「――あら……それでは、自分の手で拾った猫と人の子を育てたいと……」
「ああ――じゃなくて、はい……外来人ですし、親もいなくて大変でしょうから。
……でも、子猫の方は兎も角、人間の赤子を相手にするのは初めてで……種族柄、面倒を見ることの呑み込みは早い筈ですが……」
朝、と呼べる時刻がもう完全に過ぎた頃。
人里の近郊に位置する寺、命蓮寺――そこを渡世人の格好をした旧鼠が訪ねて来たのが少し前、初対面を装ったその鼠が住職――白蓮に相談したのは、自らが拾った人の赤ん坊と子猫二匹を育てたいので、それを手助けして欲しいということだった。ちなみに、その赤ん坊と子猫達はと言えば、丁度、旧鼠と白蓮の真ん中の位置で、すねこすり――連れてきた旧鼠は知り合いのペットだと紹介した――にあやされる様にじゃれあっている。
その微笑ましい様子に笑みをこぼしてから――不意に真剣な表情で、白蓮は旧鼠に向き直る。
「――先程も言ったとおり、協力しますよ……しかし、貴方は旧鼠、いざというときは――」
「大丈夫です、詳しくは知りませんが“コレ”を付けておけば、その時にはこの――えっと、知り合いの武芸者がなんとかしてくれるそうですので」
そう言って旧鼠――
「武芸者……彼も色々と難儀しているようですね」
言いながら、視線をやるのは障子の向こう側――旧鼠の知り合いの武芸者というというていでやってきた、どう考えても監視役だった人間のいる方である。旧鼠の服装と同じような渡世人調の服の上から大きな襟を立てた紺の外套を纏い、三度笠を深く被って顔を隠していた。初めは周囲を刺激せずに外の世界の妖怪退治屋が妖怪の寺に出向くことへの、建前のための変装かと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。
無縁塚で毒気にされた赤子と子猫を救うために治療を施したようだが、それは相当荒っぽいモノだったらしく、赤子にも子猫にも、気配を感じ取られただけで泣きだされる様になってしまったのだと説明を受けた。それを語るときの旧鼠の微かに怯えた様子とナズーリンから聞いていた話を合わせれば、何があったのかは大体想像がつく。
赤ん坊だけなら顔を隠して声を上げなければバレないようだが、子猫の方は近寄れば気配と匂いで本人を識別してしまうらしく、赤子もその子猫から何かを感じ取ってしまうようで……。結局、顔を隠した上に一定の距離をとって……そんな面倒な見守り方になってしまった監視役――もとい、武芸者は今、境内で待っている筈だが……。
「そうですね、彼からも話を聞いておきましょうか……では、瑞子さん、この子達を見ておいてください」
そう言って、白蓮は立ち上がり、歩き出す。
もしかしたら、真に赤ん坊の幸せを考えるなら、人間の引き取り手を探すべきかもしれないが――彼がそうしないのは、単に旧鼠の暴走を恐れてのことなのだろうか?
そんなことをふと考えながら、障子の向こうの縁側へと出ていく彼女を出迎えたのは、驚くべき光景であったが――
妖怪のための寺の境内の隅っこにて、俺はただひとり、某ブロック状栄養調整食品をボソボソと咀嚼しつつ事の推移を待っていた。先程、尼装束の少女と見越し入道らしき雲がこっちを威嚇するような視線で一瞥くれてから人里の方へ向かっていった――恐らくは人里の赤子の育て方を知る人間でも探しにいったのだろう――以外、誰も出迎えにも迎撃にも出てこない、まあ、こられても面倒だけど。
流石に、俺が監視役ということは完全にバレているようで、どう対応したものか、決めかねているのだろうか……まあ、無縁塚方面からやってきた人間、となれば明白だよな。だが、俺とナズ姉さんの関係については知っているのは白蓮さんだけのようだし、このまま適当に距離を保ちながら――
「――保ちながら、事を進めたかったんだが」
つぶやく俺の上空を“よくわからない何か”が飛んでいる。笠を深く被って気づいていないフリをしているが、ロクな時間稼ぎにもならないだろう――ほら、周り飛んで、メッチャ煽ってきてるし。どうしたものか、と考えながら箱から次のブロックを手に取り口に運び――
「――ふぐッ!?」
一口で半分を口の中に入れたのに、咀嚼しても味がしなかった。不自然なまでに無味、感触さえわからない、正しく“正体不明”な感覚が、俺の口の中を支配する。残った半分を持ったはずの手元が視界に入るが、それもまた“よくわからない何か”になっており――思わず投げ捨ててしまう。
「あら、食べ物を粗末にするなんて……寺のど真ん中で、罰当たりなこと」
聞こえた声に顔を上げてみれば、空中を飛んでいた“正体不明”の飛行する何かが、俺の眼前でぷかぷかと浮遊している。だが、聞こえた声も何か奇妙だった――男のモノか女のモノか、子供か、老人か、それが全く判別できないのだ。
先程からうるさくエラーを訴えてきている視覚と同じく、聴覚も惑わされているのだろうか――そこに確かにあるはずなのに、それが何か“分からない”、能力式神を自分に憑けて、知覚と認識の“エラー処理”を行えるようにしていなければ、平静を保って立ってはいられなかっただろう――理解できない何かを知覚し、認識で受け止めるのは少しばかり工夫が必要になるのだ。
……ちゃんと俺が退治屋って分かっててこういうことしてるんだろうな……。
「……貴殿の仕業ですか……俺が今投げ捨てたのは、ちゃんと“食べ物”なんでしょうね?」
妖怪に化かされた人間が、食べさせられるモノには“お約束”というものがある。
特に多いものは二種類――その一つは人肉だ。
カチカチ山の例を出すまでもなく、それは妖怪が嫌がらせとして人間に食べさせるモノとしては、最も思いつきやすいものであるからだろう。……偶に、悪意なく人肉を食わせようとする妖怪もいるらしいが。一説によると、大江山での鬼退治の際、源頼光とその部下達は鬼たちを油断させるために饗された人肉を喜んで食べて見せたそうだが……まあ、これは例外だな。
もう一つは、馬糞である。
コックリさん――
思わずそんな事を思い出して、確認してしまう――いや、流石に庵から持ち出した物であるし、気づかれずにすり替えられたとは思わないが、妖怪相手だと“そういうことができると決まってる”で、ひっくり返される事もよくある訳で……。
「ふふん、貴方にはどう見えてる? その食べ物と、私の姿」
そんな俺の不安が声に滲んでいたのが嬉しかったらしく――その感情は声の調子からなんとか読み取ることができた――その“正体不明”は明るい調子で問い返してくる。
ああ、すっごい楽しそう――まあ、悪戯で満足してくれるなら、俺としてもそれでいいけどさ……。
しかし、問いの意味は理解しかねる。どう、と言われても――地に落ちたソレも、宙に浮かぶアレも、目を凝らしてよく見ようとしても、頭に届く情報は“認識できない”というエラーメッセージだけであるのに。
「……そりゃ“正体不明”としか言い様がありませんよ、貴殿の力に依るものではないのですか?」
「へぇ~……正体不明を、正体不明として見るなんて……よっぽど想像力の乏しい人間なのかな?」
何故かは分からないが、俺はあの妖怪に馬鹿にされたようだ。はてさて、この妖怪は命蓮寺に縁のある存在なのだろうか、そうであるか否かで、取るべき対応が少し変わるのだが……。
「普通の人間じゃ下手すりゃ発狂しますよ、寺の評判を落としたくなければもう止めておくことです……まあ、俺が誰か分かっててやってるんだとは思いますが」
「普通の人間は正体不明をそのまま捉えたりしないって……勝手に心で補完して幻視するものなんだから、心配いらないわよ。……人間ってそういうものでしょ、よく分からないものは分かるものに勝手に当てはめて、それで安心しようとする……でも、貴方は違うのかな?」
俺の言葉に答えてはいるが、その調子は先程から半ば独り言のようなものになっている。だが、その言葉からなんとなく正体は読めてきた――隠しん坊みたいな“隠し神”か、“ふるやのもり”の例を考えると“乗っ取り”もありうるか、大穴で伝説の
「勝手に補完ね……それで安心できるなら“切っ掛け”としては上等ではありませんか。俺みたいにビクビクしてるよりは、わかった気になってでも接してくれた方が、そこから人と妖怪の関係の改善も測れましょう。そちらの方が、命蓮寺の目指すところとしては好都合なのでは?」
頭を考え事に使いながら、その片手間に返事を述べたからか、俺の言葉は少々無感情な響きを持っていた。実際、命蓮寺として好都合でも、あの妖怪自身としてはどうなのだろうな、と思う――正体不明が存在意義の妖怪が人と分かり合っては本意喪失、かといって、勝手に“安心できる何か”に置き換えられても困るのではないだろうか。
「う~ん……それはそうみたいなんだけどね。元人食い入道だって、今じゃ里の子供の人気者だし。そうだ、外来人の退治屋さんに聞きたいん――」
「俺はただの流れの武芸者です」
「うわ、面倒くさい男。まあいいや、じゃあ貴方の意見を聞かせてちょうだい……外来人ってさ、割と人食い妖怪を恐がらない奴らが多いのよね。この前も『妖怪は人を食べるけど、人間だって他の動物を食べるから、同じようなものだ』みたいなこと言ってた人間が来たけどさ~。実際、どうなのよ? もしかして、外の世界の人間って自分たちと同じ言葉を喋って、泣きながら命乞いする動物を“喜んで”殺したりするわけ?」
この様子だと、命蓮寺に所属している妖怪のようだが――ふむ、そういう話か。妖怪にとっての人間のような存在――自分が自分であるために、害するべき対象――は、人間には存在しない……比較する妖怪によっては完全な的外れとは思わないが、『人間が○○するような~』という置き換えはそう成り立つわけではない。それでも、一部の人間は妖怪の行動原理を自分たちも理解できる“何か”だと勝手な決めつけ、その理解の及ぶの範囲内に置こうとする――それもまた、外の世界の人間が、妖怪を追い出した“武器”の一つであるからな、外来人にその傾向が強いのも、さもありなん、と言ったところだ。
恐らくはあの妖怪も、本気で聞いている訳ではないのだろう。自分に理解できないモノをアレだコレだと幻視して恐れるはずの人間が、理解できないものを理解できる何かだと決め付けて恐がりもしない、その不満を訴えているのか、あるいは――
――全く、つくづく妖怪というのは、勝手な生き物だ。
「さて……そういう人間もいるかもしれませんね……などという逃げは置いておくとして、『同じようなもの』と言った人々の想像は、それとはちょっとずれている可能性が高いですね。俺も、そういう置き換え自体が的外れだなとも思いますが……別に悪く言うつもりはありませんよ。合っていようが間違っていようが、結果として人のためになるのなら、その過程で妖怪が得しようが不満を抱こうが、どうでもいいですから。まあ、見方を変えれば、彼らは自分を騙してまで妖怪に歩み寄る努力をしているとも言えます、そう邪険な言い方をせずとも良いではありませんか」
「む……退治屋ってもっとこう、妖怪は退治するものだー、みたいな感じの奴らじゃないの?」
監視役のすかした返事が気に入らなかったのだろか、正体不明のソレは反発を隠しもせず、問いを返す。彼女が思い浮かべている幻想郷の“妖怪退治”は妖怪の存在意義を満たすためのもの、“そういうものである”という形式や、決まりを守る事には大事な意味がある――妖怪のためにも、引いては絶妙なバランスに守られている人間のためにも。外の世界の妖怪退治はあくまで人の平和のための一手段であり、当然、その在り方も変わってきている。
「俺は退治屋じゃ――……まあ、もういいか……ケースバイケースですよ、結局のところ。で……貴殿はどうなんですか?」
「……へ?」
ここでの監視役の問い返しは予想外だったのだろう、発せられたのは短い疑問符のみ。その表情を笠を深く被って隠しながら、監視役は言葉を続けていく――
「人間に虐げられてきた妖怪を救い、人間と妖怪の平等を掲げる命蓮寺――その理念の達成には人間と妖怪の相互理解が必要でありましょう。ですが、それはともすれば、妖怪の本意に反することでもあります……実際、多くの妖怪から相手にもされてないようですしね。……影響力が増せば、より積極的に異を唱える妖怪も出てくるかもしれませんが……まあ、それは先の話になるでしょう。で、貴殿はどちらなのですか? 命蓮寺の正体不明妖怪さん……人間に分かってほしいのか、そうでないのか」
「それは……」
正体不明の妖怪は言葉を詰まらせる。彼女は正体不明の種の撒き散らし、人間が恐怖と混乱に呑まれる様を見ている時こそ、己の存在意義を満たされる心地にあるような妖怪だ。この寺の住職と出会い、感化はされたが……正直に言ってしまえば、その人柄と優しさ、寛容さに惹かれただけで、人間との平等や世の平穏にはそれほど興味がない。それをそのまま口に出すのは、あまりに薄情の様に思える……少なくとも住職は聞けば表に出さずも悲しむだろう。
だが、彼女が真に心配しているのは、そういうことではない。彼女の様な妖怪には分かるのだ、妖怪のプライドや、その在り方への拘りが。命蓮寺は人里に近いその地理や、先程言ったような“切っ掛け”となる外来人のお陰もあって、少しずつではあるが、着実に人間の信徒を増やしてきている。もし、命蓮寺の影響で人が妖怪を恐れずに受け入れようとするような日が来れば、大部分の妖怪たちは間違いなく、それに反発するだろう。そうなれば住職は、かつて守っていた人間たちにそうされたように、今度は救っていた妖怪たちに――
そんな考えを巡らして黙り込んだ正体不明の妖怪を見上げながら、監視役は音を立てずにため息をつく。そして、少しの逡巡の後、肩をすくめて――
「ま……俺はそんな事はどっちでもいいですが……これだけ言っておきましょう。命蓮寺の思想は人間にとっても、都合がいい……予想できるその障害については、相応の動きをしますよ、監視役は。わざわざ煽り立てて、命蓮寺の邪魔をさせて、その時を遠ざけようとしなくたって……もっと卑怯で確実な手を用意しますよ」
苦笑を笠で隠しながら、そう述べた。少しの間、沈黙が流れて――ふむ、と一息を置いた後、監視役はまるで井戸の深さを調べるために小石でも放り投げるような調子で、取ってつけたような言葉を投げかける。
「住職殿自身の幸せを思い、その為に彼女の理想を邪魔するような真似をすべきか……思い悩みながらも、その良悪はさておいて、決断し、行動する。貴殿も健気なものですね、わざわざ外の世界の妖怪退治屋にまで接触を図るなど……不器用ではありますが、そういう優しさは嫌いではありませんよ」
「な、違う――」
正体不明の妖怪は慌てたように声を上げるが、その心が乱れて力が弱まったのだろうか、監視役にもその輪郭が朧げに認識できるようになっていた。図星を突かれたのだろうと解釈しながら、監視役は妖怪を見上げて両手のひらを見せるように挙げて言葉を付け足す。
「ええ、勿論、分かっていますよ、もし本当にそんな事を企んでいたなら、それは命蓮寺への反逆となってしまう。貴殿はただ、怪しい流れの武芸者の人となりを調べるために接触して……その中で相手が何か妄言を吐いた、これだけの事です」
「……そ、そうだけど……そうじゃなくて……」
「……ふむ?」
何か言いよどむ正体不明――少女のそれだと認識できるようになった声色からは監視役が予想した“企みの露見してしまう事への焦り”のような物は感じ取れない。確認できない声の発信元に視線を向けてたまま、監視役は首を傾げる――はてさて、だとするなら、先の慌てたような様子は一体……。
「――私は、ただ――人間なんて――恐がってて欲しいだけだから――別に聖のことを――」
ボソボソと、途切れ途切れにしか耳にしか届かない呟きを聞きながら、しばらく考え込んでいた監視役だったが、やがて、合点がいった様子でポンと手を叩き声、を上げる。
「ああ、照れ隠しか……成る程な」
――監視役の笠が叩き込まれた光弾によって弾け飛んでいったのは、微笑ましげなともニヤついたとも言える笑みを浮かべた口元が、その言葉を言い終えたその一瞬後であった。
結果論ではあるが、監視役はこの時、不用意に言葉を発するべきではなかっただろう。でなければ、妖怪が女性の可能性が高いと判断できた時点で距離を取るべきだった。
すっかり正体を現した少女の姿をした妖怪――封獣 ぬえ――が赤面しながら、眼下――丁度、スカートの裾の中が覗ける位置――にいるニヤついた表情を浮かべた男に弾幕を叩きつける。
こんな絵面が見る者にどんな印象を与えるか、それがどれだけ手間を増やすか――まあ、予想できる方がおかしいのだけれど。