新学期が始まる前日の日曜日、天気は春の陽気に相応しくない曇天の空。
新宮寺家次期当主、新宮寺零は汗まみれになって学園の寮へと戻ってきていた。
日課のランニング。長距離はあまり好きではないが、体力をつけておくことの重要性はわかっている。5キロほど先に神社がある。そこでしばらく剣を振った後に戻るのが、彼のランニングコースだった。
部屋に戻り、冷蔵庫のスポーツ飲料を飲み干す。ランニングを終えた後だからか、喉が渇く。
ーーーーいや、違うか……
空になったペットボトルを潰しながら、否定する。たかが5キロのランニングで乾くようなヤワな鍛え方はしていない。口を拭った。多分興奮しているのだ。
シャワールームに入り、コックをひねる。冷水がノズルから勢いよく出た。火照った頭を覚ますように被る。
ーーーー興奮?この俺が?たかが学校が始まる程度で?
バカな、と思う。今までもっと大きな舞台で戦ってきたじゃないか。それをあんな誰も見ていないような野試合を引きずって興奮?
空を見上げて息を吐いた。
ーーーーごまかすな、新宮寺零
たかが稽古?とんでもない。あの戦いは間違いなく自分の人生を変える出来事だったじゃないか。いい加減認めろ。お前は負けたんだ。
奥歯を噛み締める。悔しさをこんな形で表したことなど一体いつ以来だろうか。
つい先日、日本のジュニアトップの魔導騎士を対象にした留学があった。彼はそれに参加していた。
退屈していたのだ。
国内では、自分の敵となってくれるような相手はもういなかった。高校生となれば、今までとは違い、同年代の相手以外と戦うことも増えてくる。学内でも最長2年の開きがある。2年など大人から見れば大した差には見えないかもしれないが、今が伸び盛りである彼らにとって、この2年の差は果てしなく大きい。そういった格上との戦いに備えた基礎体力の底上げのメニューを淡々とこなしていた。
いよいよプロの魔導騎士となる為の三年間が始まる。やる事は山ほどあった。それなのにどこかで飽きていた。
繰り返されるルーチンワーク。聞き飽きた称賛と激励。そしてそれに応える自分。騎士そのものに飽きていたのかもしれない。
俺はこれでいいのか?
そんな事を思いながら毎日を過ごしていた。絶対的な才能を持つという事は聞こえはいいが、その実、その才能の道にしか未来がないということ。言い換えてしまえば、その道に縛られることと同義だ。
そんな折に舞い込んできた海外留学。暇つぶしには丁度いい。国外の天才にも興味はあった。零は参加を決めた時、久しぶりに高揚していた。
しかしそれも最初だけ。立派なスタジアムで剣を交えた同年代に自分の相手となる敵には出会えなかった。どいつもこいつも自分を天才だなんだと持て囃して、勝つことなんてすぐに諦める。
ーーーージュニアなんてこんなものか
退屈のままに外へと出た。適当にぶらついた後に、あまり治安の良くない地域に足を踏み込む。なんでもいいから刺激が欲しかったのだ。
案の定すぐに襲われたが、正当防衛という言い訳の元、悉くを返り討ちにした。自分の事を天才などと知らない彼らは中々諦めをせず、体が動く限り何度も向かってきてくれた。ジュニアの騎士と戦うよりずっと楽しかった。
そして、雑魚たちが段々と強い人間を呼び始める。その全てを蹴散らした後、最後に残ったのがあの少女だった。
一見して思った事は白い、と美しい、だった。身近に美少女の姉がいたため、美人には耐性があるつもりだったにも関わらず、見惚れてしまった。人を超えた何かにさえ見えた。
そして氷の侍はあの白い剣と出会った。
あの一太刀で目が覚めた。すごいと心底感じた。スラムで千人に一人の才能を持つ人間がいた事にも驚いたが、それ以上にあの剣閃に横っ面を叩かれた気分になった。
戦いは白熱し、その場で決着をつける事はできなかった。不完全燃焼だった零は白い少女の手を引っ張ってジュニアの騎士機関が管理しているスタジアムへと彼女を連れ込んだ。
ここで俺と戦え。
恐らくは生涯で初めて手加減をせず全力で戦った。持てる異能の全てを発揮し、ただ眼前の一人を斬ることに10年に一人と言われた才能の全てを注ぎ込んだ。
そしてその結果が、あのザマ。
非公式な試合であったため、目撃者はいない。というか不法侵入だったため、記録すら残っていない。
それでも敗北の事実は彼の胸に残っている。
ーーーーくそっ!
苛立ちのままにシャワールームのタイルを殴る。高校に入って、新しい環境で凄いという人に会えたのならまだわかる。プロになる人間とはこういう人たちなのか、と感心して、追い抜くべく励む。それなら納得できるじゃないか。しかしこの俺が、ランクもないようなはぐれ魔導騎士の卵に負けた。タメの女だって?ふざけんな。
喉がなる。あの剣を思い出すたびに息を飲み込んでしまう。やっぱり世界は広い。騎士にはとんでもない奴がいるんだ。退屈なんてしている場合じゃない。負けっぱなしでいられるか。戦いたい、勝ちたい。
あの剣に、会いたい。
『いつか必ず、もう一度お前と戦う!』
あの戦いの後、覚えている最後の記憶だ。意識を失う前、倒れ伏している彼女に言った。
『それまで誰にも負けるな!俺ももう二度と負けない!』
数日が経ち、目を覚ました後、必死で彼女を探した。怪我の具合で言えば確実に彼女の方が深手だ。まだ眠っている可能性は充分にある。
けど出会えなかった。スラムの連中から聞いた限りでは、どこかの施設へと向かったらしい。
ーーーー俺の言葉が届いていたなら、奴はヤツなりに己を磨いていることだろう。なら俺は俺でその時まで、強くなろう。
会えてよかった、と思う。あの剣と出会って、目を覚まさせてもらった。興奮させてもらった。騎士の世界の広さを感じさせてくれた。未来を思ってワクワクする。そんな事を思うこの数週間が新鮮で刺激的だった。出会わなかったら恐らく退屈のまま、騎士の世界の狭さに嘆いたまま、高校生活を迎えていただろう。
会えてよかったぜ、エーデルワイス
タオルを首にかけ、シャワールームの扉を開ける。この後姉と約束がある。そろそろ着替えなければまずい。
「……………………」
「……………………」
室内の時間が止まる。一瞬、幻かと本気で思った。さっきまで考えていた女が今、目の前にいたのだから。
「お前……」
「じゃあ、さっきセンセイに見せてもらった、ネームプレートのゼロ・シングウジって………」
『えぇえええええええええ!!?』
「お、お前!なんで此処に?いつ日本に?!」
「貴方が渡した紹介状が日本支部宛てだったからですよ!てゆーか服着てください!」
零の高校生活は真っ裸の絶叫と共に始まった。待ち望んだ再戦はこの直後、執り行われる事となる。
▼
「で?てめえも裸を見せる事で相殺しようとした……と?」
革のソファに白銀の髪の青年が座り、豪奢な机に肘をつきながら事のあらましを聞く。隣には控えるようにスーツ姿の黒乃がタバコを咥えて立っていた。二人には同様に呆れの感情が浮かんでいる。
「「アホだろ、お前」」
夫婦でダブる。黒髪の少年、黒鉄一輝は一回り小さくなった。
「返す言葉もありません…」
「しかもよりによって相手がステラとか……ああ、気が重い」
未婚の女性の前で裸を見たから自分も裸になったなど、被害者が襲われたと報告しても文句は言えない。しかも留学生の皇女殿下。彼女の父にこの事が発覚すれば間違いなく国際問題になる。
「理事長はステラさんと親しいんですか?」
「ステラの母親が俺の友人でな」
「一応この男の弟子でもあるしな」
「えええっ!?」
元世界ランク1位、新宮寺零への弟子入り志願者は数え切れないほどの数だった。にもかかわらず、彼はその全てを断っている。この事は騎士の間では有名な話だ。
それもそのはず。引退後は後進の育成に携わるのが通常だが、この男は引退後も世界の紛争地域を飛び回り、最前線で戦っていたのだから。
その彼が弟子をとったというのだ。事情を知っている者なら、驚くべき事だろう。
「日本語のな。騎士としてはほとんど何も教えてない」
「それでもあの絶対零度の弟子になれるなんて……流石は首席入学」
「そんな事はどうでもいい。問題は今回の事故を如何するか、だ。男の度量が試されるぞ少年。
大山の 峯の岩根に埋めにけり 我が年月の 大和魂ってな。
いまこそ大和男子の気骨の見せ所だ」
「それ切腹した武将の辞世の句ですよね!死ねってことですか!」
「おお、知ってたか。意外と学があるな、黒鉄」
パチパチと拍手していると理事長室にノックの音が聞こえてきた。茶化すのはやめて真面目に対応する。
「入れ」
「…………失礼します……って、シショー。帰国してたんですか」
目元を紅く腫らして恨みがましい視線を送っていた少女が師匠を見てパッと明るくなる。どうやら皇国では良好な関係が築けていたらしい。隣で控える妻のムッとした気配が感じられた。
「ついさっきな。それと此処では理事長先生と呼ぶように」
「え〜。レイがシショーって呼べって言ったのに」
「日本ではTPOに応じて呼び方を変える。此処ではそう呼べ」
「シショーがそういうなら……」
せっかく慣れてきたのに、とボヤキながらも受け入れる。剣吞だった空気は多少緩んだ。
「まずは入学おめでとう、ステラ・ヴァーミリオン。制服、よく似合っているぞ」
「あ、ありがとうございます」
シックな色合いのブレザーは彼女の紅をよく引き立たせている。尊敬する師に褒められたステラは紅くなって顔を伏せた。
ーーーー相変わらず耐性ないな。まあシリウスが箱の中に入れて育てただけはあるっ!?
零の頭に衝撃が来る。何か尖ったものでテンプルを突かれた。見てみると不機嫌な顔をした黒乃が肘を曲げていた。どうやら肘鉄を食らったらしい。
「(何生徒を口説いてるんだお前は)」
「(え、そんな風に聞こえた?)」
「(ああもう、コレだからナチュラルジゴロは……)」
視線で会話する二人。一度咳払いをして空気を戻した。
「成績は見せてもらった。まあ、及第点というところだな」
「…………どーせシショーには負けましたよ」
ああ、気づいていたか。と心中で笑う。
試験内容は自分の頃と少し違うため、厳密に比べられるものではないが、数値を見る限り自分の入学時の成績より劣っている事は確かだった。能力の高い者はプライドも高い。目標とする人物に劣っているという事は悔しいだろう。
「ま、積もる話は後にしよう。それより今は今回の事故についてだ」
話を戻すと、ステラの顔に怒りが戻る。負の感情がこもった視線を再び黒鉄に向けた。
「ごめん」
黒鉄から一切の弁解もなく、謝罪の言葉がすぐに出た。少し感心する。今回の件、黒鉄に大きな非はない。なら言い訳が先行しそうなものだが、彼はまず謝った。当たり前の事に見えて、早々できない事だ。助け舟を出してやろう、と思える程度には感心した。
「ヴァーミリオン。彼を庇う訳ではないが、今回の件はこの少年に悪気があった訳ではない。アレは正しく事故だったんだ」
眉に寄ったシワが少し和らぐ。師として尊敬する彼の言葉だ。嘘はないと信じるには充分だった。
「でも見てしまった事は事実だ。ケジメはつける。ステラさんの気の済むように煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
ふむ。中々誠意ある対応。初手は上出来。ステラの反応も悪くない。剣吞な気配も少し緩んだ。さて、どう出る?
「ふーん、流石はシショーの同胞ね。潔いじゃない。コレがサムライの気風なのかしら」
やはり反応は悪くない。少なくとも声から怒りは消えた。黒鉄も苦笑を漏らす。
「口下手なだけだって」
「正直なところ、来日していきなり痴漢に遭うなんて、なんて最低な国なのかしらと思ったし、シショーには申し訳ないけど国際問題にしてやろうかと思ったわ。けどあなたの態度に敬意を表して、私も皇族として寛大な心で応じましょう」
おお、良い展開だ。流石は皇族。ノブレスオブーリジュを知っている。黒鉄は非業の死を遂げる事なさそうだ。
「だからハラキリで免除してやるわ。姫であるアタシにあんな粗相をしたんだから死刑は当然でしょ」
残念、現実は非常に非情である。この国の司法は崩壊した。破軍学園に一つの大和魂が埋まりそうだ。
「なに!?免除してもハラキリなの!?」
「あーあ、冗談が本当になった」
「理事長も他人事だと思って!」
「名誉死にしてあげるだけ感謝しなさい。本当ならハリツケにしてシチューヒキマワシよ」
「なんか字面だけ見れば料理してるみたいだな」
「のんきな事言ってないでこの校内殺人止めてください!」
「でも煮るなり焼くなり好きにしろって言ったじゃん」
「ものの例えですよアレは!」
「ああ、嘆かわしいな黒鉄。大和魂とは一度自分の口から放った言葉を例えで済ませてしまうものなのか」
完全に面白がっている理事長を黒鉄は無視してステラの説得にかかる。
「とにかく、たかが下着姿見たくらいで命は差し出せないよ!」
「たかがですって!?ししし信じられないわこの変態!嫁入り前の姫の肌を汚しておいてなんて言い草なの!?お父様にも見せた事ないのに!」
皇国に滞在している間は結局お目にかかれなかったなぁ、と思っていると部屋の室温が上がる。ステラの周りの大気が赤い燐光を帯びて揺らめき始めた。
「傅きなさい!妃竜の「そこまでだ。ステラ」
からかうのはやめたのか、理事長が真剣に彼女を止める。顕現された炎の大剣は凍りついていた。
「っ!シショー…」
「無許可のデバイスの展開は校則で禁止されている。ステラ。ソレは喧嘩の道具ではないと教えたな?騎士がデバイスを顕現させるときは己の誇りと命を掛けろ。こんな場で軽々しく使う事は許さん」
「…………」
揺らめく大気が収まり、燃えるように立ち上っていたステラの赤い髪もシュンと項垂れる。
ーーーーコレが、かつて世界の頂点を取った者の力
黒鉄一輝は戦慄していた。Aランクともなればデバイスを顕現させなくとも魔力の発現は出来る。それは今ステラが証明してみせた。全てを焼き尽くす灼熱の炎。その上デバイスまで顕現させたとなると、その温度は摂氏3000度まで登りつめる。普通の氷など問答無用で蒸発する。
しかしこの男は摂氏3000度を凍らせた。自分から漏れ出る魔力のみで。その凄さは自身にその力がないからこそ、誰よりもわかっていた。
ーーーー噂には聞いてたけど、凄まじいな二人とも。本当にデタラメだ
「まったく、だから男女同室はやめておけと言ったんだ」
「お前だって10年前……」
「ああもうわかった。わかったから部屋割り変えよう。まだ入学式始まってねえんだから部屋を変えるだけなら可能だろう。黒乃」
新入生のリストを、と要求するが頭を振る。
「ヴァーミリオンほど優れた者も、黒鉄ほど劣った者もいないのでな。この二人は余りなんだよ」
どっかで聞いた事のある事情だなと笑う。ステラは納得できないらしくバンバン机を叩いていた。間違いが起こったらどうするという尤もな指摘を黒乃はおっさんのような返しで対応する。やめんか、と軽くはたいた。こいつ、見た目は若いが、子供を産んで確実に老けた。
「まあお前への特別扱いはこの数ヶ月でかなりしてきた。これ以上はもう許容外だな。我慢しろ。騎士は耐えることも修行だ」
「ぐぅ…」
「ぐぅの音は出たか」
くっくっ、と心底愉快そうに笑う。脳裏には自分の入学初日が浮かんでいる。この子は紛れもなく、俺の弟子だなぁと心底思った。
「じゃあ貴方に三つ条件を呑んでもらうわ!破ったら即ハラキリよ!」
「ぼ、僕にできる事なら……」
「出来るわよ。話しかけない事目を開けない事息しない事」
「日常生活で死ぬ!せめて息はさせてよ!」
「いやよ!私の匂いや息の味とか堪能するつもりなんでしょうジャパニーズヘンタイは!」
「…………零、ヴァーミリオンに何を教えた?」
「日本語の教材としてヴァーミリオン皇国でも販売されている漫画とかを勧めたんだが……それの影響か?」
ハアと二人揃って息を吐く。男の妻は同時にタバコの煙も吐いた。このままではラチがあかなさそうだ。
「仕方ない、此処は10年前の悪しき前例に倣うとしよう」
口角を歪める白銀の髪の表情を見て、紅髪の弟子が若干青ざめる。彼がこの手の表情を浮かべた時は大抵がロクでもない事を思いついた時だからだ。
「お前ら、潰し合え」
「は?」
「騎士の世界は強さが全て。勝者に敗者は逆らえん。お前らの部屋のルールは勝者が決定権を持つ。それでいいな?」
「僕は異論ありません」
「はあ!?」
ステラが理解できないという顔をする。正しい反応だ。Fランクの彼と自分ではスペックが違いすぎる。人とチーターが徒競走をするようなものだ。勝てるはずがない。
「正気なのシショー!それともアタシの事舐めてるの?!貴方の弟子であるこのアタシがFランクの落第生如きに勝てるわけ……」
「やれやれ、本当に覚えが悪いなこの弟子は。何度言えばわかる。自分より弱いヤツであろうとお前が持ってないものを持ってるヤツはかならずいる。コレも修行の一部だヒヨッコ。戦いで学べない事など今のお前には一つもない」
「でも、いくらなんでも限度が……」
「先入観を捨てろ」
「ーーーっ!?」
「剣客に必要なのは剣覚。大切なのは理解ではない、実感だ」
あの時から何度も何度も言ってきた言葉。鋭い瞳が少女を貫く。数秒の沈黙の後、世界の頂点は破顔した。
「いいからやってみろステラ。お前に足りないものを彼は持ってる」
「…………わかりました」
「よし」
「ただし条件一つ!勝ったら今度こそアタシにシショーの剣技を教える事!そしてもう一つ、負けた方が勝った方に一生服従!良いわね!」
「二つになってるが良いだろう、認めよう」
「理事長!」
「キマリ!覚悟しなさいよね!」
乱暴に理事長室のドアが閉められる。やれやれと苦笑しつつ黒乃のタバコを取り上げる。校内は全域禁煙だ。
「なんだか大変な事になっちゃったなぁ」
「なぁに、平民なら確かに地獄だが相手はヴァーミリオン皇国のお姫様だ。中々悪くない就職先じゃないか。将来安泰だぞ?」
「嫌ですよそんなの……勝っても負けても」
「…………へぇ」
勝っても、と言った。つまり勝てる気でいるという事。押さえつけたとはいえ、先ほど彼女の強さの片鱗は見たハズだ。それでも勝てる可能性があると言ったことに少し驚く。圧倒的な才気に押しつぶされ、諦観する凡百の使い手は多い。
「『七星剣武祭で優勝すれば能力値が低くとも卒業させてやる』」
黒鉄の口からそんな言葉が出てくる。誰かさんが言いそうなセリフだ。勝手な事を、と妻を睨んだ。
「そう言ったのは貴方の奥様ですよ」
「やれやれ、俺の記憶にはございませんが、妻が勝手に言った事だという事もできんな。理事長代理の言葉は俺の言葉だ。良いだろう、俺もそれを認めよう」
黒鉄の親父あたりなら覚えがないの一点張りで彼の意見など無視するのだろうが、それはしない。留守を任せたのは俺なのだ。彼女の決定の責任は全て俺にある。
「僕が尊敬し、思い描いていた通りの貴方であってくれた事に感謝します」
頭をさげる。多くの理不尽や口約束に自身の道を閉ざされてきた彼にとって、零の当たり前は得難いものだった。自分のことに関して、きっと黒鉄家から多くの圧力がかけられているだろう。自分の存在が彼に迷惑をかけているかもしれない。剣で解決できない事を対処する方がよほど難しい事は知っている。大人の戦いにおいて自分は同じ土俵に立つことすら出来ないのだ。
それでも、この二人は自分を大人の悪意から守ってくれている。この二人は自分にとって恩人だ。
「準備がある。もう行っていいぞ」
「はい、失礼しました」
先程とは打って変わって大人しい扉を閉める音がパタンとなる。
「………で?」
「何だ?」
「お前はどっちが勝つと思う?」
黒鉄がいなくなった途端、妻が夫に問いかける。この勝負を止めなかった彼女は、少なくとも黒鉄に勝ち目くらいはあると思っているだろう。
「さあな。10年前に習えばステラが勝つ。普通に考えてもまずあいつが勝つ。ヤツにも勝機がないとは言わんが、厳しくなるのは間違いない」
あの一分間の使い方が全てを分けるだろう、と思う。さてはて、我が弟子は真っ向から勝負するか、遠距離から潰すか……
「それでも、多分黒鉄だ」
「何故だ?10年前はお前の勝ちだったじゃないか」
「違うぞ黒乃。10年前に倣うからこそ、黒鉄が勝つと言ったんだ。あいつら、コレが初対決だろ?」
「ああ」
「初対決で敗れたのは才能だった」
ーーーステラは俺の次の10年目。その事に疑いはない。さて、彼はどうかな?
夫の目が愉悦に光る。恐らく彼は二人を通して、違うモノを見ているのだろう。やれやれと思いつつ、新しいタバコに火をつけた。
「校内禁煙」
「残念だったな、お前のいない間に喫煙可にしておいたのだよ」
「マジでか」
先程取り上げた黒乃のタバコを咥える。もう火は消えていたが、再び火をつければ、まだ吸えるだけの長さは残っている。
「ん」
「ン」
ソファに座る零がタバコを咥えたまま妻を見上げた。それに応えて黒乃が屈む。タバコの先端を零が咥えたタバコに付ける。二つ煙が上がり、一つになって揺らめいた。
久々の更新です。いかがだったでしょうか?シガレットキスって憧れますよね。私タバコ吸わないので出来ませんけど。ようやく皆のイッキ君が登場しました。落第騎士と旦那が出会うことで、物語は加速していきます。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。