その街は狭間であり、ぼかされた境界線そのものであった。
かつて連続殺人や爆発事件、橋の大崩落などで世を騒がせた街、
名の示す通り、河口を中心に繁栄したその都市は、かつては海だった場所を埋め立てながら土地を拡大してきた。古い土地は忘れ去られ、新たな土地は海を侵食して出来た。まさに海と陸の狭間にある土地だ。
江戸時代頃から始まった埋め立ては近代化に伴う人口の増加により、持て余したゴミ処理先としてさらに進み、今では元々陸地だった場所は全体の半分をとっくに下回っている。新たな土地は大企業のオフィスビルが立ち並び、大型のレザー施設が乱立している。開発の進んだ先進都市としての姿の背後に、多くの人々がたしかに息衝く坩堝。
そんな街のとある所にあるマンション、スノーフィールド枢洲の一室で、一人の少女が緩やかに目を覚ました。
「……っ痛ぅ」
すぐに目を開けようとはせずに、ゆっくりと手を額に当てる。ひどく頭が痛い。原因は分かっている。久しぶりに、あの夢を見た。それだけの話だ。起き上がらずに首だけを回して時刻確認。日付けは7/2。シンプルなデザインの目覚まし時計、その二つの針はそろそろ七時を示そうとしているところだった。
ああ、と少女は寝ぼけた頭で考える。そろそろ、彼女が来る頃合いか。
ちょうどその時だった。ドンドンドン、と誰かが扉を荒っぽく叩き出した。音の間隔も、どこか投げやりな感じがする。慣れきっているがゆえの適当さだ。
「おーい、
「……ふぁーい」
こうなっては仕方ない。ドアの向こうの親友は、自分が鍵を開けるまでドアを叩き続けるだろうから。のそり、と身体を起こす。
こうして少女――
目覚まし時計をリセット、扉を開けて、親友を迎える。寝ぼけ眼のまま顔を洗いに洗面所に赴くと、キッチンの方から物音が聞こえた。おそらく朝食の準備をしてくれているのだろう。瞼を擦って鏡を見れば、寝癖のついたショートヘアの少女が、生気のない視線をこちらに向けていた。
怜夜がリビングに戻ると、すでに朝食の準備は完了しており、作った本人はソファに沈んでテレビを眺めていた。
「お、やっと着替えたか。早く食べなよ、冷めちゃうから」
そう言ってテレビ鑑賞に戻る。席に着いた怜夜からは、彼女の長く艶やかな黒髪しか見えない。いただきます、と小さく言ってからパンをかじる。手作りとは言え簡素なもので、それだけで怜夜にとっては十分なものだった。
「ねぇ
パンを飲み込みながら、ソファに座る親友――
枢洲市の中心部近くに位置する大学病院、その院長の孫娘。そんな肩書を持つ静莉だが、今こうしてソファに寝転がる姿を見ていると、威厳もなにもないように思えてしまう。
「特になにも。ああ、南枢洲駅からすぐ近くのショッピングモール、明日から開業らしいよ」
「海沿いの?」
「そうそう。海を見渡せるレストラン街で舌鼓を打つ!、だってさ」
「いいね、今度行ってみようか。偵察がてら」
「じゃあわたし、ダンボール被っとく」
気怠そうな声がソファの向こうから帰ってくる。このソファは安物ではあるが、横たわった者をことごとく眠りに誘うともっぱらの評判なので、怜夜自身は朝にはソファに腰を落ち着けないようにしている。
「そろそろ食べ終わった?」
「ん、もうちょっと」
「そ。んじゃ、行くか」
ここに引越して以来、静莉は毎朝こうして怜夜を迎えに来てくれている。いつも怠そうにしてつっけんどんでも、やはり怜夜にとって彼女はヒーローだった。初めて会った、あの日から。
もちろん、そんな気恥ずかしい言葉を口にすることはほとんどなかったが。
制服のファスナーを閉め、忘れ物がないか手短に確認したあと、靴を履いて玄関を出る。
「……いってきます」
部屋の主に返る言葉は、ただ沈黙のみだった。
―――――――――
海に面した埋め立て地、どことなく人工的な印象のこの街に聖杯が降り立ったのは、わずか二日前、6/30のことだった。
異常なマナを感知した時計塔と聖堂教会は少なからず動揺し、お互いの組織に不信を抱きながらも、当面の間協力して、その『聖杯らしきなにか』を監視することで合意した。問題となったのは、監督役だ。通常は教会側から実力者が選出されるのが常だが、今回は特例であるうえ、急を要する事態だった。交渉は混迷を深め、昨夜ようやく一人が選出された。
7/2。時刻は深夜。
「……プハァ」
その男は教会の壁に寄り掛かって座り込み、だらしなく脚を投げ出しながら紫煙をたゆらせていた。指に挟んである煙草の銘柄には『煙龍』とあった。擦り切れたコートとズボンが、長年の安定しない彼の人生そのものを物語っている。
「おい、教会の中で煙草は禁止だぞ、バスティアン」
横からかけられた声に、彼――バスティアン=レオミュールは視線をずらす。
「昨夜からふかしっぱなしじゃないか。早死にするぞ」
「……説教でも垂れてくれるのか」
そっけない返しに、暗がりにいた男は笑う。バスティアンは今でこそ魔術協会の厄介者、封印指定執行者の一人だが、かつては男と同じく聖堂教会で神の御名の下、代行者として非常に優秀な人間だった。"あの女の唆しさえなければ"、今も優秀な代行者として男とともに働いていただろう。
そもそも男は代行者見習いの頃の彼を知っている。生真面目で頑固なところもあったが、優秀だった。懐かしさを覚えながら、男は話し掛ける。
「今回の聖杯、どうやらアインツベルンから逃げ出したお尋ね者らしい。まあ正体はどうあれ、お前にはこれから押し寄せるであろう、聖杯を求める
「…………」
「はっ、そう固くなるな。なにぶん急な開催だから、イレギュラーが多過ぎる。監督役なんて形だけさ。ただ、代行者の経験があるうえに時計塔の封印指定執行者であるお前なら、参加者から狙われたとしても死ぬことはないだろうってことさ。監督役がいるのといないのとじゃ、大きく違うからな」
数年ぶりに旧友に会ったことで、男は多少なりとも舞い上がっていたのだろう。まだ聞かれてもいないことをぺらぺらと喋った。
「つれないな、お前は。霊器盤の反応もまだ二つ、ランサーとアーチャーだけだ。本格的に聖杯戦争が始まるまで、安心して休んでおけ。どうせ仕事は山ほど湧いてくるんだからな」
バスティアンが男にジロリ、と目線を向ける。その値踏みするような視線にさすがに男もムッとしたが、レオミュールは素直に紫煙を漂わす煙草を口から話して、ゆったりと立ち上がった。
「ご忠告ありがたいが、俺にはやらなきゃならないことがある」
「へええ、それはどんな――」
ゴボッ、という不自然な音が、男の喉に込み上がった。気管に血液が詰まる音が。
(な……?)
見下ろせば、自分の胸板から突き出るそれに、嫌でも気づいた。それは背後から男に突き刺さり、気管支を丸ごと破壊し、当たり前のように皮膚を破って存在していた。
不気味な呪いの紅を宿し、この世の物とは思えぬ存在感を放つ、一本の槍。目の前の陰惨な事態に対してまったく驚く様子もなく、バスティアンはもう一度煙を吸い込みながら淡々と語る。
「俺の目的は、教会の監視だの監督役だのじゃない。お前達聖堂教会と魔術協会が手を合わせて殺した彼女を、この手で蘇らせること」
(槍……サーヴァント……)
意識の遠のいていく頭に描かれた考えは、やはり最悪の形で的中した。
「もう離していいぞ、"ランサー"」
「――ふん。わたしに
背後からの声とともに、赤い槍が男の胸から乱暴に引き抜かれ、男は硬い石畳の床に崩れ落ちた。
「アインツベルンが産んだ『アレ』を利用してでも、な」
煙を吐き出しながら、バスティアンが何事かを呟く。それはまるで祈りの文句にも似た、紛れも無い魔術の詠唱。途端に煙草の先から明らかに尋常ならざる規模の碧い炎が揺らめき立ち、さながら剣のように伸長した。
「その、魔術……あの女の……ッ!!」
「その汚ぇ口で、俺の妻の名を呼ぶな」
その言葉を聞き届けた男の意識は、そのまま碧く燃え上がる業火の中に消えた。
さて初っ端から死人が出ました。哀れ聖堂教会ェ・・・
はじめまして。くーろん。と名乗ってます。ルビって難しいですね。機械オンチのワシにはキツイです、はい。
一度はやってみたかったオリジナル聖杯戦争。影に埋もれる宿命のfade/stay shade。始まり始まり~。
呼ばれる鯖は比較的知名度の高いやつらです(一部例外あり)。
構想自体がだいぶ前に練ったものなので、鯖が一人fate/GOとかぶってます。齟齬のないように調整はするつもりです。ごめんよ先生。