トリオン兵が我が物顔でうろつく市街地の中。緑を基調とした隊服の男は3体の『新型』と向かい合っていた。
村上鋼。B級8位鈴鳴第一所属の攻撃手であり、同時に攻撃手ランキングでは4位に位置するボーダー屈指のトップランカーである。
だが本来のスタイルである『弧月』と『レイガスト』の二刀流ではなく、今の村上は左手の『レイガスト』のみを構えていた。既に千切れ飛んだ右腕からは、トリオンの煙が漏れ出ている。
ダメージは与えているものの、眼前の3体の『新型』は未だに健在。いかに攻撃手ランク4位の実力者といえど、この状況は左手一本で捌ききれるようなものではなかった。
純粋に言って、窮地である。
けれど、
(オレがここで敵を引きつけておけば、その分『他』が楽になる)
倒せなくてもいい。そもそも、倒すのは困難だ。村上の戦いはいかに『新型』の足止めをするか、という点にあった。
再び、3体の『新型』が迫って来る。
――だが。
耳に届いたのは、空気を割く鋭い音。背後から伸びたのは、一筋の斬撃。
村上は目を見張る。
通常では考えられない強度を誇る『新型』の装甲が頭から、一撃で破断されていた。
「無事か? 村上くん」
かけられた声に、慌てて振り返る。
「本部長……? どうしてここに?」
濃紺のコートを翻し、右手には一振りの『弧月』。彼は落ち着いた足取りで、こちらに歩み寄ってきた。
あの太刀川慶の剣の師匠であり、第一線から退いた今も、ノーマルトリガー最強の呼び声を欲しいままにする生粋の武人。本部最強の虎。ボーダー本部長、忍田真史がそこにいた。
「後ろで悠長に指揮をとっていられる状況ではなくなった、ということだ」
久方ぶりに振るう『弧月』の調子を確めるように、忍田は刃の表面を指先で軽くなぞる。敵を見詰める瞳には焦りも不安もなく、ただ淡々と標的の姿を捉えていた。
狩る者の目。そんな言葉を、村上は連想する。
「沢村くん。こちら忍田だ。村上隊員と合流した。この周辺に展開している各隊の状況を教えて欲しい」
『生駒隊は『新型』を1体撃破。トリオン兵を排除しつつ南下中。少し離れた地点で弓場隊も『新型』と交戦していますが、苦戦している模様です。王子隊、松代隊、海老名隊、早川隊は既に合流を完了しています』
「了解した。各隊のオペレーターに私の位置を転送してくれ。合流して指揮をとる」
『了解しました』
敵の目前で通信を行う忍田。当然、『新型』がその隙を見逃す理由はない。感情がないはずのトリオン兵は苛立ったように、彼に向かって飛びかかる。
「――――『旋空弧月』」
しかし次の瞬間。無骨な拳が届くよりも遥かにはやく、目にも止まらぬスピードで放たれた"四連撃"が炸裂した。
「な……!?」
それは確かに『斬撃』だった。だが、太刀川が得意とする二刀流の連撃とは、また違う。たった一振りのブレードから、どうしてこれだけの威力とスピードを生み出せるのか。『強化睡眠記憶』というサイドエフェクトを持つ村上でさえ、模倣することは叶わないであろうと確信してしまうほどの絶技だった。
忍田の攻撃を浴びた『新型』達はそのまま地面へと落下し、機能を停止する。あれだけ頑強だった装甲はまるで紙切れのように切り裂かれ、隊員を捕獲する機能を持つ腹部と急所である頭部が、真っ二つに両断されていた。
ごくり、と村上は生唾を飲み込む。
自分があれほど手こずった『新型』を片手間に、1分もかけずに瞬殺。忍田真史という人物が『強い』のは理解していたつもりだったが、実際に目にしてみるとその印象はまるで異なってくる。目の前で見て、改めて痛感する。
強い。
自分がこれから先も修練を重ねたとして、果たして彼の『強さ』に追いつける日は来るのだろうか、と。そんな風に、考えても仕方がない疑問を抱いてしまう。
「村上くん、まだ動けるな?」
「っ……はい!」
はっとして、村上は我に返った。今は呆けている場合ではない。
村上の肩に手を置いて、忍田は言った。
「きみには私の直援として動いて貰う。片腕を失って厳しいだろうが、ここが踏ん張りどころだ。頼む」
「了解です……他の地区には『人型』も現れている様です。そちらは大丈夫でしょうか?」
忍田が現場で指揮を執ってくれるのは心強いが、これほどの実力があるなら『人型』などの対処に当たった方が良いのではないか。差し出がましいのは自覚しつつも、村上はそんな質問をせずにはいられなかった。
「問題ない」
対して、鞘へ『弧月』を納めながら忍田は答える。
「南と南西も、そろそろ状況が動くはずだ」
良いか悪いか。戦況がどちらに傾くか、彼は明言しなかった。
しかし、声音に不安の色はない。
◇◆◇◆
落ち着け、とヒュースは自分に言い聞かせた。
どうしてわざわざ自分の攻撃に名前など付けるのか?
仮に攻撃方法識別の為に名付けたとして、それを敵の前で宣言することにどんな意味があるというのか?
ヒュースには皆目見当がつかないが、今重要なのはそんなことではなかった。新たな攻撃パターンを見せてきた敵に、どう対処するか。それがヒュースの成すべきことだ。目の前の男の意図を理解しても何の意味もないだろうし……なにより理解できる気がしなかった。
頭を冷やす。深呼吸して、まずは状況を整理する。
(そもそも、オレがこいつらを仕留められないのは機動戦に持ち込まれているからだ)
大前提として、磁力による『反射盾』を有する『蝶の楯』の基本的な攻撃レンジは中距離だ。足を止めて撃ち合いを挑んでくる敵なら弾丸の反射だけであしらえるものを、ヒュースの前に立つ2人はよりにもよって近接戦をメインとしていた。反発する足場と瞬間移動のトリガー。トリッキーな機動で撹乱されて対応が後手に回ってしまっている。『黒刀使い』――如月龍神に関しては、たった今手傷を負わされた故に最大の注意を払わねばならない。加えてヒュースは、赤い隊服の少女――木虎藍の動きも高く評価していた。
(女の方も洗練された身のこなしだ。侮っていてはやられるのはオレの方、か……)
出撃前にヴィザ翁が言っていた言葉が頭をよぎる。
玄界の兵を、侮ってはならない。
本当に、その通りだ。
頭を切り替え、思考を切り替え、敵に対する己の意識を切り替える。
鱗のような磁力片に覆われた左手を、ヒュースはゆっくりと掲げた。
まずはあの『足』を止める。
「ランビリス!」
威力はいらない。ただ付着させることだけを目的に、ヒュースは『破片』広範囲にばら蒔いた。
流石の木虎もそれらを全て避けることはできず、膝下にいくつかの破片が付着し、小さく舌打ちを漏らす。破片によるダメージはないが、おそらく彼女はヒュースの狙いを看破したのだろう。
もっとも、
「掴まえたぞ」
看破したところで、もう遅い。
地面を這うように薄く広がった破片は、アスファルトの道路を真っ黒に染め上げる。付着した破片が磁力に引きつけられ、木虎の右足は完全に地面に縫いつけられた。
機動力さえ殺してしまえば、貧弱な拳銃しか持たない木虎はヒュースにとってただの的でしかない。
「終わりだ」
「誰が?」
――機動力さえ殺してしまえば、だが。
光刃を握る華奢な腕が動く。
一瞬も迷わずに、木虎藍は自身の膝から下を右手のブレードで切り落とした。
(足を……自分で!?)
確かに身動きが取れない原因を切り落とせば、動けるようにはなるだろう。けれど、根本的な問題として片足を失ったことは変わらない。残った片足だけでは満足な機動はできず、走ることすらままならないはずなのに……何故?
ヒュースのそんな疑問を、木虎は根底から覆す。
失った部位を『スコーピオン』で補い、ブレードで形作った義足で地面を踏み締め、立ち竦む敵へと真正面から突進する。
「ブレードで足を……ッ!? ランビリス!」
「遅い」
木虎を迎撃せんと流動する黒片は、彼女の背後から伸びる斬撃で弾かれる。ヒュースは知り得ぬことだが、彼が木虎の援護をするのは非常に珍しいことだった。
つまり龍神も、それがチャンスだと判断したのだ。
駆け抜けざまに木虎が放った強烈な蹴りは勢いも相まって、ヒュースの左肩を完全に抉りとった。
「ぐっ……う」
後ろ手に放ってくる拳銃の弾丸を防ぎつつ、ヒュースは呻く。
油断したつもりはない。それでも、虚を突かれた。
自分が着実に追い詰められているという事実に、一度は冷やしたはずの頭が沸騰する。
「ふざけるな……たった2人に……こんなところでオレが!」
「たった2人、か。ひとつ忠告しておくぞ、近界民」
言いながら、白いコートを揺らして龍神が前へ出る。
次々に襲い掛かる磁力片のブレードも、最初に比べればコントロールの精彩を欠いていた。複雑な動きをする分、使用者の精神が昂れば制御が荒くなるのは必然だった。
そして『弧月』で黒片を捌きながら、龍神はヒュースに、
「敵の言ったことを、素直に信じるのはどうなんだ?」
何を、と。
言う前に、ヒュースの視界は突然"高く飛び上がった"。
身体を強引に浮かされた? あの反発するトリガーを使われた? 違う、距離があり過ぎる。
自問自答の末に、宙に浮かぶヒュースは眼下に答えを見る。
地面に生えていたのは、先ほどの戦いで見た『壁(バリケード)トリガー』。アレで体を突き上げられたのだ、と。そう認識するのには、どうしても一瞬の間を要した。
故に、横合い。濃紺の外套を身に纏った男が振りかぶるブレードに対して、反応が遅れた。
一閃。
右腿から下を両断される。
「貴様、は……?」
着地した男は振り返りながら、ヒュースの問いに律儀に答えた。
「悪いな。でも、ウソをついたのは如月先輩だ」
無表情のまま、烏丸京介は嘯く。
3人目の、伏兵。
こんな単純な手に――
「『穿空虚月』」
後悔を口にする暇すらなく。
『蝶の楯(ランビリス)』の防御を抜けて、黒刃の切っ先がヒュースの胸を貫いた。
◇◆◇◆
簡単に言ってしまえば、それは真正面からのぶつかり合いだった。
「ねぐせ猿の次はひげ猿かぁ!? 猿知恵しかねぇ雑魚がいくら集まってもかわらねぇぞ、オイ!」
「またずいぶんと口が悪い『近界民』だな」
エネドラの罵倒に応じながらも、太刀川は決して攻撃の手を緩めない。斬って、斬って、斬って、ひたすらに斬撃の回数を重ねていく。それでも、エネドラの体に傷が刻まれることはない。
「ハッ! 認めてやるよ! 大した腕だ。だが意味はねぇ! てめぇもスタミナ切れがご所望か?」
「それは困るな。お前を倒した後も、俺はまだまだトリオン兵をぶった斬らなきゃならない」
「ほざいてろよ! 猿が!」
余裕を崩さないままエネドラは吠えるが、影浦達に太刀川が加わったことによって、パワーバランスはボーダー側に傾きはじめていた。攻撃の密度が高まり、対処するだけで精一杯だったエネドラの攻撃に対して反撃を繰り出す余裕が生まれてきた。少なくとも一方的な蹂躙から、戦況は変わり始めていた。
(アァ……くそうぜぇ)
当然、そんな状況はエネドラにとって我慢ならないものであった。
怒りと苛立ちを剥き出しにして、エネドラは『泥の王(ボルボロス)』のパワーを全開にする。
「すっきりしねぇからあまり使うつもりはなかったが……このままチマチマやり合う方がイラついてくるぜ! さっさとくたばっちまいな!」
何の前触れもなく。
口汚い叫びが木霊した刹那、彼と適切な距離を取っていたはずの柿崎隊の面々を異変が襲った。
「え……」
「……な?」
「ッ……虎太郎!? 文香!?」
巴虎太郎と照屋文香。彼と彼女の腹から突き出た『ブレード』を見て、柿崎が叫ぶ。
だが、もう間に合わない。
『『緊急脱出(ベイルアウト)』』
無慈悲な宣告が重なって響く。
戦闘体の耐久限界を迎え、2人分の光が空へと上っていった。
「離れていればオレの攻撃は届かないとでも思ったか? トロいんだよ雑魚どもが!」
「てめえ……」
挑発に、柿崎が歯を食い縛る。エネドラは心底愉快そうに笑い声を響かせながら、漆黒のマントを大きく広げた。来るなら来い、と。そう言いたげに。
しかし影浦も荒船も、部下をやられた柿崎さえも、エネドラから距離を取るように一旦下がる。太刀川も攻撃を取り止め、無言でエネドラを見据えていた。攻撃をしようにも、これでは仕掛けようがない。
どんなに強い敵であろうとも、手の内が分かれば攻略はできる。相手の性質や癖を分析し、弱点さえ見抜ければ力の差を覆すことは充分可能だ。事実、太刀川の隣では影浦がその弱点をあと少しで見極めようとしていた。それがこのタイミングで、また正体不明の攻撃ときた。慎重にならざるを得ない。
「くそったれ……次から次へとネタが尽きない多芸なスライムめ」
「……なあ、影浦。国近から聞いた報告によると、こいつの能力は『固体から液体への変化』ってことらしいが……それに間違いはないか?」
「ちっ……なにを今更。見りゃ分かるだろーが」
「間違いないと思いますよ、太刀川さん。アイツは全身が液体なせいで、斬っても撃ってもダメージが通りません。太刀川さんの『旋空』でも同じです」
口が悪い影浦に代わって、荒船が答える。
「固体と液体……ね」
太刀川は呟いた。喉に魚の骨が突っかかったような感覚だ。ヒントはある。もう少し。もう少しで、何か分かりそうな――
「どうした? こねぇのかよ? まあ、安心しな。お前らもすぐにまとめて腹から掻っ捌いてやるぜ!」
――腹から掻っ捌く。
そのワードを聞いて、太刀川はピタリと動きを止めた。
巴と照屋がやられた攻撃には、何の前触れも予備動作もなかった。だがそもそも最初から、トリオン体の内部から攻撃されていたのだとしたら?
固体から液体へ。液体から固体へ。本当に目の前の『黒トリガー』の能力はそれだけか?
水は冷えれば氷に変わる。氷は溶ければ水になる。では、溶けた水が蒸発したら、それは何に変わる?
もうひとつ、あるではないか。
固体。液体。そして……
「柿崎! ヤツの目の前にメテオラをぶっぱなせ」
「くそっ! 了解!」
太刀川の指示は唐突だった。柿崎も半ばやけくそだったのだろう。指示を受けて、突撃銃から単発で放たれたのは『炸裂弾(メテオラ)』。弾丸というよりは爆弾に近い性質のそれは、エネドラの目の前で爆発する。
元々、ダメージを与えるよりも撹乱や建物の破壊などを目的に用いられることが多い『炸裂弾』だ。一発撃たれたところで、エネドラにダメージが入るとは思えない。
「……チッ」
だが。エネドラの高笑いは糸が切れたようにぷつりと途切れて、苛立ったように三白眼が細められた。
彼の本体には、何のダメージもないはずだというのに。
「さっきの攻撃が、こねぇ……?」
身構えていた柿崎が、拍子抜けしたように呟く。太刀川はニヤリと笑った。
「……なるほど。やっぱそういうことか。北添!」
『はいはいなんでしょ、太刀川さん?』
「ありったけの『メテオラ』をここに撃ち込め。最悪、俺達に当てても構わん」
『えぇ!? いいんですか?』
「はやくしろ」
北添との通信はそこで途切れた。正確に言えば太刀川が一方的に切っただけなのだが、それ以上疑問が返ってくることはなく、かわりに頭上から降り注いできたのは大量の『炸裂弾(メテオラ)』だった。
荒船も影浦も柿崎も、一歩下がっていた来馬も、そしてエネドラでさえも、太刀川以外の全員が呆気にとられて頭上を仰ぐ。
「ひっ……?」
「なっ!?」
「オイ、太刀川!」
「お前ら、味方にやられんなよ? うまくかわせ」
着弾。爆発。そして轟音。
破壊と衝撃の多重奏が辺り一帯を覆い尽くし、爆風と爆炎を盛大に巻き上げる。
降ってくる瓦礫の山をかわし、避けきれない分は『旋空弧月』で叩き落としながら、太刀川は全員への無線通信をオンにする。
「(今の内だ。これであの黒トリガーの奇襲攻撃はとんでこない)」
「(そりゃどーいう……)」
「(そうか……『気体』か!?)」
困惑する影浦とは違い、ようやく来馬がそれに気がついた。
エネドラの『泥の王(ボルボロス)』は、確かに固体から液体に変化することができる。だが、それだけではない。固体から液体へ、さらに液体から"気体"へと変化する。それがあの『黒トリガー』が持つ能力の全容。
「(巴と照屋が最初に狙われたのも、単純な理屈だ)」
気体化したエネドラにトリオン体の中へと入り込まれ、内部からの硬質化で2人は貫かれた。狙うなら最初から太刀川や影浦を狙えばよかったものを、エネドラはそうしなかった。やらなかったのではなく『風向き』の関係で出来なかったのだ。
つまり、爆風で一帯の空気の流れを乱してしまえば、エネドラは『気体化』の攻撃を使えない。
「(気体化か……なるほど。よく気づきましたね、太刀川さん)」
「(なんか小学校の時の理科の実験思い出してな。それでピンときた)」
『すげーよ太刀川さん! 風間さんからは救いようのない馬鹿だって聞いてたけど、ほんとは頭よかったんだな!』
影浦隊のオペレーターとは色々話をしたかったが、今はふざけている場合ではないし時間も惜しい。
爆撃の合間を縫って、太刀川は前へ出る。
「『旋空弧月』」
美しい弧を描き、二刀の輝きが粉塵を断つ。繰り返し放たれる斬閃を浴びて、エネドラの全身が細切れにされていく。
(くそ猿がぁ……!?)
流石にここまで露骨に対処されれば、エネドラも『気体(ガス)ブレード』のタネが割れてしまったことに気がついていた。存外にも彼の目の前に立つ猿は、頭が回るタイプだったらしい。
「けどなあ……てめぇらがどれだけ知恵を絞って頑張ったところで、結果は変わらねぇんだよ!」
対応は予想外にはやかった。しかし、所詮はそれだけのこと。結局は、戦いが最初の形に戻っただけだ。『通常(ノーマル)トリガー』と『黒(ブラック)トリガー』の力の差は、絶対に埋まらない。策を弄する敵を正面から粉砕する。エネドラにとって、これほど気分がいいことはない。敵を一方的に蹂躙してこその『泥の王(ボルボロス)』だ。
風で舞い上がる黒の長髪を振り乱しながら、むしろエネドラは獰猛な笑みを浮かべる。
歪んだ自尊心に裏打ちされたプライドは、彼に『一旦退く』という選択肢を想像すらさせなかった。
「いいぜ! 死にたいヤツからかかってこいよ! 八つ裂きにしてるぜ!」
――故に。
目の前の『黒トリガー』が抱く絶対の自信を、根底からへし折る為に。
「八つ裂きになるのはてめーだ。クソスライム」
「うおっと!?」
太刀川の背を踏みつけて、影浦雅人が空中に身を踊らせる。
『グラスホッパー』のような機動戦用のトリガーを持たない影浦は、空中で自由に動くことはできない。エネドラにとっては液状化ブレードのいい的だ。
「自分から切り刻まれにきたのかァ? いい心掛けだ! なら、お望み通りズタズタになっちまいな!」
エネドラの全身が激しく流動し、渦を巻く。変幻自在の刃が狙いを影浦だけに定めて、一斉に襲いかかる。
だが、攻撃は届かない。
「『旋空弧月』」
太刀川慶の斬撃が。
「いけ、カゲ!」
荒船哲次の一閃が。
「カゲ!」
「影浦くん!」
柿崎国治と来馬辰也の銃撃が。
『きめて、カゲさん』
絵馬ユズルの狙撃が。
影浦雅人に触れることを、決して許さない。
彼らの援護は、1人の仲間を守り抜く。
「こいつ、ら……ッ!?」
エネドラは歯噛みする。
――どうして。
どうして、倒せない?
最強の黒トリガーである『泥の王(ボルボロス)』の全力を以てしても、どうしてあの男に自分の攻撃は届かない?
エネドラは、叫ぶ。
「この雑魚どもがっ……いい加減に沈めよ! 沈めぇえええ!」
一際強い『感情』が、影浦に突き刺さる。
純粋な『悪意』。今まで感じたことがないほどのどす黒い『殺意』。
思わず吐き気を催すほどのそれを浴びながら、しかし影浦は歪めた唇を吊り上げる。
――捉えた。
「太刀川ぁ! 首だ!」
「はいよ」
軽い返事。けれど斬撃は重く。
満を持して太刀川が放った一撃は、エネドラの首を斬り飛ばした。
「んなっ……?」
エネドラの『本体』は今、頭にある。首から下を切り離されてしまえば、『本体』を別の部位に逃がすことはできない。
食い入るように、一点。目の前の敵が己の『本体』を注視していることに、エネドラはこの戦いではじめての恐怖を覚えた。
彼は自分自身を奮い立たせる為に、咆哮する。
「舐めるな! 雑魚がっ! 死ねぇええええ!」
残った胴体を必死でコントロールし、ブレードを伸ばす。突き刺す。分裂させる。叩きつける。
遂に、エネドラの攻撃が影浦の左腕を切り飛ばした。
しかし、片腕がもがれても影浦は一切構わず、
「てめーが死ね」
繰り出された『マンティス』は、エネドラの『本体』である供給器官と伝達脳を貫いた。
パキン、と。
何かが、砕ける音がした。
「が……? オレが、こんな雑魚に……?」
「何度も何度も同じこと言いやがって」
しなる光刃を掌に収め、首もとの『部隊章(エンブレム)』を指し示し、影浦は言う。馬鹿の一つ覚えのように『雑魚』と罵ってくるエネドラに対して、ずっと突き返したかった言葉だった。
「俺は雑魚じゃねーよ」
そもそも。
ボーダーが定義する『A級部隊』とは"黒トリガーに対抗できる者達"を指すのだから。
「おいおい、もうひとつ訂正しとけよ」
一方で、太刀川慶は崩壊していく近界民の体を見詰めながら、それに飄々と付け加えた。
「『俺は』じゃなくて『俺達は』だろ?」
◇◆◇◆
「流石です! 烏丸先輩!」
戦闘中の冷静な表情はどこに捨ててきた?と問いたくなるような満面の笑みを浮かべながら、木虎藍は烏丸京介に駆け寄った。
「お前もよく頑張ったな、木虎。足は大丈夫か?」
「は、はい! 全然大丈夫です。ばっちり走れます!」
『スコーピオン』で作った義足をバシバシ叩きながら木虎は言う。それはよかった、と頷いてから烏丸は龍神の方へ向き直った。
「うまいタイミングで決まりましたね、如月先輩」
「ああ。江渡上からの連絡でお前がこちらに向かっているのは分かっていたからな。宇佐美が気を回してくれて助かった」
『ふっふっふ。そんなに誉めても何も出ないよー、たつみん』
『私達オペレーターの優秀さに泣いて感謝するといいわ。なんなら、感謝ついでにあなたがこの前作戦室に持ち込んだコーヒーメーカーを撤去して、うちの作戦室にティーセットを――』
とりあえず自分の部隊のオペレーターの通信だけ一方的に切断して、龍神は倒れたままの近界民を見やる。確か、仲間からは『ヒュース』と呼ばれていたか。
「気をつけてください。負けた仲間を敵が回収しに来るはずです」
「えっ!? 本当ですか? 烏丸先輩」
「敵に『門(ゲート)』を開けるワープ使いの黒トリガーがいる。俺達が倒したやつもそれで逃げられた」
「ワープ使い……」
「そうだ。オレは貴様らの捕虜にはならん」
いつの間にか起き上がったヒュースは、険しい表情でこちらを睨んでいた。むっとした木虎が彼を拘束しようとしたが、それを手で制して龍神は前へ出る。
「如月先輩! コイツを逃がす気ですか?」
「この場にいるのは俺達3人だけだ。お前も片足を失っている。その状態でもう1人『黒トリガー』を相手にする気か? それに、レイジさん達が捕まえられなかったんだ。俺達が追えるとは思えない」
「それは……」
「ふん、賢明な判断だ」
鼻を鳴らしたヒュースは龍神に視線を合わせ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「今日のところはオレの負けだ。しかし、次に戦う時は必ずオレの手で貴様を倒す。覚えておけ『黒刀使い』」
その瞳には、敵意とは別の熱い何かが籠っているように感じられた。
「ヒュース……だったか?」
刃を交えた敵の意志に応える為に、龍神も自然と口を開いた。
「俺の名は如月龍神だ。お前も覚えておけ」
「タツミ、か。たしかに記憶したぞ」
あくまでも、敵同士。多くの言葉は必要なかった。互いの名だけを、簡潔に伝えて。
2人の男は、次の戦いを静かに誓い合った。
――それから、5分が経過した。
迎えが来ない。
「…………」
「…………」
戦場のど真ん中だというのに、なんとも言えない空気が漂っていた。
「あの……烏丸先輩」
「……とりあえず、ウチのジープでコイツを玉狛支部まで移送しよう」
困り顔の木虎。そして固まったままの龍神とヒュースをちらりと見て、烏丸はあくまでもクールに言った。
「もちろん、捕虜として」
その頃のアフト船内。
ワープ女「ヒュースが負けました」
根暗隊長「そうか」
ワープ女「エネドラも負けました。ヒュースは如何なさいますか?」
根暗隊長「まだ雛鳥は見つかっていない。回収したあとに始末するのも面倒だ。置いていこう」
ワープ女「承知いたしました。エネドラを始末してきます」