【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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《真名早見表》
 土方歳三――義豊
 徐晃公明――香風(シャンフー)
 趙雲子龍――星
 郭嘉奉考――稟
 程立仲徳――風
 孫乾公祐――美花(ミーファ)
 呂蒙子明――亜莎(あーしぇ)


栄華の残骸

 洛陽の姿が歳三の視界に入った。

 故意か、単なる不幸かはわからない。ただ、火事があったことを思わせる黒煙が随所から立ち上っている。これが皇帝の座する漢帝国の都のなれの果てと考えると、なんとも無常を感じる光景だろう。

 馬の背で揺られながら歳三は、切れ長の眼を細めた。

 

(久しいな)

 

 かつて、歳三が洛陽を訪れた時は隣に孫堅が居て、劉備が居た。その頃の歳三はまともな官位も領地すらも持ってはいなかった。何進の機嫌一つで首が飛ぶ、単なる小勢力に過ぎなかった。

 それが今では、大陸随一と言って良い程の軍勢を率いている。投げ捨てることを惜しまれるほどの官位も領地も、手に入れていた。多少の感傷はあっても良さそうなものだが、歳三はそんなものとはとんと無縁らしい。

 

(月に剣でも都合してもらうかなァ)

 

 既に次の戦いに向けて意識が向いている。

 何進と十常侍があらかた持ち去ったとはいえ、隆盛を極めた洛陽である。名剣とされる一品が残されているかもしれない。もっとも、名剣とされるものは宝物と同義とできる為、やはり残っている可能性は少ないだろうが。

 いっそのこと、剣にこだわるのをやめてみるか、と歳三は思った。

 

(霞みたいに、長物も良いか)

 

 騎馬隊を率いている張遼に、ちらりと視線を動かした。張遼が歳三の視線に気付いたか、笑って手を振った。歳三は僅かに目尻をさげることで応える。

 歳三は無愛想な表情のまま、右隣に馬を並べる呂布を見た。左隣には、徐晃が馬を並べている。二人とも、歳三を守ると言って護衛に付いたのだ。呂布は歳三の視線に気付いたか、小首を傾げながら歳三を見た。

 

(戟か)

 

 呂布の顔を見ながら、歳三は考え込んでいる。戟は面白い。斬る、突く、叩くといった多彩な働きを行える武器であり、掛けるといった一風変わった使い方もできる。

 戟を相手の服に引っ掛けて姿勢を崩し、国広で斬りかかる自分を想像してみて、やめた。姿勢を崩せる様な相手なら、さっさと斬るか突くかした方が早い。だからといって夏候惇の様な猛者相手に、にわか仕込みの戟で戦えるかといったら否だ。

 

(原田君なら、別だろうが)

 

 当の原田左之助は、彰義隊で自分の名前を売って路銀にすると、馬賊にでもなりますよと清へ渡っていった。そして、ここにいるのは原田左之助ではなく土方歳三である。

 敵陣を突き抜けたいなら、趙雲を向かわせる。堅陣を揺るがしたいなら、徐晃を当てる。猛将が居るなら、呂布をぶつける。そういう考えをする男である。

 (まつりごと)だけでなく、例え戦場であっても分というものはある。歳三は、己の分というものがよくわかっている。

 

(やはり、剣。あるいは刀)

 

 その方が何かと小回りが利く。何より、刀という武器は歳三の性分に恐ろしい程に合っていた。

 

(まァ、ないならないでなんとかするさ)

 

 考えても詮無いことだと心の中で笑い飛ばすと、歳三は自分の中で区切りを付けた。ないものねだりをするよりは、とりあえずでも得手の武器を持つのが肝要である。

 それに。

 

(目当てがねぇから騒ぐなんて、かっこ悪いじゃねぇか)

 

 歳三は男である前に武士だ。歳三の憧れる武士は、男を下げる様なことはしない。ここでいう男とは、歳三の美意識とほぼ同義である。世間一般が意味する男とは少々異なるかもしれない。しかし、歳三とはそういう男だった。

 

 ◇

 

 遂に、歳三は洛陽へと帰ってきた。物の焼けるにおいに紛れて人が焼けるにおいが鼻をつくが、今度は腹にすえかねる腐臭はない。その源も全て、逃げたか焼けたか、あるいは死ぬかした。そう思ってしまえば、何進の悪逆さもここまでくるといっそ清々しい。漢帝国の腐りきった部分を、まるごと持っていったからである。

 

(しかし、何進は俺を舐めた)

 

 だからといって、歳三が何進を斬りたいという密かな思いは一寸たりとも変わらない。何進は歳三を、引いては新選組を、つまりは武士を愚弄した。先の論法で言えば男を下げられたのである。ならば、歳三は何進を斬らなければなるまい。

 

(ま、今はそんなことはどうでもいい)

 

 歳三は眠たげな眼で辺りをぎょろりと見回した。

 洛陽市内の荒廃は依然より増していた。しかし生きている、と歳三には見えた。それよりも息を吹き返した、という表現の方が妥当だろうか。

 確かに何進と十常侍らによる暴虐は、市民の中でも特に富裕層へと襲い掛かった。まだ直接見ることはできていないが、金市の方はもっと酷い状態だろうということが立ち上る黒煙の量で窺える。だが、少ないながらも洛陽を行き交う人々の眼には光があった。

 歳三たちを見る眼にしても、かつての恨めしさを感じる薄暗さはない。

 

(月の統治が、よほど良いのだろう)

 

 董卓の儚げな姿が、歳三の脳裏に甦った。

 乱世を前にしながらも優しさを失わず、さりとて戦を前にして眼を背けることをしない。稀有といって良い存在だ。董卓と出会えたことは、沖田の菊一文字と同じく一種の巡り合わせだと歳三は思っている。

 女と刀を同格として考えている辺り、この辺りは歳三らしい。

 

(桃香は、月とはまた違うか)

 

 優しさ、といえば劉備のことも歳三は思い起こす。あれはあれで滅多に出てくるような人物ではなかった。少しばかり理想家が過ぎるきらいはあるが、人を惹きつける魅力は尋常ではない。現に、関羽や張飛といった豪傑たちが、劉備には付いている。

 もっとも、坂本龍馬という希代の化け物と接したことがある歳三だからこそ、劉備のことを認めることができているという面はある。坂本と出会う前の歳三であったならば、劉備の理想をどう評価していたかは、この男にもわからない。

 

「歳三様」

「どうした、稟?」

「洛陽における兵たちの休息箇所の確保、並びに洛中治安維持の為の警備隊の組織編制など、諸事を完了しました」

「流石だな、稟は」

 

 郭嘉から報告の仔細を受けながら、歳三は短い言葉を返した。歳三の顔はいつもの無愛想に変わりはない。けれども、郭嘉は最大級の賛辞を受け取ったと思っている。むしろここで笑みの一つでも浮かべていたならば、郭嘉はそういう歳三に落胆していたかもしれない。

 見る者が見ればよく染まっている、と評するだろう。が、生憎とここには染める男と染まる女しかいない。

 

「となれば、我々は風の待つ洛陽城に行けば良い訳か」

「そうなります。そしてそこには」

「陳留王がいる」

 

 歳三は小さく噴き出した。

 言ってみてから、自身の珍妙さにおかしくなってしまったのだ。郭嘉に向かってわかった風なことを言っているが、実のところ歳三は何もわかっていない。歳三は政治といったものに興味はなく、政治はもっぱら郭嘉と程立に任せてある。

 更に詳しくいえば、歳三は政治のことなど考えない様にしている。歳三がその辺りを考えて立ち回る男であったなら、江戸幕府や新選組と心中していたかどうかも怪しい。

 

(俺ァどこまでいっても、俺だ)

 

 振り返ってみれば、歳三はまたも存亡の危機にある側へ味方している。かつては徳川幕府であり、今では漢帝国である。これもまた、一種の巡り合せといえるだろう。なるほど、これは奇縁だ。歳三が歳三であることを貫こうとすると、どうにもそうなってしまうらしい。

 歳三は馬首を洛陽城へと向けた。突如噴き出した歳三を、気味の悪いものを見る眼の兵士らと、慈しみの視線を送る郭嘉。それらを意に介さないまま、歳三にはふと思うところがあった。

 

「稟よ」

「なんでしょう、歳三様」

「亡国の淵にあるとはいえ、私が会おうとする相手は相応の礼を尽くすのが道理であるよな?」

 

 あまりに予想外だった歳三の言葉に、しばし郭嘉は呆然とした。政治に興味がないと自分で断言する割には、こういうところが変に気が回る。郭嘉からしてみればちぐはぐ(・・・・)だという他ない。郭嘉は歳三の言葉を、偽計の算段なのかと一瞬だが疑った。

 対して歳三は郭嘉の様子をさして気にした様子はない。歳三には、霊帝に対し面従腹背(めんじゅうふくはい)をやり通した前科がある。今度もそうする、と考えるのは至極真っ当な帰結だ。

 が、郭嘉には誰よりも鋭い観察眼がある。

 

「歳三様は……」

「うん?」

「漢帝国に臣従なされるおつもりですか?」

 

 郭嘉の眼鏡がきらりと光る。

 歳三はいつもの無愛想な顔で郭嘉の眼を見返した。ぐつぐつと燃えたぎる熱を固めて丸めた眼は、闇を湛えて郭嘉の眼を捉えて離さない。

 それは確かに、郭嘉が惚れた黒龍(おとこ)の眼であった。

 

「私は漢帝国の禄を()んだ覚えはない。しかし稟をはじめとした賢者や、香風の様な英雄を生み育んだのも、また漢なのだ。それに報いる者が一人くらい居てもいいではないか」

「なるほど、それは素晴らしいお考えです」

 

 あえて、郭嘉は言葉を区切った。

 

「本当にそれだけでしょうか?」

 

 この男の真意は他にある。軍師としての、あるいは女としての郭嘉が告げている。歳三はただ薄く笑って応えなかった。郭嘉も、何も言わない。

 言葉にしなければ通じないものはある。けれども今の二人には言葉こそが野暮であった。この二人には、それでいいのである。

 

「何があろうとも、私は歳三様についていきますから」

「ああ。私も稟に相応しい男でありたい」

 

 それきり歳三は何も言わなかったし、郭嘉も何も言わなかった。兵士たちは相変わらず怪物でも見る様な眼で二人を見ていたが、遠くから眺めていた猛将たちはまた違った感想を抱いていたようだ。

 

「あの二人えらい仲がえぇなぁ」

「……義豊と、羨ましい」

「……むふー」

 

 張遼と呂布、特に呂布は郭嘉の様な阿吽の呼吸を羨ましく思っているらしい。そんな呂布たちを見て、徐晃は密かに優越感に浸っていた。

 歳三と郭嘉が醸し出している空気。それこそが、幽州で歳三と息を合わせて戦った時に感じたものと同じだったからだ。徐晃と郭嘉。武と智という性質こそ違っていても、歳三に対する二人の想いになんら優劣はないのである。

 無論、わかりにくいが歳三からも同じであるのは言うまでもない。

 

 ◇

 

 歳三は至って無感動なまま、惨状を一瞥(いちべつ)した。

 かつての荘厳さは今の洛陽城になく、権威の落ちる先がどういうものかを雄弁に物語っている。ところどころに破壊の後が見られ、暴虐の残り香は隠されることもない。修復まで手を回すことができないのだろう。それでも、歳三たちは作法通りに馬を下りて平城門をくぐった。

 歳三は眠たげな眼だけを動かす。

 やはり以前の様に、嫌悪感が湧き出てくることだけはない。洛陽は漢帝国滅亡の寸前で(ようやく)く浄化されたのだと歳三は改めて思った。だから、何進と十常侍らが逃げた長安など焼き払いたくなるだろうなと、無愛想な面の下で思っている。

 

「あっ、義豊様……!」

 

 城内にて、程立の隣で所在なさ気にしていた董卓が歳三の姿に気付いて笑みを浮かべた。笑みには喜色だけではなく、安堵が多分に含まれている。

 ずっと味方も少なく、見えぬ敵が暗躍する宮中で戦ってきた董卓である。真に信じられる味方の登場に気が緩んだ、とするべきだろうか。

 

(あれは、違うな)

 

 歳三は真っ先にそう考えた自分を恥じた。

 董卓のあの笑みは待ち人の身を案じ、帰りを待ちわびていた者の笑みである。純粋な気持ちから来る嘘偽りが無いものだ。佐藤彦五郎に嫁いだ実姉、のぶが夫の帰りを迎えた時に見たものと同じだ。

 そこに、味方がどうとかいう打算は存在しよう筈がない。

 

「土方歳三、旗下並びに青州及び徐州一門。国事危急の時と聞き、参上いたしました」

 

 しかし歳三は董卓に応えることはなく、さっと臣下の礼をとった。

 続けて呂布らを除いた武将たちが、歳三にならって礼をとる。いたって事務的なもので、賈駆からしてみれば董卓を突き放している様にも見える。

 あ、と董卓は小さく声を上げて駆けだそうとする足を止めた。顔からは笑みが消えている。

 久方に見る親友の笑みを消したこの男に、賈駆は内心穏やかではない。が、かといって異を唱えることもできない。董卓の軍師である賈駆から見ても、歳三の行動は正しいからだ。

 地位的な面から見ても、政略的な面から見ても、ここは歳三が董卓に礼をするのが普通である。

 だからこそ忌々しい。例え相手が皇帝であろうとも意に介さないような男が、こうしていることが、だ。親友の喜びをふいにされているのだ。顔にこそ出さないが、賈駆の想いも無理からぬことと言えた。

 

「……はい。何進と十常侍らによる偽計に惑わされることなく、漢帝国に味方したことを陳留王である劉協様は高く評価しておいでです」

「もったいなきお言葉です」

「つきましては、これからのことを劉協様と共にお話をしたいとは思います。しかし皆様方はお疲れのご様子。先に城中でのお部屋にご案内します」

 

 流石は董卓である。伊達に洛陽の政局で生き抜いて来てはいない。動揺などほとんど見せなかった。

 賈駆は董卓が未だに頑張り続けていることに気付かないのかと、恨みのこもった視線を歳三に向ける。けれども、当の男はむっつりとした顔のまま。主だった武将を連れて董卓に付いていくだけだったのが、余計に腹立たしかった。

 

 ◇

 

 歳三は椅子に深く座ったまま、覇気のない声を出した。

 

「良い部屋だな」

「その話題、三度目」

「そうだったかな」

 

 徐晃の指摘に、歳三は無気力なまま答えた。歳三らが城内の部屋に通されてから、結構な時間が経っている。

 粗方の方針を程立と郭嘉の主導で話し合っても終わってしまうほどだった。政治から軍事はもちろん、劉協の出方によってはどうするかなどを打ち合わせてもまだ、董卓らは戻ってこない。更に言えば、孫権たちも何かあったのかこの部屋にはいない。

 歳三は懐から取り出した懐中時計をちらりと見ると、またすぐにしまった。長針は既に、一周を越えて回っている。

 

「……何かあったんでしょうか?」

「お兄さんに会うのがよほど怖いのでしょうー」

 

 呂蒙の不安げな言葉に、程立が茶化したようなことを言う。しかし、割と本気で言っているらしいということはすぐにわかった。証拠に、趙雲などは既に噴き出して大笑いしてしまっている。

 歳三は少しだけ顔をしかめると、呂蒙の方を向いた。

 

「そんなに私は恐ろしいかね?」

「え、それは……稟様……」

「亜莎、主君である歳三様の求めにはちゃんと応えるのが臣下、そして軍師の務めですよ」

「で、では……」

 

 郭嘉に促されて決心した呂蒙を見ていれば、何を言おうとしているか一目瞭然である。趙雲はもう口元に手を当てて笑いを(こら)えていた。

 

「陸遜様の元に居た頃の話ですが、歳三様はなんと恐ろしい人なのだろうとは……」

「くくく……そりゃあそうでしょうなぁ。あれだけ派手にやっていれば、そうなりますな」

 

 趙雲は笑い転げそうなのを必死に抑えながら、歳三の顔を見た。無論、歳三は苦い顔である。

 

「だから、早い所私の代わりに上に立つ人間が必要だと言っているのだ」

 

 憮然とした表情で、歳三は言った。この男は自分がどれだけ悪し様に言われているかなど百も承知している。故にこの身の上には然るべき人物が立つべきだ、と考えているのだ。だが、誰でもいいという訳ではない。

 

(次第、どうなるか)

 

 歳三はむっつりとした顔に戻ると、国広の柄を触った。場合によって国広の刀身は、劉協の血を吸うことになるかもしれないと心の端では考えている。

 そう、歳三は自分がどれほど嫌われ、憎まれているかわかっているのだ。わかっているからこそ、己が真っ先に手を汚すべきだと自認している。劉協が霊帝と何進らに過ぎた温情を与えようと言うのなら、その時は真っ先に(どぶ)に手を突っ込む。

 

「どうかしたかね、風」

 

 歳三は国広を触る手を止めると、じっとこちらを見ている程立に話しかけた。程立はいつもの半目で、歳三の目を見据えている。考えを見透かそうとするような、それでいてある種の熱意を感じる視線に、歳三は何故か安心感を覚えていた。

 

「いえ、なんでもありませんよー」

 

 そう言うと、程立は歳三から視線を離す。歳三と程立の間に何かあったのだろうかと窺っていた周囲も、何もなかったことがわかると普段通りに戻っていこうとする。

 そんな時であった。

 

 ◇

 

 部屋の扉を、孫権が断りも無しに突然開けて入って来た。普段はおっとりとしている陸遜が、孫権に続き急ぎ足で部屋へと入ってくる。最後に甘寧が、周囲を警戒しながら扉をそっと閉めた。

 これだけでただ事ではないと、歳三のみならず皆が勘付く。趙雲や徐晃は自らの武器を引き寄せ、いつでも存分に武器を振るえるように身構える。郭嘉や程立は、そんな彼女らの邪魔にならぬようにそっと立ち位置を変えた。呂蒙と孫乾は、窓際へと動いていた。

 

「何かあったのかね、孫権」

 

 歳三は椅子に腰掛けたまま、孫権に尋ねた。一見すると守りを趙雲と徐晃らに任せている様に見えるが、手の位置はすぐさま国広を抜けるところにある。

 

「これは、貴方に渡すべきものだと思う。元々私たちは居候に過ぎぬ身でもあるしな」

 

 孫権が歳三に近付いて、ある物を手渡した。

 

(巾着袋か?)

 

 歳三の掌からすればあまりにも小さい布袋であるが、ただの、と形容するには憚られる一品だった。なにせ、歳三でも見事だと唸るほどの華麗な刺繍が施されているのである。煌びやかでありながら下品さのない美しい仕上がりは、さぞ名のある職人が作り上げたものに違いない。

 売れば、一財産にはなるだろうと歳三はこっそり思った。

 

(そんなしょうもないことで、孫権がこんな風に渡すもんか)

 

 掌には、布の手触りのみならず硬い何かの重みがある。歳三は遠慮なく、袋の口を開けて中身を取り出した。

 

(なんだァ?)

 

 歳三は出て来た物をまじまじと観察する。

 金で出来た四角柱の形をしたもの、というのが歳三の第一印象だった。くるりと回転させてみれば、底にあたるところに文字が掘ってあることから、判子に類するものなのは間違いない。つまみにあたる所にはこれまた見事な龍の細工があるのだが、一度角が折れた様で補修の跡がある。

 これも、一つの宝物といえるだろう。漢帝国の宝物庫を国ごとひっくり返していった何進が、こんなものを洛陽に残していくとは到底思えなかった。

 

「これを、どこで?」

「洛陽の古井戸から揚げられたものです。おそらく、何進による洛陽混乱の最中に投げ入れられたものかと」

 

 甘寧が、歳三の問いに静かに答えた。ふむ、と歳三は唸ってみせたものの、そう言われても、歳三にはこれが何なのかわからない。孫権はこれが何かわかっている上で、歳三に渡しているのだろうし、そうでなければ控えている陸遜や甘寧があの様に深刻な顔をしている理由がない。

 ちらりと趙雲らの顔を見てみる。徐晃も呂蒙も、何か価値のあるものだろう程度の印象しか持ってなさそうだ。一方で、郭嘉と孫乾は顔を青ざめさせている。程立だけはいつもと変わらない。が、あれはわかっている顔である、と歳三は見た。

 

「これが、何かわかるのかね? 風?」

「はいー。それは皇帝であることを示す玉璽なのですよー」

「そうか」

 

 歳三の反応は、やや薄い。さしたる興奮も見せずに、目を細めるだけだった。

 

(こんなちっぽけなもので)

 

 武士という生き物は生まれで決まるものではなく、生き方である。と心の底から信じている歳三からすれば、王権の所持を示す玉璽も単なる物にしか感じられない。もっとも、錦の御旗と同じくこういった物が極めて有用な時もあると、心得てはいる。

 玉璽を袋の中へと入れ直した歳三は、孫乾を近くに呼んだ。

 

「美花よ、頼みがある」

「な、なんでしょうか、ご主人様?」

 

 未だ、この国における最上級の権威の現身(うつしみ)と会ったことに衝撃が抜けないのか、孫乾は動揺しながら歳三の近くに寄る。すると、歳三は子供に駄賃を握らせるような気軽さで、玉璽の入った袋を孫乾の手に握らせた。

 これには程立を除いた誰もが驚いたのだから、孫乾はもっと驚いた。腰を抜かさんばかりに目を白黒させる孫乾に、歳三は笑って言った。

 

「私が持っていたら、どこかになくしてしまいそうでな。その点、美花なら信頼できる」

「あ、ありがとうございます……?」

 

 孫乾はもう、何がなんだかわからない。主君である歳三に頼りにされている嬉しさと、玉璽という物質的な意味合い以上のものを持つ存在への混乱とでもするべきか。とにかく、いろんな感情がせめぎ合って荒れている様だった。

 

「確かに、お兄さんがそのまま持つよりは美花ちゃんが持っている方がいいでしょうねー」

「風もそう思うか?」

 

 歳三の問い掛けに、程立は視線を孫権へと向けた。

 

「もっとも、孫権さんも玉璽をお兄さんに渡すということがどういうことか、わかった上でやっているんでしょうけどねー」

 

 追う様に、歳三も孫権らの顔を見る。流石、甘寧や陸遜は平然としているが、孫権はほんの少しだけ顔に動揺を浮かべていた。それでも、すぐに何もない様な顔をしてみせたのだから、孫権は間違いなく成長していると歳三は場違いながら思った。

 

(しかし、俺に玉璽を渡してどうするつもりだったのか)

 

 程立の言う通り、孫権が玉璽を渡したのも単に歳三を利させる為ではないだろう。そも、孫権は江東を本拠とする孫策との密約で歳三の陣営に居るのだ。ならば、その行動は巡り巡って孫策たちに利となるに違いない。

 このまま程立と郭嘉に孫権の、あるいは陸遜の策謀の心胆を聞きたいところであったが、そうもいかないらしい。

 部屋の扉が、ごくごく控えめに叩かれた。甘寧はさして警戒もせずに扉を開けたのだから、歳三がこの一連の真意に気付いたのはこの瞬間である。

 

(劉協側の動きを入れた上で、我々に時間を与える暇も無い様に渡してきたのか)

 

 一手、遅かったと悔やむ間もない。部屋に入って不思議そうに首を傾げる董卓に、真っ先に応対したのは孫権配下の陸遜であった。

 

「あの、劉協様が歳三様と皆様にお会いしたいと……お邪魔でしたか?」

「いえいえ~、丁度揃ったところでどんな話があるのだろうとお話していたところですよ~。ねぇ、土方様?」

「……ああ。陸遜殿の言う通りだ」

 

 内心、渋面を作っているがそこは歳三、何事もなかった様に陸遜に合わせて答える。今、玉璽の存在を劉協に伝えることがどんな影響を及ぼすか、少なくとも良い方向に向かうものではないことくらい歳三にも十分わかる。

 

(皇帝なんぞに興味はねぇが、向こうがそう思うかはわからん)

 

 玉璽とは、皇帝であることを示す象徴である。つまり、玉璽の所持を論拠に皇位の簒奪(さんだつ)を企てていると邪推される可能性が、歳三の中で最悪の想像であった。

 こんな与太話を董卓が聞いたところで何を馬鹿な話を、と思うだろう。が、劉協や袁紹を始めとした諸侯はどうか。何進の後に来たのが仁徳で名高い劉備でもなければ、元々漢の高官である曹操でもないのだ。無頼の梟雄である土方歳三だと聞けば、疑心を生じても仕方ない事だろう。なにより、歳三は全土に悪名を轟かせ過ぎている。

 

(だからといって、黙っているのは更に悪手だ)

 

 歳三が言わずとも、孫権かあるいは陸遜が話の流れで劉協に伝えるのも十分に考えられる。そうなってしまえば、劉協の心象をすこぶる悪くするのは確実だ。黙っていたのは叛意を持っていたからと、疑われてもおかしくない。

 ではどう立ち回るべきかと考える暇など、どうやら与えてくれそうになかった。孫権が音頭を取って、劉協の元へ早く行こうと提案したのである。

 

 ――一刻も早く劉協様の元に馳せ参じるのが我々の役目ではありませんか、土方殿。

 

 そう(うそぶ)く孫権に、孫策の後ろで目立たなかったかつての姿はない。政略を仕掛けた結果、例え歳三に斬られるとしてもことを成し遂げるという強い想い。それが、英雄の資質として全身から溢れて出していた。

 

(孫策を倒すなら、孫権も同時に倒さなきゃならねぇ)

 

 歳三が孫権を孫策と同格の、もしくはそれ以上の相手と明確にみなしたのはこの時だ。

 孫策は妹である孫権の成長を願って歳三の元に預けたが、まさか龍の身を食い破ろうとする程の逸材になるとは思ってもいないだろう。実際、歳三も孫権はこのまま孫策の影に埋もれるままだと少なからず思っていた。

 孫権にどんな心境の変化があったのか、知る術は歳三にはない。

 

(とはいえ、どうする)

 

 孫権に促されるままに、椅子を立って歩を進める。

 考える時間がない。政治に関して歳三は下手糞もいいところだ。ある程度の組織を運用する力はあっても、国家規模の政治となっては歳三には荷が重過ぎる。郭嘉をちらりと見た。こんな時に、一番的確な助言を与えてくれるのは決まって郭嘉と程立である。

 郭嘉は静かに、歳三と眼を合わせた。その眼は、何があろうとも歳三についていくと宣言した時と変わらない、熱意を持った女の眼であった。

 歳三は程立を見る。程立はいつもの眠たげな眼のまま、静かに唇を動かした。何事かの言葉らしきものの後に、付け加えるような一文字が足される。

 

「――そうか」

「? どうかされましたか~土方様?」

「失礼、陸遜殿。劉協殿にいざ会う段になって、私も緊張しているようです」

 

 嘘だ、と陸遜はすぐさま思った。

 歳三の顔は、他者に内面を気取られまいとする鉄の様な無表情ではなくなっている。たった一瞬で身体中に覇気を満たしきり、眼にはぎらぎらとした闘志を燃え上がらせていた。

 とても、これから高位の人間と会うことに強張る者の顔ではない。むしろ戦に行く決意を固めた戦士の、あるいは(けもの)の顔である。

 

「……なにか? 陸遜殿?」

「い、いえ~なんでもないですよ~」

 

 歳三が口元に微かな笑みを浮かべているのが、陸遜にはひたすら不気味だった。

 




更新遅くなって申し訳ありません。
これからの展開の中で特に桃香について考えるとなかなか先に進まない。
進まないのでスカイリムをやりつつガンダムWを見ていました。
次回は孫権の変化の理由と、郭嘉と程立が与えた助言の意味、そして遂に劉協との対面です。

今回二話くらい更新しようと思っていましたが、私用もあり断念しました。
ごめんなさい。
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