意味・地中に潜み隠れる竜と、鳳凰のひな。まだ世に出ていない傑出した人材、人物を指す。
臥竜鳳雛
2月1日。
ボーダーB級ランク戦、開幕当日。まだ朝の早い時間帯、ラウンジにもほとんど人がいない朝の9時に、その2人は仮想戦闘空間で向かい合っていた。
片方は少女。紫を基調とした隊服に身を包む彼女は、日本刀を模したブレードトリガー『弧月』を油断なく構えている。
対するは少年。彼もまた、少女と同様の得物を両手で構えていたが、白い隊服のあちこちには傷が入り、うっすらとトリオンが漏れ出していた。
少女が一歩踏み出せば、少年が一歩下がる。少年が一歩分横にずれれば、少女も一歩分間合いをはかり直す。そんな距離感を保ったまま、2人は仕掛けるタイミングを見計らっていた。
「……『韋駄天』」
「ッ!」
そして、先に動いたのは少女。
トリオン体の表面で電光が弾け、小柄な体が一気に加速する。瞬間、駆け抜けた一閃が、少年の体を薄く裂く。
「ぐっ……」
しかし……いや、やはりと言うべきか。少年を仕留めるには至らない。少女は地面への着地と同時に方向転換し、再び弧月を振るって少年の首を狙う。
下からの斬り上げは、ギリギリで止められた。ならば、と体を逆に捻り、今度は真横に一閃。これも受け止められる。鍔迫り合いを避けて、一旦後退。壁を蹴って距離を詰め直し、勢いのままに上段からの振り下ろし。
「うおっと!」
今度は避けられる。
「ちっ……」
「舌打ちはひどい! さすがに心が痛い!」
「うるさいです。黙ってください」
ことごとく攻撃を避けられることにもムカつくが、何よりも自分との戦闘中に『軽口を叩ける』だけの余裕を持つようになったことが、非常に腹ただしい。
故に、少女はここで勝負を決めにいった。
「『韋駄天』」
再びの瞬間加速。連撃で体勢を崩してからの、スピードを活かした急襲。
『伝達系切断。戦闘体、活動限界』
今度こそ。
少女の一撃は、少年の首を刈り取った。
「……あちゃあ」
ただし。
「これだけ粘って『腕一本』だけかぁ……」
少女の右肩から先も、彼の弧月によってばっさりと切断されていた。
致し方ない。確実に勝負をつけるために、腕の一本くらいは必要経費だと判断したまでだ。
『緊急脱出』
無味乾燥な機械音声が、ようやく勝負の終わりを告げた。
――――――――――――――――――――
「お疲れさま、双葉ちゃん」
個人戦用ブースから出た黒江双葉を、熊谷友子は笑顔で出迎えてくれた。けれど双葉は、スポーツドリンクを手渡してくれる優しい先輩に仏頂面で答えた。
「最後に腕一本もっていかれました」
「あぁ、まあアレは……仕方ないわよ。粘りがアイツの持ち味だから」
「あの人は元々ウザかったですが、熊谷先輩に指導を受けてから、ますますウザさに磨きがかかっている気がします」
容赦なく吐き捨てる双葉に、熊谷は苦笑いを浮かべる。
「そっち方面に素質があったからね……あたしのスタイルのせいもあるから、そう言われると何も言い返せないんだけど」
困り顔で頭をかく熊谷。先輩を侮辱するつもりはなかったので、双葉は慌てて首を振った。
「あ、いえ……熊谷先輩の返しの技術は正当派というか、中々崩せない感じなんです。でもあの人の粘り方は、なんというかネチっこいんです。イライラします」
「でもほら、結局勝ってるのは双葉ちゃんだし」
「当たり前です。A級隊員が昇格したばかりのB級隊員に負けるわけにはいきません」
言いながら、ラウンジのモニターに視線を移す。
10本勝負で、結果は8対2。最後の1本は結構危なかったので、双葉の感覚的には7対3でもおかしくなかった感じだ。
「うぉおおおおお! また勝てなかったちくしょおおおお!」
……こんな馬鹿な先輩に3本も取られかけたという事実に、双葉は改めてげんなりした。悔しいが、腕を上げたのは認めざるを得ない。
「丙! 人がいないからってラウンジの真ん中で叫ぶな! 迷惑!」
熊谷が怒鳴ると、ラウンジの中央で頭を抱えて身悶えていた彼は、一瞬で居住まいを正した。
「はいっ! すいません熊谷のアネさん!」
「だからアネさんって呼ぶのはやめなさいって、いつも言ってるでしょ!」
さらに続けて雷を落とす熊谷だったが、ニットキャップと目付きの悪さが特徴的な彼――丙秀英は、こちらに歩み寄って来てにへらっと笑う。
「いやいや、熊谷のアネさんはオレの一番の師匠。オレにとって、アネさんはアネさんなんですよ!」
「あんたにとってはそうでも、あたしがイヤなの! この前なんて、如月に『ふっ……アネさんか』って、笑われたのよ? なんか呼び方的にもかわいくないし!」
「呼び方的にかわいくない……? じゃあ『くまちゃん先輩』みたいな感じで呼べばいいってことっすか?」
「いい度胸ね。もっかいブース入りなさい。ぶった斬ってやるわ」
このままではまた個人戦10本コースだ。まるで荒船のようなセリフを言い始めた熊谷に、双葉はストップをかけた。
「熊谷先輩、落ち着いてください。この人の場合、ぶった斬られても喜ぶだけです。変態ですから」
「双葉ちゃん辛辣!?」
「事実です」
汚物を見るような目を向けて、双葉は丙にため息を吐く。
「まったく……ランク戦当日の朝にまで個人戦なんて、あなたは本当にドMですね。そんなに自分を追い込んで何が楽しいんですか?」
「いやいや。オレはこのくらいしないとアネさんや双葉ちゃんに追いつけないからさ……これまでの成果を確認するっていう意味でも、ランク戦が始まる前に双葉ちゃんには勝っておきたかったし」
「あなたがあたしに勝つとか、一億年はやいです」
とは言いつつも、双葉は丙の手の甲をちらりと盗み見た。つい先日まで数字が表示されていたそこには、もう何もない。
「……ポイント」
「ん?」
「ポイント、今何ポイントですか?」
「あぁ、えっと……4074ポイントかな」
「4074か……そうやって考えると、わりとギリギリだったわね……」
「あはは、そうっすね。ウチの3人の中で正隊員にあがるの、オレが一番遅かったですし、ちょっと焦ったっす」
C級の正隊員への昇格条件は、手持ちの武器(トリガー)のポイントを4000ポイント以上まで上げること。丙がその条件を達成したのは、つい数日前だった。滑り込みギリギリでランク戦の開始に間に合った形である。
「昇格遅すぎ!って、紗矢の姐さんには文句言われちゃいましたけど……オレが今のスタイルを確立できたのは、お二人のおかげです」
丙は、帽子を脱いで頭を下げた。
「熊谷センパイ、双葉ちゃん。ほんっとにお世話になりました!」
「……今日がデビューだからね。気合い入れていきなさい」
「……まあ、とりあえず前より強くなったのは保証してあげます。如月先輩のじゃまだけはしないように、がんばってください」
「うっす!」
この後はチームのメンバーと合流する予定らしく、丙は意気揚々とラウンジから出ていった。
自分が指導した年上の先輩という、なんとも微妙なポジションの彼を、双葉はなんとも言えない微妙な表情で見送る。
「……双葉ちゃん、さみしい?」
「……バカ言わないでください。あんな人、如月先輩に比べればまだまだです」
「そう? でもよかったよ。あたしが師匠役なんて務まるか不安だったけど、とりあえず教えられることは教えられたと思うし」
どこか得意気な顔でそう語る熊谷に、双葉はちょっとだけいたずら心が刺激された。
「如月先輩に胸を張って報告できますね。うれしいですか?」
「え? いや、べつにそういう意味じゃなくて……」
「あたしも結構がんばって、練習に付き合ったんですけどね」
「双葉ちゃん!? もちろん、丙の成長は双葉ちゃんの協力もあってこそだし……」
あわてて言葉を重ねる熊谷と一緒に、双葉もラウンジを後にする。
たった1セット、8時ちょうどから10本勝負をやっただけなのに、時刻はすでに9時を過ぎていた。
◇◆◇◆
A級6位加古隊隊長、加古望の指導は、美人な見た目に反してかなりのスパルタである。弱音を吐けば、ニコニコしながら「がんばって」と尻を叩かれ、練習や訓練のコツを聞けば「私、わりと感覚派なのよね~」と流される。
だが、甲田照輝にとって何よりも辛かったのは、練習終わりに必ずと言っていいほど振る舞われる、彼女の手料理だった。
――炒飯(チャーハン)。
最初に食べたのは、とても美味しい普通の炒飯だった。いくら訓練がハードでもこの手料理を食べるためにがんばろう、とまで思える一品。どうして作る料理がいつも炒飯なのか、少しだけ不思議だったが、それでもおいしいことに間違いはなかったので特に気にしていなかった。
甲田が最初に『ハズレ』を引いたのは、5回目の食事の時だ。普段よりもウキウキルンルンな様子でフライパンを振るう加古から、満面の笑みとともに繰り出された一皿。それは、甲田の意識を奪い去るのに十分な破壊力を有していた。
――鮭みかん炒飯。
あの日、あの時口にしたあの炒飯の味を、きっと自分は一生忘れないだろう。
息抜きであり天国だと思っていた練習後の食事タイムは、勝負所であり地獄であることを甲田は知った。知ってすぐに、この練習環境をセッティングした隊長に猛抗議した。
しかし、返されたのは素っ気ない一言。
『これも修行の一環だ』
如月龍神は甲田の抗議を一蹴し、俺から言えるのはひとつだけだ、と前置きした上で、さらにこう言ってきた。
『耐えろ』
甲田照輝は絶望した。闇よりも暗い漆黒の穴の底に、頭から突き落とされた……そんな例えが過言ではないほどに、深く深く絶望した。
けれど甲田はその絶望の中で、決して光を見失わなかった。
生きてやる。必ず生き抜いてやる、と。強い意志を捨てずに、日々襲いかかるエキセントリックな炒飯と激闘を繰り広げた。
そして今日。
「……ごちそうさまでした」
ランク戦直前ということで加古が腕によりをかけて作った『いちごあんかけ炒飯』を、甲田は綺麗さっぱり食べ終えていた。
「どうだった、甲田くん? 気合い入った?」
「ええ、加古さん。これ以上ないほどに、気合いが入りました」
「ふふっ……よかったわ。それにしても甲田くん、この短期間で見違えるように変わったわね」
「そうでしょうか?」
「そうよ」
空になった皿を見詰めて、甲田は考える。
確かに以前の自分なら、この一皿を食しただけで力尽き、ランク戦の会場に赴くことすら叶わなかっただろう。
しかし、今は違う。今の甲田は加古のスペシャルな創作炒飯(ハズレ)を完食しても、自我と意識を保っていられる。どれだけの破壊力を有していようとも、それに負けないだけの高い精神力と胃袋、そして若干バカになった舌を、甲田は手に入れたのだ。
「……強くなったな、キミは」
甲田の隣に座る男が、どこか自嘲めいた笑みを浮かべて呟いた。
「堤さん……」
「本当に大したものだよ。これを完食して、通常のコンディションを維持していられるなんて」
甲田と同様に本日のハズレ炒飯を引き、遠い目でどこか彼方を見詰める彼の名は、堤大地。諏訪隊所属の銃手であり、これまで最も多く加古の炒飯を食し、そして死んできた男……否、『漢』だ。
歴戦の勇者はスプーンを持ったまま、淡々と言葉を続ける。間違ってもキッチンの加古には聞こえないくらいの、小さな声を発する。
「甲田くん、キミの強さは、おれが手にいれることができなかった強さだ」
「堤さん……」
「キミは本当に強くなった。もうキミが、加古ちゃんの炒飯で倒れることはないだろう」
「堤さん……」
「さあ……胸を張って行きなさい」
「堤さん!」
涙を拭って、甲田は立ち上がった。
「俺、行きます!」
「ああ。ランク戦でキミと対戦する時を楽しみにしているよ」
「はい!」
甲田と堤は、固く熱い握手を交わす。
苦難の日々を共にした、男同士の友情。中学生と大学生、たとえ年が離れていても『戦友』と呼ぶに相応しい絆を2人は築き上げていた。
この絆を断ち切ることは、きっと誰にもできないだろう。
「あ、甲田くん。おかわりはいる?」
「すいません加古さん! そろそろ待ち合わせの時間なので失礼します!」
「あらそう? もう少し待ってくれれば、今日一番の自信作、『小豆ミートソース炒飯』ができるんだけど……」
瞬間、晴れ晴れとしていた甲田の表情は凍りついた。
『小豆ミートソース炒飯』。名前からして死臭しか漂ってこない。加古の炒飯の『ハズレ』確率は基本的に10分の2。だが、今日に限ってはその確率を超えてきたということか。
甲田は加古との訓練で培った俊敏な動きで、即座に扉の前に移動した。
「すいません加古さん! 失礼します!」
「待つんだ、甲田くん! せっかく加古ちゃんが作ってくれたんだから、もう一杯食べていった方がいい! その方が絶対にいい!」
「いいえ、失礼します!」
「甲田ァ!」
己の命を守るためには、時に己と周りを繋いできた絆を断ち切らなければならない。
――さすがに、二杯も食ったら死ぬ。
甲田照輝は、もう振り返らなかった。
◇◆◇◆
大気圏外に作られた美しい虹のコースを、大小様々なカートとバイクが疾駆する。
A級1位太刀川隊銃手、唯我尊は顔面いっぱいに冷や汗を流してテレビ画面を凝視していた。
「そんな馬鹿な……あの国近先輩と互角……?」
「まったく、大したもんだぜ」
唯我の後ろに立つ太刀川隊射手、出水公平も心底驚いたように感嘆の声を漏らす。
だがコントローラーを握る早乙女文史には、彼らの声に応えるだけの余裕がなかった。今、早乙女が対戦しているのは、己の全てをぶつけなければ勝てない相手。即ち、『最強の敵』だからだ。
「腕をあげたね~、早乙女くん」
「今日は……柚宇さんに勝ちに来てますからッ!」
「ふふ~ん? なかなか言うようになったねぇ。お姉さんは嬉しいよ!」
太刀川隊オペレーターにして、ボーダー不動のNo.1ゲーマー、国近柚宇はいつも通りのゆるふわな笑みを浮かべる。だが彼女の指先はその雰囲気とは裏腹に、激しいリズムを刻んでいた。
早乙女と国近がプレイしているのは、国民的配管工が登場する有名なレースゲーム。早乙女が出水に弟子入りしてからそれなりの期間が過ぎ、太刀川隊で(国近に無理矢理付き合わされて)プレイしたゲームの本数は優に20本を越えていた。そんな中で唯一早乙女が国近に対抗できると感じたのが、元々得意なこのレースゲームだったのだ。
休憩(という名の強制プレイ)によって、元々それなりのレベルだった早乙女のテクニックはさらに向上している。早乙女にとって、オートドリフトしか使えない唯我などもはやミジンコ以下の雑魚だ。
しかしながら、国近が操作するイカしたグラサンのファンキーなゴリラは、圧倒的な速さで首位を独走していた。
(……距離が、詰まらない)
コントローラーを握りしめ、歯噛みする。
ドリフトのタイミング。ショートカットのポイント。コーナリングの見極め。国近の走りは、全てがパーフェクトだった。ついていくので精一杯。どれかひとつでも操作をミスすれば、突き放される……そんな確信があった。早乙女の操作するキノコのキャラは、なんとかギリギリでグラサンゴリラに追いすがっている状態だ。
2台のカート……ではなくバイクが、虹の道を駆け抜ける。周回はもう最終ラップ。このまま行けば、早乙女は国近に勝つことができない。
逆転の可能性があるとすれば――
(アイテムボックス!)
ハテナマークのボックスを取り、画面の隅のカウンターが回りだす。レースゲームでありながら、運も絡むこのゲーム最大の特徴。それが、コースの各所に設置された『アイテムボックス』だ。一時的にスピードアップするキノコや、敵を攻撃する甲羅等々、出現するアイテムによって、マシーンは様々な効果を得ることができる。
早乙女は最大限の集中をコントローラーに向けつつ、最小限の意識を回るカウンターに割いて、結果を見守った。
表示されたのは……『赤い甲羅』。
(もらった!)
確信が笑みに変わり、表情に発露する。
最終コーナー。内側のダッシュパネルを攻めながら、早乙女はアイテム使用ボタンに指をかけた。国近のバイクは射程圏内。この距離、この間合いで外すことなどあり得ない。
これで、終わりだ。
「いけぇ!」
だが、指先に力を込めた早乙女は、気づいてしまった。
「……ダメだなぁ、早乙女くん」
甲羅を発射した瞬間に、ようやくそれに気がついてしまった。早乙女と同様に、国近がゲットした『アイテム』の正体を。
「相手が何を持ってるか確認するのは、初歩中の初歩だよ?」
彼女の口元が、不敵に三日月を描く。
――バナナの皮。
国近が操るマシーンの後ろに突如出現したそれが、必殺の赤甲羅を相殺する。所詮はバナナの皮だというのに、カートを吹き飛ばす威力を持つ甲羅からマシーンを守り抜く。
ゴリラがバナナを防御に使う。ある意味、理に叶った光景だった。
「しまっ!?」
「もう遅ぉい!」
ゴールラインを最初に通過したのは、グラサンのファンキーなゴリラだった。
「くそぉ!」
コントローラーを床に叩きつけ……るようなことはせず、コントローラーを静かに床へ置いた早乙女は、己の拳を床に叩きつける。
「また、勝てなかった……」
「ふっふふ……師匠として、弟子にそう簡単に負けるわけにはいかないからね~」
ふんす!と大きな胸を張る国近。その後ろで唯我が「師匠は出水先輩ですよね?」と聞いたが、出水本人は「そんな細かいことを気にすんな」と軽くスルーした。
「でも早乙女くん。今のはちょっと危なかったよ。本当に強くなったねぇ」
「柚宇さん……」
「この短期間で、ここまでわたしを追い込めるようになったんだもん。キミには間違いなく、ゲームの才能がある! お姉さんが保証しよう!」
「柚宇さん……いえ、師匠!」
ガシッ!と差し出された国近の手を取る早乙女。国近は満足そうに頷いた。
「さてさて! それじゃあ今回の反省を活かすためにも、次は新しいレースゲームに手を出してみようか~。ふっふふ……今夜は眠らせないよ?」
「柚宇さん柚宇さん、そいつ今日、リアルの方で試合(ゲーム)あるから」
◇◆◇◆
そして、時刻は正午を迎えた。
「さぁ、ボーダーのみなさん! 遂にこの日がやって参りました! 本日から、B級ランク戦がいよいよ開幕します!」
大勢の隊員達で埋め尽くされている観戦ブースに、元気一杯の声が響く。
「初日、昼の部の実況はわたくし、海老名隊オペレーターの武富桜子がお届けします。気になる解説には……『オレのツイン狙撃見た?』で、おなじみのスーパーツイン狙撃手! 嵐山隊の佐鳥先輩!」
桜子の右隣には、やたらドヤ顔で手を振る、雰囲気が三枚目な赤ジャージ。三枚目な顔窓でお馴染みの嵐山隊狙撃手、佐鳥賢である。
「どうもどうも!」
「そしてもう一方……」
さらにその左隣には、やたらドヤ顔で腕を組む黒髪の男。
「本日がB級ランク戦初デビュー! 先日の大規模侵攻で特級戦功をあげられた、如月隊の如月隊長にお越し頂きました!」
「どうぞよろしく」
ざわつく観客席の様子を微塵も気にせず、龍神は腕を組んだまま軽く頷いた。
基本的に実況、解説役として呼ばれるのはA級隊員やベテランのB級隊員(元A級が多い)だが、数日前に龍神が「せっかくランク戦デビューなんだし、俺も実況席に座りたい!」と駄々をこねた結果、桜子も「おもしろそうだから呼んであげます!」とあっさり了承。龍神は初日の解説役というポジションをちゃっかり確保することに成功していた。
「それでは初日ということで、B級ランク戦の説明をお願いしたいと思います」
「OK、桜子ちゃ――」
「B級チームは基本的に、上位、中位、下位の三つにグループ分けされている」
「ちょ、如月先輩オレのセリフ!?」
発言を途中で遮られることに定評のある佐鳥のセリフをやはり遮りつつ、龍神は事前に予習しておいたB級ランク戦の基本ルールを話しはじめる。
せっかくの解説役だ。訳知り顔で偉そうに解説できる解説役なのだ。龍神はこんなおいしい役を佐鳥に譲る気は毛頭ない。
「今期は俺のチームと玉狛第二が参戦したから、合計22チーム。上位と中位が7チーム、下位は8チームで三つ巴、四つ巴の戦いを繰り広げることになる」
龍神の解説に合わせて、大型モニターに各グループのチームが分かれて表示される。隣を見ると、桜子がにっこり笑った。流石に『実況席の主』の異名を取るだけあって、こういう時はいい仕事をする。
1位、二宮隊。
2位、影浦隊。
3位、生駒隊。
4位、弓場隊。
5位、王子隊。
6位、東隊。
7位、香取隊。
ここまでが、B級上位グループ。各チームにA級クラスのエースが所属している、実質的なA級予備軍だ。このグループの上位2チームに、A級への挑戦権が与えられることになる。
次に、中位グループ。
8位、鈴鳴第一(来馬隊)。
9位、漆間隊。
10位、諏訪隊。
11位、荒船隊。
12位、那須隊。
13位、柿崎隊。
14位、早川隊。
上位に比べれば個々の力量は劣るものの、狙撃特化の荒船隊や近距離戦に比重を置いた諏訪隊など、それぞれがチームとしての戦術を確立している。ボーダーの主力部隊だ。
そして、龍神や修達が現在所属している下位グループ。
15位、松代隊。
16位、吉里隊。
17位、間宮隊。
18位、海老名隊。
19位、茶野隊。
20位、常磐隊。
21位、玉狛第二(三雲隊)。
22位、如月隊。
モニターを見た龍神は最下位に表示されている自分の部隊に一瞬だけ笑みを溢し、解説を続ける。
「点を取る方法は、実にシンプルだ。敵チームの隊員を1人倒せば1点。最後まで生き残った勝利チームには、ボーナスとして2点。合計点数を競い合いながら、順位を上げて上位グループを目指していく」
「ふむふむ」
知っているくせに、わざとらしく頷く桜子。
「1試合の制限時間は45分から60分。これは、選択したステージの広さによって変動する。ステージの選択権はその試合で最も順位が低いチームにあるから、長期戦を挑むか、短期決戦を仕掛けるか……ステージ選択も、ランク戦の重要な要素と言えるだろう」
「き、如月先輩がまともに解説してる……」
「ふっ、当然だ。俺が全て説明するから、お前は黙って座っていればいいぞ」
「オレが呼ばれた意味は!?」
宙に向かって叫ぶ佐鳥に、会場のあちこちで笑いが弾ける。それでいいのかA級隊員、と言いたくなる感じだが、佐鳥は佐鳥なのでこんなもんである。
「ああ、先ほど合計ポイントで順位を競うと言ったが、上位のチームには前シーズンの実績に合わせて最初からポイントが付与されている。下位チームはこの得点差をはねのけて、上位チームに追いつかなければならない」
1位の二宮隊は15点、2位の影浦隊が14点、3位の生駒隊が13点……といった具合に、上位のチームには初期ポイントのアドバンテージがある。初期ポイントを持っているのは、15位の松代隊までだ。
「さて……それでは本日の対戦チームについて伺いたいと思います」
B級ランク戦ROUND1、昼の部下位グループ。今期から2チームが加わった都合上、対戦するのは4チームである。
15位松代隊、19位茶野隊、20位常磐隊、そして……21位玉狛第二、三雲隊。
「如月隊長、注目ポイントは?」
「やはり玉狛第二だろう。あのチームは、俺の弟子である三雲修が隊長を務めている」
「三雲隊長と言えば、A級3位の風間隊長に模擬戦で勝ったと噂になっていますが……?」
「そうだ。1本だけとはいえ、あの風間さんから勝利をもぎ取った」
「なんと!? それはすごい!」
「ふっ……やつは俺が育てた」
ここぞとばかりに、龍神は自分の弟子を推しにかかる。「玉狛第二は風間さんに勝ったメガネの部隊か!」「特級戦功を取った隊員が師匠なのか……なるほどな」「いや、そもそもあの人は何者なんだよ?」と、会場がざわめいた。
「新進気鋭のルーキーチーム、玉狛第二の動きに要注目というわけですね!」
「ああ、大いに期待していいと思うぞ」
力強く頷く龍神。
「そうっすね! なんせ玉狛第二にはあ――」
「では、そろそろ試合開始の時間です!」
「桜子ちゃん!?」
喋らせてもらえない佐鳥。
桜子は手元の時計をちらりと見て、声をより一層張り上げた。
「さぁ! B級ランク戦ROUND1、開幕戦! いよいよ転送開始です!」
転送開始から1分。玉狛第二の空閑遊真が茶野隊の2人を捕捉。それぞれを一撃で、一瞬で急所を突き、まずは2点を取った。
茶野隊を仕留めた勢いをそのままに、遊真は松代隊と常磐隊の交戦に乱入。最初に松代隊に落とされた狙撃手以外の常磐隊全員を落とし、さらに3得点。
トラッパーを有する松代隊は罠を仕掛けたエリアまで後退する動きを見せたが、その罠は雨取千佳のアイビスの狙撃……もとい『砲撃』で、エリアごと吹き飛ばされ。
「強い! 強いぞ玉狛第二! 最終スコア、7得点に加えて、生存点2点! 合計9得点という大金星を成し遂げたぁあああ!」
常磐隊との交戦で脱落していた1人を除き、残り2人を遊真が撃破。B級ランク戦下位グループ、昼の部初戦は怒涛の大量得点と早期決着で幕を下ろした。
「いやぁ、雨取ちゃんの砲撃は半端ない威力ですからね! なんせ、本部の外壁に穴あけちゃうくらいだから!」
「そういえば、少し前に狙撃手の練習場でトリガーの暴発事故があったと聞いたような……?」
「ええ、雨取ちゃんです。おかげで鬼怒田さんがカンカンでしたが、このオレが頭を下げて事なきを得ました」
「…………」
予想外の展開で盛り上がる会場の中で、龍神は珍しく冷や汗を流していた。
まずい。これはまずい。
試合前にあれほどドヤ顔で「コイツデキるヤツだぞ! 俺の弟子だぞ!」アピールをしておいた三雲修が、全然活躍していなかった。遊真はスコーピオン片手に宙を舞い、千佳はアイビスキャノンで建物を吹き飛ばす大活躍をしたというのに、龍神の愛弟子はほとんど何もしていない。いや、何かをする暇すらなかったと言うべきか。
遊真の動きのキレと千佳の砲撃がえげつないことは分かっていたので――それにしてもこの大量得点は予想外だが――問題ない。問題は、修が全然目立たなかったということだ。
龍神としては実況で大いに喋り、解説をし、あのいやらしい動きをするメガネはワシが育てた、という点をこれでもかとアピールするつもりだったのだ。だというのに、この早期決着。カップメンを作れるくらいの時間はかかったが、出来上がったカップメンを完食はできないくらいの早期決着である。
(いかん……これは本当にいかん。『試合前に解説席で強者感を漂わせる』ことで、デビュー戦のインパクトをより一層強くするという俺の計画が……ッ)
龍神は歯噛みする。
せっかく解説席に座ったのに、ほとんど満足に喋る暇すらなかった。せっかく解説席に座ったのに。
「ところで如月隊長。空閑隊員や雨取隊員に比べて、三雲隊長の動きがあまり目立っていないように思われましたが……?」
龍神の弱味をダイレクトに突く質問を、桜子はぶつけてくる。
……仕方ない。
「ふっ……能ある鷹は爪を隠す。この試合では、三雲は本気を出すまでもなかった、ということだろう」
この瞬間。
風間蒼也を倒したメガネ、三雲修に対する観客達の期待は、さらに高まることとなった。
◆◇◆◇
「あ、隊長ちょっと顔がひきつってる」
「ここまで玉狛がボロ勝ちするとは思ってなかった顔だな、アレは。あと多分、三雲先輩に活躍してほしかったんじゃないか? 解説で推してたし」
「親バカならぬ師匠バカだな……」
如月隊作戦室。3人揃って玉狛の快進撃を観戦していた甲田達は自分達の隊長の動揺を見抜き、わりと好き勝手に言っていた。
「……ウチの隊長は初陣前になにやってるのよ、まったく」
オペレーターデスクに頬杖をつく江渡上紗矢は、呆れを滲ませた声でぼやいた。オレンジのラインが入ったジャケットとタイトスカートに、ネクタイ。オペレーター用のトリオン体に換装を終え、紗矢はすでに準備万端だった。
「大丈夫っすよ、姐さん。隊長の準備に抜かりはありません」
「姐さんはやめなさい」
丙に釘を差し、
「それに隊長の性格上、解説のオファーがあったら絶対に断らないでしょう?」
「まあ、それはそうだけど」
早乙女の発言は的を射ているので肯定し、
「そうだな……俺も解説席に座れたら、あとを追う後輩達に知恵と戦術を授けたいぜ……」
「生意気。あなたが解説に座るとか10年はやいわ」
甲田には言い返す。
というか、と言葉を繋げて、紗矢はリラックスしている3人をじっとりとした目で眺めた。
「あなた達の準備は大丈夫なんでしょうね? 私達は夜の部だからまだ時間はあるけど、今さらあわてても遅いわよ?」
「いやいや……それは愚問ですよ、紗矢センパイ」
前髪をかきあげて、甲田が笑う。3人はキザったらしくタイミングを合わせ、手の甲を紗矢に対して突き出した。
甲田照輝、4451ポイント。
早乙女文史、4129ポイント。
丙秀英、4074ポイント。
間に大規模侵攻を挟んだというのに、よくもまあこの短期間で『B級』に昇格できたものだと思う。今、紗矢の前に立つ彼らは非力なC級隊員ではなく、正真正銘の正隊員達だった。
「俺達は、厳しい修行を乗り越えてここまで来た……」
「慢心する気はありません。しかし、不安もありません」
「隊長と姐さんの勝利に、オレ達は必ず貢献してみせるっすよ!」
うんうんと頷き合う3人の後輩達。紗矢は改めて、さらに大きなため息をついた。
「やっぱり、あなた達はまだまだおバカさんね」
「紗矢センパイ! それはひど――」
「如月くんと私の勝利に貢献する? 馬鹿らしい」
反駁する甲田の発言を遮って。椅子の上で足を組み、腕を組み、あくまでもふんぞり返って偉そうに、江渡上紗矢は言う。
「私達は『チーム』。このチームの勝利は、このチーム全員のものよ。その自覚をしっかり持ちなさい」
はっきりと、言い切る。
しばしの沈黙。甲田と丙と早乙女は、どこかポカンとした様子で顔を見合せると、
「うぉおお! デレた! 紗夜センパイがデレた!」
「ツンデレっつうか、今までツンツンしかなかった姐さんの口から、まさかそんな言葉が聞けるなんて! オレは嬉し……いや、ちょっと寂しいかも」
「とにかく、おれ達を認めてくれたってことですね! ありがとうございます!」
怒涛の勢いで、紗矢に詰め寄ってきた。
「ちょ……べつにデレたとか認めたとかそういうのじゃなくて! 私はあくまでも、チームとして戦うにあたっての心構えを……」
反射的に言い訳をするが、自分でも何を言ってるか分からない。バカで素直な後輩達に取り囲まれて、紗矢はあたふたするしかなかった。
と、そこで。
「ふっ……全員揃っているようだな」
キザッたらしい声を伴って、作戦室の扉が開く。
「あ、隊長!」
「解説、お疲れ様です」
「ああ。あまり喋れなかったがな……」
「隊長隊長! ちょうど今、紗矢センパイが……」
「あー! もう黙りなさい!」
余計なことを言われる前に、紗矢が甲田の口をふさいだ。
龍神はやたら盛り上がっている4人の様子に首を傾げたが、特に何も聞かずに椅子へ腰を下ろした。
「よく分からんが、その様子だと緊張はないみたいだな」
「緊張? そんな言葉、俺達の辞書にはないっすよ」
「最大限のパフォーマンスを発揮する準備は整っています」
「いつでもいけるぜ、隊長!」
「ならばいい。江渡上は?」
「……誰に言っているのかしら? 各チームの下調べも万全。問題はないわ」
ようやく元の調子を取り戻した紗矢が、自信たっぷりに言う。
「――よし」
一言呟いて、龍神はおもむろに腕を組んだ。
「もう知っているだろうが、玉狛第二が想像以上に派手なデビューをしてきた。合計9得点。俺達はなんとしても、このインパクトを越える活躍をしなければならない」
チームメイトを見回し、龍神はニヤリと笑みを浮かべる。
「さあ、作戦会議だ」
B級ランク戦ROUND1 昼の部、下位グループ、結果。
玉狛第二 得点7、生存点2。合計9点。
松代隊 得点1
常磐隊 得点1
茶野隊 得点0