2022年4月。人類は深海棲艦によってシーレーンを遮断されていた。
シーレーンとは、中東沿岸のアラビア海からインド洋を東進し、マラッカ海峡から南シナ海に入った後これを北東方向に北上して、台湾フィリピン間のバシー海峡を抜けて極東アジアに至る世界の主要海上輸送路の一つである。
現在国連軍極東管区が拠点としている日本も、タンカーでこの輸送路を往復して中東から石油を輸入していたのであるが、そのシーレーンが遮断された現在、資源輸入は完全に途絶している状態にあった。
資源輸入の途絶は、国内に資源を持たない日本が困窮することを意味している。実際シーレーンが遮断されて以降、日本国内の状況は様々な面でそれ以前とは様変わりしていた。
まず石油や核燃料等の途絶は、電力事情を逼迫させている。発電所を稼働させるための燃料が限りあるものになったため、国内の発電施設の実に三割が稼働を停止せざるを得なくなったのだ。
影響はそれだけに留まらない。わずかな備蓄燃料の消費を抑えるために各種の交通は規制され、物資輸送も最低限にまで抑制されたのである。また貴重な電力の節電と、原材料不足のために多くの生産企業が休業を余儀なくされたため、あらゆる生産活動はその大半が操業が停滞、あるいは停止してしまい、物資が欠乏する事態が起こったのだ。海外の製品が入って来ないのは当たり前であり、日本企業の海外工場で生産された製品ももちろん国内に入って来ることはない。
そして物資不足の中でも、特に深刻な状況にあるのが食料品の不足であった。日本は国内で消費する食料の6割を輸入に頼っているため、その食料輸入の大半が途絶えたことは、日本を食料不足に追い込んだのである。その状況は最悪であり、数ヵ月後には国内で確実に餓死者が出ると言われるまでの状態に陥っているのだ。
深海棲艦の海上封鎖は日本の経済を完全に崩壊させ、その国民生活から電力、物資、食料を完全に奪い去ったのである。そしてこの状況がこのまま続いた場合、日本はあと半年で滅亡すると言われていた。消費を最大限に抑えても、日本に残っている資源はあと半年で底をついてしまうからである。
あと半年後に迫った日本の滅亡。その滅亡を日本は良しとしないが、それは国連軍極東管区にとっても同じであった。
アメリカ太平洋艦隊の壊滅以降、大陸の各国は国連軍に非協力的であったため、このまま最後の拠点である日本を失えば、国連軍極東管区も同時に行動不能に陥ってしまうのである。それは極東地域の制海圏が、完全に失われてしまうことを意味していた。
これを防ぐためにも、国連軍極東管区統合作戦本部はシーレーン奪還を最重要の作戦課題と考え、シーレーン解放作戦と太平洋諸島作戦という二つの作戦を計画したのである。この内太平洋諸島作戦は、小笠原、マリアナ、チューク諸島に哨戒、迎撃のための拠点を構築して、シーレーン解放作戦を情報面から支援する作戦であった。
第二、第三艦隊が担当するこの作戦は既に発動されており、16日に第二艦隊が、続く17日には第三艦隊が横須賀基地を出撃して、太平洋上を南進している。そして第一艦隊も、本命のシーレーン解放作戦を担当するために呉基地に集結し、作戦発動を待って待機していた。
資源枯渇まであと半年。日本と国連軍極東管区に残された時間は、すでに長くはなかった。
4月19日。呉に吹き込む瀬戸内の風は乾いていた。
海上自衛隊の一大拠点であり、また現在は国連軍極東管区の拠点でもある呉基地の港には5隻の艦艇が停泊している。それは国連軍極東管区第一艦隊だ。
国連軍極東管区は現在、この第一艦隊を含めて三つの艦隊を編成している。しかしこれらとは別に、国連軍極東管区には近海防衛部隊というものがあった。
それは読んで字のごとく近海を防衛する部隊であり、極東管区の拠点である日本を防衛する部隊ということである。呉第二方面隊は、その近海防衛部隊を構成する五つの方面隊の内の一つであり、呉を拠点に沖縄以北の南西諸島防衛を主任務としている部隊だ。
妙高型巡洋艦娘の妙高は、この呉第二方面隊の艦娘部隊に所属している。そして彼女は今、呉基地の司令部庁舎裏手という基地外部からは死角となるその場所で、3人の姉妹と共にTシャツにスパッツという出で立ちでバドミントンに興じていた。
近海防衛部隊所属というのは、艦隊所属に比べて緊張の度合いが少なく、余った時間も多い。しかし暇な時間が多くとも、艦娘という存在は現在国連軍の最重要機密であり、その存在は一般に対して秘匿されているため、彼女達は呉基地から出ることを許されていなかった。
艦娘がなぜそのように秘匿されているのかと言えば、現状を保留するための暫定的処分であると言える。それは艦娘がどのような存在であるかということを、極東管区司令部も日本政府も一般に向けて説明出来なかったからだ。
艦娘という存在には根本的な部分で謎が多く、具体的な説明はしようがない状態にある。仮に現状でその存在を公表した場合、それに対する説明責任が発生するのだが、艦娘については本当に"謎の存在"としか言い様が無い。そんな説明をしようものなら、説明が不誠実であるとか、事実の隠蔽だなどと言われて、いわれのないバッシングを受けることは明白であり、その上得体の知れない存在に頼ったということによって、国連軍への信用が揺らぐことさえもあり得るのである。そういう事情があるから、艦娘については明確な説明が出来るようになるまで、その公表を待つことになったのだ。
そのため4人は基地の敷地内だけで日々を過ごさなければならないのである。そして基地内には娯楽の類いがほとんど無いため、ちょうど道具が一式あったバドミントンで暇を潰しているのだ。
「あっ」
足柄は妙高のいる方へと、シャトルを緩く飛ばしてしまう。それはスマッシュを打ち込む絶好の機会であった。
しかし妙高は、そのシャトルを打ち返すことに失敗する。ラケットを振るタイミングがまるで合っていなかったため、シャトルはラケットにかすりもせず地面に落ちてしまったのだ。
「え?」
その初歩的なミスに、妙高は自分でもそう言葉を漏らす。彼女の運動能力は姉妹の中でも劣るということはなく、普段はこんなことなどあり得ないからだ。
しかも落としたのはこれが初めてではないのである。妙高はこの1ゲームだけで既に3回も落としており、その様子は明らかにおかしかった。
「姉さん大丈夫か?今日はやけに調子が悪いが?」
そんな彼女の様子を見て、ペアである那智は心配そうに声を掛ける。
「少し休みます?」
そして長女の異変を重く受け止めたのか、末妹の羽黒からもそう持ち掛けられた。妹たちに心配を掛けるのは忍びなかったので、妙高は一度休憩することを決める。そうして4人はバドミントンを一時中断すると、休憩を取ることになった。
「姉さんが今日不調なのって」
「?」
「高雄さんと会えなくなったから?」
「え?」
そして妙高が姉妹達と共に司令部庁舎の壁に持たれるように座り、しばしの静かな一時を過ごしていると、足柄がふと唐突な質問を妙高に投げ掛ける。
「違うの?」
「え?えっと・・・」
その突然の問いに妙高は、戸惑うが、足柄に重ねて尋ねられると、妙高はそれを否定出来なかった。
高雄型重巡洋艦娘の高雄は、第一艦隊配属の護衛艦<あたご>艦載部隊所属の艦娘であり、妙高とは編成も所属部隊もまったく違う。そんな高雄と妙高であったが、しかし二人は親しい友人関係にあった。
二人が友人であるのは、彼女達が持つ艦の記憶に理由がある。二人の持つ艦の記憶は、それぞれ重巡洋艦妙高と高雄のものなのだが、この二艦は共に、大戦時末期に行動不能となってシンガポールで空を睨みながら、終戦を迎えたという共通点を持っているのだ。
艦娘にとって艦の記憶というものは、当時の無機物である艦に感情があったわけではないので、記憶と言うよりは記録や知識とでも言った方が正しい散文的なものである。しかし記録や知識という形であったとしても、その時の克明な光景や状況が頭の中に存在しているというのであれば、艦娘として感情を得た時にそれに感化されたとしても不自然なことではない。
故に動くこともままならない中で空を睨み続けたシンガポールでの記憶は、二人にとって印象深いものであったし、そんな境遇の似通った二人が出会ったならば、親近感を感じ合うようになるのも当然なのである。
そんな妙高と高雄であったが、現在は会うことが出来ない状態にあった。それはシーレーン解放作戦の発動を控えて、第一艦隊に出撃待機命令が掛かったため、呉基地へと出てくることが出来なくなっているからである。
それまで高雄含めた艦隊配備の艦娘たちは、機密保持のために洋上訓練も出来なければ、艦内で仕事があるわけでもないのでよく暇を持て余して基地側に来ていたのだが、しかし艦上での常時待機が命令された今、もうそれは許されなくなっていたのだ。
シーレーン解放作戦を担当する第一艦隊への出撃待機命令が、太平洋諸島諸島作戦が3分の1も完了しない内に出るというのは早すぎるように思えるかもしれないが、これには理由がある。それは第一艦隊への出撃命令がシーレーン解放作戦の発動と共に、サイパン島の哨戒拠点化を目的とした太平洋諸島作戦第二作戦の完了を発令条件としているからであった。つまりシーレーン解放作戦は太平洋諸島作戦の完了を待たずに、その進行度合いに応じて同時に行われることになっているのである。
万全を来するなら、シーレーン解放作戦の発動は太平洋諸島作戦の完了まで待つべきであり、それが定石である。しかし資源供給を絶たれた日本と国連軍極東管区に残された時間はあと半年しかなかったため、シーレーンを一刻も早く奪回しなければならなかった国連軍極東管区は、作戦の同時進行という不確実な選択肢を選んででも、いち早く行動を起こさなければならなかったのだ。待機命令が早晩に掛かったのは、そういう都合があったからである。
「そうね、確かに寂しいのはそうなんだけど、私がぼやっとしちゃってたのは、きっと高雄を心配しているからよ」
「心配?」
ただ足柄の寂しいのかという指摘は厳密には違って、妙高が不調なのは、彼女が高雄を心配するあまり集中力を欠いているからだ。
「直接相談されたわけじゃないんだけど、なんだか高雄、本土に残る私達を心配しているみたいなのよ」
「私達を?」
「ええ」
それは妙高の体感だが、高雄は妙高をはじめとする近海防衛部隊の艦娘たちのことを心配しているようなのである。それは昨日の午後、妙高が基地から第一艦隊へ帰る彼女を見送るため、二人で桟橋へと向かっていた時のことであった。