4月26日。マリアナ諸島近海での掃討作戦を終えた第二艦隊は、バシー海峡掃討作戦を本格的に開始した第一艦隊の動きに呼応し、太平洋諸島作戦の最終目標であるチューク諸島(旧称トラック諸島)を目指してサイパン沖を出発した。
チューク諸島における作戦は、基本的には硫黄島、サイパン島において行われた作戦と同じく、航空偵察と撃滅を行った後に揚陸隊を上陸させて、ここに哨戒拠点を設営することを目的としている。
そして翌27日。第二艦隊はチューク諸島沖に至り、揚陸目標であるウェノ島(旧称春島)を射程に捉えていた。
この時、横須賀を出撃して11日あまりが経とうとしていたが、硫黄島、サイパン島での二つの作戦が共に損害無しの大成功を納めていたことから、艦隊の士気が下がることはなく、むしろ向上しているとさえ言える。これは軍隊の運営を円滑にするという意味では歓迎すべきことであったが、敵に対する警戒心においては、これを十分なものでなくするものであった。そして人はそれを慢心と呼ぶ。
慢心というものは、目に見えているうちはいい。慢心を正すことは、それ自体は容易であるからである。慢心のもっとも難儀なところは、それが往々にして見えざるうちに発生することにあった。そして多くの場合、不可視の慢心は失敗の後に初めて表面化し、敗者に対して覆水は盆に戻らぬということを事実として示すのである。
第二艦隊はこのとき、まさに不可視の慢心を、誰一人気付かぬうちに抱いていた。そして慢心を抱いたまま、チューク諸島作戦はその幕を開けたのだ。
これまでの作戦と同じく、チューク諸島作戦は機動戦隊による索敵から始まる。そしてその結果、ウェノ島近海及びチューク諸島海域に敵影は見当たらなかった。それは状況が、硫黄島作戦と同じであるということである。
深海棲艦の全体規模を把握していなかった国連海軍にとって、この事実は硫黄島のケースパターンや、さらに第一艦隊がバシー海峡で多数の敵と遭遇したという報告と合わせて、中部太平洋における深海棲艦の分布がそう多くないことを無意識に想起させた。そのミスリードが直接チューク諸島作戦に害悪をもたらす判断を煽ることはなかったが、間接的には彼らの足元を掬うことになる。
"硫黄島作戦と同じように"敵による危急の脅威が無いと判断した第二艦隊司令部は、"硫黄島作戦と同じように"常時警戒させつつも、ウェノ島に対する揚陸作業を即時に開始した。動きとして言えば、この第二艦隊の動きは問題のある動きではなく、当たり前の手順に従って当たり前に作業に取りかかっただけのことである。
しかし第二艦隊は経験値を得た気分のせいで警戒心が緩んでおり、なにより状況が"硫黄島作戦と同じ"であると無意識に思い込んでしまっていた。それが思わぬ痛手を与えることは、彼らにとって思ってもみなかったことである。
太平洋諸島作戦の最終目標であるこのチューク諸島は、マリアナ諸島を南東方向に南下した先にある島々だ。気温が一年を通して30度前後を維持するというのはまさに熱帯の島と言った所である。
その最大の特徴は周囲が環状の珊瑚礁によって囲まれた環礁地形であるということであり、その内部はラグーンとなっていて、遠浅の海が広く広がっている地形から潜水艦の侵入を阻むことが出来たため、かつての帝国海軍はここを大規模な艦隊泊地として利用していた。また珊瑚が波を消すために環礁内は波が立たないため、その静かな海は太平洋の湖とも呼ばれる美しい光景を作り上げている。
28日明朝。その絶景が未だ薄暮に隠れる中で、第二艦隊の各護衛隊は揚陸部隊の護衛任務に就いていた。配置はこれまでの作戦と同じく、二人一組を揚陸を行う内火艇の航路上に点々と配置するものである。
時雨は白露と共に、母艦とウェノ島の中間点辺りに配置されていた。
「ねぇ白露」
「うん?」
「ついに今日だね」
「そうだねー」
彼女達の食事会計画は、チューク諸島作戦後に決行という運びになっている。あの後隼鷹の第四機動戦隊も正式に参加することになり、応援に春雨以下の第十七護衛隊の姉妹たちにも参加を呼び掛けた結果、今や食事会は作戦成功の祝勝会を兼ねる状態になっていた。
「そう言えばさ。白露はどうして食事会をしようって思ったの?」
ふとしたように、彼女は話し掛ける。それは時雨が、隣で心が躍るといった風情でいた姉を見て、ふと白露がなぜ食事会を開こうと思ったのかということを、疑問に思ったからであった。
「あれ?時雨はあんまり乗り気じゃない?」
「いや、そうじゃないけど、ただ白露がそこまで する理由がわからないって言うか、司令官の仕事は僕達の管理であって作戦業務とは分担されてるから、僕達は彼と関わる必要があるわけじゃない。だからあくまで任務上で言えば、僕達があえて司令官と関わりを持つ必要は無いじゃないか」
その彼女の疑問は、真っ当な疑問であった。実際実務面では、艦娘と司令官の繋がりが薄くても業務は成立するため、彼女が食事会を開いてまで横手と関わりを持つ必要は、とりあえず無いのである。ならば時雨が疑問を抱くのも、おかしなことではない。
「そっか、確かにそうだよね」
その時雨の質問に対して、白露はさっぱりとした口調でそう答えた。尋ねられることを、あらかじめ知っていたかのような淡白さである。そしてそのまま、彼女の言葉は続いた。
「必要性って話なら、私も食事会をやる意味はあんまり無いと思うよ。それでも食事会を開くのはね、その方が楽しいんじゃないかって思うからなんだ」
「楽しいから?」
「そ。縁があって同じ場所で戦う仲間になったんだから、仲は良かった方が絶対にいいよ。だから私は食事会をして、司令官と仲良くなりたいって思うんだ」
つまりそれは理屈ではないということである。白露は横手を仲間だと考えて、仲間であるならいい間柄でありたいと思うから、そのために食事会を開くというのだ。
「・・・変じゃないよね?」
そして彼女は、控えめに尋ね返してくる。必要不必要を問わず、やってもいいということは存在するものだ。そして時雨にはそれがわかるから、白露の動機を否定するつもりは無い。
「変じゃないよ。僕も白露の言ったことは大切なことだと思う」
「だよね!」
故に彼女は、白露に肯定の言葉を告げる。それを聞いて、彼女も嬉しそうに笑った。
「食事会、成功させようね」
そして白露は、時雨にそう呼び掛ける。
「うん、絶対成功させよう」
時雨は、彼女と共に改めて食事会を成功させたいと思った。
食事会は成功するであろう。二人だけではない。問えば夕立も村雨も、隼鷹たち第四機動戦隊や春雨以下の姉妹たちだって、その成功を望むに違いないのだ。そして彼女達は知らぬことだが、横手も彼女達に歩み寄りたいと思っているのである。ならば食事会は、成功しない余地の方が今は少ないのだ。
だがそれは、少なくとも今はである。大きく思える成功の可能性の合間に潜むわずかな失敗の可能性が、彼女達の知り得ぬところでその牙を密かに剥きつつあることを、時雨達はまだ知らないのであった。
午前8時。<きりさめ>のCICで対空レーダーを担当しているのは、高岡一等海尉である。彼はこの太平洋諸島作戦の間、本業である対空レーダー手としての業務中は極めて暇であった。何故ならば、深海棲艦にはこれまで飛行能力を持つ個体や、それを運搬運用する能力を持ったいわゆる空母型個体の存在を確認していなかったからである。
国連軍はそれらを合わせて航空戦力個体と仮称しており、その存在の可能性は過去に撃沈された船舶の被害状況から仮説程度には予測されていた。しかし航空戦力個体はその存在を明確に裏付ける証拠が皆無であることから、あくまで推論の域を出ない存在であると結論付けられていたのである。そして実際、彼がこの1週間いくらレーダーを睨んでいても、その画面上に敵影が映ることはなかった。
「?」
しかしレーダー画面に目を向けていた高岡は、画面上に多数の反応が現れるのを彼は見つける。
高岡はすぐに機器のチェックを行ったが、そこに異常は見受けられなかった。もし機器に異常が無いならば、この対空レーダーに映る多数の反応は正真正銘空から来る敵である。
「砲雷長、対空レーダーに反応多数!」
彼は慌てて砲雷長の矢野三佐に報告を上げた。
「なに?」
その報に、彼はつい反問を返す。
「対空レーダーだと、機器の故障じゃないのか?」
「いえ、機器に異常は無し。故障ではありません」
矢野は高岡の下に駆け寄り、対空レーダーの画面を覗き込む。レーダーは間違いなく反応を示しており、その反応はあきらかに空を飛翔する速度で第三艦隊へと迫っていた。
「深海棲艦の航空攻撃と思われます」
揚陸作業が半ばにまで差し掛かろうとしていた時、ウェノ島近海に展開中の前線部隊に、突如として対空戦闘用意が発令される。その唐突な敵襲は、前線をにわかに混乱の坩堝へ突き落とした。
「対空?航空攻撃!?揚陸部隊はどうするの?」
「村雨、そんなこと気にする暇は無いっぽい・・・」
唐突な警報と命令に対して、村雨は揚陸部隊の安全を心配するが、状況の推移は彼女達に十分な対応を許す暇を与えない。さっきまで空の青の中に紛れ込んでいた敵の編隊は、今や多数の黒い斑点へと姿を変えていた。この調子で行けば数分と経たぬうちに頭上にまで迫り、攻撃を始めるだろう。
「とりあえず近くの内火艇を守ろ!」
「そうだね」
村雨たちから数百メートルほど離れた隣の持ち場で、白露は即座に対応を決めていた。それは即物的な対応であったが、それ以上も無くそれで正解だと思ったので、時雨は異を唱えることはしない。急襲に対して前線がすべき対応は、ひとまず被害を押し止めることであり、そこから押すか引くかの判断は、より上位にいる全体指揮官の領分であった。
「来た、敵だ」
白露達が近くに見つけた内火艇の護衛につくと、その内火艇に乗り込んでいた自衛官の一人が、空を見上げて声を上げる。敵編隊は揚陸部隊とウェノ島上空に到達し、散らばる内火艇や艦娘に対して分散して迫っていた。白露達の所にも4体の飛行体が飛来し、第一波の攻撃が始まる。
彼女達は敵飛行体がどのように攻撃を行うのかが分からなかったが、ともかく内火艇を狙わせないための牽制射撃をひたすら空に向かって射ち上げた。その牽制射撃の成果もあって、敵の攻撃が彼女達や内火艇に直撃することはなかったが、海面を切り裂くようなその一撃は駆逐艦型などの深海棲艦が行う強力な雷撃、圧縮衝撃波と同じものであった。
「村雨、夕立!」
第一波攻撃を凌ぐと、村雨と夕立がウェノ島の方角からやってくる。二人は守るべき内火艇を探して母艦方向へと移動していたため、内火艇に随伴してウェノ島方向へ移動していた白露達と鉢合わせることとなったのだ。
「白露ちゃん、時雨ちゃん」
二人の姿を見つけて、村雨は彼女達を呼ぶ。だがその背後に、再び攻撃体制に入った敵の飛行体が迫った。
「村雨、夕立!後ろーっ!」
「えっ」
白露は二人に呼び掛けたがすでに遅く、敵の攻撃が彼女達を襲う。夕立はぎりぎり難を逃れたが、村雨は敵の雷撃を喰った。爆煙と水柱が、彼女の姿を呑み込んで隠す。
「!」
それを見た白露は咄嗟に全速を出し、内火艇の護衛も忘れて駆け寄った。霧と煙が晴れると、そこには力無く海面に浮かぶ村雨の姿がある。直撃を受けた彼女は意識を失い、艤装も損壊して着衣も酷い有り様だったが、身体に目立った外傷は無かった。
村雨の艤装は大破している、まだ辛うじて海面に浮き続けるだけの能力は残しているが、最悪浮いていることさえままならなくなっていた可能性もあった。
「村雨は!?」
「大丈夫、息はまだしっかりしてる。すぐに内火艇に上げて」
時雨が内火艇を伴って三人の元にたどり着くと、夕立に守られた白露が気を失った村雨を抱え上げつつそう指示する。時雨は内火艇に乗っていた自衛官と共に手分けして、村雨を内火艇に上げた。
弾を撃ち尽くしたのか、敵の飛行体は既に飛び去って行っていたが、二次攻撃の可能性は十分にありえる状況である。そしてここに至り、司令部である<たかなみ>からの新たな指示が各部隊に入ってきた。その内容は揚陸作業の中止と内火艇の適宜ウェノ島と護衛艦への避退、そして全艦娘の母艦への帰艦というものである。
「時雨と夕立は帰艦して」
その命令を受けて、白露は時雨と夕立にそう指示を出した。
「白露はどうするの?」
「私は内火艇も村雨も放っておけないから、春島に行こうと思う」
時雨が訊くと、彼女はそう答えた。村雨は単独では動けないし、そのために7kt足らずしか速度の出ない内火艇を連れて移動すれば、その護衛のために今だ健在である時雨たちも、敵の第二次攻撃で余計な被害を受ける可能性がある。なにより内火艇とその乗組員を危険に晒すことになるから、内火艇は村雨ごとウェノ島に逃がすしかなかった。
そこに白露が同行することは命令違反であるが、ウェノ島への途上で敵の第二次攻撃を受ける恐れもある作業挺と村雨を、そのまま見送ることが出来なかったから、共にウェノ島へと逃げることを選んだのである。
「じゃあ夕立も行く!」
「僕も行く。白露だけに任せっきりにするのなんて・・・」
「ダメ!」
時雨と夕立は白露の意図を聞いて同行を申し出ようとしたが、言い終わる前に彼女はそれを強く突っぱねた。
「司令部は全員に帰艦命令を出した、それは春島に退避させた揚陸部隊を救出する必要があるから、戦力をまとめるためにだよ」
白露は、下された命令から司令部の意図をある程度推察している。完全に制空権を奪われ、戦いの主導権が敵にある現在の状況で、わざわざその中に居座って応戦しても必要以上に被害を受けてしまうだけだ。だから戦力をまとめつつ一度敵の航空攻撃可能圏から離脱して、陣容を整えてから再攻勢に打って出ようというのである。そしてそれを行うためには、如何様にも作戦を立てられるよう戦力は少しでも多いほうがいい。
「村雨が戻れなくて、私が残って、そして時雨と夕立まで残ったら、ちょっと残りすぎだよ。時雨と夕立は<きりさめ>に帰って、私たちを助ける作戦に力を使わないといけないから、だから今は行って」
そこまで推察して、意味付けまでされて帰艦を諭された二人は、彼女の理屈を理解して指示に従わざるをえなかった。白露の理屈に従うならば、二人は彼女自身にも帰艦を迫らなければならないところだが、村雨を放ってはおけないという白露の心情は理解出来たし、それは二人も同じだったから、そこにはあえて触れずに村雨を彼女に任せることにしたのである。
「絶対助けにくるから!」
そしてついに別れとなった時、内火艇と共に離れていく白露に、夕立は叫んだ。
「すぐ助けに行くからー!」
それは彼女の誓いであった。