恋姫立志伝   作:アロンソ

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十九話 桃色の誘惑

 

「特別名誉顧問?」

「はい。桂花さんから強く要請を受けまして、この度はその任に就くことになりました」

 

 孫家上洛の翌日の朝のこと。連休明けの月華は執務室へやってくるなりそのことを告げた。

 

 どうやら荀彧は昨日、孫家の面々に敗れた後で月華の屋敷へ向かい、それから月華を巻き込んで新組織の草案なるものを練っていたようだ。

 

 何を行う組織なのかは不明だが当面は地下へ潜って同胞を募るとのこと。同胞となる条件は貧乳であることが大前提であり、次いで巨乳を憎む心があること。もしくは過去にその被害に遭った者とのことだ。秘密裏での話ではあるようだが、翌日にはもうオレの耳へと届いてきた。

 

「おいおい派閥は勘弁してくれよ。君と荀彧が徒党を組んだら厄介なこと、この上ないだろう」

「心配ないですよ。私はあくまで権限の無い名誉職です。同胞の選考には漏れてしまったので」

「ああ、貧乳であることが大前提と言ってたな。基準はさっぱりわからんが君は駄目だったのか」

「そのようですね。桂花さんの物憂げな表情がなんとも印象的でした。可愛くも面白かったです」

 

 目の前の湯呑みに口をつける。

 

 月華は職務中いつも直線的な着物を着ているので体のラインがよくわからない。雇用する際に話した時も月華は着物を着ていたが、今ほどきっちりした物ではなかった。その時に抱いた印象は細身で標準的な体型をしていて、着物はかなり質の良い正絹を使ってるんだなということであった。

 

「君の胸が大きいのか。それとも荀彧の基準が厳しいのか。まあ仕事さえしてくれれば別に……」

「……あっ!そうですね。それでしたら一度、左慈様のお手で直に確かめてみては如何ですか?」

 

 にっこりと微笑んでそう告げる月華。オレは口に含んでいた茶を噴き出しそうになる。

 

「なんでまたそんなことを?」

「前漢の名将趙充国も申しておりました。百聞は一見に如かずと。これに続けるならば百見は一触に如かずですね。そのようなわけですので御遠慮なさらずに。どうぞ一触なされて下さい」

「故事に例えでも駄目だ。そんなあからさまな罠には流石に掛からんぞ。ズバリ目的はなんだ?」

 

 オレがそう言うと月華は少し残念そうに眉を顰めるも、やはり何か思惑はあるようだ。

 

 月華は一つ間を置き深呼吸をする。それから左右を見渡し、近くに人の気配がないことを確認してから表情を引き締める。突然のことではあったが、どうやら真面目な話になりそうだ。

 

 何絡みの話だろうか。意外と月華は荀彧の送り込んで来たスパイという可能性もある。ここで飛びつくようであれば異端審問にかけられて裁かれていたのかもしれない。ならばオレは誘惑に惑わされることなく上手く乗り切れたのだろうか。それとも僅かな邪心を嗅ぎとられたのか。

 

 わからないなりに頭を捻って構えるも、月華が告げた言葉はオレの予想の斜め上であった。

 

「左慈様の御手付きとなれば勝ち組」

「…………へっ?」

「さらに子を宿すことが叶えば生涯勝ち組。且つ左団扇の生活が確定します。ある意味私の究極とでも呼ぶべき姿かもしれないと悟りました。これは誰にとっても損のない話ですよ!」

 

 ニートから脱却したかと思えば次は扶養しろとは。流石は月華。凡人とは言うことが違う。

 

「なんちゅう打算的な……」

「良い話じゃないですか。私が左慈様の下への仕官を許された背景には、こう言った意味も含まれてますからね。きっと桂花さんも言われているはずですよ?荀家も跡継ぎが欲しいでしょうから」

「荀彧はいつもツンツンしてるぞ?」

「あんなの甘噛みも甘噛みですよ。それに私も桂花さんも長子ではありませんしね。何れは何処かに嫁ぐか、自分で身を立てる必要があります」

 

 名家は名家で大変ということだろうか。

 

 名家の婚姻ともなると相手の身分も関係してくる。男女の能力が逆転しているこの世界において婚姻の際の家柄は、元の世界よりもずっと重要視されることなのかもしれない。

 

 例えば元の世界において、どこかの地を治める領主に五人や十人の愛人がいても領主だからで済むだろう。だがこの世界で女の領主が逆のことをするとなると極めて困難であることだろう。そしてこの世界にいる男の高官は本当に少ない。それこそ指を折って数えられる程度である。

 

「貴方様と私の子であればまず優秀なことかと。子孫繁栄において能力の高さは重要です」

「君の子なら優秀だろうな」

 

 元の世界でも司馬懿の子はとても数が多く、そのほとんどが例外なく優秀であったはずだ。

 

 この時代の真の勝ち組は間違いなく司馬懿こと月華である。一番幸せであったかと問われると難しいが、歴史的に誰が最終的な勝者であるかを見れば、それは司馬一族で動かないだろう。

 

「添い遂げる相手は私を良く理解して下さる殿方が好ましいのです。貴方様は優しくて寛大な御方です。家の者の反対もまずないでしょうし、相手としてはこれ以上ないんですよね……」

 

 悪くない話であった。

 

 司馬一族を抱き抱えれば三国を差し置いて大陸の覇権を奪える可能性は高い。オレに天下への野心が強ければ飛びついていたことだろう。あるいはこちらから先に申し出ていたかもしれない。

 

「私も女ですからね。自分の子を抱きたい気持ちは強いです。さらに子を宿せばそうですね。育児休暇とでも名付けましょうか。今以上に休みが増える可能性も有ります!本当に素晴らしい!」

「お、おう。君は時代を先取りしてるな……」

 

 なんとも本気か冗談かの判断が難しい月華。本気であるのならオレはどう答えるべきだろうか。

 

 オレに特別な野心なんてものはない。それに元はこの世界の人間でもない。どんな理由があってやってきたのかも定かではないし、ある日突然帰るなんて事態も十分に考えられる。

 

「……ま、その話はまた今度でもいいだろう。君もぼちぼち仕事に入る準備をしてくれ」

「了解です。いつでも御声をかけて下さいね?桂花さんと二人一緒でも私は構いませんので」

 

 出した答えは保留。オレはいつもこうだ。

 

 尤もらしい理由をつけては結論を先延ばしにする。もう何年もこの世界にいて今更帰る可能性なんて低いとは思いながらも、自分の先のことさえも満足に考えようとしていない。

 

 何進のことだってそうだ。助けたいなとは思っていても行動には何一つとして移してはいない。おそらくオレはこの先も世の趨勢に沿って動くのだろう。その流れの中で何進を助けられるのであれば助け、助けられないのであれば仕方がないと自分を強引にでも納得させるはずだ。

 

 なんとも情が薄く冷たい話だ。そんな自分が嫌にもなるが今更変えられるものでもない。

 

 

 

 

 

 夕餉の時刻などという曖昧な表現ではあったが、孫家の遣いは丁度良い時間にやってきた。

 

 連れて行くのは月華に高順に公孫賛。荀彧にも声をかけてみるも「まだその時ではない」と断られた。意味はわからなかったが薄々そんな気もしていたので承諾し、四人で向かうこととする。

 

 孫家の遣いでやってきたのは孫権に甘寧。二人は人見知りするタイプなのだろうか。あまり口数の多い方ではなかったので、周家の屋敷へ向かうまでは比較的静かに進んでいた。それでもチラチラと視線を向けられていることから察するに、何か話がしたかったのだろうか。

 

 身内以外に対してオレはあまり口数の多い方ではない。猫被り状態の月華も聴き手であることが多く、普段の高順はかなり寡黙である。公孫賛は良くも悪くも普通であり、みんなが話していると会話に混ざって話をするが、静かにしていると黙っている。協調性があると言ってもいい。

 

 そういうわけでお喋り荀彧不在なこの四人だと基本的に静かだ。この場で一番偉いオレが気を利かせて話題を提示すべきなんだろうが、どうにも昨日の何進の様子が気になって考え込んでしまう。だが孫堅も大事な話があると言っていたことだ。いい加減切り替えないといけないだろう。

 

「さ、左慈様……。あの……実はですね」

 

 考え込んでいると孫権に声をかけられる。もう周家の屋敷はすぐ傍にある距離だ。

 

 理由はわからないが孫権はオレのことを最初からずっと様付けで呼んでいた。もっと軽い敬称でもいいとは言っておいたが、その方がいいと言われたのでそのままにさせておいた。

 

「どうかした?」

「実は朝から母が高熱を出してしまいまして。御足労頂きましたところ誠に恐縮なのですが……」

「孫堅殿が高熱?まあ、そんなこともあるのかな。なら今日は残念だがこのまま引き返すと……」

「で、ですがせっかく御越し下さったのに手ぶらでお返しするわけには参りません屋敷ですと左慈様にも移ってしまう可能性が高いのでここは一つ屋敷の離れに来ては頂けないでしょうか!!」

 

 一息でそう言い切った孫権。かなり早口ではあったが滑舌がよかったので全部聞きとれた。

 

 オレが長く黙っていたので中々言い出せなかったのだろう。チラチラと見られていたのはこのためか。なんとも察しの悪い自分に呆れてしまう。そして孫堅が高熱を出したとな。

 

「招待してくれるのは嬉しいけどいいの?当主が高熱で臥せているならそれどころじゃ……」

「だ、大丈夫です!一族の者も家臣の者も屋敷の者も、誰一人母を心配などしておりません!」

「お、おう。それはそれで心配だな」

 

 孫家の結束は大丈夫なんだろうか。

 

 それでも歓待を受けるのは吝かではない。来た道を引き返すのも面倒だし周家の屋敷はすぐそこだ。休憩がてら何か腹に入れて、少し休んでから帰るぐらいが丁度いいだろう。

 

「君達が構わないのなら招待にあずかるよ」

「……っ!すぐに宴の用意をさせます!思春!貴女は先に行って屋敷の者に伝えてきなさい!」

 

 孫権がそう言うと甘寧は忍びの如く音も立たせず、煙のように瞬く間に姿を消した。

 

 そして孫権も軽快な足取りで前を前を先行して歩く。明らかに何か思惑がありそうな気配がプンプンしていたが、こんな日ぐらいは酒でも飲んで気を楽にしたかったこともあり、オレは深く考えるのを止めた。面倒事にはならないだろうと。

 

 月華も何かに気づいているようではあったがニコニコと笑顔を張りつけたままで何も言ってはこなかった。なら大丈夫だろう。一から十までいちいち疑ってかかると本当にきりがない。

 

 

 

 

 

 母屋からは少し離れた所にある離れ屋敷ではあったが、造りは新しく中もそれなりに広い。

 

 この時代の酒は元の時代の物と比べて度数がかなり低く、味もそれほど良くはない。オレは酒にあまり強い方ではなかったが、それでも少々飲んだぐらいで酔うことはなかった。

 

 いつも酔っている時はかなりの量を飲んでいた。この時も差し出された杯に並々注がれた酒を飲む際、いつものように一気に飲み干してしまう。するとどうしたことだろうか。杯を置いた時に地面が傾いているように感じられた。ほんの一瞬で自分の顔が熱を帯びていることに気づく。

 

「左慈様。実に豪快な飲みっぷりですね。どうぞもう一献。私が御注ぎ致しますので」

「ん?ああ、ありがとう。この酒凄く強いような?それともオレが疲れてるのかな……?」

 

 傍に侍る孫権がすぐに次を注いでくれる。

 

 あれよあれよの内に二杯目を飲み干してしまうと頭がぼんやりとしてくる。自分の許容量は弁えているつもりではいたが、どうも今日は調子がおかしい。だが酒が美味いので深くは気にしない。

 

「そう言えばさ。孫堅殿はまだしも孫策殿や周喩殿達はどうしたの?来てないみたいだけど?」

「あ、姉上達は……その。どうしても外せない用があるといいますか。なんといいますか……」

 

 今この場にいるのはウチの四人に孫権と甘寧。孫家の他の者は姿を見せてはいない。

 

 ここに荀彧がいれば怒っていたことだろう。呼びつけておいてどういうことだと。荀彧不在ならオレが指摘するべきことだとはわかっていたが、元来そういうことを気にする性質でもない。

 

 そんなことよりも他に気になることがある。オレ以外の人が酒を飲んでいないことであった。高順と甘寧は護衛とばかりに座ることもなく立っていて、月華は食べ物には手をつけるも飲むことはない。公孫賛だけは飲みたそうにオレを見ていたが、どうするべきか悩んでいるようであった。

 

「そっか。ならいいや。そんなことよりも飲もう。公孫賛、君も遠慮なく飲んでいいよ」

「ほ、本当ですか!?……い、いやしかし私もここには護衛の任で来たわけですし……」

「そう固い事を言うな。今日は無礼講だ。身分の上下は無しで楽しもう。オレが注いでやる」

「いやーそういうことでしたら遠慮なく」

 

 あっさりと杯を差し出す公孫賛。こういうわかりやすいタイプは嫌いじゃない。

 

 とは言え高順と甘寧は飲むことはなく、月華にもやんわりと断られた。ならばと孫権に声をかけるも返事は優れない。だがどこか飲みたそうにしていることを見抜き、ぐいぐいと押してみる。

 

「孫権殿もどう?」

「私はあまり酒癖が良くないようでして。母からも飲むなと強く厳命を受けておりまして……」

「孫堅殿がねえ。それは困った話だけど、黙っていたらわからないだろう。内緒でどうかな?」

 

 普段はこんなアルハラ紛いのことを言いはしない。この時はもう酒がかなり回ってたんだろう。

 

 オレの言葉になぜか甘寧がギョッとしていたが気にせず孫権の杯に注いでやる。コクコクと注がれていく杯を見て孫権の表情は明るくなる。思っていた通り孫権は酒好きのようだ。

 

 

 

 

 

「君には領主の話もあったのか」

「そうなんですよお。幽州の領主でしたが、あの時はどうしようか本当に悩みましたねえ」

「幽州はちょっと辛いな。北部には異民族の地も広がってるし、治めるのは実に難しそうだ」

 

 いくらか宴も進む中、公孫賛と話をする。

 

 あまり話す機会はなかったが意外と面白い。公孫賛は羽林右監の話が来た時に並行して領主の話も来ていたようだ。領主といえば聞こえはいいが、僻地の領主ともなると困難も多い。

 

 例えるとド田舎の領主のようなものだ。人材も集まり辛い。みんな仕えるなら都会の地の方がいい。この世界においても都会とは都に近い中原の地を指すことだろう。それ以外でも古くは七王都のあった地であれば栄えるだろうが、やはり中原であるに越したことはないはずだ。

 

「どうしてそれを蹴ってウチに来たんだ?」

「いやー領主も良かったんですが、羽林の役職に就くってやっぱりカッコいいじゃないですか」

「なんというか普通だな。でもまあ、君が来てくれて助かってるよ。これからも頑張ってくれ」

 

 その後もしばらく公孫賛と話をしていた。公孫賛は自分の影が薄いことを気にしているようだ。

 

 ウチの連中は能力もさることながら個性の強いのが多い。その中に埋もれつつあるんじゃないかと公孫賛は危機感を募らせているようではある。悲しいことではあるがその認識は正しい。

 

 ならばどうすればいいかと一緒に考えてやるも名案は浮かばない。なんとかしてくれと食い下がる公孫賛を見ながら、個性が欲しいならモヒカンにでもすればいいのにという考えが頭を過ぎるも、それだと髠刑に近いものがあるかと思い直す。いや、それ以前の問題だろうか。

 

 それからもしばらく飲み進める。もう酔いだけではなく、目を瞑っていると世界が回っているかのような錯覚に陥る。随分と飲み過ぎてしまったようだ。

 

 そろそろこの辺にしておこうかと思い始めた時のことだった。孫権が無言のままおもむろに立ち上がり、オレの傍へとやってきた。ずっと黙ったまま黙々と酒を呷り続けていた孫権。どうしたのだろうと思っていると、オレはそのまま自然に押し倒され、仰向けのまま馬乗りにされた。

 

「……母に言われていたんです。左慈様とたくさん御話をして気に入って貰えと。それでも内気な私は話をするのにも緊張してしまい、それっぽく振る舞えと言われてもよくわかりません……」

「ええっと……孫権殿?なんの話かよくわからんが、流石にこの体勢は不味いような気が……」

 

 酔って転んだというわけではなさそうだ。体を動かそうとしてみるもビクともしない。

 

 オレが押し倒されたとあって高順がこちらへ向かおうとするも、その前に甘寧が立ち塞がる。

 

「そこを通さんか」

「予定とは逆の展開となってしまったがこれも主命。申し訳ないですが通すわけには参りませぬ」

 

 物物しい雰囲気である。無礼講とは言ったが将同士の揉め事は勘弁してほしいところだ。

 

 ならばと影が薄いと悩んでいた公孫賛へと目を向ける。よくわからん状況ではあるが、とにかくなんとかしてくれと。ここで目立っておけば公孫賛の悩みも少しは解決するんじゃないかと期待を籠めるも、公孫賛はすやすやと静かに寝息を立てていた。君はこの場で目立たなくてどうする。

 

 そしていつの間にか月華の姿も部屋になかった。孫家の結束がどうこうと言ったがウチの結束も脆すぎる。オレの変事に対応してくれるのは高順だけとは。しかし月華は何処へ行ったんだ。

 

「ですがこのままですと左慈様と碌に御話を致すこともなく宴が終わり兼ねません。ですので私も孫家の女らしく、覚悟を決めました……」

「……あまり聞かない方が良い予感がしているけど、敢えて聞くよ。その覚悟ってなに?」

 

 オレの問い掛けに孫権は微笑んだ。それはそれは華が咲いたような美しい笑みであった。

 

 だがオレはどこかで耳にしたことがある。笑顔というのは本来攻撃的なものであることを。虎が獲物を捕える際、その牙を剥き出しにする行為がその由来になっているという風説を。

 

「私も孫家の女らしく強請るのではなく掴み取りにいく覚悟を決めました。こうなればもう実力行使です。暴れないで。暴れないで下さいね……」

 




一話の予定でしたが長くなったので二話に分けます。次話は日曜日までには。

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