「こんな往来でいったいなにをしておるんじゃ、おぬしらは……」
「んぐぅっ」
狸の女性はことりにイタズラをしていたこいしの服の後襟をひょいっとつまみ上げると、いとも簡単に彼女をことりから引き離した。
ことりはほっと一息を吐くと、ずれかけていた襟の辺りを整え直す。実のところ、変化も解ける寸前だったりした。
片手を頭の上に乗せ、もう片方をお尻の上に伸ばして、妖獣としての耳や尻尾が飛び出ていないことを確認する。こういうところは動揺するとすぐにぴょこんっと出てきてしまうから注意しなくてはならない。
初めはずっと探していたご主人さまたるこいしに出会えたことで勢いあまって抱きついてしまったことりだったが、こそばゆいことを人のたくさん出歩いている道の真ん中でされたこともあって、どうもいくぶんか興奮も収まってきた。
代わりに、あるじとじゃれあっているところを他の人に見られてしまったかもしれない、とこいしにいじられていた時以上の羞恥の色に顔が染まってしまっていたけれど。
「と、とにかくあるじっ! まさかこんなところで会えるなんて……今日はずっと探してたのに全然見つからないんだもん。でも、よかったぁ……もうかなり遅い時間だけど、会うことができて」
「探してた? 私を? ことりちゃん、なにか用でもあったのー?」
「用もなにも、今日はお祭りだよあるじ。お祭りのことを知った時から、ずぅーっとあるじと一緒に見て回りたいって思ってたんだから」
「あぁー、そっかそっかぁ。今日はお祭りだったんだね。だからこんなに賑やかだったのねぇ。全然気づかなかったわー」
いろいろな装飾があるし、屋台が並んでいたりいろんな催しがそこらで繰り広げられているさまはどう見てもお祭りなのだが、長い付き合いでこいしが相当な天然だということはことりが一番理解している。こいしは言葉通り、今日がお祭りだとは今の今まで本当に気がついていなかったのだろう。
ただ、昼間からずっとお祭り騒ぎだったというのに気づいていなかったというのは、さすがに度が過ぎる。いつもはこいしの予測不可能な言動にあるじあるじととてとてついて回っていることりだが、今回ばかりは呆れたように息を吐いた。
ただ、口から出てきたそれには呆れなどよりも、どうにも歓喜の念が多く含まれてしまっている。当たり前だ。たとえこいしに会えなくても祭りを楽しもうとするだけの心の持ち方ができたとしても、今日中ずっとこうして会うことを願っていたことは間違いないのだ。そして今まさにそれがかなっている。ことりの頭の中は、すでにこいしとどうやってお祭りを楽しむかということで大半が占められていた。
こいしの手を引こうと自分の手を伸ばしかけて、はたとそれを止めた。こいしに出会えた喜びで忘れかけてしまっていたが、すぐそばに狸の女性がいることを思い出す。
「そうだっ! ねぇ、あるじ。えっとね、わたし、この人に変化の術について弟子入りしようと思ってたんだけど……その、いいかなっ。あるじがダメって言うなら、やめるけど……」
「弟子入りっ? わー、面白そうー。ダメなんて言うわけないじゃん。そもそも私にことりちゃんの行動を制限する権利なんてないしー、そんなことしたってことりちゃんがつまらなくなるだけだろうし」
「ほんとっ? 弟子入りしていいのっ? えへへ、ありがとあるじぃ」
ことりは再度こいしに抱きつきかけたが、それは狸の女性に阻止されてしまった。また初めにこいしと遭遇した時のようなことになられてはたまらない、と言った具合だった。
狸の女性は腰に手を当てて肘を張ると、ことりをじっと見据え出す。
「どうやら、話は決まったようじゃの。わしからも改めて聞いておくが、お前さんはわしに変化の術について師事を求める。そういうことでいいんじゃな?」
「はいっ! ぜひよろしくお願いします!」
「承った。それにしても……こやつがお前さんの主じゃったか。意外というか、あるいは得心とでも言うか……」
「え? えっと、もしかしてあるじと知り合いでしたか?」
「わしはそう思っとるが、どうも、お前さんの主はわしのことなんかさっぱり忘れてしまっておるように見える」
知り合いだという言葉に、こいしは狸の女性に目を向けていたが、難しそうな顔で首を傾げていた。単に狸の女性がことりと同じように人間に変装しているからわからないだけだとは思うのだけど、なんとなく、変化を解いたとしても首を傾け続けるこいしの姿が想像できてしまった。
彼女はいろいろと忘れっぽい性質をしている。一度や二度会った程度では、よほど印象が強くなければこいしの記憶には残っていないだろう。
「まぁ、わしとこやつの関係なんてそれこそどうでもいいことじゃ。そんなことより、お前さんはそこの主とともにお祭りを楽しむんじゃろう? どうかわしも仲間に入れてくれんかのう」
「なに言ってるんですかっ。わたしは元々あなたと一緒にお祭りを回ってたんだから、わたしは初めから三人で回るつもりでしたよっ」
「ふぉっふぉっふぉ、なんじゃ、そうじゃったのか。いや、そうじゃったな。お前さんはそういうやつじゃった。ならば、ありがたく同行させてもらうとしようかの。お前さんもそれでいいかい?」
最後のお前さん、というのはことりではなく、こいしに向けてのものだった。
こいしはちらりと、一瞬だけことりを探るように横目で覗き込んだが、ことりがそれに気づいた時には狸の女性の方に向き直っている。気のせいだったかな、とことりが小首を傾げるかたわら、こいしは狸の女性の確認にこくこくと二回頷いた。ともに回ることに対しての了承の意だ。
「それはそれとして、ところであなた、名前はなんていうの?」
こいしが問いかけて、はたとことりは気づく。そういえばことりはまだこの狸の女性と自己紹介をしていない。こいしがことりの名前を何度か呼んだことからあちらはことりの名前を把握しただろうが、ことりはこの狸の女性の名前は知らなかった。
それに、と今度はことりがこいしの方を一瞥する。
こいしが他人の名前を聞くなんて珍しい。いつもは「どうせ忘れるから」と言った具合に、興味を持たないことにはとことん無頓着なスタンスなのに。
狸の女性は「おぉ、そういえば名乗っておらんかったな」とことりに小さく頭を下げた。
「わしは二ッ岩マミゾウという。今は人間に変装しておるが、こう見えても化け狸の長じゃよ。して、お前さんらは何者かな」
「古明地こいし。そこら辺をふらふら散歩するのが趣味の放浪妖怪だよー」
「わたしのあるじでもあります。それから、あるじが何度か名前を読んでましたけど、わたしはことりです。これから変化のことでもたくさんお世話になると思うし、えっと……」
ことりは腕を組んで少しだけ考え込んだ後、めいっぱいの笑顔でマミゾウと名乗った女性を見上げた。
「どうぞよろしくお願いします、ししょーっ!」
ことりの呼び方にマミゾウは数秒ほど目をぱちぱちと瞬かせていたが、次第に口元が緩んでいった。どことなく嬉しそうに見えたのは、ことりの勘違いではないだろう。
ことりは自らの主たるこいしと、自らの師匠たるマミゾウの手をそれぞれ掴むと、二人を引いて人里の道を歩き始めた。
「よぉーしっ、もうすぐ祭りは終わりだろうけど、わたしたちにとってはまだまだこれからだよっ!」
マミゾウに親切にされて、ずっと探していたこいしを見つけることができて、ことりの気分はこれまでにないくらい、それこそ最高潮と言えるほどに高くなっていた。
こいしを見つけられないからってふてくされて帰ってしまわなくてよかった。マミゾウと会うことができてよかった。こいしを見つけることができて、本当によかった。
今日という日はことりにとって、最高の一日になりそうだった。
「一緒にいっぱいいっぱい、楽しもうねっ!」
春のお祭りを彩る満月が、ことりの一切の邪気がない無垢な微笑みを照らし続けていた。
少し前の方で、一人の少女がふんふんと鼻歌を口ずさみながら歩いていた。
無邪気で、純粋で、人を疑うことを知らないような、いかにも幸せそうな表情をしている。
昔から、私はそんな彼女を見ていることが好きだった。そんな彼女と遊んでいることが好きだった。
ただ、今日の彼女の笑顔はただ単に私と遊ぶ時のものとは違う。いつにもまして嬉しそうで、いつにもまして楽しそう。それはきっとこの妖怪が関係しているのだろう、と私は視線を横に向けた。
「うん? どうしたんじゃ?」
目を向けられたことに気がついたらしい。マミゾウという、今は人間に化けている妖怪が不思議そうに私を見つけてきた。
私は前を歩く少女の距離が少し離れていること、彼女が耳をそばだてていないことを確認してから、マミゾウに向き直る。
「ねぇ、ことりちゃんになにしたの? 私の前でも、いつもはあんなに楽しげじゃないのに」
「なんだ、そんなことか。大したことはしておらんさ。お前さんが見つからんと落ち込んでいたあやつを、わしが自分勝手に祭りを連れ回した。そうしたら勝手に機嫌を直しおった。ただそれだけのことじゃよ」
「ふぅん。まぁ、ことりちゃんは単純だもんねぇ」
「ふぅん、って、あやつは相当必死にお前さんを探していたようじゃったぞ? お前さんを見つけた時も、ところかまわず名前を叫ぼうとしておった。お前さんもあやつの飼い主じゃと言うのなら、少しはまともに構ってやったらどうじゃ」
「……うん」
いつもは「あるじー」なんて笑顔でとてとてと近寄ってくるだけなのに、今回は名前を叫びながら飛び込んできた。その時点で、相当私を探していたことはわかっていた。
マミゾウの言葉に、こくんっ、と私は頷く。
マミゾウは大人しく静かに話をしている私を、なにやら奇妙なものでも見つけたように見つめていた。その訝しげな目線に私が気づいたことに、気がついたのだろう。彼女はずいっと顔を近づけてくる。
「お前さん、なにかわしに言いたいことがあったりするんじゃないかい?」
「言いたいこと……うん、そうだね。あるよ、いっこだけ」
もう一度、ことりがこちらの話をまかり間違って聞いていたりしていないか、確認する。
あいかわらず、彼女は鼻歌交じりに先頭を歩いていた。
マミゾウが返事を待っていることはわかっている。私はほんの少しだ自分の胸元に浮かぶ閉じた三つ目の瞳を見下ろした後、このマミゾウという妖怪にずっと言いたかったことを口にした。
「ことりちゃんを、絶対に裏切ったりしないで」
「裏切る、じゃと? どういうことじゃ?」
「そのまんま。もしもあの子のどんな秘密を知ることになっても、そしてそれがどんなものであっても、ことりちゃんを絶対に裏切らないでほしい。それを理由に拒絶したりしないでほしい。私が言いたいことは、ただそれだけ」
「……ふむ」
たとえその『答え』がどんなものであっても、どこまで疑わしいものであろうとも。
核心を一切伝えずに、まさしく言いたいことしか言わない。そんな私の言葉に、顎に手を添えて思案していたようだったマミゾウは、ゆっくりと首を縦に振った。
「わしはこれでもあやつの師匠なもんでのう。今日からじゃがな。弟子を信じない師匠になぞ、わしもなりたくないわい」
そんな返事を聞いた直後、前の方でことりがじーっとこちらを見つめてきていることに気がついた。話を聞いていたのかとも危惧したけれど、そういうわけではないらしく、全然歩みが進んでいない私たちに「早く早くっ!」と催促しているようだった。
マミゾウに言いたいことは言ったし、聞きたい返事は聞けた。もうこれ以上彼女から離れている理由はない。
「ことりちゃんにだいれくとあたぁーっくっ!」
「うぇええっ!?」
早く早くという催促通り、思い切り助走をつけて飛び込んでみる。彼女がおろおろと慌てることもお構いなしに、初めに彼女が私に突っ込んできた時のように全力で私も抱きついた。ただし頭から。
ごふっ、と苦しげに息を吐いたことりちゃんごと私は吹っ飛んだ。
飛び込んでからのことなんて一切考えていなかったから、もみくちゃになって一緒に地面を転がってしまう。けれどそれがなんだか楽しくて、どうしてか笑顔がこぼれた。私に飛び込まれた方は、そんな私の反応にぷぅーっと頬を膨らませている。
「たぁっ!」
「はひゅっ!?」
頬をつついてみると、ぷひゅーと空気が抜けていく。それがまた面白い。
「だからこんな往来でよさんかと言っておろうに」
マミゾウに首根っこを掴まれた。あぅあー、と離れていってしまう少女に手を伸ばすが、彼女にはそんなものは知らないと言わんばかりに、ふんっとそっぽを向かれてしまった。少々やりすぎてしまったらしい。
それでもどうせ彼女のことなので、数十後にはもう「あるじあるじー」となんの警戒心もなく近づいてくることだろう。実に単純でいい。その時はまたいたずらしちゃおう。また拗ねられちゃうだろうけどその時はその時。
「……こりゃあ、同行を願い出たのは失敗だったかのう」
いかにも悪役っぽく笑ってみせる私と、ぷんぷんと一時的に怒った風な少女。それらを交互に眺めて、はぁー、とマミゾウはひときわ大きなため息を吐いていた。