装甲少女隊、北へ CODE1940   作:ボストーク

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皆様、こんにちわ~。
なんとか時間を無理やりひねり出して連日投降と相成りました。

今回のエピソードも女の子が出てきません(^^
というか情報将校なので名前が出せない(笑)爺ちゃんやおっさんや兄ちゃんが喋るだけです。

意味深なサブタイの意味は、最後に判明?




第08話 ”キャスト決定 CODE1931-1940”

 

 

 

戦争は戦場だけで行われるわけではない。

いや、むしろ戦場で行われる戦闘、あるいは戦争自体は『結果』であり、戦争の趨勢は戦場の外で決まり、戦争に至る過程はそれ以前に存在する。

正しく「戦争は政治の一形態に過ぎない」のである。

 

 

 

さて、激動の1930年代の始まりである。

 

1931年12月24日、米国は「日本の租借地であったものをさらに委任統治する」というややこしい体裁で実効支配していた満州を、自国の自治連邦区(コモンウェルス)として編入することを決定した。

同時に蒋懐石率いる国民党を、中華民国唯一の正統政府と認めると発表したのである。

 

無論、激怒したのがソ連だ。

当然、満州のコモンウェルス化などは認めず、また「中華民国唯一の正統政府は、”毛沢山”率いる共産党だ」と猛反発。

何しろ遡ること11月7日、中華共産党を主軸とする【中華ソビエト共和国臨時政府】を江西省瑞金に開かせたばかりなのだ。

 

これに対し、米国の後ろ盾を得ていた国民党は共産党の支配地域への猛攻を開始。

1934年、ついに瑞金を包囲することに成功する。

共産党は瑞金の放棄を決定、壊滅的被害を被りながら国民党の包囲をすり抜けて陝西省延安に落ち延びる(共産党用語では”長征”)。

実際、国民党の追撃をかわしながらの逃避行は2年間、徒歩で12,500kmの距離続くことになる。

またこの時、この包囲戦によって中華ソビエト共和国臨時政府は事実上崩壊する。

 

 

 

また史実では1936年、第二次国共合作の基点となるヨシフ・スターリンの指令で共産党プロデュースの張学良・楊虎城らによる”蒋介石”拉致監禁事件、いわゆる【西安事件】が起こるのであるが……

”この世界”ではバックにつけてるアメリカが、ソ連に対抗するため史実よりかなり早期に”優秀な諜報機関(OSS)”を組織していたために、これは未然に防がれることになる。

 

蛇足ではあるが、この時期の日本といえば、史実では満州国が成立した1932年にはついに『門』外勢力を帝都より駆逐した『5・15戦役』あるいは『帝都奪還戦』があり、36年は2月26日についに準備が整い『門』の向こう側へ逆侵攻をかけた『2・26出陣』がある。

 

いずれにせよこの時期、日本は中華大陸に深くコミットすることは無かった。

 

 

 

***

 

 

 

”この世界”での西安事件……蒋懐石を誘拐し、”説得”し国民党を日本ではなく米国と戦わせ、共倒れを狙おうとした目論見は未然に防がれた。

ソ連の指導者がスターリンではなくトロツキーだから失敗したという解釈は間違っているだろう。

当時、米国が中華大陸内に張り巡らせていた諜報網を考えれば、しかもその諜報網が香港に拠点をおく”SIS”……英国王立秘密諜報部第6課(MI6)の極東支部との強い協力体制が確立されていたとなれば、例えスターリンと粛清紳士(NKVD)の組み合わせがあったとしても成功はしなかっただろう。

 

自分の拉致誘拐計画があったと知った蒋懐石は激怒し、ますます共産党討伐に熱を注いでいくことになる。

こうして第二次国共合作は失敗し、ソ連は中ソ国境線に追い込まれた中国共産党を直接支援せざるえなくなり、長い内戦が再び始まることになった。

 

 

 

第二次国共合作に失敗したとはいえ、ソ連は中華民国、何より満州コモンウェルスに対する介入を諦めてはいなかった。

 

共産党が瑞金で包囲された1934年、今度はソ連は蒙古(モンゴル)に接触することになる。

当初はソ連とモンゴルの間で結ばれた口頭の紳士協定だったが……

協定が成立してからソ連のモンゴルや満州内での工作もあり、満蒙国境で小規模軍事衝突が頻発する情況となった。

そして1935年10月、モンゴルのゲンドゥン首相が「ソ連は唯一の友好国」であるとして、ソ連への軍事援助を求めるなどの事態が発生。

 

このような背景があり、また歴史的にもソ連が紳士協定など遵守するはずも無く、ソ連の圧力に屈する形でモンゴルは、満州コモンウェルス内の米軍と中華民国軍を仮想敵とした事実上の軍事同盟……「ソ蒙相互援助議定書」に署名せざる得なくなる。

1936年の事だ。

そして議定書が締結された直後、ソ連軍はモンゴルに進駐を開始。在蒙ソ連軍を形成する。

 

無論、これは米国だけでなく長年モンゴルの領有権を主張する中華民国も激怒させた。

 

米国や中華民国の批難にもかかわらず1937年、巨大な在蒙ソ連軍はモンゴルにおいて大々的に内政干渉を開始し、ついに「反革命的米国のスパイを捕縛する」という名目でモンゴル政府指導者やモンゴル軍人に対して大粛清を実施する。

この大粛清は39年まで続き、最終的に親ソ派(かいらい)のチョンバルサン元帥が政府権力を掌握することになり対米政策を硬化させることへ繋がる。

 

スターリンだから大粛清がおき、トロツキーなら起きないという認識はあくまでソ連国内に限定された区分だったようだ。

 

 

 

とにもかくにも、ここにノモンハンの軍事衝突へ繋がる対立要因が出揃うことになった。

 

 

 

 

 

 

 

****************************************

 

 

 

 

再び舞台は米国国防総省(ペンタゴン)のとある一室へ戻る。

 

 

 

さて、皆さんは『スターリン線』というものが史実に存在していたことをご存知だろうか?

要塞線と言えば有名どころでは真っ先に出てくるフランスのマジノ線、ちょっとマイナーなドイツのジークフリート線。実際には要塞線とは呼べないがフィンランドのマンネルヘイム線などもそうだろうか?

だが、ソ連も負けず劣らずの要塞線を東西に築城していた。史実である。

西のスターリン線はバルト海から黒海に至る長大なものだったが、お粗末な防衛設備や政策の混乱の影響なども重なり、侵攻したドイツ軍にあっさりと突破されてしまったゆえにあまりメジャーではない。

 

では東のスターリン線とはなんぞや?と言うと……

史実では日本の侵攻に備え、モンゴルの干渉を契機に満ソ国境線から満蒙国境線に張り巡らされた国境線で、それは巨大軍事拠点”タムサク・ボラグ”に続いていた。

 

そしてソ連の指導者がトロツキーとなった”この世界”においても、西はともかく東の要塞線……【トロツキー線】はやはり築城されていた。

最大の軍事拠点は史実同様にタムサク・ボラグであり、ソ連から補給路を確保するために満ソ国境から数十km奥にあるソ連の街ボルジャ - モンゴル内の補給拠点バイン・トゥメン - タムサク・ボラグの間に鉄道が引かれ、またマタト、ウラン・ツィレクという補給基地も用意された。

 

米国の情報将校徽章をつけた面々が頭を悩ませてるのが、そのトロツキー線に続々と終結してるソ連軍であった。

 

「我々も軍は集結させているのだがな……」

 

「しかし、士気は高くないぞ? 我々の”M3中戦車”では、ソ連の新型戦車……ほら、”冬戦争”でデビューした……なんと言ったか?」

 

「”T-34中戦車”ですよ。大佐殿」

 

「おお、そうだった。やれやれ歳はとりたくないものだ。思い出すだけで苦労する」

 

「ははっ、小官も人事ではありませんな。届いたデータが正しいとするなら、おそらく性能的に正面きって勝つのは難しいでしょうな……認めたくはありませんが」

 

中佐の階級章をつけた情報将校は、『TOP SECRET』の赤いスタンプが押された資料を見やる。

 

「コッチは75mmの半固定砲に対し、向こうは同クラスの旋回砲。装甲も機動力もM3よりT-34が上回ると予想されます」

 

「いや、実際の性能差よりむしろ士気に影響するのは、前線の将兵が”ハサーン湖事件(ケース・レイクハサーン)”を引きずってる方じゃないのか?」

 

 

 

***

 

 

 

”ハサーン湖事件”、日本では”張鼓峰事件”として知られる米ソの軍事衝突は、1938年に勃発した。

場所は満州東南、ソ連と国境を接する豆満江とハサーン湖の間に位置する150mほどの丘陵張鼓峰だ。

 

事件の概要はこうだ。

そもそもこの軍事衝突は、互いの国境線の「意図的な認識の違い」により起きた。

ソ連は国境を張鼓峰の頂上を通過してると主張したのに対し、米国は鼓峰頂上一帯は満洲領であるとの見解を持っていた。

実際には、このあたりの国境線の認識は曖昧であった。

 

米国は7月より度重なる侵犯に「張鼓峰とその北方である沙草峰を結ぶライン、豆満江東岸(イーストバンク)は満州コモンウェルスの領土」とソ連に警告する。

しかし、1938年7月29日、ソ連軍は張鼓峰に向けて進軍を開始。続いて沙草峰にも進軍を開始した。

 

これによりついに国境紛争に発展した。

双方、航空機まで投入した大規模な衝突となったが……もっとも問題となったのが、『米国の装甲戦闘車両がソ連の同種兵器に翻弄され苦戦した』という事実だろう。

 

当時、米国はまだ”M2中戦車”すら完成しておらず主力は”M2軽戦車”のみで、対してソ連はT-28中戦車/T-35重戦車、そして37年のスペイン内乱でデビューしたばかりのBT-5快速戦車まで投入したのだ。

米国最初の機甲戦は敗北に終わり、それを砲兵隊や航空隊の活躍で失点を取り戻したというのがこの国境紛争の実態だろう。

 

日本は日米同盟の履行のために参戦準備はしていたが、この衝突自体は三週間ほどで終結したために参戦の機会は無かった。

 

 

 

***

 

 

 

ソ連の装甲戦闘力に驚いた米国は急遽、戦車開発を加速させることになる。

まだ配備も始まってない開発中のM2中戦車は「現時点でも力不足」とされ、即座に新型戦車の開発プロジェクトが立ち上がった。

 

当初、アンドレ・リチャード・チャーフィー・ジュニア米国陸軍少将と米陸軍兵器局の会談の中で、「次世代中戦車は装甲を強化した上で 75 mm 砲を搭載が必須」とされた上で、「同時に75mm砲を搭載可能な大型砲塔、砲塔リングなどを早急に設計するには兵器局は経験不足である」という結論が為された。

そうであるが故に、まずは半固定砲であるM3中戦車、そして75mm砲搭載戦車の経験を十分積んだ上で75mm旋回砲塔を標準搭載するM4中戦車の開発を行うと決定したのだ。

 

ただ米国は同盟国である日本が既に「75mm旋回砲塔を搭載する戦車」、九五式重戦車/九八式重戦車を開発/配備していたことを失念していたと言わざるおえない。

もっともこれは無理もない話で、九五式/九八式は『門』の向こう側……36年以降『特地』と通称される地域に集中配備されており、日本本国でお目にかかることは滅多になかった。

本国陸軍に配備されているのは九七式中戦車ばかりであれば、見落とすのは仕方の無いことではあるだろう。

 

もっとも失念してただけで思い出した米国は、張鼓峰事件で磨耗した陸軍戦車部隊を補うべく(そして自国での研究用も含めて)、1000両もの九八式の大量発注を行ったのだった。

米国が日本の戦車を輸入するなど前代未聞、史実ならありえない話だが……いざとなればなりふり構わない柔軟な対応が取れるのもアメリカの強みだ。

しかもこの世界では1924年の『日米砲弾/弾薬相互間協定』があり、主砲弾から機銃弾に至るまで米国と共有化されているのだ。

エンジンはガソリン・エンジン大好きな米国と違ってディーゼルだが、そんな物はディーゼル燃料(軽油)を優先供給されてる海軍や海兵隊から都合してもらうか、でなければ同じく日本から買い取ればいい。

この時代、相互協定の適応範囲は拡大され、ガソリンをはじめとする各種燃料油も日米で統一規格が採用されてるのだからなんら問題はない。

 

ところが、これで泡食ったのは大日本帝国政府と戦車開発製造メーカーだ。

値段分の借款棒引きは嬉しいが、ただでさえ『特地』配備分のバックオーダーを抱えた状態での受注、それも九五式から改修を含めた『特地』の一次配備数に匹敵するオーダーときたもんだ。

お陰で既存の九八式関連工場は以後、三交代制二十四時間操業の『デスマーチ・フル生産』を2年間もの間行う羽目となったのだ。

 

お陰で一式中戦車の生産は、九八式と共用の部品以外は既存の生産設備ではなく大部分が九七式中戦車の製造ラインを改築するか、新規工場で行われることになった。

 

 

 

***

 

 

 

「しかし、ケース・レイクハサーンほどには酷い情況にはなるまい? M3以外にも赤い血の流れるアメリカ人としては口惜しいが、満州コモンウェルスには800両以上のTYPE-98(九八式)重戦車が配備されてるんだ」

 

「いや、確かにTYPE-98は重装甲/高火力のいい戦車だが、馬力が足りずに鈍足なのが泣き所だからな。歩兵戦車や移動トーチカとして使うなら申し分ないが、機動力で引っ掻き回されたら厄介だ」

 

まさか史実では戦後に民間車両で高い評価をされた日本車が、”この世界”では公式に第二次大戦前によりによって戦車で米国に高評価されるとは誰も思いもしなかったろう。

これも超前倒しのモータリゼーションの恩恵だろうか?

 

「となると性能面でまがいなりにも張り合えるのは、やはり我が国のM4中戦車ということか……おい、生産情況はどうなっている?」

 

「ようやく先行量産型の数がそろい始めたばかりさ。ついでに言っておけば性能面で似通った日本のTYPE-1(一式)中戦車もテスト・プロダクション・モデルが完成したばかりで情況は似たりよったりらしい」

 

ここはいっそ驚くべき事象ではなかろうか?

いくら張鼓峰事件の当事者とはいえ、そして彼の地でソ連戦車の脅威のメカニズムを思い知ったとはいえ、あるいは九八式重戦車というお手本があったとはいえ史実より2年近く早く彼らはM4中戦車を完成させたと言っているのだ。

 

言い方を変えるなら、”この世界”では5年も前に旋回砲塔に75mm砲を搭載した日本の次期中戦車とカタログスペック的には遜色のない戦車をもう生み出してる……日本に戦車製造技術で追いついたといえる。

日本のモータリゼーション自体が米国の牽引で始まったのだから、当然と言えば当然なのだが、それでも驚嘆に値する工業力であった。

 

「それじゃあ”駆逐戦車”のほうはどうだ?」

 

「”M10”のことか? むしろM4より計画は遅れてるよ。辛うじて投入できるのは”M3対戦車自走砲”か”M6ファーゴ”くらいだ」

 

M3対戦車自走砲とは最近、日本でも大量生産が始まった装甲半装軌車(ハーフトラック)の荷台に、野砲ベースのM1897A4/75mm砲を搭載したモデルで、M6ファーゴにいたっては小型軍用トラックの荷台に防盾付きのM3/37mm対戦車砲と弾薬箱を追加しただけの簡易自走砲だ。

正直、まともな戦車と戦うには火力もそうだが、何より防御力不足だ。

 

「こんな実情が知られたら、ますます士気が下がるな……すでにノモンハン周辺では『ロシア人(イワン)が新型の化物戦車で俺達を殺しに来る』という噂が流れている。間違いなく共産主義者(コミュニスト)の工作員の仕業だろうが」

 

「困ったな……そんな具合じゃ、勝てる戦も勝てんぞ?」

 

「皆さん、ならばいっそ発想を変えませんか?」

 

そう発言したのは、一番歳若の士官だった。

 

「大尉、どういう意味だね?」

 

「はい。彼我の戦車の性能差は遺憾ながら変えられません。ならば、別の方法を使い現地の士気を上げるのです」

 

「ほう……言ってみたまえ」

 

最年長の将官が興味深そうな目をすると、

 

「せっかく我々には”志願兵募集用広報部隊(ピンナップ・ガールズ)”がいるのですから、それを有効利用しない手はありません」

 

「なるほど……”モンロー”でも慰問に向かわせるのかね?」

 

モンローとは多分、あのハリウッドの誇るお色気女優、人気急上昇の”マリアンヌ・モンロー”のことだろう。

 

「もっと適任がいるじゃないですか? モンローより愛らしく可憐で、なおかつ戦車を自在に操る我ら陸軍の誇るスーパー・アイドル・チームが!」

 

将官はポンと手を打ち、

 

「そうかっ! サンダース戦車中隊(サンダース・タンクトルーパーズ)か!!」

 

尉官の若者はわが意を得たりと大きく頷き、

 

「そうです。サンダース・タンクトルーパーズに最新鋭のM4中戦車を渡し、慣熟してもらう。その後にノモンハンに降り立ち、士気の鼓舞……我ながら、悪くないアイデアだと思いますが?」

 

しかし、そこに異を唱えるものがいた。

 

「待ちたまえ。確かにいいアイデアだとは思うが……しかし、サンダース・タンクトルーパーズと新鋭M4の組み合わせで万が一にも敗北するようなことがあれば、その時は一気に士気は瓦解するぞ?」

 

佐官の言葉は最もだと思った尉官は、

 

「では、保険をつけましょう」

 

「保険?」

 

「なんでもリーダーのケイ・ユリシーズ・サンダースには”特別な関係”の女性軍人がいるとか? 折り良くその女性軍人はプロトタイプTYPE-1(試製一式中戦車)のテストクルーをやっているそうですね?」

 

「つまり君はこう言いたいのかね? そろそろプロトタイプTYPE-1も実戦テストの頃合だろうと? 日本もそれを内心では望んでいると」

 

この業界で長い間飯を食ってきた老将は好好爺然とした笑みを浮かべた。

 

「その前に”予備行動(バッファー)”として、『新型中戦車同士の実車比較調査を日本で行いたい』と提案すれば万全かと思われます。閣下」

 

「ふふん。【シベリア出兵方式(ケース・シベリア)】というわけか?」

 

老将は鷹揚に頷き、

 

「いいだろう。存分にやりたまえ」

 

 

 

こうして満州コモンウェルスより遠く離れた白亜の五稜殿で、ノモンハンを舞台とした”熱く激しい厳冬”への参加キャストが決まった。

戦場で戦うのは前線の将兵なれど、戦争をプロデュースするのは彼らではない。

前線の将兵は、いつだって戦う戦場は選べないのだから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 





皆様、ご愛読ありがとうございました。
前話と合わせて前後編となる対のエピソードはいかがだったでしょうか?

シャーマンが早期デビューの理由や、なぜケイ達が出てくる……タグにサンダースが付いてる理由が書けて、作者的にはホッとしとります(^^

それにしてもペンタゴンにお住まいの方々は腹黒いことで(笑)

さて、次回こそはそろそろ女の子出さないと書き方忘れそうで怖いです。
それでは皆様、また次回にてお会いしましょう!



***



設定資料



M4中戦車(先行量産型)

主砲:M3/75mm戦車砲(口径75mm、37.5口径長)
機銃:M2重機関銃(12.7mm)×1(砲塔上面)
   M1919A4車載機関銃(7.62mm)×2(主砲同軸、車体前面)
エンジン:ライトR-975-C/4ストローク・ガソリンエンジン(空冷星型9気筒、400馬力)
車体重量:30.4t
装甲厚:砲塔前面89mm(最大),車体前面51mm(最大)
サスペンション:VVSS式
変速機:前進5段/後進1段
操向装置:二重差動式スリーピース型コントロール・ディファレンシャル
最高速:38.62km/h
乗員:定員5名
特殊装備:車載無線機

備考
”この世界”での張鼓峰事件(ハサーン湖事件)で遭遇したソ連戦車に脅威を感じた米国陸軍が、登場する前に陳腐化が判明したM2中戦車の計画を縮小(事実上の計画廃棄)し、新型戦車開発計画を前倒ししたために史実より二年近く早く登場したアメリカの誇る中戦車。
ちなみに”シャーマン”というペットネームは英国にレンドリースされてから付いた物であり、現状ではまだない。

凡そ史実の無印シャーマンと同じ内容では在るが、最大の違いは「全車に車載無線機が標準搭載されてること」だ。
意外に思われるかもしれないが……一説によれば第二次大戦中期まで米国戦車の無線機搭載率は4割程度で史実のソ連戦車より大分マシとはいえかなり低く、全車に無線機が搭載されるのは1944年に入ってからだった。

しかし、”この世界”では日本が戦車の無線機搭載率を100%にしていたため、それが慣例となり全車搭載となったようだ(日本の場合は少ない戦車をより有機的/効率的に使うためという目論見だったのだが)。

また1924年の『日米砲弾/弾薬相互間協定』により、砲弾や銃弾は完全に日本の九五式/九八式重戦車や一式中戦車と共通化しており、燃料を除けば合同戦線でも大きな不安は無い。

米国人は決して認めたがらないだろうが……M4が早期に完成したのは、大量のTYPE-98(九八式)重戦車を日本より購入し、徹底的に解析した影響も無視できないだろう。











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