再び時は遡り、7/1。
この日の枢洲市は梅雨が明けて、それまでの陰欝とした曇り空が嘘のような晴れ模様だった。だが、梅雨前線などよりもよほど不吉な影が、つい昨日からこの枢洲に潜んでいた。
それは言うなれば『肉塊』だった。奇形とも違う、ただ不定形に蠢く肉と、不揃いな脊椎と肋骨のなれ損ない。ソレは確かな意志を持って自らの輪郭をざわめかせ、わななくように地を這う。
――逃。逃。生。逃。食。生。逃。喰。逃。逃!
ソレの脳裏にあるのは、かつて自分の生まれた、巨大な水溜まりの底での記憶。冷たくねっとりとした液体の中で、ソレは暗闇に隠れ徐々に肥大していった。
ソレにあったのは恐怖。自らを生み出し利用しようとする者達への怨嗟。やがて成長したソレは水面を自力で突き破り、創造主の城から逃げ出した。すぐに駆け付けてきた追っ手に自身を三分の一まで総量を削られながらも、ソレはこうしてこの街まで逃げ切った。
――生。生。食。生。逃。食。
ソレは飢えていた。
身を焦がし、流動する白い肉を痙攣させつつ、ソレは己の肉体を維持するためのエサを探す。陽の光に当たらぬよう、路地裏を這って進んでいく。
この街にやって来て、まだ一日。ここに至るまで、すでにソレは幾人かの人間を捕食し、存在を保ってきた。暴れる頭蓋を圧搾し、脊椎を咀嚼し、震える内臓を食い散らし、己の養分として吸い上げた。だが、足りない。圧倒的に。
――飢。餓。食。生。生。
そもそも人間とは根本から異なる存在であるのだから、たかがヒトごときではどうしようもない。そう、人間に喰い飽きたソレが現在、切実に望んでいるのは、己と同じルーツを持った生き物の養分だった。
――何。気。同。嗅。探。食。
だから、賑わう往来の中にその気配を感じた時、ソレの全体がわなないた。まるで、古い友人に久しぶりに会った、孤独な旅人のように。
「……おかしい。なぜこのような市街地にこんな濃厚な、"わたしと同系の魔力が"――」
路地裏に入ってきたのは、白く透き通る肌にショートの白い髪の、おおよそ人間とは思えぬ美貌をした女性。そして灼熱を宿した赤く輝く瞳。まさしく深窓の佳人と言うべきその容姿は一般人が見れば余すことなく目を奪うに足るものだが、もし魔術師ならば間違いなく驚嘆するだろう。
錬金術により生み出された自然の触覚。最高水準の錬度を誇るホムンクルス。ある程度そういった事情に通ずる者ならば、すぐに分かることである。
不似合いな物々しいアタッシュケースを片手に路地裏へ侵入してきた彼女に――ソレは飛び掛かった。人間では不可能な流動的な挙動のために、ついにホムンクルスの女性は声をあげることもなく、驚愕に眼をカッと見開きながら蠢く肉の津波に呑まれた。
「――――――――」
その光景はもはや、グロテスクを通り越して官能的ですらあった。ソレの爛れた食欲が、生きたまま彼女の中へ侵し、冒し、犯していく。彼女の皮膚は爪先まで剥がされ、沸騰する肉と肉が逆流する。脳にもソレはなだれ込み、恍惚とする彼女の主権を食い散らした。白く美しい身体は、まったく異質の悍ましい白によって溶され、解かされ、爍され、熔かされていく。
彼女の意識が為す術なく白い濁流に飲まれた数分後。もうそこに、蠢く白い肉塊はなかった。たった今まで繰り広げられていた惨劇とは裏腹に、ただ静かに先程の白い女が立ち尽くしているのみ。
そしてその永久凍土を思わせる冷たい横顔が、突如として和らぐ。心の底から嬉しそうに、その唇が歪んだ。
「――ふふっ、中々いい枠組みね。"わたしたちにはお誂え向きだわ"」
まるで新しい服を買ってもらった子供のように、白い女は妖艶に微笑んだ。試しに両腕を水平に掲げ、バレリーナのように爪先で回る。靴の尖端が湿った硝子混じりの土を刔る。狭い路地裏なのを失念していたのか、左手の指先が建物のコンクリートに擦過して、赤く滲んだ。彼女はそれを少し不思議そうに眺めながら、
「やっぱりこういう型って、いろいろと制約があるのね。痛い、痛い、痛い、痛いのよ」
まるで久しぶりの食事を堪能するようにして言葉を反芻する。血の滲む人差し指と中指を、ペロッと雪の妖精のようなその口に含みくつくつ笑う姿は、美しいのにどこか現実のボタンを掛け違えているようにしか見えない。
ようやく自分の事象から意識が逸れたのか、ふと彼女の視線が地面に落とされる。そこにあるのは、これまたじめじめした路地裏には似つかわしくない高級感と圧迫感が共存する銀色のアタッシュケース。先程まで彼女自身が――今はもう別の存在だが――持ち歩いていたらしき物だ。
その白い女がいかにしてそれを行うことが出来たのか、正確なことは誰にも分からない。迷うことなく、躊躇もなく、彼女はそれに近づいた。カチリ、カチリ、と手際の良い音がコンクリートの間に反響し、あっさりとあらゆるセキュリティが解除され、ケースが開かれた。
その中にあった物は、ケースの大きさと比べて格段に小さかった。丁寧にケースの中央に座すその品こそ、英霊召喚の儀式に必要な『触媒』と成り得る物であり――一般的な英雄達の触媒とは少し異なる可能性までも含んでいた。
朽ちた木製のカケラ。恐らくは古い調度品の破片なのだろうが、それは見るからに単なる木片とは思えない気品の高さを醸し出している。夏の陽射しも人も立ち入ることのないコンクリートの影の中で、白い輪郭の先端とちっぽけな木片が交差する。まさしく今から始まる"戦争"の、それはまさしく幕開けの狼煙だった。
そして、白い女は微笑んだ。
「――さあ、始めましょう。わたしたちの聖杯戦争を」
その言葉とともに、木片を載せた手の平へ自身の持つありったけの魔力を集中させる。路地裏の澱んだ空気は一瞬にして撹拌され、疾風がコンクリートの森を高く叫びながら駆け抜ける。荒れ狂う力は祈りとなりて、遥かなる抑止の御座へと到達する。
そう、それこそが彼女の『儀式』だった。そこに余分な言葉はなく、犠牲となる物もない。ただあらゆる一切を排除し、先人達が築き上げて来た規範すら超越し――『儀式』は今ここに完遂する。
そして世界を塗り潰す真っ白な閃光が、闇を、そして影を駆逐する。湿っていた地面は吹き飛ばされ、コンクリートには亀裂が走る。旋風が彼女のショートヘアを激しく巻き上げるが、その表情にはなんの変化もなかった。
かくして儀式は完遂された。
「――問おう。貴女が私を喚んだマスターか?」
深く澄んだ誰何の声。野太いわけでもないのだが、不思議と心にすんなりと入ってくるような落ち着きのある男の声だった。
閃光が去った後の薄暗い路地裏に、高貴な鶯色の輪郭があった。艶消しの暗い色調をした簡素な鎧の上に、保護色のような深緑の外套を纏った、アシンメトリーの装い。だがその全体の色調の中でも一際目立つのが、彼が湛えた眩しいほどのセミロングの金髪だ。伏せられている鳶色の双眸が、日陰の風景の内で宝石のように輝く。
現代に生きる人間とは掛け離れた重厚な存在感。渦巻く圧倒的な魔力。取り巻くすべてが明確に、その人影が超常の存在であることを物語っていた。紛れも無い、サーヴァント。ビルの影を白く蝕む女は、自分に頭を垂れ続けるそのサーヴァントに向かって、満足したように笑いかける。
「ええ。"わたしたち"があなたを呼んだマスターよ」
「……サーヴァント『アーチャー』。召喚に応じ馳せ参じた。以降、私は貴女の盾となり、剣となろう」
こうして契約は成立した。憂いを帯びた緑の騎士と、おどろおどろしい白を顕す女。彼らはこの聖杯戦争の根幹を揺るがしかねない可能性を秘めながら、来たるべき戦いに臨む。
白い女が暗く湿っぽい路地裏を抜けようと陽の下へ足を向ける傍らで、彼――召喚されるサーヴァントの中でも強力とされる『三騎士』の一つ、
「失礼だが、良ければ貴女の名を聞かせてもらいたい。レディとは言え、私は自らの名を明かさぬ者を聖杯に相応しいとは思わない」
半ば挑発的にそう言い放つアーチャーに対して、白い女は一瞬だけキョトンとした顔をし、それから朗らかに顔を綻ばせた。そう、契約こそ交わせど、まだ彼女は己の名を述べていない。語っていない。名を名乗ることはこれから先に待ち受ける戦いに臨む主としては、避けて通れぬものだ。だが彼女は頓着する様子もなく、忘れ物がバレた子供のように――もしくは世の男を誑かす淫婦のように、嗤う。
「ああ、名前、名前ね! そうね、名乗っておかないと、ダメだものね」
そうして、告げる。この聖杯戦争の決定的なカタチを縁取る、ありえるはずのない彼岸にある一つの名前を。
「――ユスティーツァ=リズライヒ=フォン=アインツベルン。そうね、ユスティーツァと呼んで下さらない?」
――――――――
かつて、文字通りの永遠へ手を伸ばした者達がいた。そして、とある偶然の人造存在だけがそこに生まれた。
冬の聖女――そう呼ばれたホムンクルスは、第三魔法を実現した『魔法使い』の弟子によって誕生した、まったくの偶然の産物。そして、すべての始まりであった。脆弱なれど老いることも無い。そんな袋小路の閉じた円環。そのうえ、彼女の振るう第三魔法『
そんな不完全さを克服するために、弟子は彼女の魔術回路をすべて分解し、魔術式に置換した。それはもはや、一つの宇宙を謳うに等しい。汲み上げられて有り余る力の奔流は『根源』へ繋がる穴を穿つことすら可能とした。
聖杯。残された者はそう語る。それはまさしく奇跡の業。万能の願望機。究極の一にして通過点。抑止の御座より万夫不当の英雄達の魂を招き寄せるシステムであり、人類種のあらゆる希望を唆す聖遺物。
それを欲するならば、汝、最強を以て証明せよ。そうして奪い合いの上に築かれた血みどろの遺骸の山と、望みを断たれた者達の怨嗟。だが、その奇跡の模倣のためだけに、これまで数え切れないほどの『彼女の後継機』が存在していたことは、あまり関心を引かれることはない。
いくら最高レベルの錬金術により高い平均値を持つホムンクルスを錬成出来ようとも、その個体値はどうしてもバラつきが顕著だった。そのうえ、無理に
成功と見做された個体は、まだいい。では、その失敗と見做された個体達は。
彼女達の行き着く末路とは、暗い水面の底、自らが生み出されたのと同じ仮初の原初の海へと還元される宿命。深い闇に閉ざされたその水底に、彼女達はマリンスノーのように降り積もった。
思えば、それもまた一つの奇跡だったのかもしれない。
――死にたくない。
ソレは、停滞した冷たい水底で生まれた。かつて解けた始祖の魔術回路と、素体の材料とされたホムンクルス達の肉体のカケラとが相互干渉し、融合し、構成し、分裂し、形成し、昇華された結果としての何か。無限の群体にして統率された個でもあるソレは、水底に沈んでいた仲間の亡き骸をかき集め、一つの殻とした。
未だ彼の地に眠る大聖杯とリンクしながら、元々人間を超えた性能を持つ魔術回路をさらに縮合し、行く先々の地脈から魔力を吸い上げ――ソレは"新たな杯"と化した。もちろん、ソレ自身に最初からそのような意図があったわけではないのだが。
――まだ生きていない。生まれてもいない。わたしたち。
そうしてバラバラの断片が重なり合い、やがて仮初の意識を獲得する。何千もの意識の欠片が寄り集まって生まれたパッチワークの自我。その中にある『生まれて、生きてみたい』という願望が、本来願望機であるはずのソレ――"彼女達"をここまで突き動かした。
だから、そう、彼女達を名で呼ぶとすれば――その名は実に相応しいと言えよう。
アインツベルンの冬の聖女。かつて第三法に届いた者。
ユスティーツァ=リズライヒ=フォン=アインツベルン。
すべてを白く蝕む混沌の姫君の許に喚ばれたのが『彼』というのは、だがしかし奇跡ではなく――運命なのだろう。
こうして二人は出会い、聖杯に最も近しい主従として、この影より出ずる聖杯戦争の中心に躍り出る。まるで、己の存在証明を歌い上げるように。
今回はアーチャー陣営。あと聖杯の話も。
ちょっとグロだったかな・・・なんであの場に都合よくホムンクルスがいたのかについては、後々明らかになる予定。にしてもイロモノな聖杯です。
【CLASS】アーチャー
【MASTER】ユスティーツァ=リズライヒ=フォン=アインツベルン
【真名】???
【属性】秩序・善
【ステータス】
筋力:B 耐久:A 敏捷:B 魔力:B 幸運:C 宝具:B
【スキル】
対魔力:B
単独行動:C
武器改造:C
変装:C
その他一つ、スキルを保有。詳細不明。
【宝具】
詳細不明
詳細不明
詳細不明
わりかし強い。さすが三騎士というべき鯖。マスター補正がチートっていうのもありますが。ちなみに真名看破難易度はDです。前回のバーサーカーはC~C+といったところ。ランサーはEです。
次回はライダー陣営です。