誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第22話「あんたがいてくれて、よかったよ」

1.

 

 

 

 

 

 

 

使い魔の消滅に伴い、モノクロームの街並みも雨雲に覆われたもとのネオン街へと戻る。

骸殻を解き、手に小粒のグリーフシードを握り締めたルドガーは駆け足でほむら達の待つ所へ戻り、痛めつけられたさやかを心配して見つめた。

 

「大丈夫だったか?」

「はい、なんとか………いろいろ、最悪なことがありましたけど」

「何があったんだ?」

 

ここは魔女の造り出したであろう分史世界。正史世界とは異なる事象ひとつひとつが、時歪の因子へと繋がるヒントに成り得るのだ。

互いにそれを承知した上で、さやかは深いため息をついてから重い口を開いた。

 

「………あたし、ついさっきお菓子の魔女を倒してきたんです。もとの世界ではもう倒されてたはずですよね」

「ああ。……けど、あれを1人でやったのか…?」

 

お世辞にも、正史世界のお菓子の魔女は魔法少女ひとりの手に負えるような相手ではなかった。あのマミですら、ほむらが時を止めなければ喰い殺されていたところだったのだから。

しかし、分史世界においてのお菓子の魔女はそこまで強敵ではなかったのかもしれない、とルドガーは思い直す。

 

「なんとか……マミさんの話を聞いて、外側からの攻撃は効かないって知ってましたから。けど……この世界のマミさんは、あいつに殺されてました」

「! そうか………」

「それだけじゃないです。……あたしが魔女を見つける前に、病院で集団自殺があったってニュースがやってたんです。あたしはそれを見て病院に向かったんですけど……恭介が……」

 

それ以上の言葉がさやかの口から出ることはなかったが、それだけで何があったのかは察する事ができた。

この世界の上条恭介は、お菓子の魔女によって自殺するよう誘導された被害者のひとりとなったのだろう、と。

さやかのソウルジェムが酷く濁っていたのも、魔力の酷使だけが原因ではなかったのだと、隣で聞いていたほむらは悟った。

 

「辛かったわね、さやか……」

「ほむら……っ、ほむらぁ…! あたし……」

「……好きなだけ泣くといいわ」

 

泣けるうちは、まだ人の心が残っている証拠だもの。心の内でそう呟きながら、華奢な肩を震わせて縋りつくさやかを優しく抱きとめてやる。

分史世界とは言えども、大切な人を失ったとあっては冷静でいられるはずもない。ほむらは今ここにいる誰よりも、その痛みを1番知っているのだ。

 

「………ぐす、ごめんほむら……あんただって、あたしなんかよりもずっと辛い思いしてきてんのに……」

「いいのよ。私は、それを覚悟した上で今までやってこれただけなのだから。でもさやか…私みたいにはなっては駄目よ」

「え……?」

「何回も繰り返してるとね、だんだん心が麻痺していくのよ。まどかを救いたい一心で、次第に他のものから目を背けるようになっていた。誰が死んでも、涙が出なくなった。何を犠牲にしても構わないとすら思えた。

また繰り返せばいい。そうやって自分を誤魔化し続けて来たのよ。

だからさやか、せめてあなただけは人の心を忘れないで欲しいのよ………」

 

さやかを抱く腕に力が込められ、ほむらの心音が直に伝わるほどに胸元に顔が近づく。

その暖かさと心地よさに、さやかはかつてのまどかの言葉を思い出す。

 

「……ばか。あんただってちゃんと人の心を持ってるじゃん」

「さやか…?」

「前にまどかも言ってたけどさ……あんた本当にあったかくて、優しいよ。……惚れちゃいそう」

「……はぁ、冗談は帰ってからにしなさい」

「えへへっ」

「…その様子なら、もう平気みたいね。立てるかしら?」

「うん。もう大丈夫…ありがとね、ほむら」

 

互いに変身を解き、ほむらに手を取られながら立ち上がり空を見上げる。

暗雲立ち込める空は星や月すらも隠れ、灯りがなければ数メートル先すら窺うのも難しいだろう。

 

『もう落ち着いたようだね、さやか』

「キュゥべえ……あんた、本気で心配してんの?」

『心外だなぁ、君達魔法少女のケアは本来僕の役割なんだけどね。さて…そろそろ話してもらえないかな、ほむら。君とキリカの間に何があったのかをね』

「…わかっているわ」

 

ほむらはひとり歩き出し、それに倣うように2人もついて行く。ネオンの街を抜ける方角にしばらく進んだ先には程なくして、静かな雨に紛れて水音を立て続ける噴水広場が見えてくる。

雨に濡れたベンチに腰を下ろすことは叶わないが、そこでようやくひと息入れてほむらは立ち止まった。

 

 

「………さて、どこから話そうかしらね」

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

 

始まりは、ひとりの魔法少女の運命がきっかけだった。

鹿目まどか。見滝原の街を守る為に、ワルプルギスの夜に勝ち目のない戦いをいどみ、その命を散らせた少女。

ほむらはそんなまどかを救うべく、運命に抗う為の孤独な旅に出たのだ。

 

 

「何度か時を繰り返した時、ワルプルギスの夜を倒すことができた事があったわ。まどかと力を合わせて、ようやく勝てたの。

……でも、まどかはワルプルギス相手に魔力を使い果たし、魔女になった。その時初めて知ったのよ。魔法少女というシステムの…インキュベーターの正体にね」

 

 

それから、砂時計の盾は何度も廻される。

その度に最愛の親友の死を目の当たりにし、次第にほむらの心は疲弊し、擦り減っていった。

時には「魔女になりたくない」と請われ、その手で愛する人の魂を撃ち砕いた事もあった。それも1度きりではない。

 

「ん……? 待って、ほむら」

 

とあるひとつの事を思い出したさやかが、ほむらの語り口に水を差す。

 

「まどかの力なら、ワルプルギスの夜を一撃で倒せるんじゃなかったの? それで、反動ですぐ魔女になっちゃうって……」

「ええ。"今のまどか"なら、可能でしょうね。…でも、昔はそうじゃなかった。私がそれに気付いたのは、それからもっと先の話よ」

 

 

幾度に渡る繰り返しの果てに、眼鏡を棄て、誰に頼る事もなく孤独に戦う事を選んだ。

そうして、まどかとほむらの心の距離も少しずつ離れてゆき始める。

それでも、最終的にはまどかはワルプルギスを倒そうとして、弓を放つ事を選んでしまうのだ。

 

「何度目かのやり直しの時…ついにまどかは"1人で"ワルプルギスを倒してしまったのよ。…もちろん、そのまどかはタダでは済まなかった。その時、ちょっとだけ思ったのよ。まどかの力は少しずつ強くなっているんじゃないか、って。

事実、まどかが魔女になった時の脅威も増していたわ。最初の時はせいぜいワルプルギスよりも少し強い程度だったけれど…その時の魔女は、世界を10日で滅ぼしてしまうと言われていたわ」

『それは、誰にだい?』

「その世界のお前によ、インキュベーター」

『きゅっぷい、やはりそうだろうね』

「……そして、その事に気付いたのも私ひとりではなかった。それがもう1人の魔法少女───美国 織莉子よ」

 

 

呉 キリカではなく? とルドガーが返すが、ほむらはわずかに首を横に振ってみせる。

 

「呉キリカは美国織莉子の仲間よ…いえ、相棒といったところかしら。美国織莉子の持つ固有魔法は"未来視"……近い未来を、予知することができるものだったのよ。

そして美国織莉子は世界を滅ぼす最悪の魔女……"救済の魔女"の存在を予知してしまったの」

「救済の……? それって、まさか」

「そうよルドガー。救済の魔女は、まどかの魔女となった姿そのもの。今まで出会うこともなかった美国織莉子が突然私たちの前に現れたのは、どんどん強力になっていった救済の魔女の出現を予知するようになったからなのよ」

『つまり、それ以前は織莉子は救済の魔女の存在に気付いていなかった、ということだね?』

「恐らく、そうでしょうね」

 

 

そして白の魔法少女・美国織莉子は救済の魔女の出現を止める為に動き始める。予知によって魔法少女の末路を知りながらも、"世界を守る"その信念だけを胸に。

そうして織莉子がとった行動は、至極明快なものだった。

魔法少女が魔女になるというのなら───魔女になる前に始末してしまえばいい、と。

 

 

「美国織莉子は呉キリカと協力関係となり、見滝原や風見野、さらにはその近辺に住む魔法少女たちを手にかけ始めた」

『成る程。さしずめ魔法少女狩り……君たち人間風に言うなら、それこそ西洋の"魔女狩り"のようだね』

「……そうね。実際に何人もの魔法少女が殺されていたようよ。あのインキュベーターが、私達に美国織莉子と呉キリカ、2人の抹殺を頼み込んで来るくらいだったもの」

「それで、戦ったのか?」

「ええ。追い返したとはいえマミも襲撃されていたし、杏子もその時間軸では個人的な恨みを抱いていた。さらにもう1人他の魔法少女もいたの。私は救済の魔女の正体を知っていたし…断る理由はなかった。けれど……」

 

織莉子、キリカ、その両名との戦いは意外な形で決着がつく。そもそも魔法少女を4人…特に、時間を操れるほむらを相手にして"並程度の魔法少女"が勝てる筈がなかったのだ。

白と黒、1対の魔法少女は次第に追い詰められてゆき…その中でキリカはひとつの決断をする。

 

 

「瀕死の重傷を負っていた呉キリカは、美国織莉子を守る為に自らソウルジェムに絶望を募らせた。そしてキリカは"人形の魔女"と成り果て……それでも、美国織莉子に付き従った」

『……! 魔女になれば自我など残らない筈だよ? それは確かなのかい?』

「本当の事よ。人形の魔女は見滝原中学に結界を張り、何人もの無関係な人達を引きずり込んだ。さやかやまどかとて例外ではなかったし、何人かの生徒は、人形の使い魔に喰い殺されたわ」

『…だとしたら、興味深い話だよ。絶望を抱いてもなお自我…本能を維持している。まさに人魚の魔女や、君とよく似ているじゃないか』

「私は"まだ"魔女じゃないわ。それに生憎だけれど、魔女になるわけにもいかないのよ」

 

 

黒の魔法少女の成れの果ては、白の魔法少女と共に信念を果たそうとし───それが、たとえ間違った方法だとしても───再度、魔法少女達に戦いを挑んだ。

しかし結果は見えていた。始めから、2人に勝てる見込みなどなかったのだ。

だが美国織莉子は戦いには敗れたが……勝負には勝った。

 

 

「人形の魔女を倒して、美国織莉子にも致命傷を負わせた。これで全てが終わった───私は、そう油断してしまったのよ。

そもそも美国織莉子の目的は魔法少女の抹殺じゃなく、救済の魔女の排除。

……死の間際、美国織莉子は魔法による一撃を放ち……それがまどかの命を奪った。

始めから、美国織莉子は救済の魔女の正体を知っていたのよ。魔法少女狩りも、学校の襲撃も、全ては私達の注意を逸らし、まどかを無防備にさせる為の工作に過ぎなかったのよ」

 

何度思い出しても、胸を締め付けられるような感覚は避けられない。そればかりか、死した2人に対する憎しみは今も心の奥深くに燻り続けているのだ。

 

「その後の事はよく憶えていないけれど……気がついた時には、目の前に八つ裂きになった美国織莉子の屍体が転がっていたわ。そしてまた私は、盾を廻して時間をやり直した。

それから、私のやるべき事にまたひとつ新しい事が加わった。…まどかと接触してしまう前に、美国織莉子を排除する、とね」

「……まさか、毎回毎回時間をやり直す度に…その織莉子って娘を殺したの…!?」

 

さやかは信じ難いといった風に声を震わせながら、ほむらにそう尋ねる。

今のさやかには"親友を信じたい心"と、"その行動に賛成し難い心"とが複雑に絡み合っていたのだ。

 

「……まどかを守る為には、そうするしかないと思っていたのよ。それでも時には私の襲撃すら予知して、戦いになった事もあった。

結果は……言うまでもないわね」

「! そう……だよね……あんたが負けるわけない、か……」

 

"魔女相手ならともかく、人間相手に負ける筈はない"とは、かつてほむら自身が言った言葉だ。

その言葉は比喩でも何でもなく、実体験に基づくものなのだと、さやかは改めて思い知らされた。

最弱の魔法少女、とかつてほむらは自身を卑下した。しかし対人戦に於いては、その固有魔法によって間違いなく最強の魔法少女足り得るのだ。そうなっては余程の対策を取らない限りは、ほむらに勝てるのは時間魔法を無視できるルドガー以外に存在しないであろう。

 

『ひとつ、いいかい?』キュゥべえが、複雑な雰囲気の中に抑揚のない声で割り込んできた。

 

『君はいつの時点でまどかの力が強くなり続けていると…その原因が自分にある、と確信したんだい?』

「えっ…待ってよキュゥべえ、まどかの力が強くなってるのはたまたまじゃなくて、ほむらのせいだっていうの?」

『さやか、何を今更な事を言っているんだい。君達魔法少女の資質は、その因果の量によって定まるんだよ』

「えっ……どゆこと?」

『君やまどかが規格外な資質を備えているのは、ほむらが時間遡行を繰り返した事によって因果が蓄積されていったからだ、と僕達は結論づけている。

否定はしないだろう? 暁美ほむら」

「…ええ。その事を直に指摘されて、確信したのはここの前の時間軸よ。

今までまどかの為を思って繰り返し続けた事には、何の意味もなかったのか…って、一度は絶望しかけたわ。

……でも、そうね。きっと私は、もっと前からその事に気付いていて……目を背け続けていた。認めたくなかっただけなんだと思うわ」

 

 

 

それから何度となくほむらは美国織莉子、時には呉キリカすらも手にかけ続けてきた。

それでもまどかの運命を変えるには至る事ができず、幾度も時の牢獄を彷徨い続ける。

しかし、もう何度繰り返したか数えるのも忘れ、自分の実年齢すらも曖昧になってきた頃。とある変化が起き始めたのだ。

 

 

「ある時を境に、私は美国織莉子を殺すのをやめたわ。……正確には、その必要がなくなったのだけれど」

「美国織莉子がまどかを襲わなくなった、って事? それなら…」

「いいえ、その逆よさやか。…私が手を下す前に、美国織莉子は魔女になってしまっていたのよ」

「えっ……な、なんで…!?」

「…恐らく、救済の魔女の力が強まりすぎて美国織莉子の精神が予知に耐えられなくなったのだと思うわ。地球を10日で滅ぼす、と告げられてからも何度も時間を繰り返し続けたんだもの。

そして、呉キリカにとって美国織莉子は何にも代え難い存在だった。そんな彼女に、魔女になったとはいえ美国織莉子を殺す事はできなかったのでしょうね」

 

 

ほむらが美国織莉子の家を密かに訪れた時、既にそこは魔女結界が張り巡らされていた。

そこでほむらが見たものは、生前の織莉子の姿を模したような白装束の魔女と、穏やかな顔で自ら白装束の魔女の牙にかけられに行くキリカの姿だった。

そしてそこからいくつか時を重ねても、もう織莉子がまどかを襲う事は二度となかった。そうしてほむらは、織莉子への干渉を辞めたのだ。

 

「正史世界…今の時間軸の呉キリカも、同じ結果を辿ったはずよ。でも、この分史世界の呉キリカが生きているということは、美国織莉子は魔女になっていないのかしらね。

どうして杏子と手を組んでいるのかはわからないけれど…」

『キリカは杏子の事を"恩人"と呼んでいたね。何か借りでもあるのかもしれないよ。

どちらにしても、時歪の因子でないなら放っておいて構わないんじゃないかな。どうせこの世界は壊されるんだ。そうだろう、ルドガー?』

「……ああ」

 

懐中時計の感触を確かめながら、苦い顔をして答える。"世界を壊す"という事がどういう事なのかは、所詮キュゥべえにとっては些末な問題でしかないのだ。

杏子やキリカは確かに時歪の因子ではない。ならば何が時歪の因子だというのか。

"無いはずのモノが存在している"のが1番可能性としては高いはずなのに、と。

 

 

「さやか、何か他にも変わった事はなかったか?」

「変わったこと? ええと………」

 

ルドガーに尋ねられて、改めて自身の記憶を振り返ると、すぐに正史世界と明らかに違うモノを思い出した。

 

「…そうだ。この世界にはまどかがいないんだよ」

「いない? まさか、既に…?」

「あー、そうじゃなくて……最初からいないみたいなの。生まれてない、のかな……」

「生まれてない…? そんな事って…」

 

2人は揃ってほむらの顔色を窺ってみる。一瞬だけ険しい表情をしたが、すぐにほっとしたようにため息を吐いた。

 

「……そう、この世界にはまどかはいないのね。かえって良かったかもしれない」

「えっ?」

「この世界を壊さないと元の世界には帰れないのでしょう? …わかっていても、きっとまどかがいたら躊躇ってしまうわ。

時歪の因子を探すのは明日にしましょう。夜は動きづらいわ」

 

 

雨はいつしか霧雨となり、勢いもほとんど失われている。

街灯を頼りにルドガーが懐中時計を確認すると既に8時を過ぎており、そうそう出歩くような時間でない事に気付いた。

突入時点では昼過ぎだったが、世精ノ途で予想外に時間を食った事に加えてこの分史世界自体の時間がそれだけ正史世界とずれているのだろう。

分史世界で夜を明かすならば、自宅に戻る事もできないので宿を取るしかない。ルドガーはそれとなく、どこかで宿を取れないかほむらに尋ねた。

 

「宿、ね……街中に戻ればホテルのひとつくらいはあるわ。今夜はそこでいいでしょう」

「そうか、ならそうしよう。さやかはどうするんだ?」

「あたしは家に帰るよ。お母さん心配してるだろうし……分史世界だけどね。

……ってか、ほむら。あんた今ホテルって言ったけど……本気で言ってんの?」

「問題ないわ、一晩だけ無断で泊まらせてもらうだけよ。杏子もたまにやっていたし」

「問題あるわ! ナチュラルに犯罪宣言するなっての! そんなのさやかちゃんが許さないからね!?」

「ここは分史世界よ?」

「そうだけど………はぁ…今更ってコトね…」

 

 

隣のルドガーもさやかの言葉に少々後ろめたさを感じたが、晴れているならまだしも雨の中で野宿は辛いものがある。ここはほむらに従うべきだろう、とひたすらに押し黙るほかなかった。

もっとも、ほむらの頭の中には最初から野宿などという発想はなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

 

周辺のビルと比べても少々ばかり華やかな電飾が備え付けられた、市街地の一角にある建物。

電飾の周りには光を求めて集まった数匹の羽虫が羽ばたきもせずに浮いたまま静止しており、舞い散る葉も同様に静止したままだ。

盾を起動して砂時計をせき止め、エントランスから堂々と建物内に入り込んだ黒髪の少女と白髪の好青年は、静寂のなか階段へと差し掛かり、淡々と上へ登ってゆく。

 

『君の魔法はこういう犯罪行為にはとても向いているね、ほむら』と、ルドガーの肩に乗っかったキュゥべえがほむらに投げかけた。

「それは皮肉のつもりなのかしら? まあ、否定はしないわ。それにしても、いくら時間を止めても魔力切れしなくて済むのは助かるわね…」

『僕としては全く有難くはないんだけどね。それより、君はここの間取りを知っているようだね。初めて来たのではないのかい?』

「ホテルなんて、どこでも似たような造りでしょう。ここではないけれど、昔杏子に連れられて忍び込んだ事があったのよ。入り方もその時教わったわ」

『……驚いたね。君はまどか一筋だと思っていたんだけれど、まさか杏子と…?』

「何が言いたいの? 私はいつだってまどかの事を第一に考えているわ」

『…君に対する認識を改めた方が良さそうだ。無知とは恐ろしいね?』

 

 

それはそうだ、とルドガーはほむらの後ろで納得したように軽く頷く。ただしそれは、ほむらの言葉に対してのものだ。

キュゥべえとの会話を切ったほむらは、階段を登り続けた果てに最上階と思しきところで扉を開けて廊下へと踏み入った。

静止した世界の中で動けるのは2人だけであり、人目を気にする必要など全くない。

若い男と女の2人組が缶の飲料を片手に廊下で静止しているところを堂々と横切り、最奥の一番大きそうな部屋の前で立ち止まった。

部屋の扉は最新の電子ロック式であるようだが、ほむらが手をかざして数秒で電子音と共に施錠が解かれる。

室内に入り、まずルドガーが安心したように背伸びして息をつくが、ほむらはまだ砂時計をせき止めたままだ。

 

「少し待っていてくれるかしら。防犯カメラを誤魔化すわ」

「えっ? ホテルなのに、カメラがあるのか?」

「ええ。杏子に教わったのだけど、犯罪抑止のためらしいわね」

 

防犯カメラ、という謳い文句なのだからそれはそうだろう、とルドガーは思う。だが、リーゼ・マクシアならばともかく、エレンピオスの宿ですら防犯カメラのついた部屋など見たことがなかった。

プライバシーに関わる事だ、普通ならあり得ないはずなのだが。或いは、自分が気づいていないだけだったのか、と。

ほむらは慣れたふうにカメラをひとつひとつ操作してゆき、それら全てが終わった所でようやく砂時計を再び動かし始めた。

 

「さて、ひと休みするとしましょう」

「そうだな…食事はどうする?」

「ごめんなさい。今日の所は盾の中の非常食で我慢してもらえるかしら」

「我慢だなんて、そんな。ありがとう、ほむら。…でもこの部屋、やたら広いな……」

 

室内を見渡すと、洒落た間接照明といやに大きめなベッドがひとつ。その上には枕が2つ置かれている。俗に言うダブルベッドというものだ。

化粧品棚の上には簡易的なメイクセットが一通りあるが、ほむらがそれを使う事はないだろう。

さらにその隣には大きめなテレビと番組表が並んでいるが、未だ漢字に不自由なルドガーには、番組表の殆どが読み取れなかった。

加えて、テレビの傍らにはマイクが2本置かれており、カラオケの機能も内蔵されているようだ。

 

「こういう所に忍び込んだ時は、最上階にある一番大きな部屋に入るといいらしいわ。料金が高すぎるから借りる人間もいなくて、だいたいの道具が揃ってるから便利なのだそうよ。

……でもテレビは絶対につけるな、と言われたわ。問題ないかしら?」

「俺は問題ないよ。…でも、高い部屋の割にはベッドが1つしかないな。ソファがあるから寝るのには困らないけど…」

「こういうホテルはそういうものらしいのよ。私がソファを使うから、あなたは…」

「いや、大丈夫。俺がソファを使うよ」

「……悪いわよ」

「いいって。昔は仲間たちとこんな感じで宿に泊まってたんだ」

 

ルドガーの中では、女性陣にベッドを譲るのはもはや当然の事として定着していた。

とはいえ、それも含めた旅の知識は、ルドガーよりもはるかに旅の経験が長い友人達の姿から学んだものなのだが。

 

 

「なら、先にシャワーでも浴びて来たらどうかしら。私は少し銃の点検をするわ。着替えなら、備え付けの部屋着が脱衣所にあるはずよ」

「わかった。先に行ってくるよ」

 

ほむらに促されるままに、ルドガーは武器類をテーブルの上に置いて浴室へと向かう。

その様子を相も変わらず無機質な瞳で、しかし心なしか愉快そうにキュゥべえははたから眺めていた。

 

 

『………本当に、無知とは恐ろしいね、暁美ほむら。まどかが知ったら卒倒ものじゃないかな?』

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、曇り空の続くなか街路樹の通りを足早に駆けてゆくさやかの姿があった。

魔女討伐とキリカとの交戦で疲労が溜まっていたため、僅かに寝坊してしまったのだ。

分史世界の学校にまともに通う必要など本来ならないのだが、昨日のように律儀に仁美が登校する気でいる以上、共に登校して仁美を守る必要がある。

また、ほむら達が影から活動するならば、さやかは表に立って差異を探るつもりでいたのだ。

……しかし、現在は8時24分。正直なところ、まともに走ったところで間に合うかどうかは微妙なところだ。

 

「ひー……仕方ないか、よっと……」

 

ソウルジェムの指輪がかすかに瞬く。魔力をほんの少し解放して、昨日キリカとの戦いで無我夢中で獲得した加速魔法を使い、さらに駆けてゆく。

もはや普通の女子中学生では絶対に出せない、スポーツ選手ばりの速さにまで達したが、周りに人がいないのをいい事にそのまま街路樹の通りを一気に駆け抜けていった。

通常ならば5〜6分はかかる距離をわずか1分足らずにまで縮め、校門の前までたどり着く。

校門の前にはジャージを着た教師が立っていたが、猛スピードで駆け込んださやかを目の当たりにして目をぱちくりとさせるだけだ。

昇降口に飛び込んだところで、ようやくさやかは加速魔法を解き、ゆっくりと足を止めて深呼吸した。

 

「ふー…なんとか間に合いそうだね…」

 

靴を脱ぎ、入れ替えるように下駄箱の中にある上履きを取り出して履く。

時計の長針は"5"の部分ちょうどを指しており、ホームルームの開始まで少しの猶予があった。

 

『さやか、今は学校にいるのかしら』と不意に、頭の中によく聞き慣れた声が響いた。

 

「ほむら…? どしたの。近くにいんの?」

『いいえ。今、ルドガーと一緒にホテルを出て学校に向かってるところよ』

「そうなんだ。…ってか、結局ホテルに忍び込んだってわけね」

『そうね、とても快適だったわよ』

「んなこと聞いてなぁい! って、あんた学校に来てもどうすんのさ。こっちのほむらと鉢合わせる訳にはいかないでしょうが」

『骸殻能力者が近くにいないと、時歪の因子は反応しないらしいのよ。……でも、やはりこの世界にも"私"は存在するのね』「(まぁねー。まどかみたいで、素直で可愛い娘だったよ? あんたに爪の垢煎じて飲ませてやりたいわ』

 

既に生徒達はみな教室内で待機しているのがガラスの壁越しに見える。

さやかは廊下を歩きながら、途中から不審に思われないように声には出さず、心の中でほむらと会話し始めた。

 

 

『どうやら、この世界の"私"は契約していないようね。まどかがいないんだもの、当然ね…』

『でも、あんたすっごい魔法ばっかり使うじゃん。時間止めるだなんて、ただ事じゃないよ? あのDIOだって5秒しか時間を止められないんだから』

『ディ……?』

『…うん、何でもないっす』

 

さやかは、ほむらがアニメや漫画の類いの知識を一切持ち合わせていない事を思い出して頭を軽く押さえた。

というより、一般的に女子にその類いのネタを振ったところでまともな返事が返ってくるはずもないのだか。

 

『というか、そんなあんたをキュゥべえが放っておくわけないじゃん…って言いたいのよ』

『………そうね』

 

ほむらの心の奥底に仕舞われた、一番古い記憶が呼び起こされる。

最強の魔女を前にして、街を、人々を…そしてほむらを守るために死をも厭わずに立ち向かっていった心優しき魔法少女。

その亡骸を前にしてほむらは、己の無力さを呪う。そこにインキュベーターは付け入り、ほむらとの契約を交わした。

あの日から自分はどれだけ変われることができたのか。ちゃんと"名前負けしないように"やれているだろうか。

この世界の自分が今の自分を見たらどう思うだろうか、と。

 

『…あの日、まどかと巴さんが助けてくれなかったら私は今ここにいなかった』

『ほ…ほむら?』

『魔法少女になって、私を助ける事ができた事が自慢だった。あの時のまどかはそう言ってくれたわ……』

『あの、時の……? それ、もしかして昔のまどかって事……?』

『そうよ。…でも、もう過ぎたことよ』

( 『…早く時歪の因子を破壊して、元の世界に帰ろ? まどか、きっと待っててくれてるよ』

『ええ、勿論よ。…あとで、落ち合いましょう』

『わかった。』

 

 

ほむらとの念話を終えるとほぼ同時に後ろ側の戸から自分の教室へと入ると、まだ担任の姿はなく、クラスメイト達の談笑の声がざわめいていた。

その中でさやかの到着に気付いた仁美とほむらが、さやかのもとへ集まり迎えた。

 

「おはようございます、さやかさん」

「おはよう、さやかちゃん」

「おはよ、2人とも」

 

髪を下ろし、さやかの言いつけ通りに眼鏡をかけずにいたほむらは挨拶と共に柔らかく微笑む。

対して仁美は、昨日の事もあってか少し不安げにさやかの顔を見た。

正史世界のほむらならばこんな笑顔はまどかにしか見せないのだろうと思い、さやかは少し得をした気分になる。

 

「暁美さんってば、ずっとさやかさんのお話ばかりしてましたの」

 

そんなさやかの顔色を読んだように、仁美が2人を焚きつけた。

 

「ほんとにぃ? ほむらってば、そんなにあたしの事好きなの?」

「え、えっ!? そ…そのぉ……」言われてすぐさま、ほむらの顔が真っ赤になる。

「へへっ、さやかちゃん照れちゃうなぁ! うりうり!」

「ひゃあ!?」

 

さやかもまたほむらに抱きつき、スキンシップでそれに応じるが、ほむらは昨日とは変わってくすぐったそうな顔でそれを受け入れる。

心地の良い艶めく黒髪を掻き分けてやりながら、さやかは確かに今ここにある"命"の暖かさを感じた。

 

「…ありがとね、ほむら」

「えっ? さやか…ちゃん…?」

「こうしてるとほんとに落ち着く…あんたがいてくれて、よかったよ」

「……何か、いやな事でもあったの?」

「………ちょっと、ね」

 

恭介が死んだ、とは言わなかった。話したところでどうなるわけでもないからだ。

 

(そう……世界を壊すってことは、この"ほむら"も一緒に…ってことだよね)

 

さやかとて、時歪の因子を破壊するという事の意味を理解していないわけではなかった。

だとすれば、自分は今とても残酷な事をしているのではないか、とさやかは思い直す。

ずっと一緒にいられるわけではないのに、と。

 

「……さやかちゃん。私ね、さやかちゃんのお陰でちょっとだけ変われたと思うの」

「え……?」

「だから、今度は私の番。さやかちゃんが困った時は、私が支えになりたい。…だめ、かな?」

「ううん、そんなことないよ。……すごく、嬉しい」

 

少し涙目になりながら、それを悟られないようにほむらの胸元に顔を埋める。さやかの涙に気付いているのは、肩の震えを直に感じているほむらだけだ。

暖かく脈打ち、命を感じさせる心臓の鼓動に耳を澄ませる。

それに応えるかのように、さやかの左手に嵌められたソウルジェムの指輪も、かすかに熱を帯びながら明滅していた。

 

 

 

 

 

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