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魔理沙の箒は結構な速度が出るようである。昨日今日と魔理沙の登場退場を見ていたので予想はついていたのだけど、実際に乗ってみるとより速い。
我が家にあった親の原付なんかよりも速い気がする。ただ、空を飛んでいるのと風が直接当たる所為で余計に速く感じているだけかもしれない。
ともあれ、命綱もなければ安心して体を預けておける足場も無い、体一つの初の空中飛行である。
「……さ」
「いやー! 流石に人一人乗っけてると、速度が落ちるな。さあ霊夢、もうちょっと速度上げるぜ!」
「…………さ、さ!」
「『ささ』? どうした霊夢? さっきまでと打って変わって随分と静かじゃないか。それになんかガタガタと震えてるし。トイレは次の休憩所までないぜ?」
「さ、さ、ささ、寒いのよっ! 察しなさいよ!」
季節は秋。普通にしていてもかなり肌寒い。上空ともなれば、気温はさらに低い。風が強くて更にドン。
魔理沙のお腹に回している腕やぴったり体をくっつけている胴体はどういうことなのか風を受けないのだけど、密着していない顔や放り出された足やらには痛いぐらいの冷風が絶えず当たり続けている。
っていうか、普通に痛い。鼻水がとめどない。寒さのあまり足の感覚なんかは消えつつある。
「ん? ああ、そっか。霊力も使えないんじゃそうもなるか」
魔理沙が両手を箒から離し、帽子をがさがさとやって小瓶を取り出している。
おい、手放し運転とか! 私の命を預けているというのにこの子は! しかし寒すぎて口が開けない。この気温と速度の中、口を開けたくない。
「風除けの魔法なんて自分にしか使ったことないからな。上手くいったらご喝采! そら!」
瓶の中身を頭上に放り投げるようにしてばらまいた。中身は粉のようで、魔理沙と私に降りかかる。
なんかちょっとかび臭いような、薬品臭いような、普段魔理沙から強く香ってくる匂いである。たぶん、ほとんどの人がいい匂いだとは思わない香りだ。私は嫌いじゃないけど。
「どうだ? 全部は無理でもちょっとはマシになってる筈だけど」
言われて気づけば、降りかかった粉がきらきらと光って、私と魔理沙の傍を漂っている。
完全に風を感じなくなったわけではないけれど、だいぶマシになっている。ちょっと風が強い日ぐらいの感じに風が弱まって、ほんのり暖かい。体感温度が大分上がった気がする。
「……本当。魔理沙すごいじゃない。便利な魔法ね」
「別に。こんなの、魔法の中でも初歩中の初歩だぜ」
そう言う割には照れくさそうに顔を逸らして、瓶をまた帽子にしまう魔理沙。
あんまり褒められ慣れてないのだろうか。顔は見えないが耳が赤くなっている。ちなみに私の耳はさっきまで冷気に晒されてたから魔理沙以上に真っ赤になっていると思う。
その後、私に褒められて気をよくしたらしい魔理沙が、更に速度を上げた上にアクロバット飛行なんかしたものだから、えらいことになった。
びっくりして腕の力が緩んで、私の体が箒から浮いたのである。一瞬だけど、体がどこにも接していなかった。ふわっと無重力体験をしてしまった。
気づいた魔理沙が慌てて方向転換してくれたから大事に至らず済んだけど、あの瞬間は生きた心地がしなかった。本当に走馬灯がちらついたのだ(ちょっと豪華になった最近の夕飯ばっかりだったけど)。
理不尽にも「だからちゃんと掴まってろって言っただろ」なんてぷんぷん怒っている魔理沙に対して、言葉を返すことも出来ずに私は押し黙る。
というのも、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけだけど、ちびっちゃったのだ。
いや、ほんのちょっとだけって表現しか見つからなかったからそう言ったけど、実際には全然出てないのよ? 出てなさ過ぎて、むしろちびってないって言い切っちゃっていいぐらい。
日本語という言語の限界を知ったわ。…………えっと、その。うん。泣きたい。
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その後、飛んでいる小さな少女の姿の妖精(妖怪コロボックルもどきではないらしい)を謎のコンパクトでサーチ&デストロイしていく魔理沙。
コンパクトから出てくるのはビームというかレーザーというか。こちらの姿を視認する前に光に飲み込まれた妖精たちはぷすぷすと煙を上げて墜落していく。
大虐殺である。正直なところ悲惨すぎるというか見るに耐えない感じなのだけど、私からは何も言えない。
どうやら魔理沙は、妖精の撃ってくる光の弾を避ける為に動いてさっきみたいに私が落ちないよう、撃たれる前に倒すようにしてくれてるらしいのだ。
それにしてもあのコンパクトみたいなのって武器だったのか。てっきり、あれは変身用の魔法アイテムかと。
魔理沙も戦う時にはあのコンパクトみたいので変身するのだと思ってた。ムーンプリズムパワーみたいなので。
ああ、もう最近の子はこれ知らないわ。今の時代はプリキュアか。知ってるの名前ぐらいで、変身に魔法のコンパクトを使うのかまでは知らないけど。
「っと、ようやく到着だぜ」
そうこうしている間に、人里に辿りついた。入り口の先にある、少し開けた場所へと私と魔理沙は降り立った。
歩いて片道三時間の道のりが、なんと三十分に短縮されてしまった。空には真ん丸の満月が薄っすら浮かんでいるが、まだ夕方というほどには空は赤く染まりきってもいない。
地面を歩くのと違って迂回したりしなくてよかったのと、途中に出てきた妖精から逃げたり隠れたりせず、魔理沙が片っ端から退治してくれたお陰だ。
「魔理沙。今度から箒の座るところには座布団くくりつけておいて」
空の旅を終えて久方ぶりの大地を踏みしめた私は、臀部に走る鈍い痛みに苦々しく顔を顰めていた。尾てい骨のあたりが痛い。
やっぱり箒は掃くものであって乗るものじゃないわ。
「何だよ。乗り心地でも悪かったか?」
「普段から乗ってる魔理沙がよく痔にならないものと感心するわ」
「そりゃまぁ。一人で乗るときは、こう、箒に腰掛けるような感じで乗ってるからな。後ろに誰かを乗っけたり大荷物を持ってるときは跨るようにして乗ってるけど、普段はこっちだぜ」
魔理沙は足を揃えて、スカートごと押さえ込むようにして箒の柄をお尻の下に当てる。
自転車の後ろに乗る時、私たちが『お嬢さま乗り』とか呼んでた乗り方だ。確かにこれなら座る場所が箒の柄でもいくらかマシになるだろう。
「そういうことはさっさと言いなさいよ。最初からそっちで乗ったのに」
「後ろにお前を乗っけてると私は跨るしかないからな。運転手ばっかり苦労するのは不公平だぜ。同乗者にもしっかり辛いのを分け合わなくちゃな」
「あんた、わかってて言わずにいたわね」
否定もせずに「へへ」と悪びれなく鼻をこすっている魔理沙を見ていると、どうも怒る気力が失せてしまう。
呆れる私に気にした様子も無く、魔理沙は魔女帽子をぐいっと被り直した。
「で、その第七容疑者との待ち合わせ場所はどこなんだ?」
「容疑者言わない。寺子屋よ。あの真新しい平屋建ての」
「新しい……? ああ、あの三、四ヶ月ぐらい前から何か作ってたとこか。あそこならこっから歩いていけばすぐだな。夕方までもうちょっとあるだろうし、茶屋で時間潰すか」
言って、魔理沙は私の了解も得ずさっさと歩き出してしまう。まだ人里に不慣れな私は、おっかなびっくりで魔理沙についていくことになる。
歩きながらきょろきょろと辺りを見渡していると、遠く入り口に門番が立っているのが見えた。一昨日に見かけたあの青年だろうか、ここからじゃ判別がつかない。
そして人里に訪れた時、門番の青年が私を見て戸惑っていた理由が何となく理解できた。『博麗霊夢』はいつも飛んできているから入り口から入ることはしなかったんだろう。
ああ、ついていくのは構わないのだけど、行き先がお店だというなら魔理沙には一言伝えておかねばならないことがあった。
先を歩く魔理沙に小走りで追いついて、声をかけた。
「魔理沙、先に言っておくわ。私はお金を持ってないわよ」
「何だよ。神社に置いてきたのか? ま、帰り際に寄るしな。別に、後で返してくれれば立て替えといてもいいぜ」
「わかってないようだからもう一度だけ言うわ。『持ってないの』。収入がない今、私が所持してるお金は向こう数か月分の食費に消えることが決定しているの。お茶屋さんに行って時間を潰すのなら私は水だけでいいから。もし水がタダじゃない店なら外で待ってることにするわ」
「あー……そっか。うん。その……勝手に行き先決めちゃって悪かったな。ええと、私が誘ったんだし、お茶代ぐらいは出すからさ。代金は気にすんなよ」
ばつの悪そうな魔理沙が、ぽん、と私の肩を叩いた。私は今、明らかに憐憫の眼差しを向けられている。
いつか収入があったら魔理沙にお返ししてやる。覚えてろ!
――なんと魔理沙は、お茶屋さんでお茶以外に、餡子のお団子も奢ってくれた。
久しぶりの甘味は殺人的だった。口に入れた瞬間なんか脳みそが溶けそうになった。幸せ過ぎて死にそう。
喜びと感動のあまり魔理沙にちゅーしてやろうかと思ったらマジで拒否された。ちょっとショックだ。
ちなみに、甘味を感涙しながら食べている私を見た魔理沙は、まるで雨の日にダンボールに入れられて捨てられた子犬が餌を貪り食っているのを見ているような表情をしていた。
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「慧音、お待たせ」
「おお、霊夢か。もしかしたら来ないかとも思ってたんだが」
私と魔理沙が茶屋で時間を潰してから寺子屋に着くと、慧音は入り口に置かれた長椅子に座って本を読んでいた。
紐閉じになっている本で、ちらっと覗いてみた感じ中身は歴史書のようである。
「結構待たせちゃったみたいね。もう少し早く来ておいたほうがよかったかしら」
「いいや、気にしないでくれ。子供たちにどうすればわかりやすく授業内容を教えられるのかはいくら考えても充分ということはないからな。しかし、完全に日が落ちると外は寒い。お前の歴史を調べるのは私の家にしようと思うんだが……そういえば、後ろの少女は誰なんだ?」
慧音がちらと視線を配らせると、その先にいた魔理沙が帽子のふちを持ち上げて笑みを見せた。
「霧雨魔理沙。この紅白の知り合いで、付き添いで、行き帰りの交通手段だぜ」
「霧雨? …………ああ、そうか。はじめまして、になるな。私は上白沢慧音。一月ほど前からこの寺子屋で子供たち相手に歴史を教えているんだ。これから里では顔を合わせる事もあるだろう。よろしく頼む」
「へえ、教師か。生憎と歴史にはそれほど興味はないな。ほどほどによろしくしてやってくれ」
手をぷらぷら振り、気の入っていない返事をした魔理沙に対して、慧音は不真面目な生徒を相手するように姿勢を正して見据える。
教える側に確固とした熱意があれば、意欲の無い生徒にも必ず伝わってくれると信じている目だ。どうやら堅物教師みたいだけど、熱血教師でもあるらしい。
「興味が無いとは勿体無いな。正しい幻想郷の歴史を知るのはとても大事なことだぞ」
「何。歴史なんて自分の分だけ知ってれば充分だぜ。そんなに他人に教えたきゃ霊夢にでも教えてやってくれ。ま、私以上に強敵だと思うけどな」
「そうか? 霊夢は興味があると言っていたから、そっちは機会さえあればと思っているんだが」
「なあ?」と慧音に振られて、私は曖昧に笑って返す。確かに、この幻想郷についてをまったく知らなかったから、そんなことを言った覚えがあった。
特に私が否定しなかったことに、目を剥いて盛大に驚いて見せたのは魔理沙である。
「霊夢がか? おいおいおい、まさか! 正気かよ霊夢。歴史なんか知っても飯にありつけるわけじゃあないんだぜ?」
「ところがどっこい。そこの慧音は歴史を食べられるらしいわよ」
私の発言を聞いて目をぱちくりさせた魔理沙は、眉根を寄せると押し黙って考え込み始めた。
慧音と私をじろじろと見比べて、ぽんと手を打つ。
「……そいつは…………そうだな。まぁそういうことなら歴史も悪くない。私も霊夢と一緒に寺子屋に通うかな。しっかし、あんまり歴史は美味そうには思えないけどな。苦そうだぜ」
「甘味の類なら言うことないんだけど。もし塩っ辛くてもお酒の肴にはなるか。しかし、あんたも大概現金なヤツね」
そんなことを話しながらうんうんと頷き合う私たちに、慌て始めたのは慧音である。
「いや、ちょっと待ってくれ二人とも。その、期待しているところすまない。盛り上がっているところに水を差してしまうが、別に寺子屋に通ったから歴史を食べられるようになる訳じゃないぞ」
「ん? そんなの知ってるわよ」
「へ? そのぐらい知ってるぜ」
「何だって? そ、そうか。お前たち、二人して私をからかっていたのか?」
私と魔理沙の事前に打ち合わせていたかのような返答に、慧音は頭痛を堪えるようにして頭を押さえてしまった。どうやら本気で勘違いしているんじゃないかと心配になってしまっていたようだ。
別にからかっているつもりは毛頭なく、いつものように魔理沙とテンポ良く流れに任せて会話していただけだ。しかしまぁ、そんな勘違いをするだなんて、なんとからかい甲斐のある人なんだろう。
魔理沙なんか、いい遊び相手が出来たといわんばかりの笑顔である。私も、なんだかんだ項垂れている慧音がなんだか面白くて笑ってしまっていたけれど。
それ以後、慧音の私たち二人を見る目が、近年稀に見る問題児のようなものへと変貌していた。
魔理沙に向けるだけならともかく、私にもとは。まことに遺憾である。