次の放送再開はいつになるかなあ(遠目)
――――3才の誕生日を迎える前、少女は一人の『少年』と一度限りの邂逅を果たした。
別にそれが少女の人生を左右した訳でもないし、それが少年にどう影響した訳でもない。
ただ一度きり会って、少し話しをして、少女は少年の事を何一つ知らないまま別れただけだった。
ある日の事である。
少女はもうすぐ3才の誕生日を迎える時だった。
その為の誕生会が行われると父親から伝えられており、普通ならば喜ぶ所であった。
……だが少女の場合は違った。
少女はとある名門の忍の一族の生まれであり、しかも宗家の長女として生まれてきてしまった。
しかもその誕生会には、様々な分家の者達が集まり、厳粛に執り行われる為、とてもじゃないが幼児には耐えられない空気になるに違いない。
……無論、嬉しさという物もあったが、それ以上の緊張が心持を支配していた。
元々穏やかな気質な上に内気に性格であった少女。
幼いながらも、宗家の娘という重圧がどれほどの物であるのかを無意識には感じ取っていたのだろう。
そしてその誕生会の日が迫る数日前の事、何とか緊張を紛らわしたかった少女は屋敷の散歩をする事にした。
如何に恥ずかしがりやで内気な幼児と言えど、根は年相応に好奇心旺盛である。
緊張を紛らわす他に、僅かな冒険心というのもあったかもしれない。
そうした経緯があってか、少女は屋敷の中を探検する事にした。
時刻はまだ日の出。
宗家の敷地だけでもとてつもない広さを持ち、自分の住処であるにも関わらず、少女の好奇心を刺激するには十分な物だった。
いつしか緊張というモノは薄れ、だんだんと冒険心が出てきたのか、ついに屋敷の裏庭の敷地まで行ってしまい――――
――――そこの森林地帯で、少女は迷子になってしまった。
気付くと遅かった。
草木が生い茂る森林の中、ひたすら好奇心に釣られてここまで来た為、来た道はまったく分からず、少女は途方に暮れる事になる。
……今頃、自分の世話役の人も、必死に自分を心配しているだろう。
今すぐ帰ろうと決心しようにも、来た道が分からず仕舞いではどうしようもなく。
今更になって自分がしてしまった事を後悔した少女は、来た道を探そうと辺りを見回すが、同じ風景がそこら一体に広がるのみ。
少女はただ途方にくれるかしかなかった。
――――その時だった。
「どうしたのかな、お嬢さん?」
背後から、誰かの声が聞こえた。
「――――ッッ!!!??」
その突然の声音に、少女は一瞬にして身動きがとれなくなった。
いきなり声をかけられてビックリしたのではなく……その――――まるで背後から突然鋭い刃物を突き付けられたような感覚に、まるで金縛りをかけられたかのような……。
生まれて初めての本物の恐怖だった。
ただ声をかけられただけなのに……振り向けばそこには今にも己を射殺さんとする狩り人がいるみたいに、そこには獲物に飢えたオオカミがいるかのように。
「イケない子だなあ、こんな場所に一人で来るなんて。まるで親に見放されて彷徨う醜いアヒルの子のようだ。こんな危ない獣が出る場所に来るには、もっと大人になってからでないといけないよ?」
冷たく、冷酷な声。
飄々とした言葉の一つ一つがまるで自分を奈落へ引きずり込む魔手みたいで、まともな息すら出来そうになる。
……少女は、恐る恐る、声がする方向に振り向いた。
立っていたのは、自分より五つ程上の少年。
血のような紅い着流しをザラッと着こなし、髪は黒、眼の色は自分や自分の親族たちと同じ瞳を映さない真っ白な目。
……その目は、少女が今まで見てきた人たちの目とは違った。
「――――、……ァ、ウ、アッ……」
振り向いてその眼を見た途端、少女はまともな息すら出来なくなった。
自分はこんな目を知らない。
まるで――――抜き身の刃物を思わするような眼つき。
他の人達は自分に厳しくしつつも優しい目で見てくれて来た中で、少女にとってこんな鋭い目は未知の代物だった。
『今すぐにでもお前を殺したい』と嗤うその眼は、まるで獲物を逃さんと言わんばかりに少女を見下ろしていたのだ。
「さあ、君のような子はさっさとここから出て行った方がいい。そうでないと――――怖い怖い殺人鬼に、傷物にされてしまうからねえ」
「――――ッ、ア……ゥ……、……ッ」
一見すれば優しい声音に聞こえるが、そんな生易しいものではないと誰もが理解できる。
恐怖のあまりその場で棒立ちし、身動きを取れず震える少女に、少年はゆっくりと歩み寄ってくる。
……まるで、その一歩一歩が自分の死までのカウントダウンを表すかのように。
「さっさと帰るといい。それとも――――一人で帰れないのなら、お兄ちゃんが送って逝ってあげよう」
「……ッッ!! ィ……アッ……!!」
――――殺される。
幼き幼児ですら即座にそう確信させるほどの寒気が体中を迸る。
逃げ出そうにもあまりの恐怖のあまり身体を動かす事すらできない。
そんな少女にお構いなしに、少年はまた一歩、一歩と少女へ近づいていく。
……死へのカウンダウンは、後僅かだった。
「安心していい。お兄ちゃんの手なら一瞬で御家に帰れる。だから……、――――」
「……?」
しかし、そこで少年の言葉は止まり、同時にその歩みも止まる。
少女は息を詰まらせながらもその違和感に気付き、どうしたのかと思い、少年を見つめる。
そして――――少年は、震わせて握りしめた拳を振り上げ――――
ゴッ!
自分の額を思い切り殴りつけた。
「――――ッ!!?」
少年の突然の血迷ったかとしか思えない行為には少女は呆然となる。
殴り付けた額からツー、と赤い液体が拳から腕にかけて流れていく。
そんな刹那の静寂の後――――
「ク……」
少年は苦しそうな様子を見せるや否や、
「くはは、あはははは!」
「……?」
先ほどとは打って変わって毒気が抜かれたかのような笑い声をあげる。
……さっきの見るだけで人を射殺しそうな雰囲気は幾分か和らぎ、笑い声も少しではあるが見た目相応のモノになっていた。
「はははは。危ない危ない。まさかこんな子にまで疼いちゃうなんて……もう、末期どころの話じゃないな、こりゃ……」
まるで自嘲するかのように無邪気にそんな事を言う少年。……その様子は何処か悲しそうにも見えた。
少年の今の様子と先ほどのギャップに少女は呆然としつつも、何とか息ができるまで回復した少女は少年に恐る恐る問うた。
「あの、その……あなたは……?」
「ああ、さっきは恐がらせちゃってごめんね。僕は君と同じ日向の者さ。……少しワケありのね」
少年の目つきは相変わらず鋭いままだったが、先ほどの今すぐおまえを殺したいという風な雰囲気は既になく、どことなく暖かさも宿していた。
少年もどうやら自分と同じ日向一族の子供であるらしい。
訳あって一族から遠ざけられ、宗家の敷地の裏庭に広がる森林地帯の中にある『離れの屋敷』という場所に一人で暮らしているらしい。
何で一人で暮らしているのか、という疑問は当時幼かった少女には湧いてこなかった。
「所で、君はどうしてこんな所に来たんだい? いくら日向家の日課の朝起きは早いとはいえ、こんな時間にこんな場所に来る程酔狂な質でもないだろう?」
「……それは、えっと……」
人と接することが苦手な少女はそんな率直な疑問に答える事すら躊躇してしまう。
……いや、聞き方はその年の子供にしてはかなり捻くれているが。
少女は自分がここまで来た訳を思い出し、それを少年に打ち明けた。
もうすぐ自分の誕生会があるのだが、その際に宗家の他にも様々な分家の者達がその誕生会に参加するという。
しかも里で同日に行われるという雷の国の「雲隠れの里」との和平条約のセレモニーに誰一人日向一族は出席せずに、自分の誕生会に来るのだと言う。
自分は宗家の嫡子である。
厳しい父親からもそう言い付けられていた少女はそれがただの誕生会でない事くらいは分かっていた。
宗家の嫡子としての重圧を自覚させられる日でもある。
「誕生会ねえ……そういえば親父もそんな事を言っていたな」
「……おやじ?」
「ああいや、こっちの話だ。気にしなくていいよ」
少年の言うその“おやじ”という人物が自分の父親の双子の兄弟に当たる人物だと――――つまり目の前にいる少年が自分から見て従兄に当たる人物であるという事を、この時少女はまだ知る由もなかった。
「それにしても、偉いじゃないか」
「え……?」
少年の口から出てきた以外な言葉に、少女は呆然とする。
「この年でそこまで気負う事などまずないってのに……いや、あの堅物共に囲まれていたらそうも行かないか。ま、いずれにせよ健気なお嬢さんだよ、君は」
少年は目の前いる幼児が自分の従妹にあたる子供だとは気付いているが、あえてそれは伏せて「お嬢さん」とらしくない呼び声を使う。
……少年にはもう僅かしか時間が残されていない。
「あ、ありがとう……ござい、ます」
少女は若干顔を伏せながらも、きちんと少年に聞こえる声で言う。
……少しだけ、勇気が湧いてきた。
その後も少女は様々な事を打ち明ける。
厳しい父親の事。
いつも自分を案じてくれる付き人。
今まで人と接するのが苦手で、自分の内を打ち明ける事があまりなかった反動だろうか。
とにかく少女は顔をうつ伏せ、声を小さくしながらも少年に言いたい事を話した。
少年は相槌を打つことがほとんどだったが、しっかり少女の言葉を薄らい笑みを浮かべながら聞いていた。
――――その時だった。
「――――ッ!!?」
少女と話していた少年であったが、突然頭を押さえ、苦しげな表情を見せた。
やがて少年は苦しげに笑いながらも、呟いた。
「――――ハ。どうやら迎えが来たようなだね。やれやれ、君一人だけならまだ耐える事が出来たのに、残念だ」
「え……?」
少年は残念そうな様子で薄ら笑いを浮かべ、両手を上げ肩を竦めた。
そんな少年の様子に首を傾げた少女であったが、すぐに遠くから自分を呼ぶ声が聞こえ、そちらに振り向いた。
「ヒナタ様ぁ!」
声の主は少女の名を叫びながら走って近づいて来る。
それは少女にとってもよく見知った顔だった。
「ヒナタ様……よかった、見つかって……、……ッ!!? ヒナタ様、その子からすぐ離れてください!! 早く!!」
「……え?」
少女を見つけて安心した様子を見せる、が、その隣にいた少年の姿を見るや否や一気に顔色を変えた男性は慌てたように少女に、少年から離れるように呼び掛ける。
自分にすら見せた事のない咄嗟の慌てようを見せる世話役の男性を見て呆然とする少女。
どうして自分が、この人から離れなければいけないのかと思い、もう一度少年に振り返ってみれば――――
――――少年の姿は、既にどこにもなかった。
「……あれ?」
――――さっきまでここにいた筈なのに……
少女は周りを見渡し少年の影を探すが、既にここから離れているのか、気配の微塵も感じる事ができなかった。
「ヒナタ様!!」
世話役の人が少女の名前を呼びながら駆け寄ってくる。
「ヒナタ様!! お怪我は!!? あの子に何かされませんでしたか……!!?」
世話役の男性は膝をついてしゃがみ込み、少女の身に傷がないかを体中を弄って確認する。
……ちょっとくすぐったかった。
「いえ、なにも……」
「そうですか。よかった……」
少女が無事である事が分かった途端に世話役の男性をほっとした様子で胸を撫で下ろした。
「さあ。帰りましょう、ヒナタ様。ヒアシ様がお待ちです」
「……はい」
世話役の男性は暖かい笑みで少女に手を差し伸べる。
少女は戸惑いながらもその手を取り、世話役の男性と一緒に屋敷へと足を運んでゆく。
……さっきまで、自分と話していた少年がいた場所を時折振り返り、見つめながら。
少女は知らない――――少年にとって少女と話したその瞬間こそが、まだ正気の欠片を残していた少年が見せた最後の微笑みであるという事を。
◇
――――目覚めれば、そこは白一色の雪原だった。
氷色の満月が天上に座し、まるで雪原を守る天狼星のようにその世界の主たる少女を見守っていた。
その少女もまた白かった。
まるで雪の妖精であるかのような白くサラサラな髪、血のような赤い瞳、黒い衣服とスカートの上にそれらを覆い隠す白いコートを羽織っている。
頭の後ろに白い大きなリボンを付け、それが彼女の幼さを象徴しているかのようだった。
少女は、自分の雪原に招き入れた人影を目に入れると、妖美に微笑みながら、優雅な足取りでその人影に近づいた。
そしてスカートを摘まみ、所謂カーテシーと呼ばれる動作で頭を下げ。
「やっとお目覚めかしら? 私のだらしないマスターさ――――」
――――ヒュ
が、少女の挨拶の言葉が言い終わる前に、人影は待ち切れる様子もなく少女の首筋目がけて短刀を振るう。
一瞬の戸惑いもなく振るわれたソレを、少女は目を見開き、慌てて回避行動を取る。
首を飛ばす事は適わず、斬撃は少女の頬を切り裂くに留まった。
「……つッ! 貴方ねえ、せっかく人が挨拶をしてるっていうのに、それが自分の使い魔に対してする事かしら!?」
頬から流れる血を拭い、不機嫌そうな様子で切り付けてきた人影を睨み付ける。
紅い単衣を青い帯で絞め、着こなす青年。
黒髪で端正な童顔に、瞳を映さない真っ白な目を持つ男。
常に微笑を浮かべたような憎々しい能面顔の青年に向かって少女は怒ったように怒鳴りつける。
「何って、見知らぬ空間で、顔も名前も知れぬ輩が急に話しかけてくるんだ。何をしていいか分かる訳もなし、とりあえず殺してみるのが妥当かと」
「自分が契約した口寄せ動物の顔と名前くらい覚えておきなさいよ!! しかもここは私と貴方が初めて会った場所じゃない!! それなのに見知らぬ場所とか言うワケ!?」
まったく悪びれる事なくさも当然であるかのように言う青年に、少女の怒りのボルテージは更に上がり、その憎たらしい顔に向けて怒鳴り散らした。
が、男にはそんな少女に臆する様子は微塵もない。
「見知った顔だからと言って気を許していたら足元を掬われるのが忍の世の常だ。それにあんな無防備な姿を晒しておきながら殺されないと勘違いしているのなら、それはあまりにもの慢心だよ、レン」
「――――ッ! ……何よ、ちゃんと名前覚えているじゃない。まったく、怒って損をしたわって――――」
いいかけてレンと呼ばれた白い少女は、はっとする。
――――という事は……と言う事はだ。
「……ねえシキ。貴方さっきもしかして私を覚えていながら殺しに来た訳?」
青年――――シキに向けて一歩踏み出し、訝しげな表情で問い詰める。
一般人ならばそれだけで怯えてしまう冷たい目線ではあったが、生憎普通ではない青年は微動だにせずだった。
「……」
「ちょっと!? 何か言いなさいよ、ねえってば!!」
もしレンという少女の言ったことが事実であるのならそれはとてつもないショックであった。
忘れていたから攻撃されたならばともかく、ちゃんと覚えていて尚襲い掛かってきたとうのであれば尚質が悪かった。
「……」
実を言うとシキの方はこのレンと言う白い少女の事を素で忘れていており、ついさっき彼女の事を思い出した所だった。
つまり、まるっきり彼女の勘違いである訳だが、シキは目の前の少女の様子を面白がって敢えて言わない事にしていた。
……そもそもいきなり斬りかかってくる時点でレンはシキに対して十二分に怒っていいのだが。
悪趣味極まりなかった。
「――――ふん。もういいわ……」
両手を腰後ろに束ね、拗ねたようにそっぽを向くレン。
……実際彼女はこれ以上にない程に拗ねていた。
好意を抱いている主人が自分の事を覚えていながら、問答無用で殺しにかかってきたのだ。むしろよく拗ねるだけに留まっているものである。
……実際は覚えられてすらいなかったのだが、まあそこは今更問うても仕方あるまい。
「頬を裂いた傷がもう治ってる……この感じじゃあ首を切り落としても同じ、か?」
「そうよ。ここは私の世界。加えて今の貴方は私が意志のみを逆口寄せしてきた所謂幻影。殺せる道理がある筈ないわ。私にとっては現実だけど、実際は私が貴方とのパスを通して夢魔をかけているだけ。貴方にとってここでの出来事は夢として処理される訳。……幻影でしかない貴方がこの世界で私を殺せる道理がある筈ないでしょう?」
……それでも傷を付けられる時点でおかしいのだけれど、とレンは青年に聞こえないように呟く。
「成程、道理でさっきから死を視ようとしても視れんわけだ。実際そこに意志が宿っているだけで生きていない幻影ごときが死を視れる道理がある筈なし。幾度殺しても生き返るっていうループは確かに御免被るな。今後この世界であんたに斬りかかると言う行為は無しにしようか」
「そうして頂戴。さっきは状況反射で避けたけど、結局は無駄って訳。……それでも痛みは感じるのだけれどね」
何とか今後は自分に斬りかからないと言う約束をシキに取り付ける事に成功した少女は内心でほっと胸を撫で下ろす。
……そもそも、殺せないにせよ幻影の状態でしかない存在が自分に傷つけられる筈ないのだ。
――――本当に、初めて彼がこの世界に入ってきた時といい……この青年はつくづく不可解な存在である。
(だからこそ興味が湧くのだけれどね)
シキをジト目で見つめながら内心で呟くレン。
――――……決して、私をこの世界から引っ張り出せる人間が現れて嬉しいとか……そんなんじゃないんだから……。
「うん? 何か言ったか?」
「別に、何も言ってないわ」
うっかり声に出ていたかと、内心でしまったと呟くレン。
……主従揃って互いに捻くれている所は似ていた。
「……それで、何で態々逆口寄せをしてまで俺をここまで? 別に俺はあんたに疚しい事をした覚えはないんだが?」
「貴方……数分前の自分を思い出してもそう言えるのかしら? ……ハァ、もういいわ。別に、これと言って用がある訳じゃないわ。最近殺し合いに明け暮れているだけの駄目マスターが今どうしているのかを知りたかっただけよ……」
決して寂しかったとかなんかじゃないんだから……、とシキに聞こえないようにして呟くレン。……呟いたというよりは、自分に言い聞かせたという感じだが。
だが、こんな場でも設けなければ自分は契約主とまともに会話できないのだ。それこそ向こうが自分を口寄せしてくれない限りは。
この逆口寄せの術も、シキとレンが契約のパスで繋がっている事と、レンの口寄せ動物としての能力である『夢魔』があるからこそ成り立つものだった。
……つまり、青年の意識が完全に沈んでいない限りは実行できない術である。
そして、そうした機会は中々に訪れないのだ。
シキは抜け忍である上に今やS級犯罪者として指名手配されている。
あの事件以降、シキの顔を目撃したものは皆一人残らず解体、もしくは毒殺されている為シキの現在の顔は知れ渡っていないのが唯一の幸いか。
とにかく一定の居場所や仲間という物を持たないシキはいつ他の忍びからの襲撃で命を落とすか分からない日々を続けていた為、睡眠をするにしても常に片目を開けたまま寝たり、体中から常にほんの微量のチャクラを放出し続けながら寝るなどの対策をしているため、完全に意識を沈めるという機会はそう訪れてくれない。
――――そして、ようやくその機会が訪れたのだ。
これを逃す手はない。
自分の主が今何をしているのかを気にならない使い魔などいないだろう。
――――決して、心配とか……そんな物では、ない……筈……なのだ。
「とにかく……何でもいいから何か話しなさいよ。最近こんな事やあんな事があったとか、その……好きな食べ物とか……」
要はレンはシキの近況とか何気ない身の回りの出来事とか知りたいだけだ。
……こんな殺し合いしか取り柄のない駄目マスターでも、そのくらい一つや二つはあるだろうと。
マスターの、シキの声が聞きたかった……本当にただそれだけなのだ。
だというのにこの駄目マスターは――――
「ああ。じゃあついこの間殺し合った666の獣の因子を使う禁術を持つ大男の事でも話すか。アイツの身体は特に解体しがいがあった。身体から獣を出す術、獣の因子を応用した術――――混遁忍術だとか奴は言っていたか。とにかく身体から様々獣を出してくるは、この世に存在しない幻想種みたいな見た目の奴まで出張ってくるは、最終的には自身を獣の因子を纏った凶悪な怪物に変身させる術とか……くくく、とにかく他の誰よりも解体しがいがあって楽しめた。まあ、俺は殺しで奴は食らう。互いの領分がかみ合わず、戦うには相性がよかったのが少し残念だったかな……」
近況だとか何気ない出来事だとかを語らずに――――
「後は忍術を使う元台密の破戒僧――――アレは最高だった。特に結界忍術に関しちゃあ奴に敵う奴はいないだろうよ。その屈強な身体と巨体から繰り出される体術は強烈なもんだった。下手したら一撃を食らうだけであの世逝きだろうよ。後は、仏舎利とか言ったか、その仏舎利とやらを身体に埋め込んでいるみたいでな。死は視え辛いは、切り落とした腕が勝手に独立して動くは……あそこまで俺と殺し合いを演じて見せた奴も中々いないだろうな。かなりギリギリだったぜ? 奴に死を悟られる前に殺すことができたのが幸いだったか……」
殺し合いの話になる時だけこんなに楽しそうに――――
「ああ、後はこんな奴もいたな。かなり独特な剛拳使いの忍びでな。確か『蛇』とか言ったか。あのしなる鞭のように円弧を描き、そして垂直かつ直線的という軌道全てが組み合わさったあの動きはオレでも真似できん。俺の『蜘蛛』の体術はあくまで三次元特化の物だからなあ、水平な地面であんな動きをされては恐れ入る他ない。それに加えて幻術まで使用してこちらを完璧に幻惑して来やがる。あまり強い幻術じゃないからかかるのはほんの一瞬だが、奴にとっては十分すぎる隙だろうよ。この白眼がなければ今頃殺されていたのは俺の方――――」
「……もういい。いいわ。聞いた私が馬鹿だった」
これ以上聞きたくないと耳を塞ぎながらレンはシキに懇願した。
自分が聞きたいのはこの主の身の回りで起こったや近況だとかそんな程度だというのにこんな殺伐として内容をこうも熱く語られても耳が腐るだけだった。
これでは何も分からないではないか。
……強いて言うのであればこの男がそれだけ殺伐として人生を送ってきた事ぐらいか。
だからこそ、だからこそだ。
だからこそレンは内心に秘めた不満をシキに漏らした。
「そんな数々の強敵と当たってるんだったら……一度くらい私を口寄せしてくれたっていいじゃない」
「せっかく定めた最高の獲物を他人に明け渡す殺人鬼が何処にいるかよ」
「別に獲物を取る訳じゃないわよ!! ただ……その……少しくらい、私を頼ってもいいじゃない……」
「はいはい」
「……」
適当な返事しかしないシキに対してジト目で不満そうに見つめる。
せっかく人が恥じらいながらも本心をほんの少し晒して言っているのに、どうでもよさげに返事をするこのマスターにはほとほと嫌気が刺す。
レンは呆れたように溜息を吐き、更なる不満を漏らした。
「大体ねえ、貴方がいつまでたっても口寄せしてくれないから私はこの雪原に籠りっぱなしなのよ? だから私がこうして貴方を呼んでまでしているのに、貴方と来たら……」
「そういうのは俺じゃなくあんたをここに閉じ込めた奴に言えよ。俺だってあの時ここに来れたのはただの偶然だっていうのに……」
「し、仕方ないじゃない。ここに閉じ込められてから随分立つし、顔も名前も覚えていないよ」
「その割には、この場所に随分と愛着があるようだが?」
「そりゃあ、何千年も見慣れていれば愛着も自然と湧いてくるわ。……だけど、動かない氷の結晶でも、戯れたい時だってあるのよ」
「戯れたい、ねえ……」
――――そんな行為に、何の意味があるのか。
未だに自分を口寄せするようにせがんでくるレンを見ながらシキは内心で思う。
日向一族にはある呪いが存在する。
……宗家を、日向という名そのものを守るために分家の者達に額に刻み付けられる呪印だ。
それらはしがらみでもある。
分家の者達を鳥の籠の中に閉じ込めるしがらみだ。
シキだけは例外にその呪印を殺すことができたのだが。
――――運命を抜け出した所で、待っているのはさらなる過酷な運命としがらみだけだっていうのに
この少女にそれが分かるか否かは別にどうでもよい事なのだが。
「まあ……貴方がやられるなんて事はまずないし、私が呼ばれる機会が中々ないなんて事は――――」
「ああ。ついさっきやられたところだ」
「――――分かってるけれど……って、……え?」
突然のシキの爆弾発言にレンは咄嗟に固まって呆然とする。
……思えば、この逆口寄せの術は主であるシキが完全に意識を沈めたからこそ出来た芸当なのだが。
そういえば何故シキの意識が完全に沈んでいたのかはレンにとって完全な盲点だった。
――――まさか……
「嘘……まさか……」
「奴さんは俺を勧誘するためにアジトに連れていくと何とか言っていたが、ま、よくわからな……うん?」
白レンが青ざめた表情で呆然としている間に、シキの幻影に変化が起きる。
レンが彼の姿をもとに象った幻影が消えていく……つまりは主人の現実世界への目覚めを意味していた。
「ああ、どうやら本当のお目覚めの時間らしい。じゃあなお嬢様、いずれまた――――」
「ちょ、待ちなさいよシキ!! 一体そっちで何が起こって――――」
そして、シキの姿は雪原から消えた。
◇
――――ふと、目が覚めた。
「……やれやれ、あの白猫め」
おかげで静かな眠りができなかったではないか。
……まあ、別に退屈はしないに越した事はないのだが。
咄嗟に夢を見せられては本当に眠った気がしないではないか。
この通り眠気は無い訳だが。
「……ここは?」
自分の使い魔への愚痴を中止して、シキはあたりを見回す。
――――どこかの洞窟だろうか。
どうやら自分はどこかの洞穴の中に作られた一室の中で眠らされていたようだ。
……ご丁寧に身体に治療まで施して、しかも心地よい布団の中に寝かせてまでして……。
――――そんなに人手不足なのかねえ、“暁”とやらは。
「やっと目が覚めたか」
「……」
ドアが開き、そこから一人の男が現れる。
赤い雲の模様が入った黒い衣。
額に雨隠れのマークが入った額宛。
オレンジ色の髪。
鼻に付けられた六つのピアス。
そして……波紋のような模様の、薄い紫色の眼。
「――――ッ!?」
その眼を見て、シキは驚愕する。
……あんな力を持った眼は見た事がない。
自分の白眼でもなければ、あのうちはの者が持つ写輪眼でもない。
ならば――――あの眼はなんだ。
該当する瞳術は一つしかない。
写輪眼でも白眼でもない――――三大瞳術の中でも最も崇高にして最強の瞳術とされるその眼。
シキは日向の屋敷の本棚にあった文献の中でしかその存在を知らなかったが、それでも――――確信した。
「――――輪廻眼」
「ほう、よく気が付いたな」
無機質な声が響く。
その声は肯定だった。
――――おいおい……。
シキは嬉しそうに、そして惜しむような顔をする。
ああ、今手足が動いていれば
手元に武器があれば。
――――いますぐにでも、殺し合いたい!
輪廻眼――――伝承でしか伝えられていないその眼は、シキの殺し合いの欲望に火をつけるには十二分すぎる代物だった。
「おまえはあれから三週間以上も寝ていた」
「ハ――――あれだけ暴れればそれくらいにはなるだろうよ」
「おまえと戦っていた相手、うちはイタチも昨日目覚めた。四捨五入すれば奴も三週間以上は寝ていたな」
うちはイタチ――――それがこの間自分が殺し合った者の名前らしい。
うちはイタチ……まだ木の葉の里にいた時に聞いた事があった。
曰く、たったの七歳でアカデミーを主席で卒業したうちはきっての天才児。
木の葉はおろか日向一族からすら疎遠されていた自分ですら耳に入る程だった。
――――なるほど、通りで強い訳だ。
「そして、おまえはそのイタチと引き分けたと聞く」
「……何が言いたい?」
ただ単に事実だけを述べていくこの男の意図が分からない。
……まるで生きていないかのように――――いや、この男には生き物として死が視えなかった。
となれば、あの輪廻眼は果たして本物なのだろうか?
例え紛い物だとして、それですらこんなにも力に満ち溢れているのだとしたら……本物はさぞかし……
「単刀直入に言う。暁に入れ――――」
「……」
またもや自分の世界に入り興奮していたシキを、男の声が現実に引き戻す。
――――いけないいけない、興味深い獲物にそそられる度に周りに目がいかなくなるのが自分の悪い癖だ。
あのイタチとの戦いもそうだった。
「我々はおまえのような力ある者を欲している。本当の平和を実現するために、おまえのような実力がな」
「……」
そして男――――ペインと名乗ったその男はシキに説明する。
暁という組織を。
その目的を。
全ての尾獣を掌握し、金を集める。
それによりかく忍び里に変わる忍び界初の戦争請負組織を設立し、戦争を我が物として自由自在にコントロールする。
国すらも破壊しつくすような兵器も製造し、それを戦争に導入する事で、人々に“痛み”を思い知らせ、戦争の悲惨さと愚かさを大衆に知らしめる。
それによって戦争の苦しみを人々に理解させ、やがて平和にしていくというもの。
シキはそれをただ黙々と聞いていた。
内容としては至極どうでもよい事だった。
誰もが考えそうで誰もが思いつかない――――それでいて単調で浅はかな思想だと。
本人は本気であるのだろうが、はたしてそれで戦争は終わるのか?
憎しみの連鎖を止める事は絶対に不可能だとして――――そんな人間達の愚かさや醜さを抑制する事などできるのか?
人間ってのはそんな単純なものではない。
「……俺は、あんたがいう夢には何の興味もないし、現実味も感じられん」
「……」
嘲笑うかのような口調で笑うシキを、ペインは黙ったまま見つめる。
問題は――――シキが暁に入るか否か。
「だが……あんたの作る世界が偽りの平和を樹立するか、それとも俺にとって住みやすい餓鬼と修羅に満ちた世界になるか、少し興味がある」
「……」
ペインは黙ったまま返答を待つ。
「俺に楽しい殺し合いをさせてくれるっていうんだったら、入ってやらん事もない」
「――――決まりだな」
そして、ペインは初めて微笑んだ。
……これで、また夢に一歩近づくのであれば、それもまた是だ。
「日向シキ――――お前を暁に迎え入れる」
そう言って、ペインは赤く雲の模様が入った暁の衣をシキに差し出した。
◇
零――――ペイン
白――――小南
朱――――うちはイタチ
南――――干柿鬼鮫
青――――デイダラ
玉――――サソリ
亥――――ゼツ
三――――飛段
北――――角都
空――――日向シキ
―――――かくして、役者は揃った。
やっと書き終わった……疲れたあ……
最後のペインとの場面の文章が少し駆け足になってすみませんでした。
いずれ書き直すかもしれません。