誰がために人は恐るるか   作:鹿助

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6.恐怖代行

 人喰い妖怪の為に、俺がここまでする必要があるのか?

 当主殿と恐怖を共有して、この解決法を思いついた時から何度目かの自問自答を繰り返す。

 

 

 俺は人の恐怖の代行者だ、一時期だけ妖怪の恐怖の代行者として行動したこともあるが、それだって人喰い妖怪じゃない。

 

 そりゃあ、俺だって人と妖怪が共存できるなら、そっちの方が良い。

 ただ――

 

 

――こんな素晴らしい場所の為に俺なんかの命が使えたなら、それはきっと十分すぎる程に有意義だろうなって――

 

 

 あの時、頷いて見せるには俺は少しばかり、妖怪への恐怖を共有しすぎた。

 犠牲者達、一人一人に確かな感情が、思いがあったのだと……当たり前の事を人より少し、実感を伴って知ってしまった。

 だけど、妖怪の恐怖だって聞こえるんだ。

 とても理解できないような、恐怖――例えば人間を食えなくなることへの恐怖――さえ、俺にはそれが彼らにどれだけ重要なことか“納得”できてしまう。

 

 だから俺は迷いなく心の底から人と妖怪が仲良くすることを願うことができないし、それを訴えることもできない。

 ちょっと正確じゃないな、心の底から人と妖怪が仲良くすることを願ってもいるし、それを心の底から恐ろしく、避けたいとも思っている。

 相反する感情というのは消し合ったりせずに、両サイドから引っ張るだけだから……もし消しあったなら、それはきっと“疲れた”だけだ。

 

 大抵の場合、人や妖怪を変えるのは、また別の人や妖怪の揺るぎなき信念だ。

 「もしかしたら、そうだったかも」なんて言い出す人物の信条に、強者は惹かれないし、

 怨霊を慰めきた僧侶の腕が恐怖で震えていたら、それは命乞いかご機嫌伺いにしか見えない。

 

 それでも――

 

 

――その為に使われなきゃ、俺の命に価値がなくなっちゃう気がして恐いんだよ!――

 

 

 俺は――“恐怖代行”はそれを認め、愛し、嘉す。

 だって、恐いものは本当に恐い、それが無意味だなんて、それこそ恐ろしすぎるから。

 

 ……最初から答えは出ていたな――とは思わない。

 迷いを捨てて進むのは、多分、俺の領分じゃないんだろう。

 

 

 

 霧の湖

 

 

 

 立ち込める霧に、夕焼けの色がくすむ様に広がる湖の水面の上、漆黒の兵装と騎馬の騎士は、手にした霧の塊に術を仕掛け、投げるように解き放つ。

 

 古今東西、珍しくもない儀式の――恐ろしき存在を無限に殺し続けるそれの発展型。

 祭りや式典で一年毎に、あるいは数年ごとに殺されたり、退治されたりする――勿論、それは擬似的なものであるのだが――暴君や化物は数え上げればキリがない。

 

 その儀式で大事なのは“レプリカ”だ、それを模した人形であったり、それを象徴する何かであったり、時には完全な想像で“いる”とされたり。

 そのレプリカは時に燃やされ、時に斬られ、時に地に叩き伏せられ――人々のそれへの恐怖を、伝説の偉大さや独立の誇りへと変えていく。

 

 

「さて、待たせたな――喜ぶといい、数百年間も主を苦しめ続けて大きくなったお前だからこそ、“レプリカ”が務まる」

 

 

 かつて吸血鬼がツェペシュという力を齎す威名と共に継いだ宿命――“弟と戦い、最後は追い落とされる”――、そのレプリカとして殺されるべく、黒い霧は形を成す。

 それが成すは集団――手に手に剣や槍を持つ“恐怖代行”の外の世界の友人や仲間達の姿を模した群体――であり、霧は増殖を続け、その数は増え続けている。

 

 

「――成程、串刺し公の気持ちが少し分かったような気がするよ」

 

 

 元々、ヴラド3世はその弟との戦いにおいて、戦力的な不利に関わらず善戦していた。

 それは自国の一部を焦土と化すゲリラ戦術に依るものだったが、それでも十分に見事と言われるべきもので、勝ち目が見えない訳ではなかった。

 

 だが、自国内の貴族の裏切りにより、それは破綻する。

 ヴラドの公正明大な政策で既得権益を失ったから、

 その異名の由来に代表される苛烈な戦い方について行けなくなったから、

 焦土作戦を目にして、自分の領土も危険だと思ったから、

 単純に、敵の方が強大だから、

 様々な理由で彼らはヴラドを廃し、ラドゥを新たな国主の座に付けたのだ。

 落ち延びたその時、信頼できるものは傍に何人残っていたのか……。

 

 

「『“鉄騎馬”起動』――行くぞ」

 

 

 呟きに近い宣言と共に、漆黒の騎士は一群に向けて疾駆する。

 嘶き一つ漏らさぬ不気味な軍馬は、大型の体躯に身につけた騎馬鎧をガチャつかせながら、宙に駆け、湖に馬蹄の音を響かせていく。

 それは重量感をそのままに、限界知らずに加速していく――まるで坂を転げ落ちる大岩が如く、轟音と圧力を伴った突撃である。

 

 不意をつかれた形になったのか、騎士の鎧から漏れ出るように出てきた黒い霧が形作った騎兵突撃用の大型ランスの穂先を向けられてなお、“恐怖代行”の見知った形を成す兵達はバラバラに迎え撃とうとするだけだった。

 ――無論、それでは騎士の突撃は防げない。

 金属同士がぶつかる様な轟音と共に、騎士の進路上にいた兵達は、半ば吹き飛ばされるように打ち砕かれ、あるいは馬蹄に踏み砕かれ、霧散し、無に還っていく。

 

 一直線に兵達のど真ん中をぶち抜いた騎士はそのまま駆け抜け、加速距離を稼ぎ――再度、正反対の方向からの突撃を試みるが、今度は兵達はこれに組織で以て備えた。

 長柄の武器を持ったものが集まり、槍衾を形成する。

 空中という戦場の特性上、横のみならず、縦にも密集した正しく槍の壁を成す彼らは“恐怖”そのものであり、当然、如何な圧力を前にしても恐るることなどない――その切先は、揺らぎはしない。

 

 それでもその槍衾めがけ、真正面から騎士は突っ込んでいく。

 だが、衝突寸前で、騎士は上へ跳んだ――そのまま突っ込んだ騎馬は串刺しになり、霧散したが、その衝撃故か、兵隊の反応は一寸遅れた。

 慣性の勢いに水平移動を任せ、宙を何度か蹴って急上昇した騎士は、槍の壁の最上部を成していた兵の一人に手に持ったランスを突きたて、棒高跳びの要領でその向こう側へと跳びこえる。

 

 

「『“鉄騎馬”停止』――『“下馬貴族”起動』」

 

 

 槍衾の向こう側で待ち構えた兵達が襲いかかるが、ランスをそのまま打ち捨て、騎士は長剣と盾を手に具現化してこれに応戦する。

 致命的な刺突のみ盾で防ぎ、斬撃のほとんどを身につけた鎧の上を滑らせるように受け流し、そうして身を守りながら、長剣で一人、また一人と確実に切り伏せていく。

 ――物量と体力を削り合う、苛烈な白兵戦へと、戦いはその様を変えていった――

 

 

 

 

 

 

 

 ――最後の一人を槍の投擲で打ち倒した時には既に日は沈みかけていた。

 

 

「『“単散兵”停止』――大儀であった」

 

 

 その霧散し、無に還っていく恐怖に労いの言葉をかける――これで、行程は完了だ。

 儀式の成功を感覚で確信し、“武装”を解いて気を抜いたとき、背後からわざとらしい拍手の音が聞こえてきた。

 

 

「――恐怖の具現化も珍しいけど、戦闘中に使ってたアレは技能情報を詰め込んだ式神かしら?

 なるほどねぇ、武芸の才能がなくて、若くて修練が足りない人間でも、アレを状況ごとに使い分ければある程度は戦えるわね」

 

 

 いつの間にそこにいたのか、八雲紫が感心したような――それでもわざとらしい――表情で声をかけてくる……ん? 腕に抱えてるのは“すねこすり”か?

 

 

「これは八雲殿、此度は行動許可、ありがとうございます」

 

 

 そうするつもりはなかったのだが、俺の声色はかなり事務的なものになっていた。

 正直、体力的にも大分限界が近づいていたし、あの恐怖と真っ向から向き合い続けたせいで精神的にもかなり疲労していた。

 そんな時に訳知り顔で出てきた妖怪に明るく挨拶できるほど、俺も大人ではなかったらしい。

 

 

「どういたしまして――じゃあ、これお願いするわね」

 

「は? ――っと危ねぇ!」

 

 

 何が『じゃあ』なのかと尋ねる間もなく、彼女は腕に抱えたすねこすりを俺めがけてぽ~んと投げて寄越す。

 低級とは言え妖獣なんだから湖に落ちても自力で泳いで帰れたのだろうが、ほとんど小型犬に近いその容姿に俺は反射的に抱きとめてしまう。

 

 

「それ、貴方の師匠の忘れ物だから、返せるまで面倒見て置いてね」

 

 

 それだけ言って、手を振ってスキマに消えようとする彼女の背に、俺は思わず声をかけていた。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 師匠に会ったんですか? いや、それよりなんで俺が!?

 俺、外の世界の退治屋ですよ、そんな奴の保護下になんていたら――」

 

「だ~いじょ~ぶよぉ、案外皆気にしないから。

 ま、適当に逃げ足早くする式神でもつけておきなさい」

 

「んな欠伸混じり呑気に言われても――って、それやっぱり危ないってことじゃ、ちょ、ちょっと――」

 

 

 今度こそ、彼女はスキマへと消えていく。

 俺は片手に妖獣を抱え、片手をすがるように差し出した姿勢でしばし停止し――ため息と共に項垂れた。

 

 条約で決められてもいないのに、外来人の未練のために動き回る許可を俺にくれたスキマ妖怪には、借りがある。

 

 

「――悪いが、ウチに来てもらうぞ。

 まあ、アレだ、何があったか知らんが、師匠と関わった時点で運がなかったと諦めてくれ」

 

 

 俺の言葉にも『何をそんなに項垂れてるんだ?』とでも言いたげに首を傾げる妖獣。

 俺は苦笑して、視線を暗がりの霧中に不気味に浮かぶ紅魔館の方へと向ける――

 

 

「さて、お膳立てのお膳立ては済みましたよ……あとは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔館・フランドールの部屋

 

 

 

 “運命”の圧力がほとんど消え去ったことに驚きつつも喜びを隠しきれない吸血鬼は、幽霊に再度、望みを尋ねた。

 その返答は『一つの質問』と『妹君との面会』――吸血鬼が約束を違えるわけもなく、それは滞りなく、叶えられた。

 

 

 悪魔の妹、フランドール・スカーレット。

 

 情緒不安定とも、気が触れているなどと言われてはおり、確かに少し前まではそう取られてもおかしくない言動を取っていた。

 しかし現在、幻想郷の妖怪達を基準とすると特に突出して異常な性格とは言い難いのも事実である。

 そもそも初めて人間に出会った時とて、――頭に一応とつけたくはなるが――スペルカードルールを理解して弾幕ごっこに興じるくらいはできたのだ。

 

 それでも、当主のレミリア・スカーレットは妹である彼女に自由な外出を許可しようとはしなかった。

 その真意を知る者は口を噤み、そうでない者はきっと妹の方に問題があるのだろうと思い、あまり追求はせず――そのまま時は流れていく筈だった。

 

 

「――どうだい、お姉様は。

 外に出してくれるように頼んでみた?」

 

「ううん、どうせ駄目だもん。

 あんまりしつこく頼んでも不機嫌になるし」

 

「そう……で、理由は聞いてみた?」

 

「聞いてないけど……なんで?」

 

「きっとお姉様にも事情があるんだと思うんだ。

 この紅魔館の当主だし、ね。

 もしかしたら、フランちゃんはそれを解決する力になれるかも知れないでしょ?」

 

「それができたら外に出してもらえるかもしれないって事?」

 

「それもあるけど……ただ単にお姉様の助けになれたら、いいと思わない?」

 

「……でも、お姉様の事だから『これは当主たる私の問題』とか言って何も話してくれないと思う」

 

「かもしれないね……でもさあ、フランちゃん。

 多分、君はさ……別に、そこまで外に出たいわけじゃないんだよね?」

 

「ん? ん~、そう……かも?」

 

 

 幽霊の言葉の真意を測りかねたのだろうか、人差し指を下唇に当てて可愛らしい仕草で首を傾げるフランドール。

 その様子に軽く笑ってどこか寂しそうな声色で言葉を続ける。

 

 

「別に、閉じ込められてることにそこまで不満があるわけじゃないんだよ、フランちゃんは」

 

「え、そんなことないよ? 訳も言わずにいきなり雨降らされたり――」

 

「うん、訳も“なく”じゃなくて、“言わず”ってことはわかってるんだよね、きっと理由があるって。

 皆、それについて知ってるっぽいのに、自分だけ仲間外れにされちゃってるのが嫌なんだよね」

 

「……あ」

 

「俺もさっき似たような目にあってさぁ……もどかしいっていうか、兎に角説明してくれよ! って思ったもんさ。

 まあ、実際説明されても何が出来るわけでもないだろうし、理解できるかも怪しいんだけど」

 

 

 苦笑しながら、幽霊が思い浮かべるは、監視役と吸血鬼から人払いを受ける一幕のこと。

 自分の問題の筈なのに、放り出されたような感覚――いや、実際は“自分の”問題ではなかったのだけれど。

 

 

「……ああいうヒト達は、ああいうヒト達で大変なんだと思うよ。

 多分、あの子が俺の所為でメッチャ苦労してるように、きっとお姉様もフランちゃんの為に苦労してきたんだと思う」

 

「私を放ったらかして神社に遊びに行ったりしているのに?」

 

「え? あ、あ~、それはほら、息抜きだって必要なんだよ、きっと――」

 

 

 考え込むように俯いたフランドールの思わぬ言葉に、若干得意げな心境に至っていた幽霊はあたふたと弁解の言葉を並べ立てる。

 だが、それは彼女の耳には届いていないようで――

 

 

「……ねえ、私だってあまりお勉強とかしたことないし、知ってることだって多分少ないわ。

 だから、私だって説明されても何が出来るわけでもないし、理解もできないかもしれない。

 それでも、教えて欲しいとかって言ったら……迷惑じゃないかな、嫌われたりしないかな」

 

「迷惑かもしれないけど、嫌われたりなんてしないって――」

 

 

 幽霊は自信を持って言い放つ、だって自分の様などうしようもない人間にだって、そう言ってくれたヒトがいた――

 

 

――紅魔館についたらどうなるか分かりませんから、今のうちに言っておきます――

 

――どうなろうと、少なくとも俺は、貴方に会えて良かった――

 

――貴方が何をしようと、俺はそのお手伝いができて良かったと思うでしょう――

 

 

「怖がらなくても大丈夫だよお姫様、君が望むことをするなら、彼女が君を嫌うことはない。

 なんせ、ついさっき聞いてきたからね『迷惑かけられたら、貴方はフランちゃんを嫌いになりますか?』って」

 

「――え?」

 

「分かりきった事聞くなって怒られちゃったよ。

 恐かったなぁ……死ぬかと思った、もう死んでるのに。

 『分かりきったことでもちゃんと口にしてあげください』って言っておいたから」

 

 

 ニッと笑みを見せる幽霊に、フランドールはポカンとした表情で見上げるのみ。

 しばしの沈黙が暗い部屋を満たす――

 

 

 

 

「あ、あれ、もしかして俺、余計なこと――」

 

「私、頼んでみるね、外に出ることと、訳を教えてくれること」

 

 

 決意を覗かせる表情。

 それを見て、幽霊は思う――自分の未練はきっとこれだったんだなと。

 大好きなお姉様に嫌われる事を恐がって、言いたいままに言いたいことを言えなくなってしまった彼女に、もう一度進んでみて欲しかったんだ。

 きっとそこには仕方のない事情と少しのすれ違いがあって、それを解決するのは最後は結局当人たちで、自分にできるのはそのお膳立て。

 もし生きて会えたら、という約束は果たされなかったけれど――

 

 幽霊はそれに満足していた、満足してしまった……故にその時間は終わりを迎える。

 

 

「……んじゃ、皆とお幸せに」

 

 

 未練を果たした幽霊は、最早人格をしかとは残さない――彼の体が物言わぬ霊体、人魂へと変わる。

 あまりにあっけないといえば、それまでの幕切れ。

 

 

「――あ」

 

 

 呆然として人魂を見送り――喉元まででかかったお礼の言葉が行き場を失う。

 だが、すぐにフランドールは立ち上がる――“分かりきったことをちゃんと口にして伝える”、その為に。

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