踏み出す一歩   作:カシム0

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 お待たせしました。
 エピローグ前の最終話です。
 改稿していたら二倍くらいの量になってびっくり。

 この話は地の文が、つまり八幡の独白が多数を占めています。
 読みづらいかもしれませんが、よろしくお付き合いください。
 じゃあどうぞ。


鶴見留美は一歩を踏み出す決意をする。

 

 

 

 

 私は、お父さんもお母さんも大好き。お父さんはお母さんが大好きで、お母さんはお父さんが大好き。二人は私を大好きでいてくれる。

 共働きだからちょっと寂しいこともあったけど、ちゃんとお話はするし、お出かけもよくしてた。そこを疑ったことなんて一度もない。仲のいい家族、だったと思う。

 でもね、十二月の頭くらい、だったかな。私が学校でハブられていたことが、どこからか二人の耳に入ったの。学校からか、ご近所からか、わからないけど。

 それで、その日の夜。お父さんたちにリビングに呼ばれたの。なんで話さなかったのか、そんなに頼りないか、って。

 怒られたってわけじゃなくて、ただ心配してくれていたんだと思う。

 そんなつもりはなかった。しばらく待っていれば収まるし、大騒ぎしたくなかった。ハブられていたのは解決したって。そう伝えた。

 ……自分がみじめに思えたって話はできなかった。お父さんたちに、私がみじめだなんて、思われたくはなかったから、かな。

 それでその話は終わり。もっと何でも話していいんだよって言われて、夜遅かったからもう寝なさいって。結局、怒られはしなかった。

 でも、私がリビングから出た後、お父さんとお母さんがお話していたの。

 

『仕事辞められないか? やっぱり女の子だし、母親が家にいるべきだよ』

『いきなりは無理よ。責任ある立場にいるし、会社や同僚に迷惑がかかっちゃう。私にばっかり押しつけないで』

 

 だったかな。ドア越しだったからちゃんとは聞こえなかったけど。声を荒げたりはしてなかった。けど、ケンカしてたんだと思う。

 その後もちょっと話してたみたいだけど、声が小さくて聞こえなかった。口げんかはそれで終わり。

 次の日、二人は普通になっていた。

 朝ご飯を一緒に食べて、一緒に家を出てお仕事に行った。それからずっとケンカはしていないし、その日のことを口に出したりしない。

 でも、でもね……元通りじゃないの。どこか、今までと違う。

 クリスマスパーティーはしたし、年越しそばも一緒に食べた。初詣も行った。親戚の家に挨拶にも行った。

 でも、何か違うの。

 

 

 

 

 

 長い話ではなかった。けれど、留美はゆっくりと言葉を発した。

 改めて、俺はひどいことをしていると思う。無理に留美が思い出したくもないようなことを無理に聞き出している。だと言うのに、俺の最初の思考は、納得がいった、だ。

 今の留美の話を受けて、留美の行動の裏付け、留美のご両親の状況の確認、現状が把握できたと考えている。

 自分で言うのもなんだが、常人の思考ではない。人非人と言っていい。

 何が留美の気持ちに共感したい、だ。ただ俺自身が知りたかった、わかりたかっただけではないか。野次馬根性にも程がある。

 だが、留美の悩みは把握できた。どうしてそうなったのかは理解ができた。

 俺がどうしようもないひどい奴なのはわかりきっていたことだ。だから自省も自己嫌悪も後回しだ。

 今は留美のことをこそ最優先に動け、思考しろ。それしか俺にはできないのだから。

 

「話してくれて、ありがとうな」

「……うん」

 

 俯く留美の声はしかし、潤んだりはしていなかった。泣いていてもおかしくはないだろうに、本当に強い子だ。

 俺は留美の強さに任せて留美の悩みの根幹を話させた。それに対する反省は後回しにして話をまとめてみる。

 やはり、留美の悩みの遠因に当たるのは夏の林間学校、と言うよりその頃に学校で孤立させられていたことだ。

 時間が経ってから愛娘が大変な目にあっていたと聞かされたご両親の心境は想像するしかない。大切な人が困っていた時に何も知らず、何も知らされず、すでに苦境は過ぎていたと、俺自身が聞かされたらどうだろうか。よかったと思うか、力になれなかったと嘆くか。

 どちらにせよ、留美のことを案じるのは間違いなく、留美自身が思っている通りご両親は怒るよりは心配していたのだろう。

 しかし、ご本人たちから話を聞かないと決めつけになってしまうが、留美のご両親は責任逃れをしているように思える。

 ご両親の会話を極端に悪く解釈するならば、父親は留美の面倒を母親に任せようとしていて、母親は仕事を優先して娘を放置している。

 そして、留美はこれに近いものを感じてしまっているのではないか。お互いに責任を押し付けあっているのだと。留美が学校で嫌な思いをしているのはお前のせいだと、責めているように見えるのではないか。

 そして、留美が留美自身を責めてしまっている。大好きな両親が、自分が原因でケンカをしたとなれば、気まずくなって両親に相談することははばかれるのかもしれない。

 

「これまでと何が違っている? まあ、具体的にどうこうっていうのがわからないから何か、なんだろうけど」

「うん……よくわからない、けど」

 

 思春期は心と体のバランスが崩れると聞く。意味もなくイラついたり奇行に走ったりするのもそのせいらしい。まさに思春期真っただ中であろう留美は、モヤモヤしたものを胸の中にため込んでしまっているのだろう。今の留美は夏の留美とは変わってしまっている。

 自分が変われば世界が変わる、というのは相変わらず嘘だ。

 世界は変わりません、自分は変えられます。自分は変わってしまう。

 それは成長だったり立場だったり、そして感情だったりする。自分がポジティブであるかネガティブであるかで、同じ言葉を受けたとしても印象は様変わりするだろう。

 例えば、留美のご両親が仲直りしていたとする。しかし、両親に罪悪感を感じてしまっている留美は、普段なら裏を感じたりしないご両親の言動に、自分を責めているのでは、と感じ取ってしまう。

 例えば、留美のご両親が仲直りしていなかったとする。しかし普段通りのようであり、元通りを装っているように見える。本音を隠し建前で付き合い、剥がれ落ちそうなものを取り繕って過ごしたとして、留美がそれに気づいてしまったのならば、これまでの家族の絆、というものに確信を持てなくなってしまったのかもしれない。

 嘘をつき通せば本物になるのか。違和感から目を反らし気づかないふりをし続けていればいつしか慣れてしまうのか。

 それは否定できない。お互いに妥協点を探りだし、調整を続けていく人間関係もあり、俺はそれで成り立つ関係をというものを知ってしまっている。人間、本音をさらけ出し続けていては社会生活ができない。建前はどうしても必要だ。

 だが、それを俺のように受け入れられない人間もいる。また、留美のように。

 

「留美は、どうしたい?」

「……わかんない。けど、元に戻りたい」

 

 今度のわかんないは、何をすればいいのかわからない、だろう。

 留美は現状打破を求めている。

 両親の不仲と罪悪感の払拭、元の家族に戻りたいと願っている。そのために自分がするべきこと、何ができるのか、それら全てがわからない。目的ははっきりしているのに何をすればいいのかわからないのだ。

 人間関係を歯車に例えて、ギクシャクした状態を歯車がずれていると表現する。不具合の元となっているパーツを直せれば、一見して元通りにはなっているだろうが、それは交換と同意だ。鶴見家の何かを除かねば確保できない平穏を留美は求めてはいまい。

 留美の願いは表面上のものではない。一度壊れたものは元には戻らない。一見同じに見えてもそれは別物だ。壊れないよう取り繕った、ツギハギだらけの出来損ないのパッチワークだ。

 そもそも、元通りになるものは存在しない。うまく骨折すればより強靭な骨になって治るとは言うが、やはりそれは別物だ。キズがつけば跡は残る。人間関係は常に変化する。変わりなく見えていても、必ずどこかが変わっている。

 時間が解決することを願ってじっと待っていることを留美は選択しないだろう。それを拒否したからこそ、何らかのアクションを起こそうとして俺に会いに来たのではないか。

 時間は薬ではなく毒だ。仮初の関係で過ごし、いつしかそれを許容してしまう。

 場当たりの解決はできない。問題の解消ではなく解決が必要だ。これもまた、俺が解決を後に伸ばしてきたツケが回ってきたともいえる。

 ならば解決は、俺の責任で義務である。

 マッ缶をあおる。これで缶は空になってしまった。

 

 

 

 

 

「なあ、留美」

「……ん」

「留美の願い通りになるかはわからないが。状況を変化させることはできるぞ」

 

 解決に必要な条件は二つ。

 まず、ご両親が仲直りすること。すでにしているかもしれないが、そうでなければ改めてしてもらう。それが第一条件。

 それを受けた第二条件として、留美の意識改革。ご両親を仲違いさせたと留美が思っていることから、留美の心にある罪悪感をなくす。しこりを抱えたまま仲良く生活なんてできない。

 言うは易し行うは難しとはいうが、条件を満たすのに必要なアクションはたった一つだ。

 留美は俯いていた顔を上げ、俺を見る。不安そうな顔をしている。

 

「私……どうすればいいの?」

「留美が思っていることを話せばいい」

「……それ、だけ?」

 

 たったのそれだけだ。

 留美はご両親を気にして相談をしなかった。ご両親にケンカをさせてしまったと思い話ができなかった。

 ご両親は留美を気遣って怒りはしなかった。そして留美が悩んでいるのに気づくことができないでいる。

 だったら話をすればいい。話しても伝わるとは限らないし、ひょっとしたら関係が悪化するかもしれない。それでも、このままでいたくはなかったから留美は動いた。

 留美の悩みは留美が解決すべきことで、俺にできることなんて高が知れている。だが、留美の背中を押すことができるのは、そうしてもらいたいと願われたのは俺なのだ。

 

「相談できなくてごめんなさい、だとか、仲直りしてほしいとか。留美が思っていることを思った通りに話せばいい」

「……」

 

 しかし留美は答えない。留美は俺から目を逸らし口を閉じる。

 そうか。留美は賢く勇気のある子だ。それくらいのことは考えたはずだ。

 簡単なことができない理由がある。人間が二の足を踏む理由、それは恐怖だ。

 

「留美は、何が怖い?」

「っ……」

「このままご両親が仲悪いままなことか、ご両親とうまく話せないことか、それとも――」

 

 ごくりと唾をのむ。自分のひどさにいい加減腹が立ちそうだが、言わなくてはならない。

 

「ご両親に嫌われていると気づいてしまうことか」

「……っ、いや」

 

 留美は目に涙を浮かべ、俺の袖にすがりつく。

 やはり、か。

 留美が一番恐れているのは、何よりも恐れているのは、ご両親に自分が嫌われていると気づいてしまうことだ。

 むろん、そんな事実は未確認だ。だが、実際にご両親がどう思っているかは関係がない。

 嫌われているのではと疑念が生まれた段階で、留美の中では嫌われたか嫌われていないかの二択しかなくなり、心が弱っている留美はネガティブなイメージが強くなってしまう。

 俺のような訓練されたプロのぼっちは人の悪意に敏感であり、また鈍感である。誰かが俺を嫌うから近づかない。初めからそういうものだとわかっていれば耐えられる。最も、鈍感だからと言って平気なわけではないが。

 しかし留美はまだぼっち初心者だ。夏に周囲に見切りをつけ達観したとはいえ、まだ半年程度のアマチュアだ。悪意への耐性はまだついていないだろう。

 それに何より、家族からの嫌悪の感情はぼっちにすら堪える。

 

「……いや……怖いよ八幡」

 

 留美は小さな体を、声を震わせている。この短時間の間に、留美を何度悲しませたのだろう。俺に留美を慰める権利も資格もないとは思うが、このままでは話ができない。

 昔、雷を怖がっていた小町にやったのと同じように、頭を撫でる。髪はサラサラでしっとりとしていて、とても触り心地がいい。できることなら抱きしめてやりたいところだ。そんな感想を持ってしまう自分に嫌悪感さえ感じる。

 だが、留美の勘違いを解いてやらねばなるまい。

 しばらくそうしていると、留美の震えが収まったように見えた。

 

「なあ留美。ご両親は好きか?」

 

 あえて、一番最初の質問をする。留美は、俺の肩に顔を埋めたままコクリと頷いた。

 

「好きな人に嫌われているなんて、考えただけで怖気が走る。そりゃ間違いない。だけどな、留美。間違っちゃいけない」

 

 留美の肩に手をやると、留美は顔を上げた。潤んだ瞳と目が合う。頬を紅潮させた留美は、涙を堪えているのか。

 

「ご両親が留美のことが大好きなのは間違いない」

 

 一息に言うと、留美はきょとんとしていた。その顔は年相応に見え、小学六年生が向き合うには重い問題だなと感じさせた。

 

「……どうして、そんなこと言えるの?」

「簡単なことだ。俺は留美が賢くて優しい子だってことを知っている。ご両親だったらもっとよく知ってる。留美をそんな子に育てたご両親が、娘のことを愛していないはずがないだろ」

 

 言うと、留美は少し惚けていたようだが、頬をさらに紅潮させた。

 あの夏の夜。肝試しで留美がとった行動を俺と雪ノ下と由比ヶ浜は知っている。自分を蔑み、孤立させ、嘲っていた同級生を、留美は機転を利かせて助けた。

 人は追い詰められた状況だとその人の素が出るという。留美の行動は的確で勇気があり、優しい。

 留美をそんな子に育てたのはご両親だ。だったら、そのご両親がいい人なのは容易に想像がつく。そんな人たちが留美を愛していないわけがない。

 

「え……な、に?」

「まんまその通りだ。裏も何もない。その通り受け取れ」

 

 いまだお会いしたことがない鶴見家のご両親で、外見も為人もまったくわからないが、これだけははっきりと言える。確信を持っている。反面教師の可能性もなくはないが、留美がご両親を大好きなのだからそれはないだろう。

 留美がいい子なのだから親もいい人だと、一概にはいえないだろうが、子は親を映す鏡という。

 その点、俺の場合は親の顔が見たいと言われるが。

 留美は顔を真っ赤にさせた後、ぱっと顔を逸らしてしまった。顔を逸らしたのなら耳が目の前にある。追い打ちをかけてやる。

 

「だからご両親に嫌われているなんて勘違いする必要はないってことだ」

 

 一歩引いたところから見てみれば、留美の悩みは勘違いの筋違いだった。渦中にあった留美は不安で仕方がなかっただろうが、前提からして間違っていたのだ。そりゃ考えても答えが出るはずがない。

 

「~っちょ、な……」

 

 耳元で囁くように言ってやると、その耳を抑えて留美が身を起こした。気色悪かったかもしれないが、勘弁してくれ。

 

「嫌われてるかもとか考えずに、素直に単純に、真正面からぶつかってみたらいいんじゃねえか? 物事は単純が一番強いって言うし」

 

 平塚先生の受け売りだ。理屈をこねくり回すより、人間を動かすのは感情なのだ。俺が計算しきれない最後の要素。そんな俺が感情について語るなんてちゃんちゃらおかしいが。

 留美が身を起こしたことにより、再度留美の目を見て言う。

 

「留美が思っていることを伝えればいい。大好きだってな」

 

 留美の顔はまだ真っ赤だ。だが、俺の目を見てくれている。

 だんだんと目がキョロキョロしだし、落ち着かなくなってきたが、一度深呼吸をして冷静さを取り戻したようだ。

 

「……八幡は、どうして相談に乗ってくれたの?」

「ん?」

「いきなり学校に押し掛けた縁も所縁もないわけじゃない程度の、小生意気な小学生の相手をしてくれたのは、なんで?」

 

 小生意気な自覚はあったのか。

 さて、それはどうしてだろうか。

 留美の現状を引き起こした原因が俺である責任、留美が相談に来た俺が解決しなくてはならない義務。しかし、本当にそれが理由で動いていたか?

 俺は一々理由がないと動かない人間ではあるが、俺が動いた根幹は何だった?

 簡単なことだった。突き詰めれば、俺も単純な人間なのだろうか。

 

「留美だから、だな」

「私、だから?」

「ああ。留美が困っていたから助けてあげたいと思った。力になってあげたいって思った。そのやり方として俺がとった方法で留美を悲しませちまったようだけど」

 

 話したくないことを話させ、思い出したくないことを思い出させ、嫌なことを考えさせた。思い返すにひどいことをしている。どの口が言っているんだと思う。だが、俺はこのやり方しか知らない。留美には申し訳なく思うところだ。

 留美は少し考え、ベンチから立ち上がった。俺に背を向けたまま夜空を見上げる。

 

「……八幡はさ。雪乃さんや結衣さん、いろはさんが困っていたら、それだけで助ける理由になるんだよね」

「そう、だな。たぶんあいつらだからって理由で、動くと思う。留美と同じで」

「……うん」

 

 俺は留美の飲みさしのマッ缶を手に立ち上がる。少し冷えているが、相変わらずの味だった。

 しばらく空を見ていた留美が振り返る。

 何かを言おうとしたようだが、俺が手にしたマッ缶を見て目を細めた。

 

「……変態」

「もう飲まないんだから、いいだろ?」

 

 小学生と間接キスしたくらいで変態と呼ばれてしまうのは異議がある。小町だって俺の飲み物をよく奪っていくしな。年が近いとドギマギしてしまうかもしれないが。

 

「……デリカシーない」

「すまんな」

 

 そこはもう諦めてほしいところだ。俺にそういうものを求めないでほしい。

 留美は、はあとため息を一つつき、俺の元へと来て、手を差し出した。手の形からしてマッ缶をよこせということだろう。

 少し考え留美にマッ缶を手渡すと、一気にあおった。いや、マッ缶はそういう風に飲むものじゃないぞ。

 留美は一気に残りを飲み干す。眉がひそめられているあたり無理をしている感があるが。

 ふうと一息ついて、留美が言った。

 

「……今日、お父さんとお母さんに話してみる」

「そうか」

 

 今までの留美の行動に何の意味があったかはわからないが、決心させることにはなっていたようだ。

 それは何より、と言いたいところだが。

 

「でも、まだちょっと怖い、から」

 

 俺から見たら留美の悩みは大したことがなくても、留美からしたら人生の一大事だ。挑むにはそれなりの意思が必要とはなるだろう。後押しが欲しいのだろう。

 

「……勇気をちょうだい」

 

 留美は俺を見上げ、そっと目を閉じた。

 ……これは、いわゆるキス待ちというやつだろうか。直接に言われたわけではないが、飲み干したマッ缶を手に、ぎゅっと目を閉じ、体を震わせている留美の態勢である。勘違いのしようもない。

 サラサラの黒髪、整った顔立ち、長いまつげが不安げに震えている。改めて留美が美少女だと感じる。そんな留美がキス待ち顔で俺を見上げていることに、少し動悸が激しくなる。

 これで勇気が出るのかどうかはわからないが、こんなことで留美の願いを助けられるのならば、俺に否やはない。

 留美の頭を撫で、力を抜かせる。ピクリと留美が震えた。怖いのだったらしなければいいのに、と思わないでもない。

 頬に手を添え、俺は留美に唇を落とした。

 年下の子のお兄ちゃんたれとしている俺だ。その落下先はお察しである。

 

 

 

 

 

 唇を離す。すると、留美の目と合ったのだが、ひどく不満そうな顔をしている。

 

「……おデコ?」

「そこはおっきくなって好きな奴ができた時のためにとっとけ。どちらにせよ難易度が高いけどな」

 

 俺が苦笑しながら言うと、留美はより不満そうにむー、と唸って俺に抱き着いてきた。

 留美に懐かれているのはわかる。だが、それに乗じて留美のそこを奪ってしまえるような人間ではない。俺にそのような資格はない。

 俺がやったことは、留美の悩みを無理やり聞き出し、誰でも言える解決策を示しただけだ。たったそれだけのこと。

 俺の腹辺りに抱き着いている留美の頭をポンポンと叩いてやると、しぶしぶといった感じで留美が離れた。

 実はけっこう長い時間を話していたようで、もう遅い時間だ。俺も急いで帰らないと警察官に補導される時間になってしまう。

 それは留美もわかっていたのだろう。離れた留美は、穏やかな顔をしているように見えた。

 

「それじゃあ、留美。一人で、できるか?」

「……うん。一人でできる。勇気ももらったし。ちょっとだけど」

 

 言っておデコを撫でる留美。あんなんで勇気が出たのなら、それは何よりだ。

 

「じゃあ、缶よこせ。捨ててくから」

「……ううん。私がやる」

「そうか?」

 

 公園を出る。留美は家へ、俺も自宅へ。

 これから留美には一つ乗り越えなければならない山が残ってはいるが、留美ならば大丈夫だろう。

 

「それじゃあな」

「……うん」

 

 手を振り別れる。

 今日はほぼ一日中留美と手を繋いでいたから、少し冷たい気がする。まあそれもすぐに慣れる。もとからぼっちだ。

 

「八幡!」

 

 数歩歩いたところで、留美が俺を呼ぶ。珍しく大きな声だ。今まで留美のこんな声を聴いたことはなかった。

 振り向くと、留美がこちらを見ていた。

 

「ありがとう! また、会いに行っていい!?」

 

 俺は留美からの感謝を受け取る資格はない、と思っていた。だが、留美の嬉しそうな顔を見れば、そういうことは無粋だ。

 勝手に口が開く。

 

「ああ。いつでも来な。雪ノ下たちも喜ぶよ」

 

 そして留美は手を振った後、ベーッと舌を出して、駆けて行った。

 最後の行動はよくわからんが、実に子供らしかった。大人びてはいるが、留美はまだ十二歳なのだ。子供らしくわがままを言えばいいし、やりたいことをすればいい。

 俺は留美の健闘を祈りつつ、家路を歩く。

 星空は高く、身も凍るような風が吹いていたが、手が冷たいとは感じなかった。

 

 

 




 次はエピローグです。

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