これは、ある近衛兵の話である。歴史書に名前はあることはあるが重要視されなかった人物のようで表記揺れが目立つ。間違った名を以て、さらなる後世に語り継がれては本人としても無念であるだろうから、ここはあえて近衛と呼ぶことにする。便宜上、それでわかるだけの読解力を読者諸君には求めたい。
近衛はただの兵士である。しかし、当時の時代状況や近衛の出自を考えれば、破天荒とさえ言われるほどの出世であった。それほど上流階級と一般市民の間で身分の差があった。近衛兵とは、上流階級の最下位層と一般庶民の出世頭が混じる地位だったのである。
近衛には尊敬する人物がいた。同じ年代ながら、その人物は兵士長という地位だった。近衛兵はいくつかの師団にわけられる。その師団を統率するのが師団長である。十の師団を統一するのが兵士長で、その上に隊長がいるという構造をしている。近衛兵の下っ端が兵士長に知られるということはまずありえない。しかし、この兵士長は、年が近いという理由も含め、近衛に目をかけてくれた。ほかの兵に比べ、近衛に出世欲がなかったのも理由の一つだった。兵士長に群がる近衛兵はどうにも媚び諂う者ばかりである。同僚の兵士長もまた、隊長やあるいはその上の階級の人間に胡麻をする者しかいない。この兵士長はその様子に辟易し、近衛は多くの者が目指す出世に既に興味がなかった。近衛としては、十分な高みに上りきったと思っているからだ。
近衛と兵士長が互いに知り合ったのは本当に奇跡といえる。兵士長が兵士長であった期間は、とある理由で短かった。すぐに隊長となり、それから別の役職へと出世した。役職が変わった後も、兵士長は近衛とそれなりの接点を持っていた。一緒に酒を飲み交わすやら、家に招くやら、そういうことはなかったが、主従という意味ではほかの誰よりも強かったといえる。
さて、時代は変革期を迎えていた。と言ってもそれは歴史の史料として見ているからわかることであって、この当時、その時代を生きていた人にしてみれば、国がどうなるかなど、少し先の未来も知る由もなかった。
事の起こりは国王の急死であった。後の研究によると、毒による暗殺なのではないか、と言われている。専門家ではないので、ここについて深く述べることはしない。死因は、これからの話には関係ない。鼓腹撃壌を実現した名君が亡くなってしまったという事実だけが大事である。名君には跡取りが二人いた。どちらも幼かった。そうすると、後見人による権力者争いが起こる。
わずか策略が勝った弟側の側近が、天下を治める展開となった。さて、次に何があるか。敵対勢力の粛清である。この粛清を指示したのは、新たに大臣に就任し、権力を握った男であった。大臣は低い身分から知略と勇猛さで今の地位まで駆け上がった過去がある。外面も常に鍛えており、強かという言葉を具現化したような人物だ。その大臣の命令で、側近の一族郎党までもが処刑された。その処刑された中に、兵士長もいたのである。先程の、とある理由とは、兄側側近の親族であることだったのだ。
このような時期、近衛兵はそこらじゅうを飛び回る。上層部の諍いは治安の悪化を招く。君主を狙う狼藉者が非常に出てきやすくなる。通常以上の近衛兵が駆り出される。休日などという概念はなくなってしまう。そういった理由もあり、近衛は兵士長の処刑に立ち会うことは叶わなかった。処刑された亡骸はただ野ざらしにされてしまう。近衛はその亡骸に事あるごとに会いに行った。兵士長と言葉のない会話をしながら、近衛はある計画を進めていた。
時代は、後に傀儡君主と呼ばれる王の治世である。実権は側近のトップである大臣が握っている。大臣は王のごとく振る舞っていた。王直属の近衛兵もいつの間にか大臣直属の近衛兵となっていた。多くの近衛兵にとって護衛する相手は誰でもよかった。どうせそこまでは出世できないし、所構わず仕事をするほうが評価してくれる上司が増えることになるからだ。
大臣への復讐のチャンスを窺っていると、機会はすぐに訪れた。大臣が外泊することになった。それにお供する師団として選ばれたのだ。近衛が兵士長と近しい存在であることはそれなりに有名であったが、現隊長や兵士長などからしてみれば些事だったのだろう。よもやそんな大それたことをするものとも思っていなかったのかもしれない。
道中に、近衛兵と大臣が容赦なく近づいてしまう難所が一つある。山賊などの襲撃に備えて、裏道として山林を通る地点があるのだ。その場所を狙おう。兵士長と話し合ったいくつかの計画の中の一つがその場所だった。実現しようとしているということは、草葉の陰から兵士長が応援してくれているのだと近衛は確信した。
当日は清々しい気候だった。雨であるとその経路は土砂崩れの危険性があり、通行されない可能性もあった。運命のときが刻一刻と近づいていた。
大臣は、近衛兵から少し距離を置いて行く。自分自身も腕に覚えがあり、単独の盗賊なら自らの腕っぷしのみで撃退できる自信がある。問題はあくまで大勢からの一斉攻撃である。そのような気配を感じ、報告に見せかけた襲撃をする。それが近衛の作戦であった。このあたりは動物も多く、森からの物音を探すには都合がいい。
道も半ばを過ぎたころ、ガサガサと物音を聞いた。近衛は、この音を聞き逃さなかった。おそらく動いたのは兎のような小動物なので、近衛のように気にする者でなければ聞き逃してしまうのも致し方ないことである。
近衛は音を聞くや否や師団長に報告をする。ここで師団長が判断するのならば、近衛の作戦は元々なかった。謀略により天下をとった大臣である。わずかなことでも自分で決定しないと、いつ裏切りにあうかわかったものではない。敵襲に備えた近衛団の再配置なども大臣自身が決めることとなっていた。そしてその際も伝聞は信じない。師団長及び異変に気づいた者が一緒に報告に来ることが通例となっていた。
早速謁見である。状況を事細かに伝えながら、一歩歩み寄った。証言は偽造ではあったが、近衛はうまく話せていると思った。しかし、あまりにも白熱しすぎ、それが大臣の不信を招いた。そして、一歩歩み寄ったのだから、大臣はとある一瞬を待った。
講釈も中ほどに差し掛かったころ、ついに襲い掛かった。しかし、奇襲を予測していた大臣は素早く躱し、逆に抑えつけてしまった。
「おのれ!離せ!」近衛が叫ぶ。
「一体、誰の差し金だ」大臣が返す。師団長はあたふたとしている。
「復讐だ」それに続けて、兵士長の名を喚いた。
「はて、知らない名だな」大臣は本当にわずかに言葉を漏らした。
地に臥しながら、近衛はその後も兵士長の名を喚いた。しかし、大臣はその名は思い出せないという様子であった。近衛は暗殺に失敗したことよりもそのことが屈辱であった。
近衛は囚われの身となり、大臣の遠征中、事あるごとに拷問を受けた。大臣としてみても、名前を知らない平民ではなく、政敵の誰かの差し金であるという疑念を消せなかった。拷問されるたび、近衛の言葉は不明瞭になっていくが、それでも兵士長の名前ばかりをうわごとのように繰り返した。
そして、国に帰り、近衛は公開処刑される運びとなった。その直前まで、ただ、大臣への罵詈雑言を繰り返した。
時代はまた激動を迎える。近衛の勇気に影響を受け、大臣を討った勇志がいたのだ。兵士長と近衛の呪いは後世まで語り継がれることとなった。