かつては地獄の繁華街、今や忘れられた怨霊の牢獄――ある鬼をしてそう称せらる地底の都。
人間と比べて、怨霊に対して“相性が悪い”モノが多い妖怪であるが、鬼や火車をそれを管理・封じ込める役目を負い、逆にその存在を利用することによって、生きている人間に依存しない営みを実現している。しかし、数日前に現れた一匹の不可思議な妖怪と地底のそれとは別の怨霊の群れ、そしてそれに取り憑かれて行動していた人間によって、その秩序は大いに乱された。元から間欠泉を伝って地上へとい出る怨霊は今までも一定量存在したが、今回の問題はそんなものではない。
旧都のあちらこちらに神出鬼没に現れては“印”を書き残し、消え、またその“印”のあるどこかから現れる、といった行為を繰り返す落書き妖怪自体はまだよい。問題は管理されるべき旧地獄の怨霊たちまで、その“印”を伝ってあちらこちらへと移動し、思いもしないところで妖怪を襲ったり、騒ぎをおこし始めたことである。どうやら旧地獄の地底全体に“印”は書き巡らせてあるらしく、旧地獄と旧都は文字通り怨霊跋扈する様となった。なにせ、その“印”というのが、どうも“妖怪全般”に対して力を持つ『
元々、一匹狼やそれを気取るモノが多かった地底の妖怪たちが組織だった対策を取ることはなく、幾らかの鬼が単独、あるいは三々五々で事態の解決にあたっていたが、ここでまた、地底は思いもよらぬモノの介入を受ける。
“恐怖の大王”――地底に住まうものの中で、それについて知る者は“弟子”の心を垣間見た覚妖怪を別にすれば、古い妖怪の中でもひと握り、それも十分な知識でないか、あるいはしっかりと“口止め”されており、地底はこの新たな招かれざる客への対処を取るのが遅れた。その間に“恐怖の大王”は勝手に動き出し、地底の各地の“印”をかき消し、ついには落書き妖怪そのものも追い詰めた。
しかし、落書き妖怪はここで連れていた人間を囮にして、その危機を脱する。そして間の悪いことに――あるいは落書き妖怪の目論見通りか――その人間は“恐怖の大王”でなく、地底の妖怪の手に落ちる。その場で“恐怖の大王”が多少強行して人間に瘴気への対策を施したこともあり、その“所有権”を巡った対立が生まれてしまうことになった。
好き勝手に暴れられ、鬱憤が溜まっているところである、“脅し”による交渉は逆効果の可能性があると踏んだのか、“恐怖の大王”はここで地底でも影響力を持つ、強力な鬼に調停を依頼した。
星熊勇儀――かつて幻想郷で山の四天王に数えられ、『語られる怪力乱神』の二つ名を持つ大鬼である。
――地底・旧都のとある料亭
常ならば、鬼を中心とした酒と騒ぎを好む妖怪で賑わう宴会場代わりにもなる料亭。
一日中喧騒の止まないはずのそこが、広く豪華な庭園も丸ごと、似つかわしくない張り詰めた沈黙が支配していた。確かに、その料亭は今、ほとんど無人であったが、それは寂れた雰囲気を持った沈黙ではない、下手に音を立てれば何か恐ろしいモノの怒りを買う――そんな緊張した無音であった。
そんな料亭のある大部屋――本来なら数十人が飲んで騒げる長テーブルと座布団を備えた一室のど真ん中、たった二つの存在が向き合い、言葉を交わしていた。
「――“計画”の全容、経緯の説明……それと、決闘に応じろ……か。意外だな……“計画”の内容を知ってる鬼だっている筈だが、そっちから聞いてないのかい?」
「誰も彼も『約束だから教えられない』の一点張りだね……なんとか分かったのは、裏で手を引いてた奴らの親玉がお前……“恐怖の大王”だってことだけだ」
その口から声が発せられる度に、空気が怯えるように振動する。その場にある何もかもが、目の前の真っ黒なローブにすっかり人相と肌を隠した男から逃げ出したがっていることが金の長髪と一角を備えた鬼――勇儀にも分かるほどの異常な空気だった。言うまでもなく、その心に直接叩きつけられる恐怖は鬼にも確かに届いていた。だが、まるでその恐怖さえ、戦意を掻き立てるエッセンスだと言わんばかりに好戦的に輝いた瞳で、彼女は男を問い詰める。
「親玉なんて……誤解だよ、少しばかり考える割合が大きかっただけさ」
とぼけたような男の返答を受けて、勇儀の目の輝きに不満の色が混じる。もし、現在彼女が知っている情報を信じるならば、目の前の男こそ、自分たちから『人間との力比べ』の場を奪った、その主犯格であるはずだ。その男がまるで『自分は大したことはしていない』とでも言うように手を振るさまは、少しばかり癪に障った。
「……で、返答はどうなんだい? それが呑めないなら、私もあの人間を引き渡しに協力する義理はない。怨霊の念と瘴気ばっかり喰ってる地底の妖怪にとっちゃたまのご馳走だ、そうなりゃ簡単に取り返せるとは思うなよ」
「アレを追い詰めてやったのは私なんだがなぁ」
「勝手に押しかけてきた人間がそう言ったってね……ま、そこを考慮して交渉してやってると思ってもらおうか」
不機嫌な色を強くし、ずい、とテーブルに身を乗り出して威圧するように声を低くする鬼。それに対し、男はふむと腕組み、一息つくとすぐに深くかぶったフードの向こう側から声を返す。
「いいよ、承諾しよう」
「……やけにあっさりだな」
「その代わり、ちょっと条件をつけてもいいかな?」
腕組みを解く動作に合わせて、袖のうちから使い込まれた金色の懐中時計を取り出して時間を確認しながら、相手も見ずに男は軽い調子で付け足す。
「条件?」
「ああ、説明は私の弟子からさせる……ついでに私と戦う前に弟子と戦ってくれ、それに勝ったら、私も決闘に応じよう。その代わりと言ってはなんだが、あの妖怪と怨霊の群れの後始末はその私の弟子がしっかり対処する、どうせ君たちでは今のアレを追い詰めることもできんだろうし、これでどうだ?」
「……意図は読めないが、まあ、いいわ……。言っておくけど、もし勝手な真似をしたら、私がどうこうしなくても、あの人間は――」
「分かってる分かってる。大丈夫……先方と約束した話し合いの時までには終わらせるさ……私の弟子がね」
吹き荒れる恐慌の渦を生む最恐の存在、それを向こうに怯む様子ひとつ見せない最強の徒。場の異様な空気を置き去りに、それを齎している筈の二人の間で交わされる言葉の調子だけは軽口のそれに近いものへと変わっていた。
「――そろそろか……じゃあ、そういうことで私は一旦帰るから、我が弟子と、それに付いてくる妖怪によろしく伝えて……それと、この札を渡しておいてくれ」
「……は?お、おい――」
恐怖の大王が手に持った懐中時計をしまい、代わりに取り出したのは一見、ペーパーナイフにしかみえない刃物と何やら奇怪な文様が細かく記された厚紙の札。札の方をテーブルの上に置くなり、立ち上がった彼はナイフでもって空を斬り、そこに裂けるように生じたスキマへと、よっこらせと多少不格好に自らの体を押し込み、消えていく。声をかけ、止めかけた勇儀だったが、思い直したのか、また席へと付く――そんな彼女を横に、その隙間がすぐに消えて失せてしまったが。
一瞬後、すぐ傍に似たようなスキマが――いや、形こそ似通えど、その雰囲気は印象は全く違うものだった。まるで雲間から降り注ぐ陽光が如く煌めかしい光を内より放つ、神々しくも感じられるスキマが走り、その中から、渡世人の様な格好をした二人組が飛び出してくる。
「――……連れて来た……ん……いない……指示された座標は合ってるはずだけど……」
「うおだッ!? うん……瘴気が薄い、残ったのも怯えている……少し前まで師匠はここにいたようですが……しかし、ここは?」
どちらも三度笠を被っているが、その片方、視野用のスリットが入った顔の上半分が隠れる深い笠を被っている長髪長身の女は音もなく畳から少し浮いた“宙”に軽やかに着地し、もう片方、服装に似つかわしくない、当人よりも体積が大きかろうかというトランクケースを背負った男の方はドスンと着地――しようとして、畳と自分の土足を見て慌てたように両足を上げて尻から落下、したたかに腰を打ち付けた。
片方は勇儀も知っている相手である以上、もう片方――男の方があの“恐怖の大王”の弟子ということだろうが……その間抜けた登場は、先程までの空気との対比も合わせて鬼にちょっとの拍子抜けと、意外さと面白さ覚えさせるものとなった。
「ったく、師弟揃って玄関から出入りしないんだね……まあ、いいや、ようこそ地底へ……恐怖の大王の弟子」
最初からこちらを捉えていた女の視線に一瞥だけ返し、両足を広げて上げた間抜けな姿勢のままキョロキョロと辺りを見渡した末にこちらを見つけた男に勇儀は口角を持ち上げた好戦的な笑みを返す。その笑みは、一瞬だけ、嫌な予感に襲われたように歪んだあとの男の会釈を見て、より深いものになったが。
目の前の鬼――金の長髪、短い袖のシャツの様な衣服と、透ける薄い布地で作られた長いスカートのような腰袍をズボンらしいモノの上から身につけている。鬼でなければ見惚れる程の美人だ――から手渡された、師匠が残したという札、そこには術式暗号で記されていた指示内容はとんでもないものだった。要約すると、“計画”全容を彼女に説明して、“落書き”を討ち取って、ついでに彼女と決闘しろと――
「……ふむ……成る程、了解しました」
『はあ!? ふざけてんのか、師匠の野郎!』――と言いかけた自分を制して、“読み取る”ために札の上を滑らせた指を眉根が寄らないように額に持っていきながら、あくまで予定調和であると装って言葉を発する。約束事に厳しい鬼のことだ、師匠が俺の了承を得ずに勝手に話を進めていたとなれば、良くない印象を与えるのは避けられない。事情を聞いて把握するにしても、少なくとも『なんらかの指令があると予想しており、それを受ける準備ができていた』風は繕っておくべきだろう。
しかし、師匠は一体何を考えている?
“計画”を話すにしても口止めの約束すら取り付けていないのはどういうことか、オマケに俺に対しても“必要ない”と念押ししている……落書き妖怪を倒すのは、まあいい、生まれた経緯からして、妖怪には相性が良いだろうが、俺との――恐怖の大王に関連する人間との相性は最悪のはず。地底の妖怪には話してないようだが、師匠が突き止めた根城の座標も札に込められていた。アレについては師匠や俺――事情を知る妖怪退治屋達で決着をつけるべき問題だ、俺に押し付けられたようでもあるが、他の妖怪に譲られるより、ずっといい。
だが、俺が鬼と決闘? 冗談だろう……瞬きの間に四肢の骨を折られて終いじゃないか、いや、実際はあちらさんが手加減して“楽しんで”くれるんだろうが……。全力で恐がらせても、恐らくは無駄、どころか変に意地を引き出しかねない……鬼たちにとって戦いとは、ただそれだけで“本気”で取り組むにたるものだったりするからな。幸い、決闘と言っても命の取り合いでは無いらしいし……師匠のことだ、恐らくは考えがあるのだろうが――
「順番としては……まず“計画”について、説明させていただき、その後、落書き妖怪への対処をさせていただきます。……決闘は、その次ということで……よろしいですか?」
「……ああ、その順番でいいよ……“計画”について知りたいって奴らは大体集まると思うから……場所はこっちで指定させて貰っても構わないかな?」
おいおい、この鬼一匹じゃないのか? そりゃ口止めしない以上、どうせ広がっていくのは避けられないから一緒ではあるだろうが……。
「はい……ただ、計画についてご説明させていただく前に、件の人間の様子を見させてもらっても構わないでしょうか?」
「ん~、まあそれくらいだったらできるように口効いてやってもいいが……怯えて支離滅裂なことばっか喋ってるぞ? あんなのに会っても意味がないと思うけど」
「……なおさら急いで会わなければなりません……すみませんが、よろしくお願いします」
どういうことだ? 師匠なら術で前後不覚後の状態にするなり、ずっと眠らせておくなり、簡易人格式神に一時的に体を乗っ取らせて大人しくさせておくなり、なんらかの対処を取るのは簡単なはずだ。それなのに、ほったらかし? 妖怪の手元にあるから遠慮があったのか? それだと瘴気対策もしてあるかわからないぞ、急いで接触しないと――
「んじゃあ、案内と話通ししてやるから、先に外に出てな――私は、こっちとも少し話がある」
「え? ……凛鹿様――」
テーブル挟んで俺の向こうに座っていた鬼の視線が俺の横へと――警戒するように直立不動で佇んでいた凛鹿様の方へと、すっとずれていく。その視線と思わず見遣った俺の顔を交互に一瞥した凛鹿様はゆっくりと頷き、言葉を発した。
「すぐに済ませる、先に行って」
「……それでは、鬼殿……先にこの――え~っと、お店の玄関で待っていますので」
「おう、終わったらすぐに案内してやるよ」
一瞬、意外に思えたが、考えてみればそうでもない。“鬼”であれば、凛鹿様を知っていてもおかしくないし、興味を持つのも当然のはずだ。……少なくとも俺よりはずっと『力比べ』してみたくなる相手ではあるだろう。何か面倒が起きなければいいがと頭の片隅で憂慮しながらも、件の人間のことが心配で気が急いていた俺はトランクケースと脱いでいた履物を持ち直しそのままその大部屋を後にした。
すとん、と小気味いい音を立てて大部屋の障子が閉じられる――出て行った“弟子”の足音が遠ざかるのを耳で把握して、鬼は口を開く。
「今のところ、あの弟子の登場以外はアンタの想定通りかい、
「今はサカガミと呼んで欲しい……私を遣ってお弟子君を呼び出すのは予想外だったけど、誤差の範囲、むしろ、お蔭で堂々と地底に居れる。……お弟子君の正面切った戦いでの実力は大したことはない、彼の強みはそこじゃないから……貴方の“恐怖の大王を一発殴りたい”という希望は達成できる」
「“詳しい事情を聞きたい”ってのも……な。自分の口からは約束だから言えないって言っておいて、こんなに回りくどいやり方で私たちにそれを教えようとする……そろそろそっちの目的も聞かせちゃくれないか? 『鬼退治本流を継ぐ半鬼』殿」
「……」
表向き、“隠れん坊”を名乗っている妖怪の別の二つ名――それを受けても凛鹿の表情は変わらない。そう、下半分だけ顕れている表情を不自然なまでに硬直させ、ただ直立不動のまま、笠越しの見下ろすような視線を、面白そうな笑みを浮かべている鬼に向けている。
「おいおい、だんまりは無しだろう、アレを地底まで手引きしたのも……アンタなんだろ? まあ、証拠はないし、元々掃き溜めみたいなところだ、どうせ解決するんだし、弾かれ者を一つ追加した程度の事でギャーギャー言う気はないよ。ただね……個人的には興味があるんだ、『三千世界を斬り“結ぶ”』って言う刀とその使い手の力が、どんなもんかってのはね」
面白そうな笑みに好戦的な色が滲んでいく鬼の凄むような言葉を受けても、“隠れん坊”は微動もせず、口だけを動かしてこれに応じる。
「これがすんだら、力比べでも決闘でも、なんなら鬼退治でもする……きっと鬼も、人間と戦う意義を……再び見出す――」
ほとんど独り言のようだった。押さえつけられたように微動もしないその体から、こらえきれずに溢れ出すようなその言葉は、小さな音量に似つかわしくない迫力を帯びていた。
「――かつての退治屋達とその戦いの名誉の回復……そして、今生の退治屋達への確かな報いを――」
そんな言葉を零す彼女は、それを見つめる鬼の目に憂いのような色が微かに混ざったことに、気付くこともなく。
テンポよく、というのを意識して書いてみましたが、ちょっと淡白になりすぎたかもしれません。必要以上のことを書きすぎないようにしたいのですが、ご意見あればよろしくお願いします。