多少はよろよろせず歩けるようになったとしても、買い物を終えた時点では、まだ布団を抱えながら飛んでいけるほどではなかった。体力の回復も兼ねてついつい香霖堂に長く居座ってしまい、その頃には外の空は夕焼けが顔を見せていた。
「ふぅ……疲れたぁ」
布団を両手で抱えて自宅まで飛行し、元々使っていた布団と交換。部屋の換気をしつつ、焦げくさい布団をにおいが取れるくらいしっかり洗って干していると、香霖堂を出る時は赤かった空には、すでに星々の瞬く藍色の空が広がっていた。
ほんの少し欠けた限りなく円に近い月の空。この様子なら、明日は満月が見られることだろう。
「それから明日は、お祭り、だっけ」
春夏秋冬のうち、春のお祭り。いつもは生活で苦しく贅沢ができない人間の里の人たちも、こういう時ばかりははしゃぎ回る。
出店を回り、歌を唄い、踊りをして、やがて子どもが寝るほどの時間となると、大人たちはお酒を飲み明かす。その中には寺子屋に通う時のことりのように、人間に化けた妖怪も多く混ざっているはずだ。
ただ、当然ながらお祭りでもなんでも、一人で足を運ぶよりも、そういうことは誰かとともに騒ぐことで目一杯の楽しさが味わえる。人間からしてみれば当然のことで、妖怪にとってもそれは変わらない。妖怪は基本的に協調性がなく、自分勝手な者が多いけれど、それは別に他人と親しくすることが嫌だという意味ではないのだ。妖怪の間でも他の誰かと一緒に酒を飲み合うことだって日常の光景であり、飲み比べをしたり、愚痴を言い合ったりもする。
ことりとしても、一人でお祭りを回ることにはさすがに寂しさの念を抱かざるを得ない。普通の妖怪からしてみればきっとそんなことはなく、「つまらない」と感じる程度のことだろうけれど、ことりは妖怪としての力が弱いだけあって、自身の妖怪としての性質もそこまでではないと思っていた。
お祭りには出たい。だけど一人では楽しめない。出るのなら、誰かと一緒にお祭りを回りたい。ことりはお祭りのことを知ってから、ずっとそう考えている。
「霊夢さんと魔理沙さんはどうするのかなぁ」
あの二人は無神経だとかうるさいだとか、いろいろと軽口を言い合っていたけれど、彼女たちはそれがいつものことのように振舞っていた。仲がいい、と言えば否定するかもしれない。いや、案外肯定もしてくれるかも。けれどその肯定はきっと冗談交じりに魔理沙が口にするようなもので……あの二人は、これまでもずっとそういう関係を続けてきた、いわゆる腐れ縁のようなものなのだろうとことりは推測していた。
彼女たちは、そのまま二人でお祭りを回るんだろうか。それとも別々に誰かと回るのか、一人で楽しむのか、あるいはお祭りなんて関係なしに家でおとなしくしていることもありえる。
霖之助に関しては、まぁ、考えてみる必要すらない。どうせ彼は香霖堂を離れないで、一人で外の世界の道具でも眺めてにやにやでもしているに決まっていた。霊夢たちから聞いた限りだと、霖之助は商品を仕入れに外の世界の道具を探しに行く時以外は大抵ずっと家にいるとのことなので――何度宴会に誘われても一切足を運ばず「忙しいとか言って家で一日中本を読んでいるほど――、まず間違いなくお祭りには参加しない。
彼のように家でじっとしているということも一つの選択肢なのだろう。だけど、せっかくのお祭りにそれはわびしすぎる。ことりはどうしても他の人と一緒にお祭りを楽しむことをしたかった。
「……綺麗だなぁ」
家の外、扉の前。一旦思考を中断し、煌めく夜空を見上げてみて、ことりは感嘆の息を吐く。夜の空なんていつも目にしているが、それでも改めて眺めてみれば、こうして綺麗だと感じるものだ。
きっと明日になって欠けた部分が埋まれば、きっともっと美しいに違いない。そう考えてみると、お祭りのことも相まって、ことりは明日がいっそう待ち遠しくなってくる。
口元に笑みが浮かび、よしっ、と頷いた。
そうと決まれば、なにがなんでも明日には本調子を取り戻さなくてはいけない。今日は早く寝て、できる限り体を休ませて、体力回復に気合を入れるとしよう。
「や、気合は入れちゃ、ダメ、なのかな……?」
そんなことをしたら逆に体を休めなくなってしまうような気がする。なら、気合を入れずに眠るのがいいのだろうか……いや、なんというか、それはそれで治癒能力が肉体の調子を元に戻すという役目をさぼってしまうような感じもする。
むぐぐ、それじゃあ、明日に調子を取り戻して、最大限お祭りを楽しむためには、いったいどんな気持ちで眠りにつくのがいいのだろうか。
明日を楽しみにしながら? わくわくしすぎて眠くなくなってしまいそうだ。逆に、明日なんてどうでもいい、いつもと同じだと感じながら? うーん、と首を傾ける。そんなことしたら、今度は明日が楽しめなくなってしまいそうだ。
玄関の前で空を見上げたまま、あーでもないこーでもないと一人で唸り続ける。見上げた時は輝いていた月も、今はもう雲で隠されて、曖昧な姿で薄暗い光だけを振りまいていた。
「あ、いたぁ!」
難しい顔でひたすら考え込んでいたことりの視界の隅に、ふいと鮮やかな赤色がよぎる。それと同時に、少々の苦労を滲ませた元気な高い声もした。
それはことりにとってほんの少しだけ久しい、聞き覚えのある声音と声色のものだった。
「どこに行ってたんだい、ことりっ! 今日はずっとあんたのこと探してたんだよ!」
夜の暗闇の中でもわずかな光を頼りに色を失わない深紅の髪と、同色の瞳。首元、手首、左足にそれぞれリボンを巻き、ところどころ緑がかった模様のある黒のゴシックロリータは、どこかで聞いた外の世界の言葉を借りれば「あざとい」ファッションなのだろう。
しかしことりよりも少し背が高いくらいのこの少女には、それらよりも特筆すべき体の部位が存在している。それは三つ編みのおさげにした髪を結ぶ黒いリボンのすぐ近くに生えた、人間の耳とはまた別の黒い猫耳。
「お燐……? どうしてこんな時間に、わたしのとこに?」
彼女は火焔猫燐こと、愛称をお燐。ことりと同じ妖獣であり、ことりの
目をぱちぱちとさせて小首を傾げることりに、お燐は怒ったような表情でずんずんと歩み寄ってきた。
「どうして、じゃないよ! 見たよ新聞! 人間の子どもを助けるために火事の中に飛び込むなんて、いったいなに考えてるんだいっ!?」
「え? え? あれ、どうしてそれがわたしだって……新聞には誰がしたかなんて書いてなかったはずなのに」
「書いてなくたってそれくらい簡単にわかるよっ! そんなことする変わり者の妖獣が、あんた以外にいるわけないからね!」
そこまで断言されると、本当にそうだろうか、と疑問を抱きたくなる。もしかしたらこの幻想郷のどこかにはことりと同じように、火事の中に子どもが取り残されていると知って飛び込んでしまうような妖獣も他にいるかもしれない。
そんなことをことりが考えていることを察したのだろうか。お燐は「はぁー」と大きなため息を吐くと、ことりの額をこつんっと拳でつついてきた。
「あんたはまったく……あたいもそうだけど、そういう無茶をしたらさとりさまも心配するんだから」
「さとりさまが? えっと、もしかしてさとりさまも」
「知ってるよ。そもそもあたいはさとりさまにあんたがバカなことをしたことを教えてもらって、あんたの無事を確かめに行ってきて欲しいって言われて探してたんだもん」
それはなんというか、とても申しわけない。しゅんっ、とことりは肩を落として顔を伏せた。
さとり。それが、お燐の主たる少女の名前だ。
ことりの主はそのさとりの妹ではあるけれど、さとりのことも第二の主とでも呼べるくらい深く慕っていた。自分がしでかした余計なことで心労なんてかけさせたくなかった……そうして落ち込みかけて、はたと、ことりは顔を上げる。
「あ、あのさっ! そ、それじゃあ、その……あ、あるじはっ? あるじはわたしがしたことを知ってるのっ?」
「こいしさまかい? うーん……どうだろうね。こいしさまはいっつもふらふらしてて、さとりさまだって居場所を知らないし……こいしさまのことだから、新聞を読むとも思えないけど」
「そ、それってつまり、お燐やさとりさまは、あるじにわたしの無茶について教えてないってことだよね。あるじが知ってる可能性は低いってことだよねっ?」
「まぁ、そうなるね」
「よかったぁー……」
さとり以上に、主――さとりの妹たるこいしには、余計な心配をかけさせたくない。
ほっと息を吐いて一安心といった具合のことりに、お燐は少々目くじらを立ててほんの半歩ほどの距離まで詰め寄った。
「なにがよかったぁ、だい。全然よくないよ。さとりさまは新聞を読んでからずっとあんたのことが無事かどうか気にしてたし、あたいだって必死に幻想郷中をこの一日ずっと探し回ってたんだから。まったく、いったいどこに行ってたのよっ」
「ご、ごめんなさい……その、香霖堂っていうところで焼け焦げちゃった服を新調しに行ったりしてた……し、心配とか苦労とかかけさせるつもりはなくて、わたしのしたことなんてお燐もさとりさまも知らないはずだって思ってて……その、えぇっと……いっぱい迷惑かけて、ごめんなさい」
胸元を押さえ、申しわけない気持ちでいっぱいになりながら、涙声になってしまった声で謝罪の言葉を口にして、頭を下げる。その様子から、ことりが本気で心の底から謝っていることが伝わったのだろう。
お燐は頭を下げたままのことりをしばらく見つめた後、大げさに肩をすくめてみせると、その両肩を掴んで無理矢理顔を見合わせさせた。
「さっきはいろいろ文句言っちゃったけど、本当は迷惑かどうかなんてどうでもいいのよ。そんなことより……ことり、火事の家の中に飛び込んだってことだったけど、体の方は大丈夫なのかい? あんたは妖怪としての力が弱いし、うちらと違って怨霊だって食べたことがないはずだから……」
「あ、体はもう大丈夫。昨日は全身をやけどして動けないくらい痛かったけど、今はもう平気だし……ちょっと歩くだけで倒れたりもしてたけど、たぶん明日には普通に動けるようになるかな」
「全身をやけどって……ことり、この際だから言っておくよ」
ぐいっ、と、鼻と鼻がくっつきそうなくらいにお燐が顔を近づけてきた。反射的に離れようとするが、お燐の両手がことりの肩を掴んだままそれを許さない。
お燐の綺麗な深い紅色の瞳の奥には、力強い意志と、その中に潜むわずかな懇願が見て取れた。
「ことりはもう、自分じゃない誰かのために必死にならない方がいい。どんなことでもね」
「誰かのためにって、わたしはそんなつもりまったくないよ。わたしが満足できないから、わたしがわたしの意思で――」
まだ言葉を紡いでいる途中だったことりの肩を掴むお燐の力が強くなる。一瞬、ことりの顔が歪んだ。
お燐の瞳にわずかな憤怒の念が宿り始めたことがことりにはわかった。
「ことり、いいっ? あんたは危うく死ぬところだったんだよ! あたいやさとりさま、こいしさまやお空、それに他のペットたちだって、火事の家の中に取り残されて、仮に押しつぶされたって生きて帰ることはできるさ! でも、うちらの中で唯一ことりだけはそれができない! そうじゃないのかいっ!?」
「それは……そう、だけど」
お燐や、今お燐が言ったお空などは、ことりとはまるで比べ物にならないくらいに強力な妖怪の力を持っている。それはひとえに、数え切れないほどの怨霊を食べることでその力を自ら鍛え続けてきたからこそのこと。
ことりは怨霊を食べたことがない。ただ、ほんの数百年生きてきただけ。同じ妖獣であってもことりとお燐たちでは、妖怪としての強さもなにもかもが違う。
「妖怪なんてひたすら自分勝手に生きればいいのさっ! 誰かのためにだとかなんだとか、そんなことのために命をかけるなんて、あたいたちのすることじゃないっ! ことりがするべきことじゃないっ」
「で、でも、お燐だってさとりさまのためにいろいろ」
「そりゃあ……主を慕って、そのために動くのはあたいたちの存在意義だから。だからあたいだって、そこまで人のことを強く言えないってことはわかってる……でも、そうじゃないのさ、ことり」
お燐はことりの肩から手を離し、だらんと垂らすと、ひたすらに懇願の色を強くした瞳で、ことりの目の奥を覗き込んできた。
「あんたはこのままじゃきっと……いつか取り返しのつかないことをしでかすことになりそうで、怖くて……」
そう呟いて顔を伏せた少女を、ことりはただ見つめていることしかできなかった。
取り返しのつかないこと。確かに、昨日はそんな風になりかけてしまった。
妖力を使って壁に穴を開ける時、少しでもなにか小さなミスをしていれば、きっと天井に押しつぶされてしまっていただろう。そうでなくとも家中が焼けていたのだから、運が悪ければ、どこかで落ちてきたなにかに押しつぶされたり、家具の下敷きになって身動きが取れなくなってしまうことだって考えられる。そうすれば、間違いなくことりは死んでいた。
「さとりさまだって、お空だって、それこそこいしさまだって……ねぇ、ことり。お願いだから、もうあんな無茶はやめておくれよ」
「……お燐」
「正直さ、さとりさまから話を聞いた時、全身から血の気が引いたんだ。ずっと探して、それでも見当たらなくて、もしかしたらって……あたいは火車、人間の死体を運ぶ妖怪だけど、できることなら
「……うん。ごめんね、お燐。本当に、心配かけて……ごめんなさい」
もう一度、それも初めよりも真摯な気持ちを込めて、ことりはしっかりと頭を下げた。
誰かのために命をかける。ともすれば美徳に見えるかもしれない。
けれどそれは自分を親しく思ってくれている人たちに心配をかける行為であり、もしもそれで命を失ってしまえば、親しかった多くの人たちに悲しみを突きつけることに繋がる。
自分が満足できないからだとか、ことりがどう思っていようが、なんの関係もない。必要でない場面で命をかけることそのものが愚かな行為なのだと、それこそがお燐たちに心労をかけさせる原因なのだと、ことりはようやっと理解した。
「約束する。もうあんな無茶はしない。命を無為に投げ出そうとする真似なんて絶対にしない」
「その言葉、嘘じゃないんだろうね」
「わたしは嘘を吐かないよ。冗談は言うけど。それがことりスタイルだから」
「あははっ! なにそれ。でも、そうだね。ことりが嘘を吐いたことなんて、確かに一度もなかったかもしれないね」
お燐は、いつの間にか滲んでいた自身の目元をごしごしと拭う。そうして次に顔を見せた時には、ほんのちょっぴりだけ恥ずかしげなはにかみ笑いが浮かんでいた。
「悪いねっ、ことり。本当は、こんなしめっぽい話をするつもりはなかったんだ。あたいらしくないしっ。とにかく、ことりが無事そうで本当によかったよ」
「えへへ、ありがと。お燐も元気そうでよかった。それで、悪いんだけど……さとりさまには、心配かけてごめんなさいって、もう無茶はしないって、そう伝えておいてくれる?」
「それくらいはお安いご用さっ。でも、ことりもたまには地霊殿に帰ってきなよ。いくらこいしさまがさとりさま以上の放任主義だからって、地霊殿は、ことりのもう一つの家でもあるんだからね」
そう言うと、お燐はことりの後ろにある小さな家を見上げた。ことりも首を動かし、自身の背後にある木組みの小屋に視線を向ける。
この家はまだここ最近建てたばかりのものだった。地霊殿から寺子屋へは距離が遠すぎて通うことは厳しいから、それができるようにするために建てたもの。弱いことりでも、強い妖怪に生活を脅かされない魔法の森という特別な場所に建てた家。
どちらかと言うと、こちらの方がもう一つの家だと言えるだろう。ことりの本当の家は、お燐やさとり、こいしなどと言った主や彼女たちの住まうペットがたくさん待つ、地霊殿という屋敷だった。
ことりはお燐の言葉にこくりと頷くと、「そういえば」と小屋の家からお燐に向き直った。
「お燐は今、あるじがどこにいるかってわかる?」
「こいしさまの居場所かい? うーん、悪いけど、知らないね。さっきも言ったけど、こいしさまはさとりさまでもどこにいるかなんて知らないから……なにかこいしさまに用事でもあるのかい?」
「うん、少しね。ちょっと前から探してるんだけど、最近は全然見つけられなくて」
「へぇ。それはちょっと意外かなぁ」
「意外?」
「あたいにはこいしさまとことりはいっつも仲良く遊んでるイメージがあったからね。あんまり会ってなかったっていうのは、正直ちょっと意外だよ」
ことりは少しだけ難しそうな顔でなにやら考え込み始めた。
「うーん……確かにあるじと会ったらよく遊ぶし、会う時は本当に毎日みたいに会うけど、たまにあるんだよねぇ、こうやって会えない日が続くこと。あるじのいる場所がわからないなんて……わたしってペット失格なのかなぁ」
「なにバカなこと言ってるのさ! ことりと一緒にいる時のこいしさまは楽しそうだって、さとりさまもよく言ってたじゃないか。あたいにだって、ことりと一緒にいる時のこいしさまはいつもよりはしゃいでるように見えるよ」
「そう、かな。えへへ、それならよかった。ありがとね」
とにもかくにも、お燐にもさとりにもこいしの居場所はわからない。つまりはそういうことだという事実に、ことりはわずかに肩を落とした。
ちょうどその時、ふらりっ、と足元がおぼつかなくなり、お燐へ寄りかかってしまう。
「わっと……大丈夫かい?」
お燐が心配そうに顔を覗き込んでくる。ことりは、少しだけ無理にでも笑顔を浮かべてみせた。
「だ、大丈夫。さっきまでずっと洗濯とかいろいろしてて、今も立ったままずっとおしゃべりしてたから……体がちょっと、疲れちゃってるだけだから」
「それならいいんだけど……悪かったね、ことり。体調がよくないのに長話に付き合わせちゃって」
「それくらいいいよ。お燐やさとりさまが心配するのだって当然のことだもん。わたしが悪いんだから」
お輪に支えられながら歩いて行き、がちゃり、と小屋の扉を開けた。そうして床にそっと降ろされると、お燐はことりのそばから離れて外へと向かった。
「あたいはもう帰るねっ。これ以上はことりに迷惑がかかるだろうし。ちゃんと体調には気をつけて、できればしばらく安静にしているようにしなよ。そうでないと、さとりさまも心配するから」
「えへへ、うん。さとりさまもそうだけど、お燐にも心配かけちゃうし……もう今日は早く寝て体力回復に努めるね」
その返答にお燐は満足そうに首を縦に振ると、開いた扉の外側の取っ手を掴んだ。
「それじゃ、また来るよ、ことり」
「うん。またね、お燐」
ばたんっ、と扉が閉じられて、小屋の中にことりが一人になった。
ことりは小さく息を吐くと、その場でゆっくりと立ち上がる。カーディガンやワンピースを脱ぎ、左目を塞ぐように巻いていた包帯も外し、素早く寝間着に着替えてから、小さく息を吐いた。これでもう、いつでも寝られる状態になった。
夜更かししているつもりはない。お燐に答えた通り、ことりはすぐにでも寝るつもりだ。
ベッドに横になると、毛布を体にかけて丸まった。
「……お燐はあいかわらずだったなぁ」
ふと、呟く。いつもいつも、ペットたちの中で一番弱いだろうことりのことを気にかけてくれる。彼女は、数多くのペットの中でもさとりにもっとも頼りにされていると、ことりは思っていた。ことりだって、お燐には他の誰よりも家族思いだという印象を抱いていた。
できることならもう心配はかけたくない。約束通り、命をかけるような無茶はもう控えなくてはならない。そもそも、そんな状況になることは少ないのだけれど、それでもだ。
元々体が疲れていた。視界が朧気になり始める。思考が曖昧になり始める。もうあと十数秒もすれば眠ってしまうような、それほどの眠気がことりの意識を占めていた。
「明日は……あるじ、見つけられるといいな……」
小さく、ぼやく。
ことりが最後に考えていたのは自分の飼い主、ご主人さまのこいしのことだった。
早くもう一度会いたい。そうしてできることなら、彼女と一緒にお祭りを――。
次の思考を広げる間もなく、その後すぐに、ことりは眠気に逆らえずに意識を完全に手放した。