人里・寺子屋の一室
「いや~、生きてるって素晴らしい。
すいませんね、ご飯まで頂いちゃって」
心底からの笑顔を浮かべて白米を頬張る青年。
外の世界風の服装をしており、一目で外来人だと分かる。
「ん? ……それならば君の持ち物だぞ?
一緒に置いてあったコレに食糧や衣服が一揃い入っていた。
手持ちがなかったから、それを使わせてもらったが……」
リュックサックを持ち上げ示しながらそう応えるのは上白沢 慧音、人里に住み、教師を務める獣人である。
その彼女の言葉に対し、青年は首を傾げた後、思い出したように、あ~と声を上げる。
「やっぱり……あの黒い騎士さんなのかな……」
「黒い騎士?
……そう言えば何故里の外れで倒れていたのか、過程を聞いていなかったな。
外来人であるのは分かったんだが」
「外来人って外の世界から来た人の事でしたっけ。
……え~っと、俺もよくパニクっててよく覚えてるわけじゃないんですけど――」
彼は故あって自ら命を絶とうと、死に場所を定めにさまよっていたのだが……気づけば辺り一面が彼岸花の不気味な地に迷い込んでいた。
息苦しさと辺りの陰から自分を狙う何者かの不気味な視線も感じられ、この状況が尋常でないのはすぐに察せられたらしい。
被害妄想などではない、肺がせり上がるような苦しさと恐怖――自分が死のうとしていた事も忘れて必至で逃げ回っていると、不意に開けた場所に出た。
そこあったのは墓標のような石と庵――
既に恐慌状態に陥っていた彼がドアにたどり着くよりも先に、弾かれるようにドアが開き、漆黒の騎士が姿が表わした。
――何故かそこで意識が途絶えたのだが……とてつもなく恐ろしい目にあった、ということだけ、彼は覚えていた。
「君は運が良かったな。
恐らく、彼は“恐怖代行”……外来人の妖怪退治屋だ」
そう言いながら、『文々。新聞』を投げてよこす。
彼は食事を中断し、そこにある“恐怖代行”に関する記事を見ながら、驚いたような声を上げた。
「外の世界の妖怪退治屋……へぇ~そんなのがいたんだ」
そんな彼の言葉を聞き流しながら、慧音はある考え事をしていた。
幻想郷に食糧として取りこまれる外の世界の人間――そして、そこから派遣された妖怪退治屋。
原因となった騒動は表向きは終息いるようだが……。
今だって腹が減れば幻想郷の住人だろうと襲う妖怪は居るが、そんなものは考えなしの低級妖怪だ。
大部分はスキマ妖怪からの供給で満足している……しかし、もしなんらかの問題が起きて――あるいは起こされて――外の世界からの人間の供給が滞れば、そいつらが狙うのは――
「もし、そうなりそうだったら……どうするべきなのだろうな?」
「へ、なんの話ですか?」
「ああ、いや、なんでもない。
とりあえずこれからどうするか、ゆっくり決めると良い。
明日は君の世話は他の者に頼んでおくから、この里を案内でもしてもらうと良い」
「え、あ、ありがとうございます。
えと、慧音さんは……?」
「何、その“恐怖代行”に会いに行こうと思ってな。
礼は代わりに伝えておこうか?」
何故、監視役はこの外来人を置いていくだけで去ってしまったのか……。
一先ず、その監視役の人となりと目的を確認するくらいはしなければなるまい――そう、人里の守り役は浮かべた笑みの内で密かに気を引き締めた。
無縁塚・監視役の庵の傍ら
「――この作戦は既にスキマ妖怪の了解も取り付けてある、お前は与えられた任務をこなせ、か。
軽く言ってくれる……見方を変えれば俺の所為だからか?
いや、外の世界の退治屋は常に人手不足だし、あっちも割と悩んで決断したんだろうけど」
定期的に魔術で庵の前で転送されてくる補給物資――今回、そこに添付されていた命令書の内容は俺を朝っぱらから憂鬱の淵に叩き込むに十分な理不尽さを伴っていた。
だが、憂鬱だろうとなんだろうと、この物資は庵の中に運び込まねばならない。
腰を落とし、よっとダンボール箱を抱えて立ち上がり、反転して――そして、視界に入った人影に気づいた。
今まで無縁塚の前で手を合わせる人物は俺と森近さんくらいだったが、その時、そこにいたのは他の――女性だった。
俺が驚いて動きを止めている間に彼女はゆっくりとこちらに向き直り、歩み寄ってくる。
「君が“恐怖代行”か、やはりまだ若いな」
「……貴方は?」
「ああ、済まない、私は上白沢 慧音、人里で寺子屋を開いて教師をしている者だ。
……少し、話でもしないか?」
上白沢 慧音――人の里の守り役とも言える獣人、最近は行動の為に幻想郷全体の情報収集もしていたので、その名は知っていた。
意外と美人、そしてやっぱり良い人そうだというのが直接会った第一印象だった。
「――人里に遊びに来ないかと?」
「ああ、君もずっとこんな所に居ては気が滅入ってしまわないか?
勿論、都合もあるだろうから無理にとは言わないが……」
とりあえず庵に上がってもらった後、俺がお茶を出そうとするのを制して上白沢さんがしたのは、そんな提案。
いつもなら断ったところだが――これは渡りに船というヤツだろう。
善意に付け込むようで気は乗らないが……やらなければならないことには変わりない。
……任務内容自体も気が乗らないってのに……。
「そう、ですね……一回ぐらいは行っておいた方がよいかもしれません。
実を言えば幻想郷の人の暮らしと言うモノにも興味はありましたし」
嘘は言ってないんだ、嘘は。
“未練”関連で人里に赴くことだってあるかもしれないから見ておくのは悪くないし、興味もある。
ただまぁ……上白沢さんが嬉しそうに「そうか」と言ってくれる様子に湧き上がるこの罪悪感が、それが本当でもないことを証明しているのだが。
思い立ったが吉日と言うヤツで、すぐにでも行こうという流れになり、人里への道中――空中でも道中と言うのだろうか?――俺は先日保護した外来人の事を聞いていた。
「――では、無事保護されたという事ですか!?」
――ガラガラガラガラ!
「ああ、君のお蔭でな! しかし、君は何故彼を置いてけぼりにしてあの場を去ったんだ!?」
――ガラガラガラガラ!
「……こっちにも色々と事情があるんですよ……」
――ガラガラガラガラ!
「んー! 何と言った!?」
――ガラガラガラガラ!
「いえー! あの時は少々立て込んでいたので!」
放っておいてなんではあるが、無事で良かった。
受け入れられ易いように色々とオマケもつけておいたんだ、肩身が狭い思いをしてなければよいが。
「それはそうと監視役君!」
――ガラガラガラガラ!
「なんですか!?」
――ガラガラガラガラ!
「それが君の言う“チャリ”なのか!?」
――ガラガラガラガラ!
「はい“チャリ”ですよ!
あ、五月蝿かったら騎乗スタイルにしますけど!?」
――ガラガラガラガラ!
「いや、別にいい!」
俺は空を飛べない、宙を踏みしめて駆けることはできるが、ただ走っても空を飛ぶのと比べるとどうしても遅い。
「先に行ってくれ」と言っても彼女は気にせず一緒に歩いていこうとしてくれたのだが、それは少々悪い気がした。
――で、そんな俺が上白沢さんについて行くためにはなんらかの乗騎が必要だった訳で……。
今、俺は漆黒の“チャリ”――四馬曳き
宙を噛む車輪と16個の蹄の音が少々騒々しいが、こちらの方が騎乗スタイルと比べて楽なのだ。
「……他の外来人から聞いたことはあったが――
まさか、彼らは皆これを乗りこなして――」
――ガラガラガラガラ!
「んー!? 何か言いました!?」
――ガラガラガラガラ!
「気にしないでくれ!
……少々、外の世界を甘く見ていたかも――」
その後半の呟きは俺には届かず――
上白沢さんが一緒だからか、途中で妖怪に喧嘩を売られることもなく、またお互い大声を出すのに疲れたからか、実に騒々しく穏やかな行程となった。
「――ようこそ、人の里へ……と言っても、外の世界のそれ比べると見劣りするのだろうがな」
「おお……いえ、単純に比べられるものではないですし――月並みの言葉ですが、良い所だと思いますよ」
「おいおい、まだ入り口に立っただけだろうに」
上白沢さんは苦笑してそのように言うが、俺の言葉は本心からのものだ。
広がる田園に浮かぶように存在する人の里――束の間、時代劇の中に迷い込んだようにも思うが、それだけではない。
妖怪という異種族の文明の影響も受けていることを覗かせる町並みは、ふとしたところが現代的だったり幻想的だったり。
如何な技術によるものか、淡くも鮮やかで多彩な染料が彩るそれは、“幻想”の名にふさわしい雰囲気を帯びていた。
そんなことを考えていたからか、通りすがりの町人が寄って来ていたことに気づくのが、少々遅れた。
「――え~っと、先生、この人は……」
「彼はあの“恐怖代行”さ、前に少しだけ噂になっただろう?」
「な、ちょっと上白沢さん――」
「へぇ~、あの外の世界から来たっていう退治屋さんの。
そりゃ頼もしいな、まあ、ゆっくりして行きなよ」
「え、あ…ありがとうございます」
笑顔で迎え入れてくれた町人のおじさんに俺は少々困惑しながらも安堵した。
俺は外の世界に所属する退治屋だ。
それも、外の世界に余計な被害が出ないための“監視役”……それは『文々。新聞』にも記載されている。
俺の存在はこの幻想郷の人間にとって脅威だという見方をされてもおかしくないし、実際、間違ってはいないだろう。
ヘタをすれば、外の世界の人間を保護する事にだって消極的になるかもしれない。
その分の犠牲を自分たちで払わなければならないかもと恐れてもおかしくないからだ。
先日の外来人をそっと置いてきたのだって、俺の存在を意識させれば要らぬ恐怖を煽り彼の立場が危うくなるかもと――
「じゃあ監視役君、付いて来てくれ。
先日の外来人の彼が君に直接礼を言いたいと――……どうした?」
「い、いえ、なんでもありません、今行きます」
呼びかける声に、思考を中断して慌てて付いていく。
……一安心、すべきところなんだろうな。
人里の中を歩きながら辺りを見渡す。
この辺りは商店も並んでいるが、そこには外の世界ではそうそうお目にかかれない光景がある――
「ふむ、話には聞いていましたが……。
妖怪も買い物にくるんですね、それも堂々と」
「ああ、人里では妖怪は暴れない、それが取り決めになっているからな。
それでも考えなしの有象無象はいるし、皆とて妖怪への恐れが全くない訳ではないのだがな」
……それは分かる。
そんな恐怖も聞こえてきている。
「――ん?」
ふと、違和感を感じて立ち止まる。
違和感……いや、この感じは――
「監視役君、物珍しいのも分かるが立ち止まる時は一言言ってもらわないとはぐれてしまうぞ?」
「あ、すみません、気を付けます」
やれやれ、と優しそうな苦笑でため息をつき、上白沢さんはまた歩き出す。
……考えるにしても、行動に移すにしても、もう少し待つべきか――
素直にその後ろについていく事にした俺の姿を時折確認しつつ進む上白沢さんが、やがて足を止めたその場所は――
「……飯屋?」
大衆食堂とでも言えばよいのだろうか。
雑多さと気軽さと、少しばかりの狭苦しさ、そんな雰囲気の料理屋だった。
「ああ、二人とももうついている筈だからな。
入るぞ、今日は私のおごりだ」
「ちょ、そんな悪いで――」
急な申し出に半ば反射的に断りかけたのだが、上白沢さんはそんな俺の手を掴んで引っ張り――正直、照れくさい――そのまま暖簾を潜って行ってしまう。
「親父さん、妹紅達はもう来ているか?」
「おう、先生、それならあっちに――」
「け~ね~!こっちこっち」
上白沢さんの声に反応して、厨房から出てきた店主らしき人物が指した方には白髪の少女と、もう一人がテーブルについている。
モコウ――妹紅ってことは、あれが藤原 妹紅さんか……甥っ子さんの副官の、さらにそのまた参謀の弟子です――なんて言っても微妙だな、普通に挨拶すればよいか。
「え、慧音さん? ってことは――あの子が“恐怖代行”?」
で、もう一人、外の世界風の格好――幻想郷入りした時の服ではなく、俺がオマケとしてつけておいたモノ――をした青年は、間違いない、先日の彼だ。
……やはりこの目で無事だと確認すると安心するな。
その外来人は席を立つと俺の所まで寄って来て、上白沢さんが持っていた俺の手を奪い取るように握って、ぶんぶん振りながら満面の笑顔で感謝を表してくれた。
「あの時は助けてくれたんだよな? ありがとう、おかげで命拾いした」
「いえ、ご無事で何よりです……折角拾ったもの、もう捨てようなんて思いませんよね?」
「う……それは勿論、反省してるさ」
「ほらほら、店の入り口で突っ立っていては迷惑だぞ、とりあえず席につこう」
苦笑して、そう言いながら歩き出す上白沢さん。
俺達も後に続こうとした所で、店主さんが後ろから俺たちに間に立ってそれぞれの肩に腕を回してきた。
そのまま、俺達二人を引き寄せてニヤリと笑いながら小声で言う。
「格好からするとお客さん達、外来人だな。
お客さん達は運がいいぞ~、先生はこの里を守ってくださってる方だし。
妹紅さんだっていつもはいないけど、病人が出たら飛んできて永遠亭――っと、お医者様がいる所にまで護衛してくれるし、。
お二人のお蔭で人里は平穏にやっていけてるんだ。
オマケに二人とも美人ときてる。
そんな二人に里を案内してもらえてるんだろ? 幸運に思わなくちゃ駄目だぞ~。
くー、俺も外来人だったらそうしてもらえたかもしれねぇのに!」
「……」
「え、い、いやあ、そうですね、ありがたく思わなくちゃ」
「他には――」
「ん?」
「他に、この人里の営みに欠かせない人と言えば?」
「あ、ああ、そうだなぁ。
異変が起きたときは、博麗や守矢の巫女さんとかがいないと困るなぁ。
他にも助けてくれるすごいヒト達は結構いるけど……。
――ああ、勿論、この里の営みは里の皆で守って来たものだ。
里に住み着いてくれた外来人さん達だって例外じゃあないぞ、色々と便利な事教えてくれたりするしな」
「……」
「……えっと監視役君、どうかした?」
――こんな素晴らしい場所の為に俺の命が使えたなら、それはきっと十分すぎる程に有意義だろうなって――
「いえ、とても心強いことだな、と思いまして」
今回は自然な笑みを浮かべて応えられたと思う。
青年も店主さんも俺を訝しむ様子もなく、納得してくれたようだった。
「そう、じゃあ席に付こうか、もう妹紅さんが幾らか注文しちゃったからさぁ。
メニューは強制的にお任せだけど、すぐに来ると思うよ」
「おうよ、すぐに持っていくからな、ちょっと待ってろよ!」
威勢良くそう言って厨房に入って行く店主さんと、席に戻ろうとする外来人の青年が背を向けた瞬間、俺は笑顔を引っ込めた。
果たして俺はその時、どんな表情をしていたのか――知っているのは、難しい表情でこちらを見ていた上白沢さんだけだろう……この時の俺は、それに気づいていなかったけれど。