誰がために人は恐るるか   作:鹿助

21 / 33
21.サトリ

 無縁塚・監視役の庵内

 

 

 

「――あの遺書とお守り、もし拾っていたら返してもらってもいいですか?」

 

 

 どこか晴れやかな、納得と諦観が入り混じった表情――落ち着いたらしい彼女が“答え”を出したと言って、俺たちを庵の中に入れてくれたのが少し前。いつの間にか先に庵の中にいた妹殿が散らかした台所の片付けは後回しにして、俺は彼女の意志を確認していた。

 

 

「……ええ、勿論、こちらにあります。それと外の世界より調査結果が届いています、よろしければ、俺が読み上げますが――」

 

「もういいいです、おじさんが私に嘘をついていたのも、大事に育ててくれたのも事実。無意識に、目を閉じていた――最初から、答えは出ていたんだと思います、私はおじさんを嫌いたくない……だから、このまま彼岸へ渡ります」

 

 

 少女が伸ばした手の中にお守りをそっと握らせながら――俺はそれをなんて残酷な答えだろうと思った。彼の罪は許される許されない以前に、しかと受け取ってもらえることすらない、そう思えてしまった。

 

 俺にはまだ、彼女に考えて欲しいことが幾つもあった。

 彼に嘘をつかせた恐怖は少女に嫌われることに対するものだけだったのかとか、

 彼は飛び降り自殺を図ったときに、背後から飛びついてきてしまった彼女を巻き込んでしまったと言っていたがそれはもしかしたら彼女に罪を被せないための嘘だったのではないかとか、

 

 だけど、そんなことを考えて彼女のなんになるというのだろう。知りたくないと言うのに、無理やりその前に確証もない推論を並べ立ててどうするというのか――迷いを断つためなら兎も角、本人がもういいと言っているのに。

 

 彼女がまだ人格を保った幽霊としてそこにいるのは、妖怪になりかけているからなのか、まだ未練が残ってるからなのか、この場にもし、分かる者がいるとすればそれは古明地殿なのだろうが、その古明地殿は先程から何も言わず、表情も心情を窺い知れない真顔を維持している。妹殿は地底にお土産に持って帰ろうとしていたお菓子や飲み物を取り上げられてからずっと、不満顔で俺を睨んできている。ハタは疲れきっていたのか、座布団の上で就寝中。そして俺は――果たしてどんな表情をしているのか。

 

 知りたくない、というのも一つの選択肢だった、今なら分かる、俺はあの時――

 

 

――断るなら今ですよ。世界を見る覚悟は――“声”の正体を知る覚悟はできていますか?――

 

 

 彼女が無意識に抱いていた見ることへの恐怖を共有していたんだ。彼女の言うことも、逃げという単純な当てはめはできない確かな答えのはずなんだ、今までの絆を信じ、その事実を尊重する答えではあるんだ。

 だけど、これでは――

 

 

「調査結果から同一人物と確信できたのですが、俺は数週間前、貴方の“おじさん”と思しき人物の幽霊に会いました。彼は最後まで、貴方に謝罪したいと、許して欲しいと……」

 

「……そうですか、伝えてくれて、ありがとうございます……でも許す許さないというより、元から私、怒りたくもないんですよ」

 

 

 穏やかな表情――拒絶するでも許すでもない、そのまま受け入れる少女。一体、この短い間に何があったというのか……彼女が『一人にしてくれ』と言った時の拒絶と苦悩は見てとれない。だけど、それは彼が望んだ受け止め方とは何かが違う気がして――

 

 

「……あの――」

 

 

 言いかけた瞬間――俺の視線が“無意識に引っ張られるよう”に少女から妹殿――古明地 こいしの瞳へと吸い込まれていく。いつの間にか、そこには不満の色も失せていて――透き通るような、そんな形容詞が似合う瞳の奥まで、俺は“見通させられた”ような感覚を受ける。

 

 ……ああ、そうか、“無意識を操る”能力――彼女ならば。

 

 仏教の思想に『空』と呼ばれるものがある。

 かつてナーガールジュナ――日本では龍樹の名で知られる僧が説いた思想だ。俺も“術の理論”として知っているだけだが、今の妹殿の瞳はこれを俺に思い出させた。

 それによれば、一つの事象・物事は他の全ての事象・物事との直接的・間接的な因果関係で成り立つものであり、どこにも確固とした“それ自体”は存在しないとしている。『人間とは“人の(あいだ)”にあるもの』と言ったところか……意識できる自分などなく、全てのモノが我ではない――いわゆる無我の境地、“悟り”。“覚”妖怪の力を捨てた彼女の姿がそれを思わせるとは、皮肉なのか、もうひとつの真理なのか。

 ある意味、それは俺の在り方とは正反対かもしれない。自分として、できるだけ多くを知覚して、その上で決断を下す――目に入れずに蹴散らすくらいなら、手に取って重みを知った上で、切り捨てる。俺は他のモノとの関係を受け止める“我”を確かに持ち続けてきたつもりだし、これからもそうありたいと思っているから。

 

 ――どんどん、瞳の奥まで引きまれているような感覚。

 妹殿の能力の所為か、ハッキリと何かを考えられない――靄がかったという言葉とは対極にあるような、過度に澄み切った状態へと、俺の頭が切り替わっていく。

 

 無意識の在り方――ありのまま受けて、そのまま返す――

 

 

「そうですね、それが貴方の、本当の気持ちなのかもしれません……ですが――」

 

 

 だが、俺は――

 

 

――お、お願いだ、もう少しだけ、あの子に謝って、許してもらうまで――

 

 

 かつて共有した恐怖が、俺の思考を無理やり意識の下に引きずり戻す。またも不満そうな顔に戻っていた妹殿から視線を引き剥がし、もう一度、幽霊の少女に向き直る。

 

 

「貴方の望みをできるだけ叶えたい、そう言いましたが……願わくば貴方にも、彼の未れンおッ!?――」

 

「ちょっと――」

 

 

 古明地殿の驚いたような呼びかけと自分の間抜けな声の切れ方。

 気づかぬ間にすぐ隣に来ていた妹殿に、頭を叩かれたのだと認識するのとほとんど同時に、俺の意識は再度、俺の手元から逃げていった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとこいし! 貴方何をしているの!?」

 

 

 気を失い、ちゃぶ台に上半身を預けるように突っ伏した監視役の身を起こさせながら、古明地 さとりは珍しく驚きを表情に浮かべで、半ば怒鳴るように妹に問いかける。そこら辺りにいる外来人ならともかく、幻想郷に条約で認められた“監視役”に危害を加えれば、その犯人への制裁もありうる。地底は厳密には幻想郷ではないが、その地底の住人だからこそ、地上ではむしろ余計にそこのルールに気をつけなければならないのだ。

 

 

「大丈夫よ、叩いたのはきっかけ程度で、深い無意識に落としただけだから。その人ならすぐに自力で意識を取り戻すわ……本当、イヤな感じ」

 

 

 こいしは姉の声の調子も、驚いて口に手を当て言葉を発せられずにいる幽霊の少女の様子も気にせず、姉が容態を確かめるために抱き起こした監視役の顔を覗き込み、そう呟く。

 ――彼女の呟きを肯定するように“妖怪に叩かれて気を失った”という割には傷も跡も何一つ残っていない監視役の呼吸は穏やかかつ正常で。それを確認したさとりは、ひとまずは安心した様子で、監視役を静かに畳の上に仰向けで寝かせ――咳払い一つを置いてこいしに向き直る。

 

 

「なんでこんな――」

「お姉ちゃん、やっぱりこの人、ペットにしてもいいわ」

 

「……はい?」

 

 

 向き直った姉の脇を抜けて、寝かされた監視役の横にしゃがみこみ、その頬をつつきながらの、脈絡のない言葉。

 ――少々の間を置いて、姉が首を傾げながら問にならない疑問符を飛ばすが、果たして返って来たのはその答えか。

 

 

「心なんて、他人のも自分のも、しっかり見ようとしても落ち込むだけで分かりっこないのに……何を――なんで考えてるんだろう?」

 

「……そういうことね……大丈夫よ、彼には貴方を無理やり意識の下に戻すつもりはない、だから貴方も、無意識に連れて行こうとするのは止めておきなさい」

 

 

 馬鹿にしているような、心配しているような、出来の悪い弟子でも見るようなこいしの視線は監視役に向けられたまま――むしろその呟きを受けて、なにか思い至ったのは姉の方で。その姉の言葉を受けてもこいしは「うーん」と肯定とも否定とも取れる声を返すのみ。さとりはくすりと笑ってから、その視線を幽霊の少女に向ける。

 

 

「――さて、どうしますか? “飼い主さん”は“おじさん”の気持ちを汲んだ上で、貴方にそれを受け止めて欲しかったみたいですけど、どうやら私の妹はそれとは違うことを望んでいるよう……。気持ち全部をそのまま受け入れるのか、一つ一つを確かに受け止めるのか……貴方が望むなら、飼い主さんの考えて欲しかったことを、私が読み上げてもいいですよ」

 

 

 何か言いたげにこいしがさとりに視線を向けるが、さとりがちょっと険し目の視線を返すと、それから逃れるようにまた監視役の頬であそび始める。

 

 こいしの力を受けて、無意識をたゆたうような感覚の淵にいた幽霊の少女であったが、今度はしかと意志を持ってその視線と言葉に向き直る。こいしが無意識に説いたことも、飼い主さんが強い意識を以て訴えようとしたことも、もう確かに察しはついていて――

 

 

「私は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開ければ、そこにあるのは見慣れた充電式の電灯――ああ、そろそろ手入れしなきゃ、と漠然に考えたのは一瞬のこと。

 ――俺はすぐに両腕と腹筋の力で飛び起きると、身構えた。

 

 

「――おはようございます、と言ってもまだ夜明け前ですけど……お茶、淹れましょうか?」

 

 

 身構えた俺の後ろからの声――振り返ったそこのちゃぶ台についてお茶を啜っている古明地殿からは、特に敵意は感じられず、妹殿と幽霊さんに至っては姿も見えない。視線を巡らせば、気持ちよさそうに寝ているハタの姿も確認できる――それでも一応、警戒を解かずに、いつでも“武装”を展開できる状態のまま、俺は古明地殿に問いかける。

 

 

「妹殿と、彼女は?」

 

「こいしは帰りました……すいません、お土産を持ち帰るのは止めることができなくて……お燐に御返しを持って来させますから」

 

「結構です、俺は気にしていませんが……勝手に“監視役”の所有物を奪ったことについては八雲殿と折り合いをつけてください。気絶については……まあ、無意識妖怪のじゃれ付きだと思って流しましょう、これがおおごとになるとお互い面倒でしょうし」

 

「……助かります」

 

 

 いつもの毒気というか、見下した感じがないと逆に戸惑いを覚えてしまうな――小さく息を吐き、心身を緊張を解いて、そんなことを考える俺に小さく吹き出す古明地殿に向けて、問いを重ねる。

 

 

「予想はつきますが、彼女は――」

 

「ええ、三途の川へと向かっていきました……犯罪者の事情と思いを一つ一つ受け止めて考えることはなく、ね。賭けは……なかったことにしましょう、私もそんな気分でもありません」

 

「……」

 

 

 その言葉を受けたとき、俺の胸に去来したのは落胆と、それと同じくらいの安堵と、その二つより少しだけ大きな寂寥感だった。大きくため息をついて、彼女とのやりとりを思い返す――それが気絶する瞬間にまで差し掛かったとき、俺の質問を先読みして、古明地殿が口を開く。

 

 

「はい、恐らくこいしはこいしなりに彼女を助けようとしたんでしょうね……見るのでなく閉じることを選んだ身同士、思うところがあったのでしょう」

 

「……そして、実際に彼女を救ったのは妹殿だったわけですか……やれやれ、我ながら不甲斐ない」

 

 

 俺の独り言のような呟きに、古明地殿は何も返さない――俺の心の解釈というフィルタを通して、彼女は妹に何を見たのか。俺もちゃぶ台につき、古明地殿がそうしようとするより先に、自分で自分のお茶を淹れる――まあ、急須のお湯も湯呑も、古明地殿がちゃぶ台の上に用意していた時点で、これはなんとも些細な抵抗な訳だが。

 

 

「……もしかしたら、私がすべきことは、こいしが“目”を開いた時に備えることでなく、こいしが“目”を開かなくても良い様にすること……なのかもしれませんね」

 

 

 先ほどの俺よりももっと独り言に近い、小さな呟き。俺は内心の驚きを表情には出さず、湯呑に視線を落としたままの古明地殿に、少しのためらいの後に問いかける。

 

 

「俺の立場では、是とも非とも言えませんが……よろしいのですか? 貴殿は――」

 

 

 覚妖怪――心を読む妖怪、それなりに知名度を持ち、相応に強力であるが、明確な弱点もある。それは“無意識”――ある逸話では木こりが無意識に散らした木のクズが、また別の逸話では旅人が無意識に蹴飛ばした“小石”が、その目を傷つけ覚妖怪を退散させている。意識した動作に対して強くなったせいか“無意識”を相手にすると、それが一般人の成したことであっても十分な苦痛になる程に弱くなってしまっているのだ。

 

 そんな妖怪が無意識を操る存在に対して、その感情を抱かないわけもなく――

 

 

「随分前に“共有”されてしまっていましたね……からかわれてもそれを指摘しなかったのは、情けのつもりですか?」

 

 

 俺の心を読んでいるはずなのに、古明地殿は何かを期待しているように視線を向けてくる。俺には、彼女の心は読めはしないが、きっと読めても、理解はできないのだろうな――

 

 

「……俺も恐いのにわざわざ話題に出せますか」

 

 

 それを妹にバレて、嫌われてしまうかもという恐れ抱いてなお、その時を迎えるために準備をしていたお姉さんに、そんな真似ができるかよ。俺は、他人のトラウマほじくり返して喜ぶような覚妖怪(お前たち)とは違うんだよ、それぐらい悟れ。

 ――案の定と言うべきか、俺の答えを受けて古明地殿は楽しそうに笑いを漏らす、そこにはいつものからかう調子も戻ってきていた。

 

 

「――ふふ、でも、そんな私も一つ、自分の無意識に気づけましたよ……だから、心配無用です」

 

「……会話がつながってませんよ」

 

「私が、貴方を無意識に気に入った理由なんですけどね……」

 

「はは、何をいきなりご冗談を……」

 

 

 それはアレか? 野犬が人肉の味を覚えて気に入ってしまったとか、そういうニュアンスの気に入ったか?

 ――少し前に、俺は覚妖怪のことが嫌いではないと心の内で省みたりもしたが、古明地殿のことはやっぱり嫌いかもしれない。何故なら、俺が古明地殿と“無意識を操る存在”への恐怖を共有しているのを知った上で、今まで見たこともないような明るいの笑顔で、こう言いやがったのだから。

 

 

「貴方は似てるんですよ、昔の――“目”を開いて、皆の心を受け止めていた頃のこいしに……どことなく」
















これにて古明地姉妹編、終了でございます。
文章力も勿論ですが、人間力の不足を痛感しました、なんでこんなテーマに手を出したんだと。

これからは更新は少しペースダウンしそうです、ご了承ください。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。