誰がために人は恐るるか   作:鹿助

27 / 33
27.前夜

 旧鼠、古喜 瑞子にとって、命蓮寺での生活は快適で満ち足りたものであった。命蓮寺の面々のことを知らないフリをするのは最初は少々疲れたが、慣れて縁ができてしまえばどうということはない。正直なところ、聖 白蓮には見抜かれているような気もするが、指摘してこないなら別に構うことはないだろう。

 彼女は入信した訳ではなく、あくまで頼っただけであるので、修行に付き合わされることはない。そうでなくとも、子らの世話に集中できるよう、先輩妖怪たちも気を回してくれているようで、彼女にかかる負担は軽いのだ。その世話についても、最低限の知識さえ得てしまえば、旧鼠としての本能がすべきことを教えてくれるし、赤子も子猫も、彼女の傍にいるだけで安心し、大人しくしてくれる――仮に実の母でも、ここまで上手くはいかないというくらいに。

 だが、彼女の中で赤子と子猫への愛らしさが募るにつれ、それに比例するように、ある欲求が膨れ上がっていく。

 

 食べてしまいたいくらいに愛らしい――否、愛らしいからこそ余計に食べてしまいたくなる、それこそが旧鼠の本能だ。未熟な天敵を保護し、育て、優位に立つことで力を高め――喰らってそれを己が身に定着させる、そうして、初めて“旧鼠”として完成する。

 そうして、力を得た旧鼠はその味の虜になって同じことを繰り返す場合もあれば、その力を頼りに自制し、罪滅ぼしのつもりで“未熟な天敵”の同種に貢献する場合もある。

 だが“初回”は必ず、喰らうか、何らかの外的要因によってそれに“失敗”するかしかない。命蓮寺の面々はてっきり、瑞子が“初回”を終えた旧鼠だと思い込んでいるが、それは誤解だ。古喜 瑞子は未だ、保護下の者を喰らったことがない、故に自制できるだけの力もない。

 

 とはいえ、人の子は未だ赤子、子猫の方も生まれたてに近い。大抵の旧鼠が対象が育ちきるか、“自分に並ぶ直前”で喰らおうとすることを考えれば、その食欲も、まだまだ自制できるレベルのはずであった。もし白蓮が正体を見破っていたならば、その間になんとかしようと考えていたのだろう。だが、旧鼠は既に、その自制心の(たが)の留め具を外しかけていて――

 

 経た時間はたった数日――彼女にそうさせているのは、主の帰還の前に事を済ませてしまおうという思案か、これまでの“失敗”の中で積み上げられた焦りや不満の欲求か。

 あるいは、また別の――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜――修行を終え、ほとんど寝る必要もない妖怪たちは多くがそれぞれ思うところに遊びに行って命蓮寺にが静かになる頃合。

 子供と子猫を寝かしつけ、その様子を見守る役目をすねこすりに預けて縁側の一角に出た瑞子は、そこに小さな光と人影を見つける。

 

 

「――随分、久しぶりな気がするな。

 この時間は聖と代理様から説法聞く予定じゃなかったのか?」

 

「こっちは四六時中見張ってるから、久しぶりって気はしないがな。

 ああ、それはなんというか……俺が長時間傍にいると、寅丸様が疲れてくる、というか、そわそわしてくる感じがしてな、適当な訳並べて抜けてきた。

 多分、根は感情的なのに、俺の前で超然とした態度で威厳つくってるんだろうな、あの様子は……」

 

 

 ペンライトを口に咥え、それで照らし出した手帳に何か書き込みながら、少々聞き取りづらい発音で応じる武芸者。その返事の内容は瑞子には、なんとも彼らしい言葉のように聞こえて――ククッと喉の奥を鳴らすように小さく笑い、その隣に腰掛ける。果たしてそれをどう受け取ったのか、武芸者は手を止め、目だけを動かして、瑞子を視線に捉え――

 

 

「別に気を遣った訳じゃない。ただ、身内でもなんでもない流れの武芸者に、本尊が態度を崩すような切っ掛けが生まれても困るってだけだ……建前は大事だからな」

 

「下手すると、ナズーリン様の気苦労も増えそうだしな」

 

「……そういう結果も、あるかもしれないな」

 

 

 どこかムスっとした様子で、また視線を手帳へと戻し、手の動きを再開させる。

 

 しばらく、沈黙が流れた。 居心地のいい、静かな――話を先へ進めようとする意志の後ろ髪を引くような、そんな沈黙。紙を滑るペンが立てる、サーサーと忙しそうな音をだけが、その怠惰な空気に反抗を試みていて――

 

 

「……さっきから、何を書いてんだ?」

 

「もし、この寺に人間の門弟が来たときのための、注意書きみたいなものだ。……お前も、守ってくれそうな存在の一つに数えていたんだがな……お陰様で大幅書き直しだ」

 

「それは、悪いことをしたな……」

 

「そう思うんなら、お前も適当にためになりそうな事を書き足しておいてくれ、俺の文章に勝手に注釈入れてくれてもいい。あ、内容は誰にも言うんじゃないぞ?」

 

 

 そう言って、武芸者はその手帳とペンを旧鼠に投げて寄越す。少し驚いた表情でそれを受け取った瑞子は、少々の間、それをじっと見ていて――ふと、どこか寂しげな笑みを武芸者に向けた。

 

 

「ああ……明日の夜――そうだな……大体、月が一番高く昇る頃に、返しに行くよ」

 

「……分かった、その頃だな」

 

 

 それを受けた武芸者も、ペンライトをふところにしまいながら、重く、一つ頷いて。ふうと一息つくと、瑞子は思い切った調子で更に言葉を続ける。

 

 

「じゃあ……監視役に、あの子達を渡す……たった今から、彼らは監視役の保護下だ……悪いが、流れの武芸者、お前が連れて行ってやってくれ」

 

「……気を遣わせたな……」

 

「気を遣った訳じゃない、ただ監視役が命蓮寺の妖怪に態度を――」

 

「……」

 

「軽い冗句だよ、そんな睨まんでって」

 

 

 クククと喉を鳴らし、その攻撃的な双眸を細めて笑う旧鼠に、監視役はふん、と鼻をならして視線を前に戻す――と、驚いたように目を開いて。

 

 

「一筆もらおうかとも思ったが、必要ないみたいだな――証人がそこにいる……スキマ妖怪の式だ。監視役の監視役とはな――お仕事お疲れ様、今は手持ちがないから、おやつはやれんぞ」

 

 

 そう言った武芸者の視線の先には、地に降りて闇に溶け込む様に佇む一羽の烏がいて――まるで武芸者の声に応じる様に、カーと一鳴き返して、その場を飛び去っていった。

 

 

「……では、あの子達が起きないうちに行くとする、住職殿にはもう話を通してあるからな。他の妖怪方々にはお前からついでに――いや、いいや、何も言わなくても……勝手に逃げ出したとでも思ってくれるだろう、もし――」

 

「わかってるよ、封獣様や村紗様がもしも、悪いことしたかもって気にしてるようだったら、適当にフォローいれとくよ」

 

「……これから来るかもしれない人間のためにも、反省を促しておいてくれ、と言いたかったんだが。まあ、そうなる可能性も低いだろう……封獣殿には少々、あ~、相手をしてもらったが、他とはロクに話もしなかったしな、気にも留めんさ」

 

 

 やれやれとでも言いたげに首を振りながら、武芸者が立ち上がる。反射的に自分もと立ち上がりかけた瑞子だが――

 

 

「――では、またな」

 

 

 その頭を抑えるように、背を向けて歩き出しながら発せられた短い言葉。少し躊躇うように間をおいた後、相手の視界に入っていないのに、頷きのみを返事とした(ふる)き鼠は、暗い空を仰ぎ見て――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――行ってしまいましたか、結局、お互いのことはよく分からずじまいでした」

 

 

 武芸者の気配が消えた後、しばしの間を置いて、暗がりから歩み出ててきたのは、この命蓮寺の住職、聖 白蓮。少し前に武芸者が座っていたその位置に腰掛ける彼女を、瑞子は苦笑で出迎えて――

 

 

「聖も人が悪い……私は途中から匂いで気づいてましたけど……いつからいました?」

 

「我が寺のご本尊も、まだまだ修行が足りませんね」

 

「ほとんど最初じゃないですか」

 

 

 笑いながら応える瑞子――暗がりから見る限り、どこか沈んでいた彼女のその様子に、白蓮は安堵するように小さく息を吐く。

 

 

「私がナズーリン様のことを知っていても驚かないんですね」

 

「勿論、貴方も私達の仲間ですから、ちゃんとわかっていましたよ」

 

 

 その笑いの勢いに続くような形での確認にも、即答して、慈母の如く笑みを向けてみせる。瑞子はどこか照れくさそうに、その頭の上の耳の付け根を掻きながら、視線を前へと戻してしまったが、悪い気はしていないようで。

 

 

「……はあ、聖には敵いませんね」

 

「ふふ、どうやらあの子にも、頭が上がらないようでしたけど」

 

「情けないことですけどね……だって、勝てなかったもんなぁ」

 

 

 どこか遠くを見るように、瑞子の視線がすうっと上へと上がっていく。その様子を見て、聖も前を向きながら、静かに、問う――

 

 

「やっぱり、彼が――“未熟な妖怪退治屋”が貴方の最初の、保護対象だったんですね?」

 

「まあ、ね……お膳立てばっちりで罠が張り巡らせてあった状態からとはいえ……――」

 

 

 懐かしそうに、寂しそうに、応えながら思い出すのは人間の少年が自分に武器を向けた――自分に甘えてくれなくなった、その日のこと。

 

 

――時間切れだよ、僕はもう、ミズ姉さんよりも強い……僕が上なんだ、だから……瑞子、安心してかかってきていい、お前の牙は僕には届かない――

 

 

 保護対象を求める本能を抑える封印こそ、その師の助けによるものだが……それを施す前に彼は確かに自分の力で、不完全とは言え妖獣旧鼠を退けたのだ。カッコつけたこと言った割にボロボロだったのは、ご愛嬌、といったところか。

 

 

「正直に言えば、何度か考えたりもしたんですよね、一度、保護対象を――特に人間なら、一回だけでも喰ってしまえば後は自由に動けるだろうって。“もう”人を襲わない、無闇に正体を広めない、という約束があれば、外の世界の退治屋も割と許してくれますからね……厳密には戦力の問題から、許さざるを得ないんですけど。ナズーリン様のお付きをやっていられるかはわかりませんが……例えば、きっと命蓮寺は受け入れてくれたでしょう?」

 

「例え、始まりが打算的なものでも、心から悔いて、『人喰い』を乗り越える意志があれば……はい、きっと受け入れたことでしょうね」

 

 

 言葉を濁さずに、はっきりと応える白蓮。批判があれば、正面から受け止めて見せると言わんばかりにそこに籠った意志に、瑞子は苦笑して、頭を横に振って見せて。

 

 

「昔、監視役が監視役じゃない時にね、言ってたんですよ、『改心した悪い人より、最初から良い人の方が良いに決まっているが、それはそれとして前者を褒めた方が効率的だ』って。妖怪だけじゃない、人間の悪い奴だって、それを認めてもらえなきゃ改心なんてなかなかしないってことらしいですが……実際、そうかもしれません。……幻視できちゃうんですよね、私がそうして真っ当になることを邪魔されないように、食い殺された人の子の怨霊と人知れずに戦ったりするアレが……ま、それは決して私のためじゃないけど」

 

「妖を法の内に迎えんとするならば、化外にいた時の罪を、遡及して罰するべきではない……そういえば、彼は私にもそう意見してくれましたね」

 

 

 言いながら、白蓮も数日前のことを思い起こす。あくまで“武芸者個人の意見”という体で、監視役が語った、人と妖怪の共存を前提とした法の在り方――それは明らかに、外の世界の退治屋が最悪の事態に備えて用意しているのであろう、計画の一部だった。“政教分離”や“暴力の独占”を当然とした環境の人間の考えらしく、正直なところ、それは白蓮の考えとはかなりズレたものであったが……。

 

 

「……猫や猛禽で済ませようとも思ったんですけどね。やっぱりダメでしたわ、どうにもこうにも情が移って、食い殺すのが恐くなってしまう。その子達は、やっぱりその子達でしかない、後で“代わり”なんて見つからない、私の手元にいたのは“未熟な天敵”なんて名前じゃなかったですから」

 

 

 自分の逡巡に囚われていた白蓮は、瑞子が話題を戻したことに気づくまで、少々の間を要した。どこか彼女たちがこの寺を訪ねてきたその日に聞いた、武芸者の言葉を思い出させるその呟きに、白蓮は言葉を以て応えることはしなかった。

 

 

「……瑞子さん、旧鼠は天敵を育てていくことで、力を増していく妖獣です。たった数日……ロクに力も強めずに、貴方は敢えて――」

 

「――ただ手加減されやすくしてるだけですよ、私も痛い思いするの嫌ですし、多分、アレも痛い思いさせるの嫌ですし」

 

 

 手をヒラヒラ回しながら、顔を伏せて、白蓮の言葉の先を止めるように言葉を差し込む。そのまま、逃げるように立ち上がり――

 

 

「じゃあ、ちょっと休んできます、明日の夜にはあの子ら探して徘徊はじめちゃうと思うんで、朝昼の内に皆様に挨拶しとかんとね」

 

「ええ、おやすみなさい」

 

 

 暗がりに、姿を消していく旧鼠。その姿を肩ごしに見送ってから、白蓮は考え事をするように、その視線を夜空へと上げる。

 

 

「……これでも、あくまで彼は人の世のために、戦うのでしょうか? ……もし、彼が、彼女の――妖怪のために、戦うという気持ちを隠しているだけならば――」

 

 

 誰にも届かない独白――一分も経たないうちに、彼女もまた、その場を後にする。

 他の二人と同じように――それぞれの意図と準備を、同じ夜の下に、運び込むために――

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。