恋姫立志伝   作:アロンソ

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プロローグ

 

 永い夢を見ていた。

 

 その夢の世界は全てが現実的で、夢特有のぼんやりとした感覚もなく五感も機敏に働いた。夢の中でも夜がくれば眠りにつき、朝になると一日が始まった。

 

 夢が二日目に突入した時は流石に驚きもしたが一週間、一カ月と経った頃にはそれにも慣れた。落ち込んだり悩んだところで事態が好転することはないし、なによりこの世界の解放的な雰囲気に強く惹かれた。

 

 高い建造物などはなく地平線はどこまでも果てしなく続いていき、呼吸をする度に味わう空気はこれまで生きてきた中でも一番澄んでいた。緑がとても多く元の世界のような喧騒は影を潜め、出会った人の多くは人情味に溢れていた。

 

 季節が春から夏へと移り変わり、夏から秋、秋から冬へと過ぎて行き、やがて雪が溶ければ春がやってくる。元の世界と変わらない四季折々の景色が顔を覗かせる。

 

 そんな風に四季の移り変わりを繰り返していれば自然と考えてしまうものだ。この世界は本当に夢の中の世界なのかと。それともこの世界こそが実は本当の世界であり、自分は今までずっと永い夢を見続けていたのではないかと。

 

 この世界が普通の世界なら真面目にそんな考えも浮かんでくるが、生憎普通ではない。遥か遠い過去の世界。世界史の授業で一度は耳にする時代。

 

 後漢末期の霊帝が治める古代中華の世界。

 

 わかりやすく表現するならば英雄犇めく三国時代の前時代にあたる。流石にこれを現実であると判断してしまうのはどうかと思う。

 

 今の自分が置かれている状況はそう。過去の世界にタイムスリップしてしまったという解釈が一番相応しいかもしれない。原理も原因も、何一つ不明ではあるがおそらくそうだろう。

 

 それがこの世界で数年の時を過ごしたオレの結論であった。この先どうなるのかなんて想像もつかないが、とにかく今は現在進行形で進んでいる黄巾の乱についてもう一度考えてみようと思う。

 

 賊側の大将が張角で、官軍側の大将が何進だったかな。何進は先日大将軍に任命されたばかりでやけにやる気に満ちている。官軍が勝つことは歴史からも明らかなのだから、いちいち何進のことなんて気に留めることもないといえばないのだが、どうもこの世界は色々とおかしい。

 

 まず一番の違いは支配階級層の男女逆転だろうか。

 

 武官も文官も高位に昇るにつれて男女比が極端なことになる。地方を治める太守、県令も多くが女性だと聞いた。こうしてみると女尊男卑の世界のように考えてしまいそうになるがそうでもない。単純に男よりも女のほうが有能だからだ。

 

 箸よりも重たい物を持ったことがないように見える細腕で、背丈の倍近い業物を振り回す少女。元気よく笑顔で振り回すものだから余計に怖い。初見殺しもいいとこだろう。

 

 文官でもそうだ。砂や葉っぱで遊んでいそうな少女が涼しい顔をして、年輪のように太い皺が刻まれた古参の官吏を舌戦で言い負かしたりもする。

 

 その他にも気になることは多くあるが、いちいち考えていては枚挙に暇がない。

 

 ともかくこの世界は色々とおかしい。そしておかしいからこそ不安にもなる。果たして本当に官軍は勝つのだろうかと。ガッツリと官軍側に組み込まれている身としてはやはり負けられると面倒だ。そして勝つと勝つで面倒でもあるのだから困ったものだ。

 

「張角に何進か。何進は不安だけど諸侯は健在だし大丈夫だろう。しかし張角を討ち取ったのって誰だったかな……」

 

 うろ覚えな知識が口惜しい。

 

 官軍が勝ったことは知っている。活躍した代表的な人物の多くも頭にあるが細かい部分は自信がない。決戦が行われた地はどこだっただろうか。メジャーな戦いは覚えていても地名までは怪しい。聞いてもピンとこないかもしれない。

 

「虎牢関に官渡に赤壁。劉備がボコられたのが夷陵の戦いで、合肥の戦いは確か魏が勝ったはず」

 

 定期的にこうして覚えていることを口に出し、もう一度思い返してみる。

 

 このおかしな世界で歴史通りに事は進むのだろうかという気持ちはあるが、覚えておいて損はないだろう。今の自分が置かれている状況を考えても知識は大いに越したことはない。

 

「今はまず張角か。お鉢が回って来なければいいが、そうもいかんだろうな」

 

 案の定、その日の昼前に何進の使いがやってきた。

 

 なにやら張角のことについて話があるとのこと。また面倒事に巻き込まれそうな気配がプンプンしているが断ることはできないだろう。

 

 

 

 

 

「遅いわ馬鹿者!わらわが呼んだら一刻以内に馳せ参じぬか!」

 

 それから一時間後。

 

 ゆっくりと昼飯を食べてから何進の下へと向かってみるも早々に文句を言われる始末。わざわざやってきてやったのにその物言いはどうかと思う。

 

「以後気をつけます」

「ぐぬぬ……。まあよいわ。して御主を呼び出したのも他でもない。最近煩わしい賊のことじゃ」

 

 目の前にいる白髪の偉そうなオバサン。

 

 この人物こそ後漢末期の大将軍こと何進遂高だ。庶民から大将軍へと駆け上がったチャイニーズドリームの申し子であり、オレの上官にあたる。その能力についてはそっと目を覆いたくなるものがあるが、意外と人情に厚い面もあったりして憎めない。

 

「ああ、確か張角とか言いましたね。そんで張角がどうしたんです?」

「うむ。御主に賊討伐の主軍を担わせようと思ってな。誉れ高きことじゃろう?」

「……嫌ですよ。なんでオレがそんなことせにゃならんのですか」

 

 やっぱり面倒事であった。

 

 黄巾の乱といえばこの時期の一大イベントの一つである。後の時代の英雄達が名を広めるきっかけとなった乱であるし、後漢の衰退にも大きく関わっていたはずだ。

 

 乱の原因はなんだったかな。生活苦からくる民衆の反乱だった気もするし、張角が国家転覆を謀った反乱だったかもしれない。両方正しいかもしれないし両方間違っているかもしれないが、おそらくは前者が強いだろう。この時代の治世は決して褒められたものではない。

 

「まったく何を言っておるのじゃ。御主には相も変わらず功名心がないのう」

「命が安い時代ですからね。あんま無茶はしたくないんですよ」

 

 こうして一度は断ってはみても結局通ることはないだろう。

 

「じゃが御主は国に二人しかおらぬ将軍の一人じゃ。大将軍であるわらわが首都の守護の任に就く以上、御主が討伐軍の総指揮を取るのは自明の理じゃろう」

「わかりましたよ。しかし将軍……。なんでオレは将軍なんてやってんだろう……」

「ま、同じ将軍とて大将軍のわらわとは天と地ほどの差があるがのう!わははははっ!」

 

 高笑いをみせる何進の横で深いため息をつく。

 

 思えば随分とおかしなことになってしまった。成り上がる前の何進に先物買いとばかりに投資したことが事の始まりだろう。超弩級の投資先だと思ったし、実際それは間違ってはいなかった。随分と見返りは受けたが、その代わりに必要ない責任も負ってしまった。

 

 大将軍の何進ほどではないにしろオレも偉くなったものだ。呑気に商人の真似事をやっていた時期が今は懐かしい。どこで間違えてしまったのだろうか。運が良いというべきか悪いというべきか。どちらにしても望んで就いた地位でないことは間違いない。

 

 官品は三品官。官名は鎮軍将軍。

 

 軍部においては大将軍である何進の次席にあたる。漢の臣下としてもどうだろう。首都である洛陽を出れば三品官クラスなど何人いることやら。

 

 そして黄巾の乱を鎮圧してしまったらまた地位が上がるだろう。次はなんだろうか。もういい加減、上が数えられるほどしかない。いっそのこと位人臣でも極めてみようかとも思いたくなるがそれはない。だって漢王朝は滅びる運命にあるから。

 

「ちなみにオレが大敗したらどうなります?」

「勝つ前提で動員可能な最大兵力を向かわせる故、物凄く不味いことになるのお」

「……そうですか」

 

 そんな大役任せるんじゃねえよ。

 

 大軍を率いて負けたともなれば面倒なことになりそうだ。大陸各地の賊が活性化するだろうし、指揮官としての責任問題は避けられないだろう。勝っても負けても八方塞がりだ。手の打ち所がないどころか歴史がオレを殺しにきている。

 

「……はあ。ホントにどうしようもないな。それで張角はどこにいるんです?」

「おお、そうじゃったな。わらわも知らなんだが、御主のところの軍師から既に報告が挙がっておったわ。真に仕事が早いのう」

「またオレの許可も取らずに勝手なことを……」

 

 何進の話を聞く限り黄巾党本隊はどうやら冀州にいるらしい。郡は鉅鹿か常山辺りとのこと。このあたりは情報を精査すれば絞れるだろう。

 

 続けて何進は討伐軍に参戦予定の諸侯の名前を挙げた。大陸各地、どこも賊の相手で手一杯と聞いていたので過度な期待はしていなかったが、何進から告げられる陣営は噴き出しそうなほど豪華であった。

 

「此度の討伐軍は兗州は陳留郡より曹操。冀州は渤海郡より袁紹。ついこの前に波才の首を挙げて名を轟かせた揚州の孫堅も御主が総大将なら是非とのことじゃ。知己かの?」

「お、おお。豪華な面子ですね。誰もオレの言うこと聞かないだろうな。間違いない」

 

 オールスター戦だろうか。

 

 勝ちの目は濃厚なんだし無理に統率を図るようなことはせず、各自好きにやらしとけばいいか。張角ぐらい誰かが討ち取るだろう。

 

 しかし孫堅か。知己ってほどの間柄ではないが印象には深く残っている。口を開けば死亡フラグを打ち建てていたし、いつかの反乱鎮圧の際に共闘した時も孫堅はギリギリを生きていた。

 

 その後に推挙したことを孫堅は良く思っているのか。それとも怪我の治療をしたことだろうか。思い返せばかなりの重傷だったが、歴史的に死なないとわかってる立場ではけっこう余裕があった。まあなんにしても頼りになるはずだ。言うことは聞かないだろうが。

 

 その後、何進と細部の話をした。

 

「張角じゃが生け捕りのほうが好ましいのう」

「戦力的におそらく張角の影も残りそうにありませんが、一応は頭にいれときます」

「ふむ。細かいことは総て御主に任せる。最低限、勝報が届けば後はよい。好きにするがいい」

「了解です。まあいつも通り気楽にやりますよ。出立の日時が決まり次第また報告に挙がります」

 

 そう言い残して何進の下を後にする。

 

 そこから自室へ戻るまでの間にこれからのことを考えた。これまでオレは歴史通りに進めることを意識して行動していた。自分の知っている知識を活かすためにはそのほうが都合が良かったし、現にその恩恵も十分に受けてきた。

 

 少し大げさに表現してみるならどうだろう。曹操、袁紹は困難であってもその他の有力武将を意図的に抱え込み、または暗殺といった手段を取ることも十分に可能だったはずだ。

 

 それを行わなかった理由は一つ。そうすることで歴史が曲がってしまうのを避けるためである。既にいくらか曲がってしまってる気もするが、極力そうならないように努めてきた。流石に不可抗力の事柄までは責任がもてないが。

 

 だがこの先はそうはいかない。

 

 黄巾の乱は問題なく治まるだろう。張角を舐めてかかるわけではないが曹操に孫堅に袁紹を筆頭にその配下、あるいは義勇軍として劉備達の参戦まである。転ぶほうが困難だ。

 

 問題はその先のこと。反董卓連合までの期間の過ごし方にある。その期間に起こるイベントは覚えている限りでは帝の死。そして何進も何者かに謀殺されたはずだ。帝は知らないが世話になった以上、何進は助けたいと思う。それが先の世にどんな影響を及ぼすのかはわからない。

 

 何進が生き残れば反董卓連合はどうなるのだろうか。まるで名を聞かない董卓ではあるが、雌伏の期間とばかりに今は力を蓄えているのだろうか。悠長に構えているとある日突然やってきて、粛清されかねないから怖い。都から旅立つ日もそう遠くはないだろう。

 

 手堅く生きるならば三国の王。劉備、曹操、孫権。そのいずれかの庇護下に入るべきだろう。一騎当千の猛将。深謀遠慮の名軍師。王の器に足る君主。稀代の英傑と肩を並べられるまたとない機会でもある。

 

 今の自分の地位を考慮すれば厚遇を受けられるはずだ。あるいは何処か与えられた領地に篭り、そこで悠々自適に生きるのも悪くはない。いや、むしろ本来はそうすべきなのだろうが、そうしてしまうことが今一つ味気なく思えてしまう。

 

 男に生まれたなら誰もが一度は思うはずだ。

 

 自分の力がどこまで通用するのか。我をどこまで通しきれるのか。史に名を刻む英傑の前に敗れ去るのなら、それもまた一興だろう。そう思える程度にはオレもこの世界に馴染んできている。

 

 この世界で一花咲かせるべきか。それとも膝を折り、庇護下に入って安定を求めるか。

 

「……いかんいかん!今は張角を血祭りに上げる手筈を整えないとな」

 

 雑念を振り払うように首を左右に振る。

 

 オレは永い夢を見ているのか。それとも過去にタイムスリップしたのか。悩んでもわからないことは悩まない。顧みるべきことは無数にあれど、今は前を向いて歩いていこうと思う。

 

 そしてこの世界で何を成そうかと考える。大陸の覇権を目指すか。安定を求めるか。はたまたそれ以外のなにかを見つけ出すか。それを考えることがたまらなく楽しかった。

 

 強く自由に生きてやろうと心に決める。どんな結末になろうとも笑って最後を迎えられるように自由に生きてやろうと。

 


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