恋姫立志伝   作:アロンソ

15 / 22
十四話 宛城攻略戦②

 

 官軍が宛城へやって来てから一月が経った。

 

 左慈は城の四方に防御施設を築き、補給路を確保した上で交通路を全て抑える。十分な体制で城を包囲し、外界との接触を完全に遮断する。

 

 包囲陣形は兵力に大きな差がないと困難な陣形ではあるが、一度嵌れば利点が大きい。兵糧攻めや情報遮断による心理的圧力。何より極力被害を抑えた上で開城まで見込めるのがいい。

 

 一度大きく叩きのめされたこと。また数に限りのある騎馬の大部分を失ったことで反乱軍は城外に打って出る意欲を完全に失っていた。包囲網が日を追う毎に厚みを帯びてその目に映る。

 

 さらに左慈は城内に忍ばせている間者を用い、都で軍をまた編成しているといった噂を流す。今来ているのは新兵中心の一陣であり、本命は第二陣の方であると。第二陣が到着した上で総攻撃をかけ、宛城を陥落に追い込むのが官軍の狙いであるので第一陣はその到着を待っているのだと。

 

 そう言った噂が浸透し始めると、左慈の下には反乱軍からの内通書が多く届く。寝返ることによって助命を求める内容の物もあれば、相応の褒美を求める内容もあった。左慈はそれらの書状の全てを城内へと矢で送り返すように命じ、さらにはこの事実を城中に広く知れ渡らせた。

 

 反乱軍は完全に疑心暗鬼に陥り、結成した当初の結束は既に無い。それでも降伏といった手段を取らなかったのは、左慈がどんな裁量を下すかがわからなかったためである。乱に加わった全ての者を皆殺しにするのか。それとも主犯格の首一つで事を収めてくれるのか。

 

 どん底まで落ちた士気の中で反乱軍の兵士達は王朝に背くべきではなかったと強く思い知った。所詮自分達が敵う相手ではなかったのだと。

 

 その一方で左慈は、今回の反乱の情報を十分に精査して一つの結論へと辿り着いていた。

 

 少し調べると前太守の治世がそれほど悪くなかったことがわかる。決して誉められたものではなかったが、この規模の反乱が起こるほどでもない。そしてこの弱い反乱軍が仮にも一郡の太守を攻め落としたようには思えなかった。これには何か裏があると知る。

 

 様々な可能性が脳裏に過ぎる。長く熟考を重ねていた左慈ではあったが、決定打となったのは南陽郡太守の後任。その報告を聞いた左慈は大きく息を吐き、ガックリと肩を落としたまま俯いた。

 

「南陽郡太守の後任は袁術か。袁術ってあの袁術だよな。つまりは駄目じゃないか……」

 

 

 

 

 

 幕僚との軍議の席で左慈は自分の調べ上げたことを全て話して聞かせた。

 

 どこからか話を聞きつけた孫堅が側近の黄蓋と共に軍議に参加することを希望し、左慈はあっさりとそれを認める。別に隠し立てするようなことは何一つないと。

 

「今回の反乱の主犯は張楽。張楽を誑かして担ぎ上げたのが南郡豪族の蔡氏。さらに蔡氏に動くように指示を出した黒幕がいるがそっちは知らん」

 

 左慈は今回の反乱を外部の第三者が意図的に起こしたものだという結論を付けた。

 

 既に蔡一族の人間が関わっていることは調べがついていたが、肝心の黒幕については尻尾を掴めずにいた。左慈は都でもそれなりに影響力のある人物であり、長く培ってきた情報網も広い。そんな左慈が尻尾を掴めずにいるということはかなりの高官が関わっていると見るのが妥当である。

 

「汝南袁氏。弘農楊氏。汝南許氏。汝南張氏。この辺のどこかが関わっている可能性が高い。どれも名門揃いだ。下手に突けば碌なことにならんだろうから知らん顔をしておこうと思う」

「えっ?中郎将。本当にいいんですか?きちんと調べて上奏なされたほうが……」

「苦労して調べ上げても握り潰されるのがオチだ。もしくは身代わりを立てるか。それに偉いさんに睨まれてまでする理由もないしな」

 

 公孫賛の申し出を左慈は却下する。

 

 まだ反乱が収まっていないにも関わらず後任が決まったこともある。かなり早い内から話し合いや根回しが行われていたのだろう。ならば疑うべきは南陽郡の後任太守となる勢力。

 

 後任は汝南袁氏の一族である袁術。左慈はおそらく袁家が今回の一件に深く絡んでいるんだろうと推測を立ててみるも、そのことをわざわざ口に出すことはない。仮に決定的な証拠を掴んだとしても、まさか袁家相手に事を構えるつもりはなかった。

 

 南陽郡は立地が良い。一族の勢力を伸ばすために邪魔な太守を謀殺したのかもしれない。それとも袁家がそうしたように見せるために違う勢力が企てた策かもしれない。はたまた調べた全てが間違っていて、単に張楽が仲間を集って一旗揚げてやろうとしただけのことかもしれない。

 

「蔡家についても同上。南郡の豪族なんぞ叩いても仕方がない。前太守には同情するが、不利益を被るのは自己能力の低さがもたらす結果だ。あの程度の賊に負けているようじゃ話にならん」

 

 考え出すとキリがない。

 

 左慈は南陽郡太守の後任が袁術と聞いてからすっかりやる気を失っていた。左慈は直接袁術と会ったことはないが、我儘なお子様であるという話は既に耳にしていた。

 

 外見上が子供というわけではなく文字通りの子供。優秀な配下でも居れば別だろうが、袁家の優秀な配下はどうやらほとんどが袁紹について行ったようだ。袁紹の方が先に領土を持ったということもあるし、袁紹が袁家の後継者と目されているということもあるだろう。

 

 お家事情はさておき、そういうわけで袁術について来るのは余り者がほとんど。口は悪いが期待はできない。袁術が名君となる可能性も無くはないが、袁術はあの袁術である。過度な期待は残念ながらできないと左慈は思う。この大きな南陽郡を満足に治められるのかすら怪しい。

 

「城に降伏勧告を出す。差し出す首は張楽のそれ一つ。乱に加わった者には相応の労役刑を課す。官軍の犠牲も極めて少なかったことだ。ここが落とし所で問題ないだろう」

 

 さっさと帰ろう、と左慈は言った。

 

 孫堅はこれまで黙って場の様子を見ていた。そして左慈には黒幕の見当がついているであろうことを察す。口に出さないということは手を出せない家柄の者が関わっているのだろうと。

 

 さらにはこのやる気の無さ。先日まで南陽郡の治水工事についての話をしていた人物と同一とは思えない。城を落とせば統治もほどほどに、さっさと都へ帰って行きそうだ。ということはつまり、後任の人物についての報告を受けたのだろう。次の太守は無能と見て間違いなさそうだ。

 

 孫堅にとっても左慈の策に異存はなかった。既に反乱軍の士気はどん底まで落ちている。城はすぐ落ちるはずだ。ほぼ同数の兵力差でありながら、ほとんど無傷で落とした手腕は素直に称賛するべきだろう。だがそれだと困る。そうされてしまうと手柄は左慈一人のものとなる。

 

 朝廷の命を受けて従軍することとなった諸侯。その多くは面倒事であると参加に対して前向きではなかったはずだ。その中で孫堅だけは一際気合いを入れていた。戦功を積むまたとない機会であると。故に孫堅はこの場で左慈の提案をすぐに聞き入れることはできなかった。

 

「……中郎将殿。提案がある。身勝手な頼みだが一考してみてくれるとありがたい」

 

 孫堅は郎中となることはなく地方で功を積んで裸一貫から県令の地位まで成り上がる。

 

 山賊や海賊を討伐した功が認められて役所に召されて尉となり、尉としての仕事が認められて県の次官を多数歴任することとなる。そうして長い年月を費やして県令まで昇った孫堅。だが県令の上ともなると郡太守である。中央との関わりがない孫堅にとっては芽が無い話であった。

 

 そんな孫堅の前に唯一無二と言っても過言ではない絶好機がある。ここで大きな手柄を立てれば太守への道が開くかもしれない。それ故にこの場を簡単には引き下がれなかった。

 

「私の下へも城内からの内通書が届いている。これを利用して張楽の首を刎ねてみてはどうか」

 

 左慈が内通書を突き返したことからそれ以降、内通を望む者は他の包囲へと手紙を送る。

 

 諸侯も左慈の方針に従って同意をすることはせずその場で捨て去っていたが、孫堅だけは何かに使えないものかと残して置いていた。そしてこの場でそのことを告げる。

 

 内容は内から城門を開けるのでそれを合図に攻め込んで欲しいといったもの。その内容を聞いた左慈は孫堅を見た。左慈は孫堅の目からその思惑を読み取ろうとするも、紅蓮の炎の如く燃え滾った瞳には一つの主張だけが明確に示されていた。

 

「罠の可能性が高い」

「でしょうな。百も承知です。だが死地に飛び込んでこそ得る物も大きいと考えます」

「城はすぐに落ちる。わざわざ危険を冒す必要は既に無く、オレがそれを許可する理由もない」

「城はおそらくは落ちるでしょう。だが落ちないかもしれない。敵が腹を括れば長期戦となる」

 

 孫堅は大勝を飾った緒戦の立役者である。

 

 反乱軍の中でもその名は広まっているだろう。孫堅を討ち取ることで反乱軍の士気を上げようという狙いは十分に考えられる。通常の戦いであれば何の心配もいらないが、そこに罠が張り巡らされているともなると話は別だ。わざわざ好んで飛び込む必要もない。

 

 それに孫堅の話はあくまでも可能性があるというだけのことである。百に一つだろうが万に一つだろうが可能性は可能性。手柄を立てたいという気持ちはわからなくもないが、命を張る程の価値があるのかと左慈は思う。結局は命あってなんぼの世界ではないのかと。

 

「孫堅殿は不死身かもしれんが孫堅軍の兵士は人間だ。罠にかかれば命を落としかねない」

「兵士が戦場で命を落とすなら誉れでしょう。我が軍の兵は死を恐れは致しませぬ」

「だがみすみす死地へ赴くこともない。拾える命は全部拾うべきだ。自軍の兵を多く生かして帰すことも将の役目だろう」

「ならば一兵も落とさずに成し遂げてみせましょう。私にはそれを行うだけの力があります」

 

 左慈は道理を説いて孫堅を説き伏せようとするも、首が縦に動くことはない。

 

 そして左慈は孫堅の言葉にいくらか興味を惹かれていた。孫堅以外の人物から同じことを言われても軽くあしらっていたことだろう。そんなことはあり得ないと。

 

 だが孫堅ならやれるのではないかという思いもあった。罠の中に飛び込みながらもそれを真っ向から打ち破り、ただの一兵も落とすことなく反乱軍の将である張楽を討ち取るのではないかと。

 

「……ふむ。内通書が本物であればそのまま張楽を討ち、偽物であっても罠を掻い潜って兵を失わず……か。面白いな。兵はどの程度必要だ?」

「我が軍の精兵のみで十分です。一瞬の遅れが命運を左右する局面であれば、何より求められるのは速さであります故、それ以外の兵は不要です」

 

 孫堅がこんなところで死ぬことはない。

 

 なら好きにやらしてみるのも面白いかと左慈は考える。孫堅が言ったように反乱軍が確実に降伏勧告を受け入れるという保証はなく、届いた内通書が罠だと言い切る確証もない。

 

 ただその可能性が高いというだけのことである。あるいは可能性という点においては、孫堅という人物に賭ける方が正しいのではないだろうかとも思う。提案を突っぱねた結果、単独行動に出られでもすれば色んな意味で困ることとなる。むしろその可能性の方が高いかもしれない。

 

「やってみるといい。これは貸しにしておこう。孫堅殿が偉くなったら色をつけて返してくれ」

 

 それに孫堅に貸しを作るのも悪くない。

 

 総合的に考えた結果、左慈は孫堅の提案を呑むことにする。そのまま細部の話を詰めていく二人ではあったが話の終盤、孫堅が発した一言に左慈は酷く不安を覚えることとなった。

 

「して中郎将殿。一つ確認しても宜しいか」

「ん?どうかしたのか」

「罠であった時のこと。別に立ち塞がる敵を全て斬り落としてしまっても構わんのだろ?」

「…………その通りだ。大いに期待している」

「ならば期待に答えるとしよう。では我々はこれにて御暇致す。吉報をお待ち下され」

 

 そう言い残すと孫堅は側近の黄蓋と共に左慈の天幕を離れる。

 

 左慈は孫堅が発した最後の言葉に曰く形容し難い不安を覚える。本当に孫堅は死なないのだろうかと。自分の知識は果たして正しいのだろうかと悩む。

 

 孫文台。嘘か真か定かではないが孫武の末裔だと自称しているらしい。孫武とは孫子。孫姓は別に珍しいものでもないため、たまたま同じである可能性も十分に考えられるが、わざわざそんなことを指摘することもない。真偽なんてのはオレにはどちらでも構わないことだ。

 

 後はなんだ。出身は揚州の呉郡と言っていたな。それが孫呉の由来と見るのが妥当だろう。孫堅が死んだ時期までは覚えていないが、反董卓連合には参戦していたはずだ。董卓軍の勇将を孫堅が直々に討ち取ったという話を聞いたことがある。ならばやはり思い過ごしだろうか。

 

「……まあ、大丈夫だろう」

「大丈夫じゃないわよ!なんでアンタあの女の口車に乗せられてんのよ!馬鹿じゃないの!?」

 

 ぼそりと呟く左慈に荀彧が罵声を飛ばす。

 

「城はどうせ落ちるんだ。その手段を問うこともない。好きにやらせておけばいいだろう」

「よくないわよ!攻め落とすのと威を以って落とすのはぜんぜん違うわ。降伏させたほうがアンタの名も上がるってもんじゃない」

「名よりも実。少し悩んだけど孫堅に貸しを作るほうが利があるとみた。というかそもそも別に名声なんて必要ないしな……」

 

 武の力は智のそれよりも遥かに示しやすい。

 

 早い話が強ければそれでいい。万人が認識することができてわかりやすい。一県令でしかない孫堅の言葉を、荀彧が大言壮語であると捉えなかったことからも窺い知ることができる。

 

「高順は孫堅をどう見た?」

「稀代の豪傑とでも表すべきでしょうか。脇に控える将もかなりの力量であったことかと」

「ああ、あのやたらと胸のでかい女か。確か名は黄蓋と言っていたっけな。それなら当然強いのだろう。孫家の重臣であるとの話だ」

 

 黄蓋という名前は左慈も知っていた。確か孫家三代に仕えた重鎮であると。

 

 従者らしく孫堅の脇に控えたまま口を開くことはなかったが、話してみるのも面白かったかと左慈は思う。孫堅ばかりに気をとられていて惜しいことをしてしまったと。

 

「公孫賛はどうだった?」

「孫堅殿は凄くおっかなそうな人でした……」

「確かに。なんというか有無を言わさぬ威圧感があったな。敬語もぜんぜん似合ってなかった」

 

 なんとも普通の返しをする公孫賛。だがこれが孫堅を見た多くの人の感想だろう。

 

「ふんっ何よ。あんなの胸だけが達者な田舎者じゃない。ぜんぜん取るに足らないわよ」

「荀彧…………」

 

 虚勢を張る荀彧。左慈は何も告げることはせず、ただ慈愛に満ちた表情を送る。

 

 羨ましいのか妬ましいのか。左慈は荀彧が度々孫堅や黄蓋の胸に熱視線を送っていることに気づいていた。当然ながら孫堅もそのことに気づいており、時折王者の余裕とでも呼ぶべき態度を見せ、荀彧に向けて豊満な胸を主張するかのような行動を示していた。

 

 それが荀彧の神経を逆立てる。が、荀彧も分別のわかる大人である。煽られていることに青筋を立てながらも、それを言葉に出すことはない。ただフラストレーションは次第に溜まる。

 

「はあ!?何よアンタその目は!?まるで私があの乳牛共に嫉妬しているみたいじゃないの!」

「もういいんだ。今日はゆっくり休め」

「よくないわよ!そもそもあんなの日常生活に支障を来すだけで邪魔なものよ!あんなに大きい必要がどこにあるの!?私が納得するだけの説明ができるのならしてみなさいよ!」

「お、おお。そうだな。必要ないな」

 

 鬼気迫る荀彧の言葉に左慈も思わず後ずさりをしてしまう。かなり気にしているようだ。

 

「……はあ。もう私孫家の連中大嫌い。腹が立つし意地悪でもしてやろうかしら……」

「やめとけやめとけ。それにあの二人が特別大きいだけだろ。他はみんな普通だよ」

「それはそうだろうけど……」

 

 もともと本気で言っていなかったこともあり、荀彧は左慈の言葉に素直に従う。

 

 あるいは心のどこかでは、孫家の中にも自分と同じような悲しみを抱いている人が大勢いるのではないかという思いもあった。毎日のようにアレを見せつけられては堪ったものではないと。

 

「そうね大人気なかったわ。私としたことがあの程度の小事に取り乱すなんてね……」

 

 荀彧はまだ見ぬ孫家の同胞達へ思いを馳せる。さぞ辛い思いをしていることだろうと。

 

 それからしばらく後のこと。孫家の主だった面々と出会った荀彧の内情は筆舌に尽くし難い。ただ荀彧はその日のことを以降、怒りの日と名付け長く激情を募らせることとなる。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。