狸の長という女性に引きずられて屋台を回ること、十数分。あれやこれやといろいろと見て回っていたが、未だに彼女の好奇心は衰える様子はない。
とにかく目についた気になったものに足を運んでいき、ある程度満足すれば、また片っぱしに別の場所を回る。狸の長だけあってことりよりもはるかに長く生きているだろうに、ありふれた祭りをどうしてこんなにも楽しめるのだろう。
「ん? どうしたんじゃ? ずいぶんと不思議そうな顔をしておるな」
「あ、いえ……その、どうしてあなたはお祭りをそんなに楽しめるんですか?」
「なんじゃ、藪から棒に。お祭りなら楽しむのが当然じゃろうに」
聞き方が悪かった。ことりは首を横に振ってみせると、少し言葉を選んでみることにした。
「そうじゃなくて、えっと……あなたはたぶん、わたしが想像してる以上に長生きだと思うんです。それならいくらでもこういうお祭りは経験したことがあるはずですし、どれもこれもありふれたものじゃないですか。どうしてそんな、いろんなものを初めて目にしたみたいに楽しむことができるんですか……?」
「ふむ、そういうことか。まぁ、いかにもわしはおぬしの何倍も生きてきてはいるがな、それとこれとは話は別じゃろう」
「別、ですか」
狸の女性はちょうど人がいなくなって空いた輪投げの屋台を見つけると、喜々としてそこに足を運んだ。不意なことに少し遅れたことりも小走りで駆け寄ると、ちょうど彼女がお金を払い終えるところだった。
一から三までの番号が割り振られた横一列の棒が、上から三段並んでいる。それに目がけて輪っかを構えながら、女性は話の続きを口にする。
「わしは幻想郷では新参者なもんでのう、最近まで外の世界にいたんじゃ」
「えっ!? 外の世界にっ!?」
外の世界。それは、あらゆるものが幻想郷よりもはるかに進んでおり、科学という技術が発達した結果として、幻想の存在が駆逐されてしまった世界だとされていた。幻想を取り込む結界の性質によって外の世界で忘れ去られたものは幻想郷に流れ込み、同じく結界の作用で、外の世界では不安定だった存在が安定したものとなる。その仕組みで今現在も幻想郷には知らず知らず妖怪や神などの幻想が増え続けていることだろう。
ただ、外の世界で忘れられたものが幻想郷に流れ込んでくるということは、それはつまりこの幻想郷にいる幻想の存在のほとんどはすでに外の世界で存在が危うくなってしまっていることを指している。そして、幻想郷にはすでに多種多様な妖怪が数多く存在している。だというのに最近まで外の世界にいたとなれば驚かざるを得なかった。
「まぁ、外の世界にいたというか、今でもあっちに戻ることはできるんじゃがな。ふぉっふぉ、わしほどになれば幻想郷と外との行き来も自由自在じゃて」
「お、おぉ……! すごいんですね……」
さすがは狸の長を名乗るだけはあるのかもしれない。ことりは無意識のうちに若干の憧れの視線を送っていた。
狸の女性が棒に目がけて輪っかを放ると、からんっ、と音を立ててちょうど真ん中の二の棒に輪っかが通る。縦でも横でも斜めでも一列揃えれば景品がもらえるらしいため、真ん中に入ったこの一発は幸先がよかった。
二つ目の輪っかを手に取ると、狸の女性はそれを指でくるくると回し始める。
「お前さんも外の世界の文明が進んでいるのは知っておるじゃろう? じゃから幻想郷のお祭りはちょっとばかり懐かしくてのう、ついついいろんなものに目移りしてしまう。それに、昔じゃ見なかった面白い幻想郷だけの屋台なんかもたまに見つけるんじゃ。これで楽しくないわけがないわい」
「外の世界……あの、外の世界のお祭りって、いったいどんなものがあるんですか?」
「こういう輪投げや射的、あるいは水飴……そうじゃな、大体は幻想郷に並ぶ屋台と変わらんよ。ある程度種類が違ったり、あるいは多いくらいじゃ。強いて外の世界だけにある特別なものと言えば、夏の花火じゃな」
指で回しながら投げられた輪っかは、見事に上段の二の棒に入った。真ん中こと二段目の二の棒と合わせて、縦に二つ並んだ。あとは一番下の段の二に入れば景品を手に入れることができる。
「幻想郷にも花火はあるが、外の世界とは比べ物にならん。夏の花火なんか絶景じゃ。外の世界のそれは、星の爆発とさえ錯覚しそうになる空を埋め尽くさんばかりの光の花じゃよ。それも一発や二発、三発や四発では終わらん。何十、何百と合間を空けず、何十分も天を人の往来の何倍も賑やかすんじゃ。言葉では表現し切れん、形の残らない絶景と言える」
「ふぁあ……天を埋め尽くさんばかりの、光の花……」
想像してみる。この空に広がっている満月と、無数の星々。それらすべてより荒々しく、けれども鮮烈的で美しい、空に咲く光の花々を。
咲いて、散る。咲いては散る。何度も、何度も。光が弾き、空を彩り、そこら中に光の花弁と花粉を散らす。
それはなんと美しい輝きなのだろう。ことりは、胸が高鳴るのを感じていた。想像するだけでこれだけ綺麗なそれは、いったい現実ではどれほどまでに鮮やかなものなんだろうか。
「わたしも見てみたいなぁ……」
「そうかそうか。そうじゃな。外の世界に連れて行くことはできぬが、今度、狸たちを訓練して変化の連続で花火を再現できるようにしてもいいかもしれん」
「そんなことができるんですかっ?」
「ふぉっふぉ、わしを誰だと思っとるんじゃ。それくらい朝飯前じゃよ」
「ほわぁ……」
それなら、いつか自分もその空を埋め尽くさんばかりの光の花とやらも見ることができるのだろうか。もしもそうなら、それほどわくわくと心躍るものはない。
興奮に胸が冷めやらないと言ったことりを一目見ると、狸の女性は「ふむ」と顎に手を添えて唸った。
「よし、あとはお前さんに任せるとしようかの。ほれっ」
「えっ、わ、わわっ!?」
狸の女性から唐突に輪っかを投げ渡され、取り落としそうになりつつもことりは慌てて受け取った。
「な、なにをっ……?」
「聞いとらんかったか? あとはお前さんに任せると言ったんじゃ。自慢じゃあないが、わしじゃどうも狙ったところに入りすぎる節がある。お前さんが投げる方が、わしが楽しめそうじゃからな」
「そんな、勝手……な……」
口からでかけた文句は、自然としぼんでいった。
確かにこうして輪投げを任されたのは彼女の自分勝手な理由によるものかもしれない。でも。
胸の前に、輪っかを持っているのとは逆の手を置いてみた。どくんっ、どくんっ、と胸の内に鳴る鼓動が意識できる。
幻想郷とはまた違った外の世界のお祭り。数十分にもわたる、天空を染め上げる巨大な花畑。そして、それを模したものがいつか見られるかもしれないという期待。そんなものを抱き、想像し、心が高揚しないわけがない。
いつの間にか、底の底まで沈んでいた気分は平常時のそれと変わらなくなってきている気がした。
「……ふぅ」
一度、大きく息を吐いた。胸の内で自己主張していた、興奮と、混乱をそれでどうにか少しだけ収める。
輪っかを構えた。狙うは、三段あるうちの一番下の段の二番。
もう一度、今度は小さく息を吐いて。
目を細め、しっかりと狙いを定めてから輪っかを片手で放ってみた。
「あっ……」
「惜しいの」
投げた輪は棒の少し手前で落下し、かんっ、と音を立てて側面から弾かれる。惜しいとは言うものの、結局はどの棒にも入っていない、なんの意味もなさない一発になってしまった。
狸の女性がやった最初の二つはせっかくうまく入っていたのに、自分がそれを崩してしまった。また、機嫌が降下し始める。元々今日はついていない日で、どんなに期待しても、結局はこんな風になってしまうんじゃないか。やっぱり楽しめないかも、なんて。
そんなことりの手元に、再度輪っかが一つ投げ渡された。
「えっ……?」
「言ってなかったかのう。四つある輪っかのうち、三つを狙った場所に入れればいいんじゃよ」
「い、言ってないです……」
ことりは、手元にある輪っかに視線を落とした。冷静に考えれば、四つ以上あることは当たり前だ。でなければ、三つすべてを狙ったところに入れないと景品がもらえないことになってしまうのだから、商売が儲からなくなる。
意を決して、もう一度ことりは輪っかを構えた。右手だけで持ち、手先を体の左側へ、そして手首をひねるように。
これが正真正銘の最後のチャンスだ。これを外してしまえば、本当のおしまい。そう考えると、ほんの少しだけ萎縮しかけてしまう。
「大丈夫じゃよ。お前さんならやれる」
「……わたしなら……」
横からかけられた狸の女性の言葉が胸の中に広がっていくのを感じた。わたしならやれる、わたしならやれる。
ことりは妖怪としての力は弱いし、頭も弱い。精神だって怨霊を食べるだけの勇気もわかないくらい脆弱だ。得意なことなんて変化くらいしかない。自分に自信を持ってなにかに取りかかるなんてこと、滅多にしたことがなかった。
だから、わたしならやれる、なんて。そんな風に思いかけると、本当にそうだろうか、と自分の方から否定したくなる。
ことりは、無意識に視線を狸の女性の方に向けていたことに気がついた。彼女はそんなことりの目線に、にやりと口の端を吊り上げて不敵に笑い返して。
あまりに自信満々なその表情が、ことりの抱いていた不安を溶かしていく。
「……今なら」
今なら、できるかもしれない。
棒が並ぶ方へと向き直った。溶けた不安は数秒もすればことりの中に戻ってくることだろう。けれど溶けたばかりの今ならば、平常心で輪っかを投げられる気がした。
ほんの少しだけ、わずかに深呼吸をする。
ことりは右手に持っていた輪っかを、曲げていた腕を開くようにして棒に目がけて投げ放った。
「――――あ」
「見事じゃ」
その輪はことりが入れたいと願っていた一番下の段の二の数字が当てられた棒に、からんからんと音を立てて通った。
「や、やった……の?」
一瞬だけ、ことりは放心してしまう。周囲は人々の往来でがやがやと騒がしいはずなのに、今だけはことりと狸の女性だけしかいないかのように、どうしてかひどく静かに感じられた。
けれどそのすぐ後には、その騒々しさが一気にことりの心を刺激する。ずっと聞こえていたはずなのに、急にうるさくなったような外界からの賑やかな喧騒に、どくんっ、とことりの心臓が大きくこだました。
同時に、これまでのしぼんでいた気分が嘘のように歓喜の激情が体を駆け巡る。ずっと沈んでいたことりの感情が一気に引きずり出されて、不安や落胆、外すかもしれないなんて恐怖やわずかな緊張さえ勢いよく吹き飛んでしまった。
「や、やったっ! 入った! 入ったよ! ちゃんと狙ったところに入れられたぁ!」
「おっと」
ことりは敬語も忘れて狸の女性に抱きついた。狸の女性は少しだけ驚いたように目を見開いてことりを受け止めると、ことりが見せる表情を目にし、すぐに自身も破顔する。
ことりの顔には自然と、今日はずっと浮かべていなかった無邪気な笑顔が姿を見せていた。
次話で一章は終了(の予定)です。