黒雪のコモリオム  --What a beautiful Fakes --   作:ジンネマン

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今回は前回のアンナ視点です。なぜかと言うとあのまま進んだら二人が死んじゃうからです。
つまり、ガクトゥーンのShining Night風というこで(おこがましい)よろしくお願いします。


1-5

 照明に照らされる。舞台が照らされる。劇場が照らされる。

 黄色を基調とした舞台には扉はない。ここは出ることも、入ることも出来ない。

 何者も見たことない程の大きな劇場。誰も見たことない意匠の壁と観客席。如何な人も見たことのない舞台装置。

 

 見たことない観客席、壁、舞台、各所に施されたシンボル(・・・・)。疑問符を三つ合わせたようなソレ(・・)

 人を嘲笑うのとも違う感情が込められたシンボル。人も英知や経験を遠く高みから見下ろされている感覚に囚われる。

 

 ならばこの舞台は何の為の舞台か。

 

 ここはたった一つの演目の為の舞台。ここはたった一つの戯曲の為の舞台。ここはたった一つの狂気に彩られた舞台。

 その劇場には誰もいない。観客も、楽団も、役者も、裏方も、誰もいない。

 あるのは狂気だけ。一人の王が望み、一人の王が見て、一人の王が嗤う。

 

 

 

 私は強い光を目蓋に感じる。

 目を開けると私は困惑する。

 

 ――ここはどこ?

                                           違和感を感じる。

 

 私は周りを見渡す。

 見たことのない劇場、

 客席、壁、舞台、どれもこれもだ。

 

 ――誰かいないの?

                                              誰かいる。

 

 私はもう一度、周りを見渡す。

 しかし、人の気配は感じられない。

 客席や舞台装置、舞台袖を覗いても誰もいない。

 

 ――なんで誰もいないの?

                                            どこにいるの。

 

 私を照らし続ける照明はあるのに、

 誰かが動かしているはずなのに、

 誰もいない。

 

 ――いや、そもそも。

                                               応えて。

 

 私は気付いた。

 この劇場は人が使った形跡がない。

 それなのに塵や埃が積もっていない。

 

 ――いったいなんなの?

                                              見つけた。

 

「久しぶり雪ちゃん(スニェーク)

 

 ――え?

 

 私は声のした方に振り向いた。

 そこには少年がいた。

 着古した黄色とも緑ともとれる外套をした少年が。

 

 ――あなたは。

 

「そう言えば名乗っていなかったね。僕は■■■■、■■■■■■■■」

 

 私には彼の名前がよく聞こえなかった。

 まるで、そこだけモザイクかかったかのように。

 

「あれ? 僕のことわからない?」

 

 ――わからない。あなたはいったい何なの?

 

 そう、わからない。

 でも、なぜだか、彼とは前に会った気がする。

 よく見ると彼は0.3フィートほど浮いている。

 

「あ、そうか。君はまだ印を見つけていないんだね」

 

 ――印? 印って何なの?

 

「うーん。答えてあげたいけど、今の段階で過度に君に干渉するとあいつに見つかりそうだし」

 

 ――あいつって?

 

「それは君が気にしなくっていいことだよ」

 

 ――なんで?

 

「なんでって、あいつに、黒い道化師(■■■◼■■)は面倒だからね。

 ……いや、あいつならとっくに見つけているかもい。だってメスメル学はあいつの独壇場だし……」

 

 ――……黒い道化師(■■◼■■■)

 

「あ、あいつの名前は無暗に言わない方が良い。碌なことにならないからね。

 それよりも、今は、他の奴が君を狙っている」

 

 ――誰が?

 

「誰って、あの赫い奴だよ」

 

 ――赫い……

 

 赫、最近この国を騒がせていると思わしき一団が掲げている旗の色。

 とても危険な人たちの集まりと言われている。

 

「あ、そいつのことも滅多なことでは言わない方が良い。命が惜しければね。

 ――って、あまり長いと本当によくない。兎に角印をみつけてね。いざという時に助けられないから」

 

 ――待って!!

 

「でも――見つけたあとは、どうかは慎重にね」

 

 ――答えて!!

 

「時間切れだ。じゃあね雪ちゃん(スニェーク)。良き青空を」

 

 私は少年に向けて右手を伸ばす。

 

 しかし、届かない。

 

 黄色い外套の少年が、消えていく。

 同時に照明が、どんどん暗くなっていく。

 暗くなる舞台が、どんどん存在感が希薄になっていく。

 

 そして、私の意識も暗くなっていく――

 

 

 

 ◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 チクタク。

 チクタク。

 チクタク。

 

「待って!!」

 

 私は右手を突き出した状態で目が覚めた。

 ――息が苦しい。それに胸が……

 

 手を胸に当てると心臓が激しく動悸している。カーテン(ザーナヴィス)の隙間から外を見るとまだ暗い。手元の機関灯をつけて時計を見る。

 時計はいつも起きる時間よりだいぶ早い。

 

「……私、どうして……」

 

 ――どうして、私は……それにこんなに汗をかいて。

 

 私はひどく汗をかいていて、寝間着が肌に張り付き少々冷える。

 ――寒い。それに気持ち悪い。

 

 私はベットを抜け出し、タマーラが暖房機関(ジャラードヴィーガチリ)を付けてくれる時、ついでだからかと作ってくれたシャワー室に入り、暖かいシャワーを浴びて寒気を追い払う。

 

 数分ほど浴びた後、水気をしっかり取り、新しい寝間着を着てベットへ入る。

 それから少し時間が過ぎる。普段から小さな、小さな、鈴の音ようなの目覚まし時計で起きられる私だ。だから、私はタマーラが鍵を開ける音で目が覚めた。しかし、時計を見ると、目覚ましが鳴るまで時間があるから二度寝することにした。

 

 ――いや、三度寝か。

 

 

 

 

 私は再び楽園へと身を委ねる。だが、私の三度寝は数秒ともたなかった。

 

 タマーラが私の側に静かに立った。まるで第三文学で読んだ極東(イィポーニヤ)の本で見た幽霊(プリヴィデーニエ)みたいに。

 

 タマーラの癖のある茶髪がわずかに開いた視界の端に映る。

 

 しばらくタマーラは私の顔をじっと見つめている。ここで起きるのも億劫なので私は意識を沈めようとする。

 しかし、そうはならなかった。タマーラが私の頬を指で突っついてきたのだ。ツンツンとくすぐるように、何かを確かめるように、何度も何度も突っついてくる。

 私はまだ眠りたいのでシーツを顔まで被る。そしたらタマーラは私を突くのをやめてもそもそ(・・・・)となにかしている。

 

 ――諦めたのかもしれない。やっと寝られる。

 

 私は再び楽園に身を投じた。が、そんな楽園は長くは続かなかった。

 私の暖かな楽園をつくっていたシーツ(大天蓋)がタマーラによって剥ぎ取られた。もちろん力いっぱいの抵抗をしたが意味をもたなかった。私は諦めて目蓋を開けてタマーラに尋ねる。

 

「ん~~タマーラ、どうしたのこんな時間に?」

 

 

 

 私はねぼけまなこで時計を見る。時間は私が見たときから十分ほどしか経っていない。

 流石に私も不満は隠せず顰め面をしてしまう。

 

しかし、ここに至ってタマーラが意味もなく、こんなことするはずがないと思った。もしかしたらタマーラも悪い夢か何かを見て、それで不安になって私のところに来たかもしれないから。

私はタマーラに気づかれないよう、固唾を飲んでタマーラの言葉を待つ――

 

「んふふ。今日はなんか目が覚めちゃってね」

 

「なんでそうなるの!?」

 

 私は勢いよく上体を起こして怒鳴ってしまった。

 ――なんか、心配して損した……でも、私の杞憂でよかった。

 

「ごめんね。でも、目が覚めちゃったから早めにアカデミーに行って練習しよ」

 

 タマーラも少しは申し訳ないと思うのか、いつもの茶化すような謝罪ではなかった。

 ――それに今ので目が覚めちゃったし、しょうがない。

 

「はぁ。わかった。着替えるから外で待ってて」

 

 せめて、少し一息つきたい思いでタマーラを外にだそうとする。が、

 

「――ねえ、アンナなんで追い出そうとするの?」

 

 ――へ? 

 私は一瞬、部屋の中に漂う冷気とは別のモノに、寒気を感じた。

 そして、タマーラが手をワキワキと、怪しい動きをして近づいてくる。いや、あれは近づくより迫ってくるという表現が正確だ。

 

 ――いやな予感がする……

 

「……え? だって、なんか、今のタマーラは……」

 

 私はまだベットの上にいる。つまり、すぐ後ろには壁しかない。

 

「私がなあに?」

 

 タマーラがまた一歩迫り、私は逃げようと後退するがすぐ壁につきあたる。

 

「タマーラ、ちょっと落ち着いて……」

 

 ついに、きれいなタマーラの顔が目と鼻の先に来た。

 

「私は冷静よアンナ、さあ着替え、手伝って

 あ げ る」

 

「ちょっと、タマーラ、待って、あ、い、や、あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 私はせめてもの抗いとして精一杯声を上げた。しかし、誰も部屋には来なかった。

 ――私の声は届かなかった……ねえ、この寮の防音性、高すぎない?

 

 

 

 

 私はそんなどうでもいい(どうでもよくない!)ことを思いながらタマーラの成すがままにされた。

 

「うん。いいことした」

 

 タマーラが額にかいた汗を輝かせて、無駄に爽やかな笑顔で言った。

 

「うう、ひどいよタマーラ」

 

 私はというと、床に膝と手をついて項垂れていた。

 

「どうしたのアンナ? 朝からそんなに消耗して」

 

 タマーラは何食わぬ顔で私を心配している。いや、心配しているふりをして次に何をしようか思案しているにちがいない。

 

「うぅ、もういい。早くアカデミー行こう。

 もうお嫁に行けない……」

 

 私はため息一つして弱い足取りで扉に向かう。するとタマーラがいきなり私に抱き着いてきた。

 

「ごめんねアンナ、ちょっと、ふざけ過ぎたわ」

 

 タマーラは優しく、まるで壊れ物を扱うように優しく、ギュッと抱きしめる。

 本人は気づいていないかもしれないが私のおへそ辺りにある手は震えている。この震えは寒さによるものではない。多分よくない夢を見たか、嫌な予感がしているのだろう。タマーラのカンはよく当たるから、自分でもそう思っているから。

 だから私はタマーラを安心させたくってわざと(・・・)ため息をついた。そしてタマーラの手を包み込むように、手を優しくそえる。タマーラの手は気持ち冷たかった。だからその手を暖めるようにギュッとする。

 

 タマーラの震えが少しおさまった。

 

「もう。いいよ。タマーラ」

 

 私はタマーラを安心させたかった。

 いつものように笑ってほしかった。

 あの失われた太陽のように朗らかに笑ってほしかった。

 

「ありがとうアンナ。帰りになにか美味しいもの買ってあげるね」

 

 笑ってくれるタマーラ。まだぎこちないけど、いつものタマーラの笑顔だ。だから、私もいつも通りに。

 そう。いつも通りの私でいる。演じる。タマーラのことは心配だけど。

 

「でもタマーラ、いつもは登下校中の買い食いは感心しないって」

 

 変に気負ってほしくないから。

 

「いいの。今日は特別」

 

 だから。

 

「変なタマーラ」

 

 タマーラが私の手を握りして引っ張る。

 

「さあアンナ朝食を食べに行きましょ」

 

 ――いつものように。

 ――まだ冷たいけど、さっきみたいに震えていない。

 ――タマーラの暖かい手。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 アカデミーでコンスタンチン先輩とウラジミール先輩に校門前で合流してからタマーラは調子が戻っていた。お調子者のコンスタンチン先輩といつものようにじゃれ合い、所々で冷静なウラジミール先輩が行き過ぎないよう間に入る。無論タマーラが暴力を振るうことはないが(先日のようなことは極稀である)熱くなる二人を前にするとアタフタする私を慮って行為だ。しかし、ウラジミール先輩曰く『あれは二人独自の求愛行動みたいなモノだから気にするな』と言われて私は首をかしげる。

 たしかに二人は仲は悪くない、むしろお互いをよく思っていると思うが、流石に《求愛》はどうかと思う。

 

 ともあれタマーラが元気になってよかった。朝に感じたんであろう不安も今は無さそうで本当によかった。

 

 私たちが談話しながら校門をくぐると機械のように定時通り、校門から11ヤードほど離れた場所に、機械よりも機械らしくいつもと同じ場所に立っていたレフ先生。

 

 レフ先生が登校してくる生徒を睥睨している。すると目があった(・・)

 

 今朝はレフ先生に何かされることはなかったが……そのレフ先生の瞳が、暗い雪のような瞳が、私を見るその瞳が、喜悦(・・)の色が染まっていた。

 レフ先生のそんな瞳は見たことがなかった。そんな目で私を見ていたかわからない、その瞳に見られた瞬間背筋に鳥肌がたつ。

 

 全身に冷や汗が滲む。

 目に涙が溜まる。

 

「……! ……ンナ! アンナ!」

 

 声と共に、レフ先生と私の間に誰かが入ってきた。

 タマーラの顔が入ってきた。

 心配半分好奇心半分(なぜぼうっとしていたか)のタマーラの顔が入ってきた。

 

「――タマーラ、どうした、の」

 

「どうしたのじゃないわよ。アンナったら急に立ち止まるんだもん――アンナどうしたのそんな顔をして……まさかまたレフ先生に」

 

 タマーラは私の視線がレフ先生に向いていると気づいた。そのままレフ先生に振り向いて何か言おうとする。私は慌ててそれを止める。

 

「大丈夫だよタマーラ! そんなことないよ……ねぇタマーラ、今日のレフ先生何かいつもと違わない?」

 

 私はタマーラに尋ねる。私の感じた違和感が真実であるかどうかを。

 

「え? レフ先生? ………いつも通りの仏頂面、鉄面皮、無表情の三拍子に見えるけど」

 

「おーーい二人してなにやってんだーー」

 

 10ヤード程先でコンスタンチン先輩が私たちを呼んでいる。

 

「すぐ行くわよ。まったくあの男は――ほらアンナいきましょう。練習時間が少なくる」

 

「う、うん」

 

 私はタマーラに手を引かれて歩き出す。そしてレフ先生の横を通り過ぎる時に、レフ先生の横顔を見る。

 その顔はさっき感じた喜悦は感じず、タマーラの言う通りいつものレフ先生だった。

 

 ――気のせいだったのかな。

 私はどうしても先程感じた違和感を拭えぬまま練習場に向かう。練習に一汗かいた頃には違和感は薄れていた。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 あの後レフ先生とは会うことなく午前の基本科目が終わり、昼食、休憩、そして今は選択科目の時間だ。

 第三文学のあとの芸術科篆刻写真部、通称チェーカーの時間が始まる。担任のフェリックス・エドムンドヴィチ・ジェルジンスキー先生は細身で長身、とっても優しい父親のような人だ。

 今日の活動内容は写真機の整備。写真機はとても繊細だ。特に支給される写真機は廉価品で性能も最新式に比べれば格段に落ちるし、耐久性能も大きく劣る。そのために定期的な整備は必要なのだ。特にこの国は欧州に比べると寒いし、落ちてくる灰の量も多くチェルノブイリ複合機関(スロジニエードヴィーガチリ)の試験運用日に至っては私のように少し改造(気密性を上げて異物などが入らないようにしている)しないと写真機を使うのも憚られるくらいだ。そのためフェリックス先生は定期的に、具体的には週一回は整備の時間が設けられている。

 

 チェーカーのような直接社会的貢献とは結びつかない活動には予算は降りにくく、全員分の写真機を用意するだけでもフェリックス先生はかなりの苦労をしたという。だからチェーカーのみんなは面倒でもこの時間は真面目に、黙々と整備作業に没頭する。

 ふとした表紙に顔を上げれば優しい顔でみんなを見守るフェリックス先生がいる。本当の子供を見守るように暖かな眼差しをみんなに向ける。

 

 だが、私と目が合った瞬間、その瞳は揺れた。

 

 ――あの目は何かを堪えている目だ。フェリックス先生、何をこらえているの。どうしてそんな目をするの。

 

 口には出ないけど、出せないけど、そう見えてしまっては気になってしまう。そんなモヤモヤした気持ちをチェーカーの活動時間ずっとしていた。

 

 そのあとの。

 一日で一番好きな時間。

 バレエの時間も抱えたまま下校時刻になった。

 

 

 

 下校時にはコンスタンチン先輩とウラジミール先輩とは一緒になることはあまりない。二人とも研究熱心で場合によってはアカデミーに泊まり込むこともあり、この時間はタマーラと一緒のことが多い。

 

「じゃあアンナ、なにが食べたい?」

 

「うーん、特に要望はないかな。タマーラがくれるならなんでもいいよ」

 

 ――だって、私はタマーラと一緒ならなんでも美味しいから。嬉しいから。幸せだから。

 

「じゃあ、あのピロシキにしましょ。ほら、以前コンスタンチン先輩が教えてくれた路地う」

 

「君たち」

 

 誰かが私たちを呼び止める。

 

「Msガスパジャーアンナ、Msタマーラ、いまから寄り道ですか? 校則で禁止されているわけではありませんが、感心はしませんね。早く帰りなさい」

 

 フェリックス先生だ。そして、また、私をあの揺れる瞳で見つめる。

 タマーラは気付いていないみたいだけど私にはなぜか(・・・)わかる。

 

「大丈夫ですフェリックス先生。寄り道と言ってもすぐに済みますし、私たちの寮はすぐそこですらね」

 

 タマーラは早くピロシキを食べに行きたいのかフェリックス先生との話を切り上げようとする。

 

「しかし、最近はこの近くも物騒な噂が立つ、それに今日は早く暗くなる」

 

 いま、フェリックス先生は何を言ったのか、

 

「? おかしなこと言いますねフェリックス先生。まるでもうすぐチェルノブイリ複合機関(スロジニエードヴィーガチリ)が稼働するのがわかっているみたい」

 

「いえ、なんとなくですよ」

 

 フェリックス先生は濁す、その隙をタマーラは見逃すことなく話を捲し立てる。

 

「本当に大丈夫ですよ。そんな一時間や二時間寄り道しませんし、せいぜい掛かっても十分くらいですから。ではフェリックス先生また明日」

 

 タマーラはそう言い終えると私の手を引いて校門へ走る。

 

「あ、タマーラ、待って。フェリックス先生また明日」

 

 フェリックス先生は諦めたように……いや、諦めて私たちを見送る。

 

「あ、二人ともくれぐれも寄り道せず、まっすぐ帰りなさいよ。

 

 

 (黒い雪が降る前に)

 

 

 フェリックス先生が最後に何かを呟いた。その小さな声は私には届かなかった。

 けれどもわかったことが一つある。フェリックス先生の瞳に映っていた感情は、

 

 ――悲しみと懺悔だ――

 

 ――あの瞳は無力な自分を呪う瞳だ――

 

 

 

 アカデミーを出た後私たちは目的のお店に向かっている。タマーラもフェリックス先生の言葉に半信半疑のようだが遅くなるのを避けるために早歩きでいる。

 そして、近道である裏路地への入り口を視認する。普段はこういった裏路地はコンスタンチン先輩たちと一緒ではない限り入らない、けれども今日は急ぐため使用する。

 

 が、

 

 その近くを女性が歩いていた。

 赫いドレス身に纏ったきれいな女性だ。

 大きな赫い傘と深めの帽子で顔隠した女性だ。

 

「そこのお嬢さん方(ディエーヴゥシカ)どちらに?」

 

 赫い女性が話しかけてきた。きれいな声で、優しく、気品すら感じる所作で。けれどもその声は冷たく、女性にしては低い声で。

 

 ――私、この人を知っている。

 

 私に言い知れぬ不安が走る。私のなにか(・・・)が訴えかける。

 

「はいご婦人(ダーマ)。この路地の先にあるお店で買い物をしに」

 

 タマーラが立ち止まり丁寧に応答する。今日のタマーラなら立ち止まらず走り抜けると思ったが、この女性になにか感じるものでもあるのだろうか。

 

 そして、タマーラは気付かない。なにか、この人は関わっていけいない。そう思える何かに。

 

「それならやめておいた方が良いわよ。この路地、今朝がた壁の一部が壊れて通行止めになっているのよ」

 

「? そんな話は聞いていませんが……」

 

「ええ、わたくしもついさっき確認したばかりで今遠回りをするところなの」

 

「そうですか――ご婦人ご忠告ありがとうございます。では私たちもそうします。アンナ行きましょう」

 

 タマーラが再び私の手を引いて歩き出す。通り過ぎる時、赫い女性の、瞳が見えた。

 

 その瞳は喜悦に染まっていた。

 

 

 

 それから遠回りをして向かう最中に降ってきた。

 暗い灰が、黒い雪が、すべてを覆い尽くす灰が。

 チェルノブイリ複合機関の灰が。

 

「やだ、本当に降ってきた。アンナ急ぎましょ」

 

 ここまでくると手を離し走り始めていた。

 

 次の瞬間暗い灰が、黒い雪が、吹雪いた。

 

「きゃ」

 

 

 ──数■領域(ク■■■ング・フィールド)展開──

 

 ──数式■域(クラッキン■■■ィールド)構築──

 

 ──数式■■(クラッキ■■■■■■■■)顕現──

 

 

 何かが聞こえた。違う、網膜に響かないが何かが聞こえた。

 

 私の声を聞いたタマーラが私を抱きしめた。私を守るように強く抱きしめた。タマーラの暖かな体温が私を包み込む。そのまま二・三秒ほどして、

 

「どこ……ここ…………」

 

 暖かな安らぎが一瞬で消え去る。私はタマーラから離れて辺りを見渡す。

 

 そこは、見たことのない、風景。きっきまで私たちがいた場所と違った場所。どんなに辺りを見回しても同じ、石造りの壁が両脇に佇む無機質な風景。先程まで降っていた雪が消え、遠くには高い塔のようなモノ。

 

「ねえアンナ――私たちさっきまで遠回りして街の大通りにいたわよね?」

 

「うん。その、は」

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!」

 

 私の言葉は最後まで続けられることなく、後ろから聞こえた雄たけびにかき消された。その声は氾濫した河の轟音のようで、心が軋んでしまいそうになる。

 私たちは恐々(おそるおそる)後ろに振り向く、そこにはライオンの頭で牙は鈍色、ガチョウの脚なのにその爪は牙と同じく鈍色に濁った光沢、胴体はロバに似ているが周りに杭の生えた鉄の輪をいくつも回しつけている。瞳のあるべき場所は空洞。

 見たことのない怪物、知らない怪物、出会ってはならないモノ。

 

 ――あれは、なに――

 

 怪物が空洞で、ないはずの瞳で私たちを見つけた。怪物がゆっくりと、けれども怠慢ではなく、機敏な動きでこちらに来る。

 

「お…………ウ……ゴん………………ド…ウ」

 

 ――冷汗が止まらない、足が震えて言うことが聞かない、呼吸がうまくいかない。

 

 そんな私が動いた。違う引っ張られた。タマーラが手を引っ張ってくれた。

 

「ど……ko………………ダ」

 

「逃げるわよアンナ!!」

 

 駆ける。走る。兎に角逃げる。幸いなことかわからないが道は一直線ではなく、曲がるたびに怪物の声が遠くなり少し心が平静になる。

 しばらく走ると気付いた。タマーラの瞳に涙が溜まっているのを、握られた手が汗で濡れているのを、走っている以上に呼吸が乱れているのを。

 

 だから私は。

 

「タマーラもう大丈夫だから! 手を離しても走れるから!」

 

 私は訴えかける。これ以上タマーラに負担をかけたらタマーラが倒れてしまうから。

 

「だめよアンナ! あなたここ一番でしでかしてしまうから! 大丈夫、私が必ず守ってあげるから」

 

 そう言うとタマーラが一層強く手を握ってくる。痛いくらい強く。

 でも、気付くべきだった、その声が氾濫した河なら、静かに流れるのも川なのだから。

 

 視界の端に鈍色が煌めく。

 

「タマーラ!!」

 

「っ!」

 

 私のとっさの声にタマーラが反応して私を抱えて後ろに飛び引く。

 

 鳴り響く轟音。その音はアカデミーの部活見学で見た兵器開発部の爆弾の爆破演習の時の音によく似ていた。

 その反動で私と1ヤード以上飛ばされてしまった。私は頭にたんこぶが出来たかなとくらい軽く打ち付けた程度ですぐに立ち上がった。でも、タマーラは頭から血を流して起きない。

 

「起きてタマーラ!! ねえタマーラ!! 早く!!」

 

 私はタマーラを強く揺する。頬を叩く。でも起きない。

 その間にどんどん怪物が近づいてくる。その息遣いが、その大地を踏みしめる音が、死の気配が、近づいてくる。

 

 私はタマーラを無理やり抱えて歩く。少しでも、あの怪物から離れるために。

 ――決して見捨てないからねタマーラ。

 

 怪物はそんな私をあざ笑うようにゆっくりと近づいてくる。

 

 逸って速度を上げようとした私はつまづいて転んでしまった。走ってきた疲労と恐怖で体がうまく動かない。タマーラを抱えて起き上がろうとするもうまくいかない。そうして何度も失敗している内に怪物の動きが止まった。ついに私たちの至近距離まで来たのだ。

 

 ――させない。

 

 私はタマーラを離すことなく、這いつくばるように進もうとする。――少し、ほんの少しずつ進む、が、これでは意味がない。

 ――だれか助けて、タマーラを助けて。私じゃあタマーラを助けれないから。

 

 目が涙で滲む。諦めたくない。諦めないけど。でも、このままじゃ助からない。

 ――夢があるんだ。

 

 進む、一歩よりも短く、儚い距離を、

 ――みんなに《きれいなもの》を《うつくしいもの》を、あの感動を

 

 手を伸ばす。

 ――あの気持ちをみんなに

 

 ふっと、右手のほんの先に何かある。

                                         瞳が何か訴えかける。

 ――なに? あれ? 

 

 私は手を伸ばす。なにかはわからないが、手を伸ばす。

                                        それはある王との契約。

 ――これは?

 

 私は固い感触のソレ(・・)を強く握りしめる。

                                     狂気に魅入られた王との契約。

 

 ――もしかてこれって。

 

「オウゴんDオオォォォおぉぉおお」

 

 怪物がその鈍色に光る右腕を振り下ろす。すべてを粉砕する一撃を振り下ろす。

 

                ――だが、その一撃は届かなかった――

 

 私はいつまでも来ない痛みに不安を感じて後ろを振り向く。

 

                  ――そこには少年がいた――

 

            ――着古した黄色とも緑ともとれる外套をした少年が――

 

 

「久しぶり雪ちゃん(スニェーク)

 




ついに、次回、念願(逃げたい)テンプレ戦闘回。やばい、逃げたい(遣り甲斐がある)時ですね。逃げる(頑張り)どころなのです。

つまり、何が言いたいかというと、耳にチク・タクって音がしますから諦めてもいいですか? ほら、チク・タク言ってる人も『賢明だ』って言っていますし。
いや、本当にちょっと涙目になりそう。

では、親愛なるハーメルン読者の皆様方良き青空を。
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