ヴァルゼライドの邯鄲英雄譚   作:ヘルシーテツオ

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後編③

 自らが至った悟りの意味を噛み締めて、俺は改めてその重みを再認識していた。

 

 まるで生まれ変わったかのような感覚。

 心に備わった一本の線。体験した無数の生涯を受け入れて、いずれの柊四四八(じぶん)も自分自身なんだと理解する。

 産まれて、託されて、育んで、伝えて――ありのままの生を尊んで歩んでいく。それが素晴らしいことなのだと素直に感じる事が出来る。

 そう、これこそが俺にとっての答えなんだ。先人に敬意を払い、後進にとっての標となりたい。言葉にすれば当たり前な、とても身近でだからこそ大切にしなければならない真理。

 言ってしまえば夢見がちな浪漫の類い、方法論としては落第だろう。ああ、それがどうした。理屈がどうこうと、出発点の段階であれこれ語って何になる。まず重要なのは踏み出す意志、そしてやり遂げる覚悟だ。

 

 今ならば確信を持って言える。この夢こそ俺が描くべき未来なんだ。

 仁義八行。人と人との繋がりに感謝して、そこに築かれる世界を愛する。あの百年後の未来を素晴らしいものにしていくためにも、混沌の夢になんて敗けるわけにはいかない

 

「その通り。君の悟りは間違っていない。我も人、彼も人、異なる者同士の関係性にこそ調和を見い出した。それもまた阿頼耶(わたし)の側面であり真理だよ」

 

 抑揚のない声が、奇妙なことに俺の内側から聞こえてくる。

 これこそが阿頼耶識。人類の普遍無意識そのものだと俺は既に理解している。

 全にして一、柊四四八であって永劫出会わぬ何処かの誰か。他人事のようにも聞こえる口調は、単一の個我を持たないが故の性質でもある。

 

「修行期間を終えて、君という盧生は完成に至った。甘粕正彦と比肩し得る土俵に、君は既に立っている。ならば次に向かうべきは本番、現実の大正時代。本来の大義に立ち返り、日本帝国を揺るがす魔人との全面対決に臨むべきなのは疑いの余地もない」

 

 そうだな。俺もそこは分かっている。

 俺たちは幸せな仮想未来を体験するために、この邯鄲に入ったんじゃない。

 初志の目的である甘粕打倒。それは今も変わらない。こうして夢を現実に持ち帰ることに成功した以上、速やかに現実へと帰還するのが当然の判断だろう。

 

「だからこそ、私はあえて君に問おう。いったいどうして、君はあの英雄(おとこ)の元へ赴こうとしているんだい?」

 

 故に、俺の内心を正確の読み取って、阿頼耶はその意図を尋ねてきた。

 

「クリストファー・ヴァルゼライドと戦うことで、君にどんなメリットがあるというんだい? 初志の目的とも関係なく、勝って得られるものもなく勝たねばならない義務もない。端的に言って無意味ではないかな?

 ついつい忘れがちになるけどね。彼は本来、この邯鄲において部外者だ。例えるなら既に成立しているはずの物語に、まったく別の物語の登場人物を入れ込んだようなものだよ。よって必然、仮に彼がいなくなっても物語は問題なく回り続ける」

 

 ああ確かに、意義という観点で論じればそうなるだろう。

 クリストファー・ヴァルゼライド。あの男が邯鄲へと繋がった経緯は一際特異なものだ。

 ただ、甘粕から見てその性質があまりに好みと合致していたから。だからつい、邯鄲法と何の関係もなかったはずの男を、地球の裏側から強引に招き入れてしまった。

 全てはその場のノリと勢い。甘粕正彦という男の本質、その子供じみた幼稚な欲求によって、まるで関わり合いを持たなかったはずの男を邯鄲に組み込んでしまったのだ。

 

 よって本来なら、俺がこれ以上の関わりを持つ必要もない。

 このまま現実へと帰還すれば出会う事もないだろう。遠く離れた地の無関係な住人として、少なくとも今回の件で邂逅する事は二度とない。

 

「仮にもしも、ここで君が彼を無視したとしよう。そうしたなら、彼は恐らく甘粕の元へと向かうだろう。もはや猶予がないのは彼とて同じ。君が見込み違いだと分かったなら、元々の目的の一つである甘粕打倒のために動き出すだろうね。

 そういう意味でも、ここで君が彼と戦う事に意義あるとは思えない。甘粕打倒は君たちにとっても悲願だろう。並び立つ事は出来ないでも目的そのものは一致している。あえての放置も一つの選択肢として十分に有り得るものだ」

 

 そうだな、賢い選択というならその方がいいのだろう。

 道を同じくは出来ないだろう。だが利用するという形なら、ある意味で共闘も可能だ。

 甘粕打倒という初志、それを考えるならむしろ当然の選択なのは分かってる。俺のする事なんて感情論の類いで、さしたる意義はないというのが本当のところだ。

 

「さあ、答えてくれ。君はあの男、クリストファー・ヴァルゼライドと相対して何をしようというんだい?」

 

「分かってて訊いてるんだろう」

 

 こいつは阿頼耶だ。人類というものの総体そのもの、知らない誰かであって俺自身なんだ。

 問いかける体をしてても、こいつは初めから答えを分かってる。俺がその答えを持っているなら、つまりは阿頼耶にも答えが出ているって事なんだから。

 

 それでも問いかけてきたのは、決意の強度の再確認。

 言ったように俺の理屈は感情論だ。方法論としては落第だと理解している。

 だからこそ、やり遂げようとする意志を疑ってはいけないんだ。それを怯まず持ち続ける事だけが、俺に示せる唯一のものだから。

 

 人と人との繋がり、自分と異なる他者との交流。

 父母から子へ、そのまた次の世代へと、脈々と受け継がれていく数多の価値。

 そうして織り成される人の世を、俺は調和だと納得した。全は一、一は全。世界は皆によって出来ていて、端から不要とすべきものなど一つもない。

 だったら、逃げるわけにはいかないだろう。英雄もまた人ならば、その意志を認める事に否なんてない。

 この悟りを嘘にしないためにも、目を背けてはいけないんだ。それが盧生というもの、人類の普遍無意識を背負う代表者(ヒーロー)。資格さえ得ればお役御免と、そんな甘い覚悟で名乗れるものではないのだから。

 

「――ああ。それでこそ柊四四八だ。

 存分に奮えよ我らが盧生。いつもその夢を見守っている。

 ゆえに協力は惜しまない」

 

 

 *

 

 

 対峙の果て、両雄が出した最初の接触法は、互いの一撃による激突だった。

 

 今さら言葉を重ねたところで納得できる道理でも無し。

 もはや主張の善悪を問う段階ではない。揺らぐ意志など互いに持ち合わせていなかった。

 ならば後は行動で示すのみ。俗に言う拳で語れという心境、それは両雄ともに共通していた。

 

 振り下ろされた光の剛剣を、真っ向より受け止める旋棍(トンファー)

 共に譲らず、退く気は無し。その信念を表すように、初撃から全霊が込められる。

 激突より生じた衝撃に大気が揺さぶられ、夢界そのものを震撼させる雄叫びと化す。揃い立った両名こそ、人類を代表すべき雄であると満天下に告げるように。

 

 鍔迫り合って、交錯する両者の視線。

 瞳に映る意志は同じ。掲げた信念、己の真を貫くのみ。

 光を奉じる者同士、議論など交わさずとも意図が分かる。この程度は挨拶代わりでしかなく、これより夢の撃ち合いが始まるのは互いにとって共通認識でしかなかった。

 

 充填される破壊の黄金。剣閃より射出される輝きの波濤。

 未来にて毒牙を振り撒く放射性分裂光(ガンマレイ)の脅威は、無論のこと四四八も承知している。故に即座に、それに対抗するための手段を蓄積された歴史の中より生み出した。

 核融合反応より発生する超々高熱、放射能汚染をも閉じ込めて封殺する原子炉の障壁を創形。コンマ一秒も掛からない速効の創法は、しかし完璧な精度をもって黄金の破滅を防ぎ切った。

 

「なるほど、流石は盧生。その夢の力、かつてとは比較にならん」

 

 光を受け止める障壁の向こう、感心したように述べる声が聞こえてくる。

 己にとっての唯一無二が防がれたとあっても、ヴァルゼライドは怯まない。相手は盧生、これしきは十分に想定できる範囲だと、微塵も臆さず突き進む。

 よってその攻勢に停滞はあり得ない。闘志は更なる燃焼を行って、次なる一撃をより強大なものへと飛躍させる。

 

 完璧に黄金光を防ぎ切った障壁に、縦一筋の亀裂が生じる。

 剣撃一閃。黄金の残光も冷め切らぬ中を踏み込んで、振るわれた剛剣が障壁を断ち割った。

 先の一閃との差異は、単純明快な密度の違い。収束された光の威力は、先のそれをも凌駕して、四四八が築いた守護を真っ向より打ち破ったのだ。

 

 再び至近の間合いにて衝突する両者。

 単純な夢の強さで問うのなら、軍配が上がるのは四四八の方だろう。

 彼は盧生であり、この邯鄲の大元と繋がった力の根源。完成されたその器は、眷族の限界を容易く超越して余りある。

 カンスト値など無く、高められた強度は文字通りに桁が違う。総合値で見れば圧倒しており、夢の力を使う術者としての等級で問えば、柊四四八こそが数段格上で間違いない。

 

 柊四四八が会得した己の夢とは、不変であるはずの能力資質の自在な振り分け。

 秀才にとっての理想とも称される、全てが高い資質で纏まった万能性。それは反面で個性の無さとも言い換えられるが、いざとなればその万能型を特化型へと変質できる。

 その都度に望んだ己へと己自身を変えられる。真に己を厳しく磨き抜いた男であればこそ許される王道の在り方。その能力にはあらゆる意味で隙がない。

 

 更に、盧生へと至った今の四四八は、より踏み込んだ領域へと己の夢を至らせている。

 それは仲間間における能力の完全共有化。仲間たちの資質を己に写し取るのみならず、その固有の夢までも使用可能。

 絆を結んだ彼らを認め、優れたる価値を敬う悌の心。簒奪や模倣とはまったく異なるその夢は、盧生である四四八の地力と相まって十全以上の強さを発揮する。

 

 まず四四八が選んだのは、我堂鈴子の夢。

 その戦法は力で打ち合うものではなく、速さを駆使した受け流しを主軸に置くもの。

 ヴァルゼライドの剛剣に対し、最も有効なのはそれだと判断。別人へと切り替わった性能を使いこなし、四四八は剣の威力をいなしていく。

 そして鈴子の破段とは攻撃の残留。不可視のまま空間に残る攻性の檻である。防戦に徹しながら、その間にも攻めの布石は張られていく。

 無数に伏せられた打撃に包囲されて、流石のヴァルゼライドも踏み止まらざるを得ない。そうして開けた間合いの先で、四四八はまたもその夢を別人に切り替えた。

 

 次に四四八が選んだのは、龍辺歩美の夢。

 近接での打ち合いは捨てて、その能力資質は完全な遠距離特化になる。

 忘れたわけではない。ヴァルゼライドの光はただの光熱ではなく連鎖崩壊を引き起こす核の猛毒。たとえ僅かな傷でも致命に繋がる。刀剣の間合いでの戦いは危険が過ぎる。

 一瞬で周囲に創形される弾丸の群列。その数は有に万を超える。四四八自身の資質変化の夢も重ね合わせ、歩美本人でも不可能だろう芸当を実現させた。

 一斉に射出された弾丸は歩美の破段によって総てが空間を跳躍する。殺到する弾丸が打撃の包囲の隙間さえも埋め尽くし、脱出不可能の壁となってヴァルゼライドを封じ込めた。

 

 柊四四八は一人で戦っているのではない。

 確かな信頼を育んだ仲間同士であれば、力を合わせた強さが独りの場合より勝るのは必然。

 絆を結んで得られる強さこそ、巡り巡った邯鄲で四四八が得た光だ。彼には戦真館の朋友全員分の夢が付いている。

 

 だとするならば、それほどの格差を埋め尽くして、こうして互角の勝負にまで漕ぎ着けている単騎の力とは、いったいどれほどの凄まじさであろうか。

 

 銃火打撃の包囲の中で、ヴァルゼライドが選んだのは前へ踏み出すこと。

 元より無傷で切り抜けようなどとは考えない。まさしく死中に活を得る覚悟でもって、刀剣に纏わす黄金を燃え上がらせて攻めに転じる。

 殺到する銃火打撃を斬り払い、前へ前へと。血を流し身を削り、致死に繋がるものだけを的確に、その進撃速度はまったくと言っていいほど衰えない。

 刹那の戦況を察知する状況判断。紙一重の迎撃を成立させる、感覚さえ超越した経験則と勝負勘。そして何よりも、無謀とすら思える突貫へ己を踏み出させる鋼の意志。

 単なる夢の強さだけではない。現実にも則したそれらの要素、ひたすらに磨かれた信念の成果が、あらゆる不利を覆して四四八に刀剣の一閃を届かせた。

 

 受けた傷は浅い。

 されど爆光は連鎖する。身に刻まれた僅かな斬痕より滅びの焔が拡がるのだ。

 咄嗟に夢を切り替え、楯法に優れた真奈瀬晶の夢を共有させていなければ危うかった。激痛に歯を食い縛りながら、これ以上の拡大を防ぐべく活の法を施す。

 無論、回復だけに意識は割けない。光剣の攻め手は未だ緩まず、ヴァルゼライドは既に次撃を繰り出そうとしている。

 

「――大したものだな」

 

 己の窮地を自覚して、それでも四四八が漏らすのは素直な感嘆だった。

 

 優位にあったのは四四八だ。

 戦術として正しい選択をしたのも四四八だ。

 盧生としての力量、仲間の夢の共有という選択の多彩さ、全ての要素が四四八の有利を裏付けていたはずだ。

 

 そうだというのに、結果を見れば窮地に立つのは四四八の方。

 時に理を持つ選択が、愚と見える選択に敗れる事がある。勝負事には付き物なその不条理は、しかし偶然ではあり得ない。

 死地を恐れず踏み出せる勇気と覚悟。何よりその強さを支えているのは、弛まず続けた努力の量と不屈の意志。

 眼前の英雄のそれを、仲間を通して四四八もまた重い知らされている。それは疑う余地のない光の正しさであったから、四四八もまた敬意を抱かずにはいられなかった。

 

 柊四四八の掲げる仁義八行。仲間の絆を力を変えるその夢は、王道のものであるだろう。

 しかし、見方によればこうとも言える。独力で戦い抜かず、仲間の力に頼り切る在り方など女々しいと。

 男子たるならば、鍛え磨いた我の力のみを掲げ、あらゆる艱難辛苦に立ち向かうと覚悟すべき。自力では事も為せない脆弱さで、いったい何を果たせようか。

 血統、才覚、立場の有利。そうした優位の上で順当に進んだ意志よりも、不遇の中より這い上がった意志の方が強度で勝る。普遍であるその認識は、四四八にも理解できた。

 

 ならばこの結果もまた必然だろう。

 柊四四八の強度は、ヴァルゼライドに及ばない。如何に光徳に溢れた悟りでも、強さの観点では英雄の鉄心には届かないと。

 

 あるいは一周目の柊四四八であれば、この時点で心折れて、敗北を受け入れていたかもしれなかった。

 

「決まってる。俺はこれでいい」

 

 今も苦々しい敗北の周回。

 あの邯鄲に混じった不純、敗北の要因が何であるか、今ならばよく分かる。

 戦真館は、四四八は絆を否定したから。己自身で仲間を切り捨てて、絆がどうだと片腹痛い。理屈があろうが正着手だろうが、貫けなかった時点でその意志は弱味を持つ。

 甘粕正彦も、クリストファー・ヴァルゼライドも、前人未到の単騎行を成し遂げた漢たち。弱気が混じった意志などで、その熱量に対抗できるはずもない。

 

 掴んだ夢に、恥じ入る思いは何もない。

 仲間の力を頼る事は弱さではない。仲間と共に立ち向かえる、この在り方こそ誇り。

 あいつらを信じているから、自分もまた夢を託せる。彼らの光は英雄の輝きにも劣らないと、誇りに懸けても柊四四八は断言する。

 

 故に、彼の知る最も勇気ある男の夢を、四四八は迷わず選び取った。

 

 身体の動きが鈍る。それは明らかな性能低下。

 決して強くはない。この弱さこそ"あいつ"が抱えてきたものだから。

 だからこその勇気だと知っている。たとえこんなに弱くても、大切な人のためならば、あいつは龍神にだって立ち向かえる。

 自分のためには戦い切れないのが欠点だが、その気になったお前のすごさはよく見てきた。それは英雄の輝きにも決して劣らない。その事を、俺がここで証明してみせよう。

 

 迫り来るヴァルゼライドに、四四八もまた応じるように前へと踏み出す。

 あらゆる道理、正着手をも無視して、黄金の破壊を相手に真っ向勝負を選択した。

 

 爆光の一閃が落ちてくる。

 今の性能値で対応するのは至難。防御や回避を考えては対抗など覚束ない。

 だから四四八は、守りを捨てた。意識は常に前へ前へと。退がる事など考えない不退転。

 必然、爆光の一閃は四四八に届く。防ぐ事も避ける事も叶わない。直撃すれば死滅の結末が確定する光を、無防備に受け止めた。

 その後に来る未来を予感しながら、四四八に恐れはない。如何に英雄の光が恐ろしくとも、彼が信じる友の夢だからこそ怯まない。

 

 そして我が身を両断して灼き尽くすはずだった黄金光を、四四八は触れる事なく透けて通した。

 

 解法の透。自己という存在そのものを薄める夢の一種。

 超密度を持つヴァルゼライドの光に対し、それを無傷で透過する事の難易度は言うに及ばず。

 柊四四八では不可能だったろう。それを成し遂げられたのは、夢界でも抜きん出た解法の資質。彼が信じる勇気ある男、大杉栄光の夢であったからに他ならない。

 無論、それだけでは終わらない。透の解法と両立させて、旋棍に込めるのは崩の解法。

 それは大杉栄光の破段。自他相殺の破壊の夢が、英雄の殲滅光を打ち砕いて、浅くない一撃を刻み込んだ。

 

 仲間たちの強さを信じている。信じているから、その夢に己の身命も託すのだ。

 柊聖十郎の簒奪の夢とはまるで異なる。絆を紡いだ思いがあるから、夢には確かな重さが宿る。

 心からの意志を乗せた一撃、ならば砕けぬ道理は無し。自身の重さを知ればこそ、他者の重さとて背負えるのだから。

 

「そうだろう、鳴滝」

 

 だからこそ、そんな自己の重さを誰より深く重んじる男を、四四八は次なる夢に選んでいた。

 

 鳴滝敦士の破段、その効果は自身を重くすること。

 意志の限り、ありったけの思いを乗せて、みるみる増していく超重量。細身の肉体にあり得ない質量が発生し、在るだけで空間の重力さえもねじ曲げる。

 数値にして数千倍にも達しよう。自らの重さを握り込み、四四八は渾身の一撃を振り抜いた。

 

「――これしきでぇッ!!」

 

 されど、意志の重さを乗せられるのはヴァルゼライドとて同じ。

 この程度の負傷がなんだ。剣の一、二本が折れたからどうしたという。窮地にあって意志を滾らせるのは英雄の専売特許だ。

 英雄は単騎。掲げた夢も唯一つ。だからこそ、意志の熱量では何人にも負けまいとする覚悟がある。あらゆる無理を押し通した奇跡にも等しい英雄の意志が、これしきで臆する事などあり得ない。

 迫ってくる渾身の一打に対し、ヴァルゼライドも新たな刀剣を抜刀して繰り出す。そしてそれは、先を遥かに上回る必殺の斬撃となった。

 

 重圧と破壊圧。二つの力が真っ向より衝突する。

 互いに退く意志はない。押し出す力は尚も強まり、拮抗したまま両者の間で凝縮していく。

 よってそれは限界を超えて破裂した。膨れ上がった圧力の暴発に、両者が同じく弾き出される。

 その衝撃で空間には激震が走り、地表は波打ったように崩れ散ったが、やはり当然の如くそれしきの事で斃れるような二人ではない。

 

 同時に、どちらが先んじるかを競うように、両雄は立ち上がった。

 相応のダメージは互いにある。解法が込められた打撃によるヴァルゼライドの傷は深く、また相殺の夢の代償を支払った四四八も内臓の幾つかが欠けている。

 優勢の如何は判断がし難い。そしてやはり、そのような理屈が意味を為さないという事もまた事実。何故なら両者の瞳に映る闘志は未だ衰えず、己は敗けぬと意気を吐き出して、互いに譲らない信念を示しているのだから。

 

「確かに強い。眷族とは根本から夢の力が違う。

 そして夢自体の有り様もまた見事だ。仲間と定めた者との能力の共有。簒奪や、単なる模倣では顕せない力の程、しかと感じた。

 だが、それだけではあるまい。凡俗ではどうあっても届き得ない、盧生を盧生たらしめる神威の力があるはずだ」

 

 相手の力量を認めながらも、ヴァルゼライドが指摘するのはその手抜かりだ。

 柊四四八は本気を出していない。どれだけその夢が素晴らしかろうと、盧生である時点でそれ以上の力があるのは明白である。

 それでは不足だとヴァルゼライドは告げる。全身全霊、盧生の真なる本領と相対しなければ、この闘争には何の意味もないのだと。

 

「終段を使うがいい。この期に及んで隠し立ての意義もあるまい。阿頼耶を手にした者にのみ許されるという第六法、その真価のほどを見せてみろ」

 

 終ノ段。盧生だけが辿り着ける最終地点。その実態とは神格の使役である。

 古今東西、あらゆる国々で祈りと共に紡がれてきた神という概念。普遍無意識の底に眠るそれを、完成した盧生は召喚して従える事が出来るのだ。

 彼らは人類が望んだ人類以上の存在。よってその力は原則として人間の力を上回る。言うなれば常に協力強制が成立している状態で、条件など関係無しに神威を奮う事が出来る。

 眷族が盧生に対抗できない最大の理由がここにある。人の身では神威には勝てない。よってそれを己の力として扱う盧生には、同じ盧生以外に立ち向かう術がない。

 

 ならばヴァルゼライドの申し出とは、自滅以外の何物でもないだろう。

 終段を使われれば勝てない。眷族が盧生に打ち勝つ唯一の勝機とは、使われる前に打倒する事しかない。

 その勝機を自ら捨てて、あえて神威に挑もうなどと。端的に言って愚行であり、道理を弁えない者の戯れ言と取られても不思議ではあるまい。

 

 その事は無論、ヴァルゼライド自身も自覚している。

 その上で、彼はそれに挑むと口にしている。それこそが己にとっての道であると、当然だと言わんばかりの自然体で。

 あらゆる難行を踏破する。無理だと知りながらも、その道理さえも踏み越える意志力で。その果ての勝利を掴むために、流した涙を明日の笑顔に変えるために。

 鋼の英雄は、断じて己に楽な道など選ばせない。背負った罪と痛みの分、強くならなければ嘘であるから、輝ける王道を征く漢は此度でも奇跡を起こすと豪語する。

 

 そんな愚かさを貫いて、貫いて、貫いた果てが今である。

 告げる言葉には単なる戯れ言で済ませない重みが宿る。それは四四八自身にとっても、決して軽んじる事の出来ない認識であったから。

 

「断る」

 

「なに?」

 

 だからこそ、四四八はその申し出に対し、決然とした拒絶を返した。

 

「改めて言っておくぞ。俺はアンタとの決着を、ただ力で捩じ伏せるようなものには決してしない」

 

 英雄の主義がどうであれ、それに従う必要は四四八にはない。

 本領を発揮しない事を侮りと捉えるなら、確かにそうとも言えるのだろう。

 だが、どんな力にだって使い方というものがある。適さない場で大きすぎる力を用いても、それは無意味な破壊にしかならない。

 阿頼耶にも指摘されたように、そんな力でただ勝ちたいのなら、そもそも英雄と戦う事に意義などない。柊四四八の得た悟りを貫くために、そこは断じて譲れない。

 

 クリストファー・ヴァルゼライドは光の属性。英雄と呼ぶに相応しい輝ける男。

 それを認める気持ちに否はない。純然たる自己の努力量と意志力によって、数多の奇跡を成し遂げたその強さには敬意を持っている。

 あるいは終段を使う方が、英雄にとっては好都合なのかもしれない。決して抗えない神威を相手取り、それを超える覚醒を果たした時こそ、求めた勝利を得られる瞬間かもしれないから。

 

 だから駄目なのだ。柊四四八は終段を使うわけにはいかない。

 それは英雄の覚醒を恐れての事ではない。破壊ばかりを生み出すその正義に、制止の手を差し伸べるためにだ。

 善しを認め、悪しを糺す。それが柊四四八の悟りの有り様。強く曲がらず進み続ける英雄の光を認め、また同時にその危うさを糺す。

 それこそが得るべき勝利のカタチ。戦力云々の話でなく、勝利を求めて全霊を尽くすというのなら、それを曲げてしまうわけにはいかないのだ。

 

「人と人の繋がりを尊ぶこと。何も難しいことじゃない。慈しみの心を持ち、道理を重んじ、社会と善悪の意義を解すること。真心をもって他者に接し、その善意を信じて、延々と連なる歴史に敬意を払うこと。そんな当たり前の行為こそが、俺がこの邯鄲で悟った真理なんだ。

 つまりは仁義八行。そんな思想にみんなが倣えるよう、俺自身がそのための標となりたい。この背中を見て、その後を継いでいきたいと思えるような姿を示す。そうして誰かに継がれた光が、また誰かへと、その繋がりで世界を光で満たせるように。

 それはアンタだって例外じゃない。アンタの強さには敬意を払ってる。だからこそ、その歪みを糺してこの価値を伝えたいと願うんだ」

 

 打倒するのではなく説き伏せること。それこそが仁の道での勝利方法だ。

 甘いと言えばあまりに甘い。所詮は性善説に囚われた理想論でしかなく、何処までも他者を信じる事を前提とした論法は、青臭いと言い捨てても良いだろう。

 言葉だけで言われても信じる事など不可能に違いない。故に、柊四四八はそれを示す。その背中で、その在り方で、理想を現実へと押し上げると決意して。

 この戦いとて、その一環に過ぎない。ならば終段を使う選択肢など端から無い。初めから合意が成立している神威では意味がなく、英雄自身の心に納得を与えなければならないのだから。

 

「……つまりは、人間関係より生じる善意の価値を重視しろと。方法論の如何ではなく、その心掛け自体を重んじるというのが、お前の至った悟りだというのか。

 明確な提示をするわけでなく、模範とするべき姿勢を実践するのみだと。甘粕のように夢を用いて何某かを成すわけではない。ただ意志の問題であり、力の有無は重要ではないと」

 

「ああ。青い、と言うか?」

 

「いや。素晴らしい理念だ。人の在るべき姿と素直に思う」

 

 皮肉ではなく本心から、ヴァルゼライドは四四八の悟りを称賛した。

 

「単なる夢想と貶めるつもりもない。甘い覚悟で語っているのではないとは見れば分かる。それほどの高潔な意志ならば、たとえ夢など無くとも多くの事が成せるだろう。

 お前は正しい。人類全体という観点に立てば、最も穏当なのはお前なのだろう。俺や、あの甘粕などよりも、人類の代表を名乗るのに相応しい器だろうよ」

 

 甘粕正彦は言うに及ばず、ヴァルゼライドとて人類の代表などを名乗れる大人物ではない。

 英雄とは、殺戮者の代名詞だ。覇道にしか生き方を見い出せない破綻者。己の正義(わがまま)に他者を巻き込み、既存の世界の尽くを破壊してしまう。

 寛容さなど持ち合わせない。悟りを開いた覚者とは程遠い。他の何かを否定しながらでなければ道を築けない歪みを、誰より己自身で理解している。

 

「そう、自覚はあるのだ。正しさはそちらに有り、歪んでいるのは己だと、分かっていても止められん。何故ならこの世界は、そのような正しさが愕然とするほど罷り通らないよう出来ている」

 

 絞り出すように吐かれた言霊は、これまでに無い感情の熱を秘めている。

 鋼の心の奥底で、常に煮え滾っていたマグマの如き激情の渦。英雄と呼ばれる男の真意が、ついにその口から吐き出されようとしていた。

 

「善は弱い。世界は正しい者が身を削るように成り立っている。そして善なる者らが流した血と涙の裏で、ほくそ笑んでいる悪辣ども。それこそが逃れ得ない人類史の実状だ。

 歴史を見渡せば一目瞭然。たとえそのような広い視点で見ずとも、その醜さはあらゆる場所で蔓延っている。この夢界の現状一つ取ったところで、それは明らかだろう」

 

「それは……俺たちのことか?」

 

 ヴァルゼライドが見せる憤り、それが何に向けられているのかを察して、四四八は問うた。

 

「そうだ。お前たちは正しい。護国の大義に燃え、死を厭わずに邯鄲へと臨んだ姿勢、その使命感は素晴らしいものだと認めるのに否はない。

 だというのに、実際はどうだ。そのようなお前たちに対し、他の者らを何をしてみせた? 数多の難関辛苦をお前たちが味わう一方で、まともな義心がどれだけあった。

 性根から鬼畜の逆十字、狂気より産まれた鋼牙、恥もなく我執に浸る辰宮、事の大きさも顧みず盲目な無道に耽る神祇省。どいつもこいつも、見下げ果てた悪辣の奴輩どもだ。

 他ならぬお前たちが解っているだろう。大義への使命など奴らにはない。必要な試練であったなど言い訳にもならん。ただ己の俗欲ばかりに囚われた屑の群れに過ぎん。

 身を削るのは常に正しき者たちで、悪辣な者共はその成果を掠め取り私腹を満たすばかり。その相関こそが、善なる価値に泥を塗る世界の醜悪そのものだ」

 

 その心中を語っていく内、静謐さを保っていた声音も徐々に崩れ、そこに込められた感情の正体が顕わとなっていく。

 それは怒り。ただ悪を許せぬという憤怒の念。単純明快であり分かり易い、されど常人とは桁違いな熱量こそが、英雄が掲げる破壊の夢の真実だった。

 

「許せんのだよ、そんな現実が。悪党どもの台頭を蔓延させ、それを許容し続ける世の実状そのものが。度し難いと思えてならん。

 正義の味方ではない。その資格はとうに無く、目指したいとも思わん。俺がなりたいのは悪の敵。あらゆる邪悪を滅ぼす断罪の焔となりたい。

 恐らくはこれが、人の悪性を認められないこの歪みこそが、俺が盧生となれない最大の要因だとしても、悪の存在を看過することが我慢ならんのだ。

 罪には、罰を。悪には、裁きを。奪われた希望には、相応しい闇と嘆きと絶望を。それこそが俺の祈り、求めて止まぬ夢の有り様だ」

 

 蒼色の双眸に映るのは激情の炎。猛る意志に臆した気配は微塵も見られない。

 指摘を受けるまでもなく、己の歪みなど承知の上だ。たとえそのために盧生となれる資格が得られないのだとしても、鋼の決意は道を違えることを容認しない。

 それこそが彼の覇道、クリストファー・ヴァルゼライドが求めるべき誅殺の渇望であるのだから。

 

「夢の力を使って何もしないとお前は言った。ああ、その姿勢は尊いものだとも。だがそれ故に、やはりお前たちとは相容れん。

 甘粕を斃す。そう決意し、無論のことやり遂げるつもりだが、それだけでは足りんのだ。俺が真に目指すものとは、その先にある。たかが夢で終わらせるわけにはいかん。この力は現実へと持ち帰らなければならんのだ!」

 

 言葉を打ち切り、踏み込みと共に振りかざされる光の剣。

 振り下ろされる一撃に容赦はない。柊四四八こそ善性の雄、人が奉じるべき光であると認めながら、それでも滅ぼすのだと見据える眼差しは告げていた。

 

「ならばこそ、お前とも雌雄を決しなければならないのは必定。遅かれ早かれの問題ならば、ここで討ち滅ぼす事にも躊躇いはあり得ん」

 

「何故だッ!? 何故、アンタほどの男が、それほどに夢の力に固執する!? アンタは甘粕の手で邯鄲に巻き込まれた、言うなれば部外者だろう。一体何が、アンタにそこまでさせるんだ!?」

 

 熱く重い一撃を受け止めながら、四四八は吼えるように問い質す。

 眼前にて対峙する英雄、その信念の強度を思い知りながら、しかし中身が見えてこない。

 もはや狂気の領域にある意志の強さ、それほどの熱量を維持させる渇望の芯が、四四八にはどうしても理解し切れなかった。

 

「何故、だと? お前たちが生きた二十一世紀の日本とは、平穏な時代だそうだな。だから失念してしまったとでも言うか。そんなものは火を見るよりも明らかだろうに。

 知っているはずだ。これより起こる史上最大の大戦、悪鬼羅刹どもの凄絶な喰い合いを」

 

 そんな四四八に対し、ヴァルゼライドはまるで真逆の態度を示す。

 考えるまでもない。むしろ当然のことだろうと、剣に意気を込めながら問いの答えを返してきた。

 

「既に流れは生まれつつある。眷族の身ではあるが、俺もまた甘粕を通して未来を垣間見た。だからこそ辿る歴史の推移も分かっている。破壊と死を撒き散らし、人類に拭えぬ血の咎を与えた世界大戦の存在もな。

 その発端となった我が祖国。先の大戦の敗北は今も民を蝕んでいる。他国への賠償、破綻する財政、秩序は意義を失い、現実から逃避して凶行に走る畜生どもが跋扈し出す。果てに困窮した民が縋ったのは、口先ばかりが回る歪んだ独裁者だ。

 そんな一人の男に狂奔され、自国民と他民族の屍を山と築きながらの戦争の結末は、国土の悉くを蹂躙された大敗北。国は東西に分断し、屈辱と疑心暗鬼の汚泥に叩き込まれた民たちは、夫婦親子ですら裏切り傷つけ、正義道徳の価値など遠い彼方に忘れていく。

 なんだこれは、ふざけるなぁッ! こんな未来を知らされて、何もしないなどという事がどうして出来る!?」

 

 第二次世界大戦。人類史上最悪の人死を招いた空前絶後の大戦争。

 世界は二つの勢力に二分され、まさしく世界中が戦場と化した。

 そして、敗戦国は悲惨の一言。核を撃ち込まれ、首都を蹂躙され、民は焦土の中からの再起を余儀なくされたのだ。

 

 最悪の未来への萌芽は、既に芽を出しつつある。

 二十年とない未来、真実の時代に生きる彼らはその悲劇と直面する事になる。

 

「栄光も勝利も、全てが無残に砕け散った。そのような未来を、俺は断じて認めない。

 未来を覆す。他の誰にも出来んのなら、この俺が。それを為すため、夢の力を持ち帰る」

 

「母国の勝利を求めて、邯鄲を兵器にするつもりか?」

 

 戦争における自国の勝利。それはある意味で真っ当とも言えるだろう。

 誰とて戦争となれば自国の勝利を願うもの。そのために力を求める事は何ら不思議なことではない。程度の違いこそあれど、愛国者ならば誰もが同じ事を思うだろう。

 

 だが、果たしてそれだけなのだろうか。

 この英雄が持つ狂気にも似た意志の大火は、そんな真っ当な願いに終始するのか。

 

「いいや、もはやそれだけの勝利では足りん。たった一つの勝利で、この脚は止められんだろう。

 先に語った凶事とて、所詮は氷山の一角に過ぎん。如何に取り繕おうが何処も同じ、自国の優性を声高に叫びながら、裏では悪辣さが幅を効かせている。

 その歴史を知っている。知るが故に、俺はそれを看過できん」

 

 クリストファー・ヴァルゼライドは、悪を許せない。

 正義感からではない。そんな生易しいものでは、彼の激情は表せない。

 不正、欺瞞、悪徳の数々。正当な真実が通らず、闇へと葬り去られる理不尽、世に蔓延る醜さを、ヴァルゼライドは心底憎んでいる。塵も残さず滅ぼしたいと狂おしく猛っているのだ。

 

 そこに慈悲の寛容さなどあり得ない。

 もはや己でさえも止められない憤怒に駆られて、その光は総てを灼き尽くす。

 

「ならばどうすればいい。決まっている。こんな男にやれる事など初めから一つきり、勝ち続けるのみだ、永劫に、総てにだッ!

 ここでお前に勝ち、甘粕に勝ち、世界にさえも俺は勝とう。欧州列強に、赤軍に、合衆国に、敵対するあらゆるものに勝利する。あの歴史の全てを、この俺の手で覆すのだ!」

 

「なんだと!?」」

 

 両雄の応酬が加速していく。

 夢を、その信念の強度を競い合わせるように。

 互いがぶつけ合う力は、吐き出す意気に併せてその勢いを増していた。

 

「馬鹿な、そうやって戦火を拡大させれば、結果としてより多くの血が流される。そんな発想は、それこそアンタが憎む奴らと何も変わらないじゃないか!」

 

「そうだ。俺も奴らと大差はない。所詮は覇道でしか道を拓けん男、邪悪以外の何者でもあるまい。

 だからこそ、俺は勝ち続けなければならない。勝利とは重いのだから、一度その栄冠を被ったならば、もはや軽々とは捨てられん。一つの勝利の後には、また次の勝利を。勝者として、葬ってきた轍の数だけ栄光の天地へと上らなければならない義務がある。

 たとえ俺の存在が、より大きな災禍の元凶になるのだとしても、歩き始めたこの脚は決して止めん。踏み躙った祈りがあるのなら、その分だけ未来を素晴らしいものに至らせなければならんだろう。報いるべきは過去ではなく、未来にあるのだから。

 行き過ぎているのだろう。壊れているのだろう。自覚はしている。だが故に、貫く意志だけは断じて譲れん。この信念の灯が燃え続けている限り、無限の彼方まで覇道を進み続ける。それこそ俺に出来る唯一の報いであるのだから」

 

 されど、それは拮抗状態ではなく。

 譲らぬと吠えた意志に呼応するように、増大していく黄金の光。

 それは仁義の輝きさえも凌駕して、徐々に徐々にと押し込んでいく。

 

「勝利とは進み続けること」

 

 それが英雄にとっての真理。

 勝利とは重く、背負った者に敗北は許されない。

 ならばこそ、進み続けなければならないのだ。一度覇道を志したなら、退路は既にあり得ない。

 言い訳は無用。敗者の理屈など掃いて捨てろ。意志の限りに突き進み、必ずや勝利をこの手に掴むと覚悟せよ。

 

 ――その果てに、全てに報いる栄光があるのだと信じて。

 

「そうやって唯一人で行くつもりか。この邯鄲を単騎で挑んだように、誰にも頼らず己自身の力だけで。それで本当に勝てると思っているのか!?

 人類の歴史でいったいどれだけ、お前のように己の正義だけを信じて突き進んでいったことか。そして例外なく、必ず最後には酬いを受ける。知らないわけではないだろうに」

 

「無論、理解しているとも。誰もが勝利に次ぐ勝利の連鎖に押し潰されて、最後には一つの敗北に微塵と砕けて散っていった。

 だが、ならば膝を折れと? 誰にも出来たことがないから、己にもまた不可能であると。そんな言い訳を盾にして、立ち上がらないことを賢い姿だと言うのか。

 やれると思うか、ではない、必ずやり遂げるのだ。手段の是非ではない。方法論など小賢しい。重要なのは意志の有無。志した信念に殉じ、決して屈しないと覚悟することだろう」

 

 それは、いつか四四八自身が宣してみせたこと。

 その理屈は四四八もよく分かる。今も変わらずそう信じているから、鋼の英雄の意志がまぎれもない本物であると感じ取れてしまう。

 

「お前はどうだ、柊四四八。お前が語った悟り、それは清く美しく正しいが、それだけでしかない。そんなもので世界を変えられると本気で思ってるのか?

 俺に迷いはない。お前が流血を否とした道を歩むのなら、俺は是として押し進む。その不変なる星の光を裡に抱いて、一心不乱に駆け抜ける。元より男の生き様などそれのみで十分だ」

 

 どちらが正しいか、事の是非はそこにはない。

 正義はどちらにもある。人が奉じるべき光であるのに相違ない。

 ならばその優劣とは、純粋なる意志の差異、信念の強度によって決定する。

 

 黄金は何処までも光り輝く。

 他の一切を塗り潰し、己の色彩で染め上げてしまうが如く。

 あらゆる理屈を言い訳と切り捨てて、如何なる理由もその脚を止めさせる枷とは成り得ない。

 

「罪には罰を、悪には裁きを。盧生となり、魔人となりて、やがては世界さえも超越した断罪の光となる。我が名を聞いただけで、悪徳にほくそ笑む奴らの心胆までも凍り付くような、絶対普遍の死の象徴に、あまねく世を照らし暴く人身の明星(プラネテス)に成り果ててしまいたいのだッ!」

 

 紡いだ絆の夢が打ち負けていく。

 素晴らしい輝きであるのは事実、脆弱などと誰が言えよう。

 されど、英雄の光はそれさえも上回る。理想に燃える信念に殉じて、爆発的に増大する意志力だけで総てを圧倒してしまうのだ。

 決して天には上れなかった身でありながら、そんな道理さえ覆してしまう意志の強度。奇跡を成し遂げる魂は、まさしく至上の明星ともなり得る輝きだろう。

 

 仁義の光は高潔だ。万人にとっての価値であるのは疑いない。

 しかし排斥を是としないそのカタチは、覇道の気質に対して他を圧する力で劣るのだ。

 悪を糾し、力ならざる義の精神で説き伏せる事こそ柊四四八の道。だが悪ではなく、不動にして譲らない信念を持った絶対正義を相手に、果たして如何なる対処があるというのか。

 

「無理もッ! 無謀もッ! 知ったことかァッ!!

 征くと決めたから、果てなく征くのだ! この想いは、たとえ神でも止められんと思えッ!」

 

 万感の思いさえ込めた、言霊と共に放たれた一撃が、遂に四四八を圧倒して打ち払った。

 

 身体が熱い。受けた爆光は身を灼いて、憤死しかねない激痛が襲っている。

 しかしそれ以上に、四四八を打ちのめしているのは英雄の信念、思い知らされたその強度だ。

 そして悟る。悟らざるを得ない。この男は揺らがない。説き伏せるなど不可能である。クリストファー・ヴァルゼライドは決して挫けないし譲らない。

 

 鋼の英雄が掲げる道は受け入れ難い。

 その中身を目の当たりにすればこそ、認めることは出来ない。

 ならば止めるには、純粋な力で圧するより他にない。そのための終段(しゅだん)が、盧生である柊四四八には残されている。

 

 選ぶことは出来る。止める理由はない。差し迫った選択肢が、四四八の眼前に突きつけられていた。

 

 

 *

 

 

「さて、君の方針は確認させてもらったけれど、実際の勝算はどの程度を見込んでいるんだい?」

 

 こちらの真意を見抜いた上での問いの後、尚も阿頼耶は尋ねてきた。

 

「随分な言い方だな。まるで俺が勝てそうにないと言いたげじゃないか」

 

「然り。私は君で、君という人間の一側面を担うものだ。この問いもまた、君自身の懸念から現れたものなんだよ」

 

 懸念か。それは確かにそうなのだろう。

 決して楽な相手じゃない。いやそれどころか、まるで遥かな格上へと挑むような心境を、今の俺は感じていたから。

 

「ここでクリストファー・ヴァルゼライドを見過ごせば、彼は甘粕へと挑むだろう。まあ普通に考えて、盧生と眷族の関係性からして勝負自体成立するはずがないんだが、甘粕正彦はああいう男だからね。あえて同じ土俵に乗るくらいの事はするだろう。

 だがそれを差し引いても、眷族が盧生に勝てる道理はあり得ない。あらゆる観点から見ても、両者には明確な格の違いが存在している。だというのに、君の本心はこう感じている。"英雄(カレ)"ならば、あるいは、と。

 二番煎じでは先駆者には勝てないという話は先程したね。だがその理論にクリストファー・ヴァルゼライドは当て嵌らない。彼は眷族、言うまでもなく盧生になれるはずもない器だ。それなのに一切頓着せず、道が見えないままに走り続けている。その意志は些かも衰えていない。愚かだろうが、同時に甘粕でさえ成し得なかった前人未到の道でもある。

 資格を持たなかった者が、最初から天に選ばれた者を凌駕する。この手の逆転劇は君たちも大好きだろう。そんな英雄像を芯から体現できる彼は、とても強い。異常なほどに強すぎる人間だ。それこそ"我々(ニンゲン)"から外れてしまいかねないほどに」

 

 阿頼耶が言わんとしている事は分かる。

 あの男は強い。これまでの邯鄲の誰よりも、その意志の強度は桁違いだ。

 それこそ、甘粕正彦にさえ届きかねないのではと思うほどに。盧生と眷族の格差を理解していても、一抹の可能性を捨てきれない。

 彼とは歩む道が異なる事は理解している。それが決して交わらない道であると、譲れないと思うからこそ、俺はこうして赴こうとしているんだ。

 

「そんな英雄と、君はよりにもよって信念の如何で決着を付けようとしている。あえて言わせてもらえば、それは蛮行だとも言えないかな?

 君は感じているんだろう? 英雄の勝利の可能性を。だが言わせてもらえば、その時点で君は彼の夢に嵌っている。柊聖十郎の悪性とは違い、善性の祈りを力と変える英雄の夢から、柊四四八は決して逃れられない。

 むしろ盧生だから嵌るんだよ。性質はどうあれ、盧生とは人の価値を尊ぶ者だからね。よほどの例外でも無い限り、英雄を得難い光だと認めることに否など無いだろう。

 その上で終段(きりふだ)までも封印するとなったら、不利は君の方になるんじゃないかな。言っただろう、彼は強い。クリストファー・ヴァルゼライドこそ、人類最高峰の強者だと認めざるを得ない。果たして君でも勝てるかどうか、疑問なところだ」

 

 いちいち痛いところを突いてくれる。そして間違ってもいない。

 阿頼耶が語る事はそういうことだ。こいつは俺でもあるのだから、その所感は俺自身のものということになる。

 俺では英雄の夢から逃れられない。それから逃れる事は、つまり意志が成す光を認めるのを拒むことだ。そんなものは俺の悟りから大きく外れている。

 善性だからこそ認めなくてはならない。認めるからこそ夢の術中に嵌ってしまう。阿頼耶が言う通り、俺の戦い方は愚行だとも言えるのだろう。

 

「あの英雄を斃す上で、最も有効なのは有無を言わさぬことだ。君の眷族(みずき)がやっているように、道理や正義なんて無視して潰しに掛かってしまえばいい。別に意志が強ければ正しい勝者であるなどと、世界はそんな単純なモノではないだろう。

 クリストファー・ヴァルゼライドは強い人間だが、決して盧生にはなれない人間でもある。なので私としても、君がここで斃れるような展開は避けたい。

 協力すると言っただろう。"手段"はいつでも用意していると、それだけは伝えておきたかった」

 

 問答無用の手段、英雄を潰すための神格(へいき)は、この手にある。

 それを使えば勝てる。勝てる、のだと思う。断言し切れないところが、まさに英雄の夢に嵌る要因なのだろうと理解している。

 この手段に頼るのなら、そもそも戦う事自体に意味がない。それでもこうして告げるのは、戦って及ばなかった時に、それに頼る事を躊躇わせないためだろう。

 そのために終段を使うのを、阿頼耶は止めようとはしていない。それで俺の悟りが崩れる事はないのだと言外に教えている。

 

 クリストファー・ヴァルゼライドの業とは、それほどに深い。

 もはや人の枠組みからすらも外れようとしている異常な信念。行き過ぎようとする意志を止める術はないのかもしれない。

 他ならぬ阿頼耶がそれを認めている。彼を砕くためならば、手段の是非さえも問わないと。

 

 鋼の英雄は、盧生にはなれない。

 それは強さの問題じゃない。それとは別の領域で、彼は人類を背負う器と成り得ないのだ。

 その理屈も、何となくだが分かり始めている。あれほどに憧憬を集め、人という全に尽くそうとしている男が、何故人類の代表者(ヒーロー)を名乗れないのか。

 

「……ああ。だからこそ、俺は行こうとしているのかもな」

 

 きっと彼自身は、その理由を履き違えているだろうから。

 要は放っておけないって事なのかもしれない。敬意を抱くとはそういうこと。ただ奉じて済ますだけが尊敬の表し方じゃあないだろう。

 俺の悟りとは人の繋がりを信じること。俺と紡ぐ縁によって、彼という人間がより善きものに変わるよう願い、そのために動く。

 盧生だからではなく、何かの義務があるわけでもない。ただ、俺がこう在りたいだけなんだと、素直に思って動くことが出来るから。

 

「勝算なんて無いんだがな。どうやら俺は、意地でも英雄(あいつ)に道を曲げさせたいらしい。ここで俺からやり方を曲げるのが、どうあっても我慢ならないみたいだ」

 

 大体、俺の仲間たちが随分とやられたのだって知っているんだ。

 そりゃ現実に戻ればあいつらだって目覚めるだろうが、それで納得できるものじゃないだろう。

 借りは返してやらなきゃならない。そしてそれは、俺たちが信じるもので膝を折らせてやることだ。奴のやり方とは正反対の道で、真っ向から打ち勝ってやる。

 

 ああ、要するにだ、完膚なきまで叩きのめしてやりたいって思うくらい、俺だって怒っているんだよ。

 

「……やれやれ、まったく。甘粕も相当なものだったけど、君もたいがい馬鹿だよね」

 

 

 *

 

 

 崩れ折れかけた脚に力を込める。

 光は容赦なく蝕んで、受けた損傷は致命と呼んでも差し支えなかったが、それら諸々知ったことではないと、相手に倣って気合い一つで何とかしてみせる。

 

「……言いたい事は、それだけか?」

 

 対峙する英雄に隙なんて欠片もない。

 慢心もしないし、油断もない。それだけ真剣だということで、この邯鄲に臨んだ誰よりも切実な思いが表れている。

 だからこそ強い。何処までも本気の思いがあったから、この英雄はこれほどの力を獲得できたのだろう。

 その身の上は不遇だったと聞いている。きっとそのために、都合の良い夢に縋っても無意味だということを知っているんだろう。

 だから努力を重ねる。弱音も吐かず、脇目を振らずに真っ直ぐと。

 夢の力を求めていながら、その視点は現実に沿っている。現実を見据えながら、魂だけはその現実を覆そうと猛っているんだ。

 

 改めて思う、強い人だと。

 狂っているのかもしれない。異常者だとも言えるだろう。だが同時に、輝いてさえ見えるその強さには、焦がれる思いを抱かずにはいられない。

 それを否定することはしない。まぎれもない光の価値だと、まずは認めて受け入れよう。

 

「口を開けば覇道、光、断罪と。雄々しく在ればそれでいいなどと、単なる甘え。人はそれだけで生きてはいないし、それのみで生きれるほど単純じゃない」

 

 そしてその上で、俺は英雄(アンタ)の在り方を否定する。

 アンタにとって必要なのは、ただ盲目的に光を讃える事じゃない。

 誰も止められる奴がいなかった英雄の道に、俺が待ったをかけてやる。

 

「断言してやるぞ。今のままじゃあ、アンタは決して望む力を掴めない。何を悟らなけれならないのか、それを履き違えている限り、いつまでもな」

 

「……なんだと?」

 

 英雄(カレ)は言った、自分は悪を許せない。

 在るがままの人間を認める事が出来ない。その歪みこそ、己が盧生になれない要因だろうと。

 

 けどな、俺はそうとは思わないんだ。

 

 盧生なんて言っても、実状はそう大したものじゃない。こうして至った今ではよく分かる。

 盧生が複数いるように、その悟りも千差万別。俺たちが身に付けるのは、唯一無二の真理なんて大それたものじゃないんだ。

 むしろ普遍的なもので、言うなれば単純な理屈。盧生の力とは支持者の数で決まるのだから、それこそみんなが聞いても分かりやすいようなものじゃないと意味がない。

 

 そういう意味では、英雄の掲げる理なんてのは、むしろ理解されやすい部類だろう。

 罪には罰を。悪事には、相応の報いを。これは恐らく、相当数の共感を得られる概念じゃないのか。

 決して誰にも理解できないものじゃない。俺たちは覚者じゃないんだ。一方的な見方だからと、それで盧生の資格の有無に繋がるとは思えない。

 

 俺だって悪は嫌いだ。そのまま受け入れるなんて真似は出来ない。

 甘粕なんてそれこそだろう。奴は確かに悪さえも讃えられる度量の広さを持っているが、一方で人の弱さを認められない。在りのままの人間を受け入れてるとは到底言えまい。

 それに受け入れるのだって、行き過ぎれば無責任とも言い換えられる。ただそれも良しとだけ告げて、一切の改善を行おうとしないのは、単なる無関心と何が違う。

 

 盧生なんて、そう大したものじゃない。

 涅槃の境地には程遠く、むしろ極端な人間らしさを持っている。それでいて、頭の何処かのネジが外れているような人種なんだろう。

 人間らしくなければ、共感は得られない。馬鹿でなければ、心からの人間賛歌なんて歌えない。大人物なんて柄ではなく、言ってしまえば子供っぽいところがあるものなんだよ。

 

 だからきっと、アンタの考えは筋違いだ。

 信念の形が間違っているからじゃない。その進み方が問題なんだ。

 

「アンタの、英雄の信条には、他人の存在が何処にもいない」

 

 己一人で、唯一つの光になろうとする在り方。

 アンタの考え方の究極は、全てを自分だけで成し遂げられるようになること。

 他人のことを信じようとせず、必要ともしていない。敬意は抱けても、共感して手を取り合おうとはしないんだ。

 

 なあ、分かるだろう。それじゃあ届くはずがないんだよ。

 

「盧生が触れる阿頼耶とは、人類全体の繋がった意識の集合。盧生とはその支持の下、それらが織り成す力を借り受ける者を指す。そこにはまず、自分でない誰かの協力が前提にあるんだ。

 だというのに、アンタはどうだ? 誰もが強すぎる輝きに浮かされて奉じるばかり。本当の意味での理解はなく、またアンタも必要としていない。

 その力を求めながら、一方で手を取り合う事を不要という。思い違いも甚だしい。英雄として進めば進むだけ、アンタは阿頼耶から遠ざかっているんだ」

 

 あの甘粕でさえ、根底には一人一人の目覚めという祈りがある。

 この英雄には何もない。自身が強く雄々しいばかりで、他人にどうなって欲しいという思想が欠落している。

 その祈りは誰とも繋がっていない。進めば進むだけ、他人との繋がりを断っていくものだ。

 

 この男は、他人の幸福を願えても、それを形として思い浮かべる事が出来ない。

 人を、全体多数という記号でしか語れない。その欠陥こそ、クリストファー・ヴァルゼライドが盧生足り得ない何よりの要因だ。

 

英雄(アンタ)は、たとえ盧生より強くはなれても、盧生になる事は出来ないんだ!」

 

「――――ッッ!!??」

 

 無論、本当のところは分からない。

 あるいは資格の有無に関しては、純粋に先天性なのかもしれない。

 盧生であっても全てを知ってるわけじゃない。分からない事は分からないし、真理なんて口に出来る柄じゃないけど。

 

 それでも、盧生云々でなくとも、人間の道理として歪んでいるのは明らかだろう。

 人は一人で生きてはいない。生きる事は、それだけで自分以外の誰かの助けを受けること。

 たとえどんなに強くても、それを失念してはいけない。自分だけの正義で何もかも押し通すなんて、どれだけ正しくともやってはいけない事なんだ。

 

 ならばそれを挫き、糺す。より善き処へと願いを込めて、誰にも出来なかった事をやってやる。

 

「分かる気がするよ。もしも仮に、アンタにも盧生の試練があれば、それがどんなものになるのか」

 

 俺にとっての親父、柊聖十郎がそうであったように、人には誰しも、目を背けて拒絶する事でしか対処できないものがある。

 盧生の試練とは、それと向き合うこと。逃げ続けていた事柄を乗り越えて、至った悟りに芯を与える行程だ。

 そうする事で盧生として、何より人間として完成する。繋がりを否定したくてたまらなかった、あの邪悪そのものな父さえも受け入れる事で、俺は真の『孝』の心を理解できた。

 

 信念そのものは変わらない。それでも試練を経ることで、俺の悟りからは迷いが晴れた。

 あれは必要な事だったのだと理解している。そうでなければ俺の心は無自覚なまま、拭えない陰を抱えていただろう。

 乗り越えるべき難問。そんなものがこの男にもあるのなら、きっとそれは――

 

「"敗北"を受け入れろ。きっとそれが、アンタが越えるべき試練になる」

 

「――戯れ言を」

 

 返されたのは予想の通り、歯牙にもかけず切り捨てる物言いだ。

 

「前提から破綻している。如何なる試練も、越えてこそ獲得の意義がある。敗北から学べとは言うが、それも再起の意志があってこそだろう。敗けに屈してしまえば、勝利などあり得ない。受け入れるなど論外だ」

 

 勝利とは重いもの。その考えが前提にあるから、英雄は譲らない。

 勝利を重ねれば重ねるだけ、自身にのし掛かる期待と責務。それらの重みを背負えばこそ、ただの一度の敗北だって許されない。

 だって、敗北とは時として、勝利でさえも償えないものだから。勝利を重ねて得た栄光も、一つの敗北でこの手の内より零れ落ちる。

 だから敗けない。意地でも勝つ。進み続ける事だけが、英雄にとっての勝利であるから。

 

 と、そんな風にでも思っているのだろう。

 だからそんな、見当違いな答えが返ってくる。

 敗北を受け入れる。その意味がどんなものなのか、この男には分かっていない。

 

 故に、俺も覚悟を決めた。

 

「いいさ。アンタほどの頑固者に、言葉だけで伝わるとは最初から思っていない。あとはこの夢で分からせてやる」

 

 それと同時に、もう一つ。

 どうしても言っておきたい宣言を、矛を交える前に告げておく。

 

「勝利とは受け継がれること」

 

 俺が得た悟り、その道理より紡ぎ出された勝利のカタチ。

 それは英雄のとは明確に違うもの。一言に納めたこの意味を、英雄へと突き付けた。

 

「言葉の意義は、俺自身の力で証明してみせる。教えてやるさ、俺の勝利がどんなものか。

 そして、アンタにとっての敗北もな。負かしてやるよ、英雄。せいぜい心して受け止めろ」

 

 語るべきは語った。後は力でもってこの意を示すのみ。

 些か野蛮であるのは否めないが、こういうノリだって望むところだ。理屈がましく言葉を並べ立てるよりも、拳で伝えてやる方が納得しやすいというものだろう。

 

 俺自身で受け入れろと言ったんだ。アンタが兜を脱がざるを得ないような、完全な敗北ってやつで決着をつけてやる。

 

「いいだろう」

 

 猛り燃える意志の熱を感じる。

 俺の指摘にも動揺せず、それどころか戦意をより高揚させて、強大化した英雄が対峙してくる。

 信念を譲らないのは向こうも同じ。分かっていたことだが、改めてこの男の強さ、雄々しい意志力を思い知った。

 宣誓した通り、進み続ける勝利の道を貫くために、微塵に砕けるその瞬間まで、クリストファー・ヴァルゼライドは邁進を止めはしないだろう。

 

「ならばその矜持、見事俺に届かせてみせろォッ!」

 

「応ッ!!」

 

 ならばこそ、俺もまた決して敗けないと意気を吐く。

 同じ光を奉じた者同士。理解はするし敬意も払おう。

 だからこそ譲れない。共に己の正義(ひかり)を信じているから、言葉だけでは到底止まれない。

 

 ああ、所謂馬鹿というやつかもな。だったらせいぜい馬鹿らしく、小細工抜きでぶつかり合うぞ!

 

「急段・顕象――――天霆の轟く地平に、闇は無く(Gamma-ray Keraunos)

 

 爆発的に増大する夢の波動。

 強大が過ぎる輝きの熱量が、肌を通して直接伝わってくる。

 

 クリストファー・ヴァルゼライドの急段。

 それは己への賛辞、畏敬を力と変える英雄の夢。

 人々がその奇跡を、英雄の勝利を信じる限り、彼という個我はどこまでも強くなる。

 たった一人の漢を高みへと上らせる英雄賛歌。まぎれもない英雄であるヴァルゼライドだからこそ、その夢からは何人も逃れられない。

 

 無論、それは俺だって例外じゃない。

 阿頼耶が言った通り、盧生だからこそ英雄の急段(ユメ)には嵌る。嵌らざるを得ない。

 不遇から這い上がった努力も、不可能を成し遂げる意志も、どれも人が持つ素晴らしさ、奉じるべき光の要素に違いない。

 それを否定する事は出来ない。心からの敬意を感じている。そして成立した協力強制は、俺という盧生の力を踏み台にして、英雄を更なる高みへと覚醒させた。

 

 圧倒的、その一言に尽きる。

 極限にまで収束し、その上で増大を続ける光の尖塔。

 刀剣という元の形状さえも覆い尽くして掲げられる光剣は、もはや近付いただけでも灼き尽くされる熱量と化している。

 まさしく英雄を象徴する輝きそのものだ。焦がれるほどの輝きに溢れ、しかし近付けば総てを諸共に壊さずにはいられない。

 その光は孤高にしか在れない。独りきりで邁進する英雄の覇道、その強さは認めよう。だが俺も、それに膝を折るわけにはいかない。

 

「ああ。遠慮なく持っていけ。俺は初めから、アンタの夢から逃げようなんて思っていない」

 

 他者を認め、尊重すること。それは断じて誤りではない。

 柊聖十郎の時とは違う。否定してその価値を貶める事が正しいとは言えないだろう。

 だからこそ、まずは認める。認めた上で、尚且つ相手を打ち負かす。柊四四八が掲げた仁義の信条とは、糺して赦す道であるのだから。

 

「急段・顕象――――」

 

 意識の奥に繋がる人々の無意識へ向けて、俺は問い掛ける。

 皆はどうしたいのか、どう在りたいのかと。各々の心に問いを投げているのだ。

 ただ一人の英雄に任せるのではなく、危機に直面して否応なしに立ち上がるのでもない。

 誰もが本当は、正しく強い在り方に憧れているはずだから。とても難しい夢のようなものだけれど、そう在りたいと願う心は皆が等しく持っていると信じてる。

 難しくとも、それは単なる夢なんかじゃない。だからどうか、それを証明させてほしい。俺が先を歩くから、この背中に続いてくれると信じさせてくれ。

 

犬江親兵衛(いぬえしんべえ)――(まさァァし)ッ!」

 

 人々に導きを示す指標となりたい。俺が行き着いたその解答(こたえ)

 目標とすべき仁義の姿を示し、己もその背に続かんとする思いを呼び起こす。そうして目覚めた数だけ協力強制を成立させる急段。

 盧生としての俺の夢とは、人類の意識に直接呼び掛けるもの。この夢を支持してくれる者の数が多ければ多いほど、俺自身の力も膨れ上がる。

 

「それがお前の夢か。己という指標に応じた意志を力と変える。なるほど、相応しい急段だ。人の善性を奉じる夢として、お前こそ盧生と足り得る器に相違はあるまい。

 それは正しい力なのだろう。それは真っ直ぐな夢なのだろう。だが――」

 

「だが、なんだ? 叶わないと言うつもりか? 世は悪意に満ちているから、誰もやり遂げた者が無いからと。

 言葉を返すぞ。()()()()()()()()()。届かせる。いや、届くさ。そのために俺はここに立っている。

 アンタだって、本来はそういうものを求めていたはずだろう。敬意を持ちつつもそれを拒むのは、自分では出来ないものだと諦めたからだ。違うかッ!?」

 

 悪を許さず、正義を成す。

 過激とも思えるその思想も、根底にあるのは世に、人に正しく在ってほしいという祈りだ。

 その思いが強いから、現実の歪みに苦しんでいるんだろう。認めがたいと狂おしく思うから、意志は極端な強さへと走ってしまう。

 

 それが混迷の世であれば、尚の事。

 時は大正、野蛮と同義を残した上で、世界という単位を本当の意味で機能させ始めた激動の時代。文明の発展は他に類を見ず、故にこそ生じる歪みも無視は出来ない。

 多くの歪みが溢れる時代だから、それを塗り潰してしまおうとする信念も強くなる。善しにせよ悪しにせよ、それらが数多の意識改革の原動力となったのは事実だ。

 そうした意味では、クリストファー・ヴァルゼライドとは時代の寵児とも呼べるだろう。混沌を制するために時代が遣わした破壊の使徒。少なくとも、その環境に彼という英雄の誕生の一因があった事は間違いないだろう。

 

 それでも、俺は思うんだ。人の強さはそれだけじゃないって。

 英雄の光のように分かり易く、見えてなければ価値もないなんて、そんな戯言には頷かない。

 

「平穏な時代だからこそ、見つけられる光がある。戦乱の時代ならば見向きもされないような、それでも人を惹きつけて止まない仁の道義。あの百年後の未来があったから、俺はそれを知る事が出来た。ただ軍属として護国大義の使命に動いていただけじゃあ得られなかった。

 確かに、非情さが消えた分、俺は弱くなったとも言えるんだろう。それでも、俺はこれを誇りに思う。単なる未熟な青臭さとは呼ばせない。ましてそれを指して、堕落であるなどとは、誰にも言わせるものか!

 もう一度言うぞ。俺は敗けない。英雄(アンタ)に出来なかった事を、俺の手で成し遂げてみせる」

 

「……そうだな」

 

 互いの掲げる光は、既に示された。

 恐らくはこれが、最後の問答になると予感しながら、相手からの答えを聞く。

 

「俺にはどうやっても、お前のような事は出来ないのだろう。どれだけ光を奉じてみせても、結局は破壊、排除といった方向にいってしまう。

 生来、なのだろうな。そんな環境に産まれたから、悪と不合理の醜さに慣れ過ぎてしまった。もはや本能の領域で、それらを壊さなければ気が済まなくなっている。

 餓えているから求めたがる。下層から上層へ、上位に在る者を喰らい、追い落とす術に長けている。俺の本質とは、その程度の卑しいものなのだろう」

 

 己の歪みも、本質にある卑小さも、この男は承知している。

 自分という現実から逃避した軟弱者ではない。そんな輩とは覚悟の重みが違う。

 重ねた年月は難関の一言で片付くものではない。それこそ彼以外の誰にも、その辛苦に耐える事は出来なかっただろう。

 それだけの意志がある。矛盾の一切を呑みほして、その道を貫ける鋼の意志。きっとそれは、誰もが目を向け焦がれてしまう輝きだ。

 

「だからこそ、妥協だけは絶対にしない。進むと決めた、だから征く。目の前にどんな悪が、正義が立ちはだかろうとも、中途で脚を止める事だけは決してしない。敗北し砕け散る、その瞬間までは」

 

 そう、だからこそ、この英雄は譲らない。

 背負ってきたものがある。それを無為にしないため、中途で脚は決して止めない。

 その気持ちには深く共感できる。それは俺の悟りにも通じるものだから。それを感じていたから、揺らがない答えも予想していた。

 

 改めて、敬意を払おう。クリストファー・ヴァルゼライド。

 その姿勢、強さに心よりの尊敬を。示される意志の可能性に感服した。

 ならば、俺もまた譲らない。アンタを尊く敬うからこそ、今のままにはしておけない。

 アンタにも繋いでほしいんだよ。この先に、本当の意味で杯を交わせるような、俺が信じる絆の価値を、アンタにも知ってほしい。

 

 激突は避けられない。

 無論、逃げるつもりは毛頭ない。

 決して揺らがない英雄(アンタ)だから、これは必要な事だと認識してる。

 言っただろう、敗北(なっとく)させるって。言葉だけじゃない、分かり易くこの拳で教えてやるさ。

 

 互いの圧力に空間が軋む中、感じるのは静けさだ。

 極限を込めた衝突の前兆。きっと相手も同じものを感じている。

 全身全霊、持てる力の全てを次の一撃に込めた。そこが決着の時だと確信する。

 

 そうして、長く感じられた静寂の後。

 まるで示し合わせたかのように、俺たちは最後の一撃へと踏み出した。

 

 

 *

 

 

 天地が震える。

 世界が鳴動する。

 対峙する二つの夢、互いの力の高まりが、夢界すら喰い破らんばかりに猛っていた。

 

 同時に放たれた一撃は、まさしく至高の極致にある。

 超高密度に収束されながら、されど小さくはない。密度を散らしているのではなく、極限まで収束しながら尚も溢れる出力故に、輝きは巨大に膨れ上がらざるを得ないのだ。

 天にも届かんとする黄金の光は、まさしく総てを呑み込む覇道の輝き。圧倒する破壊、絶対の殲滅をもって事を成すその夢は、夢界最強の呼び名に相応しい。

 

 もう一方は対称的に、規模としては決して大きくはない。

 裸一貫、我が身こそ武器とばかりに、握り締めた旋棍(トンファー)に力を込めて、見据えるのは唯一人。

 余分な広さは必要ない。届かせるべき相手は決まっていて、それ以外を巻き込む事はしない。

 故に規模では劣るとも、力の質では断じて見劣らない。決して曲がらず正道を歩む高潔な精神、正しき仁義の信念を骨子とする輝きは、英雄の黄金光にも匹敵する強さを秘めている。

 繰り出した一打は閃光と化して、破壊の黄金を穿つべく突き刺さった。

 

 二つの光が拮抗する。

 両雄共に全霊を込めた一撃同士。

 次に繋げる意識はなく、ここで決着をつけると覚悟している。

 故に正面からの真っ向勝負。互いの力と力、単純明快な押し比べが繰り広げられる。

 この押し合いを制すれば、相手に防ぐ術はない。ここが正念場であると理解して、両雄どちらも怯む事なく前へと向けて力を振り絞っていく。

 

 退く事は出来ない。否、退くつもりなど微塵も無い。

 これは信念を懸けた激突。込めるのは単なる力ではなく、己の意志そのものだ。

 気圧されれば押し潰される。何より意志の力こそが強さを左右する世界だから、そのような惰弱さを僅かでも混じえてはならないのだ。

 慎重ささえ今は不要。必要なのは何処までも貫き通す決意のみ。共に人類の最高峰たる意志力の持ち主、英雄同士の激突はまさしく信念の戦いに違いなかった。

 

 片や、鋼鉄の精神で邁進する破壊の英雄。

 志すのは覇道。己の渇望で世界をも塗り潰さんとする征服の意志。

 その道にあるのは勝利。善も悪も、数多のものを轍と変えて、果ての栄光を求め続ける。

 幸福を願いながら死を振り撒く。そんな己の矛盾を承知しながら、迷いなど振り切って英雄は勝利を目指す。

 

 片や、千の信をもって絆を結ぶ仁義の英雄。

 志すのは指標。世の人々に在るべき姿を示し、誇りある先達として後進の導きとなる。

 それだけの力を持ちながら、己の信条だけで世界を塗り替えようとは決して思わない。人は、各々の力で正しく自立していけるのだと信じている。

 悪く言えば放任とも呼べるだろう。だが無責任に放置するだけではない。ともすれば最も難しい道を、一片の迷いも持たずに英雄は勝利を目指す。

 

 彼らは光。

 前へと向かうその意志は揺らがない。

 ならば勝敗を決めるのは意志の強度。より獰猛に勝利を渇望した者にこそ軍配は上がるだろう。

 これは闘争、凄絶なる人と人との喰い合いなのだから。より強く、敵対する者を討ち滅ぼさんとする方が勝利に近づくのは当然の帰決だろう。

 

 しかし、果たしてそれだけなのか。

 憎むべき敵ならば、倒すべき悪ならば、道理はそこにあっただろう。

 此度は違う。彼らは共に光を持つ者、相手に対して確かな敬意を抱いている。

 拮抗する両雄の天秤。力で差が生じないのならば、それを左右するのは、あるいは――

 

「「オオオオオオオオオオォォォォォォッッ!!!!」」

 

 極限の先の更なる極限、限界を越えたその先で彼らは力を振り絞る。

 

 黄金と閃光。

 不屈にして譲らない夢と夢。

 破壊の圧が、貫く思いが、前へ前へと押し合って、敗けるものかと意気を吐いている。

 永劫に終わらないとも思える拮抗。それでも、終わらないものなど無い。終幕の刻は唐突に、拮抗した状態であればこそ、ささやかな傾きでも終わりへと流れ込むだろう。

 

 光に亀裂が生じる。

 膨大なる力と力、その均衡がついに崩れる。

 生じた亀裂から貫いて、貫いて貫いて、突き抜けて――

 

 一条の閃光が、黄金の波濤を貫き穿ち、その先に在るヴァルゼライドへと突き刺さっていた。

 

「……見事。ならばこそ、俺への"勝利"を、その背に負って進むがいい。

 いつか、たった一つの敗北で微塵に砕けるその日まで。

 それこそが、勝者たる者の宿命なれば――――」

 

 己の敗北を悟り、英雄たる男は勝者へと祝福(のろい)を告げる。

 勝利は重い。人は勝利からは逃れられない。その宿業が重いほど、背負った者の重責は増し、逃れることは許されなくなる。

 それこそ勝利に憑かれた英雄の道筋であったから。故に疑問など思わず、これより更なる重責を背負うであろう男へ向けて、ヴァルゼライドは言葉は残した。

 

「まったく、アンタは。まだ分からないのか」

 

 だからこそ、そんな相手の分らず屋ぶりに、四四八は心底から呆れていた。

 ここまでくれば感心するしかない。その筋金ぶり、それ故の強さだと思えば、なるほど道理だとも納得できた。

 

「俺は、俺たちは独りじゃない。肩を並べるべき仲間があり、未来を託すべき後進がいる。そんな人々との絆を奉じる道筋こそ、俺が至った悟りだから。

 ここまでの邯鄲だって、俺一人で勝ちきれたものなど一つも無かった。甘粕然り、柊聖十郎も、神祇省も、百合香さんや空亡だって、俺一人ではどうしようもないものばかりだった。

 だがな、それこそ人としての当たり前ってやつだろう。何でもは出来ない、人はどうしようもなく弱さを抱えたものだから、だからこそ誰かに頼ってそれを補おうとする。

 ただ度を超えて抜きん出た強さだけで、ひたすらに押し進める覇道など、誰も並び立てはしないし、後を継ぐなんて不可能だろう」

 

 晶の優しさがあったから、逆十字の闇を打ち祓えた。

 歩美の視点があったから、盲打ちとの盤面でも読み勝てた。

 鈴子の性質があったから、人と獣とを間引く礼を得られた。

 栄光の誠心があったから、空亡を鎮めることができた。

 淳士の孤高があったから、百合香の孤独から逃れることができた。

 水希の弱さが無かったのなら、こうして再起の機会そのものがあり得なかった。

 

 強さばかりではない。

 時には弱さ、歪さにしかならないものが、道を切り開いた事もある。

 人の繋がりとは分からない。確実ではないからこそ、思わぬ素晴らしさも現れる。

 あるいはそれこそが、未来を繋げる事だって大いに有り得る。省みれば人の歴史だって、そうした衝突と偶然の価値によって築かれている。

 全ては可能性だ。人と人との繋がり、歪みや悪意までも含めてそこに調和を見い出した柊四四八だからこそ、勝利に憑かれる英雄の道に否と告げた。

 

「全てに勝とう、なんて思わない。時には敗けてしまう事だってあるだろう。だがそれで終わりじゃない。そこに標を残せたなら、その精神は誰かへと受け継がれて続いていく。

 ()()()()()()()()()()で、俺の道は途切れない。たとえもし、俺が中途で斃れるような事があったとしても、正しい意志はいつか必ず勝利に辿り着けると信じている。

 その連鎖、人と人とが繋いでいく仁義の継承こそ、俺が歌いたい人間賛歌だから」

 

 全てに勝利する。唯一人、雄々しき英雄の強さでもって。

 極論だが、それも真理ではあるだろう。あるいはこの英雄ならと、そんな思いが無いわけではない。

 けれど、それでは駄目なのだ。仮に常勝不敗を貫けたのだとしても、どんな人間にだって終わりはくる。そして受け継げる者のいない信念は、その時点で無為となってしまう。

 

 たとえ先駆者が斃れても、託すべき誰かがいるなら道は続く。 

 勝利とは受け継がれるものだから。繋がったその先で、真なる"勝利"へと至れたならばそれでいい。

 それは終わった先でも続いていく。普遍の概念として何処までも広まった在り方が、いつか世界を素晴らしい場所にまで導いてくれるから。

 柊四四八は信じている。自分が示す指標は、必ずや明日へと繋がっていく。夢見たあの百年後の未来へと、千の信を必ずや届かせようと誓っているのだ。

 

「それこそが仁義八行。俺が至った悟りであり、掲げるべき戦の真だ!」

 

 そしてそれこそ柊四四八の"勝利"であると、微塵の迷いも持たずに宣言した。

 

「ふ、はははは……」

 

 そんな、馬鹿げた宣言を大真面目に口にする男に、ヴァルゼライドは破顔した。

 

 なんだそれは、青臭いにも程がある。

 そんな理想論を振りかざして、お前は本気で実現できるつもりなのかと。

 そう問うたとしても、きっと答えは決まっている。それが分かってしまうから、どうにもおかしく思えるのだ。

 

 だって、クリストファー・ヴァルゼライドはどうしようもない破綻者だから。

 

 報いると誓った。涙を糧に、明日の笑顔へ変えてみせると。

 だが同時に理解していたのだ。己の道の先に、真の安寧の世界などあり得ないと。

 繁栄は出来るだろう。栄光は手にするだろう。しかしどれだけ勝利を積み上げようと、望んだ理想には決して届くことはない。

 

 あらゆる正しさが報われて、法と道徳が罷り通る、理想の世界。

 もしもそのような世界に至れたのだとしても、そこにヴァルゼライドの居場所は無い。

 鋼の意志で押し進む殺戮の絶対正義。処断、粛清といった方向性でしか善性を体現できない。

 そんな己の歪さを知っている。知りながら、しかしどうしようもないのがクリストファー・ヴァルゼライドという男だから。

 

 そんな世に至ったのなら、その時こそ己という邪悪を断罪する時だと覚悟している。

 だが、信じてもいなかったのだ。悪性を切り捨て、切り捨てて切り捨てて、削り取っていった果てには善なる世界が訪れるなどと。

 己にあるのは愛などではない。根底にあるのは怒り。悪の醜さが耐え難いという憤りに他ならない。どんな大義を掲げても、その本質からは逃れられない。

 クリストファー・ヴァルゼライドはどうしようもない塵屑だ。そんな男に理想の安寧が実現できるはずもない。それでも勝利とは進み続けるものだから、終わりがないと知りながらも歩き出したこの道を、最期の瞬間まで歩き続けるより他に処方がなかった。

 

 だというのに、この男は、己が諦めた理想に、本気で届かせるつもりだという。

 それも、まるで子供が夢見る英雄物語のような、青すぎる空想論でだ。

 本来ならば馬鹿馬鹿しいと一笑に付すところ。なのにその信念はあまりに真っ直ぐで強く尊いものだから、笑い捨てることがどうしても出来なかった。

 

 だから、勝敗を分けた要因も、やはりそこにあったのだろう。

 

 強く雄々しき鋼の英雄の有り様に、柊四四八が敬意を抱いたように。

 己が諦めたものを真っ直ぐに信じ抜く柊四四八に対し、ヴァルゼライドもまた憧憬を抱いていたのだ。

 

 急段の協力強制。

 互いの合意によって成り立つ夢は、そこに嵌った深さによって強度が変わる。

 柊四四八の抱く敬意よりも、ヴァルゼライドの憧憬の念がほんの僅かに上回ってしまった。

 どのような覚醒も意味はない。他でもないヴァルゼライド自身の同意であるのだから、抱いた憧憬がある限り、彼の敗北は必定であったのだ。

 

「ならば進め。その青く強い信念を抱いて、迷いなく、果てまでも。

 この俺を"敗北(なっとく)"させたのだから、逃げ出すことは許さない。

 絆を結んだ仲間とやらと共に、受け継がれるに足る"勝利"を目指してな」

 

 あるいはそれが、自分が夢見た理想に繋がるのならば。

 勝利を背負うのではなく、託す。考えたこともない、想像さえ出来なかった。

 それでも、こうして敗れた以上は是非もない。そこにはより尊ぶべき光があるのだと信じて、道を託すより他にはないだろう。

 

 そんな奇妙な納得と共に、己の信念が砕ける音を、どこか満足気に英雄は聞いたのだった。

 

 

 *

 

 

 目覚めた意識がまず捉えたのは、見慣れない天井だった。

 

 寝かされていたと思しき身体を起こし、意識は現状を確認していく。

 ここは邯鄲ではない。現実の、日本帝国の遥か彼方にある我が祖国。

 眷族としての繋がりは感じない。柊四四八との敗北を受け、もはや資格なしと見て舞台から退場させたのだろう。甘粕正彦の公平さは、たとえ友と期待した男であってもぶれることはない。

 

 そうだ。自分は敗れた。

 あの先の舞台に立つ資格を失ったのだと、ヴァルゼライドは理解した。

 

「クリス!? おい、クリス! 目覚めやがったのかよ、お前!」

 

「……アルか」

 

 アルバート・ロデオン。

 同期の軍人であり、友人。幼き時分より過ごしてきた無二の仲でもある。

 狼狽えた様子が伝わってくる。それはそうだろう。この身に起きた事情の一切を、アルバートには伝えていないのだから。

 

 彼だけに限らない。

 実在として知った邯鄲の法。その力の強大さは、無作為に広めるには危険すぎる。

 甘粕なら歓迎するのだろうが、ヴァルゼライドは混沌の世など望んでいない。

 何より単騎で成し遂げると決意した。己の道に親友(とも)は不要。頼るべきは独力のみと定めたのだから、半端はあり得ない。

 

 だが、それももう終わった。

 自分は敗れたのだから、もはや如何なる決意も無意味だ。

 ならば隠しても仕方ない。少なくとも目の前の友にだけは真実を打ち明けても良い。それくらいの信用はヴァルゼライドの中にもあった。

 

 そうしてヴァルゼライドは語り出す。

 人の無意識、夢を介して果ての阿頼耶を目指す邯鄲の法。その後に得られる盧生の力、夢を現実へと持ち出し、人が崇め奉る神格すらも操る存在を。

 その座へと至るため、己が挑んだ戦いの全て。果ての結末に至るまで、一切の隠し立てもせずに語り通した。

 

「――というのが、俺の身に起きたことの概要だ。信じるか?」

 

「いや、待て。待て待て。夢? 盧生? 集合無意識? なんだそりゃ、話が突拍子もなさすぎるだろ。いきなり言われて信じられる話じゃないぞ」

 

 その答えは真っ当なものだろう。

 邯鄲法も盧生のことも、言葉にすればこれほどに荒唐無稽で胡散臭いものはない。まともに信じろという方が無理な話だ。

 

「相手がお前じゃなかったら、俺だってただの妄言だと切り捨ててたろうよ。だが、他でもないクリス、お前からの話じゃあな。そんな神妙な顔したお前はよ、それこそ世の中が引っ繰り返ったってくだらない冗談なんざ言わねえだろうよ」

 

 向けられる言葉に、信頼の厚さを感じさせる。

 二人の間にある絆は本物だ。積み重ねた時間も、育んだ思い出も、そこに価値を認めているのはヴァルゼライドも同じなのだから。

 

「ああ、だから今更、証拠がどうだのと騒ぐつもりはねえ。とにかく、お前は何か大それた事をやらかそうとしていた。それだけ分かりゃいい。

 俺が訊きてえのは一つだけだよ。なあ、クリス。なんでその話に俺を噛ませなかった?」

 

 そう、絆を確かなものと信じるからこそ、その反応もまた予想がついた。

 

「巻き込まれて否応なしだったからか? いいや違うな、お前はその程度の奴じゃない。その気になれば、手段なんざどうとでもしちまえる。俺が知ってるお前は、そういう奴だ。

 仕方なしじゃない。お前は意図して俺を巻き込まなかった。俺が弱くて頼りにならんから、任せられずに一人で背負おうとしたんじゃねえのか?」

 

「その通りだ。お前の性質はよく知っている。だからこそ、力不足と判断した」

 

 アルバート・ロデオンとはそういう男だ。英雄の在り方を心からは容認しないと知っていた。

 共に肩を並べるには情が過ぎる。それは支えよりも枷となり、己の覇道を妨げると確信していた。

 ヴァルゼライドの意志はそれを断定する。故に友と呼んだ男であっても、己の戦いに巻き込むことをしなかった。

 

「ったく、はっきり言いやがって。けどなあ、だからって一人かよ。他の誰にも頼らねえで、お前だけで世界なんてもんを背負おうとしてやがったのかよ。

 舐めやがって、この背負いたがりが。誰もそんな事は頼んじゃいねえだろうが。それを勝手に使命だ宿命だのと宣いやがって。お前が背負わなけりゃならない理由なんざ一つもないんだ。

 餓鬼(ガキ)の頃から変わらねえ。自分の純粋さを貫こうと、あえて孤高の道に行く。その上で何が何でも勝ち抜けちまう。たとえどれだけ自分が傷つこうとな。

 変わらなすぎなんだよ、お前は。澄まし顔でいつもいつも、誰にもやれねえような事をやり遂げちまう。どうして一言、"行くぞ"って言ってくれねえんだ……ッ!?」

 

 クリストファー・ヴァルゼライドは変わらない。

 その信条は鋼の強さ。損得など通り越した領域で、彼は正しさに狂っている。

 それは少年の時分より何も変わっていない。巻き込まれた不良同士の抗争の際、そのどちらにも与さずに己一人だけで全員を相手取った時とまったく同じ。

 どちらにも正義がないと感じたなら、ヴァルゼライドは一人を選ぶ。どれだけ不利になろうとも、己に不純な悪性を混じえる事だけは断固として容認しないのだ。

 もはや正義感の一言で説明できる有り様ではない。どうしようもなく湧き上がる憤慨が、彼を正しい方向へと意地でも突き動かしている。

 

 故に、どれだけその絆が本物でも、頼りとする理由にはならない。

 真に揺るがぬ正道を貫くために、英雄は単騎を選んだ。その決意は変わらない。

 それが求める"勝利"に必要だから。全てに勝ち続けるために、孤高にて手にする強さこそが最善手だと信じるが故に、鋼の英雄の意志は不変である。

 

「……そうだな。挙句にこの結末とあっては、お前の言葉を否定できん」

 

 いや、正確には、不変であったというべきか。

 勝利に憑かれた、勝ち続けなければならない英雄は、敗北したのだ。

 決意も覚悟も、今となっては無用の長物。彼とは真逆の道を行く英雄に敗北を喫したことで、ヴァルゼライドはここにいるのだから。

 

「? クリス、お前……?」

 

「敗北とは絶望だ。どのような栄光も、一つの敗北に微塵と砕ける。それは時に勝利であっても取り戻せず、永劫の禍根として残り続ける。

 故に、戦いに挑む者は断固として敗北を拒む。一度その泥に塗れれば容易には拭えぬからこそ、意志だけは決して屈してはならないと」

 

 ヴァルゼライドの過去に敗北の二文字はない。

 たとえ肉体面で屈する事があろうとも、精神面では断じて屈しない。

 被った敗北の汚点は必ず拭う。異常なまでの勝ちへの執着によって、再戦での勝利を意地でも成し遂げてきた。

 それがヴァルゼライドの人生観であり、不変として揺るがなかった英雄の信念だ。勝ちに懸ける彼の情熱は幼少よりその温度を一度として減じた事はない。

 

「だが、困ったな。敗けたというのに、今の俺はそれを悪いものと思っていない。むしろ奇妙な解放感を覚えている。清々しささえ感じている始末だよ。

 これが完敗というものか。初めて知ったよ。もはや立ち上がろうとする気さえ湧いてこないというのは。それを受け入れている俺自身も含めてな」

 

 だからこそ、だ。ヴァルゼライドにはその処方が分からない。

 経験した事のない敗北(なっとく)だから、完敗なんて初めてのことだから。

 どう呑み込めばいいのか判断がつかない。彼という男の人生ではあり得ないほどに、今のヴァルゼライドからは熱が引いていた。

 

「なあ、アル。俺はどうすればいい? 俺はこれから何をするべきだと思う? 教えてくれ」

 

 その言葉を聞いた時、アルバートは心底から度肝を抜かれていた。

 邯鄲法などという眉唾な話よりも、今目の前で吐かれた台詞の方が信じられない。

 彼が知るヴァルゼライドという男は、それほどに筋金入りの英雄だった。そんな男から、あろうことか弱音が吐き出されるとは、まったく予想だにしていなかった。

 

 だが同時に、その言葉こそアルバートが待ち望んでいたものでもある。

 たった一人で背負うなど、そんな戯けた寝言を口にさせないために、アルバート・ロデオンという男はここまで来た。

 ならば今こそ、その答えを出さないでどうするのか。ようやく巡ってきた機会を前にして、戸惑うばかりで何も言えない。それで親友などと口が裂けても言えるものか。

 

「どうすればいい、か。そうだな、言いたいことは色々ありすぎて、正直何から話したもんだか見当も付かねえが……」

 

 何処の誰かかは知らない。この英雄(バカ)を止めてくれるとは大した奴だ。

 本当ならそれは自分がやってやりたかった。だからせめて、ここから先は誰にだって譲らない。

 英雄(こいつ)が分からないというもの。それを教えてやる事こそ自分の役目だと思うから。

 

「まずはこいつから、受け取りやがれぇッ! 親友ッ!」

 

 握り込み、思い切り振りかぶられた拳が、無防備な英雄の頬へと突き刺さった。

 

 呆気なく吹っ飛ぶ。

 突然のことだったためか、受身も取れない。

 まったく容赦のない拳骨の一撃が、ヴァルゼライドを無様にも転がしていた。

 

「俺を勝手に見切りやがった事への礼は、それで良しとしといてやるよ。

 で、だ。敗けてどうすりゃいいか分からねえって? あんま寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ」

 

 敗北とは確かに度し難い。

 折れた気力は湧いてこず、途方に暮れて何も出来ない。

 心が屈するとはそういう事だ。誰もが敗北の苦味を覚えて、拭えない疵を負っていく。

 

 そう、誰だって経験していく事なのだ。唯一人、延々と勝利の道を歩み続けた英雄だけを例外として。

 

「そりゃお前には分からないだろうがよ。勝利狂いの真面目馬鹿なお前にはな。お前の目からすりゃあ、敗けに折れて卑屈になってる奴なんざ、さぞ情けない屑に見えるんだろう。

 でもな、覚えとけ。そういう奴らのどいつもこいつも、自分の不甲斐なさに納得してると思ったら大間違いだ!」

 

 正しい事を為すのは苦しみが伴われる。

 人の犯す間違いの多くは、その弱さに流されたが故に起こるのだ。

 英雄ではない只人にとって、それは人生の中で幾度も経験する事だろう。

 

 それでも、彼らがそんな己の弱さを容認してるかと言えば、それは否だ。

 弱さは恥であり、拭えない疵であるから。消し難い咎としてその者の生涯に残り続けるのだ。

 

「本当はな、そいつらだって正しくいたいんだ。誰だって強くて格好良くいたいんだよ。お前みたいな英雄の王道を歩きたいって思ってる。

 だが、大概はそうはいかねえ。どいつも何かの苦難にぶつかって、てめえの中の弱さに敗けちまう。どう言い訳しようが、悪いのは正しく在り続ける辛さに耐えられなかったてめえ自身だ。心の底ではそいつを自覚してるから、敗けの情けなさを背負い続けなけりゃならねえ」

 

 光り輝く生き方は美しい。雄々しい英雄の姿に憧れるのは止められない。

 届かないと理解していても羨望は湧き上がる。己もまたあんな風に輝きたいと、そう思うことを否定できる者は多くはないだろう。

 

 だがやはり、その生き方は正しくて、だからこそ苦しいものだから。

 結局は誰も、そんな生き方には届かない。届かないのだと諦めて、王道から外れた妥協の道を歩んでいかなければならない。

 それは楽かもしれない。だが同時に、憧れたはずの道から遠ざかっていく惨めさを自覚させられる事でもあるのだ。

 

「けどな、それでもそいつらは生きてかなきゃならねえんだよ。そんな弱さや情けなさをしょい込みながら、それでも前に進んで行くんだ。

 何度も何度も振り返って、時々には目を逸らして逃げ出しちまう事だってある。それでもどうにか折り合いつけながら生きてんのさ。

 ああ、不甲斐ないもんだよ。みっともない自分が情けなくて仕方ない。勝利だけ見据えて進んでいく英雄サマに比べりゃ、そんな奴らは屑星に過ぎないんだろうよ。

 だがな、それが本来の人間なんだよ。永遠に勝利だけを手にする道なんてのは誰にも出来ない。クリストファー・ヴァルゼライドっていう名の"英雄(かいぶつ)"以外にはな」

 

 人生とはままならないものである。

 数多の妥協と挫折を繰り返しながら、少しずつ己の生き方を見出していくものだ。

 勝利に憑かれ、敗北を拒み、徹底して王道"だけ"を歩き続けたヴァルゼライドという人間こそが、人の在るべき道を外れた異端と言える。

 

 それは確かに強いのだろう。何せ、一点の『弱さ』さえ持たないのだから。

 ヴァルゼライドは敗北を持たない。それ故に、彼は敗北というものを"知らない"のだ。

 

「お前は敗けた。それでようやく、外れてたもんが元に戻った。これでやっと『人並』だ。

 今のお前は無様だよ。情けなくてみっともねえ、弱っちい敗者に過ぎねえ。誰もが味わってきた挫折の経験ってやつを、お前は手に入れる事が出来たんだ。

 だったら、後はどうするかなんて決まってんだろ。こんな時に強い奴が選ぶのなんて、それこそ決まりきった『王道』じゃねえか」

 

 そう、どんな敗北を抱えようとも、人は生きている限り前へと進む。

 惨めな思いに囚われようと、最後には自分の脚で立ち上がらなければならない。それが出来ない者こそ真の敗者で、立脚を果たした強き者だけが次の勝利に手が届くのだから。

 

「立てよ、クリス。俺が知ってるクリストファー・ヴァルゼライドって男は、いつまでもこうやって弱っちい姿を晒してるだけの奴じゃねえ。お前が誰よりも強い奴だってのは、他のどんな奴よりも俺がよく知ってんだよ。

 それとも、敗ける事にまるで覚えがない英雄は、一つの敗北で芯まで砕けて折れちまったのか。俺が信じて付いて行こうと思ったすげえ男は、その程度の奴に過ぎなかったってのかよ?

 なあおい、答えてみろよ、親友ッ!?」

 

「――愚問だ」

 

 積年の思いが篭った親友の叱咤を受けて、ヴァルゼライドは言葉よりもその態度で応じていた。

 彼は英雄。雄々しき王道を歩む者。たとえ勝利の純正を穢されようと、揺るぎない信念は弱さに流される事などあり得ない。

 立ち上がったその姿は、常の荘厳さを取り戻している。揺蕩っていたその瞳にも、既に不撓不屈の意志を再燃焼させていた。

 

「俺がやるべき事は決まっている。祖国に繁栄を、涙を明日の希望へと変えるのだ。

 確かに盧生には届かなかったが、それは脚を止める理由にはならん。一つの道が途絶えたのなら、また別の道筋を歩み出すまでだ。

 あの邯鄲で垣間見た、先に待ち受ける未来を覚えている。あんなものを断じて認めるわけにはいかん。断固阻止すると誓った意志に迷いなどあるものか」

 

「……ああ、それでこそお前だよ、クリス」

 

 そんな男であるからこそ、その背に付き従いたくなる。

 その有り様は歪んでいるのだろう。彼の道は多くの血で染まっている。覇道の過程で轍とされた者たちは、怨嗟と共に逆襲を叫ぶに違いない。

 それでもやはり、クリストファー・ヴァルゼライドは光なのだ。彼が示す英雄としての王道には、誰もが焦がれる想いを抱いてしまう。

 

 歪であっても、狂っていても、それが人の夢見る理想の体現であるのは変わらない。

 不屈の意志と奇跡の強さを持った鋼の英雄。そんな友の凄まじさを最も間近で見てきたからこそ、アルバート・ロデオンはその隣に並び立てる道を選ぶのだ。

 

「だが、そうは言っても問題は山積みだ。重くのし掛ってる他国への賠償、頻発する武装蜂起に犯罪増加、情勢は日に日に悪くなっていく一方だ。俺たちの国が破滅に向かおうとしてんのは、餓鬼の目にだって明らかだろうぜ」

 

「そうだ。この国は破滅に向かっている。狂い始めた歯車は既に致命的なところまできているだろう。夢という超常の奇跡なくして、それを戻すことは容易ではあるまい。

 それでも足掻いてみせよう。未来を諦めてなるものか。どの道、進み続ける事しか知らん男だ。この身がある限り、如何なる凶事とも戦い抜こう」

 

「おう。なぁに、心配はいらねえ。なんたってこっちにはお前がいるんだ。お前と俺が組んでやれば、どんな事だって越えられる。そうだろう?」

 

 かつてならば、そんな親友の申し出にも頷く事はなかっただろう。

 英雄は孤高。正義の純粋さを保つため、他力を断った単騎の力に固執した。

 しかし、その道は既に敗れている。柊四四八が示した絆の仁義によって。如何に信念が不屈の強度を保とうとも、在り方への執着は解かれている。

 

 そのため、なのだろうか。本人にとっても思いも寄らぬ返答が、自然と口から出ていた。

 

「そうだな。頼りにしている」

 

 独力(ひとり)こそ良いと思っていた。

 組織に純粋は望めない。真に理想へ達するには、独りでなければならないと。

 そう信じて突き進んだ果てに相対したのは、絆の光を掲げし勇者。己が不要と切り捨てたものを骨子とする意志に、自分は敗れたのだ。

 

 もしも本当に、そんなものが未来を築けるのなら。

 そんな少年少女の青臭さが世界を救うなど、夢のような話を実現できるというのなら。

 

 賭けてみるのも良いと、そう思えていた。

 

「……いや、なんつーかよ。お前とは餓鬼の頃からの長い付き合いだが……」

 

 そんなヴァルゼライドの答えに対し、アルバートは戸惑った様子を見せる。

 喜んでよいのか、ただ驚くべきなのか、それさえ判然とし辛い様子で、しかし素直な感想を口にした。

 

「初めて見たぜ。お前がそんな風に笑うところなんてな」

 

 これより先、彼らもまた彼らの道を行くのだろう。

 夢の力など無い、あくまで現実の人間として。奇跡を持ち帰る事は叶わなかった。

 けれど、何も得られなかったわけではない。英雄の王道しか知らなかった男は、確かな価値ある悟りを手にして、現実へと帰還したのだ。

 

 故事における盧生、彼もまた夢を通して人生の何たるかの悟りを得た。

 決して英雄や魔王になったわけではない。そんな目に見えた力など無くとも、悟りを得た盧生の胸には確かな光が輝いていたのだ。

 

 なればこそ、彼らもまた人として。

 如何に強くとも現実の内にある意志でもって、目指すべき理想を目指す。

 確実とは言えないだろう。道半ばで力尽きる事もあり得る。だが、希望も確かにそこにはある。

 

 ――勝利を求めて。全てに報いる未来のために、英雄たちはひた走るのだ。

 

 

 




 ヴァルゼライド更生ルート。
 この後、第二次大戦を止めるために総統閣下も尽力してくれたりします。

 そして、シルヴァリオ原作よりもう一人のゲストキャラ。
 アルバート・ロデオン。ヴァルゼライドの友人ですが、残念ながらそのポジションなりの働きは出来なかった。
 なので、せっかくだし原作でやれなかった役割をやらせてみました。
 手を差し伸べてくれる友人って、敗けた時にこそありがたいもんだと思います。

 他にも、ネタは色々と思い浮かんでいたりしてます。
 クリームヒルトの眷族化して万仙陣にも出てきたり。
 同盟国のよしみで出会うアオイ・漣・アマツさんとの馴れ初めだったり。
 原作ではやれそうになかった事を色々出来そうな終わり方となっているつもりです。

 話としてはこれで一応完結です。
 こちらのルートでの決着がトゥルーエンドとなっています。
 甘粕戦はIFルートで、もし四四八の方へ行かなかったらという分岐です。

 ぶっちゃけ、あんま碌なことにならなそうなので。

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