『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』より
「コンセプトムービー! 続編のコンセプトムービーだと! 特別記念短編ではないのか!」
急に隣の人が叫んだ。場所が場所なので声は私以外にはほとんど響かない。何を考えているのかもわからないけれど、それがいつも通りだと感じられる。
そこは、どうでもいい。それよりも、今日のまどかはとても楽しそうだった。それだけで、ついてきた意味があったという物だ。
「ほむらちゃん、交代する?」
「いいえ、私はこうやって」まどかの背中はいつも通りだ。「まどかのスコアを眺めているわ」
「それはそれで、ちょっと恥ずかしいような……」
「次、始まっちまうぞー」と杏子が言った。まどかは慌てて前を向き、ゲームに戻る。音楽が流れて、二人は踊り出した。
明るいテンポの曲がよく耳に残った。今日の少しだけ憂鬱な自分には、少しだけ、少しだけ辛い。
「居心地が悪そうですね」
「……そう見える?」
「見えますとも」
楽しそうな返答だったが、心から楽しんでいる風ではない。
居心地が悪いのは確かだった。漠然とした不安があり、形にならないような苦しさがある。それでもまどかは輝いて見えたし、たまらなく眩しかった。
眩しいからこそ、自分の目が潰れてしまうのではないかと、そんな風に思ったりもするけれど。
「時間があると妙に不安がせり上がってくる、そんな事もありますからね」
「そういう物かしら」
「さあ。本当にそうかは保証しませんよ。ただ、きっと正しい」
正しいかどうかは別として、まどかの背中を眺めていても不安は拭えなかった。
まどかの動きは、少しだけ下手な気もする。曲に合わせて足下のパネルを踏んでいるけれど、時々間違えている。その度に一瞬だけしまった、という風に足が止まり、次が来たところで慌てて動きだすのだ。
一つもミスをしないより、よほど人間らしかった。それがとても嬉しく、喜ばしかった。
杏子の隣で少しだけ汗を浮かべ、ちょっと真剣に画面を見ているのは背中越しにも伝わってくる。
良いな、と思った。まどかが生きている感じがして、とても楽しそうで。隣にいたいと思ったけど、どうしてだろう、杏子の方が適任に感じてしまう。
美樹さやかと巴マミはUFOキャッチャーでお金を溶かしている頃だろう。彼女達にあえて会おうとも思わない。
「鹿目さんはかわいいですね。かわいくて、心が強くて。でも、特別じゃない。でも誰よりも輝いて見える。惚れた弱みと言えばそれまでですが」
「まどかは、まどかよ。特別とか、特別じゃないとか、そういうのじゃない。まどかはまどか、まどかでいればいい」
「他の何かになるのは、きっと悲しい事ですからね」
分かったような口調だが、不思議と不快ではなかった。この話は聞き流すべきだと、どうしてか、そう思う。
話を聞くべきではないし、耳を貸す必要もないのだ。
「暁美さんは、鹿目さんがどれくらい好きなんですか?」
「他の何よりも、大好きよ。何よりも大切だし、どんな事よりも重要で、意味があって。世界で唯一の人だと思っているわ」
「……本当に、大好きなんですね」
「そうね」
「照れはしないんですか?」
「しないわ。もう、それを照れるほどの余計な気持ちはないから」
「なら、もっと胸を張ってください。自分の行動は正しいと、そんな辛そうな顔をやめて、誰よりも明るく幸せそうに振る舞ってください。その方が鹿目さんも嬉しい筈ですから」
そんな事を言われても、私にどうすれば言いというのだろう。笑えと言われても笑えないし、明るさとは無縁の自分に、ひょっとするとまどかも明るさを求めているのだろうか。
まさか、と思いつつも、もしもそうなら、出来る限りの事はしてあげたいとも思う。
まどかは今も踊っている。段々と慣れてきたのか、ステップが上手くなっていた。一つ一つの動きの度に、隣でとろけたような吐息が聞こえてくるのが嫌だったが、無視する。
「楽しいのかしらね」
「暁美さんは、あまり遊ばないんですか?」
「いえ、やった事はあるわ。ただし、作業としてならまだしも、純粋な遊びとしては微妙な所かしら」
「微妙ですか、それはまた」
あなたはどうなのか、と聞き返す価値は感じない。会話の相手として楽しい存在ではなかったからだ。
まどかの楽しそうな笑い声が聞こえた。思ったよりも良い感じのプレイができているようだ。杏子と話しながらだったので、たった今ミスをしたが、それもまた笑って誤魔化している。
思わず表情が緩んだ。固く閉じていた感情すらも、心の奥から爆発してしまいそうになる。
気づけば吐息が震えていた。どうしてか、今日は妙にまどかの存在を強く感じる。
「鹿目さんは、いつだって本当に楽しそうな感じで遊びますね」
「誰かと遊ぶから、よ」
「おや、暁美さんも誰かと遊んだら楽しくなるんですか?」
「……」
私が口を閉じたと同時に曲が止まり、まどかが振り返った。
画面を見ると、珍しいことに杏子に少しだけ買っている。嬉しそうなまどかの表情に釣られて、私の心まで持ち上がった。
「ほむらちゃん! 結構いい感じのスコアが出たよ! 見てた?」
「ええ。かなり慣れてきたみたいね」
絶対に気取られないように、総力を尽くして表情を柔らかく、それでいて柔らかすぎないように調節する。
まどかは私に対して疑いを何一つ持たず、リズムゲームの台から降りた。駆け寄って顔を近づけられ、思わず目を逸らしてしまう。
「ほむらちゃんは、どうするの?」
「こうして見ているだけでも楽しいわ。だから心配しないで」
私は、ちゃんと笑えているのだろうか。今日は本当に調子が悪い。
まどかに伝わらないようにと努力しても、私なんかの無理は筒抜けになってしまっているのだろうか。まどかは私の目を見つめ、前屈みになって尋ねてきた。
「ほむらちゃん、何か遊びたいゲームはない?」
「え?」
「ほら、せっかく来たんだし、一緒に遊ぼう? 何がいいかな、銃の奴とか?」
私が銃を使うのだと、彼女はどこで知ったのだろう。あるいは、まどかがガンシューティングで遊びたかっただけなのか。それなら良いのだが。
「……そうね。考えておくわ。だからもう少し、まどかはゲームを続けていてくれる?」
「分かった。杏子ちゃん!もう一回やろう!」
「おう。ほむらはさっさと決めとけよな」
「……考慮するわ」
投げ渡されたリンゴを一口かじろうとして、店内飲食が良いのかが気になった。
「大丈夫みたいですね。リンゴくらいなら誰も文句を言わないと思います」
「そう」
横から声がかかった。それならば良いだろうと、リンゴに口をつける。思ったより柔らかく、甘味が強かった。どこから持ってきたのだろう。
思わずもう一口食べてしまった。恐るべき事にその音を聞き分けたらしく、杏子が振り返ってニヤニヤとした表情を浮かべている。
巴マミの方へ目を逸らした。大きなぬいぐるみを取ろうと、お菓子の魔女と思わしき少女と二人で必死になっている。ほとんどガラス面に張り付く勢いだが、自分の息で曇ったりはしないのだろうか。
「それにしても、鹿目さんは元気ですね。ああもう、どうしてあんなに素敵なんだろう」
「まどかは、本当に素敵な良い子だから」
「だから、何をしてでも助けたい、ですか?」
見透かしたような質問を投げかけられて、言葉が止まった。
それを相手はどう捉えたのか、「分かります」と同意を示す。
「最近になってようやく、暁美さんの気持ちが分かった気がするんです」
「私の?」
「本当に大切な友達は、その生き方も在り方も全部纏めて大切だから。だから、その生き方を否定するのは辛くって。痛くって、苦しくって。だけどやっぱりやるしかなくて、それが余計に嫌で。全部を話せば分かってくれると知ってはいるけれど、それもそれで辛くって」
「分かったように言うのね」
「さあ、どうでしょう。分かっているのか、分かっていないのか、分かっていたいのか。分かったつもりでいるのか。そんな事は問題ではないと思いますよ」
いちいち隣でうるさかったが、無視するには嫌に耳へ届いてくる。
「重要なのは、暁美さんはきっと辛いだろうけど、でも、愛する人がいる限りどんなに辛くて痛くて苦しくても、どんなに間違っていても、やらなければならないことはある。そして、その戦いの先に広がる物こそ、より強き、愛ある世界なのかもしれませんね」
「……私は、ただ私が望むままにしているだけよ」
「それが自分を傷つける望みだと分かっていても、ですか?」
「さあ。私に分かるのは、まどかはこういう風に生きている方がずっと幸せそうに見えるし、神様なんて大それたものより、今の方がずっと眩しいということだけ」
まどかはもうゲームに慣れたらしく、かなり上手く立ち回っていた。杏子には及ばないし、時々ミスが挟まるのは確かだけど、さっきまでよりも上手だ。
どうしてか、その姿がカッコいいと思ってしまう。まどかはカッコいい。そうなのだ。私が憧れたあの子は、とてもカッコよくて、強くて、優しかった。
今も、そうなんだろう。例え何度時間を繰り返したところで、世界を変えてしまったところで、鹿目まどかが私の全てなのは、変わらない。
まどかの背中を、さっきまでよりも余裕をもって見られる。それは輝いていて、包み込むような優しさがあった。そして、最後に、何よりも重要なことに、幸せがあった。
その為に私は戦うのだ。戦い続けるのだ。
「……というか、あなたは誰?」
「さあ、誰でしょうか」
気づけば知り合いのように話していた。
が、私はまだ相手の顔すら見ていない。その事に気づいたのは、たった今だ。
振り返った時の反応からして、まどか達には見えていないのだろう。きっと他の人達にも、この妙な女の姿は見えていない。
「あなたは何?」
尋ねれば、それは私に顔も見せず、ただその場で語りだした。
「もしかすると、あなたの作ったこの世界の危機かもしれませんから。だから、一応、少しだけ」
そこにいるのかも怪しいような、どこか遠くから響く声だった。
私にすら分かる。その声には、多くの不安と、強い期待と、何よりも恐ろしい願いと祈りがあった。
「暁美さん。頑張ってくださいね。負けないで、絶対に負けないで。あなたの作った世界を守ってください。それだけが私の望みで……私の望みなんかどうでもいい。でも、きっとこれが一番やるべき事なのは、きっと」
立ち上がった、のだろう。気配と少しの音だけが、私にそれを伝えてくる。
「私は手を出せないけれど、だからこそあなたを信じます。あなたのその、冷たいくらいに強い思いと願いと心を信じます。だから、負けないで」
私はそれの顔を見ようとした。自分に言葉を送ってくるものの正体を掴もうと、その存在を見つけようと顔を向けた。
しかし、その絞り出すような声に遮られ、姿が見える寸前の位置で動けなくなる。
「どうか……」
見なくても分かる。相手は頭を深く下げているのだ。
「どうかっ……! どうかっ! ……どうかっ!! お願いします! あの愛しい鹿目さんを、鹿目さんのままで!」
「ほむらちゃん、終わったよー」
その時、まどかがこちらを振り返った。
声は途中で消え、その、誰だったかもわからないものの気配は完全に消え去った。
やっと頭が動いた先で、私が見た方向。そこには誰もいなかった。
「ほむらちゃん?」
「……いえ」
あれが何だったかなど、些細なことだ。少なくとも、今、まどかはここにいる。
いつまでこんな関係が続くとも限らない。私が、勝てるとも限らない。
でも、未来に何があろうとこうしている時間が幸せなのは確かで、そんな風に幸せを感じている自分を、今日だけは、許せる気がした。
「ねえ、遊びたいゲームなんだけど」
「うん」
「見ていたら、私もこれをやりたくなったの……入ってもいいかしら」
「うんっ、どうぞどうぞ。私と交代にする?」
「あたしが代わるよ」と杏子が台から降り、私に向かって小さく頷いた。
まどかの差し出した手をしっかりと握った。
熱が伝わってくる。心が溶けてしまうように、思いがその手に乗っている。だから、出来るだけ傷つけないように、それでも離れないように力をこめた。この手が消えてしまわないように、それだけは絶対に許さないように。
この世に絶望が溢れた時、慈愛に全身まで浸けた神は天から舞い降りてこう口にするだろう。
「迎えに来たよ」
きっと、見上げて暁美ほむらはこう答える。
「嫌よ」