黒雪のコモリオム  --What a beautiful Fakes --   作:ジンネマン

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 二月二十七日

 旅順要塞から十里(約四十キロ)地点。

 

 拝啓。故郷の小樽にいるお父様お母様。不肖の息子こと私杉村道男(みちお)は元気です。

 突然ですが、私は祖父の杉村義衛(よしえ)を大変敬愛しておりました。祖父は幼い頃から私に色々なことを教え、様々な所へと連れてってくれました。

 

 父が柔道を教えようとした時は『そんなものくその役にもたたない』っと言って僕に直々に剣を教えてくれて、それは今このときに絶賛、すごく役に立ってます。

 祖父は本当に色々な所に連れてってくれました。活動写真や歌舞伎に能、落語にオペラやコンサート。果てにはお二人には内緒で遊郭にも連れてってくれました。遊郭では着物が少しはだけた綺麗なお姉さんや可愛い禿(かぶろ)(遊郭に住んで太夫や花魁の身の回りのお世話をする幼女や童女ののこと)の女の子達がたくさんいて、美味しい料理や僕に触ったり寄り掛かってくる女の人たちのいいにおい。とても刺激的で、冷静になろうと近くにあった液体を飲んだら頭が真っ赤かになって、気づいたら朝だったのも今ではいい思い出です。多分あのとき飲んだのはお酒だったんでしょうね。

 

 まあ、そんなこんなんで祖父にはこの年ではなかなか経験出来ないこと、苦労や楽しみをたくさん教えていただいのは本当に感謝してもしきれません。

 今回は両親には内緒で初の海外旅行に連れていってくれると言って、無論このご時世に気安く海外旅行には行けないものとわかっておりますし、僕は海外の言葉もよくわかってはおりません。それでも祖父は『そんなものどうとでもなる』そして、初の海外旅行に不安な僕に祖父は行く切欠にる魔法のような言葉を言いました。

 そんな祖父に僕は、今、声を大にして言いたい。

 

 「あのくそジジイ覚えてろよーーーー!!」

 

 そんな祖父はやけに古ぼけた一枚の篆刻写真とある言葉を言った。

『この可愛い女の子と一寸刺激的な旅行だぞ』

 

 ――ああ、刺激的、なるほど刺激的。確かにここは刺激に満ち溢れている。むしろ刺激が過剰供給し過ぎて濁流のごとく僕等に襲い掛かってくる。物理的に。

 ほら、今屈まなかったら僕の頭は真夏の浜辺のスイカを体現していたことだろう。ほらまた、今度は雨のように銃弾が降り注いできた。僕は咄嗟にその銃雨の掃射範囲から離脱した。逃げ遅れた人たちはみんな無様な躍りをしたあとに倒れ物言わぬ死体となった。

 

 初めて眼にしたときは吐き気と全身の痙攣と目眩がした光景だ。でも、祖父と知己たる原田さんの一喝でそのすべてが治まった。

 そして、とどめ(本当の意味で)に祖父が僕にある激励(脅迫)をしてくれた。

 

『いいですか道男。あんまり無様を晒すようなら今から私が鍛えてあげましょうか?』

 

 それは、死刑宣告と同義だ。その瞬間からこの地獄のような光景が遊戯施設に見えてきた。そう。祖父には《教える》と《鍛える》を使い分けている。

 《教える》は比較的に優しい………うん。大人の人が何人も逃げる程度には優しい。しかし、《鍛える》は違う。これは死ぬか死なないかのギリギリを行ったり来たりする地獄の所業だ。いや、地獄そのものだ。これは実際に死人はいないものの、肉体的や精神的に再起不能になった若手の剣道剣術家もいるほどに苛烈で、それをこの人は今、この場でしようと言うのだ。

 

 僕は戦場を駆ける。無論闇雲にではない。祖父からあることを言いつけられており、それを果たさなければここよりも酷い地獄か待っているのだら。

 そしていま、僕は非常にまずい状況にたたされている。目の前には手練れのロシア兵が三人。いずれも祖父程ではないが幾多の戦場を駆け抜けた歴戦の貫禄だ。まったく隙がなく、逃げることも攻めることも出来ずに防戦一方。

 三人は互いに言葉を交わすことなく見事な連携で僕に傷を追わせていく、祖父の稽古の成果で回避と防御だけなら新撰組の副隊長に匹敵すると太鼓判をされた。

 

 祖父との稽古は今、皮肉にもこの場でものすごく役に立っているのだ。だか、それもここまで、いつも祖父とは一対一ばかりで多対一をやってこなかったからどう動いていいかわからない。

 ――その結果が今だ。全身血塗れ(すべて掠り傷)でもう満身創痍だ。

 

 正直、稽古では打撲等はあっても切り傷などはなかったし、ましてや自分からこれほど多くの血が流れることなどなかった、切り傷特有の焼けるような痛みと汗に混じって粘度のある液体が不快感をもたらす。

 ――しかしこの三人強い。

 

 もうかれこれ一時間は交戦している。三人とも祖父程の威圧感ではないがなかなかの手練れで、攻撃する隙も逃げる隙もない。三人が三人で互いの隙を補完しあいまったく勝てる気がしない。

 それでもまだ生きている理由は祖父のしごきとと言う名の地獄を経験したからだ。あの人ははいきんぐ(・・・・・)と称して劔ヶ岳を専門家もなしに登ろうとしたのだ。しかも途中途中に休憩の合間に稽古と言う名の鬼ごっこ(冗談なしに)までして死ぬかと思った。もっとも崖から落ちそうになったら助けてくれたり、登山中に病気なった際には即座に下山を一日でしてくれたりとちゃんと心配はしてくれている。

 

 やはり祖父には敵わないと思いながらも、この場に祖父とその悪友たる原田さんがいないのは怨めしくって仕方ない。

 ここは戦場。二人には自分達と違い任務があり、一緒に行動するわけにはいかないのだ。かりに一緒にいては足手まといになるのが明白だからだ。

 

 だが、その余分な思考が集中力の切れてきた証左だった。後ろに跳び引くとなにかに躓いた。倒れていくわずかな時間、同じ日本人の死体に足を引っ掻けたのは皮肉な話とも終えて、そんな絶好の機会を逃す相手でもなく。

 三人の内二人は追い討ちを掛けてくる。

 ――ああ、ここで終わるのか。

 

 一瞬。生への諦め。走馬灯が脳内を巡る。

 と、思ったが、なぜか自分が死ぬ気がしなかぅた。

 目の前には自分を殺そうとする敵軍の手練れが三人。

 

 彼らに油断も満身もない。三人同時ではなく一人が辺りを警戒しているからだ。だから、圧倒的優位にたっているこの状況でもなお慎重だ。

 そんな三人に自分では勝てるはずもなく、一対一にでも持ち込めればギリギリで勝てる気はするもののその後に二人とも戦えるかと言えば否であり、結局は死んでしまうのだが、やはり祖父との稽古中に度々経験した死に直面した時の焦燥感とか諦観などか来ない。つまり、いまの自分は死ぬとは予感していないのだろう。

 

 そして、その予感は正しかったことが次の瞬間証明された。

 

 目の前通りすぎる一陣の風。吹き抜けた風の後には二つの首のない死体と足元に転がる生首。次の瞬間、軽快していた残りの一人はその顔を怒りに染め上げ風を起こしたその少女(・・)へと襲いかかる。

 しかし、その凶刃は少女に触れることなくすり抜け、ロシア兵は脳天から股下まで真っ二つされた。

 硬い頭蓋、背骨、肋骨、股関節。腕力の要となる背筋。それ以上に銃弾を弾くヘルメットと戦場を飛び交う凶弾や凶刃から身を守る防護衣。それらすべて、なんの障害もなく両断にした。

 

 それは人体を模したすべてを切り裂く刃風の化身。

 そう表するにはあまりに華奢で美しい少女がいた。

 

 短く切り揃えられた絹のような黒髪。まだ成人(14才前後)してまもない年月の少女。日本人形を彷彿とさせながらも、愛らしくくりっとした黒い瞳と唇は見るものすべてを魅了してやまない少女。

 だが、彼女は普通と違った。

 もとの色がわからないほど血で、返り血で赤黒く染まった着物と、身の丈以上の野太刀をまるで木の棒を振り回すように軽々と扱い。その顔をには一滴も返り血を浴びてない(・・・・・・・・・・・・)

 

「ふう。危なかった」

 

 彼女は僕に笑顔で振り向く。

 なによりも異様なのは彼女は僕を見ているようで、別のものを見ていることだ。その視線の先にあるのは――

 

「大丈夫でしたか?」

 

 彼女は僕を、僕のことを――

 

「もう。油断しすぎですよ新八さん(・・・・)

 

 祖父の昔の名前。彼女は、市村鉄は、僕を通して過去を見ている――

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 3月8日。

 カレリア地峡 フィンランド陣営。

 

 ♪〜♪ ♪〜♪

 音楽だ。外の吹雪からなる心胆凍えそうな騒音ではなく、弦楽器独特の澄んだ高い音が外の騒音に埋もれること、外の喧騒とも隔離された失われた春の牧歌が幕内に響き渡る。

 

「ねえ〜」

 

 ♪〜♪ ♪〜♪

 

 そんな幕内には数人の男性と三人の少女がいる。

 音を奏でているのはその三人の少女の一人。肩ほど伸びた薄い銀髪を結ってトンガリ帽子で隠し、厚手のごわごわした安物のセーターにズボンと周りから言えば寒々しい格好だ。一応はテントの中にも暖房はかかっているが諸事情があって移動させやすい軽量型でお世辞にも性能はよくない。この場合はあまり暖かくならないの方が的確だが。

 なによりもテント自体がボロボロのためすきま風が容赦なく中の温度下げ、奪っていく。

 

「ねえミカ! ミカエラ! ミカエル!」

 

「なんだいアキ。人の名前をそんなに連呼して。ああ、寒いんなら私のコートを羽織ると良い、なに遠慮はいらない。なんなら支給された砂糖もあげよう、私は甘いのが苦手だからね」

 

 ミカ。そう呼ばれた齢15、16の少女。車椅子に座るミカは弦楽器、カンテレを弾くのを止めることなく自分を呼ぶ少女、アキの相手をする。

 アキ、ミカよりも頭一つ分背の低い少女。肩ほど伸びたくすんだ茶色の髪は短く三つ編みに結って、その溌剌とした顔立ちは見ているだけで朗らかな笑みがこぼれそうな少女。そんなアキとミカの違い、それはテントの中でも薄目ではあるものの、コートを着ているアキ。それでも寒々しく震えている。いや、ミカを見ていて余計に寒くなっている。

 そんなアキを見たミカは我儘を言う妹をあやすように(二人は年子で同じ年)優しく、老成してるともとれるような穏やかな声色で話す。

 

「ありがとうミカ! うーん。甘くって美味しいよ~〜………じゃなくって! なんでミカはもっと攻勢にでないの!? こんなんじゃやる意味ないじゃない! みんなが無駄死にになっちゃうよ!」

 

「まあ、そう言ってくれるなアキ。これは《あの人》の指示だし、この戦場に立っている者達みんな死ぬことがわかっていて来た志願者たちなんだ。

 だからしょうがないよ」

 

 《あの人》その単語を聞いた瞬間にアキはそっぽ向き、酷く苦々しく顔をしかめた。

 

「わたし。あの人嫌い。みんなが大変なこの時に、あっちこっちふらついて――」

 

 この少女が人を露骨に嫌いと言うのは珍しい。彼女はその感性から直感的に善人悪人(本人倫理的な)をかぎ分けるのだが、《あの人》についてはまた別の事情がある。

 その事をわかっているミカは微笑ましいっと、暖かな眼差しをアキに向ける。

 

「《あの人》にたいしてそう言うものではないよアキ、《あの人》は《あの人》なりの理由があって各地を転々としている。それが十年先を見越したこの戦闘の真意だ。

 それに普段は《あの人》の帰りを一番待っているのは君じゃないか」

 

「そ、そんなことないし! あの人のお土産なんて微塵も期待なんかしてないし!

 ほら、シムナもなんか言ってよ」

 

「ZZZ」

 

「寝てるよこの娘! こんな寒いなか寝てるよ! ねえ起きてよシムナ」

 

 シムナ。ミカよりも背は低いがアキよりは高い。二人の中間くらいの背丈、灰色の髪は大雑把に短く切られているが、それからは粗雑な印象はなくむしろ絶妙な加減で気品をすら感じる少女。シムナは椅子に背を預け、一挺の大型銃を支えに寝ている。

 シムナはアキのかん高い声には一切反応せずに静かに寝息をしている。差し詰め『眠れる森の美女』と言わんばかりに、

 

「こらこら。そっとしておいてあげなさいアキ」

 

「でも〜〜」

 

「確かにシムナたちが動けばこの戦いも良い方向に進むだろうけど、それは良い方向に進むだけで勝てる訳じゃない。

 だから勝つためには下準備が必要なんだよ。この先に起こる、起こされる戦争に勝つための下準備。そんな些事にシモを使う気なんてさらさら無いよ。私も、《あの人》もね。

 それに今のシムナはシムナで咄嗟のために英気を養っているんだよ。だか」

 

「!」

 

 瞬間。シムナの目が見開くとその場にいる全員が躊躇なく手持ちできる機材を手に取りり、アキはミカを抱え、シムナは銃を携えてテントの外に躍り出る。

 直後。それまでミカたちがいたテントが爆発炎上した。

 

「やれやれ。テントだってタダではないのに、酷いことをする」

 

「そんなの気にしている暇があるなら次の指示と合流地点を教えてよ!」

 

 アキはミカを所謂お姫様抱っこをして、ミカに文句をいれる。アキは器用にミカ抱き抱えながらブーツのカカトだけで雪積もったほぼ直下の崖を滑り降りている。

 しかし、その後ろにも前にも誰もおらず、無人の崖を駆け降りる。そんな自分だけはぐれたのではという不安を叫んで吐露するアキだが、当の問われたミカ『しょうがないな』と言わんばかりの優しい声で答える。

 

「心配要らないよアキ。みんなにはこの後どこに合流するかは伝えてあるから」

 

「な! なんで私だけ除け者にするの!」

 

「だってね。アキは物覚えワルいじゃないか。それに方向感覚も怪しいところがあるから言ったて意味がないんだよ」

 

「むむむっ。そんなことないもん」

 

「じゃあ北ってどっちだい?」

 

「北。上! もしくは寒い方!」

 

「あははは。それじゃあ道案内は頼めないな」

 

「そ、そんな事ないもん! 今のはわざとだもん!」

 

 ミカの言に不機嫌に頬を膨らますアキ。膨らんだ頬をミカ人差し指でつつく。プニプニ。プニプニ。シュー。その柔らかな感触と時折桜色の口から漏れる空気の音がおもしろくって何度もつついている。

 ミカは極寒の、凶弾飛び交う戦場、極地とも言える悪環境にも関わらず二人に恐怖も緊張もない。

 この場において不謹慎とも言えるじゃれあいを終わらせたのは数発の銃声。

 

「あれはシムナのだよね」

 

「そうだね。シムナが撃つということは追手に追い付かれたというのと同時に――」

 

「追手は全滅するっていうことだよね」

 

「そういうことだね。そう時間は掛からないと思うけどシムナは少し合流には遅れそうだね」

 

 二人は一人の少女を心配していない。せいぜい遊ぶ約束した友人が待ち合わせ時間に遅れる程度の認識。むしろ敵対した相手側を哀れに思っている。シモ、彼女に狙われたが最後、不慮の事故でもない限り相手はシモから逃れることはできないのだから。

 そして、豪々と吹きすさむ吹雪のなかに、わずかに聞こえる銃声。そのなかにあるであろう悲鳴は一切誰にも聞こえることなく、雪と灰が折り混ざった世界の悲鳴にかき消されいった。




「やあ、このロシアの何処かにいるであろう狼さん」

話す声は、仮面の男だ、薔薇の華の。異形の男だ、黒い僧衣の。周囲を満たす黒よりも尚、色濃い《霧》だ、《闇》だ。否、既にそれは《混沌》だ。

「気に入ってもらえたかな狼さん。
これは君が置いていったもの。
これは君が忘れていったもの。
これは君が犯した罪そのもの」

「ああ、そんなに赫怒(嬉しそうな)な顔をしないでほしい。
アア、そんなに嬉々(鬼気)とした目で見ないでくれ。
これは私からのささやかなクリスマスプレゼントであり、コース料理でもある」

「そう。コース料理。これは言わば前菜(オードブル)にすぎない。この後には主菜(メイン)と食後の甘味(デザート)を用意している。
来年の1月7日に間に合うように準備している君のためのコース。
気に入ってもらえて何よりだよ狼さん。
そう言えば知っているかな狼さん。一匹狼というのは群れからはぐれたか追い出された個体のことを言うのだよ。狼は群れでしか生きていけない。一人では狩りをすることも繁栄も出来ない。
一匹の狼はただ朽ちて、ただ衰えて、ただ惨めに、ただ哀れに、死んで逝く狼」

「嗚呼、そんなに殺意(好意)を向けないでほしい。
まだ君は、早い。その殺気()はまだ熟成させなければならいな。そう。熟成(・・)だよ。
そのまだまだ良くなる瞬間。甘美となる時はまだ先だ。
だから、今は君には用はない。ただ私の好意に甘えほしい」

「だから、だから、それまでは心行くまで楽しんでいってくれ、脆弱で、哀れな狼さん。
ふははは。ふははははは。ふふふははははははは。はーははははははははあーははははははははは。

では良き青空を」
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