そしてUA50000、お気に入り登録者数2000突破! これも皆様の御陰です。
前回の最後であそこまで反応が来るとは。まあネタですネタ。最悪消して差し替えます。
1/7 題名を無題から変更、そして誤字を修正
――――懐かしい夢を見ている。今から五年ほど前の出来事だ。
初秋、岡本一子改め川神一子が自分の妹弟子になってから季節は一つ巡り、冬となった。
この時期に川神院で思い出すのは三年前の出来事だ。師匠に連れられて川神院にやって来た自分を温かく迎えてくれた鉄心さんとルーさん。釈迦堂さんは兄弟子に使命されて面倒そうにしていたが、なんやかんやで師事してくれる。いきなり爆弾発言をかまして鉄心さんの手刀を頭に喰らっていた百代さんは置いたとしても、ここ川神院は素晴らしい人間ばかりが揃っている…………釈迦堂さんとかを除いて、だが。
その日は冬だというのに暖かい日だった。風こそは吹いているが穏やかで、気温もそこまで低くない。流石に薄着だと肌寒いものの、例年に比べれば過ごしやすい気候だった。
……………………それでも、半袖で鍛錬する程ではないと思うけど。
「寒くないのか一子」
「全然ヘーキよ! それに動いてたら自然とあったかくなるから…………ぶるる」
とか言いつつ身体が震えているんですがそれは。
目の前で震える少女、川神一子を見下ろす。同級生だが自分よりも身長が小さい彼女を見ると、自然と見下ろしている形になってしまう。上目遣いで見てくる姿はなんとも愛らしい。
一子はあれだね、馬鹿可愛いってヤツだ。人懐っこいところがあって愛嬌も良い、おまけにそれが自然と出来ているから嫌味ったらしくない。弄ればすぐに反応(意味深)するから、からかい甲斐がある。活発な笑顔も彼女の魅力の一つだろう。そして何より――――彼女は犬っぽい。頭を撫でた時に幻覚か、尻尾と耳が出ていた気がする。将来悪い大人に手懐けられそうで心配になってきた。
手持ちのスポーツバックから着替え用のジャケットを取り出して投げる。咄嗟のことだったが一子はきちんと反応し、慌ててジャケットを掴んだ。
百代さんや鉄心さんならば気を使って温めるのだろうが、自分にそんなことは出来ない。気の操作というヤツが自分は苦手だった。気は形が無く体内を巡っている。これを操ることで武芸者たちは拳に纏わせたり身体を被ったりする。気は摩訶不思議で、拳に纏わせれば威力が増し身体に被せれば防御力が上がるのだ。
一番面白いのが気を変化させることだ。例えば気を変質させて出来るのが鉄心さんの毘沙門天である。百代さんなら熱に変えて温めることが出来るだろう。自分はこの変質が苦手で、中々上手く変えることが出来ない。纏わせたり形を象ったりは上手く行くのだが……………………こればっかりは素質の問題だから仕方がない。ある程度までいけたとしても、所詮はそこまで。多芸に秀でるよりかは一芸を極めよ、と師匠も言っていたし。
…………別に悔しい訳じゃないのよ? 本当よ?
「おっとっと…………李さん、これ」
「どうせなら着ておいた方がいいよ。まだ動く前だから寒いし、温まってきたら脱げばいい」
「でも、汗が付いたりして――――」
「別に自分は気にしないから」
不安そうな顔をする一子だが、女子の汗が付いた服とかご褒美以外の何物でも無いと思います。
自分と一子の二人は多馬川の土手に居た。これも一子の修行の一環で、足腰の強化と体力増強が目的だ。その為には走るのが一番。幸いこの時期にはマラソンがあるのでそれの前哨戦とするとしよう。
まずは軽いストレッチから。いきなり走り出しても問題ない程度には身体は鍛えているが、ストレッチを怠ってはいけない。急に動き始めては肉離れや筋肉の痙攣の可能性もある。ゆっくりと筋を伸ばし筋肉を緩ませ、身体を動かす下準備を入念に行う。
ストレッチが終わったら、ゆっくりとしたペースで土手を往復する。これも準備運動の一種で、軽くだが走ることによって足と膝を慣らす意味がある。走る筋肉と八極拳で使う筋肉は別物だが、鍛えておいて損は無い。もしかしたら長距離の敵を仕留める為に全力ダッシュする可能性も無いことは無いのだから。
「……………………ふぅ、じゃあ李さん、そろそろ走りましょっ!」
「りょーかい。じゃあ今日は神奈川の辺りまで走るかな」
「カナガワ? それってどれくらい遠いのかしら」
「今度直江にでも教えてもらいなさい」
冗談を交わしながら、二人仲睦まじく並んで走り出す。目指すは川神駅だ。
走ることで火照りだした身体を冷気が刺す。それが気持ちよくて、思わず目を細めた。水面から反射する光が眩しい。それも不快なものでは無く、風流を感じさせる雅なものだった。
多馬大橋の近くに来た辺りで――――ふと一子が、自分の名前を呼んだ。
「ねえ、李さん」
「何だ?」
「李さんとお姉様が戦ったら、どっちが強いの?」
「――――――――」
思わず足を止めそうになってしまった。なんて質問をしてきやがる、この犬。
一子の言う『お姉様』は川神百代を指す。川神家に養子に入った一子は百代さんを姉と慕い、百代さんは一子を妹として甘やかすのだ。……まあ、本人は甘える方が好きっぽいけど。一時期しょっちゅう身を摺り寄せてきた事は一生忘れん。仕合いを仕掛けてきた時の反撃手にすることにしよう。
そして百代さんは師匠の釈迦堂さんに似て戦闘狂である。三度の飯より戦が好きかどうかは知らないが、事あるごとに「戦いたいなぁ」と呟く程度には戦闘狂だ。よく修行僧の方たちが吹き飛ばされる姿が目撃されるが、それも大体MOMOYOの所為。そしてその魔手は自分にも迫っていた――いや、迫っている。同世代であり同じ川神院で研鑽を積む仲故か、自分は毎日勝負しないかと声を掛けられる。結構な頻度で、だ。それこそ二時間か三時間に一回は言われてるんじゃないだろうか。
恐らく百代さんも自分が勝負してくれないから意地になっているのだろうが…………自分だって、出来れば百代さんとは戦いたい。生きる伝説川神鉄心の孫であり稀代の才能を持って生まれた最強。そんな存在と手合わせ願えるのは、武人として最上級の誉だと言える。
まあ、それも師匠との約束に比べれば全然弱いんだけどね。あの人の言葉には微塵も逆らえないし、逆らう気も無い。
「どうだろうねえ。百代さんは単純に強いから、自分みたいな技術頼みじゃ圧倒されるかも」
「確かにお姉様はすごいけど、李さんの動きもすごいわよねー。特にあの…………チンキャク? あれで数メートル移動した時はびっくりしちゃった!」
「震脚ね。震える脚と書いて震脚。…………まあ、自分の震脚なんてまだまだ。師匠なんて踏み込みだけでマグニチュード級の揺れを起こせると思う」
「お、恐ろしい人ね…………」
「確かに恐ろしいし容赦なく殴るけど、優しくもある。あれは信頼の裏返しだから」
「裏返し?」
「そう。こいつならこれぐらいは耐える――――そう信じているからこそ、あそこまで強く打てるんだと思う。じゃないと、怪我させちゃうからね」
自分の言葉に苦笑する。まさか一子にこんな事を話すとは。
話を聞いて理解したのかしてないのか、なんだか微妙な表情になっている一子。敢えて言うなら興味がある、と言ったところ。師匠は謎多き人物だから、気になっているのかも知れない。
んーと唸りながら一子は口を開いた。
「もしかして、李さん師匠って人のこと好き?」
その言葉で固まる。しかし硬直も長くは続かない。一瞬とも言える時間の中で急速に回る頭は、正直な気持ちを吐露していた。
「そうだね、あの人のことを考えない日は無い位には――――好きなんじゃないかな」
「あわわ…………李さんって正直なのね」
「自分の気持ちには、ね。――――無駄話もここまでで、ペース上げていくぞー」
「押忍!」
顔を真っ赤にする一子の頭を撫でて、走るペースを上げる。それは脚が慣れてきたからなのか、それとも照れを隠す為なのか――――それは判らない。
……………………全く。自分でも思っていることだが、好きになるタイプが全然違うよなあ。なんであんなBBAを好きになってしまったのか。てっきり可愛い今時の子が好きだと思っていたのに。
「まあ惚れた弱みってことか」
その呟きは後ろを付いてくる一子にも聞かれること無く、冬の空に消えていった。
◇ ◇ ◇
目が覚めた時――――まず最初に感じたのは動きにくさだった。
それも当然だろう、なんせ
辺りを見回す。幸いにも目隠しはされていなかったので目は開くが、一面真っ暗闇。照明を落としたとか、そんなレベルの暗さでは無い。此処には明かりというものが一切存在しない。明るい事を前提として作られておらず、元から暗い事を前提としているのだ。これでは本当に尋問部屋ではないか。
一体どういう状況なのか。それを理解する前に、身体に違和感を覚えた。身体を拘束されている状態で違和感も何も無いが、それでもこの感じ――――身体の芯が熱くなるような、感覚は…………。
心臓の鼓動が早まる。血液は急速に流れ、その熱は脳を溶かす。身体の一部分に向けて熱と血が集まっていくのが嫌でも判った。
「――――――――ッ!? ――――!!」
薬を盛られた。その事実に気付き声を荒げる。
しかしその絶叫が響くことは無い。口を閉じているガムテープによって声を発することが出来なかったからだ。鼻こそは開いているので呼吸は出来るが、やはり口を閉じられると息苦しい。こんな異常事態に巻き込まれている所為か、息も荒く感じる。
身体が熱くなっていく。それは発熱だとか、そういう部類の熱さでは無い。身体の芯――――言ってしまえば人間の本能の部分が、鎌首をもたげて微笑んでいる――!
「おや、薬が効いてきたようですね」
「…………!?」
声が聞こえた方に向き――――そして戦慄する。
彼女はこの闇の中で唯一色を持った人物だった。昨日見た時と変わらぬ服装をしていて、黒の軍服に赤い髪。眼帯は片目を隠しているが似合っていて、自己主張している胸は心なしか大きく見える。普段なら無表情で冷たい態度を取っているのに、その妖艶な表情に嫌でも引き寄せられた。恍惚と言った風の笑み浮かべる彼女は本来美しいと形容されるべきなのに――――この笑顔は、まるで淫魔が浮かべる誘惑の笑み。それを美しいと言える程、自分は優れた感性を持ち合わせてはいない。
「その薬は即効性こそは低いものの、効果の持続時間が長い。ふふふ、これは楽しみですね。今夜は眠れないと知りなさい」
「……………………! ――――――――!?」
助けてくれ。そう叫んでも伝わる訳が無い。
淫魔の足音が聞こえる。一歩一歩、まるで焦らすように近付いて来るが、今の自分にとってそれは死の足音である。嬲るように、獲物を甚振るようなその姿は、正しく猟犬の名に相応しかった。
そう、今の自分は哀れな獲物に過ぎないのだ。狩人に狩られる時を待つだけの野うさぎ。猟犬である彼女が自分を仕留めるのは当然のことだ。今回は命を狩られるではなく、貞操と童貞を狩られるだけである――――。
それを考えると、身体の疼きが一層大きくなったように感じた。
「さぁ、可愛い声で啼いて下さいね…………ふふふ」
男なら誰しも興奮する淫靡な雰囲気を纏わせた彼女、マルギッテ・エーベルバッハの顔が近付く。ガムテープを剥がされ、顔を固定され、そして――――――――
「――――っていう所で目が覚めたんですよ」
「よしお前ちょっとぶん殴らせろ」
いきなり暴力行為に訴え掛けるとか、戦闘欲求溜まり過ぎだと思う。
昼休みの食堂の喧騒は相変わらずで、学年を問わず多くの生徒が集まっている。一年生のリーダー格(こいついつもプレミアムって言ってんな)や三年生の矢場先輩、京極先輩など個性的なメンバーからお馴染みの風間ファミリーまで。座席戦争に負けた
目の前の席に座ってAコースのランチ、焼肉定食を食べている先輩――――川神百代先輩から、怪しげなものを見るような目で睨まれる。何と失礼な人だろうか。此方からすれば悪夢のような瑞夢のような夢を見たから、会話を弾ませる為に提供したと言うのに…………。普通に話を聞く気があるのだろうか、この人は。
「いきなり淫夢の話をしだすお前が悪いと思うんだが」
「いきなりって。エーベルバッハさんとはどうなんだ、なんて悪戯っぽく聞いてきたから答えただけじゃないですか」
「それでもこの回答は予想外だろ!」
一度吠えて焼肉と一緒に白米を頬張る百代先輩。女性として見れば下品なのに、豪快な女傑だからか風格が出ている。確かに女の子にモテる筈だ、ここまで格好いい同性がいればついつい付いて行きたくなってしまう。まあ本性を知っているからそれは無いけど。ホイホイ付いて行ったら何をされることやら。最悪マウントを取られて反撃せざるを得ない状況にさせられてなし崩し的に戦闘になるか、無断で金を拝借されるかも。
「…………お前、失礼なこと考えてないか?」
「別に何も。ただ百代先輩は丼で食べるのが似合うなあと思っていただけです。自分、そういう女子は好きですよ」
「はぁ…………お前って本当にずるいよなー」
睨まれたと思ったらジト目になったでござる。
まあ百代先輩とのじゃれ合いはこれぐらいにして、そろそろ昼食を摂るとしよう。いい加減お腹も空いてきた頃だ。
今日の昼食はCコース。Cコースの最大の特徴は川神学園流の創作料理が出てくることだろう。創作料理と聞けばお洒落な飾り付けや奇抜な料理を思い付くと思うが、どの料理も基本的に美味しい筈。しかし川神学園の創作料理は違う、簡単に言えば当たり外れが激しいのである。
大体週に一度のペースでコースは変わるが、先週のCコースだったのはゴーヤの野菜炒め定食。ゴーヤチャンプルではない、野菜炒めである。野菜炒めにゴーヤを使うという発想自体は素敵で面白いが、ゴーヤから出た苦味が他の野菜にも移ってしまい、塩胡椒を消し飛ばしてしまう程の苦味が口いっぱいに広がった事を憶えている。あんなものは二度と食いたくない。
今回のCコースは「マグロの氷漬け丼」。これだけ聞いたら料理の想像が出来ないと思うが、単純に冷凍マグロを白米の上に乗せただけの丼だ。このマグロが凍っているというのがミソで、最初は凍っているマグロが白米の熱で溶けて柔らかくなり、食べ始めはシャリシャリとした食感、途中からしっとりとしたマグロの切り身が味わえる。まあ溶け出したら魚のエキスがご飯に滲み出るので、苦手な人は苦手かもしれない。自分は醤油をドブドブに掛けるのであまり気にならなかった。
「しっかし、クリスが羨ましいなー。颯斗と決闘できるもんなー」
「あれは小雪のお願いだったからですよ。それ以外だったら引き受けてません」
「ぶーぶー、お姉ちゃんは淋しいぞ。こんな美少女がお願いしているのに勝負してくれないし、最近は川神院にも来ないし」
「こっちはあれこれ忙しいんですよ。毎日槍を振ったり拳を振ったり」
「それだったら川神院でも出来るじゃないか。皆喜ぶぞ? 特に私や一子が」
「今更辞めた所に行く気は無いです」
マグロの脂身の美味さで白米をかき込む。底に溜まった醤油とマグロの相性は凄まじく、これだけでご飯がもう一杯いけそうだ。
百代さんを
「おーい直江ー。このおっぱいお化けを連れて行ってくれー」
「姉さんの事をそんな風に言えるのはお前だけだよ」
「だーれがおっぱいお化けだってぇ? ん?」
おっぱいお化けをおっぱいお化けと言って何が悪い。
声を荒げると直江は釣れた。どうやら近くに居て監視していたようで、呆れたような目で此方を見てくる。そう言えば直江は百代先輩の尻に敷かれているんだったけ。あのお尻で敷かれるとかそれ何てご褒美…………おほん。
百代先輩と話すのも中々楽しいが、これ以上続けていると勝負の話が本格的になりそうなのでご退場願おう。大体百代先輩も師匠との勝負で引き分けた際、自分に対して勝負の無理強いはしないと約束した筈なのに。まあ無理強いかどうかの判断基準は自分が決めれるので、これぐらいだったらまだギリギリセーフ…………いや、セウトだな。
「颯斗もクリスと戦ったりマルギッテと戦いそうになったり…………私も戦わせろー」
「おい直江ェ…………早く連れて行かねえと、てめえの社会的な命が死ぬと思え……!」
「一体何するつもりだオイ! …………もう、姉さん行くよ」
「やだやだー」
駄々をこねながら連れて行かれる姿は哀れと言うべきか、可愛らしいと言うべきか。
これにて安息は成った。後は既に刺身となったマグロ丼を食べるだけである。っていうか、これって時間が経ったら創作料理じゃなくてマグロ丼じゃん。これもうわかんねえな。
――――因みに、直江を社会的に殺す方法は単純である。
全校放送で、椎名さんと婚約したと流せばいいのだから。
◇ ◇ ◇
河川敷での鍛錬を終えた自分は商店街の方まで足の伸ばしていた。
普段なら門限に厳しく守らなかった場合は烈火のように叱る母親も、今日ばかりは家に居ない。なんでも仕事が立て込んでいるらしく、家に帰れないとか何とか。その為夕飯が作れず、自分も自炊できないので何か食べてこい――――とのこと。幸いにも夕飯代は母親持ちなので豪勢なものでも食べてやろうか、なんて考えていたら書置きと共に置いてあったのは千円札だった。これで腹いっぱいになれってか。
千円で腹いっぱいになるには安い定食屋かファミリーレストラン、或いはチェーン点にでも行かないと無理だ。最悪川神院にでもお世話になろうと思っていたが、昼間に百代先輩にああ言った手前行く気にはならなかった。
と言う訳で、千円で満足出来て尚且つ家から近い店を探しているのだ。
千円と言う少ない値段で多く食べれて、実家からもそう遠くはない店。それが該当するのは――――
「――――梅屋しかないっしょ」
梅屋。全国にチェーンを広げる有名店で、牛丼が店の売り。最近は牛丼以外にも豚丼や親子丼、果てにはすき焼きにまで手を出し始めている。迷走し出したと思いつつ、ここの豚丼は美味しいので通っている。新しいジャンルに手を出すのは良いが、きちんと足元を固めるのも重要だと思う。
いらっしゃいませーと気の抜けたアルバイトの挨拶を受けて店内へ。店は結構繁盛しているようで、半分近くの席が埋まっている。その大部分は仕事帰りのサラリーマンであり、学生はほとんど居ない。ほとんどと言うか、自分一人だけだった。
「…………お、居た」
その客の中に――――見慣れた人物が混じっている。
ぼさぼさ短く切れらた髪に皺が入ったシャツ。後ろ姿だけ見れば廃れた中年にしか見えないが、その実は世界でも有数の実力者。お気に入りの豚丼のとろろ掛けを堪能しているらしく、間合いに入っているのに気付いた素振りを見せない。
声を掛けて食事の邪魔をするのもアレなので、無言で隣の席に座る。流石にこれまですると気が付いたらしく、驚いたような顔で話しかけてきた。
「誰かと思ったら李じゃねえか。三年振りか?」
「お久し振りです釈迦堂さん。そうですね、最後に会ったのが中二の夏なので三年振りです」
釈迦堂刑部。
元・川神院師範代にして政府の諜報員。かつての師匠であり、破門になった後でもちょくちょくお世話になっていた人物だ。高校生になってからは逢っていなかったが、この人の様子に変わりはない。相変わらずの胡散臭さに獣のような闘気。まともに鍛錬していないのか肉体に衰えが見られるが、この人の技量と才能ならばそのブランクすら関係無いだろう。
頼んだのは牛丼の大盛り。それに卵を落として肉に絡めて食べるのが一番美味しいと思う。釈迦堂さんは豚丼にとろろを掛けるのが通と言っていたっけ。現に今も豚丼とろろ掛けを食べていた所だ。
「お前さんも結構鍛えているらしいな。辰子のヤツがお前のことを話してたぜ」
「辰子? 釈迦堂さんの婚約者ですか?」
「違えよ。さらっと気にしている事を口にすんな。…………辰子っつーのは俺の弟子でな、破門になった後彷徨いてたら丁度良い原石を見つけたんで鍛えてやってるんだ。政府の仕事に飽きて辞めた頃だったからな」
「え、仕事辞めちゃったんですか」
「そうだよ。やっぱり俺にああ言う仕事は似合わねえ」
辰子という人物も気になるが、一番驚いたのは釈迦堂さんが仕事を辞めたと言うことだ。
精神面に問題ありとされて破門になった釈迦堂さんは、その実力を政府に見込まれて諜報員として働いていた。時には敵対勢力と対峙し、時には内部のスパイを追い詰める――――そんな武勇伝を聞かされていたのに、まさか「飽きた」なんて理由で辞めてしまうとは。釈迦堂さんらしいと言えば釈迦堂さんらしいが、つまり今彼はプー太郎ということで――――。
「いくらなんでも働いていないのは恥ずかしいですよ」
「手厳しいねえ。まあ良いんだよ、諜報員は危ない橋を渡る仕事だからよ、その分給料も高かったからそれで暮らしていける」
「なんだ、てっきりその辰子っていう人にお世話になっているのかと」
「そりゃ時々飯食ったりはするが、流石に養ってもらってはねえよ。それにアイツ等、本当なら学生って年だしな」
どうやら中々込み入った事情があるようで。
プライベートな事に口出しするつもりは無いのでこれぐらいで引き上げておく。これが問題があるなら追求していただろうが、この事を喋っている釈迦堂さんは嬉しそうなので大丈夫だろう。何年経っても子供への甘さは変わらないらしい。
自分はお冷を、釈迦堂さんは味噌汁を飲んで一息付く。口の中に残った脂分を削ぎ落としてリフレッシュ出来た。
「そういやさっき働いていないとか言ってたけどよ…………もしかしたら俺、働くかもしれねえ」
「また急な話ですね。それで、どんな職業に就くんですか?」
「それがな。ちょっくらコレを見てくれや」
釈迦堂さんから渡されたのは一枚のプリント。目を通してみたら、そこには職業が一通り書かれていた。諜報員、工作員、密偵、師範代、梅屋店員――――どれもこれも関連性の無い職業だが、共通しているのは釈迦堂さんが働く上で適している、というところだろう。
……………………まあ、所々可笑しな職業もあるけどね。なんだよ八百屋って。こんな物騒な中年が営む八百屋なんか誰が行くか。
それに九鬼従者。九鬼は多分あの九鬼だろうから無視するけど、この人が下に付くものか。自分が楽しめなかったらクライアントですら裏切る男だぞ?
「これ、釈迦堂さんが選んだんですか? それなら的外れ過ぎますよ」
「別に俺が選んだんじゃねえよ…………クソ強い爺さんがな、俺にそいつを渡してきやがったんだ」
「クソ強い爺さんって、鉄心さん?」
「いや、どうやら九鬼の従者らしくてよお。なんでもプランが発動するから不確定要素は取り除いておきたいらしい」
「プラン」
「そう、プランだ。川神中を巻き込んだ壮大な」
なんじゃそりゃ。まあ九鬼なら可笑しくないけど。九鬼なら仕方ない。
確かに釈迦堂さんは不確定要素だ。壁を越えた力を保有しているのに無所属で、街の陰に溶け込んで生活している。九鬼が何をしようと企んでいるかは知らないが、妨害される可能性がある以上釈迦堂さんは潰しておきたい芽だろう。
潰しておきたい芽なんだが…………。
「それがなんで労働に繋がるんです?」
「奴さんらからすれば俺が無職というのが駄目らしい。何かに所属してればそこを通じて抑止できるからなぁ」
「成程」
九鬼の影響力は偉大だ。川神にある物全てが九鬼によって作られたと言っても過言では無い。そんな九鬼が脅しを掛けたら――――屈せずにはいられない。
考えてるなあ、九鬼も。そんな事を思いつつ釈迦堂さんの職業リストを目で追う。考えは深いのに、選択する職業のチョイスがなあ…………。どうして花屋なんて選ぶんだろか。
「それで。釈迦堂さんは何になりたいんです?」
「一番良いのは梅屋の店員だな」
「梅屋の店員って……………………釈迦堂さん、似合わないって自覚した方が良いですよ」
「うるせえよ馬鹿。豚丼頭にぶっかけるぞ」
釈迦堂さんと盛り上がりながら飯を食べた。久し振りの会話は弾み、時刻は結構遅くなっている。
辰子さんを育てている所為か、いつもよりも子供に甘いと感じた。本人は否定するだろうけど。
現在五月中旬。武士道プランまで後数週間…………!