6/30、とある夏の夕暮れ。時刻は午後五時を回り、すでに陽は暮れ始めている。
埋立地である
落ち行く灼陽の光を浴びて橙色にその輪郭を乱反射させるプリズムのような街の様子をガラス越しに眺めながら、とある老人は語る。
「……『聖杯』の話については時計塔より聞き及んでいます。すでにサーヴァントの召喚も開始していますので、無闇に中止させることもままなりません。このままいけば残りのサーヴァントも召喚され、七騎が揃い次第、本格的にこの枢洲の地を舞台にした戦いが始まるでしょう。セカンドオーナーとしては、まことに手痛い展開です」
枢洲市の中心近くにそびえ立つ総合病院、恵城大学病院。この近辺の住民らの医療を担う約三十階建ての象牙の巨塔。その院長室にて、その部屋の主である
「そもそもこの枢洲の土地は、つい百年ほど前までは存在すらしていませんでした。大都市から流れ出す廃棄物の処理場。そうして埋められていく海だった場所に、やがて土地が生まれ、人が住み着き、街が出来上がりました」
今、夕暮れに相対して佇む老人はただ独り言をこぼしているのではない。その言葉は照明のついていない、薄暗い空間の中を漂う。最上階に鎮座するこの院長室は、ふんだんに広い空間を利用した造りのために踏み入れた者に対して十分過ぎるほどの威圧感と不安感を抱かせる構造になっている。だが現在、この部屋は通常とは異なった状態の中、外の病棟の祝祭的な騒がしさから明確な意図を持って隔絶されている。夕陽に照らされるその空漠な部屋の中、老人の言葉が届く先には、外の斜光の届かぬ暗闇に立つ一人の男。
外見からして、年齢は二十代前半か。少し癖のある髪を下ろし、一見冷たそうな容貌を対外交渉用の柔和な笑みで塗り潰している。
「それはそれは、些か以上に出来すぎた話に聞こえますがね、ご老体。現実として『聖杯』は現れた。そのうえ、すでに数騎のサーヴァントすら召喚している……そんなバカげた『力』の消費に堪えられるほどの霊地が、突然ポンッと出現するとでも言いますか。普通ならありえないさ――埋め立てる際に人工的な調整を入れるとかでもしない限り、とか」
絡み付くような返答。蛇のような執拗さを感じさせる声だが、未だ窓際に立ったまま街を見下ろす老人は、ただおかしそうにくつくつと笑った。
「面白いことを言いますなぁ。さすがは優秀な霊地の家の方だ。元々龍脈や地脈という物はその名の通り地中に存在する物ですから、地上だけで海底、水面下にも厳然として存在します。そしてやはり人為的な干渉も可能な代物です。ただ、まさかゴミを埋め立てた元内海が偶然、良質なマナの流れ込む霊地になるなんて、あの頃は想像もしていませんでしたね。いえ、霊地というより『吹き溜まり』と形容した方が、この場合は良いのでしょうね」
「……私が言うほど、都合の良いモノではない、と?」
「ええ。いわばマグマ溜まりのようなものです。恐らくは元々海底を走っていた地脈と、陸からのものが融合した結果の産物なのでしょう。私程度の魔術師には手出しなどできませんよ。たまたま、先祖が申し訳程度に習得していた魔術を継いでいましたから、そのままこの地のセカンドオーナーとして居座ることとなったのです」
もっとも、病院経営に忙しくて魔導の探究なんてやってる暇はないんですけどね、と朗々と景吉は笑ってみせた。深い皴の刻まれたその顔を見て、薄暗闇に立っていた若い男は自分がすでに相手に呑まれかけていることに気づき、返答の代わりに苦笑した。どうやら今回の交渉相手は、伊達に歳を食っていないらしい。
「私はセカンドオーナーとしてマスター候補を擁することはありません。私自身は魔術師として低位であり、何よりやんちゃをするには歳を取り過ぎましたからね」
「親族からも候補は出さない、と?」
「こんな危ない話に、家族を巻き込むなんて心臓が縮み込みますよ。腐っても家長なんです」
「ハッ。で、僕は躊躇なく巻き込むってワケか。とっととくたばっちまえチクショー」
もはやあらゆる礼節をかなぐり捨てて、素の口調に戻った男は吐き捨てる。やけくそに言ってはみるものの、大義名分はあちら側にあることを若い男は重々承知していた。
「……まあ、形だけの代理人として呼ばれたワケだし、ちょこっとだけ参加したらすぐに引っ込まさせてもらうよ。こんなバカ騒ぎのど真ん中なんて、命がいくつあっても足りないからね」
「……その逃げ腰は、経験者ゆえのご判断とお見受けしますがな」
景吉はそう自らの所見を述べると、薄暗い部屋の隅に佇むその若者に顔を向けて、声をかける。
「マキリの話は、私も風の噂で聞いております。かく言う私も魔術師の端くれとして、とりあえずは跡取りを育てていまして。ただ、愚息の方は回路というか、才能がからっきしでしてな……。本人も、よく分からん神秘なんぞより医者としての仕事に専念したい、と言うものですから、断念しました」
そこで言葉を切って少し残念がるようにも、懐かしがるようにも見える表情でひっそりと首を振って、話を続ける。
「代わりに
呵々と笑ってみせる老人の顔は、家族に見せる純粋な優しさに満ちていた。夕陽がその皴の彫りを焼け付く橙色と黒い影に切り分けて、全容を茫洋と散らかしていく。
「まあ、雀の涙程度ですが、持ち得るすべてをあの娘に伝授して――ああ、そう、もう一人おりました。弟子……というよりはもう一人の孫とも言える者ですが、昔、近所で交通事故で死にかけたのを救助した子供がいましてな。両親は事故で亡くなり、本人にも障害が残りましたが、奇跡的に一命を取り留めたのです。最近まで遠い親戚の元に引き取られていたのですが、一年前にそちらの親戚も亡くなったようで、身寄りがないならばと今度はこちらで引き取りました。しかし、時折連絡を取ってはいましたが、やはり自分の患者がちゃんと命を繋いでいるというのは、医者冥利に尽きますな」
「へーえ、そりゃ良かった。でもそれをよりにもよって僕に言う? なにそれ皮肉? 厭味? もしかしてその両方?」
「おっと、これは失礼。ただの弟子びいきですので、お気になさらず。話を戻しましょう――すでにお話は通じていると思いますが、あなたには、セカンドオーナーたる我々の陣営のマスターになっていただきます」
さきほどのまだ和やかさの残っていた空気が一転する。ここから先は、魔術の領域に在る者同士の対話。決裂すれば即殺し合いにも成り得る領域だ。一拍置いてから、景吉は室内の暗闇へ、そこに佇む客人へと顔を向ける。
「出場しないとは言え、枢洲の管理者として、この地に起こる異常を放置するわけには行きません。そこで、代理人としてあなたを指名したのです。この手の超常には、経験がお有りでしょう?」
夕陽はいよいよ自らの輪郭を、乱立する高層ビル群の鋭利な淵の向こうへ、赤く紅く沈もうとしていた。その落陽を背に、景吉は話の先を続ける。
「高位の魔術師や精霊が跳梁跋扈する『戦争』……ただでさえ人を変えてしまう、否、"人を暴いてしまう"のが『聖杯』というモノの本質であるような気がします。下手に無関係の人間を巻き込んで、その人がそもそも強力なサーヴァントを引き連れたとしたら、その人物がどう振る舞うのか。予測不能という点において、私達には大きな脅威です。かつて冬木では、聖杯戦争に紛れ込んだ連続殺人犯が多大な被害を及ぼしたと聞きます。この地を管理するセカンドオーナーとしても、そのような二の舞だけは避けたいのです」
「……それはこっちとしても好ましい話じゃないな。こちらとしては、セカンドオーナーであるあんた方との関係をこじらせたくはないんだっての。できるだけ穏便に事を済ませたいという意見は、合うみたいだな」
その言葉に、景吉はわずかに安堵したように微笑んだ。夕方の街並みを背景にした彼の顔は、長い責務に疲れたただの老人のようだった。
「そう言ってくださると、私も安心です。どうかこの街を、よろしくお願いします」
筋違いだ、とは言えなかった。目の前のくたびれた老人に、そんな言葉を吐くことが、暗闇に佇む男にはできなかった。その背の後ろにある物の重さをある程度計り知ることができるがゆえに、なおいっそう。
もしここで、自分が逃げ出したら。男は考える。プライドや名誉はとうに捨てた。それどころか、すでに償い切れないほどの過ちを抱え続けている。今では寄る辺の無い身だ。だが――顔向けできなくなる人間達が、確実にいた。
「……ちッ、わーかったよ。まったく、一介のリーマンなこの僕にこんな戦争は向かないってのに。二度あることは三度あるって言うヤツ? クソ食らえだねホント」
吐き捨てるように言いながら、暗闇の中で男は踵を返す。事ここに至れば、もうこの場に用は無い。他人の根城のど真ん中にいつまでものうのうと居座るほど、男は呑気な人間ではないと自負していた。
だが、男が向かう先を阻むものが、一つ。院長室の扉の向こう側から響く、事務的な苛立ちのこもった女性の声。
「――結局のところ、朝霞家の方針として、代理人はこの方で間違いないのですね?」
バッ、と男の身体が痙攣するように後方へ跳ね、距離を取る。一方この部屋の主である景吉は、その新たな客人をあらかじめ知っているようで、平静な表情のまま呼びかける。
「まあまあ、どうぞお入りくたびれ」
「……失礼します」
そうして院長室に新たな来訪者が足を踏み入れた。全身を雪のような純白に統一した女だった。ショートの白い粉雪のような髪に、銀世界を思わせる白い肌。鮮血の宝玉のような紅い赤い瞳には、深窓の佳人のような儚げな風貌とは違い、灼熱の意志を宿して闇の中に鬼火のように浮かび上がる。やがてこちらを認識し、女性は口を開いた。
「はじめまして、間桐シンジ様。わたしはアインツベルンの使いとして参りました。少々お時間を頂いてよろしいでしょうか」
白い女は有無を言わせぬ口調でそう言い切った。
何を思ったのか、もうすっかり遠い目をしてしまった彼――間桐シンジは力無く頷いてから、がっくりとうなだれた。
久しぶりの更新です。申し訳ありません。アサシン陣営、長くなったので前半部という形です。というか早く戦闘シーン書きたいです……
で、ようやく例のホムンクルスさんが出てきましたー。……がんばれワカメ、君の戦いはまだまだこれからだ。
以下小ネタ。
唐突に思い付いた、見てみたい聖杯戦争。
ちなみに真名・マスター(キャラデザ)の順です。
セイバー:奈須きのこ・武内崇
ランサー:虚淵玄・中央東口
アーチャー:桜井光・中原
ライダー:成田良悟・森井しづき
バーサーカー:東出祐一郎・近衛乙嗣
キャスター:三田誠・坂本みねぢ
アサシン:経験値・経験値
見てみたくない?
異論は認める。
追記・時系列で矛盾が出る表記だったため改訂しました。わりとゴチャゴチャしてしまった…
第一章に当たるActivationは次回でひとまず終わると思います。ここに至るまで主人公に一切動きがないって……