べてよかったと思えたわ。

 

「ねぇ。ところで外にいたけど、天気が悪くても門番をやらされてるわけ? 私が言うのもなんだけれど、こんな中で訪ねてくる物好きはそういないでしょうに」

「流石にこの雨の中でまで門の番をしていろとは言われないよ。ただ、一月前に花壇に植えたアネモネがどうなっているか気になってね。たまたま様子を見に外に出ていただけよ」

 

 何となしに気になったことを聞きながら少女についていき、ほどなくして扉の前に辿り着く。

 

 「っと、ちょっとここで待ってて。一応、咲夜さんにお伺いを立てるから」

 

 待てと言われたので着地をして立ち止まり、羽織っていたポンチョを脱いで水を落とす。入り口の扉の前は足場がちょっとだけ高くなっていて、屋根もついているので雨に当たらなくて済むのが助かる。ようやく人心地つけた。

 

「咲夜さーん! 客と言い張る巫女が来ましたよー!」

「別に言い張ってはいないわよ」

 

 門番の少女が館の扉についているドアノッカーを叩いて声を上げるのだけど、その発言内容がまたちょこっとだけ刺々しいというか、あんまり良い印象を持たれていないようである。

 以前からの知り合いなようだけれど、霊夢ちゃんはこの子にも何かしたのだろうか。なんだかこの幻想郷で会う人には大抵警戒されてしまって、完全に初対面だった慧音ぐらいにしか歓迎された覚えがない。

 

「私にお客様? って、なんだ。霊夢じゃない」

「やっほー、社交辞令を真に受けてお呼ばれされにきたわ」

 

 ドアの向こうからこちらに向かってくる足音もなく、まるですぐ裏にいたかのように急に扉が開かれた。そこから覗いたのはメイド服をきっちりと着こなしている咲夜である。予兆がなかったのは、また瞬間移動でもしたのだろう。まったくもって便利そうでなによりである。

 もしも私に能力があるのなら咲夜と同じのがいいな。雨に濡れず、あっという間に神社に帰れそうだもの。

 

「来いとは言ったけど、本当に来たのね。あ、そういえば、この前は軽々しく言ったけど、よくよく考えてみれば神社からは結構距離があったでしょう? また歩いてきたの?」

「とりあえずだけど空は飛べるようになったのよ。ほら」

「へぇ」

 

 少しだけ浮かび上がるとゆらゆらーっと左右に揺れて、くるりと独楽のように回ってから地面に降りてみる。かかとをつけた途端に、ぐちゅりと湿った嫌な着地音がなった。私の顔は歪んだことだろう。

 咲夜は私が飛んでいることに軽く目を見開いた後、柔らかく細める。薄く笑んだだけなのだけど、女の私でもどきっとするような美人さんである。きっと今の私と対照的な表情をしている。

 うーん。こうしている間にも私が手に持っていた雨に濡れたポンチョを受け取って、どこから取り出したのかハンガーにかけてくれてたりと才色兼備を体現したような少女なのに。これで天然ボケが入ってさえなければねぇ。

 

「えーと咲夜さん? いまいち状況がわからないんですけど、博麗霊夢とはそんな仲良かったですっけ?」

「別に、仲がいいわけじゃないわ。ただちょっと訳ありでね。ああ、霊夢に紹介しておかないと。こっちは当紅魔館の門番、(ホン) 美鈴(メイリン)よ」

 

 ほん・めーりん。どういう字を書くのかはわからないけど、音の響きからどちらの人なのかは察しがつく。

 中華っぽい服を着ている割に普通に日本語を喋っていたのでただのファッションなのかとも思っていたけど、どうやら本場の方だったようだ。もしかしたら、初めて中国人に会ったかもしれない。当然ながら語尾に「アル」なんてつけたりはしないみたいである。

 そういえば、幻想郷の外は日本と聞いていたのを思い出す。日本語もすごい上手だし、さては美鈴は日本へ来た留学生なのではないだろうか。そうなると、最近は特に日中の外交状態があまりよろしいとは言えない状態なので、留学生が日本で行方不明になったことが大問題に発展しているかもしれない。不安である。……まぁ、私が心配することでもないんだろうけども。

 

「あのぅ、咲夜さん。流石に紹介し直されるほど影が薄いつもりはないんですが。博麗霊夢とは何度か顔を会わせていますし。まぁ、そりゃ、仕事柄あんまり神社の宴会にはお呼ばれされてはいませんでしたけども」

「美鈴は最後の宴会から霊夢とは会っていないでしょ?」

「あの連日のどんちゃん騒ぎのことですか? 確かに最後に会ったのはその時ですかね。門番のお休みの日にようやく参加できたと思ったら、いくらもしないうちに霊夢に追い出されちゃいましたけど。久々の宴会だったから、たらふく呑んでやろうと思ってたのに」

 

 やっぱり近すぎるのはよくないのかな、などと日本とアジア圏の外交に思いを馳せていたら、何故だか知らないけども美鈴に睨みつけられていた。

 なんだなんだ。二人が何を話してたのかまったく聞いてなかったけども、また身に覚えのないことで恨まれている気がする。さては反日感情がどうのとかか。

 

「そうそう。その日の後にどうしてか頭を打ったらしくて、諸々の記憶が飛んじゃってるみたいでね。聞いてみたらお嬢様が起こした異変のことすら覚えてないのよ。あ、霊夢の方は美鈴に見覚えはある?」

「ないわね。まったく」

「そう、よかった。これで美鈴にだけ見覚えがあるだなんて言われたら、お嬢様がふてくされているところよ」

 

 咲夜の問いかけに即座に首を振ると、咲夜は悪戯っぽくにっこりと笑った。どうやら私が物思いにふけっている間に、美鈴に霊夢が記憶喪失になっていることを説明してくれていたようである。実際のところ中身は別人なので、彼女に見覚えがあろう筈がないのだけど。

 東方うんちゃらで見たことがあるのも、残すはブレザーを着たウサギ耳少女だけである。なんかそれっぽい絵柄だったし、最初見たときは霊夢も魔理沙も咲夜も、みんなまとめて男性向けのいかがわしいゲームのキャラクターなのかと思ったものだ。

 

「ふうむ、なるほど。そういうことでしたか。博麗霊夢は殺しても死なない珍しい人間かと思っていたんだけどなぁ。まったく、人間は脆く出来てていけないね」

「あれ? 人間は、なんて言い方をするってことは、美鈴は妖怪なの?」

 

 てっきり空を飛べる人間かと思っていたので疑いの目を向けたのだけど、美鈴は気を悪くした様子もなくにかっと笑みを返してくる。

 

「見てわからない? (れっき)とした妖怪だよ」

「四千年の歴は見てわかるようなものじゃないと思うわよ」

 

 そう美鈴は言うのだけど、彼女の体からは紫やレティから感じたような妖怪がみんな持っている妖気を見つけにくい。そこらで飛んでいる妖精の方がよっぽど妖気を持っているように感じてしまう。

 だけども、以前に紫がしたように妖気をぶわっと溢れさせたり出来るってことは、逆に体の中に抑えこむことも出来るのかもしれないのでこれだけだと何ともいえない。美鈴のような在り方が気配がないということなのかもしれない。実際のところはものすごく弱い妖怪なだけかもしれないけど。

 

「ま、妖怪を自称するならそれでもいいわ。問題は妖怪らしく悪さをするかどうかよ」

「自称って、本物なのになぁ……。だいたい、妖怪相手に悪さするかどうかなんて聞いてどうするつもり?」

「悪さするなら博麗の巫女として退治しないといけないじゃない。他所様に迷惑をかけて面倒になる前にやっつけておかなきゃ」

「はぁ。記憶がないといっても中身は変わらないね。いや、妖怪と聞いて飛び掛ってこないだけ丸くなっているのかな。生憎だけど、私は紅魔館の門番を仰せつかっているのさ。滅多に人間は寄り付かないし、数少ない人間の客人は紅白か白黒のどちらも食えない奴ときた。これじゃあ、人間に悪さしようもない」

 

 「そうなの?」と咲夜に目線をやると、彼女は目を瞑った澄ました顔でこくりと頷いた。

 ふむ、彼女は職務に忠実らしい。流石に咲夜の知り合いを退治するのは気が引けたので、美鈴がいい妖怪でよかったとしておこう。

 

「ところで霊夢。お呼ばれされに来たなんて言っていたけれど、この辺りまで出向いてきたのには何かしら目的があったんでしょう?」

「まあね。ちょっと知り合いに妖怪退治を頼まれちゃって。妖怪の山の麓に出るっていう妖怪姉妹を退治しにきたのよ。向かう途中で雨に降られちゃったから、ちょっと雨宿りさせてもらえないかと思って」

 

 そう言いながら背後でばしゃばしゃとバケツをひっくり返したような音を立てて降っている雨を指差し、お手上げという風に肩を竦めて見せた。

 明らかにさっきより雨脚が強くなっている。ここまでだと洪水警報が出てもおかしくないぐらいだ。

 

「いつもアポなしで来ては好き勝手にくつろいでいたから、雨宿りぐらいは何の問題もないと思うわ。それよりも、この辺りに出る妖怪姉妹ねぇ……私に心当たりはないけど。美鈴、あなたは知ってる?」

「うーん、この辺りの妖怪連中にならそれなりに顔が利くんですけど、思い当たるのはちょっといませんね」

「そう……姉妹だからといって、まさかうちのお二人じゃないだろうし」

 

 心当たりがあるのかないのか、二人してあーだこーだ言って首をかしげている。まぁ、もし所在がわかったとしても今日は雨が止むか弱くなるかしたら神社に帰るわけで。以後も雨天の際、妖怪退治は後日延期とさせていただくことが本日付で決定しているのである。

 ともかく、いつも好き勝手にするぐらいには霊夢ちゃんは気を許されていたらしいし、雨宿りも問題ないとのことなので遠慮なしにお邪魔させていただこう。

 

「咲夜ー、タオルとかあったら貸してくれない?」

「そういうと思って、今さっきタオルと着替えを持ってきたところよ」

 

 許可も得ずに扉から館の中に入ると、いきなり広いエントランスに出た。そして外が黒雲で覆われているのを差し引いても少し薄暗い。照明はついているようだけれど、目視に困らない程度といったところ。

 美鈴とずっと話していた筈の咲夜の腕には、いつの間にやら真っ白なタオルと衣服一式がかけられていた。また時を止めて持ってきたらしいけれど、私が言った時にはもう用意が終わっているのだから本当に気が利くメイドさんである。

 

「着替えは私の予備だけれど、構わないでしょう? というか、霊夢とサイズが合いそうなのはここじゃ私ぐらいしかいないもの」

「別に私の服でもいいですよ? 少し大きいかもしれませんが、着れない事もないと思いますし」

「勝手に人の部屋に入って服を持ち出すような無作法はしたくないわ。それに、美鈴に持ってきてもらうとなると霊夢を濡れたままで待たせることにもなるしね。そもそも美鈴の服じゃ私のよりもサイズが合わないわよ」

「ああ、まぁ。大きいものね」

 

 咲夜がちらっと美鈴を流し見るのにつられて私も視線を送るのだけど、まぁ、お見事である。

 美鈴の高めの身長を考えても大きい部類なのではないだろうか。女の私でもパッと見でまずそこに目が惹かれるぐらいだ。わがままボディである。

 美鈴の身長は咲夜と同じぐらいで、どちらも今の私より高いのだけど、美鈴>咲夜>霊夢なのである。どことは言わないけど。

 ちなみに元の私の身長はたぶん美鈴と同じかちょっと大きいぐらいなのだけれど、霊夢=元の私である。どことは言わないけど。

 ……言わないけど、まぁ魔理沙には勝っているようなので良しとする。

 

「ああ、二階に上がって左手二つ目は空き部屋だから、着替えるならそこを使って。もちろん、ここでタオルで拭いて、水が落ちないようにしてからよ。移動する時は飛んでちょうだいね」

「わかったわ」

 

 咲夜の口振りから余り館内を濡らしたくないことを察して、言われたとおりに渡されたタオルで出来る限り水気を拭き取ってから言われた部屋へ飛んでいく。二人もついてきてくれるみたいだ。

 二階の部屋の前に辿り着くと、遠目には閉まっていた部屋のドアが一瞬で開いた状態に変わって、咲夜がそのドアの横に現れた。どうやら、着替えを持って後からついてきた咲夜が先回りして開けてくれたようである。

 

「ありがと」

 

 着替えを受け取り、部屋に入ってドアを閉める。高そうな机の上に着替えを広げて検分してみると、サイズ的には今の私でも問題なく着れるだろう。ご丁寧に、真新しいソックスと黒いパンプスまで用意されていた。至れり尽くせりである。

 着るだけなら問題はなさそうなそれらを前に、けれど私の顔はひきつっている。というのも、それが今咲夜が着ているメイド服と同じものなのである。なんとヘッドドレスまで用意されている。

 普通、仮にも客人の着替えに使用人の服を渡すだろうか。……失念していた。そういえば咲夜ってば、人里でもメイド服を着て買い物しているような天然さんだった。同じく人里で巫女服を着て買い物していた私に言われたくないだろうけども。

 

「……ねぇ。着替えなきゃ駄目、よね?」

「出来ることなら着替えて欲しいわ。ある程度は拭いてあるから大丈夫だと思うけれど、何かの拍子に調度品が濡れたりすると手入れが面倒なのよ」

「そう、そうよね」

 

 部屋の外へと声を投げかけると、すぐさま咲夜から声が返ってくる。ぐう。これを着るのか。私が。

 このフリフリの巫女服にもようやく慣れてきたと思ったら、今度はメイド服である。しかも、裾にフリルつきの青いワンピース(加えて、恐ろしいことに丈が膝ぐらいまでしかない)に、中に着るブラウスの襟元にはフリルがあしらわれ、肩のあたりにもフリルがちりばめられている。エプロンの裾にもフリル。フリル、&フリル、+フリル。

 咲夜は私を精神的に殺す気なのだろうか。十台の子たちからおばさんと言われればもう反論できない、二十台後半そろそろ三十路になる私がこれを着るのか?

 なんなの? 公開処刑なの? もう五歳若ければ、多少の抵抗はあってもこれを着れたかもしれない。若さを理由にすれば勢いでいけたのかもしれない。けれども、残念ながら時は巻き戻らないのである。

 せめて、せめてこんなキャピキャピ(死語かもしれない)したのじゃなくて、野暮ったいロングスカートの歴史ある感じのメイド服ならよかったのに。

 

「もしかして、気に入らなかった? 一応、三着あるうちの下ろしたばかりのやつなのだけど……」

「そんなまさか! 気に入らないだなんて、滅相もございません!」

 

 しかし、部屋の外から聞こえてきた咲夜の若干不安げな声に私は即座に否と返していた。

 三着しかない着替えの、しかも下ろしたばかりのを貸してくれた咲夜に非などあろう筈が無い。着たくないなどと言える訳がない。無理を言ったのは私なのだ。

 

 ネガティブに考えちゃ駄目。こういう時こそポジティブに考えなくては。

 ……私は、諦めていなかっただろうか。二十歳を越えたあたりからフォーマルなスーツばかりを着るようになった。精神的に落ち着き、私生活でも派手な格好は控えるようになった。たまに夜中、コンビニに部屋着のスウェットで出かけてしまうけれど、まぁ外出時は九割六分ぐらいはピリッとした格好をしてるのだ。けれども、私にもこういうふりふりした服装に憧れがあった筈だ。この二十余年の人生、着ようとも買おうとも一度たりとも考えたことはなかったけども。

 生憎私は女性にしては声が低く、身長が高い。可愛いよりは綺麗、綺麗よりは格好良いなどと言われてきた。だからこそ、心の奥底ではこういうロリータファッションなんかが似合う容姿をうらやましいと思っていたに違いない。きっとそうである。そうでも思わなければやっていられない。

 幸い、今の私の見た目は十代前半。やらかしたとしても笑って済まされる。っていうか、そもそも外っ面はまったく別人だし? 私的にはノーダメージで済むんじゃない? まぁまぁ、それに顔が良ければ許されることってのは世の中に往々存在する訳で、きっと中身が歳食っててもきっと許されるわよね?

 

「ぐ、ぐおおお……!」

 

 いけるいける、むしろばっちり似合うに違いないわ! などと自分を鼓舞し説得するも、くぐもった苦悶の声が口から漏れるのは止められない。

 私は薄暗い部屋の中、両手で頭を抱えてうずくまっていた。ひれ伏すように向けられた頭の先には机の上に鎮座している咲夜のメイド服。さながら私は、十字架を前に悶え苦しむ邪悪な吸血鬼である。

 

「咲夜さん。なんか中から異様な声が聞こえてきますけど、そんな葛藤するようなことありますっけ?」

「頭を打っておかしくなったのかもしれないわね」

 

 ……咲夜さん。ぼそぼそ話していても聞こえてます。

 

「そういえば、なんでたまに咲夜さんには敬語を使うんですかね? 霊夢が敬語使うとものすごい違和感があるんですけど」

「頭を打っておかしくなったのよ」

 

 おいこら咲夜、断定すんな。

 

 

 


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