祭りは昼間から始まる。日が出てからというもの、そこら中を駆け回るやら踊るやらで騒がしかった人里は、今はそれ以上にがやがやと賑やかになっている。西の空はすでに赤く、東の空は暗くなっているが、それに反して賑やかさはまったく衰えない。
茶屋や居酒屋などにはいつもの装飾に加えて、桜の枝や火を灯した提灯がぶら下げられており、道の左右に立ち並ぶ今日限りの数多くの屋台にも、同じものが飾られている。お客たちが店のすぐそばで談笑していたり、隣同士の屋台の店主で楽しげに会話をしていたりもしていた。
明らかにいつもよりも人の数が多いことから察するに、里を出歩く人間の中には妖怪が化けている者が多くいるのだろう。人間たちもそれはわかっているようで、自警団らしき服装をした人間が見回りをしている様子も見て取れる。
中には人間に化けずに妖怪としての姿そのままに里に出てきている者もいる。ただ、そのどれもこれもが化け物じみた姿ではなく、ことりのように人の体に獣としての特徴が加えられた程度の比較的人間に近い容姿をしていた。もしかしたら本来の姿は化け物のようなものかもしれないが、そんな姿で里に訪れられても混乱を引き起こされたとして退治されるだけだ。
妖怪としての特徴をさらしたままの彼、もしくは彼女らは、人間に化けているだろう妖怪以上に自警団から警戒されている。ただ、それでも里を出歩くことは見逃されていた。そもそも人間の里でも実は夜ならばそれなりに妖怪が出歩いたりもしていて、妖怪専門の店だってあったりもする。昼間にも出歩く者が稀にいるが、ごくごく少数の、それも比較的人間に害の及ぼさない妖怪ばかりだった。
妖怪もいるということで若干不穏な空気が漂っていると感じる者もいるかもしれないが、ことりはそうは感じない。人間も妖怪も関係なしに、皆、これから始まる祭りが楽しみでたまらないと言った風に笑顔を浮かべていた。
妖怪は人間の敵ではあるが、人間に益を及ぼす妖怪もいる。座敷わらしなんてその典型だ。そして、里に訪れるような妖怪はその大抵が人里の人間に危害を加えてはならないという幻想郷のルールを理解した者であり、仮にそれを侵してしまえば、この幻想郷からその存在を抹消されてしまうことも知っている。人間たちはそれらを知っているからこそ、こうして妖怪の隣人を恐れることなく笑い合うことができていた。
「……はぁ」
ことりはそんな中、一人うなだれて、とぼとぼと道の真ん中を歩いている。その口から漏れた息は落胆の色を多く含んでいて、辺りの明るい雰囲気とはまるで対照的だった。
ことりは昨日はお燐と話をした後はすぐに寝たおかげで、今日の朝には火事の家に飛び込む以前にかなり近い調子を取り戻すことができていた。今のことりは寺子屋に通う時のように一桁後半程度の人間の子どもに化けており、その服装もあちこちを駆け回る子どもたちと同じような目立たない色の着物だった。
実際には、本来の姿ではワンピースにカーディアンと左目に包帯と言った昨日と同様のものなのだが、そちらも今の服装に化けさせている。
狸の長を名乗った女性いわく、多くの妖怪は人間に化ける際、服ごと体として化けるか、服は別に用意しているらしいが、前者ではいざ不都合が起きて変化が解けてしまった時に裸になってしまう。後者だと、本来の身長と変化後の背の違いの関係で、身の丈に合っていない服を着なくてはならなくなってしまう。だからことりは体と服を別々に化けさせる方法を取っていた。
「うぅ、あるじぃ……どこにいるのぉー」
ことりの知る限り、彼女のいそうな場所を起きてから今に至るまでずっと駆けずり回っていた。ここにもいない、そこにもいない。昨日、お燐が自分を探していた時もこんな苦労や落胆の念を抱いていたのかもしれないと思うと、もう一度直接会って謝りたい気分にもなってきた。
人間の里では人間に化けて探していたから、途中、寺子屋での知り合いに出会ったりもして、一緒に祭りを回らないかと誘われたりもした。その中にはいつもことりの隣に座る少女も含まれている。だが、ことりはそのすべてを丁重に断った。ことりはどうしても、このお祭りを自らの主たるこいしと見て回りたかった。
そう思って昼間中ずっと探していたのに、ご主人さまの影も形も見当たらない。そうなればこうしてしょんぼりした気分で道を歩いていてしまうのもしかたがないことだろう。
一人で後半の夜のお祭りを見て回ることも、できる。一度拒否してしまったうえにかなり遅い時間ではあるが、ことりの方からお願いをしに行けば、きっと寺子屋の子どもたちも仲間に入れてくれるはずだ。でも。
「……帰ろ」
今のこんなしゅんとした心持ちでは一緒に回る人たちにつまらない気持ちを味わわせてしまう。ことりはそれだけは絶対に嫌だった。
それならいっそ、むしろもうこのお祭り騒ぎの場からは去った方がいい。どうせ楽しめないのなら、ふて寝をしてしまうのが一番いいのだ。
そう結論を出したことりは、弱々しい足取りで里の出入り口に向かっていた。里の外に近づくに連れて、活気は徐々になくなってくる。それは当たり前のことなのだが、今のことりには、段々と周りの空気が自分のネガティブな情感に影響されて閑散としてきているように錯覚してしまう。
祭りのことを知ってから、ずっと思っていた。このお祭りはこいしと一緒に見て回りたいと。最近はいろいろなところに足を運んで、彼女のことをずっと探していたりもした。
会える時は本当にたくさん会えるのに、どうしてこんなに会いたい時には出会うことができないのか。そんなことを考え続けることりの気分は、沈みに沈んでいた。
そんな風に下を向き続けて、前を見ていなかったせいだろう。ことりは、自分の歩く先に一人の女性がいることに気づけなかった。
「わっ――ぷ」
壁ではないなにかと衝突して、顔がなにやら柔らかいものに当たった。その瞬間に否定的な思考に沈んでいたことりの意識は引き戻され、おかしな感触と唐突に変化した視界に目を白黒させる。
「なんじゃ、お前さん、初めて会った時と比べてずいぶんと元気がなさそうじゃのう」
「この声は……」
半ば反射的に顔を上げると、すぐそばにことりを面白げに見下ろす一人の女声の顔があった。
ことりはそれに見覚えがある。ほんの二日前、ことりに団子を買った茶屋の場所を教えてほしいとお願いをしてきて、けれどその正体は人間の子どもに化けていたことりを懲らしめようとしていた、狸の長の女性。今の彼女は人間の里に来ているだけあって、妖獣としての耳も尻尾もなく、人間に変装した格好をしている。
ここまで至って、ことりはようやく自分が彼女とぶつかってしまったことに気がついた。そして、今自分がこの女性のお腹に顔をぶつけたのだということも。
ことりはすぐに彼女から体を離すと、素早く小さく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。その、前を見てなくて……」
「ん? あぁ、こんな程度でいちいち謝らんでもいいわい。そもそもおぬしを見つけて歩く先で佇んでいたのはわしなんじゃからな」
そんなことより、と目の前にいる女性は訝しげに首を傾けてみせた。
「お前さん、いったいどうしたんじゃ? 団子のにおいに頬を緩めていたおなごと同一人物とは思えないくらい、どうも意気消沈していた風じゃったが」
「あ、その……」
目を伏せることりが語り出すのを、狸の女性は静かに待っていた。
「……あるじが、見つからなくて。今日のお祭りのことを知ってから、ずっと一緒に回りたいと思ってたのに……だから、もう帰ろうかなって……」
「主、とな。そういえば、わしが変化の術を師事してみないかと聞いた時もお前さんは言っていたな――――己が主に許可をもらえたら、と」
目を細めつつの狸の女性の言葉に、ことりの脳裏にあの日の提案を受けた続きの光景がよぎった。
『――わしならお前さんが今以上に術を使いこなせるように指南してやれる。お前さんができる変化の幅を広げてやれる。それに、お前さんの才覚ならば、もしやいずれ狸の長たるこのわしに次ぐ化け力を手に入れることもできるやもしれん。どうじゃ? 悪い話ではないと思うんじゃが』
不敵な笑みを浮かべて、女性はことりに手を差し伸べてくる。
この女性の言う通り、確かに悪い話ではないどころか、むしろことりに得しかないような話だった。
ことりは妖怪としての力がとても弱い。お燐たちと同じように怨霊を食べればそれを鍛えることはできるけれど、ことりはどうしてもそれが怖くてしかたがない。自分の脆弱な精神が、他者の魂を取り込むという行為に耐え切れるとはとても思えなかった。
女性が言う変化のうまさという特徴が、力のないことりの妖怪としての唯一の取り柄と言ってもいいかもしれない。その力をただの好奇心かなにかで彼女は無条件で伸ばしてくれるというのだから、それは願ってもないことだった。
だから、ことりもその手を取りかけた。だが、その指先に触れかけて、ふとことりは自分の手を引いた。
『む、どうしたんじゃ?』
『あの! そのっ……わ、わたしはぜひお願いしたいところなんですけど、こういうことはあるじに許可をもらってからにしたいなって。ないとは思うけど、もしかしたらあるじがダメって言うかもしれないから』
『主? なんじゃ、もしやおぬし、誰かの飼い犬かなにかじゃったのか? 式神というわけではなさそうだが……』
『は、はい。だからその、できるならあるじに許可をもらってからにしたくて……返事は保留っていうことで、どうかお願いできませんか?』
見上げるようにして狸の長を名乗る女性に懇願をする。彼女は、「ふむ」とほんの少しだけ思慮したかと思うと、すぐにこくりと頷いた。
『あいわかった、いいじゃろう。ならば次に会った時、その主とやらに許可をもらえていたら返事をもらおうかの。それでいいか?』
ことりはその申し出に迷うことなく首を縦に振った。お祭りのこと以外にも、彼女に会わなくてはいけない理由が増えた。
そんな会話を広げた後には、全身の怪我のせいでろくに動けないことりは女性に家の近くまで送ってもらった。それから眠りにつき、そうして、昨日の朝に記憶は繋がる。
「その、ごめんなさい。まだあるじには許可をもらえてないんです。わたしのあるじって、いっつもどこかふらふらしてて、誰にも居場所がわからなくて……ごめんなさい」
「だから、そんなことで謝られても困るだけじゃて。妖怪がそう簡単に謝罪なんてするもんじゃないわい。それに、そんなに暗くしていたらせっかくの祭りも……いや、帰ろうとしていたんじゃったか」
「はい……今のわたしじゃ、誰といてもつまらなくさせるだけだと思って」
そう答えたことりに、いかにも呆れたと言わんばかりに女性は大げさに肩を竦めてみせた。
「わしはな、おぬしのように変わった妖怪は好きじゃよ。特に、お前さんのように見知らぬ他人のために懸命になれるような妖怪なんぞ見たこともないもんじゃからな、実はそれなりに興味を持っておる。じゃが、今のおぬしがしているような考え方はどうも好きにはなれん」
「えっと、それってどういう」
「人を楽しませることを前提とした考え方が、じゃよ。そりゃあ人を楽しませることを本業とする者もおる。じゃがな、人間だろうと妖怪だろうと、感情なんぞ結局はしょせんその本人だけのものじゃ。特にこういうお祭りにおいては、人を楽しませることよりも自分が楽しもうとすることの方が大事なはずなんじゃないか?」
ことりはあまり頭がいい方ではない。女性の表現の仕方に、わけがわからなくて小首を傾げるばかりだった。
そんなことりのことをわかっているだろうに、彼女は、構わず言葉を続けていた。
「人を楽しませようとして楽しませるのではない。自分が楽しむことで、他の者にその気分に伝染させる。それが一番なんじゃ。想像してみるんじゃよ。ともにいる者がその心の底ではほんのわずかにも楽しく思っておらんかったらどうじゃ。自分だけが楽しんでいただなんてわかってしまえば、それは実に滑稽なことじゃないか」
「えっと……その、よくわからない、けど……そもそもわたしはもうこのお祭りを楽しめそうにないんです。元々あるじと回りたくて、今日だってずっと探してて……だから帰ろうって」
「ふむ、それならお前さんはわしと来い」
「え?」
「わしと祭りを回れと言ったんじゃ。わしが楽しむためにな」
「そんな勝手な――」
思わず口から文句が出かけて、即座にその口を自分の手で塞いだ。
人間に化けているにせよ、仮にも目の前にいる女性は狸の長を名乗る大妖怪なのだ。不快な気分をさせてしまえば、もしかしたら懲らしめられてしまうかもしれない。
わずかな恐怖を胸に、すぐさま謝ろうとしたことりを、けれど女性は手のひらを見せて、止めた。
「勝手じゃよ。妖怪なんて、普通は誰よりも自分勝手なもんじゃ」
「でも、わたしといても、きっとあなたをつまらなくさせるだけだよ」
「そうかもしれんな」
「そう思うならっ」
「その時はわしが判断を誤っただけの話じゃ。狸の長が、化け力だけが取り柄の幼い妖怪に化かされただけの、ただただ滑稽な酒の席で語るような噺になるだけじゃよ。そんなことでお前さんを責めたりはせん」
それでも言い返そうとすることりを、女性は少々うざったそうに手を軽く振って押しとどめた。
お前さんがなにを言おうがどうでもいい、わしの考え方は変わらない。ことりには、彼女が言外にそう告げているように感じられた。
「とにかく、お前さんはわしと来るんじゃ。ちょうどわしも、この夜の祭りを一人で回るには少々物足りないと思っておったところじゃて。実にちょうどよかろう」
「えっ? あ、そのっ、ちょっとっ」
ことりの手を引いて、ことりがこれまで歩いてきた道を進み出す女性を、ことりは引き止めようとした。
「ふぉっふぉっふぉ、安心せい。拒否権は与えん。逃げたらばつげーむじゃよ。お前さんを初めて見つけた時にやろうと思っていた、怖い怖い、狸の長からの素敵なお仕置きをするだけじゃ」
「ひぇっ!?」
びくりっ、と一瞬体が跳ねたかと思うと硬直したことりを、これ幸いと言わんばかりに女性が引きずっていく。
ことりが完全に冷静さを取り戻す頃には、すでに辺りは祭りの喧騒に包まれていた。どうやらことりが里から出ようとしていた間に、もう後半の夜のお祭りが始まってしまっていたらしい。
未だことりの手を引いたままの女性をおそるおそる見上げてみると、彼女は立ち並ぶ多くの屋台を眺めながら、実に愉快げにほくそ笑んでいた。
ことりよりも妖怪としてはるかに強いこの女性から逃げられるとは思えない。仮に逃げられたとしても、その先には懲らしめられる罰ゲームが待っている。ことりにはもう、この女性と祭りを見て回る選択肢しか残されていなかった。
「ほう、あれなんぞなかなか面白そうじゃないか。ほれ、行ってみるぞい」
「うぅー……はい……」
握られた手の力加減はことりが引き離そうとすれば簡単に実行できるくらい弱く、優しく、柔らかいもので。それでもことりは女性から逃げようとはせず、小さく肩を落としながらも、大人しく彼女の手に引かれて行った。