第1話
飛べ!
瑞鶴はそう願うけれども、晴天に照らされた海は猛々しく私を横殴りにしてスタビライザーを狂わせようと躍起になっている。抉れた装甲に染みる海の塩気が今は憎々しい。
弓を構えてゆっくりと、けれども迅速に青い空の中心に向け掲げる。何度も何度も弦を引くが艦載機は一向に発艦しようとせず、ただ弦楽器のように虚しい音を奏でるだけだった。
「まだ…折れてないでしょ!お願い…」
節なる願いは届かない。発艦させなければ皆を守れない空母にとってスタビライザーや装甲である衣服が破損するということは海の置物になってしまうということと同義である。
目の前の惨状は瑞鶴が経験した数度の海戦の中でもっとも鮮烈を極めるものだった。瑞鶴の所属する第8機動部隊は大湊鎮守府の提督が特別編成した部隊であった。翔鶴を旗艦に、瑞鶴を加えて周りを軽巡と駆逐で固めた高速編成で迅速な航行で到着、離脱が可能なまさに機動を重視した攻撃部隊である。その第8機動部隊の初陣が今、まさにこの時だった。そして華々しい筈だった初陣は敵の第一次攻撃により艦隊の全員を食い潰していた。
大破炎上し、海にただ浮かぶ姉、翔鶴と随伴してかばうように囲む駆逐隊。初弾で砲撃を命中させてきたのが運の尽きで旗艦が大破すればこちらは引くしかない。撤退の援護に回ろうと瑞鶴が発艦した後に見たこともない程空を埋め尽くす敵艦載機が視界一杯に広がり、唸りをあげて雨のように降りかかった爆撃は第8機動部隊を襲った。
当然の如く、こちらは翔鶴の炎上により航行速度が落ちている。それにより回避運動も碌に取れず第8機動部隊の面々は一網打尽にされてしまったのだ。こちらの艦載機の奮闘で何とか致命傷を避けた。そう表現するのが正しい。駆逐、軽巡の面々に瑞鶴も加えて全員が中破と呼べる悲惨な状況である。翔鶴に爆撃が当たらなかったのだけは幸いといえる。先程受けた第一次攻撃の全容だ。
そして現在、第二次攻撃が来る前に何とか時間を稼ぐために瑞鶴は発艦しようと何度も何度も弦を引いて、虚しい音を奏でて空を見上げていると、聞きなれたか細い声が鼓膜をわずかに揺らした。
「皆さん、逃げてください。私はもうだめです」
駆逐に支えられて何とか立っている、という状態の翔鶴がぽつりと言ったのだ。
「そんな!だめだよ、翔鶴姉ぇ!まだ折れてない!」
発艦出来ずにただあるだけとなった弓を見せつけるように瑞鶴が弓を掲げる。しかし、翔鶴は苦痛の表情を浮かべながら首を横に振った。
「瑞鶴。貴女の気持ちはよくわかります。でも、私のために全員が巻き添えになることはないのよ」
翔鶴は瑞鶴の気持ちを痛いほど分かる。姉妹艦としてここまでずっと一緒だった。瑞鶴だってもう戦闘続行が無理だということくらいわかっている筈だ。なのに戦おうとするのはただ翔鶴を失いたくないからだ。きっと逆の立場なら同じことをしただろうと翔鶴は思う。
「そんな…。嫌、嫌よ!」
「駄々を捏ねないで。随伴艦の皆さんを無事に大湊まで送り届けてください」
翔鶴は旗艦。艦隊のリーダーは時に非情といえる判断をし、時に自らを犠牲にしなければならない。それが今という時なだけでいつかはこうなる可能性はあると理解していた。戦争はそういうものだ。仕方のないことなのである。しかし、受け入れがたい事実であるのはやはり彼女達が女の子であるという証だ。
「翔鶴姉ぇも一緒に帰るのよ!ほら、提督も空母の翔鶴姉ぇを見捨てるなんてしない筈でしょ。だから私が時間を稼ぐから・・・」
「いい加減にしなさい!」
弱弱しいながらもつんざくように張り詰めた高い声が海に響く。瑞鶴の口も開いたまま閉じなくなってしまう。そのままの状態で瑞鶴の大きな瞳が潤み、頬を大粒の涙が伝う。決別の時であると瑞鶴が必死に避けていた事実を決別する相手に突き付けられたのだ。その怒声はナイフのように鋭く胸を抉った。
「いいから行きなさい。瑞鶴が帰路で皆さんをまとめるのよ」
「・・・・・」
瑞鶴は何も言わず、ただ黙って俯いて推進する。
「随伴艦の皆さんも瑞鶴を追ってください」
翔鶴の言葉に軽巡や駆逐達が名残惜しそうに次々と離れて単縦陣で瑞鶴の後ろにそれぞれが陣を整えた。
やがて見えなくなるその背中を見据えたまま頭上から聞こえるモーターの重い音を聞きながらひっそりと倒れ伏した。
ゆっくりと沈む体を触覚で感じながら呼吸を阻害する海に顔を沈める。不思議と苦しくはなく、潜水艦はこんな感じなのかなと思ったりする。こんな状況であるにも関わらず不思議と心は穏やかだった。いつ沈んでもいいように覚悟をしていたことが起因かもしれない。唯一、心配なのは瑞鶴の心だがきっとあの子は乗り越えるだろうと思う。何せ私の妹なのだから。
深い水底に意識が沈んでいくのが分かる。深海棲艦が追撃にきたのか砲弾の炸裂音や戦闘機の心地のいいモーターの音を聞きながら翔鶴の意識は途絶えた。
大湊鎮守府はバタバタと喧騒の様子を見せていた。
第8機動部隊の面々がボロボロで帰ってきたことによる艦娘達の憂いの声であったり安堵の声であった。
しかし、一層声を張り上げてるのは提督だった。心配そうに、ゆっくりと寄港しようとする第8の面々を港から見つめている。提督が港に部隊を迎えにくることは異常な様子でやはり先の敗戦が原因であった。
寄港したときには第8の面々は倒れるように身を港に投げ出した。皆中破しボロボロだったため早く安定した地盤につきたかったのだろう。しかし瑞鶴だけは固く拳を握りしめて俯いたままただ水面に浮かんでいた。
寄港した場所には多くの艦娘で人だかりが出来ており、それぞれ倒れた駆逐や軽巡を支えながらドッグに連れていこうと躍起になっている。その中でポツンと水辺の水面に佇む瑞鶴に誰も声をかけようとはしなかった。いや、出来なかった。なぜ、そうしているのか皆が理解しているからである。
こういった状況にある艦娘に声をかける人物はある程度決まっていた。今回は提督だった。
「瑞鶴、上がってこい」
声をかけられて暫く微動だにしなかった瑞鶴だったが、力なく陸へと上がる。航行するための推進部分の靴は水陸両用であり、陸にあがるからといって脱ぐ必要はない。
はだけた服も気にせず瑞鶴は陸に上がった途端しゃがんで顔を自分の膝に埋めた。小刻みに肩が揺れる。
「報告は後で聞くから今はドックに行きなさい」
提督はただそれだけを伝えると足早に鎮守府の舎屋に帰って行ってしまった。
暫く、瑞鶴はそのままの状態でうずくまっていたが、おもむろに立ち上がって、心配そうに遠巻きで見ていた艦娘達を意に介せずドッグの方へふらふらと歩みだした。やはり身体に砲撃のダメージが残っているのだ。それを癒すために入渠と艦娘が呼ぶ治療のドッグに向かう。その際、何も言わずにそっと巫女服に身を包んだ綺麗な女性が瑞鶴を支えるように肩を貸してくれた。長い茶色の髪と服装から戦艦の金剛型のネームシップの金剛だと把握する。彼女は長い戦歴を持ち、数々の艦娘達を支えてきた鎮守府に欠かせない良き姉とも言える尊敬できる人物だ。
自分より遥かに先輩の金剛が肩を貸してくれたのだ。当然お礼を言わなければいけないのが艦娘のしきたりであるが瑞鶴は何も言えない。誰とも今は話したくなかった。たぶん、口を開けば泣いてしまうから。
駆逐寮や空母寮を超えて、港の端の方に立った木製の大きな洋館が大湊の入渠ドッグだ。立て看板にも「大湊艦医療第一入渠ドッグ」と書かれている。第一から第四まである入渠ドッグの中で一番古く、そして大きい入渠ドッグは主に戦艦と空母の入渠に使われており、空母である瑞鶴は第一で入渠する。
第一入渠ドッグの目の前まで来たとき、今まで何も言わずに支えてくれていた金剛が不意に口を開いた。
「自分を責めないでちゃんと休むんですヨ」
彼女の変わったしゃべり方は鎮守府ではお馴染みだった。金剛のモノマネをする娘達も多く居るし、彼女のしゃべり方は鎮守府ではよく耳にする。故に瑞鶴のみで鎮守府に帰還したのだと考えてしまい、瞳が潤む。潤んだ瞳を見て金剛は慌てた。
「oh!何処か痛みましたカ?」
「いえ・・・」
瑞鶴は振り絞るように声を出すが、たった一言しか言えなかった。
「そうですカ・・・。私はここまでデス」
金剛は優しくゆっくりと瑞鶴から離れて、ふらつく瑞鶴の背中を見守る。瑞鶴は小さく頭を下げるとドッグに消えていった。その背中を見守っていた金剛の背中をどこからか見守っていた巫女服を着た3人の艦娘が現れる。
比叡、榛名、霧島だった。比叡の「おねーさまー!」と呼ぶ声に金剛は振り返る。振り返った先ではドッグ近くにある空母寮の大きな舎の角で3人がだんごのように顔を出していた。金剛が小さく手を振ると3人は小走りで金剛の元に駆け寄り、第一入渠ドッグを見上げた。
「榛名、心配です」
「そうですネ。尾を引かなければいいんデスけど」
榛名のつぶやきに金剛が答えると、霧島が眼鏡をあげながら口を開いた。
「提督はどうなさるんでしょうか。第8機動部隊は新しい部隊だったとはいえ練度は決して低くなかったはず。深海棲艦にここまでやられてしまうのは鎮守府始まって以来そう何度もなかった。何か理由があるはずです」
「霧島ったら今そんな事を言っても仕方ないでしょ。それにそういうことは提督が考えること。ですよね、おねえさま!」
「そうですネ。私たちは待機してるくらいしかできませんネー。悔しいデスけど仕方ありまセン。今は第8の皆が心配デース」
金剛は比叡に同調し、心配げに顔に手をやる。
「あ、そういえばお姉さま。提督が私たちを呼んでいたような」
榛名が思い出したかのように言うと他二人も思い出したのか「あ!」とか「そういえば」と次々に声を出す。金剛はガクっと漫才師のようなオーバーなリアクションをする。
「どうしてそんな大事なことを先に言わないんデスか!」
「榛名、やってしまいました・・・」
と項垂れる榛名にため息をついて金剛は足早に第一入渠ドッグを去っていた。