数週間前、小町さんに連れられてきた幽霊の彼は、外の世界で罪を犯した罪人だった。
幻想郷に罪人が流れてつくこと自体は珍しいことじゃない、むしろ『神隠し』に合うのは、そういう種類の人間の方が多い。かと言って、それは己が所業を省みることもなく一時遁世もしたとしても適当にまた縁を作り、足がついて逮捕されたり、時には別人として問題なく幸せに暮らしたりできる人間でも、忘れ去られて追う者が絶えることもないような凶悪な事件を起こした人間でもない。
自分の罪やその報いを恐るるあまり、他者との縁を持たず死人のように生き、やがて誰からも忘れ去られて、居なくなっても問題にならないような、そんな人間がよく『神隠し』に会うのだ。
だが、そんな人間は幽霊として自我を残すほどの未練――というより、望みを持っていることはほとんどないようで……だから幽霊としての彼を見たときは驚いた。
元々、真っ当な職種の人間ではなかったらしく、犯罪組織の中で小悪党という形容詞が似合う罪を幾つも重ねてきていた。当然、それで悲しむ人も苦しむ人もいたわけだが、そんなことを考えもせず彼ら自身は身内で楽しく仲良くやっていた。被害者の存在さえ認識から追いやっておけば、彼らはお互いに軽快で気持ちの良い人間で居られたからだろう、口では“悪党”を自認しながらも、心でそれを受け止める気はなかったわけだ。
だが、ある日、彼らの内の一人が愛せる、愛してくれる人とその間に子を得て、暗黙のルールを打ち破った――このままじゃいけない、少なくとも自分は子供に胸を張れる生き方がしたい。
自分は仲間を売ったりはしない、だけど自分は罪を償うから、君たちももうこんな事はやめてくれ――そんな言葉を前に、彼らは動揺した。なんでそんなことを言い出すんだと、今まで楽しくやってこれたのに、なんでそんな――彼は言葉を濁したが、なんとなく想像はつく、つまり身も蓋も、ついでに品も恥ない『空気を読め』という気持ちを抱いたのだろう。
実際、その仲間と恋人を殺してしまったのは“事故”だそうだ、奇しくも警察にも事故として処理され、仲間たちは自らのしたことを忘れようとするように自然と離れ、解散していった。
その中で死んだ彼の親戚でもあった男が、身寄りのない娘を引き取ることになった。最初は使命感に似た罪悪感に追い立てられて面倒を見ていたが、そのうちに情が湧き、本当の親子のように良好な関係を築いたようだ。
しかし、何年か後――そんな男の前にかつての仲間が再度姿を現した――また組んで“昔のような仕事”をしないかと。男は断るが、仲間はしつこく食い下がる、ついには応じなければ少女にかつてのことをバラすとまで言ったそうだ。
男は姿をくらまし、逃げようとしたが、それでも少女に事情がバレないように痕跡を消して引っ越すのは難しく、仲間の影はついて回った。何度も引越しを繰り返すうちに周囲との縁も希薄になり、いなくなったところで、誰が気にする訳でもないという状態にまでなっても、それは変わらなかったと言う。
ついに、少女に危害が及ぶことと嫌われてしまうことを恐れた男は、事情の告白と少女への謝罪を記した遺書を残し、自殺をしようとして――少女を“巻き込んで”しまった。
ここまで聞き出すだけでも苦労したが、まだ隠していたことがあったとはな……娘は盲目になっていたし、事故の内容だって違うし、少女の証言とは食い違うことがいくつもある。殺してしまったのが事故というのも、真実かどうか――自分の未練を果たせないことをかなり恐れていた、俺の心を少しでも自分に向けさせるために、それくらいの嘘はついてもおかしくなかった。
――彼女がどうなったのか知りたいんだ、会って謝りたいんだ――
……例え俺の気持ちがどうあろうとも、できないことはできなかったのだが。既に長らく自分で幻想郷を歩き回った後だったらしく、既に時間切れが近かったのだ。
怨霊となってこれ以上の罪科を背負うことがないよう、俺は泣いてすがりつく彼を恐怖させ、彼岸へと――そして、ほぼ間違いなくその先で待っているであろう地獄へと、追いやった。
「――早いな……既に調査済みの『神隠し』だったか……正直、もう結果は見えているが」
――もうすっかり夜分と言える時間帯。庵の軒先で地に腰掛けていた俺の前に、どこからともなく紙飛行機が漂ってくる――掴んで、開いてそこに書いてある内容を確認する。
「――ウチの調査結果からも、ほぼ間違いなし、か」
「あら、あの娘さんも大変ですね」
俺の後ろに立ち、腰を折って覗き込むように書面を眺める古明地殿。そこまではいいが、せめて肩に手をかけるのは止めてほしい。
「貴方も……妖怪退治屋が罪人とはいえ、人の魂を地獄に追いやるなんて……もしその時に縁があれば“貴方が悪役にならない方法”で引き取るくらいはしましたのに」
「……外の世界の退治屋にとって『人を救い、守ること』は一手段、目的は『人が救われ、守られること』でありますので……」
「それはそれは、誤解とは言え、失礼しました……その素晴らしい思想について、是非、皆さんに考えを聞いてみたいですね」
さも楽しそうに言ってくれる――貴殿の思う通りでしょうよ、古明地殿。本気でそう思って行動してる退治屋はひと握り――ほとんどが『使命だから』で考えを停止させたり、自分の復讐や目的のために、その手段として“派閥”の建前に従っているだけだ。
だが――
「俺達は人間でありますから……時に、手段と目的を混同したり、取り違えたり……そんなこともありはしますけどね」
「……そうですか」
今度は返って来た声はどこか詰まらなさそうだった。古明地殿の手の重みが肩から消えるとともに、俺は小さく息をつく。
俺の膝の上にいる“垂れ犬”の姿に戻ったハタは大人しいものだ。話に聞く限り幽霊さんの件は彼女――てっきり彼かと思っていたが――の所為ではないようだったが、責任を感じている様子だった。個人的にはハタには人化したまま、彼女の対応を手伝って欲しかったが、急激な強化は結構な無理だったらしく、肉体的にもかなり疲労してしまっており、それは無理そうだった。
幽霊さんが霊体になって尚身につけていたお守り、それも“実体”――恐らく、そこに“おじさん”の強い思いが込められていたために、霊体にくっついていたのだろう。その中には“おじさん”の遺書が折りたたんでしまい込まれており、事実と現状の告白、そして少女に向けた謝罪とそれを読む誰かへの懇願が書かれていた。自殺をする前にお守りの中身を入れ替えておいたのだろう。
その内容を読んだ幽霊さんは“見たい”という気持ちを喪失――いや、反転させ、俺の術による『手の目』の力を拒絶、束の間の視力を手放した。『放っておいて欲しい』と言う彼女をなんとか庵まで連れてきたのだが、少しは落ち着いたようにも見えた彼女に、今度は『一人にしてください』と強く言われてしまった、だから俺たちは外でこうしているわけなのだが――
「――うおお!?」
視線を感じた訳でもなく、ただふと書面から視線を上げると真正面から妹殿が俺の覗き込むように凝視していた。
「ど、どうしまし――」
「お姉ちゃん、この飼い主さんはペットにしない方がいいわよ」
その姿勢、そして真顔という表情のまま、またこの妖怪は周囲を置き去りにするようなことを言い出した。心を折って、あるいは堕落させて妖怪退治屋を従えてしまう妖怪はそこまで珍しいものではないが、ペットってまたアレな表現だな。
「別にそんなつもりはないわよ、面白いから遊んでるだけ」
冷静にというか、普通に会話が成り立っている体で返事が俺の頭を飛び越えていく――せめて繕ってくれないかな、建前の重要性を覚妖怪が解するかは怪しいところだけれど。
「ならいいけど……多分、嘘を捨てちゃったらその人、本当にイヤなヤツになっちゃうから」
「……」
「そうね、本人にも心当たりはあるみたいだけど……もし、そうなったとしても、そこから新しく築ける関係もあるでしょ?」
「そういう意味じゃないんだけど……お姉ちゃんらしい答えだね、分かったわ、そういうことにしておく」
姉妹双方、なかなかに言ってくれる、というか、彼女らはいつまでここにいるつもりなのか。交換条件はもう達成されたんだから帰っても良さそうだが――いや、待て、もしかして俺が頭下げて頼んだら、彼女の心のフォローとかやってくれるか? 人の心の扱いにかけては古明地殿以上の存在もそうそういないだろうが……。
そう考えた途端、今度は両肩に手の形と重さを感じた――古明地殿が俺の耳元に口を寄せ、甘く囁いてくる。
「良いですよ……彼女がもう一度、真実を――そこにあった嘘と、その嘘の後ろにあった本音を、見据えて考えて、乗り越えるお手伝いをしても。でも……そうですね、そうすると……彼女自身の“目”が開いて、妖怪になってしまいますね、どうします? 人のために尽くす、妖怪退治屋さん」
……ああ、くっそ、そうなるかよ。
『人の思いは本意では人のためにある』――それを疑った回数は数え上げれば切りがないが、それでも俺は今なおそう信じている。だけど、何かが本意を外れることは珍しいことじゃない、どんな道具や機能も、本来の役目と正反対の結果をもたらすことはよくある。
人の本当の気持ちが、分かったとして、それが何を――
「――あら?」
不意に間の抜けたような声が聞こえて、俺は思考の渦から引き戻される。声の方をかえりみれば、古明地殿が俺の肩に手を置いたまま身を起こして辺りをキョロキョロと見渡していて――妹殿が、いずこかへとその姿を消していた。
暗い庵の中、灯りもつけずに幽霊の少女は部屋の隅で膝を抱いていた。
生涯の恩人であると信じてきた男は自分から両親と光を奪った張本人であったのだ。今思えば、怪しい素振りは幾らでもあった、自分は無意識にそれを見ないようにしてきたのかもしれない。お守りも遺書も、あの場で投げ捨ててきてしまった、恐らくあのすねこすりの飼い主が回収しているのだろうが、それをまた確認することは叶わないし、したいとも思わない。
そういえば、と消沈の中でふと思う――結局、おじさんはこの幻想郷に来ているのだろうか、ずっと自分を育ててきた、ずっと自分を騙してきた彼自身は……。もし、居るのならば――いや、暴ける亡骸だけでもあるのなら……。
「――あれ? あの飲み物ってどこにあるんだろう……ちょっと、貴方知らない?」
「この声は……こ、こしいちゃん?」
盛大な物音を立てながら散らかす音――むしろ、今まで気づかなかったことが不思議なくらいな騒音――が止むと同時に台所の方から居間へとひょっこり顔を覗かせる影がある。
「おくうとか、皆へのお土産にしようと思ったんだけど……お菓子しか見つからないのよ」
「え、と……か、飼い主さんは許してくれたの?」
「聞いてないから分からないわ」
むしろ、どうしてそんなことを聞くのと言わんばかりの声色だ。初めてその姿を見せたときにも傍若無人な行いに驚いたものだが、自分以外特にそれにツッコミをいれようともしていなかったから、本当に妖怪というのはそういう者なのかもしれない。
少女が何も応えられずにいても、影は特に気にした様子もなく、また別の問を投げかけてくる。
「……あ、そうだ、貴方、妖怪になってお姉ちゃんのペットにならない? お姉ちゃんはああ言ったけど、なんだか勘違いしてるみたいだし……。あの飼い主さんのこと気に入ってるみたいだけど、代わりに適当なの増やせば諦めるかなって」
「その……ごめんね?」
話の展開についていけなくて、口をついて出たのは疑問符が最後につきそうな謝罪の言葉。果たしてそれをどう受け取ったのか、「そっか~」とだけ応えて、影はまた頭を引っ込めた。
「えっと……な、なんで、さとりさんが飼い主さんのこと気に入ったと思うの? 私のために色々頑張ってくれてたのにこういうことを言うのもアレだけど……なんていうか、あの人感じ悪いし……。心を読んでみると、良い人だったりするのかな?」
それは少女の正直な感想である。
覚妖怪や火車に対して『妖怪だから』という理由だけで目に見えて分かるほど態度を変えて、明らかな壁を作っていた彼の態度は、とても差別的で、気持ちの良いものではなかった。それは覚妖怪のしている事の意味が見えず、火車のやっていた事の意味を“見ようとしない”彼女だからこその感想ではあったが。
「飼い主さんは考えを読まれても嘘を続けてくれてるからだと思うわ」
覚妖怪の妹から壁越しに返って来た答えは少女には解しかねるものだった。
返事に困る少女に対して、珍しくこいしはその答えについて長々と解説をつけていく、果たして、どのような無意識に突き動かされたのか――
「――大抵の人間ってね、考えを読まれたと分かると開き直ったりして、もう嘘をついてくれないのよ。嘘をつかせるような気持ちと、ちょっとでも違う気持ちを捨てちゃうことも多いわ……無意識に矛盾を突かれることを恐がって、一色に染まろうとする。それはもうその人の本当の気持ちじゃない……急ごしらえで作った、本音という名の“無意識の建前”だわ。お姉ちゃんは無意識には勝てないから、分からないだろうけど」
矛盾を――相反する感情を抱えるのは珍しくもないこと、だがヒトはそれを意識してしまうと“どちらが本当なのか”を決めて、ハッキリした自分を求めようとする。覚妖怪を通して己を見てしまった者は、観測してしまった故の変化を遂げてしまって――
「鬼の皆は良いじゃないかって言うけど、嘘が全くない環境なんて、嘘よりも本当から遠くて、オマケに詰まらないわ。お姉ちゃんだって無意識にそう思ってて、だから嘘を持ち続ける心に惹かれてる……私はあの飼い主さん、なんかイヤだけどね」
嫌いなヒトは嫌い、好きなヒトは好き、それを繕いもせず、誤魔化しもせず。恐らくはそんな世界に憧れる人間もいるだろう、妖怪に至っては実際にそんな生き方をする者も多い。
だが、そもそも気持ちというのは――心というのはハッキリとした形としてあるものなのか。
“無意識”の中で生きることを選んだ妖怪は、気持ちというモノは意識する度に、認識される度に、観測されやすいように加工されていくのだという。
『自分は何がしたいんだ』と何度も自身に問いかけて、迷いを削ぎ落として、大の欲望で小の欲望を塗りつぶして行く、その果てに出る答えは自分の本当の気持ちなのか。“嘘”を見抜かれる度に生じる変化――かつて心を読むだけでなく、共感もできた彼女だからこそ言える言葉がある。
「結局、“読んだ”くらいでヒトの心なんて分かるわけがない、意識に上がる考えだけが見えたって良いことなんて一つもないわよ」
「……」
なんの意志も宿っていないはずのその言葉を受けて、少女は何かを考えさせられた。その所為でおじさんへの親愛の情を飲み込もうとしていた怒りや憎しみが、その広がりを止めてしまう。
成る程、認識された矛盾した気持ちを持ち続けるのは苦しい、片方に染まりきって楽になってしまいたくなる。もし、迷ってばかりで何もできないようなこの状態が本当の気持ちなどと言うのなら――
「――ねえ、本当の気持ちを知るなんて無理だけど、本当の気持ちで行動する方法はあるのよ」
ふと少女が気づけば、無意識を操る妖怪の声は彼女のすぐ近くにまで来ていた。
そして、気配で手を差し伸べられいるのに気づいて、少女はその手を取る――無意識に、自然と動くがままに。