恋姫立志伝   作:アロンソ

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一話 魏延を名乗る少女との出会い

 

 この世界へやってきた当時のことを思い返してみる。

 

 当時はやはり混乱も不安も多くあったことだろう。なんせ目を覚ましたら見覚えのない場所にいたんだ。夢かと思えば覚めることはなく、当然食べる物にも事欠いた。

 

 苦労したことや心の葛藤について長々しく思い返してみるのも悪くはないが、話を聞いてもそれほど楽しいものじゃないだろう。余人に何進の側近になる前のことを聞かれた時も、決まってここらの話は省略していた。異世界なんて話をしても、狂人扱いさせるのがオチだろうし。

 

 だいたい話をする時は魏延との出会いから話すことが多い。

 

 オレがこの時代で初めて出会った三国時代の主要人物であったし、男女逆転のことや真名について知ったのも魏延きっかけだった。強く印象に残っているということもあるし、今も武官として仕えてくれていることもあり、人に話すには最適な場面でもあった。

 

 

 

 荊州は南郡。

 

 魏延と出会った時のオレは運送業の真似事のようなことをしていた。大きな街の酒場には決まって依頼場のようなスペースがあり、その依頼は小さなものなら草の除草や簡単な手伝い。大きなものなら周辺の賊討伐や間者として忍び込むなど大きな危険を伴うものもあった。

 

 特別秀でた能力のなかったオレは大きな仕事を選ぶことはなかった。他所者であったこともあり割の良い仕事は中々紹介されなかったが、仕事があるだけましだと割り切る。選んだ仕事は運送業のようなもので、見返りは良かっだが一定の危険がついて回った。

 

 仕事の内容はその時によってマチマチではあったが、多くの内容が書簡や荷物の運送であった。それらを隣の県や郡に届けてほしいといった類のものだ。一見すると簡単な仕事に思えるが交通も不便であり、隣の郡とはいえ徒歩なら二、三日で着けば早いほうだったりもする。

 

 また場所によっては賊や追い剥ぎといった被害が頻発している地域もある。

 

 この時代の治安は総じて悪い。運送の仕事を受注するのであれば得物は勿論のこと、複数人で行動することが基本とされていることもあり依頼料は高かったが、人数や諸経費、また日数などを考慮すると割に合わないのだろう。あまり選びたくない依頼とされていた。

 

 そんなことはお構いないとばかりにオレは依頼を受け続けた。当時はまだ生死観もかなり緩く、死んだら元の世界に戻るのだろうと考えていた節もある。丸腰で山道を通るなんて真似は今はできないだろう。本当によく生きていたものだ。

 

 単独で危険な地域の運送を中心に行っていたこともあり、金はすぐに貯まった。そろそろ馬でも買おうかと検討し始めたある日のこと。特に警戒もしていなかったが、その日は仕事中に運悪く賊と遭遇した。出会った時に感じたことは一つ。

 

「……ああ、こりゃダメだな」

 

 助からないと思った。この場で死ぬだろうと。

 

 賊は五人組でどいつもこいつも間抜けな面構えだった。特別強そうな人物はいなかったが悲しいことにこちらは戦闘経験などないド素人である。向こうの何人かは小汚い短刀を手にしていたし、勝ちの目などはまったくといっていい程ない。

 

 命乞いをすれば命だけは助けてやると賊の一人が言った。命は惜しいと思ったが、所持金を全て無くしてまで命が惜しいかと問われると難しかった。これまで苦労して貯めた金を全て失い、また一からやり直すのが億劫に思いもした。

 

 結果として命乞いはしなかった。

 

 運がなかったと思った。賊が出るという話を聞いていたくせに運のせいにしてしまうあたり、かなり甘く見ていたんだろう。十分な備えもせずによく今まで生きていられたものだと本当に思う。

 

 本当にオレに運が残っていなかったらこの場で死んでいただろう。だがまだツキは残っていた。尖った能力もないんだ。せめて運ぐらいは人並み以上にあってもいいだろう。

 

「待て待て待てーい!か弱き民を襲う不埒な輩は、このワタシが成敗してくれる!」

 

 どこからか声が聞こえたと思えば次の瞬間、オレの目の前の賊が宙に舞った。

 

 その賊を空高く見上げているとさらに左右の賊が吹き飛ばされる。何が起こっているのか把握できなかった。吹き抜ける突風の中に陽だまりの香りがし、目の端に一人の少女が通り過ぎたのを認識した頃にはもう、五人の賊は全て地に倒れていた。

 

 電光石火の早業。時間にしてみても数秒、あるいはもっと刹那の時間であったのかもしれない。

 

「怪我はないか旅の者よ。なに礼はいらぬ。ワタシが勝手にやったまでのこと!」

 

 そう声をかけてきた少女。

 

 年はまだ若いだろう。豊満な胸をしているが全体的なイメージではオレよりも少し年下。十代半ばといったところだろう。ボーイッシュな髪型の一部に白のメッシュを加えている。鬼のように強く、随分とハイカラな姉ちゃんというのが最初の印象であった。

 

「ああ、ありがとう。お陰で助かったよ。随分と強いんだな」

「ふっまあな。しかしこの山道を通るとは関心しない。見たところ丸腰のようだし、この辺りは賊が出るとのことだ。知らなかったのか?」

「それは頭にあったんだけど、なんとかなるだろうと思ってたんだよ。これまでも問題なかったし。まあ今回は運がなかったってことだろう」

 

 淡々と言い放ったオレに対し少女は首を傾げる。

 

「お前は変わったヤツだな。かなり危ないところだった割にあっさりとしているし、強がっているようにも見えない。武術の心得があるようにも見えないが……」

「そんなものはないよ。しかし助かった。ところで君はこんなところでなにをしてたんだ?」

「ああ、ワタシは武者修行中の身でな。危険な場所を好んで向かっている。鍛錬を積みながら悪党を成敗できるのであればこれ以上ないことだと考えてだな」

 

 立派な心がけだと思った。

 

 女の一人旅なんてものは褒められたものではないが、あの強さを見せつけられては納得する他はない。なんにしても助かった。痛い思いはごめんだし、無一文になるのはもっとごめんだ。

 

 してこの先どうしようかと考える。賊がさっきの連中だけだという保証はないし、届け先まではまだけっこうな距離がある。そしてなにより、目の前の少女にきちんとしたお礼がしたいという気持ちが強かった。危ないところを助けてもらった命の恩人である。

 

「君はこの先どうするのかもう決めているのか?もしまだ決まっていないのなら、今日はオレに着いて来ないか。夕方までには目的の街に入るつもりだし、そこできちんとお礼がしたい」

「う、うむ。しかし見返りを受けてしまうのは修行中の身としてはどうなのだろうか」

「礼を逸してはオレも心苦しい。これもまた人助けだと思って一つ頼むよ」

「人助け……。よしっ!わかった!着いて行ってやろう!」

 

 少し渋った少女ではあったが、すぐに承諾を取り付ける。

 

 少女は大きな金棒のような武器を持っていた。先ほどの戦闘では使用していなかったが、おそらくはそれが彼女の得物なのだろう。あまり女性向きの得物とは思えないが。

 

 さっき賊をぶっ飛ばした力を見るに、あの大きな金棒で殴られたらグロいことになりそうだ。剣や槍などでは受けも間に合わず、へし折れてしまいそうだがどうなんだろうか。

 

「その武器に名前とかあるのか?」

「こいつは鈍砕骨という!良い名前だろ?」

「お、おお。そうだな……」

 

 その後は街へ着くまで互いに旅の話をした。

 

 少女は荊州の出てあってこの辺りの地形には詳しいとのこと。近道があるとのことで脇道に逸れること三度、そのことごとく道に迷ったりもした。先ほどの武勇も相まってどことなく脳筋臭がしないでもなかったが、恩人ということもあり、深くは言及しなかった。

 

 結局目的の街に着いたのは夜の帳が下りきった後。

 

「い、いやー。あの辺りも日々変わっているからなあ。まさか近道がなくなっているとは」

「山道がそう簡単に変わったりしないだろうに。まあいいか。ちゃんと着いたし」

 

 目的の時間より三時間ばかり遅れてのものであった。

 

 近くで宿を取り、その足で酒場へ向かった。少女に浴びるほど飲んでいいと言うと本当に浴びるほど飲んだ。今回の稼ぎは酒代でチャラだろう。まあ無一文にならなかっただけ儲けだと考える。

 

 それからしばらく飲んでいると少女がふと思い出したかのようにいった。

 

「そういえばまだ名乗ってなかったよな。我が名は魏延!字は文長だ!」

「……はっ?姉ちゃん酔ってるの?まあ酔ってるのは見りゃわかるけどさ」

 

 少女は魏延と名乗る。

 

 それはないだろうとオレは陽気に笑った。この世界が古代中華に似た世界であることは既に気づいていた。今いるのは荊州であり、まだ行ったことはないが首都が洛陽であることも旅のあちこちで耳にしていたが、流石にそれはないだろうと。

 

 魏延と聞けば蜀漢で五虎将軍に次ぐ猛将とされた将だ。孔明と対立して敵諸共殺されかけたりと碌な目にあってないが、実力は折り紙付きだろう。蜀漢末期では一番の将軍とされていたはずだ。

 

「はははははっ!しかし面白いことを言うな。そうか魏延ときたか」

「……ん?なにが面白いんだ?それでお前の名前はなんて言うんだ?教えろよう」

「おお、そうだな。君が魏延ならオレはだな……」

 

 さてなにが面白いだろうかと考える。

 

 ひどく酒に酔った頭を巡らしながら、さあ何が面白いだろうかと考える。劉備を名乗るのは三流だろう。既に被っている可能性が高い。曹操や孫権も同上だ。となると少しマイナーではあるが、少女にオッと思わせる名前が面白い。

 

「名前……うん、そうだな。左慈。オレの名前は左慈だ!」

 

 浮かんだ名前は左慈。

 

 三国時代に名前が登場する仙人のような人物だ。実在したのかまではわからないが、パッと浮かんだ名前にしては悪くないだろう。これなら被っている可能性も低いとみたがどうだろうか。

 

「姓が左で名が慈か。けっこう良い名前だな!字はないのか?」

「え?あ、うん。そうだな……。字はないと思うが……」

 

 てっきりツッコミが返ってくるかと思いきや真面目に返される始末。

 

 あまり面白くなかったのだろうか。それにしても左慈の字。あったのかもしれないがそこまでは覚えていない。字も把握していない人物の名前を挙げるだなんて、三流以下の解答だっただろうかと自分に呆れてくる。少女の魏延に笑っただけにふがいない。

 

「ああ、滑ったか。まだまだ精進が足りないな……」

 

 ガックリと肩を落とす。

 

 誰ならよかっただろう。魏延の繋がりで考えるなら黄忠や張飛だろうか。この二人と魏延はけっこう仲が良かったイメージがあるが、違うと言われたら違う気もする。孔明とは仲が悪いだろう。ここらはほぼ確定的だ。

 

 ともあれガックリと肩を落とし、そのまま瞳を閉じる。その日は色々とあったこともあり、ひどく疲れていた。このまま眠りにつくのなら気持ちのいい朝を迎えられそうだと思うも、オレの安眠は魏延と名乗る少女によって妨害される。

 

「なんだよなんだよ左慈!なにがあったか知らないけどさ、元気出せって!」

 

 そう言うと少女はオレの頭をヘッドロックで絞めてきた。

 

 少女もかなり酔っているのだろう。胸がオレの顔に当たっていることにも気づいている様子はないが、かといってその余韻に浸れるほど緩やかな締め方でもない。

 

「いてててて。わかったわかった。起きるから外してくれ」

「…………んっ!」

 

 体育会系のノリを思い出す。

 

 参ったとばかりに背中をタップするも反応がおかしい。少女の腕がピクリと震えたかと思えば締め方がキツくなった。こりゃイカンとばかりに激しくタップするも状況は変わらず。いや、むしろ状況は悪化している。

 

 少女から艶っぽい声が漏れる。締められ過ぎて表情までは見れないが、喜ばしい状況でないことは間違いない。脱出を図ろうにも到底及ばず。ゴリラに締められているかのようにビクともしない。メキメキと聞いちゃいけない音を耳にする。

 

 タップアウトの習慣はないのだろうか。ないにしても続行の合図ではないだろうに。次第に朦朧とする意識の中で少女の艶声を耳にする。全身を震わせながらオレの頭を締める少女。最後の抵抗とばかりにタップしてみるも、やがては意識を落とす。

 

 後に知ったが魏延は全身が性感帯らしい。特に肌が敏感で触られただけで激しく感じてしまうようだ。そんなこと言われないと気づくわけないだろうといいたい。

 

 

 

 翌日、目を覚ました時に感じた頭痛は酒のせいなのか、それともヘッドロックのせいなのかの判断がつかなかった。どちらにしても碌なもんじゃない。

 

「……頭が痛い。しかし酷い目に遭ったもんだ」

 

 それでも目を覚ますと宿にいたことから、誰かが運んでくれたのだろう。地べたではなく布団で眠りにつけただけで睡眠もかなり違ってくる。

 

 頭を抑え、宿の代金を支払ってから外へ出ると昨晩、魏延と名乗った少女がいた。

 

 彼女の中ではおそらく適切なボディーランゲージだったのだろう。命を救ってもらっておきながら愚痴を零すつもりは毛頭ない。オレの精進が足りなかったということにしておこう。

 

 それにどうせここでお別れだ。酒の席は楽しいものであった。会話も弾んだし相性も悪くなかったはずだ。またどこかで出会えば、一献組み交わしたいものである。

 

「おはよう魏延。昨日は楽しかったな」

 

 問い掛けに少女は答えなかった。

 

 宿を出たばかりのところで待っていたのだから、オレに話でもあるのかと思ったが違うのだろうか。それならそれでいいか。挨拶も済んだし先を目指すことにしよう。

 

「そんじゃあオレは行くわ。また何処かで会ったら一杯飲もうな」

「…………待て左慈!!」

 

 その場を後にしようとすると少女に呼び止められる。

 

 その大きな声に近くを通る人の多くが足を止めた。そしてオレと魏延に好奇な視線が向けられる。なんとも緊張感のある空気の中でオレだけが頭痛と戦っていた。

 

 少女は呼び止めただけでそれに続く言葉を口にしなかった。ギャラリー達は焦れていた。焦れるのなら離れていけばいいのにとオレは思った。見世物じゃないし、特に面白いことが起こるわけでもない。せいぜい別れの挨拶ぐらいだ。

 

 名残惜しいのだろうか。魏延ファンの脳筋女とばかり思っていたが可愛いところもあるものだ。思わず笑みが零れる。旅の出会いというのも悪くはない。

 

「…………お、お前は……」

 

 先ほどとは打って変わり、蚊の鳴くような声で少女は囁く。

 

 あるいはヘッドロックのことを申し訳なく思っているのだろうか。どちらにしても気にすることはない。魏延のヘッドロックなどそう味わえるものじゃないだろうし。

 

 気にすることはないと声をかけようとした。だがその直前に少女が口を開いた。そしてその声は、鐘を打ったかのようによく響いた。

 

「お、お前はワタシの体をあれだけ弄んでおきながら去って行くというのか!!」

 

 その場の空気が凍った。

 

「……えっ?君は一体なにを言って……」

「酷い!信じられない!酒に酔わせて無防備なところを……」

 

 薄っすらと涙を浮かべる少女。

 

 なにを言っているのかわからず頭痛がした。それはもう酷い頭痛で薬が飲みたかった。

 

 周囲を見渡すとみんながオレを見ていた。中には睨むような目で見てくる人もいた。その場の空気は口よりも雄弁にオレを責め立てる。

 

「君がどんなに無防備でも、オレが敵うとは到底思えないが……」

 

 一体オレがなにをしたというのか。

 

 ヘッドロックで締め落とされ、被害者はむしろオレのほうではないのだろうか。だがそんな正論が通じるような空気ではない。一体オレはなんの罪で責められているのだろう。

 

 よくわからないが今の状況を客観的に見ればこう。

 

 涙目の少女に二日酔いの男。そして性的関係を匂わす発言。これは分が悪い。白も黒と判断されかねない。ならばオレの取るべき選択肢は一つだろう。

 

「なんでも言うこと聞きます……」

「……っ!な、ならワタシにお前の仕事の手伝いをさせろ!それで一先ずは許してやる!」

「どうぞご随意に……」

 

 どうやら少女はオレに着いて来たいらしい。まあ好きにするといい。食い扶持が一人増えるぐらいどうってことないだろう。

 

「そんじゃあ次はどこを目指そうかな」

「ワタシの意見もちゃんと聞くんだぞ!」

 

 さて騒ぎも一段落したことだし、次はどこへ向かおうかなと考える。

 

 




 この時代の通貨は五銖銭だったと記憶していますが、正直深い見識がないため金は金と簡単に表すことがほとんどだと思います。

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