冬の寒さが染みるというのはこういう事を言うのだろうか。
12月末。最後の日曜日。今年もこれといってロクな事はなかったが、最後の最後までこれか、とどこか諦めたように息を吐く。冬空に消えていく白い息を眺めていると、手に握りしめたマッ缶は既に温度を失い冷たくなっていた事に気づいた。
あれから一時間はこのベンチに座っているだろうか。横目で見ると義輝も隼人も同じように天を仰いでいた。そして、義輝と目が合うと奴は大仰にため息をつき、
「全然違うではないか!」
「…………」
「言ったよなぁ!? 『有馬記念はピーナッツイヤーで決まり! 今年G1で8勝に加え外国人騎手で負ける事なし! 今年は牝馬の年だ!』って!この結果は何!?」
「……ミレドキッドが圧巻の走りで完勝……当然の結果だな……」
「もういいよ! 我競馬辞める!」
そう──予想屋を始めた戸部の言葉に巧みに騙された俺達は、年越しの金を全て失った。
今年は豪華に過ごせるな、温泉でも行くか、なんて似合わない会話をしていた二時間前ですら恋しく感じる。人なんか早々変わらない。
「お前ら、頭おかしくなったのか?」
ピーナッツイヤー単勝10万。今頃25万の金を手にしている筈だったが、どこにもない。確実に勝てるはずだった。パチンコの新台に並ぶよりも時間も効率も良い筈だったのに……。
「ふっ……。ちょっとした余興よ。それよりもこれからどうする? 我、去年みたいに水ともち米だけで年越しするの本当に嫌なんだけどぉ!」
「十万あったからな……。バイトももう入れてないし。これから働く気はあるか?」
「あるわけねぇだろ」
「だよな……。流石に俺も……」
あの隼人ですら働く気を失くしている。由々しき事態だった。
競馬場のベンチで天を仰ぐのも些か飽きてきた頃合いでもある。資金繰りをどうにか考えなくては。
「まず、もう働く気はない。という事は、借りるか売るしか手段はない。……当てはあるか?」
「一色殿も沙希殿も帰省……。頼れる者は居ないでござろう……」
「売るモンといえば……試供品の煙草ぐらいか。近所の中学生に売って小金を稼ぐって手もあるが……」
「ダメに決まっているだろ。俺達、もう少しで卒業なんだぞ」
来年にはこの素晴らしき大学生活も終わり、ようこそ社畜君だ。年越すの嫌になってきたんだけど。
最後の最後で事件を起こして就職に響いても困る。俺も隼人もイメージが大事な立場になるし、義輝は……まぁいいか。フリーター兼作家だし。最悪全ての責任をとってもらえば餓死する事は無さそうなので、一安心した。
「何か売らんといかんな……」
「家の中には金目のもんないしな。そもそもあったらとうの昔に売っているからな」
「後は帰省ついでに実家を探して……。隼人の家なら金目のもんありそうじゃないか?」
「うちだって────。あ、そういえば前に義輝言ってたよな。俺達が子供の頃やってたカードゲームのカードが凄く高くなっているってさ」
「うむ……。我もうないぞ? 二年前にぜーんぶ貢ぐ金にしてしまった」
「俺も確かそれやってたんだよ。結構頑張って集めててさ。確かお気に入りのデッキを──」
とまで言って顔が青ざめていく。表情の切り替えがまるで信号機だ。随分と隼人も感受性豊かになったものである。
「…………雪乃ちゃんと陽乃さんと一緒に、タイムカプセルにしまってあの家の庭に埋めたんだった……」
まるで宝探しだ。しかも場所は鬼ヶ島のようなものである。千葉県で一番おっかない女が三人も居る場所に近づきたくなんかない。隼人が桃太郎なら目が死んだ猿と機動力の無い豚で鬼退治するようなものだが、他に金策がないのも事実である。
「じゃあ、隼人頑張ってな。戦果に期待する」
「来てくれた奴にしか分けてやらないぞ」
「うむ。……背に腹はかえられん。行くしかなかろう。どーせ、八幡はカード持ってないだろうし」
「うるせぇ。こっちはそんな子供っぽい事やってなかったんだ」
嘘だった。俺もやりたかった。でも対戦相手が居なかったのだ。何でトレーディングカードゲームって一人でできないんだろうな。ぼっちに配慮しない遊びが過ぎる。ポリコレで騒いでる連中はこういう所に目を向けるべきだだろう。小町を誘ったが絵が気持ち悪いで一瞬で斬られたし。
「TCGは友達いないとつまらないからな……」
やめろよ……。そんな憐れむような目で見るなよ……。仕方が無いので俺も腹を括るしかない。ため息をつき、とぼとぼと帰路についた。
●
「……何しに来たの?」
翌日。朝から電車を乗り継いでようやく雪ノ下家に辿り着いた俺達を迎えたのは、不機嫌そうな顔をした雪ノ下陽乃だった。部屋着にしたってお洒落過ぎません?みたいなチュニックに、俺達がつけている全ての装飾品より高そうなもこもこした上着を着ている。これを奪い取って金にしたい。なんだったら生写真付きで。見てくれだけは良いのでそれなりの値段がつきそうだ。
「お休みのとこすいません。今日はご家族いらっしゃるんですか?」
「父は仕事。母と雪乃ちゃんは年末の挨拶回りよ」
「成程。そうでしたか。……早速なんですが、庭を掘らせて貰いたいんですけど」
「……はぁ?」
珍しく素で驚いているような声が上がった。……言われてみれば、確かに意味がわからない。
「ごめんごめん。昔三人でこの家の庭にタイムカプセル埋めたの覚えてる? あの中に大事なものがしまってあってさ。掘り出してもいいかな?」
「あー……そういう事。ま、綺麗にやってくれればいいよ。母さん怒らせないようにさ」
確かにそうだ。陽乃さんがハドラーだとしたら雪ノ下母は大魔王バーンぐらいの恐ろしさはある。カイザーフェニックスを撃たれたらひとたまりもない。超魔爆炎覇だけでもキツいのに。妹はさながらフレイザードといったところだろう。負けず嫌いだし。ともあれ、掘る位置は1か所か2か所ぐらいしてしておかないと流石に雪ノ下家にも悪い。隼人と陽乃さんの記憶だけが頼りだ。
「ちょっと着替えてくるから待ってなさい」
意外な事に手伝ってくれるようだった。意外とノリが良いと言うかなんというか──。
「暇そうだな」
「暇そうだね」
「暇そうである」
普段全く気の合わない三人の意見まで一致してしまった。ドアの奥から殺気を感じたが気にしない事とする。雪ノ下家意外と壁薄いのかな? 建設業なのに。そのまま待つ事10分ほど。今度はラフなパンツスタイルに着替えた陽乃さんが現れた。ファッションショーみたいだななんて思ったので、
「可愛いですね」
「似合ってるでござる」
「綺麗ですよ」
とりあえず隼人に倣って雑に褒めておく。「暇だからねー。手入れする時間が人より長いだけよ」なんて嫌味で返してきた。はるのんイヤーは地獄耳。ここで喧嘩しても仕方がないので、お互いニッコリ笑って庭の方へと向かった。これが大人の対応である。
「どこに埋めたか検討ついてるのか?」
「ああ、大体ね。確か、あそこに植えてある木の右辺りに埋めた気がするんだけど」
「その位置であってるよ」
陽乃さんも同じ意見のようだった。そもそも、この女が自分の物を何処に埋めたのか忘れる筈がない。タイムカプセルなんて人生の汚点しか入っていないからだ。俺ぐらいになると小学校の頃埋める時に存在を忘れられていたので、当時一人で書いていた漫画を持って行った時には既に全員解散していたまである。あんなもん埋めなくて良かった。なんだったら、同級生が集まって掘り起こした時に「比企谷なんて奴いたっけ?」なんて楽しいイベントがいきなり怪談話に変わってしまう。
また一つ誰かを幸せにしてしまった、なんて考えながらスコップで庭を掘る。工事現場でバイトしてた俺達には朝飯前だ。
「手際良いねぇ」
「どこぞの企業の孫請けでバイトさせられてましたからね」
雪ノ下と再び関わるようになってから雪ノ下建設系のバイトも増えた。重労働だが金払いは悪くはない。雪ノ下家の紹介ともあって皆優しい。重労働だが。せっせと掘る俺達とみているだけの陽乃さん。正に社会の縮図だった。今後もこうやってこの人にこき使われるんだろうなぁ。
「むっ。何か固いものが……!」
大仰に義輝が吼えた。冬だというのに凄い汗だった。大して動いてもないのに仕事した感が凄く出ている。何かずるいと感じた。
「これじゃないかな」
掘り進める事5分。大きな銀色の箱の姿が見えた。子供が空いた缶で入れるようなチャチなもんじゃない。タイムカプセル用に作られたステンレス製の入れ物だ。上級国民め。
「お疲れ様。ジュース用意しておいたから飲んできなよ」
さらっと現れた陽乃さんがタイムカプセル持ち、笑いながらそう言う。普通の男ならその美しい笑顔に騙され、飛び出さんばかりの勢いで飲みに行っただろう。しかし捻くれに捻くれ、尚且つこの大魔王と付き合いも長くなってきた俺達だ。何か裏があるな、と感じた。
「先に現物を確認しておきたい。物がなかったら困るしね」
「掘り返した形跡ないし大丈夫でしょ。隼人がカード入れてたの私覚えているよ」
「しかし高いカードが実際あるかどうか確認せんと困るのでなぁ……」
「んー。まぁ、高いカードなくたって何とかなるよ。困ってるんだったら、お金貸してあげるし」
「それは流石に悪いからいいです。陽乃さんとお金の貸し借りまではしたくないですし」
「散々奢ってるから気にしないで良いよ」
──確信した。タイムカプセルの中にはこの女の弱点が入っている。義輝と隼人に目配せすると、軽く頷いた。奴らも気づいたらしい。お互い笑顔だが、空気だけはヒリついている。三人同時に襲い掛かれば、奪えるかもしれない。
「近づいたら、中に入っているカード破くから」
人質はとられている。カードを破かれてはここまで来た意味が全くなくなってしまう。じりじりと陽乃さんはタイムカプセルを持って下がっていき、距離をとった。
「わかりました。何もしませんってば」
手を挙げて降参の構えをとった。別に金さえ手に入ればよかった。陽乃さんの弱みにも金以上の興味はない。自分で言ってなんだが、相当腐ってた発言である。距離をとった陽乃さんはタイムカプセルを空け、何かを取り出してポケットにしまった。そして、にやりと笑い、
「見てみて。これ」
一枚の手紙のようなものを取り出した。それを見た隼人が、
「それ、雪乃ちゃんのだね……」
雪ノ下は何か手紙のようなものを入れていたようだ。ニヤニヤしながら陽乃さんはこちらへ近づき、俺達に見せてきた。
「見て見て。雪乃ちゃん手紙なんて書いてる~。しかも、英語で」
「きっと……誰かに見られてもすぐに読めないようにこうしたんだな……」
「発想が陰キャの極み過ぎるでござる……」
「昔から可愛げの無い奴だったんだな……」
流石に読むのは憚られるし知られた時はどんな仕返しが来るかわからない。俺達が目を背けると、陽乃さんも英語で書いてあるぐらいにしか興味がないらしくすぐに手紙はしまわれた。どちらかというとそちらを暴露する方が本人的にはダメージが大きいと思うが、姉妹の事なので何も言えない。俺は関係ないからね! 見てないからね!
「おお、やっぱレアカードいっぱいあるよのぉ!」
金にしか興味のない義輝と隼人は既に雪ノ下の手紙には興味を失くし、残ったものを漁っていた。
雪ノ下姉妹が一点だけしか埋めなかったのに対し、隼人の入れたものは結構多い。友達との写真とか寄せ書きとか、俺が持ってないものばかりだった。
「しかし凄ぇな。寄せ書きってこんなに書かれるものなの? これ絶対同じクラス以外の奴も書いてるでしょ。普通もっとスッカスカじゃねぇか?」
「うむ……! しかもこれ凄いのは、悪口が一つも書いてない」
「今までどんな寄せ書き貰ってたんだよ……」
「ほぼ白紙」
「先生に無理やり書かされた文句が書いてあったでござる……別に書かなくていいのに……」
世の中にはこんなに愛の溢れる寄せ書きがあったのかと感動してしまうレベルだった。女子の大半が大人になっても遭いたいねとか書いてるのには、殺意を超えて恐怖すら覚えたが。次に、隼人は友達との写真を手に取った。
「しかし可愛くねーガキだな。顔に傲慢さを感じる」
「うむ。クラスの中心……いや、世界の中心に自分が居るかのような余裕すら感じる」
「仕方ないだろ。子供だったんだから。……お前らだって、多分似たようなもんだったろう」
「写真全然残ってない……」
「卒アルに自分が隅っこ以外に映ってる写真一枚もなかった……」
「流石に、初めてお前達に同情するよ……」
ぎゃあぎゃあといつものくだらない言い合いが始まった。そんな俺達を、陽乃さんは笑顔とも何ともつかない曖昧な表情で眺めている。そして、
「良かったじゃん、隼人。ちゃんと"見つけてもらって"さ」
そう一言だけ呟いた。隼人はそれに何も応えなかった。フン、と一度鼻を鳴らしただけだ。二人にだけしかわからない事なのだろう。一瞬の会話の違和感はすぐに立ち消え、陽乃さんは一度大きく伸びをすると、
「とりあえず、それお金に換えたら何か食べようよ。お腹すいちゃった」
「東京で売る予定なんだけど、陽乃さんも来る?」
「じゃあ、あの家で少し豪華な鍋にでもしようか」
「いいんじゃねぇかな。陽乃さんには何時も奢ってもらってるんで、偶には鍋でも奢りますよ」
「流石八幡! 隼人の金なのに自分の金みたいに言ってるとこクソ過ぎて我嫌いじゃない!」
確かにそうだったが義輝の言葉は黙殺。隼人が掘り返したとこを埋め始めたので、作業の続きをしなければならない。腹を空かせるためか義輝が張り切っているため、手持無沙汰だ。母親が帰ってくるかどうか偵察にでも行こうかと悩んでいると陽乃さんに袖を引かれた。
これ勘違いしちゃうからやめてほしいんだけど、相手が相手なのですぐに冷静に帰る。
「私が何を隠したか見たい?」
「いや、もう興味ないです」
脇腹を一発殴られた。痛い。
「自分の黒歴史を晒したいとか正気ですか?」
「別に黒歴史じゃないよ。……変なもんが入ってなかったか確かめたかっただけよ」
陽乃さんがポケットから取り出したのは一冊の文庫本。表紙には「走れメロス」と書いてある。有名な作品だ。俺だって読んだ事がある。
「カバーだけメロスで中身は官能小説とかじゃないですよね?」
「それ、八幡がえっちな本隠す時に使ってた手でしょー。一緒にしないでよ」
どうしてそれを……! やはりサイコメトラーなのかもしれない。陽乃さんがどうして走れメロスを埋めたのかはわからない。手放したかったのか隠したかったのか。一番濃厚なのは、「邪智暴虐の王に影響されてこんな性格になっちゃいました」辺りだろうか。
その真意はわからない。ただ、この先を聞くには陽乃さんに一歩踏み込まなくてはならないという事だけはわかる。表情を見ている限りでは何を考えているのかわからない。うっすらと笑っているが、拒絶のような、それでいて曖昧な笑顔だ。
「……あの王がした選択は間違っていたとは思いませんよ」
「そう……。それを聞けたなら、掘り出した甲斐もあるのかもね」
少しだけ寂しそうに陽乃さんは笑った。