Fate書いたりGOやったりガクトゥーンしたりDiesやったりで、マジ恋への熱意を失いかけていましたが…………弁慶の御陰で意欲を取り戻しました。
暫くは続けて更新出来るかなあ、と。
追記
誤って投稿してしまい、混乱を生じさせた事を深くお詫びいたします。
次からはこのような事態が起こらぬよう、気を付けて参ります。
――――――――懐かしい夢を見ている。今から三年ほど前の出来事だ。
往くぞ――――とだけ呟いて彼女は駆けた。次の瞬間、迅雷にも等しき速度で彼女は間合いを詰めてくる。
正しく人外のスピード。
ならば、それを目の前にして。おまけに迫っている最中だというのに、こんな考えをしている自分は一体何なのだろうか。
震脚の極意は無音にして神速。爆ぜるような轟音を出す踏み込みは二流のそれで、一流の中でも頂点に位置する彼女の震脚がそんな代物の筈が無かった。
音も無く、自然に歩くように肉迫してくる彼女は凶弾そのものだが、昔と違って
兎に角、見えているのならば捌けば良い。拳は一直線に迫ってくるもの、故に判断は一瞬で済む。胴体を殴りに来る拳を左へ身を翻す事で躱し、無防備となった背中へ向けて蹴りを放つ。イメージは円だったり弧だろうか――――回転を加える事によって威力を底上げしている蹴り。ダメージこそは入らなくとも、崩れた体勢になった隙に連撃を加える――――!
だが、そうさせてくれないからこそ彼女は強く、自分の師匠として相応しいのだ。
拳を躱した瞬間から――――或いは拳を突き出した瞬間から――――彼女は自分の攻撃を読んでいた。蹴りを放った直後、突き出された右腕とは反対の左手が脛を掴んだ。捻りを加える事によって生まれた遠心力は、この瞬間完全に打ち消された。修羅の如く万力で骨を締め上げられ、思わず口から嗚咽が漏れる。痛い…………なんてものじゃない。骨の軋む感覚が神経を通じてリアルタイムに伝わってくるのだ、痛みよりも恐怖が優先される。
痛みは危険信号だ。脛を握られてそれが発信されているという事は、このままでは最悪な事になるぞ――――と。痛みを介してそれを伝えているのだ。故に恐ろしい、怖い。愛弟子にすら破壊の矛先を向ける彼女に一種の恐怖感すら覚えた。
だがそれを是とはしない。怖いのならば、恐怖を与える対象を沈黙されてば良いのだから。
左手で蹴りを封じられようとも、お構いなしに力を込める。八極拳を習い始めて五年が経つのだから、それなりの力は備わっている――――世間では怪力と言われるであろう力が。勁や気に関係しない剛力を駆使して、脚を束縛する師匠から逃れようとする。
無論師匠も、そう易々と解放したりはしない。男性の肉体構造や肉体年齢を考慮すると此方の方が力は上だが、彼方には往年の八極拳士としての矜持がある。力の流し方や込め方は師匠が断然優れているのだった。
故に相殺。自分の右脚と師匠の左手は完全に止まっていた。
「――――――――ッ」
「…………ふん」
だが、拮抗したままの状態は長く続かない。此方は両腕と左脚が、彼方は両脚と右腕が空いている。攻撃手段は幾らでもあるのだし――――何よりも、拮抗している部分の力を緩めれば更に手段は増えるのだ。
競り合っていたのは数秒にも満たない。刹那の時間での攻防はひとまず決着が付き、次なる攻防への糧となる。
と言っても、実質先程の攻防を制したのは彼女だ。力が拮抗しているのなら、上から押さえつけている分彼女に主導権がある。だからこそ、この場で拮抗が崩れるとしたら彼女が力を緩めたその時だ。
脚を押さえていた左手を離し、彼女の左脚が自身の左脚へ添えられる。彼女の左脚が、膝が内側にあった。それを確認したのと同時――――気付けば拙い、と呟いていた。己の心中を吐露するなど馬鹿者がする行為だが、致し方ない事だろう。
緩めた瞬間を狙った一撃を捨てて、回避に専念しようとするが――――既に遅い。
その技は
簡単に言えば体勢を崩すのが目的の技。内側から勁を加える事で根から崩す。只それだけに放たれるが故、必ず成功する。失敗は内側に脚を入り込ませる事が出来なかった時のみだ。
自分よりも背丈の小さい女性に体幹を揺さぶられる。その女性が自分よりも遥か高みに位置する武人だとしても…………やはり男である以上、異性に見下されるのを悔しく思ってしまうものだ。
視線が落ちる。地面へ近付いて行くのが嫌でも判った。まるで走馬灯のように、世界の流れる速度が遅くなっていく。恐らく震脚を見切った動体視力ですら、捉えきれない速度で迫り来る
――――――――ああ、なんて悔しいのか。
数年前なら良しとした敗北が、今となっては情けない。目の前の光景をどこまでも否定したい。自分に降り注ぐであろう事実を拒否したい。彼女に打倒される光景を、敗北という事実をかき消したい。
別段彼女以外の敗北は気にならないが、彼女によって齎される敗北は許せない。
決して敗北を嫌う訳ではない。寧ろ敗北は良きものだと考えている。そこから得られる糧は勝利で得られるものより遥かに多い。勝ち続ける人生になど意味が無い、敗北があるからこそ勝利の喜びがあるのだから。
だが――――彼女に負ける事だけは、絶対に嫌だ。死んでも嫌だ、歯を磨り潰す程嫌なのだ。
…………原因は単純と言うか間抜けと言うか。彼女に聞かせれば呆れる事間違いなしの、どうでもいい理由。男の意地と言うべき下らなくも素晴らしい理由。
好きな相手に自分の無様を晒したくないのは、至極当然であろう。
だからこそ足掻くのだ。例え惨めだろうと構わない、彼女に負けて失望されるのだったら、醜態を晒す方が数百倍マシだ。
「ッラァ!」
「ほう、ならば」
姿勢など最早メチャクチャ。幕引きの一撃を前にして正常な思考など働いておらず、次の一手など思考の片隅にも無いが…………今はこれで充分だった。
避けられないのならば、先程のように相殺すれば良い。崩れ落ちていく姿勢で放たれた拳は不完全だが、骨身を犠牲にするのなら相殺するのに充分だった。バキ、と嫌な音と感触は骨が折れた事を告げていて、それに続く形で激痛が走る。締め上げられる痛みも相当なものだが――――骨折の痛みも、かなりしんどい。
顔が歪むのを抑えられない。それ程までの激痛を感じても尚、拳に込める力を緩めたりはしない。例え骨が皮膚を裂き、関節が捻じ曲がろうと拳を引っ込める気は無かった。常識とか、打算とかそういうものじゃない――――男の意地で必死に喰らい付く。
折れろ、と。只そう願って放たれた拳は、見事相殺を可能とした。
しかし――――無謀と言える拳を受けて、尚冷静に彼女は切り返した。
倒れ込んだ自分を…………イメージとしてはサッカーボールだろうか、それを蹴り上げるように胴体を蹴る。体勢が崩れていて拳を出すのに精一杯な自分がそれを回避出来る筈も無く、風を置き去りにする蹴りによって三メートル程カチ上げられた。
肺から空気が漏れる。口から悲鳴が上がる。内臓が壊れていても可笑しくない一撃を受けて――――思わず口元が歪む。いや、別に痛みつけられて喜んでいる訳じゃない。
その容赦の無さに感謝して。真摯に取り組んでいる事が嬉しいから、痛くても笑ってしまうのだ。
「――――っ」
空中で何とか姿勢を戻し、獣のように四足で着地する。獣ではない人間がこのような体勢を取るのは動き難い事この上ないが、多少無理な体勢だろうと、叩きつけられるよりかはマシだ。
着地と同時、前方にて佇む女傑を睨む。追撃は無かった――――だからと言って油断している訳でも無い。寧ろ追撃を捨てて闘気を高めた所為で、更に威圧感が増している。肌を刺す気配は殺気と言って差し支えない程で…………冷や汗と嗚咽が漏れた。
恐れから来るものでは無い、歓喜から来る唸り。それが先程の嗚咽の正体だった。
「基本が崩れている。勁を当てられれば当て返せ、そう言った筈だが。
おまけに可笑しな姿勢で拳を放つなど言語道断。その証拠に、見てみろ。完全に骨が砕けている」
「…………うげ。まさかここまでボロボロとは」
一通りの攻防が終わったら、続きを開始するのでは無く反省点を指摘してもらう。彼女曰くまだ未熟なのだから長期戦闘は行わないとか。実際の所は八極拳の特性上、短期決戦なのだからわざわざ長く拳を交わす必要は無い、という判断なのだろう。
彼女の指摘を受け右手を凝視して――――思わず目を塞いだ。
右手は完全に破壊されていた。骨は皮膚を突き破り、関節は可笑しな方向に曲がっていて、血が川の如く垂れ流されている。それなのに痛みは全く無く、アドレナリンの偉大さをまじまじと見せられている気がする。
神経が馬鹿になっているのか、思った通りに右手が動かない。先程の着地で気が付かないのが可笑しい程の損傷だった。
「…………はぁ、まさか気付いていないとは。今日の鍛錬は終了だ、至急その拳を治すぞ」
闘気を霧散させて、師匠はゆっくりと此方へ近付いて来る。拳を握り、静かに目を閉じて集中力を高める。患部を触られている事よりも、彼女に手を握られている方がよっぽど感情を揺さぶられる。ああ、普段は厳しい人なのに、どうしてこんなにも魅力的なのだろうか。気の所為か、鼻腔をくすぐる香りが漂っているような。
そんな邪念に気付く事無く(もしくは気付いていて無視しているのか)、ゆっくりと気を高めていく師匠。荒ぶる気の波を抑えて、明鏡止水の心境へ。爆発させる気では無い、まるで相手を慮るような――――そんな気が周囲の空気を満たした。
心地良さ。それを感じて――――すると、彼女の気が自分に移っているのが判った。
「……………………おおっ、何だコレ」
「気の応用だ。気とはそれ即ち生命力、他者のモノである以上拒絶反応が出てしまうが…………どうやら想像以上に、お前と私の気は波長が似ているらしい。全く拒絶反応らしき代物が出てこない」
「それは嬉しいですね。師匠と似ている――――その言葉は、自分にとって最上級の誉れと等しい」
「冗談を言うのは止めろ。集中が乱れる」
急いで口を慎む。いや、誰だってあんな猛獣すら捻り潰せるであろう目で睨まれれば黙るだろう。
治療を開始して十分を経てば、ボロボロだった右手は普段通りに戻っていた。試しに気を込めたり開閉しても全く違和感が無い。寧ろ生命力の象徴である気を流された所為か調子が良い。
冲捶、川掌、
「さて。恐らく殆ど治っているとは思うが、一応病院へ行くぞ」
「別に大丈夫だと思いますけど」
「私が普段そういう技を使うと思うか?」
「いえ、全く。寧ろ傷付ける側ですね」
「……………………。兎に角、完治していない可能性がある以上、大事を取って本職に診てもらうのは当然だろう。それに、丁度私も用事があるしな」
「――――?」
医者に診てもらう? 気によって肉体年齢を二十代の全盛期に保っている彼女が?
疑問が一瞬沸いたが、それも一瞬。恐らくは自分を病院に行かせる為の詭弁だと判断して、彼女の面子を立てる為に大人しく従うとしよう。
「じゃあ、今すぐ行きましょうか。傷が治っても血は拭えませんし」
「そうだな」
◇ ◇ ◇
フリードリヒさんとの対話から一時間も経てば、辺りはすっかり暗くなっていた。
昼間ですら静かな住宅街は夜になると更に静かさを増していて、家内の灯りが無ければゴーストタウンと錯覚してしまう程。道の真ん中を堂々と歩いても咎める人はおらず、まるで自分だけの世界が展開されているようだった。車の音もテレビの音も聞こえずに、只々人間の営みの声だけが聞こえた。
街灯には無数の虫たちが群がり、電圧によって落ちていく。ある意味でこれも夏の風物詩なのだろうか。視線を一瞥、次の瞬間には興味を失って歩を進める。
昔はカブトムシやクワガタムシを採集する為に森へ出掛けたりしたが、師匠と出逢ってからは森に入る事=修行になった為で昆虫採集をしなくなっていた。別に蟲は嫌いではないのだけれども、死体に好んで触れようとは思わない。
薄暗い道を独りで歩く。幼少期はお化けが出ないか変質者が出ないかと怯えていたもんだが、変態橋で本物の変態を見てからは耐性が付いたのか特に何も感じなくなっていた。幽霊も師匠とかいう霊体よりも数万倍恐ろしい存在を知ってから、怖いとは思わなくなった。
「……………………」
数分も歩けば我が家の灯りが見えた。周りの家と比べたら大きいとも小さいとも言えない、三人家族なら丁度良い大きさの一軒家。
構造は二階造り。一階はリビングと和室、台所や水場と言った良くある部屋が並んでいる。二階はそれぞれの部屋になっていて、一番大きい部屋が父の書斎となっている。
うちの父親は俗に言う本の虫という奴で、貴重な休日の殆どを読書に使っている変人だ。まあ、運動が嫌いじゃないのが幸いと言うべきか、大きな病気に掛かる事も無く一家を支えてくれている。
次に大きい部屋が自分の部屋。本棚やDVDプレイヤー、テレビにパソコン、クローゼットその他諸々…………よくある学生の部屋だ。ただ電子機器は殆ど使っておらず、師匠の趣味に影響されて武士道に関する書物が多いのが特徴だろうか。自分が習っているのは八極拳――――つまりは中国武術だが、日本の「武士道」から学べるものは多い。
義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義。これ等の要素から成る武士道は、言わば道徳の一種だ。流派だとか武術に関係なく、吸収出来るものはとても多いのだ。
「ただいま」
「お帰りなさーい。先にシャワー浴びて来なさい」
扉を開けた瞬間、強烈なスパイスの香りが鼻に届く。どうやら今日はカレーらしく、スパイシーな香りが漂っていた。おまけに珍しくレトルトでは無いようで、包丁がまな板を叩く小気味いい音が聞こえてきた。
シャワーを浴びて来い――――つまりまだ料理は出来ていないようだ。なら仕方ない、正直言って空腹だが先にさっぱりしてくるとしよう。
階段を上り自室に入った。真っ暗な状態でも、クローゼットの場所が把握出来る程度には慣れている。暗闇の中で下着類とハンガーに掛けてある寝巻きを取り、一階にある風呂場へ突撃した。
洗濯物は洗濯機へ、汗がついたシャツは軽くすすいで投げ込む。
「ふぅ――――…………」
正面に設置されている姿見。それの右隣にシャワーヘッドはある。蛇口を捻り温水になるように調節して、その水を身体に浴びた。
汗が水と共に流れ落ちていく。酷使によってオーバーヒート寸前だった筋肉は冷却されて、その爽快感は気を満たしていく。体調を万全に整える為の条件は食事と風呂と睡眠だと思っている。その一つが満たされたのだから、自然と気力が出てくる。身体を覆っていた臭気や疲れが水と一緒に消えていくようで――――
――――それでも、人が抱える悩みというものは残ってしまう。
「はぁ………………たまらねえぜ」
ああ、気持ちが良い。しかし何処か吐き気がする。
己の筋肉は師匠に育てられたモノ。それが立派だとは思わないし、無駄な筋肉は重荷となって速度を殺してしまう。故に求められるのは密度だ。細マッチョと呼ばれる体型が最適なのだ。
…………まあ、それもある程度のレベルまでの話。気が扱えるようになればどんなガチムチだろうと瞬足になったりするのだから、恐ろしい話である。だって考えてみて欲しい。テッカテカに光り輝く筋肉を有したパンツ一丁の男性が、目にも止まらぬ速さで接近してくる姿を。自分なら正直吐くレベルだと思う、冗談抜きで。
閑話休題。
あくまで今回はシャワーだ。軽く汗を流す程度で止めておいて、後でゆっくり湯船に浸かるとしよう。
蛇口を止めて身体を拭き、新調の下着に肌を通す。新しい洗剤でも使い始めたのか、若干香りが違う。いつもならローズの香りだと言うのに、今日のシャツからはオレンジの香りがする。どちらも女々しい事に変わりないものの、これはこれで気分がリフレッシュ出来た。
「出たよ」
「タイミングばっちしね。丁度カレーが出来たところよ。
今回のは自信作! ほら、前にテレビでカレーの歌があったじゃない? 全ては愛のターメリック――――とかいうヤツ。あれを参考にしてみたら、結構美味しいのが出来たのよねー」
「そいつは楽しみだ。いい加減腹も減っているし、早く食べよう」
リビングに入るとエプロン姿の母が。あらやだ、可愛い。
つい数年前に三十路を越え四十路に突入したというのに、この人は変わらず麗しい。師匠のように気を使っている訳でも、整形をしている訳でもないのにこの美貌。実母でなかったら恋慕してしても可笑しくない女性だろう。
「いただきます」
「いただきまーす」
歌詞通りに作られたカレーは中々美味しかった。隠し味のチョコレートがカレーのスパイスの辛さを引き立てていて、舌に走る辛味が心地よい。
テレビに出ていたカレーの妖精と名乗る男――――どうして中々、侮れない。
◇ ◇ ◇
湯船に浸かり勉強を終えれば、後はする事が無くなる。
ゲームも漫画もテレビもパソコンも、所詮は娯楽――――只の息抜きでしかない。睡眠時間を削ってまで「やりたい」と思う程の代物ではないし、何より鍛錬の疲れによって遊んでいても気付けば寝てしまうのだ。
肉体の修復と回復には睡眠が必要不可欠。幾ら頭が娯楽を求めていても、身体に引っ張られて睡魔に従ってしまう。本当なら夜遅くまで友人とメールでやり取りをしてみたいのだが…………まあ、代わりに早寝早起きの御陰でここ数年体調を崩した事が無いので、それで良しとしよう。
身体を操っていた糸が切れたように倒れこむと、柔らかいマットに身体が沈み込む。それだけで既に眠気が頭を掠めるが、それよりも重要な悩みが眠気を隅に押し付けている。
「……………………」
ベッドに横たわり考えるのは、夕暮れの下で交わした会話だった。
マルギッテさんとの再戦を望むフリードリヒさんを、自分は容赦なく拒否した。戦わない、戦えない、と。騎士道を体現する彼女に正面から誓えば絶対に撤回しないのを理解した上で、残酷にそう告げたのだ。
戦えない理由は、過去に交わした師匠との約束。破壊しか生まない拳は必要な時以外に振るってはならない――――彼女と交わした些細な約束は、自分の魂までも縛り付けている。
事実、自分は今まで
行き過ぎた力は過信を生み、慢心を作り、狂気を育てる。釈迦堂さんのように――――力は時に暴力と変わる。図らずともそれを体現してしまった師匠だから、弟子には同じ経験をして欲しくないのだろう。
だが、自分はこの力を思う存分振るいたい。
今の自分に足りないのは経験値だ。幾ら独りで拳を振ろうと、一回の実践に比べると得られる経験値は遥かに少ないのだ。かつては週に一度は組手をしてくれた師匠も、頻度が減り続け月に一度、三ヶ月に一度になり…………去年の夏からは一度も出会っていない。
つまり、今の自分は飢えているのだ。ガス抜きとなっていた組手がなくなり、実力が付いているのか試したい。かと言って他者へぶつける事は許されておらず、欲求不満のまま過ごしている。
「でもなあ」
戦闘欲を抑えているのは師匠との約束。これの御陰で力に酔う事が無いと言っていい。実際、一時の気の迷いで力を振るって相手を破壊してしまったら――――師匠に向ける顔が無い。満足しなくても、自分が鍛えられれば良いと思っていた。
だが、ここで問題が生じてしまった。戦わないという前提が根底から否定されるような、大きな問題。問題というよりは身から出た錆なのだが…………それが今、自分が悩んでいる原因だったりする。
「小雪に頼まれた時――――自分は、師匠と小雪のどちらを取るんだ?」
八年来の友人。自分にとっては妹のようであり、償うべき人物。自分に懐いてくれていて、実際話していても楽しい。家族を除けば師匠と同じぐらい大切な人だ。
もしもそんな彼女が――――僕の代わりに戦ってくれ、と。そう言った時に自分は師匠との約束を護るのか、小雪との友情を取るのか…………それが気になって仕方ない。戦わないという師匠との約束を破って戦うのか、護ると決めた小雪を見捨てて師匠との決まりを護るのか。
「師匠は大切だ。彼女の御陰で自分は在るし、彼女がいなければ自分は平凡なままだった。恩義もあるし…………何より愛している人だ」
師匠の存在は自分の中でかなり大きい。
「でも、小雪も大事だ。彼女が居たから友情の大切さを知れた。そして何より――――
だが同様に、小雪の存在も自分の中では相当数を占めている。親友であるし、償いの為に彼女の願いは叶えてあげたい。
「師を取るか友を取るか――――ああクソ、自分の優柔不断っぷりが嫌になってくる」
思わずベッドの上で悶えてしまう。枕に顔を埋めようと、布団を脚で蹴り飛ばそうと悩みは消えなかった。
現状、自分は小雪を取っている。小雪の代わりにマルギッテさんと戦って、師匠との約束を破っている事になる。だが改めて思い返してみると、それで良いのかと
師匠は愛している、小雪は好きだ。どちらも大事でどちらも捨てられない。だからこそ、こういう片方を取って片方を取らない選択は悩むのだ。
「はぁ…………自分がもうちょっと賢かったらなあ」
賢ければこの場に居ない師匠を置いて、小雪を取るという選択が出来たというのに。
馬鹿な自分はどちらも取るという選択をしたい。師匠を裏切る事なく、小雪を助けられる方法を。そんな結末を望みたい。――――まあ、ならばその案を出せよ、と。
「師匠。貴女に逢いたい。貴女に逢って謝りたい、そして許可をもらいたい。
戦わせてくれ、と。そうすれば貴女に罪悪感を憶える事なく、尚且つ小雪を支えてあげられる」
一体何処に居られるのだ、我が師匠は。
一年も逢っていないなんてはっきり言うと異常だ。最低でも数ヶ月に一度は逢えていたのに、逢えずに一年も経っているなんて。携帯電話を持たない人なので連絡が付かないのは仕方ないが――――それでも、一年も連絡が無いのは可笑しすぎる。
何故疑問に思わなかったのだろう? 信頼も度が過ぎれば放任と大差無いのだ。あの人なら大丈夫、と。心の何処かで思っていた所為で、この異常事態に気付く事が出来なかった。
…………嫌な汗が流れる。夏の始まりを告げる初夏の日和は過ごしやすいのに、シャツが湿ってきた。喉が鳴り、視界がゆっくりと霞んでいく。嫌な思考というのは悩みと同じく一度考えだしたら中々止まらず、延々と頭に留まり続ける。
――――黒い影の一撃で
――――ゆっくりと、だが確実に。四肢が力を失い、完全に地に伏した。
――――大鳳は堕ちた。口元には鮮血が滴っている。
――――浮かべた表情は歓喜か、或いは後悔か。
「まあ、師匠に限ってそれは有り得ないか」
馬鹿な妄想はすぐに切り捨てるに限る。何を変な事を考えているのだろうか、自分は。あの人の強さや気高さを一番知っている自分が、彼女の敗北する姿を考えるだなんて。師の敗北を考えるとは不忠者と言われても仕方ない。
結局、一晩中考えても答えは出てこなかった。
最善なのは師匠と対話して戦闘の許可をもらうか、小雪に戦闘関連の頼み事をされないのを願うか。
胸の内に何とも言えない不快感を残したまま、意識はゆっくり睡魔の海へ落ちていった。
投稿話数はこれで合っています。挿入投稿ってヤツです。
当初の予定では李君は「小雪や師匠のお願いは何故か聞いちゃうけど、他の人はどうでもいい」という自分の好意に気が付かない鈍感男の予定でした。まあ、自分の能力不足の所為で「禁忌とまで言った約束事を小雪の時だけ破る優柔不断野郎」になったけどな!