恋姫立志伝   作:アロンソ

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七話 潁川郡②

 

 潁川郡で過ごす日々は都でのそれと比べ、かなり余裕のあるものであった。

 

 地元の豪族や役人達と一定の相互理解を得られた時期になると難しいこともほとんど無くなり、仕事も慣れれば滞りなく行えるようになった。何進が領民の陳情やらといった外の仕事を務め、オレが内々の政務全般を行う。仕事量の比率がおかしいことを除けば適材適所だろう。

 

 時間が空けば気晴らしに街へ出向き、何時だったか旅芸人の歌を聞いたこともあった。見てくれも歌も踊りも上々な三姉妹。客も疎らな舞台の後に少し話を聞けば、まだ旅を始めたばかりとのこと。祝儀とばかりに多めの捻りを渡すと凄く喜んでいた。

 

 のんびりとした毎日であっても退屈はしなかった。何進はすっかり太守様気分で領民の陳情を二つ返事で聞き入れては、オレに丸投げしてくる始末。内容などは二の次で、困っている人は助けたい性分なんだろう。良い心掛けだとは思うが、それなら少しは手伝ってほしいものだ。

 

 焔耶は焔耶で潁川郡は陽翟県にやってきた強そうな旅の武者を見つけては手合わせを頼んでいるらしい。だいたい朝に出かけて夕飯までには帰ってくる。焔耶曰く『腹が減ったら帰ってくる』とのこと。旅を終わらせてしまって申し訳ない気持ちもあったが、ここでの生活も楽しんでくれているようで少しホッと安心した。

 

 最近はその一環で仲良くなったという旅の武者をちょこちょこ城へ連れて来ている。小さな少女ではあったが、その背丈よりも大きな戦斧をぐるぐると振り回す姿には目を見開いた。やっぱりこの世界はなにかおかしいと改めて実感する。

 

 そしてオレが退屈をしない大きな理由の一番に挙げられるのは、やはり荀彧だろう。

 

「……また用もないのに来たのか」

「うっさいわね!アンタに土を舐めさせるまでは何度でも来てやるんだから!」

 

 あの日の一件以来、こうして荀彧は度々城へやってきている。

 

 始めこそ未来の大軍師を煽ってしまったことに恐々としていたが、今となればもう別に気にしていない。荀彧も口は悪いが根に持つほどオレを恨んではいないようだし、なんだかんだで付き合いもそれなりとなった今日に至ればもう、けっこう仲良くなったんじゃないかとも思う。

 

 せいぜい会う度に悪態をつかれたり行く先々で落とし穴を仕掛けられる程度だ。口が悪いのは聞き流せるし落とし穴は流石に気づく。以前は割と多種に渡る罠を仕掛けてきていたが、一度第三者に被害が及びかけたことがあり、それを咎めるとそれ以降は落とし穴一本でくるようになった。

 

 案外聞き分けの良いところもあるが、それなら罠を仕掛けるのを止めてほしいとも思う。

 

「まあ、別にいいか。今は見ての通り手が離せないから悪いが少し待っていてくれ」

「仕方ないわね。別室に居るから終わったら走って来るのよ。ホント仕方ないわね」

 

 ぶつくさと文句を言いながらも聞き分け良く去って行く荀彧。

 

「……しかし長閑だな」

 

 潁川郡での生活も数えて半年が経った。

 

 都のように煩わしい連中がいるわけでもなければ、気を張り続ける必要もない毎日。

 

 平和なものだった。こうして平和な毎日を過ごしていると都での喧騒や、やがて起こるだろう黄巾の乱も別の世界の出来事のようにも思えてくる。

 

「……今日もいい天気だな」

 

 適度に気を引き締める必要があるだろう。

 

 雲一つない空を眺めながらそんなことを思うも、どうにものんびりとしてしまう。こんなことで大丈夫なのかと心配になる自分と、きっとなんとかなるだろうと楽観視している自分がいて、どっちが正しいかの判断が未だつかないでいた。

 

 

 

 手元にあった仕事を粗方片付けた後、荀彧の下へ向かう。

 

 少しと言っておきながらも予定よりも長い時間がかかってしまった。これはまた文句の一つでも言われるだろうと予想してみるも、意外なことにお咎め無しに終わる。それどころか労いの言葉を投げかけてくる始末。これはおかしい。頭でも打ったのだろうか。

 

「はあ?遅くなったのに文句を言ってこないからおかしい?アンタねえ……。労っているんだから素直に礼の一つでも言っておけばいいのよ!」

「確かにその通りだな。今日は珍しく罠も仕掛けられていなかったから、体調でも悪いんじゃないかって気になってな。違うのならそれでいい」

「普段の行いが行いなだけに言い返せないわ……。でもアンタはいちいちむっかつくわね!」

 

 やっぱり荀彧はこうでないと調子がでない。

 

 しかし今日は本当にどうしたのだろう。土を舐めさせると大言を吐いていた割には仕掛けてくる様子もない。なにもないのならそれに越したことはないのだが、オレが気づいていないだけで水面下では罠が作動しており、その時が来れば特大のなにかが発生するなんて事態になるのは困る。

 

 そんなことはおそらく起こり得ないだろうが、それでも相手はあの荀彧である。オレなんかが想像も及ばないことを平然とやってくるかもしれない。備えておくに越したことはないだろう。

 

「なに警戒してるのよ。今日はなにもしないわよ。ホントは色々と考えていたんだけど、アンタの仕事っぷりを見ていると思うことがあってね。少しいいかしら?」

「真面目な話か。ああ、構わんよ。気になることがあるなら言ってくれ」

 

 一体なんだろうか。

 

 自分でいうのも変な話ではあるが、仕事自体は問題なく行えているという自負がある。別に一番を目指しているというわけではないが、城内でオレよりも仕事ができる者はいないだろう。

 

「腹立たしいことだけど、仕事自体は問題ないわ。名のある商人だっただけのことはあるってことね。非常に腹立たしいけど、そこだけは特別に認めてあげないこともないわ」

「そうか。それじゃあ何が気になったんだ。郡全体でも大きな問題は起こってないはずだが」

「アンタがなんでも一人でやろうとしているところよ。良く言えば優秀。悪く言えば独りよがりな部分があるわ。それじゃ駄目。もっと人を使わないと」

 

 人を使え、と荀彧は言った。

 

 そうは言われても難しい。人に指示を出すのは面倒だし、出来ることは自分でやればいいとも思う。誰かに仕事を頼んで失敗でもされたら、後になって余計な仕事が一つ増えることになる。

 

 いつも大量の書簡を抱えては専用の執務室に篭って仕事に励んだ。誰かに手伝いを買って出て貰った時も丁重に断っていた。手が空いているなら休めばいいと。わざわざ手伝って貰わなくとも、日が落ちるまでには終わるから問題はないと。

 

 皮肉で言ったわけではなく善意からの言葉だ。捻くれた解釈をしない限りは言葉通りの意味で伝わっていると思うし、おそらくは大丈夫だと思う。城の者とも仲が悪いということはない。特別親しい人がいるわけでもないが、まあ職場なんてものはそんなもんだろう。

 

「しかし難しいことを言う。君の話は間違ってないんだろうけど、自分で出来ることは全て自分でやりたいとも思う。どうしたものかな……」

「アンタの気持ちはわかるわ。世には嘆かわしいぐらい無能共が犇めいているものね。何度か足を運んだけど、都は特にうんざりするほど酷かったわ。正直なところ私も、生きていて恥ずかしくないのかと思うぐらい無知で無能な官吏が多過ぎると常々感じていたのよ」

「いや、そこまでは言わんが……」

 

 ぜんぜんわかってない。というかこれは荀彧の意見だろうに。

 

「それでも!それでもよ。無能な輩も大きな枠組みの中では時に役に立つこともあるの。人を上手く使うということは上に立つ者の責務でもある」

「……ふむ。一理あるな」

「アンタは偉くもなんともないけどね。それでも今の仕事っぷりを見るに、アンタが病にでも倒れたら城の大部分が麻痺するわ。まったくもう、それぐらい気づきなさいよ」

「なるほどな。それでだが、人を使うとは具体的にどうすればいいんだ?相手を信用するなんてことは、けっこう難しいと思うんだけど」

 

 話の内容はわかったが、どうすればいいのかはわからない。

 

 何進のように丸投げするのもどうだろう。というかどうして何進はなんでもかんでもオレに任せるのだろうか。大きな失敗でも犯してしまえばオレは勿論、何進にも責任が及ぶことになる。ある程度は信用されているということだろうか。

 

 人を信じるというのは難しい。何進が下の者に甘い分オレが厳しくしているから、失敗を犯しても処罰を恐れて隠そうとするかもしれない。それが後々に大事になって発覚したものなら目も当てられないし、全てをしっかり監視することも不可能だ。

 

「え?そ、そうね。どうすればいいんだろう……」

「おいおい頼むよ。けっこう気になるんだけど」

「うっさいわね!そんなの私が知るわけないでしょう!ちょっとは自分で考えなさい!」

「お、おお。ちょっと考えてみるわ」

 

 難しい。だがこれから必要なことだろう。

 

 目の前で不満そうに腕を組む少女。荀彧文若。彼女になら仕事を任せても全幅の信用を置けるだろう。だがそれは彼女が荀彧であり、オレがその功績を知っているからという部分も大きい。なにも知らなければ今は口が達者な少女という感想しかなかったはずだ。

 

 人を信用するにはまずその相手のことを知る必要がある。何進はやがては都へ戻る。これまでオレはやがて去って行く場所であるからとして、あまり城の者との交流を重視してはいなかった。ただ各々が適度に役割をこなせばそれでいいと。自分の役割が多い事も仕方がないことであると。

 

 それでもこれまでやっては来れたが、確かに自分が不在時のことは考えていなかった。半年もいるのに城の者の名前すら碌に覚えていない始末だ。これは流石にまずいだろう。

 

 いつか焔耶に指摘された部分をもう少し多くの人へ向ける必要があるのかもしれない。

 

「いくらか考えさせられることがあったよ。ありがとうな」

「あっそ。アンタは無能な男共の中ではまだマシなほうだと思うわ。私の金言をちゃんと活かしなさいよ。それと馴れ馴れしく触らないで。妊娠したらどうするのよ」

 

 少し肩に手を置いただけでこの言い草。

 

 これでも出会ったばかりの頃と比べれば態度は軟化したほうだ。男嫌いは相変わらずだが、曹操がもし男だったらどうするのだろうかと思う。曹操のカリスマで荀彧の男嫌いを治すのだろうか。それとも仕える主を変えてしまうのだろうか。

 

 この世界の曹操は女だという話だから心配はないはずだ。直接会ったことはないが都に居た時に曹操や袁紹の話はちょくちょくと耳にしていた。有名な一族だとそう言った類の話はすぐに届く。私塾に通っているという話であったが、今頃はもう卒業しているかもしれない。

 

 曹操や袁紹といったビッグネームは後々のことを考えて交友を持つべきか悩んだが、下手に悪印象を与えてしまうと面倒だ。わざわざ探し出したり尋ねるようなことはしなかったが、今思えば惜しい事をしたかもしれない。サインでも貰っておけば末代までの家宝になり得る存在だ。

 

「まあそう連れないことを言うな。今日は家で飯でも食べていくといい。な?」

「ちょ、ちょっと気安く触らないでって!ああ、もう!やっぱり腹の立つ男ね!」

 

 ぐしゃぐしゃと雑に荀彧の髪を撫でてみると案の定の反応が返ってくる。

 

 そんな荀彧にオレは軽く笑みを浮かべながら夕餉に思いを馳せた。

 

 

 

 それから数日後のこと。

 

 その日も執務室で多くの書簡を処理していると廊下のほうで大きな音が鳴った。その音から察するに誰かが物を割ったのだろう。なんとなく立ち上がり、音のした方角へと向かってみる。

 

「……音がした故に何事かと来てみれば、壺を手から滑らせて落としてしまったとな」

 

 物陰から様子を窺ってみるとそこには何進と顔を真っ青にした女中が一人。

 

 今の何進の発言と現場から察するに、女中が壁に立て掛けていた壺を割ってしまったようだ。顔色から見るにわざとではなさそうだが、さてどうしたものか。

 

 女中は呆然としていたが、すぐにハッとなってその場に平伏した。全身を小刻みに震わせながら何進の言葉を待つ。オレはその場に出て行くことはせず物陰から様子を見た。荀彧との話もあり、何進がどんな処置をするのかが興味深く思えた。

 

 妥当ならこう。甘い処置ならこう。厳しい処置ならこう。

 

 そんな考えが頭に浮かんでみるも、何進が下した判断はオレが想像していないものであった。

 

「……ふむ。まあ仕方ないのう。怪我がなくてよかったではないか。この場はわらわの腹に収めておく故、御主は仕事に戻るがよい」

 

 そう言うと何進は一人掃除を始める。

 

 予期せぬ言葉だったのだろう。女中は呆気に取られていたが、我に返ると慌てて何進の手伝いを始めた。そうこうしていると見回りの兵士も数人やって来てみんなで後始末を行う。

 

 オレはそんな様子をぼんやりと眺めていた。そうしていると短い間ではあったが何進が城の者に好かれていることを感じとることができた。おそらく似たようなことが過去に何度もあったのだろう。確証もないがそんなことを考えたりもしたが、不思議と良い事のように思えた。

 

 オレならきっとそうはしなかっただろう。その場で適当な処分を言い渡し、数分後にはもう頭から抜け落ちていたはずだ。

 

「しかし左慈に見つからなんでよかったのう。あやつに見つかればまた小言を言われるのが目に見えておる。さっさと片付けるとしようぞ」

 

 何進の言葉を受けて周りのスピードが格段に上がった。

 

 それからすぐに片付けは終わった。女中は深々と何進に頭を下げ、数人の兵士はオレに見つからない様に割れた壺を隠しておくと言ってその場から走って行った。廊下を走るな。そしていちいちオレの名前を引き合いに出すな。

 

 やがて女中も去り、その場には何進だけが残る。

 

「……おや?ここには確かオレが自費で購入した壺を置いていたはずですが……」

「左慈か!また面倒なところで出くわしたもんじゃ……。わらわはなんも知らんぞ!」

 

 リクエスト通り小言の一つでも言ってやろうかと思いもしたがさっきの光景が頭を過ぎる。

 

「……知らないのならいいですよ。よく考えたらそう高価な物でもありませんでしたし」

「そうかそうか。壺は割れたらまた新しい物を買えばよい。そうじゃろ?」

「割れたら……?もしかして割ってしまったんですか?オレが長安で仕入れた壺を?」

「い、今のは言葉の綾というやつじゃ!そんなことがあるわけないじゃろうに!」

 

 咄嗟に揚げ足を取ってしまう。

 

 いかんいかんと思い直す。そもそもオレが買った壺ではない。もともと城に置いてあった壺だ。どうして何進はこんなにあっさりと騙されてしまうのだろうか。

 

 これじゃあこの先が思いやられる。だいたい何進を見ていると何時も先が思いやられて仕方がない。だがそんなところも最近は、悪くないと思えるようにもなってきた。

 

「……いつか話したかもしれませんが、何進殿はやっぱり人が好いですね」

「御主はようわかっておるではないか。これも人徳と言うやつじゃろうのう」

「ええ、そうですね。オレも何進殿から学ぶことが多くあるんだと気づかされました」

 

 あの女中は同じ過ちを犯しはしないはずだ。

 

 そしてこれからも何進によく仕えるだろう。この経験を糧に今後成長するかもしれない。人の失敗を許し次に繋げる。オレには思い浮かばない選択肢であった。

 

 何進は人が好い。これまでは呆れ半分でそう言うこともあったが、今日は素直に凄いと思えた。そしてこれから先もきっと、何進から学ぶことが多くあるだろうと。

 




年末で色々と立て込み、更新が遅れてしまいましたがこれからは安定しそうです。

次回で潁川郡は終わり。
焔耶と新キャラとの話。英雄譚にも少し触れたので香風(徐晃)を出す予定です。

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